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先日高崎まで行ってきた講演会ですが、会場には新聞記者の方がいました。
最前列に座り、写真を撮り、ボイスレコーダーで録音もしてました。
私は近くに座ってたので印象に残っています。
講演会の終盤、質疑応答の際に司会者に紹介されて質問もしていらしたので、朝日新聞の方だとわかりました。

この講演会のことが記事になっていたので早速読んでみました。
URLでのリンクはいつかリンク切れを起こすこともあると思うので、全文引用します。

群馬)台湾大空襲、悲惨だった 前橋の97歳が講演

2015年9月21日03時00分 (朝日新聞群馬地方版)

 日本占領下の台湾で生まれ育った前橋市在住の岡部茂さん(97)が20日、高崎市内で講演した。1945年5月に台湾で経験した米軍による台北大空襲の記憶を振り返り、「戦争とはいかに悲惨なものか。様々な思想の国があるが、平和的な話し合いを進めてほしい」などと語った。

 日台交流団体の日本李登輝友の会県支部が戦後70年企画として主催し、約50人が参加した。

 岡部さんは日本統治下の台北市内で生まれ、台北州立第一中(現、台北市立建国高級中)を卒業後、印刷会社で勤務した。当時、最先端の印刷方法だったオフセット印刷を手がけ、学校教科書やはがき、切手など多くの仕事を請け負った。

 あるとき、フィリピンの航空写真や地図、食べられる野草についての文書などの印刷を頼まれた。何のために使うのか分からなかったが、間もなく日本が太平洋戦争に突入すると、南方作戦の参考にしたと知った。「作戦に役立ったとして、軍から宴席を設けてもらったこともあった」。本土から紙幣が届かなくなった戦争末期には、台湾銀行券の印刷も担った。

 戦時中で最も鮮明に覚えているのが45年5月31日の台北大空襲だ。午前8時、会社の打ち合わせ中に警報が鳴った。急いで工場に向かうと、米軍機が飛んできて、次々に大型の爆弾を落としていった。

 消防団に入っていた岡部さんも火災現場に向かったが、爆弾で水道管が破裂し、水は使えない。実質的な消火活動はできなかった。辺りには首がちぎれかかったり、腸が飛び出たりした無数の遺体が転がっていたという。空襲では同僚2人も亡くなり、犠牲者は約3千人に上った。

 終戦後は、印刷技術の指導のため抑留徴用され、翌46年12月に引き揚げた。父の本籍があった前橋に移り住んだ。腕を買われ再び印刷の仕事に就き、2014年まで務めた。

 台湾での体験を振り返り岡部さんは「火を消すこともできず、ただ立ち尽くすしかなかったことを今でも忘れない。全世界から軍事力が撤廃される日を心待ちにしている」と語った。

切抜き記事(クリックすると拡大します)

あれれれれれ?????
おかしい。
この記事、あの講演会のことを書いてるんだろうか?

と、真っ先に感じました。
確かに記事の内容は(一部を除いて)合ってますが、全体の印象として全く違っています。

記事だけを読むと、97歳のおじいさんが台湾で体験した空襲により戦争の悲惨さを痛感し、後世に伝えたいために講演会で話をした・・・かのように受け取れます。
素直にこの記事を読めばそうでしょう?

しかし、同じ講演会をきいた私の感想は全く違います。

講演の内容としては、岡部さんご自身の「自分史」です。
岡部さんのご両親の経歴からはじまり、自分の学校時代、印刷所の話、太平洋戦争前夜の様子、物資不足になる戦時中の話、戦争末期に召集されて入隊した時の話、そして台北の空襲、消防団、戦後の日本人の引き揚げ、ご自身の留用、そしてご自身の引き揚げ。

いいことも悪いこともすべて判断をせず、聴き手にゆだねる形で、あのときどういうことがあったかの話をされた講演でした。戦後70年という節目ということで開催された講演会ではあったようですが、「反戦!」というメッセージをことさら込めたものではなく、全体としては非常に抑えたトーンで、淡々と話されていました。

記事からはそのことが伝わってこないばかりか、岡部さんが戦争を憎むと締めくくったように感じられます。

台湾の空襲の話はありましたが、「辺りには首がちぎれかかったり、腸が飛び出たりした無数の遺体が転がっていたという。空襲では同僚2人も亡くなり、犠牲者は約3千人に上った。」という話はされませんでした。

なぜ話されていないことを記事にするのでしょう?

関係者の方に聞いた話では、記者さんは特別に講演会後追加取材をされていたそうなので、その時に出た話かもしれませんが、レコーダーで録音もされたたんですから、講演内容かそうでないかは分かったはずです。

記者の考えを伝えるために岡部さんの講演が利用されたように感じます。
岡部さんへの敬意が感じられず、とても残念です。

記事だけ読んでいたらこんな感想を持つことはなかったと思いますが、講演を聴き、更に記事を読むと両者の乖離が歴然です。

朝日新聞は、昔から権威ある新聞だと思っていました。
夏目漱石の連載も朝日でしたし。
我が家でもずっととってましたし。(私は新聞を取らなくなりましたが、たぶん実家は今でも読んでるはず。)でも、最近の従軍慰安婦の誤報(というか捏造記事)の件で、大新聞の信頼も失墜しかかっているようですね。

でもまさか、それは一部の記者がやったことだろう、一部にはそんな行き過ぎ報道もあったのかも・・・と思ってたのですが、こういう事象を見てしまうと、「もしかして全てが?!」と疑う気持ちが芽生えますね。

記者は入社して研修を受けるときに「記事には記者の主張を盛り込め!」とか「記事は事実を伝えるだけでなく、そこに社会に潜む悪を浮かび上がらせろ!」のような教育を受け、それができた人だけが記事任されるとか、そんな構図があるんじゃないだろうかなんて、思ってしまいました。

普通の読者は、記事が真実かどうかなんて検証するすべを持たないものです。
当事者にならなければわからないことですが、当事者になったケースがこうだと・・・・。

そういえば、自分がよく知ってることが新聞記事になったことが数度あります。
仕事関係のこと、あとは芸能ゴシップ記事。
いずれも、記事は真実を伝えていませんでした。

そうか、これが初めてではなかった…

これからは新聞に書いてあることも、すべて疑うようにしないと、と思いました。

岡部さん側の方にも私の感想は伝えました。
一応主催者から記事についての「クレーム(?)」は伝えてもらうことになったとの話でしたが…響くのかな?

