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2018.8.18追記
検索からここへたどり着く方へ。
この絵日記は昭和40年代のものです。
参考になりますかしら???

実家から久しぶりの電話。
要件がすんで母が「話は変わるんだけど・・」と話し出したのが、夏休みの絵日記の話。
母が自宅で探し物をしていたら、私の小学2年生の頃の夏休みの絵日記帳が出てきたのだそう。
まさに「発掘」!

子どもの書くことだから、けっこうディテール細かく書いてることもあり、とても懐かしく面白かったのだとか。
電話口であらかた読み上げてくれた。
そんなことあった!
覚えてる!
というのもあれば、出てくる人名にも全く記憶の無いものもあったり。

私も興味をひかれたので、スキャンして送ってもらうことにしました。
一部をここに公開しま~~す!

(※個人が特定されないように、地名や人名には仮称を用いておりますw)

写生は楽しいのだけど、見たものを描きたいとおりになかなかかけなくて、ちょっとイライラすることが多い。
思えば子供の頃もそうだった。
そういう意味では、あまり進歩がない。

今までで一番絵を描いたのは、やはり小学生の頃。
小学4~5年の頃、通ってた小学校に図画の専門の先生が赴任してきた。そこで先生が「図画クラブ」というのを立ち上げて絵を描くのが好きな子供たちを指導してくれた。
私も絵を描くのが好きだったんだろう、そのクラブに入った。土曜の放課後に写生をしたり、休みの日にスケッチ旅行に行ったりする楽しいクラブだった。図工の時間に描いたのも入れるとかなりの絵を描いたのじゃないかな?
題材は花など多かった。
スケッチ旅行では風景画もあった。
画材には、コンテが多く使われた。
それに、割り箸と墨汁。
サインペン。
そして水彩。

コンテはそのあとも大学くらいまでよく使ってた。
でも手が汚れるのが閉口だった。
あのコンテ今もどこかにしまってあるかも。

中学に入ると途端にあまり絵を描かなくなった。
運動部に入って、毎日ばたんキューの生活。
高校生では芸術科目が美術と音楽と書道からの選択制で、私は「美術」を選択した。
「自分で選んだ」という気分は、積極性をもたせる。
中学の頃よりは描いてたかな。
美術の時間は割と自由に校内をうろついてをスケッチしたり、友達と人物画の描きあいっこしたり、休みの日に家で写生したり、熊本城にスケッチブック持って行って描いたこともあったっけ。
自由にさせてくれる先生だったのですね。

その次に絵をよく描いたのが、大学生の頃。
絵を描くサークルに入ってた。
指導者がいるわけでもなく、ただ好きなものを好きなように描けばいいサークルだった。
週に1回モデルさんが部室に来てくれて、みんなでぐるりと取りかこんで人物画を描いた。
芸術学部の人も多いサークルの中で私はかなり素人の部類、そのサークルで油絵の描き方を教わった。どんな道具がいるかとか先輩や仲間が教えてくれた。
油絵は2枚描いたきりだった。お金かかるし、時間かかるし、部屋汚れるし(笑)

サークルにはそんなに真面目にいかなかったけど、年に2度の合宿には参加して(基本的にそういうのが好き)そうすると毎日風景をスケッチ、夜は絵の発表とクロッキー大会。で毎日何枚も絵を描いた。すごく楽しかったな~。

そして、今人生3度目のお絵かきブームが訪れている。
今度はのんびり、好きなようにストレス解消と自己表現欲を叶えるために描いてる感じ。

消失点のあるような構図が好き。
でも、全然うまくかけなくて、描いてる途中でつじつまが合わなくなっていらっとする。


彩色も好き。
水彩のいろんなテクニックを勉強したら、もっと表現できることが増えて楽しくなるのかもなぁ。

ネコ2題。
休みにイングレス活動をするぞ!とイングレスのポータルが集中している池上本門寺へ行きました。スケッチブックも持っていったので、どこかで絵を描こうと思いましたが、意外とお寺の中腰かけてスケッチできるようなところがない。そして、荘厳な寺社建築は見るからに描くのが大変そう(^^;)

