朝ドラの「花子とアン」を見ていて不思議に思ったことがありました。
花子が甲府に戻ってきて、自分の母校の代用教員になるのですが、「安東先生は6年生の担任をやってもらう」という辞令なんです。
あれれ?戦前の尋常小学校って4年までじゃなかったの?
調べました。
明治40年にそれまで4年間だった義務教育を6年間に延長し、それに伴い尋常小学校を4年→6年
高等小学校を4年→2年
に改変したとのこと。だから花子先生は6年生の受け持ちでいいののですね。
さて、大阪の夫の実家に行きましたら、そこで義父の小学校時代の通信簿や期末テストの答案が出てきました。昭和12年で、義父が高等小学校1年生だったころのもの。つまり今の中学1年ですね。
旧仮名遣いだし、まるで古文書です。
すごいです。めっちゃ珍しい。
私が一番反応してて、写真なんかとらせてもらいましたよ。
通信簿には成績のほか、出席状況と健康状態なんかも書かれていて、興味深し。先生からのコメントに「うがいをすること」って書かれてました。(旧仮名で最初読めなかった)
作文もありました。高等小学校に上がって6日目に書いたもの。学校が始まって6日たつのに漢字の書き取りしかやってないとか、友達がまだ少ないので別の学校に行って(おそらく尋常小学校で同級だった子供と)「ほんがん」遊びをやったとか書いてありました。
「ほんがん」遊びと聞いて、夫の兄弟たちが盛り上がっていました。
「ほんがん、すいがん、へいがん」の3つに分かれて遊ぶ陣取りゲームのようです。義父も子供のころに遊んで、その子供たちも同じ遊びをしてたんですね。私はやった覚えがないです。大阪のローカルな遊びかな。
試験問題は「修身」「国史」「国語」「地理」「商業」「簿記」が残されていました。算数や理科などもあったと思いますが、見当たらなかった。ほかに、水彩の絵がありました。きっととても上手だったのでのこしてあったのでしょう。
「地理」の問題には、「アジア」「満州」についての問いがずらり!
時代を感じます。
満州については特に力を入れて教育していたのですね。
「修身」は天皇や皇室について、また「家」とはなんぞや。非常時や平時における愛国とは何か。など。こんな事柄についての問題がテストで出されて、点数がつけられていたんですね。
「国史」では
「聖徳太子は伝来仏教そのままを丸呑みにご信仰あそばされたのであろうか?どうされたか?」
「奈良仏教の弊害は?」
「最澄空海の中心使命を問ふ。四文字で答えよ」
うう、難しいぞ。
「商業」の問題は実用的で、「できるだけ早く手紙を届けたいがどうするか?」とか「この電文をウナ電で●×まで打ったら料金はいくらか?」など、国家の教育への熱意を感じる問題たちでした。この時から10年もしないうちに、日本の教育はガラガラと変わってしまうのですよね。
義父が生きていたらこれらのテスト問題を見ながらいろいろ解説してもらえたかもしれません。
会いたかったなぁ。
すてき
老公のファミリーも昔のものを大事に取っておくおうちだったのね。いいなぁ。うちはそういうのは全然無いものな。
やっぱり共通の興味がある夫婦ってステキだわん。
どりちゃん
そういわれてみればそうだね!
お義父さんのお母さんという人が残しておく人だったんでしょうね。古文書でした。
でもそれにいちばん興味持ってたの、私だったみたいです。ハハハ。
high school
お久しぶりです。
村岡花子さんは、アンの両親が勤めていた "High school" を「中学校」と訳しています。これは16歳以上の生徒が通う学校で、日本の高校とほぼ同じです。
なんで High school をわざわざ中学校に? と頭をひねって、はっと思い当りました。
「旧制中学校」だ!
旧制中学が廃止されたのは1947年の学制改革において。つまり村岡さんが「アン」を訳していた時代は、今の高校生にあたる生徒たちが通っていたのは「中学校」だったんですね。
村岡訳を底本とする「青い鳥文庫」の『赤毛のアン』(2008)でも、いまだに「中学校」になってます。いくらなんでもそろそろ「高等学校」にしようよ・・・w
なんか関係ないコメントですいません (^^;
NHさん
コメントありがとうございます。
旧制の学校制度は、わかったつもりでも時代によって変更があるし、特に上級のほうになっていくと複雑で難しいですよね。大学の予科とか。
High schoolを中学校と訳すのはその時代としては当然なのですね。
でも戦後の新訳でも中学校というのは解せませんね。こういう改訂というのは、時代とともに必要なのですね。
面白い視点です。
義父の答案用紙には学年の欄に「高一」と書いてあるんです。今の人が見たら高校一年?と思いますよね。でもこれは高等小学校一年なので今の中一なんですね。フクザツ!!