<追記 2015.10.2>
最後の文章で「私のクレームを主催者を通じて新聞社に伝えてもらうことになった」と読めるような書き方をしてしまいましたが、事実はそうではありません。
私が記事のことで岡部さんの関係者の方に連絡をして「講演内容と記事が違うように感じるのです」と伝えたところ、そちらでも記事に疑問を感じ、すでに主催者の方と話をされていて、主催者の方が岡部さん側の意向を新聞社に伝えるような話になっているという話でした。

主催者の方もこのブログを読んでくださったようで、少しプレッシャーを感じられたようなので念のため申し添えます。
このブログはあくまでも私個人の感想です。
これで主催者の方や岡部さまに何か動いていただきたいなどという気は全くありません。

いい講演会を企画してくださってありがとうございました^^ノ

群馬県の高崎に行ってきました。
高速や新幹線ではよく通過している高崎ですが、降り立つのは初めて。
目的は、中央公民館で開催される講演会です。

岡部茂という台湾生まれの方の講演です。
何と御年97歳!
台湾で生まれ育ち、台北で印刷業を営み、戦後日本人が引き上げる際には台湾当局にその印刷技術のため「留用」されて台湾にしばしとどまったご経験のある岡部さん。貴重なお話を伺うことができました。

 ※「湾生(わんせい)」というのは、戦前日本領だった台湾で生まれ育った日本人のことです。

インタビュー記事(nippon.com)
故郷は台湾——「湾生」・岡部茂さんを訪ねて

97歳というご高齢ながら、記憶はもちろん、言葉も耳もはっきりとしていらっしゃって、「あやかりたい」と思いました。
7人兄弟の4番目だそうですが、上には3人のお姉さまがいらっしゃって、それぞれ100歳を超えてもお元気なんだそう!
素晴らしい。あやかりたい・・・。

さて、講演会。

これは、「台湾悠遊倶楽部」という群馬で台湾を理解する活動をされている方たちが主催されたようです。(日本李登輝友の会群馬県支部主催という情報もあり。おそらく同じメンバーで運営されてるんでしょう。私の推測ですが)

講演会に事前申し込みをしたら、高崎駅に迎えにきてくださるという親切さ。
講演会の始まるずいぶん前に迎えが来たのですが、公民館前のファミレスで下してくれまして、どうぞここでランチしてください。ってことのようです。

同じ車に乗った方は私のほかに3人。
いったいどんな方がいらしてるんでしょうと興味津々。
一緒にファミレスでテーブルを囲みます。
お互いに自己紹介をして、なぜこの講演会に参加したのかという話をしました。
自然と話も弾みます。

お一人は、岡部さんと同じ「湾生」で、80歳の横浜の方。
岡部さんと同じ小学校出身で、同窓会などで交流されてるとか。
この同窓会は毎年開催されていて、数年おきに台湾出も開催しているのだそうです。
台湾の方々も歓迎して下さるそうで、講演の中で歴代の台北市長さんとの集合写真なども見せていただきました。
陳水扁、馬英九、ともに台北市長を経て台湾総統になった方々です。
スゴイ・・・

お一人はたまたまチラシを見て参加したという太田の女性。
とても知的探究心が旺盛でパワフルな方でした。

そしてもう一人は埼玉から来たという学者さん。
李登輝友の会のメンバーだとのこと。

まるっきりバラバラなところから集まった4人。
和気あいあいと食事して会場に向かいました。

入場も無料だったのに、ペットボトルのお茶をいただきました。
どこから予算が出てたんでしょうね?
聞きそびれましたが、ありがとうございました。

受付をすませ、中に入ると数十名の方が集まっていました。
私はなるべく集中して話が聞けるようにと思って、前方の真ん中あたりに座りました。
隣の方と少しお話したのですが、講師の岡部さんの弟さんとその娘さんでした。
末の弟さんという話で、講演の中で家族写真が出てくると
「あのかごに入ってるのが私だよ」などと横から解説も入り、楽しくお話が聞けました。

そして私の後ろは、一緒にランチさせていただいた方をはじめ「湾生」チームで皆さん80を超えていらっしゃるのに、とてもお元気で、その方々のお話も聞いていたいと思いました。

講演は、岡部さんのご両親の世代の話からはじまりました。
なぜ台湾に渡ることになったのか、「自分史」の観点からもとても興味深く、貴重なお話だと感じました。
そしてご自分の子どもの頃、大人になってからかかわった印刷業の話。
戦争の話、軍隊の話、そして台北の大空襲の話。
戦後留用の話、そして引き揚げの話。
講演の内容は、上のリンクにあるインタビュー記事の内容と重複するところも多かったのですが、なんといっても直接お話が聞けたのが感動でした。

語り口はとても穏やかで、知的で、何時までもお話を聞いていたいと思わせるお人柄でした。
それと、岡部さんの台湾、台湾の人々へのまなざしの温かなこと。
いや台湾だけでなく、当時の日本人、台湾人、全くわけへだてのない感覚で、そのバランス感覚というか、自由な視点はまさに「国際人」というのはこういう方のことを言うんだろうなぁと思いました。

戦前の台湾や中国、朝鮮半島などを語るときに、ともすると当時の日本人の優越意識がそのまま言葉に出てしまう人がいて、それを今の感覚で聴く私は残念に思うことがあります。その人が差別主義者だとかそういうことではなく、当時のことを語るときに、当時の価値観がそのままでてしまうだけなんだろうと好意的に解釈するようにしています。(そうしないとフェアでないと思うので)
更に世代が下ってくると、今度は「日本は朝鮮半島を、台湾を植民地にした。なんとも申し訳ないことだ。」ということで、贖罪意識ばかりが目立つ方もいたりします。どちらも私にとっては居心地が悪いのです。

でも岡部さんのお話は、そういうことを全く感じさせず、かといって台湾時代を単に美化するわけでもなく、淡々と話されていました。

失礼を承知で書くと、岡部さんが戦後引き上げてきてからもずっと台湾と交流を続けて来られたのがその感覚が形成された一因になっているのではないかと思いますが、やはりそれ以上にそのお人柄が素晴らしいのだと感じました。

質疑応答で出席者から質問がいくつかありました。どの質問にも丁寧に答えて下さったのですが(私の質問にも!)

印象的だったのは、最後の朝日新聞の記者からの質問、「これからの日本と台湾の関係はどういうものになっていったら良いとお考えですか?」への答えです。

日台関係の質問だったのに、岡部さんは朝鮮半島のことを一番先に話されました。
朝鮮半島の人々が互いに仲良くなることをまず望むと。
そして日本も台湾も、中国、朝鮮半島の人々もみな漢字を使う文化だから、それでお互いに分かり合えるはずだと思うとおっしゃっていて、それを「漢字共栄圏」と表現されていました。

「漢字共栄圏」は、いまのヨーロッパが「EU」として実現したように、どこに行くのも皆自由で、今の北朝鮮にも拉致された家族の方が自由にいくことができるようになったらいい。そうなれば、軍備も必要がなくなる。そういう風になったらいいと思う。と話されていました。

これも、難しい問題を抱えるこの東アジアの情勢に対しての一つの理想だと感じました。

私もそうですが、台湾を好きな日本人は台湾と日本の関係がよくなることを望んでいます。「これからの日台関係」というと、「これからもお互いの理解を進めて仲良く・・・」なんて単純に言いがちですが、台湾と日本だけでは話が済まないのですね。

そこには二つの中国の問題が常にあり、台湾独立だとか、いや統一だとか、中国の脅威が云々などなど、国の枠組みを外れて考えるのが現実問題は難しいのです。この講演会の主催が「李登輝友の会」ですが、台湾にかかわるとき、政治的なイデオロギー論議に巻き込まれてしまうことも多いのです。

