今、民放のBSで渥美清のテレビドラマ「泣いてたまるか」を連続放送してる。寅さんファンを自認するワタクシ、毎回録画して少しずつ見ています。渥美の役柄も、設定も、脚本家も、演出も毎回変わるという楽しいドラマです。
彼の演技を楽しむ一方、昭和40年前後の風物を楽しんでいます。
シリーズ後半で「先生○○する」という連作があります。この部分は、渥美の役柄は高校教師、生徒たちも同じ役者が出てるんですが、中学生日記のように毎回話が変わります。
でこの高校教師シリーズの舞台が、横浜の青葉台です。
昭和41年に東急田園都市線が開通したらしいので、出来立てほやほやの街でロケをしてることになりますね。 青葉台は、私が大学卒業して最初に住んだ街です。この青葉台が、空き地だらけの草ぼうぼうな土地として登場するのがこれまた楽しい。
ドラマの中に出てくる青葉台駅前に噴水があるのですが、私が住んだときあったかしら?あの頃は、駅前再開発の真っ最中でずっと工事中でした。引っ越して10年以上経ってから行ってみたら、駅前にデパートが建ち、さらにオシャレで高級な住宅地となっていました。
面白いのでまた国土地理院のサイトで昔の航空写真を眺めてみました。
驚くのは駅の北側の「U」の字のような形の3つのビルがずっと残っていることです。
今もありますね「青葉台東急スクエア」です。。
それから、駅の北側に広がる団地の樹木がどんどん育っているのも興味深い。2007年の写真ではいったん伐採してしまったのか、季節の問題か、樹木が目立ちませんね。
ドラマに出てきた駅北側ロータリーの丸い噴水は、1975年までは確認できますが、その後は駅舎が拡張されているようで、かげになっているのか、確認できません。
駅舎の形も4枚の写真とも全部違います。
駅の北側は、鉄道敷設当時からかなり計画的に開発されたようですが、南側はなすがままになっていたようにも見えますね。私が住んでいたのも南側です。駅から徒歩20分くらいの梅ヶ丘という住所のアパートでした。今はもうありません。
1970年の青葉台駅前
1975年の青葉台駅前
1989年の青葉台駅前
2007年の青葉台駅前
ドラマの感想はまた後日。
泣いてたまるか
「泣いてたまるか」は学生時代よく見ていました。当時生活していた寮にロケが来たことがあります。渥美清さんは来ませんでしたが、飯田蝶子さんが寮母さんの役をやっていました。懐かしい思い出です。
DVDコレクションが発売された時に何枚か買ったこともあります。
Re:泣いてたまるか
FUSAさん、ロケに遭遇とは!!当時も話題のドラマだったんでしょうか?毎回毎回違う話で贅沢なドラマですね。ロケ地も色々あって、二子玉川から出てた単線が出てきた回があって、感動しました。今は機動後しか残っていないので。
青葉台駅に行きました
私もBSの番組見て今日青葉台駅まで行きました。
駅の階段降りたところに噴水があり、その手前の空き地で渥美清さん扮する先生がテントに泊まるという回でした。
駅前は全く面影なくただ駅横の団地が当時のままあり、多分こちら側の出口だろうと思いました。
このサイトに当時の航空写真があり、噴水の位置、テントを張った空き地の場所が確信できました。
50年も経つとこんなに街は変わるのですね。
ハロハロ様
コメントありがとうございます。
わざわざロケ地めぐりのために青葉台へお出かけになったのでしょうか?
