4月14日 午後9時26分熊本で震度7を記録する大きな地震がありました。
その夜、ここ東京の自宅で、録画したテレビ番組を見ていました。9時前に東京でちょっと強い揺れを感じ、地震速報やってるかな、とテレビに切り替えました。9時のニュースが始まり、地震のことも速報で出ましたが、東京震源の小さな地震だったので安心してそのままニュースを見ていました。
9時半近く、けたたましい音が鳴り、緊急地震速報が入りました。
熊本?!
心臓がドキドキしてきました。
画面が熊本からのものに切り替わり、熊本城を望むどこか高い位置に据え付けられたカメラの映像が映し出されました。縦横めちゃくちゃに揺れるカメラ。熊本城から水煙みたいなものが立ち上っている。
なんだこれは?
そのあと通町筋の交差点(熊本市の中心の繁華街)の俯瞰映像に変わりました。人々が慌てる様子もなく横断歩道を渡っていました。少しホッとしました。
熊本地方で震度7・・・!?
ほんとに?!
各地の震度がどんどん発表されていきます。間違いなく、熊本の実家のあたりが一番揺れているようです。
両親は?弟家族は?きっと、大丈夫だろうと思うものの、震度7なんて東日本大震災の時の宮城の一番揺れた地域の揺れ方です。熊本は一体どうなってるのだろう?実家は私が大人になってからの建物だから、家が倒壊することはないだろうとは思うけど、家具が倒れてきたり、たまたま外に居てそこへ何かが落ちてきたり、いろいろと考えられます。
電話は当然通じません。(ほんとは掛ける行為もいけないんですよね。反省)
落ち着こうとしても、おろおろするばかりの私に、夫が「メールして!」と言いました。
あ、そうだ、メール、メール。
スマホを取り出しメールしようとするのに、ツイッターとかフェイスブックとか違うアプリばかり立ち上げてしまって、なかなかメールできません。夫の方が先にメールを送り終えていました。
私も、なんとか、父のメアドにメール。
そして母の携帯にSMS。
母の携帯メールにもメール。
弟にはフェイスブックでメッセージを入れました。
見てくれるかな?
愛知に住む弟からも連絡があり、熊本と連絡取れないという話。
待つしかありません。
そうこうするうち、熊本の弟から、無事の知らせ。
ひとまず、ほっ。
フェイスブックを見ると、熊本の同級生たちがどんどん状況、安否を書き込んでいます。
大阪の夫の家族からも続々心配して連絡が入ります。
愛知の弟から「実家から無事の連絡あった!」の知らせ。
心底ホッとしました。
ほどなく、夫や私の方にもメールが入りました。
地震発生から、無事を確認するまで30分。
たったの30分ですが、これが長かった。
無事だったので、良かったのですが、待つというのはなかなかに大変なことだと思い知りました。そして自分が、いざという時、おろおろしてしまって、ぜんぜん役に立たないということもよくわかりました。まだ311の時の方がしっかりテキパキやってたと思います。訓練しなくては。
うちの実家から数キロ離れた益城町が一番被害が大きいようです。
そこには、今は海外に住む友人の実家があり、気になっていました。でも、無駄な問い合わせをしてもかえって負担をかけてしまうと思って、連絡しないでいたら、今朝友人から、家族は無事と知らせてきました。
良かった。避難所にはいるようですけど。余震もものすごい回数で続いているようですが、被害が広がらないことを祈ります。
速報時に見た熊本城の水煙のようなものは、石垣や屋根瓦が崩れたものだったのですね。熊本城に関しては、地震発生が昼間でなくてよかった。
この地図は、朝日新聞に載っていた4/14夜の地震発生10分後に計算された、推定全壊棟数分布図(防災科学技術研究所)です。青い星印は実家のあたりです。実際の被害状況とは異なるかもしれません。震源と被害の大きい場所とのずれがありますね。そしてやはり益城町に集中しています。この図で見ると熊本市東区の県道木山線から下江津湖にかけての地区(うちの実家の近く)もかなりの被害が出そうですが、実際はどうだったのでしょう?秋津、栄、広木、水源あたり??気になります。