これは私の勝手な想像ですが、岡部さんは戦後自分の故郷台湾と交流を重ねていく中で、いろんな政治的な立場の違う人たちとかかわっていらっしゃったんだろうと思います。そんな中でどんな立場の人々にも配慮の効いた答えを出していらっしゃるんじゃないかなと思いました。


岡部さんの隣はお孫さんです。
おじい様たちの話を幼い頃から聞いて育ち、台湾原住民に関心を持つようになって、いまも足しげく台湾に通っているとの話でした。「今年はもう4回も台湾へ行ってるんですよ」と、紹介する岡部さん、うれしそうでした。

個人的にもいっぱいい話を伺いたいと思いましたが、送迎時間の関係で泣く泣く会場を後にしました。
帰りも同じメンバーで駅まで行きました。送迎してくれた方に「ランチでもこのメンバーで話が盛り上がったんですよ~」と話しましたら、そういう効果も狙って、ファミレスに行ったとの話でした。

で、列車を待つ間また駅でもビールを飲みながら参加者の方と話をしました。
これもおもしろい出会いでした。

当日の講演会を取材した朝日新聞の記事があります。

群馬)台湾大空襲、悲惨だった 前橋の97歳が講演

※この記事とても恣意的に書かれています。
 当日の講演の様子を伝えていません。
 私は記者のすぐ後ろで聞いていましたが、なんであの講演がこういう記事になってしまうのか、理解に苦しみます。これがねつ造報道の朝日の姿勢、体質なのでしょうか?こんな小さな講演会の内容ひとつ正しく伝えられないのか。
がっかりです。

これについては、改めて記事を書くつもりです。


(わたしにしては)最近台湾ご無沙汰です。
前に行ったのはお正月。
10か月も(?)空いてしまった。

そのあいだに、サイパン、タイ、香港、シンガポールと、今年はあちこち行きまくってますからね~。

でもそろそろ台湾にも行きたい。
陳昇のコンサートも見たい。
ということで10月半ばに台北で行われる音楽フェスに合わせて、行く事にしました。

今年は旅行しすぎなので、料金はおさえたい。
でも特典航空券ではなかなか予約が取れません。

そこで、LCCで行くことにしました。
バニラエアです。
久々の成田発。
朝7:50発なので、成田で前泊することに。

成田ビューホテルが、21時以降チェックイン、朝6時前チェックアウトというまさに私にぴったりのプランを出してましたので予約。(1泊4600円)

台北のホテルはやっぱり高いので、今回はシンガポールで味をしめたホステルに泊まることにしました。
3泊でもホテル1泊分より安い。

あとは休みの申請だ!

このブログであまり政治的なことは書いてこなかったけど、新しいチャレンジとして書いてみようかなと思った。

今現在、参院の特別委員での採決はまだ行われていない。
国会の中で国会議員たちが妨害行動をとっているのだそう。
これからどうなるのかはわからない中でこれを書いている。

初めにお断りしておくと、私はあまり政治に興味がない。
難しいことを言われてもよくわからないし、複雑過ぎる政治情勢、世界情勢の中で、なかなか自分の考えを決めることもできずにきている。
選挙には20歳から毎回行っているけど。

でも最近、ぼんやりと考えている。
震災の頃からか、やはり周りにある政治の問題は自分の生活、未来に直結していると感じるようになってきたから。きっかけは原発がいるのかいらないのか考えるところから始まった。
これが大人になるということかもしれない。などとも思う。
成人式からはものすごい時間が経過しているけれども。

漠然と考えていることを書いておく。
自分用のメモだ。
あとで見返して、思索を進める起点ともなるだろうし、自分の不見識をわらうことにもなるかもしれない。

まず、今回の安保法案。
政府が通そうとしているこの法案について、野党やデモをしてる人たちが口をそろえて「戦争法案」という。
これがなぜかわからない。

2015年安保法案=戦争法案、戦争をする国へ

という根拠は何なのだろうか?

私の理解は、安保法案が抑止力を強める方向に働くことにより、戦争を起こさないための法案なのではないかと思っている。ほんとうにそれがうまく働いてくれるのか効果的なのかはわからないけども、方向性としてはそうだと思ってる。

60年安保も70年安保も反対は強かった、反対デモは今の比ではないくらいだったのだと思うけど、結局そのおかげで、日本はこれまで戦争をすることもなく、経済発展を遂げて先進国になれたのだというのは、昭和が歴史となった今では証明されているのではないか?

60年、70年安保がどういう法案だったのかなど、詳しいことはは不勉強で知らないのですが…
60年安保、70年安保の争点が何で、結局どうなったのか?
反対してた人の主張が通っていたらどんな今を迎えていたのか?
(歴史に「もし」はないんだけど)
いま、知るべきことかも。

「集団的自衛権」が違憲かどうか?

法学者ではないからよくわからないけど、憲法学者さんが「違憲だ」と言ってるから違憲なのかもしれない。
でもそのことはそこまで重要な気がしない。
私は憲法を変えてもいいと思っている。
どういう風に変えるかはもちろん慎重に議論が必要。

「違憲だから反対する」では物事の本質を見誤るのではないか?
集団的自衛権を認めることが必要かどうかで考えたほうがいい。
自民党の誰かが「法的安定性はこの際関係ない」といったというのが大問題になったけど、心情的にはわかる。法律を守ることばかり考えていて、命が無くなったらどうする?

で、集団的自衛権の話にもどる。

この権利は日本も国際的に自然に持っている権利らしい。
ということは、日本以外のどの国も持っているということでしょうね。
であるならば、「集団的自衛権をもつ」=「戦争をする」とはならないのは明らか。
世界で戦争していない国の方が圧倒的に多い。
みな集団的自衛権はもちろん、日本が憲法上持っていない「軍隊」も持っている。
徴兵制のある国もある。

今回の安保法案が徴兵制につながるという主張も見かけた。
これも何でそういう話になるのかよくわからなかった。

戦後70年の首相談話

なかなかよくできた談話だったと思った。
特に私が共感したのは、「戦争をしてしまうような状況を作らない」ことにこれから努力する、としていた点。
いま慰安婦だとか、南京大虐殺だとか、日本に「お詫び」を求めてくる国があるけれども、そういうことを言い出すと、じゃあ、東京大空襲は?沖縄戦は?原爆は?シベリア抑留は?と日本側でもいくらでも出てくるわけで、戦争状態になったら一面的な善悪の問題ではないし、被害者対加害者という構図で見ることは難しくなるのだと思う。

戦争になったら、人間はどんな残酷なことでもできるというのは70年前を振り返らなくても、今のISなどを見ていてもわかること。

日本が先の戦争を反省するならば「戦争のときにどんなヒドイことをしたか」を反省するのではなく、そういうひどいことをしてしまう戦争を始めてしまったことを反省する方がよほど未来につながると思う。

どうやったら戦争をしないでいられるんだろう?
尖閣諸島や竹島でも実際起きてるけど、外交力や経済力や軍事力がないと、領土をとられるんだ。
尖閣くらいなら国民生活にそれほど影響ないけど、対馬とか沖縄とか、佐渡とかじわじわ来たらどうするんだろう?