情熱ですね^^
青葉台駅前は相当変わっていましたでしょう。私ももう数年出かけていませんが、おしゃれですよね。
駅前でテントという回はまだ見ていないようです。録画だけしてみてない回がたくさんあります。(少しずつ楽しみながら見るつもりなんです)
東京郊外の街の変わり様は恐ろしいほどです。高度経済成長期に変わり、またバブル期にも大きく変わりましたよね。
聖地巡礼
今年の流行語にもなったそうです。
特に「泣いてたまるか」が大好きだった訳でもないのですが、40年くらい前、高校時代にこの番組の再放送を見てたのが記憶にあり、BSの再放送を最近見て、番組名とロケ地で検索してみたらこの沿線の開発初期の街が舞台だったとあり興味持ち訪ねて見ました。駅前でテントは先週くらいの放送だったはずです。
この秋、気になってた番組、この番組を見て東京の大学にあこがれた「俺たちの旅」の主人公達の下宿と食堂が地下鉄方南町の近くにまだ残っているネットにあったので行ってみましたが残念ながらすでにコインパーキングになっていました。放送から40年も経てば仕方ないですね。
大学は残念ながら京都に行くことになりましたが。
青葉台駅、泣いてたまるか、現在で検索したら、この日誌にたどり着きました。
YOKOさんの日誌、私の行動とかなり近いものがあります。また別の日誌にコメントします。
「聖地」巡礼
まさしく!ファンにとっては聖地になりますね。わたしはあまりわざわざ出かけるということはなく、ついついグーグルマップなどで済ませてしまいがちですが。
でもドラマや映画のロケ地めぐりは今重要な観光コンテンツなんですよね。
渥美きよしさんご来店
昭和41年田園都市線開通とともに青葉台駅近くに食堂を開店しました。飲食店一番乗りです。ロケ中の渥美きよしさんが突然ご来店「カツ丼とみそ汁」あの声が今も忘れません。気さくにサインに応じて頂きました。
50年近くなり84才になった今もわが家の自慢話です。懐かしい。
Re:渥美きよしさんご来店
青木さんコメントありがとうございます!
なんと!青葉台でロケのときに渥美清さんご来店だなんて!!
本文中にも書いていますが、私も若い頃に少しだけ青葉台に住んでいました。その頃もきっとお店ありましたよね。伺ったかどうかはわかりませんが。
飲食店第一号ということは、青葉台の発展をずっと見てこられたんでしょうね。
泣いてたまるかの頃は空き地がたくさんありましたが、今はおしゃれな高級住宅地ですよね。
私の住んでいた頃も雰囲気が高級で、薄給の若者には暮らしにくいと感じてました。大人になった今なら落ち着いた街を楽しめるだろうと思います。
よかったらまたお話し聞かせてください。
渥美きよしさんご来店
YOKO様、またお邪魔します。渥美きよしさんご来店と前に書きましたが、YOKO様も青葉台に居られた頃多分ご来店されていると思います。安くてボーリュームあり(味は兎も角)若い男性客に圧倒的に支持されてました。渥美きよしさんのサインについて後日談
がありますがそれはまたの機会に。
Re:渥美きよしさんご来店
青木様
またまたのお越しとってもうれしいです!
お店伺ってたでしょうか?あの頃お金がなくて自炊専門でした。青葉台で何処か飲食店に入った記憶がないです。行ってたら良かったのに。お店は今もありますか?駅の北側でしようかしら??
渥美清さんのどんなお話があるのかすごく気になります!またお話聞かせてください。
渥美きよしさんご来店
YOKO様またまたお邪魔します。いまBSの渥美さんの「男はつらいよ」見終わりましてまた渥美さんの思い出です。「泣いてたまるか」のロケ地青葉台駅の噴水が今はバスロータリーになっています。乗降客数も1日11万人を超えています。私のお店は駅南側で今はgooglemapで「青〇ビル」と記載されてます。YOKO様が居られた頃とは様変わりしてます。
青木竹夫さま
グーグルマップで確認しました。
今はビルになってるんですね!
昭和41年当時は、平屋とかでしたか?私が記事中に載せた航空写真もばっちり写っていますね。1989年にはもうビルになっていますね!!
ちょうど今の朝ドラの「ひよっこ」も昭和41年です。ビーフコロッケが60円って出てきましたが、渥美さんが召し上がった「カツ丼とみそ汁」はおいくらくらいだったのでしょうか?
