昭和30年くらいに建てられた、木造平屋建て。3Kの間取りでしたが、幼かったし、結構広く感じていました。庭も広かった。父の仕事関係の宿舎だったので、同じ間取りの家が10数軒並んでいました。外壁は黒い板でした。昭和だ。
細かなところまでは覚えていないのですが、お風呂は電熱線で沸かしていたけど、薪でわかせるようにもなっていたような気がします。トイレは3分割(大便器、小便器、手洗い)で汲み取りでした。3畳間は2方向に腰高の窓があって、夏にその窓を開け放って、さんの所に座って遊んだ記憶があります。まだアルミサッシではなくて、木製の窓を取りはずして洗ったりしたのかも。その時の記憶かな?
懐かしい!!
間取りなどよく憶えていますね。
あの当時日本家屋といえばどこも同じような間取りでした。住宅の具備すべき条件、即ち玄関、台所、トイレ、風呂、床の間、押入れ及び畳の間これだけを一定の面積にはめ込むとなれば、似たような造りになるのは当然と言えば当然。これが昭和といえばそのとおりですが、さらに言えば江戸時代の香りを遺す最後の形式とも言えますね。
懐かしい!!
間取りなどよく憶えていますね。
あの当時日本家屋といえばどこも同じような間取りでした。住宅の具備すべき条件、即ち玄関、台所、トイレ、風呂、床の間、押入れ及び畳の間これだけを一定の面積にはめ込むとなれば、似たような造りになるのは当然と言えば当然。これが昭和といえばそのとおりですが、さらに言えば江戸時代の香りを遺す最後の形式とも言えますね。
礁さん
この間取り図、なるべく凸凹のないようにやってみたのですが、実際に家の外観の写真を見たら、結構凸凹していました。
3畳の間の向き形は違いますね。
また、広縁は両間続きだったかも??
なにしろ10歳までの家ですから、細かなところがとても曖昧です。
外観の写真を見ると、礎石は丸いごろっとしたものですね。よく水平の家が建ったものです。江戸時代から続く大工さんの腕ですね。
礁さん
この間取り図、なるべく凸凹のないようにやってみたのですが、実際に家の外観の写真を見たら、結構凸凹していました。
3畳の間の向き形は違いますね。
また、広縁は両間続きだったかも??
なにしろ10歳までの家ですから、細かなところがとても曖昧です。
外観の写真を見ると、礎石は丸いごろっとしたものですね。よく水平の家が建ったものです。江戸時代から続く大工さんの腕ですね。