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今回で19年目の陳昇跨年(年越し)コンサートです。
今年のテーマは「20歳の練習曲」ん?どういう意味かな?

私も連続16年目となり、回りの台湾人からもかなり驚かれてしまいました。
家族の理解や、環境、運(?)にも感謝です。
家族が病気になったり、あるいは婚家が正月は全員集合!的な家風だったりすれば、毎年台湾で年越しなんて勝手なことできなかったでしょうから。毎年「今年で最後かな?」と思いながらも参加できることに感謝しています。正月一人日本に残り仕事している夫にも感謝です。

さて、今回は日本から見に行ったのは私も入れて4人。
最近の不動のメンバーになっています。(べんちゃん、COMOさん、Mayさん、私。なんとMayさんは1泊2日の強行軍)
今回のチケットは30日のぶんはベンちゃんにネットで買ってもらい、31日の分は台湾のファンの一人ががまとめて買うというので、便乗させてもらいました。

30日は11列目中央。31日は4列目中央でした。
チケット代はいずれも2800NT。

あとは、思いつくまま雑感を。

・全体的におしゃべりが少なく、どんどん畳み掛けるように歌い続けていくタイプのコンサートで、非常に満足感が高かった。

・1日目は少々、バンドとの不調和も見られたが、2日目はその点も解消していた。

・バックバンドは最近のパターンで2チーム。ギター2人、ベース2人、ドラム2人、キーボード1人。そこにゲストでストリングスとピアノが加わってた。バンドメンバーはかなり入れ代わりがあり、特にギターが全部変わっているのが、「変わった感」が強かった。
リードギターがこなれてない感じで、この点は友人とも皆一致した意見だったけど、とにかくギターが浮いていた・・・。残念。今後に期待。

・曲のアレンジがかなり変わっていて、これはどれもこれもよかった。
特にストリングスパートはよかった。よく眠れた(こら!)

・なにしろ5~6時間続くコンサートなので(しかもそれを2日連続で見るので)観客にも体力が必要です。歌ってる人たちはもっと大変だとは思うけど・・・。去年かなり後ろの席に座ったら、寝放題で、コンサート終了時も爽快だったので、今年もそれに倣い、何も全曲一生懸命手拍子したり乗ったりする必要はないのだー!と言う気構えで見ましたら、1日目は全然疲れませんでした。2日目は4列目ど真ん中と言うこともあり、やはそこで寝てるのも気が引けるので(もちろんほんとに眠るわけじゃないですけど)終わったときはかなり肩がパンパンになってました。手拍子のしすぎか・・

・ボビーは2日間とも終始ご機嫌で、怖い感じが全然なくなってた。
でも客席から来た花束は受け取ってあげたらいいのに・・・。

・阿VON、造形がよかった。かっこよかった!アーロンクオック(郭富城)みたいだった!今回は阿VONとボビーのハーモニーは美しかった。

・黄さん、黄さんの登場時客席が以前ほど沸かないのがちょっとさびしい。お客さんの層が変化してるから仕方がない。黄さんが新寶島康樂隊をながく離れていたので、新しいファンには印象がないのだろうと思う。

・ゲストは1日目は林凡。名前は知っていたが見るのは初めて。

・2日とも登場のゲスト「北京さん」こと「左小咀咒」。もうこれで4年連続登場。これはかつての劉若英の立ち位置では?半メンバー化。
北京さんは「ナイヤルワ~ン」の歌にも参加し、北京語で「本來就是一家人」と歌ってました。そうか、そうか、ここ北京語パートなかったら、ボビー=台湾語、黄さん=客家語、阿VON=パイ湾語、北京さん=北京語でバランスもいい。

・北京さんはすっかり台湾に慣れ、台湾の観衆も北京さんに慣れた様子。北京さんの歌は歌詞がスクリーンに出るので、「平安大道」などは私もカラオケよろしく歌ってしまいましたよ。

・北京さんは新譜が出たばかりらしく、なんとロビーで手売りしてました。そして全部にサインを入れてました。もしかして見掛けに似合わずいい人なんじゃ・・・?台湾価格は大陸価格の三分の一らしい。買いませんでしたが・・・ごめんなさい。

・二日目は、董事長樂團と文夏先生もゲストで登場。
お酒の早飲み競争などが開催されて、この辺の雰囲気は、いつもの跨年コンサート。董事長樂團はじめてみました。
文夏先生は普段着でかわいいセーターと帽子でした。

・台湾でも反原発のムーブメントが盛り上がっているらしく(台湾には原発が二箇所あります。台北に近い北海岸と南端の墾丁)ボビーも反原発の歌を今回の新譜で歌ってるようでした。
コンサートでもその歌をやりましたが「(核廃棄物を)総統府に捨てろ!」と言う歌詞があるのか、スクリーンにその字幕が出たら会場が大盛り上がりでした。またロビーでも反原発のステッカーを配ってたり、たぶんそういう団体が参加してたんだと思います。手づくりっぽい横断幕があり「福島を台湾で再現させるな」とありました。ボビーだけでなく、ほかのアーチストも年越しイベントで反原発発言(アジ?)をしてたニュースも見ました。
私自身は反原発の立場ではないので、ちょっと微妙な気分でした。好きなアーチストだからと言って、何から何まで同意できるわけはないのです。

