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芝丸山古墳


ここのところブログの更新がペースダウンしていますが、寒い中会社の行きかえり、あるいは昼休みなどにイングレス活動やってます。休みの日には夫婦で「遠征」とか言って、日のあるうちはどこかでウロウロしています。

で、この休みに出かけたのは浜松町から新橋のあたり。
まず「増上寺」へ行きました。

長いこと東京に住んでいますが、実は初めて足を踏み入れました。
広いですね!
コンクリート建ての本堂などは、趣きがあるとは言えませんが、後ろに東京タワーを望む構図の良さから、本格的カメラを携えた観光客が大勢詰めかけていました。

そして芝丸山古墳。

芝公園をうろうろしているときに発見しました。

「古墳?!」

増上寺横の八幡神社の裏手が小高い丘になっていて、そこが古墳のようです。プリンス都ホテルの敷地とも隣接しているのですが、開発されずにぽつんと残っているのはやはり古墳だったからなのでしょうね。


この丘です。
前方後円墳らしいです。


こういう階段がついています。


上まで上ると「後円」の部分が広場になっています。


そして「伊能忠敬測地遺功表」という石碑が建っています。

これがたてられたいきさつは、東京都のホームページによると

「伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てました。明治22年に高さ8.58mの青銅製の角柱型のものが設置されましたが、戦災で失われたため、昭和40年に現在のものが再建されました。」

とのこと。
写真では判別がつくかわかりませんが、この石碑の日本地図、なかなか芸が細かいのです。伊能隊が実際に測量できなかった北海道の北海岸は点線になっているのです。でもほかの部分はすべて測ったんですよね。すごい。すごすぎる!伊能先生の第二の人生・・・。


上から下を見ると結構な高さです。
ちょっと写真ではわかりにくいかな?


芝丸山古墳。
かなり大規模な前方後円墳だったようですが、副葬品などはもう残っていなくて詳細はわからないらしいです。

とのホームページのによると・・

「前方後円墳で、東京都指定史跡です。全長110m、後円部径約64m、くびれ部分の幅22mという都内では最大級の規模。芝公園自体が標高16mの台地上にあり、古墳はさらに高く土が盛られているので、頂上からの眺望は一段と広くなっています。」

東京23区内の古墳といえば、私の住んでいる大田区の多摩川台公園に大きな前方後円墳があります。大田区の方は出土物もわりにきれいに残っていて、公園内に古墳資料館もあります。
よく散歩で歩いているので、親しみがあったのですが、芝にもあったのですね。知りませんでした。しかも、大田区のより規模が大きい!ヤラレタ!

芝丸山古墳の下の地層には貝塚もあるそうです。
うんと昔から人の住んでいた土地だったようです。

東京もまだまだ知らない土地がいっぱいあります。
イングレス始めたおかげで、こういう出会いもあり楽しいです。

そうそう、昨日は新橋に「塩竈神社」があるのも見つけました。
塩竈神社といえば宮城県ですが、なぜここに?
と思って調べると、この場所に江戸時代仙台藩の江戸屋敷があったことに関係があるようです。地元の神様を祭ったのですね。


歩いたルート
歩数は約15000歩でした。

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