私は、自身の受けてきた反戦教育、平和教育が骨の髄までしみわたっていることもあり、戦争は絶対に嫌だ。(っていうか、日本国民で戦争やりたい人って、そうそういないよね?)

でも今国会前に行って「戦争反対!」をやってる人たちに賛同する気にはならない。

安保法案が戦争しない日本を70年を超えてずっと継続していくための法案になることを願っている。
そのためにはもっと議論してもいいと思う。

今「戦争NO!安倍独裁を許すな!」と騒いでいる人たちが国民の多数派であるならば、なぜ前回の選挙で自民党があんなに大勝したのか?

私の勝手な憶測で書くと、戦争反対ですか?と聞かれれば、誰だって「反対です。」というだろう。でも「じゃあ、どうやって戦争をしないようにしますか?」という問いへの答えはいろいろに分かれるのだろう。

「憲法9条を死守することが戦争回避になる」と信じている人もいるだろう。
「日本もほかの国を同じように軍隊を持つことで、安易に攻めて来られないように抑止力を高める」という人もいるだろう。

国防上の問題なので、あまり大ぴらに「中国が・・」と名指しで国会で議論することはできないのだろうけれど、今の日本が置かれた情勢を見るときに、どうやったら戦争をしないで私たちが安全にこの地域で暮らして行かれるのかをしっかり考えてほしい。

政府がとても急いでいるように見えるのは、やっぱり何かの約束的なことがあるんでしょうね。
密約?
で、その内容は何十年かして明らかになるのでしょう。

わたしの恩師が、秘密保護法案の頃から今の日本状況をとても憂いておられる。
戦前の「きなくさい」感じが今に共通すると言って、とても心配している。
お話を聞くと、そうなのかな?やっぱりやばいのかな?
という気にもなるけど、もう一度考えてみないと。

デモに参加してる人もそういう世代の人が多い。
「次世代に絶対に憲法9条を守り抜いて伝えねば!」という気持ちのよう。

それはわかる。
あの戦争を体験したから、絶対なあんなことを繰り返すようなことをしてはならない。
という願いを持っているのはとてもよくわかる。

その気持ちはしっかり受け継ぎたいと思う。

しかし、問題はどういう方法でそのことを実現するかなのではないかな?

国会で満州事変の総括を首相に問う場面があった。
首相はそのことへの答弁は避けたが、そういえば、まだ日本人の中で満州事変から日中戦争~太平洋戦争についての総括は終わってないのだなぁと思った。
勿論私の中でも。

戦後70年首相談話は少し触れていたけど。
これからはこの点の勉強が必要だ。

日本が70年間平和だったのは憲法9条があるからではなく、
やはり日米同盟のおかげなんだろうなと思う。
ではなぜ戦争反対と言っている人が、安保に反対するのかな?

やはり世の中難しい。

課題
○なぜ安保法案を戦争法案と言ってデモしているのか?
○60年70年安保とはなにか?
○60年70年安保の総括は誰かしたのか?
○今回の安保法制は新たな抑止力として効果があるのか?

今回のシンガポール旅行、6回目だということが判明しました。

初めて行ったのは1990年。
オーチャードのマンダリンホテルに泊まりました。
オプショナルツアーでトライショーに乗ったり、ニュートンサーカスというホーカーズでシーフード食べたりしました。

その次が1996年、母と二人旅でブギスにできたばかりのインターコンチネンタルに泊まりました。この時はリバークルーズとかセントーサとかかなり観光っぽいことをやって、ジョホールバルにも行ってみたんでした。ジョホールバルはまだまだ発展途上という感じでした。
今見るともうインターコンチネンタルも1泊3~4万して、とても泊まれない高いホテルです。
昔は円も強く、特に東南アジアでは相対的に使いでがあって、分不相応なホテルにもずいぶん泊まらせてもらいましたね~。

初めて一人で行ったのが1997年。
クアラルンプールから宿も決めずに夜行寝台車でシンガポールに入り、駅に置いてあったフリー情報誌を頼りにチャイナタウンの安宿に行ってみたんでした。この時はディックリーの歌に出てくるスポットを巡ろうと思って、アンモキオとかピープルズパークとかふらふら行ってみたりしました。

そしてこの2002年です。
昔書いた文章を別の場所に載せていましたが、ここに再録しておきます。

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2002年8月11日~17日まで、夏休みを利用して久しぶりにシンガポールに行きました。
チャイナエアラインの台湾経由便にしたので、帰りには台北にも寄りました。
シンガポール3泊、台北3泊の一人旅です。

◆シンガポールに行くのは3年ぶり4回目。

◆チャイナエアラインの台北経由便。

◆ホテルは、チャイナタウンの再開発区にある「ホテルベルジャヤ」。

●覚え書き●

1日め:
成田~台北~香港~シンガポール。
預けておいたバッグが壊れていたので、手続きなどでいくらか遅くなり、MRTも開通していたけど、タクシーでホテルへ。

チェックインしてたら、ベルボーイさんが「This is for you,madam(だったかmissだったか忘れた)」と飲み物を持ってきてくれた。
なんか嬉しい。
ホテルの近くのスーパーにミネラルウォーターなどを買い出しに行っただけで、後は部屋で松本清張を読む。
寝る前にフロントに壊れたバッグを預けに行く。
明日修理に来てくれるそうだ。

2日め:
ルームサービスでフルイングリッシュの朝食を頼む。
今日は昼まで部屋でのんびりするぞ~。
まだ支度をしてるころ、フロントから電話。
「お客様のバッグの修理がすみました」。なんて素早い対応。
バッグはキレイに直ってました。

昼から行動開始。
チャイナタウン散策
→オーチャードのHMVでCD探し
→マンダリンホテルのレストランで昼食
→「ニーアンシティー(義安城)」のネットカフェ
→アポロセンター「木船」(そこへの道すがら、シンガポールの人と話をしてなぜだか、一緒に見ることに)
→マーライオン見物。
→ホテル・・・あ、晩ご飯食べてない。

3日目:
ホテル近くのフードコートでお粥の朝食
→タンジョンパガーあたりを散策
→ホテルに戻ってお茶
→昨日会った人と待ち合わせしてアラブストリートでカレーを食べる
→泥棒市場
→ブギスビレッジで潮州もののCDを買う
→歴史博物館(ここまで案内してもらいました。いやいや、ありがたいことです)

→一人になってチャイムスへ。バーでビールを飲みつつぼ~っとする→ほろ酔い(でも外は明るい)でウィンドーショッピングへ
→ラッフルズシティーのトイレに貼ってあったエステのポスターを見て「あっ」と思いつき、そのまま予約を入れに行く
→ネットカフェ
→「文東記」でチキンライス食べようと思ったが場所がわからず、夜の街をうろうろしただけで何も食べず
→最後の夜なのでいろいろ歩きまわった。夜景がキレイ
→ホテル近くのスーパーの前でドリアンを購入、こっそりホテルに持ち帰る。
→ドリアンが晩ご飯となる。

