今年を振り返ってみると、今年は「学ぶってどういうものなのか」を、ちらりちらりと感じ始めた年と言えるかもしれない。
昨日のエントリの「ええ、政治ですが、それが何か?」、実はこの著者の岡田先生とはSNSでつながって、少しメッセージのやり取りもさせてもらった。
私のセンサーが「このヒトは(ある程度何を言っても)大丈夫だ」と告げるので、著作を読み始めたことなどを図々しくもご本人に伝えたりして。(いや、きっと嬉しいんじゃないかな~無関心な事より絶対ね)そうなると、感想も伝えたくなるし、次があるかわからないけど、次に会う機会には、この本を読んで感じた疑問点なども質問してみちゃおうかな~なんて思う。
つまり、学びってこういうことなのかも。
講演会や勉強会に出て、話に納得したり興味をもったらその先生の本を読んでみる、或いはその話の中でに出てきた本を読んでみる。で、その本についての疑問や感想を伝える。
そうすると本の内容もすごく頭に入るんだなぁ。
だって、一回講演で話きいてるわけだから。
岡田先生は大学の先生だけど、学費払わなくてもこうやって勉強できる機会があるんだ。(本代とか呑み代とか別の学費がかかるけどw)
そうか、そうか、こうやって学べばいいんだ。
今頃気がついた。
大学まで行ったのに。
実をいうと、今年、ものすごい時間をかけて1冊の本を読む、小澤俊夫先生の講義を4回受けさせてもらって、「本ってこういうふうに読むのか!!」と衝撃体験をした。そのことを友人連に話したら、「そういうの大学の時やったでしょ?やらなかったの?」とあきれられたのだけど・・・。正直なところ大学の時にやった覚えがない。
もちろん、「講読」という授業あって、読んだこともあったような気がするけど、今年やったのとは印象が全然違ってた。
こういう本の読み方、学び方を20歳くらいで会得していた人も多いことだろうけど、自分はそうではなかった。
大学生の頃には何を読んでもたいして頭に入らなかった。
その本を書いてる人に話を聞きたい。
と思ったことなかったなぁ・・・。
時がきた。
機が熟した。
学びの時は「いま」!
こういうことなのかな?
思えば私の友だちも沢山大学の先生になってる。
友達のよしみで勉強させてもらえる機会もつくれるね。
ふふふ。
この周回遅れ感を別に恥ずかしいと思わないメンタルも学生の頃とは全然違う。
成長したんだなと前向きにとらえることにしよう。
いまから学んでいけばいいのでしょう。
はじめまして・ランダムからきました
こんにちは
ブログ拝見してます
<いらっしゃいませ♪ お越しいただいた記念に何かコメント残して行ってください。古い記事へのコメントも大歓迎です。>
せっかくなのでコメントします
私は大学には行っていません
大学に行ける頭がなかったです
それで専門学校で電気関係を学びました
頭で勝負出来ないので技術で勝負しました
生涯電気畑で生活してきました
以前は手に職をつけると食いっぱぐれはないと言われてました
現在は違うようです
還暦になり振り返ると楽しい人生を送れました
一つの職を全うするのもおかしいですね~現代は
鈴木さま
コメントありがとうございます!
大学で学ぶというのは、今考えるとかなり高度なことで、18くらいの若者には難しい…という風に考えるようになりました。今から行けば、もう少しなんとななりそうな気もしますけどね。
高校からそのまま大学へ行くのは、本当に優秀でその年でも学びのなんたるかがわかってるような人(今の2割くらいの人?)にとどめて、ほかは職業訓練してまずは社会に出たらいいのではないかと思います。そして5~10年くらい社会で研鑽を積んで、更に学びたい人は大学へ行く。そんな風なのが、社会にも大学にも、人々にも幸せをもたらすのじゃないかなと思ったりしますね。
それに、あんなに難しい入学試験をクリアする必要もないと思います。あの受験勉強と大学入学以降の勉強は全く違うものだったので、何お為の受験勉強かハテナハテナになりました。
子どもも減ってるし、社会人に学びの機会をもっと提供してほしいですね。
鈴木様は振り返って楽しい人生とのことで、素晴らしいですね。私もそういう風に言えるように頑張りたいと思います。
卓球場をつくられたのですね。素敵です!