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不知火海

1975年 日本 監督:土本典昭

水俣を扱ったドキュメンタリー映画。
いろいろな複雑な思いに駆られる映画ですが、民俗学的なアプローチもあり、ぐんぐん引き込まれて153分を見終わりました。

終了後は、当時の撮影監督、助監督の方によるトークショーがありました。
「映画の手法」についてかなり詳しい話がなされました。

詳細→http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=231
  →http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=16

いか自分用のメモ
昭和49年当時、まだ汚染された魚は水俣湾にとどまらず、
不知火海全域~有明海まで見られたという話にはチョット驚きました。
食べてましたよね。普通にお魚。
子供だったせいもあるかもしれませんが、全くそんな認識なかったです。
宇土の方に潮干狩りに行って、貝も食べてたし。
発病するレベルの濃度ではないのでしょうけども。

ナレーションもあまり入らず、熊本南部の方言でどんどん進んでいくので、
見た人たち、言葉が分からなかったのではないかと思いました。
熊本出身の私でも、かなり分からない部分がありました。
聞き取りにくい部分は、英語の字幕を見たりして・・・
変な感じ。

水俣や天草の土地の人がいろいろインタビューに答えるのですが、人によって、
「あ~これは、親類のおばさんたちの話し方にそっくり!」とか
「お父さんの話し方によくにてるな~」
とか、そんなことにも興味を惹かれました。

漁の方法も丹念に追っているので、(うたせ舟とかちっとも知らなかった)
その点も興味深いものでした。
30年経って、今はどうなってるのでしょうか・・。
不知火海の漁業や水俣病は。
調べてみようと思いました。

参考
熊本大学の水俣病関連資料

http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/

http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/mercury/

5 thoughts on “不知火海

  1. リン

    Unknown
    小学生の頃、
    3年ほど熊本に住んでいたことがあり
    授業で水俣病のことを少し勉強しました。
    子供だったのですが、本当にかわいそうで
    怖かったのを覚えています。

    返信
  2. YOKO

    水俣病
    リンさんコメントありがとうございます。
    私も学校でも勉強したかな。
    多分したと思います。
    地元だったので、他の地区の人よりも触れる機会は多かったのでしょうね。きっと。
    でもまだまだ、全然知らないことばかりだったと、感じました。この映画みて。

    返信
  3. 葉月野

    水俣病の映画・・・
    そんな映画が上映されていたんですか、地元民なんですがまったく知らなかった(^^;

    水俣は公害病を出した経験からか、いまでは環境問題にかなり敏感な街になってます。ごみの仕分けも数十種類で、各地域で毎週仕分け当番を決めて担当したりとか。

    返信
  4. YOKO

    チッソ
    甘栗さん
    チッソのホームページみました。
    チョット興味をそそられました。
    ことの是非はともかく、あの部分を記述した人の顔が見えるかなり「人間的な(感情的な)」文章ですね~。

    葉月野さん
    そういえば、水俣が地元でしたよね。
    この映画を撮った土本監督は今年の6月に亡くなったそうですが、水俣をテーマにした映画をいろいろ作っているそうです。
    なかなか見る機会がないのですが、他のも是非見てみたいと思いました。
    映画としても力強い構成で、見せられます。

    返信

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