・ピアノで登場した人は、20年間ボビーの曲を編曲してくれている人だと紹介されていましたが、初めて見る人でした。後でわかりましたが、王繼康さんでした。ピアニストには見えない雰囲気の人でした、武術家かお坊さんに見えました。

・1日目は11列目の10番という通路側の席で、横を歌手の皆さんが何度も通りましたが、ボビーには握手を求める勇気がありませんでした。黄さんが通ったときは握手してもらった。2日目は通路から3番目の奥まった席ではあったのですが、勇気を出して握手してもらいました。(こういうことにいまだに勇気がいるって辺りが・・・ボビーが昔かなり気分やだったのが関係してます。無視されるかもしれないと思うと怖いんですよね。)2日目はアンコールの「台北付近」で私たちの前に来て、「キスキス!」と催促されました。きゃーー!
今回は終始ご機嫌だったようでした。

・コンサート終了後、ロビーで知らない人に声をかけられ「YOKO!さっきのキスの写真撮ったから送るね!」と言われましたが、果たして誰だったのか???どうやって送ってくれるのか?謎です。友達の友達?

・コンサート会場では1年に1回コンサート会場だけで会う昔なじみの友人にたくさん会いました。これまた楽しからずや。

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メモ

2日目 12/31 (benちゃんと同行)
9時起床。ホテルの朝ごはんの時間に滑り込む(10時まで)

迪化街で乾物類の買い物。
途中の駅で蛋蛋と合流。さらに途中phooと電話で話したら干し椎茸を頼まれる。

からすみ、椎茸、干し蝦、話梅、干しライチなどなど購入。


迪化街で見かけた大判焼きの屋台。
日本でもよくある小豆餡やカスタードクリームのほかに、
大根の細切りのおかずみたいな餡のものもあって買いたかったけど、すごく並んでたので断念。

双連駅近くでお餅やさんに入り、焼きもちと白きくらげのお汁粉食べる。満足!このお店日本人客多かった。きっとガイドブックに載ってるんでしょうね。

タクシーで蛋蛋の家にお邪魔する。

客間には大家さんのものという神棚がでででーんと!
おうち見学してちょっとお喋りしてまたホテルへ。

3時半phooと合流。歩いておしゃれカフェへ。
今回のおしゃれカフェは、最近台北ではやっているらしいブランチの店。「楽子」。3人でお茶。ジンジャーティーを飲んだ。

5時過ぎ、夕食を予約している信義路の「吉品海鮮」へ。高級店。
日本人4人、台湾人4人+赤ちゃんで夕食。

またまたコンサートへ。

コンサートは8時35分から翌2時20分まで。延々6時間続きました。
途中トイレにたったときに、ちょうどカウントダウンで台北101の花火が窓越しに見えました。(初めて生で見た)
コンサート終了が遅かったので、タクシーも簡単につまかる感じであったものの歩いてホテルへ。コンサートの興奮もあり寝たのは朝の4時でした。

3日目 1/1
10時起床。
11時チェックアウト
タクシーで移動。まず大安駅前の次のホテルに荷物を置きにいき、そのあと中山の三越へ。COMOさんのお誕生日ケーキを購入。

12時昼食の約束の「天厨菜館」へ。ここは毎年COMOさん主催の元旦北京ダック昼食会を開いているところ。今回の参加者は日本人4人。
いつものおばさん店員さんの華麗な北京ダック包み技を堪能しつつ、持込のケーキで誕生祝もできてよかった。

おなかいっぱい。
3時エステへ。その前にツイッターでボビーのコンサート打ち上げパーティーに誘われる。夕食は台湾の友人と会うことにしていたので、その人と一緒に打ち上げに参加することに予定変更。これはまた楽しくなりそう。
エステ後、いったんホテルへ戻ってから、打ち上げ会場へ。
6時半、おしゃれカフェに中華のケータリングをした打ち上げが始まった。
懐かしい顔もあり、新しい顔もあり。23時ごろお暇するまで中国語の勉強になった。

4日目 1/2
6時起床。
荷造りして、部屋で果物(phooにもらった)とコーヒーの朝食をとり、8時半にはタクシーで空港へ。
9:45発の飛行機で帰国。

個別の内容については、また書くことにします。


30日の朝7:20発の飛行機で台湾へきました。

1日目ダイジェスト。
空港→ホテル
お昼ごはんは 科技大学付近の大連風味館で中国東北地方料理。

ホテルでスマホの研究&昼寝

夕食は明月湯包で。

夜8:30台北国際会議中心で陳昇コンサート翌1:20まで。

コンサートはよかったー。
しゃべりががほとんどなくてどんどん歌ってました。
ボビーははじめから顔真っ赤で、ご機嫌でした。
体調悪いんじゃないかと心配しましたが、最後まで衰えず歌い倒してました。
バンドも新編成で若返ってました。