日曜日のお昼にアマゾンさんから届いたので、そのまま読み始め、夕方には読み終わりました。快読という名の通り、とても楽しくどんどん読める本でした。
でも、内容は多岐にわたっていて、「赤毛のアン」を読むにあたってのヒントがいろいろに散りばめられていました。すなわち、当時のカナダの政治状況、住民の宗教意識、クラス意識、民族問題、教育制度、ジェンダーなどなど。
よくまぁこれだけ調べたなぁと思いました。(多少目が回りました)
花子とアンのドラマで、修和女学校の校長室にあるのがなぜカナダのメープルの国旗でないのか疑問だったのですが、そういう事の背景もわかります。
また、当時のカナダの方言と標準英語の話も出て来ます。訳文ではそのニュアンスを出すのは大変ですよね。この本では原文も挙げて解説してあるので、とても興味深く読めます。(上の写真は原文を読むため本を横にして読んでいるところです)
日本で大変人気のある「赤毛のアン」ですが、この現象は海外の研究者にも注目されているかなり特殊な状況なのだそうで、それを知りびっくりしました。
海外でも(英語圏はもちろん)それなりに人気があり、児童文学として認められている本だそうですが、日本ほどの盛り上がりはないそうです。これには花子さんの功績が大なのですね。
海外の研究も少し紹介されていますが、それに対する著者の突っ込みが可笑しい。そうです。日本で提灯を使うのはお盆シーズンばかりではありませんよね。
その花子さんの訳文とその他の翻訳家のものと比較している章もあり、これもとても面白かった。これだけで本一冊になるのでは?と思うほど。
翻訳をするということがどんなに難しいか、よくわかりました。
村岡花子さんは、戦時中にひとりで情報もない中、翻訳していたという話ですが、すごいですね。でも彼女は、アンと同じ時代のカナダの教育をカナダ人の先生から受け、図書館にあった英文学の古典などもアンと同じように(同時代の教育を受けた人と同じように)原書で親しみ、まるでカナダで育ったような文化を身につけた稀有な日本人だったそうなのです。
それで、この翻訳が可能になったのですね。
私は子供の頃に読んだ際、アンの性格に全く共感できずにシリーズを読み進めることができなかった口で、ストーリーもろくに覚えてないのですが(アニメも見なかった)、よく読みこんだ方には、この本で展開されるアンとマリラの関係の話も面白いのではないかと思います。
文学作品の深読みと言うものがとても苦手で、何を屁理屈こねてるんだろ?暇人か?!と、抵抗もある私ですが(世の文学者の皆様暴言をおゆるしください^^;)、こういうふうに解説してもらえると、なるほどーーー!と思わずにはいられません。
ネタバレになるので詳しく書きませんが、モンゴメリが、この物語で伝えたかったこと、批判したかったことがよくわかり、モノを書く人々というのは、こんな風に作品を作り出すのだな、ど感心しました。
売れなきゃならない。
出版社の意向もある、読者のこのみもある。そんな中で自分の思いを効果的に伝えることができる作者というのは只者ではなく、だからこそ時代を超えて長く読みつがれるのだということがわかりました。
私がアンに感情移入できなかったと書きましたが、実はモンゴメリ自身がアンの性格に共感できていないのでは?という著者の指摘も興味深く感じました。
この辺りは、私の育った昭和40~50年代日本の女の子教育(ジェンダー問題)とも関係があると感じている部分でいつか掘り下げてみたいです。
「赤毛のアン」のファンの方、「花子とアン」にはまっている方、更に広く英語に興味がある方におすすめします!