てなわけで、境内にいた猫2匹を描いてみました。
この猫どちらも泰然自若。
人が寄って行っても全く逃げる気配なし。
ただ、ポーズは一定ではないので、ちょっと苦労しました。
色鉛筆の習作です。

帰宅して歩数計を見たら15000歩歩いていました。
イングレスって健康に良いですね。

こないだ伊東屋で買ってきたサインペンの書き味を試したくて、いたずらがき。モデルなし、想像の絵。髪の毛のふわふわした感じを漫画チックにかいたら色塗ってみたくなりました。

「そうだ、色鉛筆買ってたんだっけ。」

と、思い出して、夫が買った色鉛筆を借りて彩色。先日参加した「オオタノカケラ」で使ったのと同じ色鉛筆。重ねて塗ると色にニュアンスが出てステキ・・・かも?色鉛筆も使い方で色々な表情を出せるんだなぁ。

そういえば、私も20数年前に誕生日プレゼントで36色の色鉛筆セットをもらったんだった。またまた押入れごそごそ。

これです。

トンボ鉛筆 色鉛筆 色辞典 第一集 CI-RTA 30色
トンボ

トンボの色鉛筆「Irojiten」
あ、36色じゃなくて30色でしたのね。
20数年前は定価2400円でしたが、いまは定価3000円だそうです。
(アマゾンさんだともっと安いけど)値段にも時代の変化を感じますが、でもこの商品がまだ売っていたことに感激しました。

20年位全然使ってなかったけど、これからまた使おうっと。


ここ5週間の私の歩数計です(1週間単位)

10/12~の1週間 21243歩
10/19~の1週間 33745歩
10/26~の1週間 62838歩
11/2~の1週間 72534歩
11/9~の1週間 69353歩

10月2週目にイングレスをインストールし、ゲーム開始したわけですが、本格的に始めたのは10/25ごろのイングレス2周年キャンペーンのころから。歩数計とも見事に相関が出ていて、それまでの2~3倍の歩数を歩いていますね。
もともと内勤だし一日平均4000~5000歩くらいしか歩いてなかったのです。自転車の場合は歩数は適当になってしまうようですが(だいたい6キロ自転車に乗ると2300歩くらいと換算されてます)、しっかり歩く日も増えてきたので、この結果に。

※この歩数計は、携帯電話についているもので、携帯を持って歩く必要があります。なので、会社にいるとき、家にいるときの歩数は全くカウントされていません。また携帯を忘れてきた日などもカウントされてません。

11/15でキャンペーンも終了してしまい、私も当初の目標だったレベル8になれたので、あとはのんびり時間のある時にやろうと思ってます。でもやり始めると結構歩くのでよい運動にはなりますよ~。

イングレスの私なりの遊び方。
■会社からの帰り道、自転車で30分の道のりをあっちに寄りこっちに寄りしながら3時間くらいかけて帰宅する。
■昼休み1時間かけて、会社の近辺(お寺があるのでポータル27個くらい)を散歩。アイテム補給に絶好。
■バスに乗ってのんびり周辺のポータルハック(等々力駅~東京駅)
■雨の日に外歩けないので、電車に乗って各駅停車で一駅ずつ降車してホームでイングレス。(全部で18駅)濡れなかったけど寒かった。

年末年始は台湾にいって、ユニークポータルハック数を稼ぐつもり。
バンコクにも行くので、その時も行けるかな。
今後の目標は以下の通り。
あと400か所新しいポータルをハックする
あと100か所新しいポータルをキャプチャする
あと600個のリンクをはる。

来年1月にレベル9になるのを目指します。

先日の休みに、等々力から東京駅までのバス路線に乗りました。目黒通りをずっと通る、割と長い路線です。

バスに乗ってるだけで移動できたらイングレスの点数を楽して稼げるんでは?という横着な考えでしたが、途中から夫が車酔いしてしまい、二人分のゲームを一人でやるはめに。(相変わらずゲームやってない方にはわからない話でゴメンナサイ)