4日目:
朝ご飯はまたルームサービスで、電話して5分ぐらいで持ってくる。
はや~い!。
チェックアウト。
→ラッフルズシティーに入ってる「アムリタスパ」へ。オープンと同時に入ったので人が少なくて気持ちいい。1万円弱のコースをお願いして、2時間の極楽TIME。
→飛行機の時間が迫ってる。ホテルに荷物を取りにかえって、またタクシーで空港へ。
一路台北を目指す。
空港で食べた「ラクサ」は美味しかった。今度来たらこれも食べよう。

まずは、おなじみ台湾の中正機場で乗り換え~

お次は香港の空港でトランジット~

香港の島々~

宿泊した「HOTEL BERJAYA」。ショップハウスを改装したもので、中にはいるとエレガント~。
部屋数49だそうです。

最近まで「ダクストンホテル」と呼ばれていたところです。
チャイナタウンに滞在したかったのと、ショップハウスの小さなホテルが気に入り、ASIA TRAVELを通じて予約しました。1泊税サ込みで120S$(8500円)だったのですが、出発前に同じサイトを見たら100ドル切ってました。
う~。早まりました。
私の泊まった部屋は、通りの裏側だったので夜はとても静かで(朝も)よかったのですが、バスタブがありませんでした~。最後の日は部屋を換えてもらおう~なんて思ってたんですが、結局スパに行くことにしたので、どうでもよくなってしまいました。
ロビーやラウンジやレストランはかなり高級感ありましたけど、部屋はそうでもなかったかな。金庫や湯沸かしなどはそろってたので、便利でした。小さいホテルだったので、居心地はよかったです。
また泊まってもいいかな。

ホテルの前の道、カラオケバーなどが並ぶ通りです。

ルームサービスの朝食。フルイングリッシュです。とても食べきれるものではありません。美味しかったけど。

?街路樹の実です。やしみたいの。

チャイナタウンの「マックスウェルフードコート」。

翌日はここで朝食におかゆを食べました。

シンガポールの電話。いろんなタイプがありましたが、どこもクレジットカードが使えてとても便利。

チャイナタウン。土産物屋さん。

オーチャードの目抜き通り バス停

CD店「HMV」の前で。月末に劉若英が来るらしい。

オーチャードマンダリンホテルのレストラン「チャターボックス」の海南チキンライス。おいし~。

マンダリンの弾き語りが聴ける「木船」アポロセンター店。お酒を出さない健全なお店です。

お引越ししたばかりのマーライオン。引越しの理由は「風水」だそうです。まだ工事中デシタ。

さすがは「ガーデンシティー」緑が多いです。

高層ホテル「スイソテルスタンフォード」。最終日は、ここに入ってる「アムリタスパ」に行きました。

「チャイムス」は修道院の跡地とか。今ではおしゃれなバーやレストランが入ってます。

「チャイムス」

チャイムスのバーで日のあるうちからビール。ハッピーアワーで半額だったので2杯のみました。いい気持ち!

チャイムスには雑貨屋さんもいっぱい。

夜景

リバーバレーロード

ザ・風水!ファーイーストスクエア「火の門」

中元節 施餓鬼のイベント?

ドリアン!おいしかったよ~~。でも一人で一個は多すぎた。

シンガポール最後の食事。チャンギ空港でたべた「ラクサ」。
超辛いけど、これは美味じゃ!また食べたい。

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読み返してわかりました。
今回も行ったSPA、以前も来たことあると思っていましたが、以前はアムリタスパが入ってたんですね。
アムリタスパはグアムで行ったことがある気がします。

それにラスクはもう食べていたんだなぁとか、MRTあるのに空港からタクシーに乗ったり、ルームサービスで朝食食べたり、今よりなんだか優雅なことしてますね。
今より物価が安かったのと、円高だったんでしょうね。

そして「中元節 施餓鬼のイベント」と書いているのはまさしく、今回目的にした「歌台」ですね。見た目は一緒。
でも内容が違いました。
広東オペラみたいなのをやってた記憶があります。
歌謡ショーもあったけど、お芝居メインのような感じだった気が。
十数年たつといろいろ変わってくるんですね。

9/10の関東地方への記録的豪雨による茨城県常総市の水害のニュースには心を痛めるばかり。
翌日には宮城県でも洪水があり、テレビ画面やインターネットで伝えられる様子に自然の力の大きさを感じています。
河川堤防の決壊による大きな水害はその2か所のようですが、床下、床上浸水の被害はかなりあちこちで起きているようです。

微々たるものではあるけど、赤十字の義捐金口座に送金しました。

茨城県「茨城県台風18号等災害義援金の募集について」

群馬大の片田教授が話していましたが、どんなに高い堤防を作っても万全にはならない。危険を危険と感じ取って自分で身を守る行動が大事だ。その行動できる人間を育てることが防災だとのこと。本当にそうだと思います。
ここ数十年はそれ以前に比べて治水がかなり改善されてきて、台風の度に浸水するなどということは無くなっているようですが、それでも最近は台風の規模自体が大きくなる傾向もあり、ひとたび何か起きれば被害が大きくなるのですね。

私なんて防災意識がかなり低いので、戒めたいと思いました。

ところで、今回大きな被害の出た「常総市」、耳なれなくてどこのことかピンときませんでした。

「水海道」や「石下」といわれて、ハッとしました。
つくばのすぐ隣。
小貝川を渡った向こうなのですね。

小貝川と言えば昭和61年に大きな水害があって、その時も近くてびっくりした覚えがあります。

山には山の怖さ
平野には平野の怖さ
都市には都市の怖さ

それぞれ常にリスクをしょって生きていることを心したいと思いました。

アンモキオから電車を乗り継いで、チャイナタウンに戻ってきたのが22:30ごろ。

がその前にもうひとハプニング。
車の中に冷房対策のストールを置き忘れてきてしまいました。
気がついてはいて、「もういいや~処分してもらっちゃおう。」
と思っていたのですが、向こうから連絡があり「車に忘れ物したでしょ?ホステルに届けておきます」とのこと。

なんて親切なの~~~。

と、ホステルの目の前の道路を渡ったところに、見覚えのある車が停まりました。
そして車から私のストールを持った人物が降りてきました。
なんてタイミング!
無事ストールを受け取り、もう一度お礼をしてホステルに戻りました。

急いで荷物を詰め直します。
預けておいた荷物は特に引換証があるわけでもなく、宿泊客が勝手に持っていく仕組みでした。そこがホテルとは違いますけど、荷物を置いてある場所にはトイレもあり、シャワーもついていたので、きっとお願いすれば使わせてもらえるんじゃなかろうかと思います。

さて空港へ向かいましょう。
ここでタクシーに乗ればいいのですが、またもやけちけちしてみました。

グーグルで調べると、テロクアヤ駅からプロムナードまでMRTへ行き、そこからバスに乗れとの指示。
ホントにそのルートが速いんだろうか??

