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西南戦争と田原坂

地図で訪ねる歴史の舞台 日本
帝国書院編集部
帝国書院

こんな本をいただきまして、狂喜乱舞で読みふけっています。

九州のところは西南戦争の戦歴が地図上に記載されていて、地元民だったのに余り詳しくない西南戦争(西南の役って言う方が馴染み深いですが)についての知的好奇心を呼び覚まされます。

さて、西南戦争といえば「田原坂」ですね~といったら、夫が「田原坂」を歌い始めました

「めてにち~がたな~ゆんでにたづ~な~♪」

あれれ?
私の知ってる田原坂と、歌詞は同じようだけど、節回しがちょっと違う・・・
なんだ??

というわけで調べてみましたが、いまいちよく分かりません。
私の知っているのはどうやら「正調田原坂」と呼ばれるもののようです。
子供の頃から知ってる歌で学校でも習った気がします。

正調 田原坂

では、夫の歌ってたのは、何なのでしょうか?
youtubeで探してみると、おんなじメロディーで歌ってる動画がありました。
しかも、カッコイイ!

田原坂(落合均)

夫の話では、義父さんが歌ってたの聞いて覚えたそうですが、このバージョンは落合均さんのオリジナルなんでしょうか?

それから、田原坂の歌詞で
「あめはふ~るふる~じんばはぬれ~る~」
の「じんば」ってなんでしょうね?

私はずっと「陣羽織」のことだと思ってたのですけど。
「陣場」とか「人馬」とかいう説もあるようですね。

11 thoughts on “西南戦争と田原坂

  1. hh

    じんば「陣場」がただしい
    興味ある記事をありがとう!!
    正調として唄われているのが、一般に知られている田原坂とおもいます。
    「シャカホイシャカホイ」という囃しのあるのが昔からある節回しとおもいます。
    両方を聴いてみると、たしかに節回しにがちいがある。
    高音が伸びきらない昔の節回しの方に味わいがあるようにもおもいますが、聴く人の好みもあり、優劣はつけられない。
    さて、ジンバですが、これは戦いの場「陣場」
    が正しい。
    郷土史の先生の講演会でそのように聞きました。
    ところで、この唄でいまいち分からないのは、官・薩のどちらをうたっているのかということ。
    「雨はふるふる陣場は濡れる」このフレーズは薩軍に同情的、なぜなら、薩軍の銃は旧式のため雨が降ると火薬がしめって銃がつかえない。一方「越すに越されぬ・・」というフレーズは官軍に同情している。敵味方がはっきりしない唄です。
    戦時中の軍歌と比べてみれば、そのことが際立ちます。

    返信
  2. YOKO

    hhさん
    「陣場」が正解とは!
    歌ひとつとっても、いろいろな背景があって、興味は尽きませんね。
    郷土史の先生の講演会って、上記の勇先生のでしょうか?講演録があったので、読みましたら、ものすごく詳しかった!
    わたしとしては、この歌の出来上がり方をとても興味深く感じました。それほど、娯楽がなかった時代に、宴会のお座敷歌として、始めは替え歌のような感じから西南戦争を懐かしんで歌われた。
    それが、日露戦争の戦意高揚歌謡とあいまって、歌詞が変わり、メロディーが洗練され・・・その時々のニーズに合わせて今の形になってきた。
    おもしろい!

    返信
  3. YOKO

    生首
    そうそう、勇先生の講演にもあった「めてに血刀、ゆんでに生首」という歌詞で歌っている音源、Youtubeにありました。
    生首とは、なまなましいですね。
    田原坂(熊本 留吉)
    http://youtu.be/hU7xwOjXCuo

    返信
  4. YOKO

    勇知之氏
    西南戦争に詳しい郷土史家。
    高校の先輩ダ。
    あちらは16回、私は37回。
    21年の開きがありました

    返信
  5. hh

    勇先生ではありません
    わたしがその講演を聴いたのはずいぶん、いにしえのことで、そのときすでにそうとうの年輩の先生でしたから、勇先生ではありません。
    それにしても高校の先輩だったとは奇縁ですね。
    熊本は地元だけあって西南戦争を研究している史家は無数にいます。それは、後進の者が入り込む余地がないほどで、県立図書館には200点を超える研究書があります。
    とはいえ、薩軍敗走の跡が身近なところにごろごろ転がっているのを見せつけられると、やはり手を付けてみたくなるのも事実。深入りはしなくとも、ある程度のオリジナルは持っていたいと思いますが、動き出すのはまだまだ先になりそう。

    返信
  6. YOKO

    郷土史
    確かに熊本は西南戦争の戦場になったのに、ほとんど知識がないことに気がつきました。せっかくだからこれから少しづつ勉強しようと思います。

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  7. ゴジ・ダツジ

    格調高いコメント
    そうそうたる方々によるアカデミックなコメントの数々 その中に紛れ込まそうとする浅はかさ 私の生い立ちに正調らしきものは見当たりません それでも生きてこられました もし正調なるものを心得ていたらどうなっていたでしょう 来年区切りイブの69歳になります 実験的な一年として正調なるものの見聞きを心がけます

    返信
  8. YOKO

    ゴジさま
    こんにちは!
    来年は69歳になられるのですね。
    大先輩・・・。
    来年は実験的に正調の見聞ですか!ますます、ブログを拝見するのが楽しみです。
    どうぞ、よろしくお願いいたします!!!

    返信
  9. みんみん

    Unknown
    はじめまして。今さらのコメントですが…
    どちらの節も古くから唄われたようで、
    戦前に吹き込まれたレコードが数種類残ってます。
    YOKOさんがご存知の節が一般に「田原坂」とか
    「豪傑節」と呼ばれるものです。
    ご主人がご存知の節は「豪傑節」や「新豪傑節」と呼ぶことが多く、、
    流行唄としてかつては全国的に唄われたそうです。

    後者の「新豪傑節」の呼び方は、YOKOさんがご存知の「田原坂(豪傑節)」に対して
    より新しいという程度の意味でしょう。
    YOKOさんのご存知の「田原坂」に比べて、
    ご主人の唄われた「田原坂(新豪傑節)」は
    節が短調で、三味線の弾き方も端唄風なので
    芸者が宴席で唄うためにアレンジしたものと思います。

    返信
  10. YOKO

    みんみんさま
    コメントをどうもありがとうございます。
    この田原坂の話をいろいろ調べていくなかで、昔の歌はみなが口々に歌って形成されていったのだと思い至りました。
    いまのように作詞家作曲家がいて、レコード録音で「ハイこれが完成形!」ってぽんと誕生するのではないんですよね。
    全国にこういう歌がいっぱいあるような気がしますね。

    返信

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