私は酔いどめのお陰でなんとか終点まで頑張れました。

東京駅についたあとは、車酔いを覚ますためにKITTEの屋上に上がりました。昔の東京中央郵便局があった場所にできた新しいショッピングビル。

屋上は庭園になってて東京駅の駅舎が一望できます。そこでスケッチしました。

KITTE屋上で一休みした後は、またイングレスで遊びながら丸の内~有楽町~を経由して銀座の伊東屋へ。画材売り場で楽しくお買いもの。夫は油性の色鉛筆とサインペン。私は水彩用の絵筆とサインペンを買いました。家で写真を見て下絵からかきなおして彩色してみました。買ってきた細い筆が使いやすくてうれしいです。

昔の絵葉書の箱を引っ張り出して眺めてみた。自分の好みが反映されてておもしろい。

絵葉書を買っていたのは中学生から大学生の頃。その頃の自分に戻るような時間旅行感覚。絵葉書は何枚か買ってたはずなのだけど、誰かに送ったりも頻繁にしていたので手元にはもうわずかしか残って無い場合もあり。


サンパウロ美術館展。
ゴッホとターナー。
ゴッホは好きだという自覚が今でもあるけど、ターナーを買っていたのが意外。


シカゴ美術館印象派展。
セザンヌ、クールベ、モネ。
当時クールベの石の絵が好きでした。

そしてこの絵葉書もありました。

青木繁の海の幸。
久留米の石橋美術館で購入。
多分小学生だったはず。前書いた記事では中高校生の頃じゃないかと書いてるけど。

青木繁は、没後100年記念の展覧会を東京ブリジストン美術館で見てきました。その時の感想

ネット上で「デュフィ展」の話題があり、そういえば私もこの画家の展覧会に行ったことあったな~なんて思って、いつだっけ?なんて考えているうちに、こんなサイトを発見しました。国立新美術館のサイトの中で1945年から2005年までの展覧会の検索ができるのです。
すごく便利!
どうでもいいけどすごいデータベースですね。

「日本の美術展覧会記録1945-2005」

これまでいろんな展覧会に行ってますが、やはり子供のころに行った展覧会の印象は強くて覚えていますね。特に当時は地方に住んでいたこともあり、展覧会なんて頻繁ではなかったから貴重な機会だったし。見に行けば必ず絵葉書を記念に買ってましたし。

初めて美術館に行った記憶は小学生の時に久留米の石橋美術館に行って青木繁の「海の幸」を見たことです。それと前後して熊本に県立美術館がオープンしたはずですが、展覧会に行った記憶は・・・・。古墳のレプリカの覚えはあるけど。

そのあとの記憶はどれが新しいのか古いのかはっきりしてなかったのですが、この検索ので見ると、

1981年の堅山南風展、イヴ・ブレイエル展あたりからスタートしてるみたいです。イヴ・ブレイエルのは今でもたぶん絵葉書持ってるはず。この展覧会、調べてみたらこの年に山口県立美術館、熊本県立美術館、船橋西武美術館の三か所で行われたようです。

その他しっかと覚えている展覧会は以下の通り。
自分のシュミだけのために書き記しておきます。

熊本県立美術館 ブーシェ展 1982.07.03-1982.08.22
熊本県立美術館 ルネ・マグリット展 1982.10.30-1982.12.12
熊本県立美術館 ミレー、コロー、クールベ展:バルビゾン派の巨匠たち 1983.01.05-1983.02.06
熊本県立美術館 サンパウロ美術館展 1983.02.05-1983.02.27
熊本県立美術館 パリの女流画家6人展:印象派からエコール・ド・パリまで 1983.07.14-1983.08.14
熊本県立美術館 ルノワール展 1983.11.01-1983.12.04
熊本県立美術館 マイヨール展 1984.06.23-1984.07.29
笠間日動美術館 ユトリロ展 1986.02.20-1986.03.10
笠間日動美術館 マリー・ローランサン展:愛と夢と抒情の乙女 1986.10.23-1986.11.30
笠間日動美術館 ベルナール・ビュッフェ展:黒い戦慄 1987.10.29-1987.11.23
笠間日動美術館 佐伯祐三展:没後60年記念 1988.03.26-1988.05.08
笠間日動美術館 「モジリアニとその仲間たち」展:特別出陳・ヴァン・ゴッホ 1988.09.23-1988.11.06
伊勢丹美術館 スーパーリアリズム展:超細密画が描いたアメリカの素顔 1985.07.25-1985.08.19
そごう美術館 フィニー展 1985.11.22-1985.12.17
西武美術館 オランダ絵画の100年:ゴッホ、モンドリアンから今日まで 1986.03.29-1986.05.13