寅さんご来店続
YOKO様マップ確認までして頂き恐縮です。ご指摘の通り開業時は平屋でした。翌年住居部分を建て増しし、その後ヘーベルハウスに建て替え、サーテイーワンアイスクリームをフランチャイズで開業し両店で眩暈がするほど忙しい日々でした。平成元年にすべてを取り壊しビルに建て替えました。寅さんふうに言えば「結構毛だらけローンだらけ」です。渥美さんがロケ中に滞在し撮影にも使われた家は地元桜台Mさんのお宅です。写真も残ってます。渥美さんが召し上がったのはカツ丼150円みそ汁20円です。ちなみにラーメンは60円でした。
Mさん宅
青木竹夫様
カツ丼150円味噌汁20円!安いですね~。やっぱり。ラーメン60円にもびっくりです!
31アイスクリームはまだ珍しかった頃ではないでしょうか?大人気だったのが想像できます。
ところで、あの石田先生の下宿先のおうちはロケだけじゃなくて、渥美さんが滞在もされていたんですね。ホテルなどもまだあまりなかった時代ですよね。きっと。
実はあのおうちが気になっていたんです。新興住宅地の青葉台に、古くからあるような農家の構えの家、どこかな~と。私が住んでいたころも、鴨志田の方まで行けばまだ農村風景が見えましたが、桜台なのですね。
グーグルマップで見て行って、ここかな~というお宅を見つけました。まだいまもありますね!建物は新しくなっていて周りにマンションが立ち並んでいますが、そのおうちだけまるで鎮守の森に守られているかのような雰囲気でした。
きっと鉄道敷設以前から住んでいらっしゃるんでしょうね。「泣いてたまるか」で「先生追い出される」という回があって、まさしくその下宿の大家さん(澤田雅美さんの家)が土地を売る売らないという騒動がテーマになっていましたが、きっとMさんというお宅も地主さんなんだろうな~なんて思っちゃいました。
ところで、青木さまはもともと土地の方なのですか?それとも鉄道開通に合わせて移っていらっしゃったのでしょうか?いろんなドラマがあるのでしょうね。
あ、わたしが住んでいたのは、梅ヶ丘というところで、アパートの裏に幼稚園がありました。最近グーグルで見てみたら、アパートは取り壊され、区画整理されて戸建ての住宅が建っていました。
なんだかさみしいですね。
YOKO様
YOKO様流石マップ検索の達人ですね、そうです私の所から北へ約一キロ広い敷地に大きな屋敷、石垣の外に広い駐車場、地元農家の資産家のお宅です。「青葉台今昔」を検索して、辿っていくと開発前の写真とか、渥美さん滞在中の写真が見つかると思います。実は私はずーと忙しい商売をしていまして映画どころではなく「泣いてたまるか」を見てないのです。今は毎日が日曜日なのでDVDを購入して見てみたいのですが、作品が多くてどのタイトルのを見れば青葉台が出てくるのか分かりません、YOKO様はお詳しいようなので教えていただければ幸いです。
私のドラマですか:川崎市北部小作農家の10人兄弟の末っ子、竹藪に囲まれた家だったので簡単に竹と名をつけられ
16歳で上京、艱難辛苦の末オフイスビルのオーナーに、感動のサクセスストリー、名作「おしん」の男性版: なーんちゃって、 お粗末様 お後がよろしいようで・・・。
青木さま
「泣いてたまるか」、私もまだ全編見終わってはいないのですが、青葉台が出てくるのは「先生○○する」というようなサブタイトルの回です。たくさんあります。
青葉台の駅はチョコチョコ出てきます。あんまり出て来ない回もありますが…
「先生追い出される」という回は、そのMさんのお屋敷が中心の回で、渥美清が青葉台の駅前にテントを張って野宿なんて言うシーンもあります。南口の「青葉台交差点」あたりで宮本信子と会話するシーンなどもあり、ロケ地、青木さんのほんとにご近所だったんじゃないでしょうか?「先生追い出される」はおすすめですよ。(お話はそれほどでもないですが・・)
青木さんの男性版「おしん」物語。とっても興味ひかれます。川崎北部というと、生田とかあのあたりでしょうか?それとも麻生?青葉台と同じように様変わりしましたよね。きっと。
16歳で上京されたときに飲食店に修行に入られたのでしょうか?一代記など書いていらっしゃらないのですか?読みたいです!!
