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「悟り体験を読む」大竹晋著

「大乗仏教ってなんだろう」の一環で手にとった。これは比較的読みやすかった。近世近代の大乗仏教での悟り体験を集めた本。(平塚らいてうの悟り体験も載ってる!)

悟り体験を書き残したり詳しく人に話したりするというのは、ここ100年くらいのことらしく、記録はそれほど多くないらしい。
ただ集めただけでなく、学者さんらしく「大乗仏教の悟りとは何か?」という論が展開していて面白かった。

大乗仏教の悟りは釈迦の時代の悟りとは違うみたい。現代のテーラワーダでの悟りはどんなものなのだろう?


読んでいくと、大乗仏教の悟りというものが個人的な体験ではあるものの、ある程度パターン分類できるものだということがわかる、さらに「精神異常」とそっくりな面もあるのだと気がつく。実際、修行中に狂ってしまう人もいたらしい。

いずれにしても私は悟ったりできないだろうし、相当頑張って参禅しても精神異常をきたすのが関の山という予感しかないから、試みないようにしよう。

それでなくても現代人は知識・情報が多すぎて悟りから遠ざかり続けているという。バランスを大きく欠いた現代人は頭とは別の感覚をもっと膨らましていかないと悟れないのだろう。悟りを目指さないにしても、このままでは苦しみが増すばかりだろうから多少の瞑想はやってみたいなと思った。

4 thoughts on “「悟り体験を読む」大竹晋著

  1. シタテルヒコ

    Unknown
    2021-03-09 09:26:13
    面白そうな本の紹介有り難うございます。
    しかし...「悟る時は真理の方が迫ってくる...(菩提達磨)」って、アタシャ、マトモな精神状態で読めそうにありませんi
    読むだけで、どうにかなっちゃう人が居てもおかしくないかもしれません。

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  2. YOKO

    シタテルヒコさま
    この本はとても学術的に書いてあるので、オカルトではないから大丈夫ですよ~。
    ただ、お釈迦様時代の阿羅漢の「悟り」と「大乗仏教の悟り」はずいぶん違うんじゃないかなとおもいました。両方分からないからほんとのところも分かりませんが。「大乗仏教の悟り」はやはり「成仏~ブッダとなる」ための悟りを目指すのだろうと思います。
    そうなるとレベルが高すぎますよね。

    ※シタテルヒコさまの当初のコメントが別記事にあったので、こちらに移しました。登校時間の記載が2つあるのはそのためです。何卒ご了承ください。

    返信
  3. シタテルヒコ

    Unknown
    YOKO様、何かの手違いで、当該記事でない方にコメントしてしまいました。スミマセン。
    勿論、オカルト的で無いのは分かりますよ。マトモでなくなりそうというのは、別の意味で常識の世界を越えちゃいそうというニュアンスです。
    そうですね、大乗仏教という括りはとても広くて、一寸つかみづらいですね。
    少なくとも、我々日本人に伝わったのは、この流れがほとんどなのでしょうけど、諸宗派に分かれているようで、どれも一つの日本仏教なのかな、という感じもあり、何とも不思議に思えます。

    返信
  4. YOKO

    シタテルヒコさま
    コメントの位置の件については全然お気になさらず。(投稿と書くつもりが登校になってました、失礼しました~)
    仏教って奥深いですね。
    日本の仏教とお釈迦さまとのつながりが見えなくて不思議に思っていたのですが、いろいろ読んでいくと、日本のは「大乗仏教」でお釈迦様の時代とは違う押あなのだということがわかってきました(そしてそんなことは常識だったということも!)そうなってくると、日本の仏教でも「お釈迦さまはこうおっしゃいました」とか言ってるのも不思議に思えて、さらに勉強を進めているところです。シタテルヒコ様はお詳しい方とお見受けいたします。これからもまたコメントくださったらうれしいです。

    返信

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