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阿三の文章 その2

流行樂壇與音樂創作人的距離

  誰不在變?要是踏實認真面對生活,原地踏步並不可能。我們的城市運作已不再是網絡流行之前的單純,而我們的生活模式也翻天覆地轉變。不變的,會不會是歌迷本身?每次陳昇推出新專輯,無論是國語或新寶島台語歌,我都偶爾聽到曾經喜歡陳昇的朋友說「我不再聽陳昇了」,或曰「陳昇的歌曲已不動聽」。筆者作為陳昇的死忠(卻不是愚忠),碰到這樣的話就如自己的價值認同與判斷給否定了。我欣賞的東西為何被人認為是不值一聽的爛貨?陳昇繼續努力(艱難)地籌辦一年一度的跨年演唱會,卻老是面對歌迷逐漸流失的事實。說實的,我在演唱場地裏,感到陳昇跟我一樣有難過與氣餒的時刻。

踏實:切實認真
原地踏步:比喻沒有任何進步或改變
運作: 推展、進行
翻天覆地: 比喻巨大的變化
動聽: 聽起來能使人感動﹑喜愛,而覺得有興趣
籌辦: chou2ban4 預先計劃辦理
逐漸: zhu2jian4 隨時間遷移而漸進變化
氣餒: qi4nei3 喪失鬥志,失去勇氣和信心

音楽業界とクリエータとの距離

誰が変わらずにいられようか?真剣に生きているものなら、同じ場所で足踏みなどしていられない。
我々の生活するこの絶え間なく発展する都市生活は、もはやインターネットが流行する以前のように単純ではなく、生活スタイルも日々驚くほどの変化を遂げている。
変わらないのはファンの方ではないのか?
毎回陳昇がアルバムを出すたび、それが北京語アルバムであれ新寶島の台湾語のアルバムであれ、かつて陳昇のファンだった友人から「もう陳昇は聴かない」とか「陳昇の音楽は感動がなくなった」という言葉を、毎回聴くようになった。
筆者は陳昇の大ファン(盲目的なファンではないが)なので、こういった話をきくとまるで自分自身が否定されたように感じてしまう。
自分の好きなものを、なぜ他人から聴くに値しないガラクタだと言われなければいけないのか?
陳昇は大変な苦労をして年に1度のカウントダウンコンサートを開催し続けているが、実際にファンがだんだんといなくなっている事実に対面している。事実、私もコンサート会場で陳昇と一緒に辛く落ち込むような時間を味わっている。

なんだか、悲しい話だ。
でもまだ続きますので。

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