プロムナードの人影まばらなバス停でバスを待ちます。
私がのるバスは36番。

シンガポールフライヤーという観覧車が遠くに見えてます。
今回はそういう最新観光スポットとか全く行かなかったな~。
オーチャードロードにも足を踏み入れなかった。
マリーナベイサンズは遠くから見たけど、マーライオンは見なかったし。

あま、そういうシンガポールの旅もあっていいですよね。

無事にバスが来ました。
間違ったら怖いので、運転手さんに「空港に行きますか?」と確認して乗り込みました。
路線バスだけど、半分くらいは高速を走ります。
地図で確認するとあっという間に昼間来たカトン地区までやってきてます。
これからイーストコーストの住宅地を通って空港に向かうみたい。
空港のバス停はどうなってるのかな?
ちゃんと「ターミナル1」というバス停があるんだろうか?

最初ターミナル3で停まりました。
空港のバスはここ一箇所だけで折り返して行ったらどうしよう~~。
心配になって隣の人に「このバスターミナル1で停まりますか?」と質問。
停まりますよ~とのことだったので安心して乗ってたら次がT1でした。
ヨカッタ。
23:15くらいにはターミナルに入れました。
日曜の夜で道も空いてたしスムーズだったようです。

チェックインを済ませ、時間を見るとあと2時間はあります。
さっさと出国して、シャワーを浴びに行きましょう。
事前に調べておいたのですが、各ターミナルにあるラウンジにはシャワーだけ使えるところがあるそうです。
空港内の案内マップにもシャワーのマークが出ていてすぐわかります。
T1ではプレミアムラウンジというところでシャワーを貸してくれるみたい。
ラウンジの受付に行き、「シャワーを使いたいんですけど…」といって16ドル払います。
1400円くらいですね。

SHAWER ONLYという札を持たされて、シャワー係りのところへ連れて行かれました。
そこでシャワー個室の鍵を渡されます。

狭いのでうまく撮れてませんけど、個室の中には、洗面所、トイレ、ガラスで区切られたシャワーブースがあり、シャンプー&ソープ、バスタオル、ドライヤー、歯ブラシ、シャワーキャップ、綿棒などが備えてあります。

私のちいさなスーツケースなら広げるスペースも十分あり、シャワーを浴びて深夜のフライトに備えます。ヒートテックのタートルネックなど、まるで冬のような服装に着替えました。
冷房が強いので、それでも寒いくらいです。

残り時間あと1時間。空港内をぐるぐる回っていたら(さすがに12時もまわってしまうと、お店もどんどん閉まり始めてました)搭乗案内のアナウンスが流れたのでゲートへ行き、荷物検査を受けて搭乗しました。

午前2時。

乗り込んでみると満席でした。
行きは隣空席だったけどなぁ~。
とりあえず毛布を2枚もらって、寝に入ります。
機内食サービスなどもないので、かなり気持ちよく眠ったようです。

気がついたら夜明けでした。

この朝ごはんは良く考えられてます。
JALさん頑張ってますね。

スープストックトーキョーとのコラボらしい、かぼちゃのおかゆ、杏仁豆腐、カットフルーツ、サラダ。
量は多くないけど、寝起き&シンガポールで遊び疲れた胃腸にはぴったりでした。

定刻では9:50着でしたが、9:30には羽田につきました。
検疫、イミグレ、税関をささーっと駆け抜けるように通過して、9:50発の路線バスに間に合いました。
おかげで10時半前には帰宅できました。

今回大満足なシンガポール旅でした。
お世話になった皆さんありがとう~。

本日深夜の飛行機で帰国ですが、その前にやっぱり歌台を見に行きましょう。
今回歌台を見に来るきっかけになったシンガポール映画「881 歌え!パパイヤ」や「12LOTUS」に出演していた、歌台スター歌手の劉玲玲さんのステージは見ておきたいなぁ~。今夜彼女はどの歌台に出てるんだろうか?

あ、今夜もアンモキオへ行くことになりますね。
昨日行ったのとは違う場所です。
アンモキオでもいろんな場所で繰り広げられてるのですね~。

会場までは車で送ってあげると言われて、ありがたく送ってもらいました。
高速道路を通って行くので結構速く着きました。
週末は高速料金は無料なんだとか。

到着。
まだ始まってないみたいでした。
音が聞こえません。
団地の中庭という感じです。
団地の食料品店でお水を買って席を探します。

ここにもちゃんと祭壇が設けられていました。

まだ始まってはいないものの、椅子には結構人が座ってて、開演を待ってるようでした。
きょろきょろしてたら、一人のおじさんと目が合って「そこ空いてるよ」と目で教えてくれたので、座りました。
真ん中の席。カメラマンの後ろです。
なかなか良い席だ!
はじめて席に座れました!

ちなみに3日間ともあまり意識してなかったのですが、歌台では最前列を空席にするのが習わしだとか。
最前列は地獄の釜の蓋が開いてこちらに来た者たち=「好兄弟」の席なんだそう。
旧暦7月は「鬼月」ですからね。

じゃじゃーんと音楽が鳴って、司会者が登場するところから見ることができました。
司会は劉玲玲さんともう一人女性の二人組。
二人が掛け合いの漫才みたいなトークをしながら、どんどん歌手を呼んで、その歌手が2~3曲歌っていくという進行でした。劉玲玲さんはすごいです、衣装をどんどん変えてきます。
ゲストごとに変わってたんじゃないかな?
時々はゲストと一緒に歌い、またある時は一人で歌い。
トークし、八面六臂の大活躍。

やっぱり大御所、人気ナンバーワンの歌台歌手なだけありますね。

ゲスト歌手たちも出身地がマレーシアのペナン、ジョホールバル、インドネシア、シンガポールと様々。
なぜかみな若い女性歌手でしたが、みんな歌上手かった!!

会場もいい感じに盛り上がっていますが、そろそろ市内に戻って荷物を取って空港に向かわないと…。

会場のそばにフードコートもあります。
お客はまばらでした。

普通の団地の中が会場。
これ郵便受け。

今回初タクシー。
市内まで行ってもそれほど高くはないらしいけど、けちけちしてMRTの駅まで。5ドル。

イヨチューカン駅からMRTに乗ります。
市内までは30分くらいでしょうか。
ホステルまではもう少しかかるかな?

それにしても楽しかった。
3日目のが一番楽しめた。規模的にも歌手も司会者も。
機会があったらまたぜひ見に来たいと思いました。

歌台の時間中のつぶやき再録(日本時間)

20:15
3日目!やっと椅子にありついた。そして開始時間に間に合った。 http://t.co/57VHs2K8FF

20:24
始まりましたー。白牡丹。名曲ですね。 http://t.co/5VjHoC2qQv

20:47
歌えパパイヤみたいな二人組。 http://t.co/YQ7STj9K5u

20:53
知らない歌でも知らない歌手でも歌が上手ければ楽しめる。
シンガポールの歌台はそんな風にして楽しめる。熱帯の夜。
野外で演歌っぽい歌や、思い切りポップな歌を地元の老老若男女とともに楽しむ。
これはシンガポール旅行の目玉になりますよん。

20:57
次の歌手はペナン島から来たらしい、若い女の子。 http://t.co/cWHbbbMU32

21:05
福建語の歌が続きましたが、次は広東語。
たちまちMCも広東語に。すごいねー、ここの人たち。
で、知ってる曲だなーと思ったらBEYONDだ。「喜歡你」。名曲。

21:08
次の曲は、じゃんゆーしえんのだーはいとのこと。

21:09
張雨生?