YOKO様
DVD情報ありがとうございました。生家は宮前区です。グーグルマップで国道246沿いのマクドナルドのドライブスルーが見れます。その場所が藁ぶき屋根の母屋があったところです。今マックに貸してます。その隣のBMWがある場所は温室をやっていた所です。竹藪は道路となりました。一代記など、とてもとても、本当はもっと大きな夢があったのですが小さく固まってしまいました。理由は人使いの難しさです。・・・ 話が渥美さんから離れてしまいましたのでこの辺で。
鷺沼
青木様、グーグルマップみました。鷺沼のあたりですね。国道246号線は重要な幹線ですが、以前はどんな道だったのでしょうか?厚木街道というくらいですから、古くからあった道だったんでしょう。
田園都市線沿線は、昭和40年代から大きく変貌を遂げて行った地区だと思います。ずっと見てこられたのでしょうね。
すごいサクセスストーリーだと思いますが、もっと大きな夢がおありでしたか。
人使いについては、永遠のテーマですよね。私は使われている側ですが、人事を担当することもあるので、いつも悩んでいます。
また良かったらお話聞かせてくださいね。
Unknown
YOKO様懐かしい鷺沼のお話がでました。駅裏側あたりは大きな山で山刈りについて行きました荷車が通るだけの道で松や杉の大木に覆われて昼でも一人では怖かったです。厚木街道ですが、その前は大山街道と呼ばれていました。新・旧があり、マップで宮崎小入口の信号を北方面に行くと有馬という信号→小台公園→鷺沼交番→鷺沼一丁目ここで新旧合流してます、この旧が渋滞のネックで更にその前は坂道でカーブカーブで乗合バスが何回か崖下へ転落しました。国道も今はほぼ直線ですが大山詣での昔の道は山を迂回して歩いたのでかなり、くねくねしていたようです。親戚で茶屋と馬の水飲み場(今のドライブイン?)をやっていた場所は300m位左の位置です。近くに「馬頭観音」石碑もあります。
宮前平駅の裏側は小高くて高射砲陣地があり、砲門が十数基空を向いてました。更にその右側方面に陸軍部隊の駐屯地があり兵隊さんが数百人おられ、教練を終えると戦地へと向かわれます。戦地へ出発の時は日の丸の旗を持って見送りに行きました。整然と隊列を組んで行かれた兵隊さんたち、そのほとんどの方は帰らぬ人となったと聞きます。(涙腺が緩んできましたのでこの辺で)平和のありがたさ実感。
大山街道
青木さま
厚木街道は大山街道なのですね!
世田谷に大山街道があるのは知っていましたが、246がずっとそうなのは思いいたりませんでした(考えてみれば当たり前ですね。大山まで続いていないとおかしい・・)
教えていただいた道筋辿りました。
馬頭観音の場所も確認しました!
皆川家というのも見ましたが、もしかしてそこがドライブイン?でしょうか?
国道整備される前の道は今とは全然違う場合もあるのですね。確かにあのあたりは今の国道でも山あり谷ありの印象ですから、昔はもっと・・・バスの転落とか、相当な難所ですね。
戦争中のお話も沢山エピソードがおありなんでしょうね。平和のありがたみ、忘れてしまって不穏なことが始まらないといいのですが。この辺りは我々の世代がしっかりしないといけないことですね。
お話伺ってて、グーグルマップだけじゃなくて、実際に歩いてみたくなりました。少し涼しくなったら出かけてみようかな。またお話聞かせてくださいね。
大山詣で
YOKO様皆川家を見て頂けました。大山街道はかなり南側の方まで入り組んでいますね、皆川家の奥方は私のカミさんの姉でして義兄弟という関係です(杯は交わしていません(笑))今は造園業です。裏手には四国まで買い付けに行った大きな庭石が数十個あり大きな石灯篭も幾つかあり、その裏手には見事に剪定された槇とかツゲとか松とかの植林地があり、ちょっと見ごたえがありす。先、先、先代あたりが牛のドライブインをやってたようです。メインストリートだったのでしょうか。街道は更に進みそして右折して荏田町へ、荏田は宿場町で江戸を出て最初の逗留ですね、街道は246を越えて北側へ進み市が尾町付近では「庁舎入口信号」の道ですね、柿の木台を過ぎ青葉台近くで246と合流しますね、この辺は寂しく昼でも「追い剥ぎ」が出たそうです。街道は厚木辺で南側へそれて伊勢原あたりで北側になり一路大山へ。信仰で賑わった道も新橋~横浜間の鉄道が開通すると東海道へ旅人を取られ寂れてしまったようです。
