熊本入りして3日目です。
父が、「もう明日帰るのか…」と寂しそうです。
ごめんね。
母も今日は疲れがたまってきたと見えて「朝起きてすぐからからだがきつい」と言っています。
非常時は神経が高ぶり、いつもよりも元気が出たりするものですが、その疲れはどっと後から出てきます。地震発生から10日、両親の疲れももうギリギリのところでしょう。
ボランティアの依頼書がポストに入っていたようです。
家の片づけを私がやろうとすると、母が一緒に片づけをしようとするので、ちっとも母を休ませてやることにつながりません。自分のやりたいことが相手の役に立つはずというのも思い上がりですね。
仕方ないので、片付けはぼちぼちにして、買い物に行こうと誘ってみました。
父の車を私が運転し(2年ぶりくらいの運転!)周辺のスーパーなどを巡ります。ついでに周辺の様子も見て来ようと思います。久しぶりの運転で、アクセルとブレーキの位置も最初ちょっと混乱してましたが(大丈夫か…?!)すぐにカンが戻りました。
実家から2キロほどのスーパーが営業していました。
昨日載せた写真のように、最寄りのスーパーが倒壊しているので、これからはこういうところに買い物に来なくてはいけません。視察です。こんな非常時でも母の値段を見る目はいつも通りに厳しく、底値じゃないと買おうとしません。それでも合格点をもらえた、食パンやヨーグルト、牛乳、お米などを購入。
次に車を回して、別のイオン系スーパーへ。
ここは駐車場もいっぱいで、大人気です。
中に入って人気の理由がわかりました。お総菜を売ってます。車中泊の人たちもお総菜なら温かいものが食べられますね。お総菜コーナーが大人気でした。うちも焼き鳥など、少しお総菜を購入^^ちょっと生活に彩りを持たせたいと思って、お菓子やワインなんかも買いました。
買いたいものは大体そろったので、帰り道少し遠回りして、私の母校の小中学校の方まで車を走らせました。被害の濃淡があることがわかりました。
地盤なのか、町のできた年代なのか、桜木や東町ではそれほどの被害は感じなかったのが、錦ケ丘にくるとブルーシート(屋根が壊れた家)が多くなります。鉄筋コンクリートのビルもコンクリートが剥げ落ち、鉄筋がぐにゃりをむき出しになっていたり、マンションの壁が×印に亀裂が入りコンクリートが崩れ落ちていたり。錦ケ丘の自衛隊通りは店はほとんど開いていませんでした。ナフコ(私が子供の頃からやってるホームセンター)とか崩れていて被害大きそう。
熊本入りしてから3日、通りがかりに見えた学校の運動場には、例外なく車がたくさん停まっていました。避難してきている人たちの車です。実家の近所の子供も「夜は車に泊まってる」と言ってましたし、車中泊は相当数に上ると思われます。
錦ケ丘公園では、自衛隊の車が来ていて、人々が長い列を作っていました。
おそらく炊き出しだろうと思います。
中身はわかりませんでしたが。
買い出しを終えて帰宅したころ、市内に住む弟から自宅の水道が復旧したのでお風呂に入れるよと知らせてきました。弟のマンションはオール電化なので、ガスは関係ないらしい。
夕食前に母を連れて弟宅へお風呂をもらいに行きました。私は翌日帰るし、車を止めるところもないので、母だけおろして、近所を走ってみました。
東京にいる同級生たちの自宅もこの辺にあるし、心配しているので雰囲気を知らせたいと思ったからでした。
まず、私が10歳から暮らしたアパートのあった場所へ行ってみました。もう建物は建て替えられ、空き地だったところも住宅になり、様変わりしています。私のいたころからある家は軒並みブルーシートです。
おや、と意外に思ったのは、伝統的日本家屋の農家だった近所の同級生の家が、見た目上は何の被害もなさそうだったことです。子供の頃でも相当古いと感じた母屋も納屋も無事でした。被害のあるなしはどういう要素が関係するのでしょうね?
それから、小峯地区へ向かいました。小学生の頃、通っていたお習字の先生の家や同級生の家があるところです。ここも古い住宅地だし、益城町とも隣り合ってる地区で被害がかなり大きかったようです。それから月出を通って、県立大や日赤の方へ。長嶺の住宅地は小峯ほどひどくはありませんでした。それでも営業していないスーパーなどもあり、それなりのダメージあはあったようです。
お風呂上りの母を拾って、帰宅し夕食。
約1週間ぶりにお風呂に入った母はいくらか元気を取り戻したようです。
お総菜や電子レンジで温めたレトルト食品などを食卓に並べ、ワインも開けていつもの帰省時のような楽しい雰囲気で食事をしました。
気をつけて
現地からのレポート読ませて頂いております身内の方の被災 大変でしょうね
お気をつけて
Re:気をつけて
ありがとうございます。自分なりに感じたこと、体験したことを記録しておこうと思いました。来たるべき?首都直下地震に備えて。