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阿三の文章 その4

1990年賣得很差的《貪婪之歌》專輯已有這種無奈,到1996年《恨情歌》或1999年《一個人去旅行》都不斷討論這種矛盾。歌迷老是嚷著要聽這個那個階段的陳昇,要像《不再讓你孤單》、《子夜二時,你做甚麼?》,或《關於男人》、《北京一夜》一類的歌曲。陳昇卻早已離開了原來的地方,不再回頭。「昇式情歌」變成吟唱式喃喃自語或聽似無節奏豪放式叫喊。陳昇走遠了,部分歌迷卻不肯放開某個年代的他(或歌迷自己),那是否意味著陳昇的歌曲還沒到達能帶領樂迷進步或繼續消費的水平?筆者在思考這個問題時,就收到去年主動聯絡我想去聽跨年演唱會的朋友傳來一封電郵。流轉,其實也是流行文化的另一個特徵。文化產品周而復始生力軍源源不絕,享用的人也貨如輪轉。(註一)

嚷 rang3 喊叫
放開 鬆開
吟唱 吟詠歌唱
喃喃自語 自己不斷的輕聲說話
主動 ⇔ 被動
流轉 傳布 流動轉移
周而復始 循環不斷
生力軍 比喻中途加入的新力量
源源不絕 形容連續不斷
輪轉 旋轉

1990年の売り上げの良くなかったアルバム「貪婪之歌」にはすでにこの種のは「どうしようもなさ」をはらんでおり、1996年の「恨情歌」あるいは1999年の「一個人去旅行」まで、ずっとこの種の矛盾は討論されてきた。ファンはいつも叫びつつその段階の陳昇を聴こうとし、たとえば「不再讓你孤單」「子夜二時,你做甚麼?」あるいは「關於男人」「北京一夜」などの曲だ。
陳昇はとうの昔に元いた場所からは立ち去っており、戻ることはない。
「陳昇スタイルのラブソング」は、独り言をぶつぶつ言うような歌い方、または節を無視した自由奔放にわめくような歌い方に変わってきている。
陳昇は遠くへ行ってしまい、ファンの中にはある時代の彼(あるいはファン自身)を手放すことができすにいる。それは陳昇の曲がまだファンを進歩させたり彼の歌を聴き続けるようにさせる領域に達していないということを意味してはいないか?
筆者がこの点を考えていたとき、ちょうど去年自ら陳昇のカウントダウンコンサートに行きたいと連絡してきた友人からメールをもらった。
移り変わり~実際これも流行文化のもう一つの特徴である。文化産品は絶えず循環し、新しいファンが絶え間なく生まれてくるものである。享受する人もまた回転していくのだ。

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