青木さま
わ~!まさに「大山街道物語」ですね。
皆川さんがそのドライブインでしたか。
グーグルで見るだけでもすごい庭石、石灯籠なのがわかります!「たてば」というものだそうですね。
教えていただいた通りに、荏田、市が尾、青葉台と旧道らしき道をたどってみましたが、今の道の整備が進んでいて、何処が旧道なのか何処が昔の宿場町なのか判然としない部分があり、国土地理院の1947年の航空写真で確認しました。くっきり宿場町がわかりました。荏田は宿場町だったのですね。常夜灯が今までもあるのを地図で見つけました。
お話伺っていると、どの場所にも土地の歴史があるのだなぁ~というのがよくわかります。
貴重なお話を伺えてとても有難いです。
やはり一度実際にあるいてみなくては!という気持ちになります。
このブログを知らない友人たちにも、青木さんのことを話しましたら、興味持つ人が多いです。
ご迷惑でなければ、もっとゆっくりお話伺える機会があると嬉しいのですが。青〇ビルに行ってピンポーン!ってしたらお会いできますか?(笑)
大山詣
青木さま
「大山街道」の話がでましたが、真っ先に思ったのは落語の「大山詣」でした。
子供のころ家にカセットテープがあってよく聞きました。大人になって東京に出てきたあと、世田谷用賀にある会社に就職したのですが、ちかくに「大山道」なるものがあり、これがあの落語の大山詣りか!と興奮したのを覚えています。
落語の大山詣りでは帰りに江の島とか神奈川宿とか通っていますけど、行きはこの厚木街道の方から行ったんでしょうか。
また、グーグルマップで私の家(大田区)から大山まで歩くとしたら?と道順検索しましたら、中原街道経由で12時間ちょっとでした。昔の人みたいに午前4時ごろでかければ、夜までにはふもとの宿にたどり着いたかもしれませんが、途中で一泊入れたいですね。
徒歩で大山詣で
YOO様 大山まで歩いて行かれるおつもりですか? 絶句! もう何も言えません。参りました。(笑)
あははは~
徒歩での大山詣・・・言ってみただけです。
スミマセン。
たぶん実現はしないでしょうね。
ついバスに乗ったり、電車に乗ったりしますから。現代人は軟弱でいけません。
それに私は往年の時刻表トラベラーなのです。
旅程を立てるのが大好きなんです。
今は、グーグルマップトラベラーです^^
徒歩で大山
YOO様 安心しました。旧道は今では通り抜け出来なくなっていたり住宅地へ迷い込んだり、246も歩いてみると排気ガスで気持ち悪くなります。流通の大動脈ですものね。道なき道を切り開いて行った先人達も天空で「驚き桃の木山椒の木」なんて言っているでしょう。グーグル探訪の方が」面白いかも、皆川園の近くには「血流れ坂」(処刑場の後?)とか青葉台には「ほとけ山」(姥捨て山?)とか
、そんな探索も一興では・・・。
大田区懐かしい。修行地が田園調布、大田区民会館での勤続従業員の表彰式に行きました(60年前)今でも年一度位、カミさんの踊りの発表会で行きます。話が逸れました。
「血流れ坂」に「ほとけ山」
青木さま
またまた興味深いお話ありがとうございます。実は、本気で歩くつもりになって、宿探しまでしちゃいましたよ(笑)南林間で一泊。そして大山の門前の宿坊で1泊(もちろん、調べるのが楽しいだけです)
ネット検索してみましたら、大山道を歩いてる人たくさんいらっしゃるんですね。もちろんいっぺんにではなくて、少しずつ分けて歩いていらっしゃるようですが。わたしも面白い部分を研究して、歩いてみたいなと思いました。涼しくなったら、馬頭観音、皆川家、荏田宿の常夜灯など見に行ってみようと思います。
ところで、田園調布で修業なさったのですか?大田区民会館というと、下丸子?それとも蒲田でしょうか?