4/16また大きな地震。
熊本の実家では最初の地震よりもっと大きく、気象庁でもこちらが本震だったといってますね。
実家でも被害が大きく、車で夜明かししたとのこと。弟家族も避難所に避難。停電してるようで、今後は連絡すら取れなくなるかもしれません。これ以上被害が大きくならないよう祈るばかりです。
4/16 午前1時25分の地震の推定全壊棟数分布図(防災科学技術研究所)です。赤の星は震源でしょうか?青い星は私の実家あたり。
実家近くの健軍商店街のスーパーが倒壊したという話を聞き、ツイッターで検索したら写真が投稿されてました。母が毎日買い物に行ってる商店街のアーケードに崩れ落ちています。
近所のパチンコ店もガラスが粉々になってるとか。
心配しすぎるといいことないと思って、それからテレビのニュース見るのをやめました。見たってできることないし。
16日(土)午後、電話で実家の両親と話しました。
思えば、木曜の夜に最初の地震が起きてから、初めての肉声。メールではやり取りしていたものの、やはり声を聞くと違いますね。詳しく状況も聞くことができました。電気、ガス、水道のライフラインが全滅しているとのことで、町内の人が避難所に行くよう呼びに来たそうです。行ってみたけど、食料も水もなく、人であふれていたので帰ってきたという話。自宅は家具が倒れて食器などがが散乱してはいるものの、壊れてはいないそう。車にガソリンもあり、シガーソケットで携帯に充電もできるとか。良かった。これで連絡取れなくなる心配がなくなりました。
大変な状況ではあるものの、声は落ち着いていて、片付けものなどもやっている様子。あれこれ言う私に、
「心配なのはわかるが、大丈夫だから心配するな」と、父。
その元気があるなら大丈夫ね。
幸い、水や食料の備蓄もあり、自宅でもなんとかなるようです。これ以上ひどい揺れが来なければ、ライフラインの復旧までしばらくかかってもそれほど心配しなくてもよさそうです。とりあえず、安心しました。
Unknown
ご無事そうで良かったです。大分でも大変なようですね。あの辺は阿蘇山くらいで地震は無いと思ってました。
aripさん
地震はないわけではないのですが、こんなに大きいのが直撃するとは思いませんでした。しかも震度7が前震って。まさかと思いました。きっとこのての地震は全国どこでも起こり得るんではないでしょうか。断層型って言ってましたものね。断層はそれこそ日本じゅうにありますもんね。
Unknown
ご家族がご無事なようで安心しました。
まだまだ強い地震が多いようで、YOKOさんも落ち着かないと思いますがお体をお大事に。少しでも早い沈静化をお祈りいたします。
せっちゃん
コメントありがとう。
今朝も実家と連絡取り、電気、水道も復旧したと言ってました。まだまだ揺れてるから安心はできないけど。連絡が取れるってありがたい。
Unknown
熊本地震から5年を過ぎました。まずもって犠牲者のご冥福をお祈りします。このブログを読んで当時の緊張感、臨場感?がひしひしと思いおこされます。YOKO様の筆力に脱皿です。企画部日誌のお宝は過去に眠っていますね。当分は発掘読に専念します。一人旅、ふるさと萌木、鳥の声。荒瀬ダム建設記念碑にて!
Unknown
ガラッパさま、
コメントありがとうございますこんな古い記事まで発掘してくださって。
当時のことを思い出しますオタオタして大したことができなかったことを。
地震の記憶も消えない間にまた次々と新しい災害が起きていますね。人間の力は無力ですよね。
長く続いているだけが取り柄のようなブログです。ガラッパさんに脱皿いただけるかわかりませんが、またのコメントおまちしています。