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私の文学論 1

子どもの頃から、本を読むのは好きだった。自分の知らないお話を読むのはワクワクした。漫画も大好きだった。知らないストーリーと読み進むのがとても楽しかった。推理小説も楽しんだ。これからどうなるのどうなるの?というのが楽しかった。

でも、大学生になって授業で「文学」というのがあって、良くなじめなかった。
文学ってなんだろう?
作家研究?
なぜ作家のことを研究するの?
それがいったい何の役に立つのだろう?

たとえば、「夏目漱石研究」というのがあったとして、もう死んでしまっている人のことを研究する意味ってなんなんだろう?ファンだから、その人のことを知りたい!っていう気持ちならわかる。それは、どっちかと言えば学問ではなくてマニア的趣味では?大学にたいそうに「文学部!」なんていう看板出せるような、そんな立派なものなのかな?

そんな、世の文学者たちを敵に回すような疑問を抱いたまま、年を重ねて行った。
後年文学者となった友人に、酒の席で「文学っていったい何の役にたつの?」なんて、質問を浴びせかけたりしたこともあった。今考えると、非常に浅はかで赤面ものだけど。

その長年の疑問が、そろそろ解けそうな気配を見せ始めた。

今頃かい!

という声が聞こえてきそうだけど・・・。

このところ、急に自分で創作をしたくなっている。少しやってみて、創作ってただお話を書くってことじゃないんだということに気がついてきた。(今更…)
人間のありようを表すことが主眼でまたそこに苦心するのだとわかりはじめた。

さらに、ベルばらの二次創作を読みあさるうちに、人によって各テーマが違うことも気がついた。同じキャラクタを使って物語も同じ下敷きで書いてるのに、テーマが違う。その奥にある作者が書きだしたいものが一人一人違うせいだと気がついた。

文学を研究するのは、作品の奥にある「人間」というものを知りたい!という原動力があるのだろう。
そして、がぜんそのことに興味が出始めた。

つづく。

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