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熊本地震 現地入り4/22


(写真は、被害の大きかった熊本県益城町辺りの倒壊した住宅です)

地震発生から一週間後、4/22金曜日に熊本の実家に帰りました。

仕事場も急な休みを快諾してくれました。熊本にいる弟や両親に必要なものを聞いて買い出しに行ったりAmazonで注文したり。いつも荷物の少ない私ですが、今回ばかりは大きなスーツケースで熊本入り。

空港は本震から4日たった火曜日に再開したところ。
再開初日に名古屋から熊本入りした弟は、ターミナルビルには入れず青空手荷物引き渡し所だったそうだが、金曜はターミナルビルも半分くらいは使えるようになっていた。


リムジンバスで実家ちかくの「東町中央」まで。
途中の道はガソリンスタンドに行列もなく渋滞もしていない。第2空港線の高速入り口「益城IC」は閉まっている。ランプの入り口に警官がたち、災害支援の車両のみ通しているようだ。


リムジンバスを降りたところ。
自衛隊駐屯地の前なので、「災害派遣」という印をつけた自衛隊の車がたくさん通る。


実家に戻り、両親の顔を見て、東京から運んだ「おみやげ」(食パン、牛乳、豆腐、納豆、ヨーグルト、お惣菜のレトルトなど)を渡したあと、近所の公民館に支援物資が届いているかもというので父と出かける。昨日はおにぎりが届いたらしいが数が少なく貰えなかったので、再チャレンジらしい。おにぎり食べたいなら東京から運んだのに。

行ってみると今日の分はまだ届かないとのことで空手で帰宅。暫くして町会長さんから、届きましたよと電話が入った。母と貰いに行く。菓子パンとおにぎりと災害用ビスケット。一人一個という割合でもらってきたのだが、賞味期限が迫っているので、届いた分量が捌けないらしい。二階で片付けものをしていたら、近所の人が、追加で更に持ってきてくれた様な声が聞こえた。
支援物資のお昼ごはんを頂いた。
ワタシまでもらった形で申し訳ない。

大阪のオニギリ、横浜市の災害ビスケット。遠くから支援物資が届いていることを実感する。

午後は、家の片付けをして過ごし、夕方、弟の家に頼まれた物資を届ける。
弟の家はマンションだが、貯水タンクが壊れてしまい、水道が使えない。そのため、バケツ、水のいらないシャンプー、体拭きシート、ウエットティッシュ、それに食べ盛りがいるのでご飯の友などを運んできた。

義妹は市内の中学校の教師。職場が避難所になっているので今夜は夜勤とか。阿蘇まで勤めに出ている弟はまだ帰宅しておらず、中学生と高校生の子どもたちだけで留守番していた。学校は5/8まで休校らしい。スポーツをやっている姪は、連休に予定されてた合宿が中止になったと残念そうだった。

実家の状況は、電気、水道は復旧しているが、ガスがまだ。
夕食は電子レンジでできるものや家庭菜園で取れたもの、「備蓄の鬼」である母の買い置きをいただきました。筍は地震発生後に知り合いの山まで行って掘ったらしい。たくましいなぁ。
父がビールを用意してくれたので飲んだら眠気がおそって、なんと9時就寝。

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