で、結局デュフィ展はいつどこで見たのか思い出せずにいます。上京してから展覧会はいつでもどこでも開催されていて、ありがたみがなくなり、また人気の展覧会には人が多く詰めかけすぎてゆっくり見られないなど、昔みたいなワクワク感が無くなっていました。これからやっぱり展覧会に行ったら絵葉書を記念に買って買えるようにしよう。

押入れごそごそして、1981年の展覧会で買った絵葉書発見。

随分前にチケットを買って楽しみにしていた公演です。
目当てはラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。仕事場の有線で、エリックカルメンの、オールバイマイセルフかかるたびに、元ネタ聴きたーい!と思ってたのです。浅田真央選手の昨シーズンのフリーの曲でもありましたし。

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ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
指揮者:クリスティアン・アルミンク
ピアノ:オルガ・ケルン

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実は公演の5日ほど前に指揮者は健康上の理由で交代とのアナウンスがありました。

本公演に出演を予定しておりました指揮者のレナード・スラットキンは健康上の理由により来日できなくなりました。代わりにクリスティアン・アルミンクが出演いたします。曲目・ソリストの変更はございません。

当日行ってみたら、アルミンクさん若いイケメン指揮者さんでした。3階席から豆粒状態でしか見てないのでホントのところはわかりませんが。

毎回思いますが、オーチャードホールの客入れってタラタラしてますよね。年配客が多いのだから外に立たせておかないで開演一時間前くらいから開場すればいいのに。お手洗いに行きたい人とか多いだろうし。しかも開場しても全然列が進まない。あれはいらっとしますね。

さて、今回も安い席を買って3階席です。音はまろやかに聞こえます。ウェーバーの華麗なオペラの序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲と堪能し、休憩が入りました。次はブラームスです。

休憩時間に前の席の男性がプログラムの余白に絵を描いていました。

お!
その手があったか。

今日はスケッチブック持ってきてません。カバンをごそごそしたらボールペンが1本ありました。まずはスケッチしたがる夫にペンを渡しました。

休憩が終わり、ブラームスの交響曲の演奏が始まりました。
う~ん、ブラームスは、まだ私にはぴったりこなかったです。いつかきっとブラームスが私に必要になるときが来るかもしれないとは思いましたけどね。今じゃなかったみたい。

結局、音楽に集中できなかったので、ペンを取り出してプログラムの余白にスケッチしてしまいました。気がついたら2楽章終わってた。とはいえ、3階席からなので楽団の皆さん豆粒だし。目も悪いので、更によく見えませんでしたが、まぁ雰囲気だけ。でも、パートごとに何人いるのかとか、そんなことを仔細に見ることが出来ました。

帰宅してから彩色しました。
指揮者さんの立ち姿は絵になってたなー。きっとイケメンさんですね。髪をかきあげる仕草は、少し鬱陶しかったですが・・・(笑)。もしかしてあれトレードマークなのかも。

全体的な感想としては、助っ人指揮者さんだからもしかして大化けとかもあるのかと思いつつ行ったわけですが、まぁ小ぢんまりしてたかな~と。私がブラームスに思い入れがないせいもあるけど、観客席から「ブラボー」の「ブ」の字も飛び出さなかったのは、なんとなく納得かと。
でもアンコールの曲はきれいだったなぁ~。ウォルトンという人の曲だったみたいです。「彼女の唇にふれて別れなん」とか。

Bunkamura公式ページ

オーチャード定期は次回は4月にチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトを聞きに行く予定。ほんとは3月の広上さんのベートーベンづくし行きたかったのですが、仕事の日なので断念。

