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10か月ぶりの帰省

昨年の5月に帰省して以来、10か月ぶりに熊本に帰りました。
阿蘇くまもと空港に父に迎えに来てもらい、健軍の実家にもどるのに、津森経由にしました。
津森は父が子供の頃に住んでいた土地で、なつかしいというのもあり、また、ここから帰ると木山を通ることになるので、地震後の益城町の様子も見られるということでこういうルートになったのでしょう。

父の子供時代の思い出話などをききつつ津森を通り、木山、安永、馬水、惣領、沼山津と地震の被害の大きかったところを通りました。


飛行機の窓からも確認できていたのですが、屋根の修繕が終わらず、ブルーシートを貼ったままになっている家屋が予想以上に多い。
県道の両脇、地震直後は崩れた家が立ち並んでいたところはかなりの割合で更地になっていた。

家の近所まできても状況はあまりかわらず。
壁が崩れた家が「危険」の張り紙もそのままにされていたり、隣の家も屋根にブルーシートをはったままだったし、更地もちらほら増え、取り壊しの工事をしている家もあったりと、地震後の復旧作業がゆっくりゆっくり進んでいるという状況だった。

業者さんの数が足りず、地震の直後から頼んでいてもなかなか順番が来ない。ということもあり、またもともと年寄りが多いので、家を空けて施設に入っていたりで家を手直しする人がいないということも多いようだ。

健軍商店街のアーケードも見に行った。
鉄筋コンクリート3階建てのスーパーが倒壊していた現場は、建て替えの工事に取り掛かっているようだった。アーケードは修復が終わり、きれいに塗装されていた。それでも更地もあり、廃業した店もあり。もともとシャッター商店街の様相だったので、復活は遠い道のりのように思える。


(地震直後の様子)

熊本を離れていると、こういう生の情報にはなかなか触れることがなく、ブルーシートなどはかなり減っているものと思い込んでいた。
反省。

同級生の家もちょうど解体が始まったと言っていた。
地震直後には被害が少なくて一部損壊程度だった友人の実家も、その後の余震で被害が大きくなり、再検査したら大規模半壊となったとか。まだ修理ができないので不安の中暮らしてるそうだ。

改めて天災の恐ろしさを感じた。

<<追記>>
津森を通りながら、父が話してたことのメモ。
祖父は「駐在さん」だったので、父たち家族は駐在所に住んでいて、それは津森小学校の近くにあった。今はもう建物もなく、【がけ崩れ危険地区】という看板が立っていた。去年の地震とは関係がなく、昭和54年と書かれていた。その駐在所から、学校まで竹馬に乗って行ったことがあったとか。家の縁側から竹馬に乗り、はだしのままで行ったとか。

途中、道が木山川に沿っていた。
津森神宮などもあるところ。
「木山の初市には、この道を木山まで歩いていったなぁ」とか。地図で見るとちょうど4キロの道のり。小学校低学年時代の思い出らしいので、結構遠かったですね。
木山の初市ってなんだろうと思ったら、今でもやってるそうですね。毎年3月に開催しているらしいです。

0 thoughts on “10か月ぶりの帰省

  1. おれんぢぺこ

    こんばんは
    YOKO様 お久し振りです。
    久々の帰省、お疲れさまでした。。。

    奇しくも、昨日は西方沖地震から10年の節目の年でした。

    年が明けて、阪神大震災の1月17日、東日本大震災の3月11日が過ぎ、もうすぐ熊本も1年を迎えると思っていたこの時期の記事アップに感謝です。
    表現が断定的で甚だ失礼かもしれませんが、既に『熊本地震? そんなのもあったなぁ』くらいの感覚の方も多いかと思います。
    私も、勿論忘れる事はないのですが、今回YOKO様の記事で、未だ復興とは程遠い状況だったのかと、真実を知り、愕然としている次第です。

    何ができるのだろう?
    何をしなければならないのだろう?

    現実としては日々の出来事に忙殺されています。
    だから。取りあえず、私はまた“書き”ます。
    それが何の役にも立たないと分かってはいますが、せめて忘れてはいないと、発信します。
    思い立ったのも、何かのご縁と信じ・・・。

    全くの余談ですが、津森って田楽と高菜ご飯の美味しい所、という私の記憶は正しいでしょうか?

    返信
  2. FUSA

    津森ルート
    地震後、このルートはまだ一度も通っていません。友人の家もあるのですが、見るのが恐いというか。
    一時的に仮設住宅に入居しても、その先の見通しが立たず、結局、危険だったり、住みにくくなった家に戻るしかないという方も多いと聞きます。
    自然災害の怖さを実感します。

    返信
  3. YOKO

    おれんぢぺこさん
    お久しぶりです。
    コメントありがとうございます。
    ほんとに、そうですね。
    私自身もあの地震の直後を見ているにもかかわらず、やはり東京で生活していると、だんだんと遠いものに感じられ、今回の帰省でまた認識を新たにしました。
    東北も福島もまだ「ただなか」にあるという感じだと思いますし、熊本もそうですね。玄海島の皆さんはどうされているのでしょうね。
    反応して下さって嬉しかったです。もちろん、復興が進んでいる面もあるし、観光客にもどんどん来てほしいところですから、あまり負の面ばかりを強調するのもどうかというところがあるのだと思います。ぜひ、いちど熊本に遊びにいらしてください^^

    津森は益城町に属します。熊本空港のすぐ南側です。田楽の美味しいところは「高森」だと思います。高森は南阿蘇谷の奥の方ですね。

    返信
  4. YOKO

    FUSAさん
    コメントありがとうございます。
    いつもなら第二空港線で自衛隊の方へ抜けるコースですが、今回は津森を経由したので益城町の様子を見ることができました。道路の工事やがけ崩れの手当てももまだやっていました。県道から見える範囲は更地になってるところが目立ちましたが、奥の方はまだこれからというところも多いのではないかと思いました。

    熊本市内もそうですが、家の損傷も個別のケースで違うでしょうし、お金が満額出るわけでもないので、結局そのまま、という家も多いでしょうね。特にお年寄だけのお住まいだとなおのことですよね。
    二の丸公園の土産物やトイレだった建物も屋根瓦がそのまま崩れっぱなしなのに驚きました。もう壊すつもりなのかもしれないですが、まだまだ落ち着いてもいないのだなぁと思いました。

    そんななかでも先日、母が友人たちと益城の料理屋さんで食事会をしてきたと言ってました。被害の大きなところにこそ出かけていく方がいいのかもしれないですね。
    当分は復興が進んだところと進まないところのアンバランスな状態が続くのだと思いますが、その網からこぼれる人たちをきめ細かくサポートすることが課題なのでしょうね。

    返信

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