ぐっと私の身近な話題です。奥様踊りをされているのですね!
田園調布のお話もお聞きしてみたいです。あの辺はあまり変わっていないような気もしますが。
大山街道探索
YOKO様 そうですね、無理せず少しずつ分けて行かれた方がよいでしょうね。老爺心?より。やはり若さですね。羨ましい。マップ検索達人でおられるのでまだ何処か隠れた名所とか、探し当てられそうですね。「土地にまつわる話」とか、謎めいていいですね。そうゆうの探しましょう。私は鷺沼周辺しか知らないので。 区民会館は下丸子です。ガス橋か環八で行きます。(名前かえました)
青青さま
土地にまつわる話。
下丸子とか田園調布でしたら、やはりまずは「六郷用水」ですね。この辺りに移り住んできたときに、六郷用水のことを知ってとても興味がわいてよく用水の流れをたどって散歩などしていました。
六郷用水にもファンが多いんですよね。
隠れた名所を探したいと思います。
いずれにしてもちょっと動き回るには暑すぎますね。今日はこの夏一番というくらいの暑さで37度とか言ってました。青青さまもこの暑さには十分お気を付けくださいませ。
最近、国立公文書館のHPにある戦災概況図という古い地図を見ていまして、ガス橋のあたりに「平間の渡し」がくっきり残っているのを発見しました。田園調布に近いのは「丸子の渡し」更に下流に「矢口の渡し」があります。二子玉川の所も鉄橋だけでした。
人のわたる橋はまだかかってなかったのでしょうか?
宮前の方を見ましたら、玉川電鉄が溝口まで伸びていましたが、その先は「大山厚木街道」はわかりましたが、馬絹、有馬、下石川などという地名はあるものの、目印がなくてよくわかりませんでした。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0203000000_3/0000000116/00
大山街道・田園都市線
YOKO様 二子橋はものごころついた頃は電車・人・馬・牛が混然と通っていましたね。大正中頃までは渡し船がその役目を果たしていたようです。川向こう(東京)から帰る両親が乗った舟が流されそうになり父親が「早く飛び降りろ」と怒鳴り夢中で飛び降りたと母親が言っておりました。まず鉄道が引かれてその後に人・牛馬が通れるようになったのでしょう。電車は昭和41年3月までは溝の口駅止まりで宮前区有馬から約一里歩いて行ったものです。多摩川まで遊びに行くのも歩きでしたね。でもそれが当たり前でしたので辛いなどと思いませんでした。大山街道沿いに 下作延・梶が谷・馬絹・有馬・横浜市に入り下石川・元石川・荏田・市ヶ尾~青葉台方面になります。田園都市線が開通するまでは農村地帯でした。今あるは田園都市線のおかげですね。
Re:大山街道・田園都市線
青青さま
コメントありがとうございます。二子玉川のところは、ひとの渡る橋がちゃんとあったのですね。そうですよね。江戸時代じゃないんですからね。
やっぱり地図で見ただけだとわからないことが色々あります。
渡し船は、天気や船頭の腕などによって危ない時があったでしょうね。
わたしの父の子供時代もすごい距離を歩いて遊びに行ったりしてたような話を聞きます。昔の人たちはおしなべて健脚ですよね。
田園都市線のおかげで、どんどん開発が進んでいますよね。
わたしが住んでいた1989年当時は、それでも満員電車にぎゅーっとなる感じではなかったですが年々混雑ぶりが激しくなっているそうですね。大井町線の溝の口延伸とか対策してるようですが、少しは緩和したんでしょうか。
お盆休みに群馬に行って利根川にある渡し船を見て来ました。
珍しいと思って友人に話すと、大阪には市内に8箇所も渡し船があると言っていました。もしかして東京にもまだ残ってるんでしょうか。調べて見たくなりました。
お盆休み
YOKO様 有意義な夏休みを過ごされてよかったですね。大山から一挙に群馬へと守備範囲が広いですね。利根川にはまだ渡し船があるのですね。風情が偲ばれます。でも泳いで利根川を渡ろうという計画はされませんように・・・。 私は特にお盆休みもなくテレビで渋滞のニュースを見るとビールが一段と美味しくなるという、代わり映えがしない平和な日々でした。
ビールが美味しい♪
青青さん、
わかります!