12

正直に書きます。
ボクシングの練習、少し飽きてきてます。

あ~ほんとに私って飽きっぽい性格だ。

今、ボクシングの練習に行く時間あれば、ingress(というゲーム)やっていたい。
10月の下旬からそんな状況になり始め、会社帰りに2~3時間かけて帰宅しながらingress。という日々が始まっています。

10月の練習回数は5回と激減。
10月は旅行や誕生日や飲み会イベントも結構多く、暴飲暴食で体重もぐんぐん戻ってしまいました。

あ~、なんだかな~。

練習回数が減り、体重は重くなりで、
練習に行くと体がついて行かない⇒きつい⇒次行くモチベーション下がる
の悪循環。

10月は練習行くとたまたま私だけ、という日が続いて、イケメンズに会えないのもモチベーションの低下を招いているかも?というのは冗談です。一人の方がのびのびできるし、ほかの練習生に迷惑かけずに済むので気楽に練習できます。会長独り占めとかぜいたく過ぎな環境なのです。

それでも2年目なので、以前よりはパンチに体重を乗せられるようになってきたんじゃないかなとか思ってはいるんですけども。
二重跳びは30回までできるようになってきました。

目下の課題はモチベーションの維持ですね。

「オオタノカケラ」ワークショップにもう一回参加してきました。前回とても楽しかったので、友人にも声をかけて行ってきました。

そして、その近所にある町工場を見学してきました。
この工場の方がイベント会場に遊びにいらしてて、「工場見に来るかい?」とお誘いいただいたのでした。

大田区矢口にある小野製作所です。


(機械の説明をしてくれる小野さん)

職人さん一人の小さな工場です。
経営者の小野さんはこの道50年以上の大ベテラン。22歳くらいの頃に、馬込にあった従業員50人くらいのゲージの工場に就職し、修行をして30台で独立したそうです。もともとは蒲田に工場を持っていたそうですが、マンションを建てるということで立ち退きにあい、矢口に移ってきたのだとか。

工場は木造2階建。
トタンで覆われた町工場長屋の一角にあります。
中は一坪半程。とても狭いところです。
そこに、旋盤の機械と研磨の機械が置いてありました。
古くてボロボロに見える建物ですが、中はとても整理整頓されていてきれい!!机の引き出しの中も整然としています。机の上のボールペンも向きも揃えて綺麗に整列してた。
もちろん部品も。。


(ずらりと並んだ金属を削る刃物、様々な大きさ、形の物が揃っています)

「几帳面じゃなきゃこの仕事はできないよ。千分の一ミリの仕事をしてるんだから。」とは小野さんの弁。
私みたいなズボラな人間ではとても務まらないなーと思いました。

休日にもかかわらず、仕事のことをいろいろ説明してくださり、実際に機械も動かして見せてくれました。


(研磨の機械で実際に削っているところ。火花が飛び散っています。)

この工場では、主に計測機器の部品を作っているそうです。
そのためとても正確な仕事を求められ、機械では千分の5ミリまでの設定ができるようなのですが、小野さんはその腕と勘でさらにそこから5倍の精度を打ち出すことができるのだそうです。


(機械の設定の一目盛りは5ミクロン)


(こちらは旋盤)

作った部品のサイズを実際に測って見せてくれましが、どこを測っても1ミクロンの単位までしっかり揃っていました。すごーい!!


(1ミクロン単位まで計測する機器で測ってるところ)

この道50年以上という小野さんの後継者はいないそうで、この技術ができる人がどんどんいなくなってるとおっしゃってました。勿体無いことですね。
いろんなところから見学に来るそうで、テレビの取材も受けたり海外から見学者も来るそうです。人が来るのは嬉しいようで、町工場に足を踏み入れるの初めての私のようなど素人にもわかりやすく説明してくれました。

またいつでもおいでと言ってもらえましたので、今度は何か差し入れ持って行こうかな?
小野さん、ありがとうございました!


