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屋根~東松山にて


夏休みに流星群を見ようと、東松山(埼玉県)の後輩の家へ行った。
「八王寺道」という旧道ぞいの古い宿場だった集落にある。
後輩の家は、築10年程度の新しい家だったが、近所にはこんなカンジの家もちらほら。

屋根の形が私には珍しい。

後輩のお母さんにきくと「煙出しの穴よ」と教えてくれた。

旧街道沿いには、こんな道しるべも!

肝心の流星は曇りでほとんど見えず、残念。

また、別の流星群のときにチャレンジしよう。

~~八王子道と高坂宿について~~

「川越・児玉往還に沿って南北に宿場が広がっており、高坂壱番町から七番町まで存在していた。(中略)
一番北端が壱番町で、ここに日光脇往還へ分岐する十字路があり、南側に「八王子道」と掘られた道しるべが現存する。この道しるべには、「右 日光(よしみいわどの)道」「左 ちちぶ(ひきいわどの)道」とかかれており、ここの細い道へ右折すると、都幾川の高坂の渡しを渡り松山宿に至る日光脇往還である事を示している。この「いわどの」とは吉見観音(安楽寺)の事である。左折は岩殿観音(正法寺)を経由して秩父へ向かう道である事を示している。

高坂駅東口周辺は参番町に該当し、もっとも南側は高坂七番町であった。さらに南下すると越辺川を越える島田の渡しを経由して石井宿(坂戸市)に至る。日光脇往還は、島田の渡しで分岐して坂戸宿に向かっていた。」(ウィキペディアより引用)

写真の道しるべのことも書いてありますね。

8 thoughts on “屋根~東松山にて

  1. うぉる

    おや?
    わりと近所に来てたんですね。宮本先生のその本には、火沙辺粒楽(当て字にしときます)の記述もありますか?なかなかその辺りに触れた郷土史がないんですよね~。知ってどうするわけでもないんだけど、地元の歴史は裏も表も知っておかないと。

    返信
  2. うぉる

    おや?
    わりと近所に来てたんですね。宮本先生のその本には、火沙辺粒楽(当て字にしときます)の記述もありますか?なかなかその辺りに触れた郷土史がないんですよね~。知ってどうするわけでもないんだけど、地元の歴史は裏も表も知っておかないと。

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  3. YOKO

    近所ですか!
    ということは・・・かなり遠くから通勤されてるのでは??
    ブラクは、西日本に多かったそうですが、私も全然地元の話としては知らないのです。

    宮本先生の本はまだ読み始めたばかりですが、まだそういうものは出てきませんね。(膨大な著作量なので)橋の下に暮らす人たちと仲良くなったとかそういう話や、サンカとか、ハンセン病患者とかの話は出てきます。

    被差別民に関しては、網野善彦氏の本で少し読みました。いわゆる「エタ・ヒニン」についての歴史的考察とか。
    これはとっても興味深いものでしたよ。

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  4. YOKO

    近所ですか!
    ということは・・・かなり遠くから通勤されてるのでは??
    ブラクは、西日本に多かったそうですが、私も全然地元の話としては知らないのです。

    宮本先生の本はまだ読み始めたばかりですが、まだそういうものは出てきませんね。(膨大な著作量なので)橋の下に暮らす人たちと仲良くなったとかそういう話や、サンカとか、ハンセン病患者とかの話は出てきます。

    被差別民に関しては、網野善彦氏の本で少し読みました。いわゆる「エタ・ヒニン」についての歴史的考察とか。
    これはとっても興味深いものでしたよ。

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  5. うぉる

    通勤遠いです
    サンカ…出て来ますか。サンカも所謂、それですね。BOOK・OFFで探してみよう~

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  6. うぉる

    通勤遠いです
    サンカ…出て来ますか。サンカも所謂、それですね。BOOK・OFFで探してみよう~

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  7. YOKO

    図書館もいいですよ
    サンカ研究の本も借りて読んでみたんですが、ちょっと難しかった。
    宮本常一の本の中に、山に住んでいて、竹細工のものとかを定期的に売りに来る人たちの話が出てきます。茶筅とかも器用に作っているらしく、網野善彦氏の本だったかに、江戸の戸籍調査みたいなのが載ってるところがあったのですが、そういう人を「茶筅」と呼んでる事が分かります。地域により呼び方変わると思いますが。

    まだ、脚を踏み入れたばかりで、全然よく分かっていないんですが、興味の続く限り勉強してみようと思っております。

    図書館で探すのもお金かからなくてお勧めです。

    返信
  8. YOKO

    図書館もいいですよ
    サンカ研究の本も借りて読んでみたんですが、ちょっと難しかった。
    宮本常一の本の中に、山に住んでいて、竹細工のものとかを定期的に売りに来る人たちの話が出てきます。茶筅とかも器用に作っているらしく、網野善彦氏の本だったかに、江戸の戸籍調査みたいなのが載ってるところがあったのですが、そういう人を「茶筅」と呼んでる事が分かります。地域により呼び方変わると思いますが。

    まだ、脚を踏み入れたばかりで、全然よく分かっていないんですが、興味の続く限り勉強してみようと思っております。

    図書館で探すのもお金かからなくてお勧めです。

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