>テレビで渋滞のニュースを見るとビールが一段と美味しくなる
なにも、混んでると分かっているのに出かけなくても…なんて言いながら、何処にも出かけずに家でのんびりビールを飲む。ああ、美味しい。(でもちょっぴり出かけてる人たちがうらやましい)そんな気分ですね。
群馬県も電車で2時間もかけずに行ける距離ですが、泊りがけにすると旅行になりますね。秋になったら大山詣りを決行したいと思っています。
神奈川県ですが、泊まれば旅行になりますね。
大山詣で・プラタモリ
YOKOさま
ご無沙汰しておりましたが、お元気でしようか。
大山詣りは如何されましたでしょうか。ずーっと気になっておりましたがいつしか半年経ちました。
プラタモリ~田園調布。ご覧になったのですね、以前書きましたが私の修行地、青春時代の想い出がいっぱい詰まった街、しばらく行ってなかったのですが駅舎は昔と同じ形ですが電車が地下になり階段ができてましたねー「兵隊や」そば屋さん健在ですね
(この街の想い出を書き初めると夜中になりますので)失礼します。
青青さん
お久しぶりです!!!
大山には、未だ行ってないんですよ。
涼しくなったら…なんて言ってて、いつの間にか寒くなり。今度は温かくなったら・・なんて言い出しています。先日、NHKのあさイチと言う番組で、大山の特集をしていました。今年の宿題です。
とりあえず、三軒茶屋の「大山道」の道標を見に行きまして、神奈川歴史博物館に荏田宿に残っていた大山詣りの看板みたいなものは見に行きました。
田園調布のブラタモリ面白かったですね。
私今これを書き込んでいる場所は田園調布駅から徒歩10分ちょっとの場所ですよ。
「兵隊や」なんて、変わった名前だと思いましたがいわれがあったのですね。知ってるようで知らない町です。ぜひ、また昔のお話聞かせてください。
Unknown
YOKO様
早速ありがとうございました。プラタモの話に出た「田園コロシアム」での、テニス界貴公子加茂選手の試合の時は道路が高級車で埋め尽くされました。道路駐車OKの時代でした今では考えられないですね。
今居られる所は駅の東口でしょうか西口でしょうか、東口ですと当時は霧島昇さん、ディクミネさん、堺俊二さん、嵯峨美智子さん、西口ですと木暮実千代さん、暁テル子さん、石坂洋次郎さん、そして若かりし曽野綾子さんフオルクスワーゲン(カブトムシ)を乗り回しお綺麗でした。石坂浩二さんのお婆様にはよく「舟和の芋羊羹」ご馳走になりました。
今日はこの辺で・・・。
舟和の芋羊羹
青青さん。往年の田園調布!やはりすごい顔ぶれですね。いまも曽野綾子さんはお住まいだと思います。わたしは西口の方が近いです。銀杏並木を歩いて駅へ向かいます。
舟和の芋羊羹!私も大好きです。めったに食べられませんが。石坂浩二さんのお婆様も田園調布にいらっしゃったのですね。
青青さんが修行されたお店は今もあるのでしょうか?
Unknown
YOKO様
陽気がよくなったのでそろそろ大山探索は如何ですか。大山街道もその前は「矢倉沢往還」とも言われていたようです。江戸城を起点とした重要な街道だったのですね。戦国武将も往き来していたのでしょう。防人(さきもり)たちもこの道を通りはるか九州まで歩いて行ったのですね。鎌倉街道などにも通じ「いざ鎌倉」の一旦を担っていたのでしょう。 矢倉沢往還~大山街道~東京・沼津線~国道246号線。時代とともに道の名前も変るのですね。百年後は何と言う名前に?