『戦前からバブル前夜まで、歩く・見る・聞く・撮るを実践した宮本常一。その行程はおよそ4000日を越え、撮影された写真には、激動期における日本の庶民のいとなみや風土が刻み込まれています。

今回のトーク「忘れられたことを知ること」では、平凡社から発売された『宮本常一と写真』の著者である、写真家の石川直樹さんと作家・編集者の畑中章宏さんに、宮本常一の写真をとおして、民俗学や人類学への興味や重要性、そしてご自身の活動について、お話して頂きます。』

僕らの未開というイベントシリーズの「忘れられたことを知ること~宮本常一と写真」トークイベントへ行ってきました。
会場は荻窪にある6次元という本がいっぱいおいてあるカフェ?みたいなところ。
満員御礼立ち見も出る盛況ぶりでした。
狭い空間に寿司詰めになって話を聞きました。
キャパをこえた人数を入れてるものだから、椅子が簡易の折り畳み丸椅子だし、身動きできないしでしんどかった。
写真が中心のイベントで、スライド上映もあるのだけど、人の頭で下半分はほとんど見えず。

そりゃないぜ…

それでも、面白いイベントではありました。
やはり中央線沿線は空気が違う。集う人も違う。
新鮮でした。
写真家さんの視点で語られる写真の話は初めて聞いたかも。
いや、これまでもちらほら聞く機会あったことはあった。こないだのアートブックフェアで写真集販売してた人とか、若木さんとか(若木さんとは映画トーテムの話しかしてないから違うけど)、夫の恩師の深瀬センセとか。でも今までは写真ってゲージツすぎてわからん!と理解できないことばかり、石川さんの話はすごくうなずける話ばかりでした。

写真=資料 って理解しやすい。

■宮本常一の写真の魅力についての話<備忘>  

●一枚の写真から情報を読み取る力にあふれているから、自分の写真にもいろんな情報が盛り込まれる。

●ただの記録でいいはずの写真に、時々写真としての味を盛り込みたいという欲が出てくる。それがおもしろい。

●知らない土地に行ってあんなふうにふわふわと浮遊するように写真を撮れる人はそういない。

●取材の対象だけでなく、すべてを記録しようとする。例えば、祭りであれば、それを見て写真を撮っている人を写真に撮るとか。

●「史料価値のない写真は価値がない」(石川直樹さんの主張)

●100m歩く中でフィルム10本使ってしまう伝説の写真家がいるが(宮本ではない)、普通はそんなに写真は撮れないもの。風景の中に感じるものがあれば写真を撮れるが、感じること自体がそうそうできるものではない。

自分が写真を撮るときも、これからどれだけの情報がそこに盛り込めるか。考えながら撮りたいと思いました。

宮本氏の晩年の活動で、一枚の航空写真のスライドからいろいろな話をする講義があり、それが本になっていてすごく面白かったのですが、航空写真だけでなく、何気ない写真一枚にもそこから何を読み取るか、そういう訓練をしたいと思いました。

空からの民俗学 (岩波現代文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店

■このブログの中の宮本常一関連記事(一部)
宮本常一日記 青春篇 2012年版
「一遍聖絵とハンセン病患者」展示会
大内宿
通勤時の読書 「日本文化の形成」宮本常一
ちくま日本文学全集 宮本常一
宮本常一の台湾旅行
宮本常一、アフリカとアジアを歩く
女の民俗誌 宮本常一
竹馬の話
「庶民の発見」 宮本常一著
『旅する巨人』―宮本常一と渋沢敬三
いろんな本が出てますな~
読み始めました~ 宮本常一 対談集
宮本常一が見た日本
私の写真もありそうな・・・
ツブラジイ(椎の実)
「忘れられた日本人」を読む を読む
「忘れられた日本人」 宮本常一著


追記
イベント会場の「6次元」というお店。
全然知らなかったのですが、毎年ノーベル賞発表時に村上春樹ファンが集って受賞発表を待つというあのお店でした。
いわば「ハルキストの巣窟」?!
知らなかったとはいえ、敵の本陣深く踏み込んでしまいました(笑)。台湾での村上春樹研究センター訪問といい、村上春樹の守護神か何かに操られているのかもしれれません。
自分の引きの強さが怖いほどです。

これ以上村上春樹の悪口を言わない方がいいかもしれません・・・・w