21:09
大海?

21:20
次はインドネシアから来た歌手で、次のステージが9時にジュロンだそう。
やっぱりどんどん掛け持ちするんですね。
そしてMCがマレー語になる。おもしろーい。

21:26
この歌も知ってる。
台湾の懐メロだ、ウーバイが歌ってた。「暗淡的月」 http://t.co/Xa71iZLDEw

21:38
どんどん歌手が出てきます。
全部女性歌手だけど。今度はジョホールバルの人。
司会者の劉玲玲もどんどんきがえてくる。そして漫才みたいなしゃべりが続きます。 http://t.co/wPsOgspvh3

21:44
客席に座ってると募金箱を持った人が回ってくる。みんな募金してる。
それと、ステージの歌手にお金渡すお客さんもいる。
若い歌手たちだけど、みんな歌うまい。
この歌は歌詞の一部が字幕で出た。「孝行したいときに親は無し」って歌詞。

21:59
歌えパパイヤの続編みたいな映画があるのかな?
リンリンが、その衣装を着て映画の予告とともに歌ってました。 http://t.co/3kHuwm6Xkx

22:10
リンリン歌うまい。安定感安心感。
そして観客から愛されてるのがわかるなー。

22:12
MCもすごくなめらか。
面白い話して、病気の深刻な話をして、更に舞台上で着替える。
自由自在。

3時前にいったんホステルに戻ります。
3時に紹介してもらったシンガポールの人にまた会うのです。
今度は二人。
ホステルのロビーを待ち合わせ場所にしました。

どこに行こうか相談し「ラクサまだ食べてないよね?じゃ、カトンに行きましょう」となりました。
「今日は車だからどこでも行けるよ!」とのこと。

まず、今朝月餅を買った東興に用事があるというので寄りました。
ここの店主さんは友達らしい。
紹介してもらって、「今朝来て買ったんですよ~」なんていう話をしました。
「他のもいらないか?」みたいな話になり、買いたいものは買ったしな~などと思いつつも、ここは連れて行ってくれた人の顔を立てて、追加でいくつか美味しそうなのを選んで買いました。


(これは帰国して撮った写真、少し崩れちゃった)

そうしたら、お代はいらないよ~
なんてことで、結局お土産にもらってしまいました。
わっ。ありがとうございます。
次に行くときにはお土産を持っていこう。

シンガポールもそういう人情というか「友達の友達は皆友達」的な感覚有るんだなぁと思いました。

車に乗せてもらって出発~♪

着いたところはカトン地区。
今をさかのぼること20年位前、シンガポールのミュージシャン「ディック・リー」の音楽にはまって、一時はファンクラブにも入ってたのですけど、そのディックの生まれ育った町が「カトン」という話で、とてもいい町なんだとディックが自慢してたので一度行ってみたいと思ってたんです。

店の前に駐車スペースがあってラッキー。
路上駐車(パーキングチケットを置く)です。

カトンはラクサで有名な土地らしいですが、この店も有名店のよう。
中は気取らないファストフード店の感じです。
カウンターでオーダーして自分で持ってくるスタイル。

羅漢果と竜眼のドリンク。

ラクサ!
おいしい。
ここのラクサは蓮華だけで食べる。
お箸はありません。

魚のすり身を蒸したもの。オタオタ。
ピリ辛です。
おいしかった~~~。

たべおわったところで周辺の「プラナカン建築」を見て回ります。

可愛いお店!
雑貨とか服とかお菓子なんかを売ってました。
2階までも装飾が細かく、色遣いも独特で美しい。

1928年に建てられたんでしょうね。
シンガポールでは第二次世界大戦以前の建物を「プリウォー」というそうです。

玄関口のタイル

プラナカンの人たちは商売で成功して裕福な家が多かったらしく、装飾も凝っています。

一軒一軒色合いが整えられたテラスハウス。
とても美しい。

カトン地区には高い建物もなく、人もそれほど多くなく、のんびりした穏やかな時間が流れてました。

門柱のタイル。
美しい。
タイルがあるのは全部の家で同じなのですが、タイルのデザインが全部違ってます。

クーンセンロードというところです。
観光的にも有名なようですね。

少し歩いてお腹もこなれたので、デザートを!
とやってきたカフェ。
今回付き合ってくれたシンガポーリアンはカフェ好きのようで、いろんなオシャレなところを知ってるみたいでした。

この店は「シンポポ」という名前。
店内は、レトロな70年代のものがいろいろ配置されてて居心地いい感じ。
食事もできるみたいでした。

黒糖ゼリーココナッツミルクかけ。
とシンポポコーヒー(ばらーでローストしたコーヒー豆で入れたアイスコーヒーなのだそう)

美味しかった!

オレンジとバナナとパンダンのクレームブリュレだったかな???
大きいぞ!

メニューが面白かった。
学校の出席表を模してある。
同行者が学校の先生だったので「これ今も使ってるタイプ?」ときくと
「だいたいこんな感じ、でも表紙は緑色」だそうです。

楽しいカフェでした。
シンガポールは今こういう楽しいコンセプトのカフェがいっぱいあるみたい。
カフェめぐりも楽しそうですね。

帰ってきて調べたら、やっぱりこの店も有名店でした。
オールアバウトの記事

昔ながらのローカルスイーツがおいしいカフェSinpopo BRAND

さて、もう少し時間があるということで、イーストコーストパークに連れて行ってもらいました。
イーストコーストパークはシンガポールのダウンタウンとチャンギ空港の間にある海岸線に広がる公園で、シーフードレストランなどが並んでたりビーチがあったりと楽しそうなところなのでした。が、いつも時間がなくてここまでは足を延ばせなかったのです。

カトンからすぐ近く。
車なのでほんとすぐでした。

日曜日なので家族連れでにぎわっていました。
ビーチはセントーサと違って天然!
水はそんなにきれいではないですが、日本の海水浴場とおなじくらいかな?
でも白い砂のビーチです。

ビーチの向こうには大きな船がいっぱい。
東京湾のようです。

緑地の方ではサイクリングを楽しむ人が多かった。
二人乗り用の自転車をどこかで貸しているらしく、乗ってる人多かったです。

レストランやカフェも大きな建物で入ってて、シャワー室も無料で使えたり、整備されてる公園でした。

つぎは歌台です!!

