『戦前からバブル前夜まで、歩く・見る・聞く・撮るを実践した宮本常一。その行程はおよそ4000日を越え、撮影された写真には、激動期における日本の庶民のいとなみや風土が刻み込まれています。
今回のトーク「忘れられたことを知ること」では、平凡社から発売された『宮本常一と写真』の著者である、写真家の石川直樹さんと作家・編集者の畑中章宏さんに、宮本常一の写真をとおして、民俗学や人類学への興味や重要性、そしてご自身の活動について、お話して頂きます。』
僕らの未開というイベントシリーズの「忘れられたことを知ること~宮本常一と写真」トークイベントへ行ってきました。
会場は荻窪にある6次元という本がいっぱいおいてあるカフェ?みたいなところ。
満員御礼立ち見も出る盛況ぶりでした。
狭い空間に寿司詰めになって話を聞きました。
キャパをこえた人数を入れてるものだから、椅子が簡易の折り畳み丸椅子だし、身動きできないしでしんどかった。
写真が中心のイベントで、スライド上映もあるのだけど、人の頭で下半分はほとんど見えず。
そりゃないぜ…
それでも、面白いイベントではありました。
やはり中央線沿線は空気が違う。集う人も違う。
新鮮でした。
写真家さんの視点で語られる写真の話は初めて聞いたかも。
いや、これまでもちらほら聞く機会あったことはあった。こないだのアートブックフェアで写真集販売してた人とか、若木さんとか(若木さんとは映画トーテムの話しかしてないから違うけど)、夫の恩師の深瀬センセとか。でも今までは写真ってゲージツすぎてわからん!と理解できないことばかり、石川さんの話はすごくうなずける話ばかりでした。
写真=資料 って理解しやすい。
■宮本常一の写真の魅力についての話<備忘>
●一枚の写真から情報を読み取る力にあふれているから、自分の写真にもいろんな情報が盛り込まれる。
●ただの記録でいいはずの写真に、時々写真としての味を盛り込みたいという欲が出てくる。それがおもしろい。
●知らない土地に行ってあんなふうにふわふわと浮遊するように写真を撮れる人はそういない。
●取材の対象だけでなく、すべてを記録しようとする。例えば、祭りであれば、それを見て写真を撮っている人を写真に撮るとか。
●「史料価値のない写真は価値がない」(石川直樹さんの主張)
●100m歩く中でフィルム10本使ってしまう伝説の写真家がいるが(宮本ではない)、普通はそんなに写真は撮れないもの。風景の中に感じるものがあれば写真を撮れるが、感じること自体がそうそうできるものではない。
自分が写真を撮るときも、これからどれだけの情報がそこに盛り込めるか。考えながら撮りたいと思いました。
宮本氏の晩年の活動で、一枚の航空写真のスライドからいろいろな話をする講義があり、それが本になっていてすごく面白かったのですが、航空写真だけでなく、何気ない写真一枚にもそこから何を読み取るか、そういう訓練をしたいと思いました。