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春が来た!

春の陽気に誘われて、多摩川の河川敷を散歩してきました。

前にツイッターで話題になっていた「卵のパックを持って春の色さがし」というのを思い出し、卵パックは持ってなかったけど、野草を何種類か摘んで帰ってきました。

手ぶらで出かけたので、草花が少しは元気でいるようにと思って「ぎしぎし」の葉っぱにくるんで持ち帰りました。「ぎしぎし」であってるかな?葉脈が少し赤みを帯びてたけど。

つくし
カラスノエンドウ
すぎな
ムラサキカタバミ
姫踊り子草
仏の座
ヨモギ
なずな
浜大根
菜の花
花ニラ

など。黄色い花を咲かせてるのがもう2種類あったのだけど、ちょっと名前がわからない。
ひとつは紫カタバミににてる。
もう一つはイチゴの花ににてる。

水にさしてみたけど、少し元気がない。
よもぎなんかぐったりだ。

一晩だったら、しゃきっと元気になっていた。
可愛い草花だ。
春が来てる。
確実に。

それにしてもツクシの数が少なかった。
採り尽くされたのだろうか??
他の方からも多摩川のツクシが少ないって話を聞いた。
環境の変化だろうか?

3 thoughts on “春が来た!

  1. 春のはな
    採集してみると結構あるものですね。ツクシは成長してスキナになるのでしょう。土筆といえば横井迦南に次のような句があります。

     摘みながらつぎの土筆に目をうつし 迦南

    返信
  2. YOKO

    つくし
    礁さん、コメントありがとうございます。
    春の草は見ているだけでなんだかうきうきした気持ちになりますね。
    つくしは食べる人も多いようで、どんどん採られちゃうのかもしれませんね。迦南さんもつんだあとは食べたかな。

    こういうものは不思議と1つ見つけるまでが時間がかかり、一つ見つけた後はどんどん見えてくるということがありますよね。そんな俳句でしょうか?

    返信
  3. そうです
    ツクシでもワラビでもひつと見付かると次々に見えてくることがあります。仰るとおりで、これはそういう場面を詠んだものですが、迦南が自ら摘んでいるわけではありません。

    摘んでいるのは子供です。そう解釈した方が句に躍動感が出て面白くなります。
    そしてこれは食用にするというより子供の遊びなのです。

    摘むこと自体が子供には面白いのです。ツバナ摘みなどもそうでしょう。摘むことに飽きたら捨てられてしまいます。そこに哀感が生じます。

    摘みながら次の茅花に目を移し

    と焼き直すことができますが、それは類想の句として価値を持ちません。最初に出来た句に及ばないのです。

    返信

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