私の修行したお店は東口5分ぐらい歩いたところです今はビルになってます。通称「六間(ろくけん)通り」その先の中原街道は「十二間(じゅうにけん)道路」などと呼んでいました。
これからの季節、田園調布は桜の木が多い所です。多摩川園方面線路沿い、特に「どりこの坂」周辺は桜のトンネルでした。今はどうでしょう。
青青さま
暖かくなってきましたね!
大山は今年の懸案事項です^^
きっとチャレンジします。
その時は、また記事にしますね。防人も歩いた道ですか!ロマンですねぇ~。
六間通り!わかります。
道幅から命名されたのですね。知りませんでした。
どりこの坂も知ってます。桜が咲いたら、散歩して写真撮ってきますね。今もきっと桜きれいだと思います。多摩川台公園の方がにぎわっていますけどね。
どりこの坂
YOKO様 ご無沙汰しているうちに「どりこの坂」の写真が投稿されておりました。懐かしい坂道です。坂の途中にベンツを止めていた Y様(当時は路上駐車が当たり前でした)雨上がりに桜の花のべっとりついたままの車で勤め先のヤナセまで行き称賛を浴びたと聞きます。また「どりこの」開発の先生のお宅で本物を飲ませて頂いたこともあります。「この坂の名前知っているか?」と先生に聞かれ「はい どりこの坂です」と答えると先生は「よし」と嬉しそうな顔をされてました。多摩川台公園はデートコースで独り者は歩けません。多摩川の花火見物には絶好のロケーションです。一緒に見に行ったあの娘どうしているのかな? 65年前の話です。昔話で失礼しました。青青
青青様
お久しぶりです!
コメントありがとうございます。嬉しいです。
「どりこの坂」の桜の写真、楽しんでいただけましたか?
「どりこの」開発者のお宅で本物を飲まれたとは!すごいことです。
多摩川台公園はデートのメッカだったのですね。今はそんなこともないようです。家族連れも多いです。
花火大会には甘酸っぱい思い出がおありなのですね。もっとお話しお聞きしたいです。
もし、よろしければ、いちどお目にかかって青葉台や田園調布の昔のことをお聞かせ頂くことは出来ませんか?
私の友人の中にも、興味を持っている人間がおりますし。お話聞きたいね、などと話していました。
OKでしたら、このブログの右側のメニューの一番上にある「メッセージを送る」というところから、メールアドレスなどの連絡先をお知らせいただけたら幸いです。どうぞ、ご検討ください。よろしくお願いします。
青青様
早速メッセージをいただきありがとうございました。いただいたメールアドレスにメールをお送りしましたので、お時間のある時にご確認くださいませ。
Unknown
YOKO様
受信トレイに未だ届いていません??
青青さま
えええまだ、メール届きませんか?
あら~失礼しました。もう一度送りますね。
内容は
「7月でしたら、1日、22日、29日(何れも日曜)あたりはお時間ありませんか?青葉台まで伺いますので、お茶でも飲みながらお話聞かせてください! 」
というものです。
ご検討くださいませ!!
青青様
もしかすると、私のメール、迷惑メールに分類されているかもしれません。
念のため、職場のメアドからも送ってみます。
泣いてたまるか
はじめまして 渥美清さんの泣いてたまるかのユーチューブを見てたら、トナミ運送/現トナミ運輸?のトラックに乗っかってる話(第40話らしい)も青葉区藤が丘のR246 のドライブイン藤が丘に わらじとんかつのお店と、これまた青葉区が出ていることもわかりました。青葉区市が尾、藤が丘、青葉台にあたる地形のR246の起伏のある道路や小高い丘とかのああいう地形も本物なのでしょうね。
こいち様
はじめまして、コメントありがとうございます。あのシリーズは青葉台の撮影が多かったのですね!あのへんの246の坂の多さは、もともとの地形でしょうね。いくらか削ったりならしたりもしたのでしょうけど。
「多摩丘陵」という起伏にとんだ土地なのですよね。昔の映画やドラマに映り込んだ、その当時の街並みや風俗には、話の筋よりももっともっと心ひかれちゃうときありますよね。