さて、最終日です。
この二日ほどは割としのぎやすい天気でしたが、最終日は朝から晴れて暑くなりそうな感じです。

今日はもうホステルの朝ごはんはパスして、マックスウェルフードセンターへ直行。

まず水分補給。ライムジュース1.5ドル。

そしてぐるぐる回って、おかゆの店にしました。

一番小さなおわんで3ドル。
皮蛋と鶏肉のおかゆです。

シンガポールの風景って感じ。
このおかゆ、トッピングされているものがとても味濃くて、しょっぱかったです。
美味しかったけど。
身体に悪そうかも。


フードセンターからの帰り、エッグタルトの有名店「東興」へ。
ホステルのすぐ近くです。

私はあまり甘いもの店の情報などを知らない方なので、この店は初日に案内してくれたシンガポールの人が通りがかりに「友達の店なんだ~エッグタルトが有名なんだよ」と教えてくれたので、あとで行ってみようと思ってたんでした。

小ぢんまりとしてお店です。イートインコーナーもあってエッグタルト食べてる人いました。

季節というのもあるのかな?
月餅がずらり!
エッグタルトもそうですが、卵の入った月餅が好きなので有るか聞いたら「ありますありま。1個入りから4個入りまであります」という話。
2個入りを買いました。

「日本に持って帰るのできっちり包んでください」とお願いしました。

エッグタルトは、デザートに1個だけ買いました。
下の段のひし形のがそうです。
でもおなかいっぱいで、なかなか食べる気にならず。

ランチになりました。
持ち歩いているうちにぐちゃぐちゃに・・・涙。
でも味は美味しかったです。
すごくカスタードがゆるゆるだった。

今度は崩れないうちに食べるぞ!

ホテルに戻り、月餅を置いてから、チェックアウトの11時まで散歩することにしました。

チャイナタウンから、マーライオンパークの方まで歩いてみようかな~。
まだマリーナベイサンズとかおがんでないし。


前回来たとき何度も行った「ラオパサフェスティバスマーケット」
こんなに近くだったんだ。

日曜の朝なので、自転車のりのみなさんが集ってました。
後で聞いた話によると今シンガポールでは自転車が流行してるんだそう。
街乗りというわけではなくて、レジャーとしての自転車。
高級自転車が売れてるみたい。
そいいえば、何軒も自転車屋さん見かけた。

ワンフラトン。
座りにくそうなベンチ…芸術作品ですね。

マリーナベイサンズ!
ヘイズのせいでかすんでいます。

ワンフラトンに残す私の陰。


テロクアヤという新しい駅ができていました。
そのあたりのショップハウスもいい感じ。

10時半にホステルに戻り、歯磨きして化粧して、荷造りして。
11時チェックアウト。
大きな荷物は預けて、また街歩きGO!
博物館に行ってみようかな。

スタジアム駅。
かっこいい構造です。

シンガポール国立博物館。

常設展はクローズ中。
残念。


企画展。
50個のメイドインシンガポール。
シンガポール建国50年にちなんだ企画のようですね。

わにのマークでおなじみ「クロコダイル」はシンガポールの華僑のビジネスだったんですね~。
しらなかった。ずっとラコステと商標問題でもめてた印象ですが、ことの顛末が書かれていました。

フォートカニングの丘へ。
公園でランチ。
初日にティオンバルーのベーカリーで買ったマフィン(美味だった)とエッグタルトとミネラルウォーターでランチ。

フォートカニングの丘は、マレーの王様の時代から3回名前が変わったのだとか。

バナナの花
ここには、スパイスガーデンがあり、初めて植わってる胡椒をみました。

プラナカン博物館へ。

プラナカンとはマレー語で移住者を表す言葉のようです。
マレー半島へやってきたインド人やチャイニーズがこの地に根付いていく中で、独特の文化が生まれたのだそうです。

ディックリーの写真がありました。

さて、二日目の夜も歌台にいきます。
歌台情報は毎日新聞で発表されるのですが、私はフェイスブックに載ってくる情報を見ていました。
でも前日くらいにならないとわからないんですよね。

なのでお昼くらいになってのんびりどこに行くか考えました。


素直に考えれば、一番上の段に書いてあるところがきっと一番盛大にやる会場なんでしょう。
場所は…「アンモキオ」か。
ちょっと遠いけど、せっかくシンガポールまで「歌台」見に来たんだから、このくらいの距離をどうのこうの言ってられない。

グーグル先生に聞いてみると電車とバスを乗り継いで1時間くらいとのこと。

まずは、チャイナタウンから紫色のMRTでホウガンという駅を目指します。


ホウガン駅から、バスに乗るのですがここがかなり大きなバスターミナル。
発車するバスの情報がモニターに刻々と映し出されます。
が!
私の乗るバスの情報が全くありません。
なぜ?!

グーグルマップの指し示す場所に行ってみたら、ターミナルの外にバス停がありました。
これはかなり難易度高い。

結構ひとが待っていますね。

目指すバスが来たらみんな一斉に乗り込んでました。
2階建ての大きなバスだったのでなんとか席は確保。
これから30分揺られます。

こんな感じの郊外ニュータウンといった町並みが延々続きます。

会場に到着。
グーグルの検索で出てきたとおりのバス停で降りると目の前がこの景色でした。
頼りになりますグーグル先生。


そして会場は・・・・やっぱり大きい!
神様のお供えコーナーもすごい。


ステージははるか向こうです。


近寄ってみると、やっぱり宴会場になってました。
昨日見たテーブルよりも高級そうです。
そして、場内整理が昨日のとこより厳密で、宴会席に着く人以外はステージ近くまで行けない構造のようです。
ちぇっ。

でもご安心を。
一般人のためには、スクリーンが用意されていました。


ちゃんとプログラムもある。
この会場では13日間「歌台」が続くのだそうです。
そして毎日日替わりで「干支」にちなんだ抽選会などが行われるのだとか。

椅子にも座れないので、会場の後ろの端っこの方の床と段差のあるところに無理やり座ってたんですが、同じことを考えた人がやってきて、いろいろと話しかけられ、こちらもたどたどしい中国語で応じてましたが、どうやらその人と同じ干支(そして同い年!)とわかり、がぜん話が弾み始めました。

身分証も持ってきてなかったのですが、受付に行って抽選券をもらうことに成功しました。
また、会場のスタッフのお兄さんにも話しかけて、あの宴会席はいくらなんだとかあれこれ話してました。
どうも①テーブル10人がけで1000ドルなんだそう。

妙な展開で面白かったです。
でも歌台には集中できなかった。
~そもそも席もないので、立ち見はつらかった。

終電がなくなると嫌なので、10時半すぎに会場を後にしました。
10時半から抽選会という話だったのですが、どうも押しているらしくなかなか歌がおわらなかったのでした。
あとで電話して聞いたら、私の番号当たってたんだそうです。
もったいなかったな~。
タクシーで帰るつもりで最後まで残ってたらよかったかも^^;

帰りはバスでアンモキオ駅まで行って、MRTで市内まで。

チャイナタウンまでたどり着くと、深夜零時を回っていました。
お店はさすがにどこも閉まってました。
日中散策した、おしゃれなバーなどの並ぶエリアはどうかな~と思って行ってみました。
ビールのいっぱいくらい飲んで帰ろうかなぁなんて思いながら。

その通りまでいってびっくり!
ものすごい人が通りにあふれていました。
他の街はもう終わってるのに。ここだけまだまだ。
さすが土曜の夜。

でも混みすぎてて、ちょっとビールっていうのも難しそうな感じでした。
眺めただけで満足。
セブンイレブンでミネラルウォーター買ってホステルに戻りました。

このクラブストリートはまた次回リベンジしたいと思います。

ピープルズパークの前から、バスに乗って車窓からシンガポールの街を眺めようと思います。

シンガポールのバスは便利。2階建てパスも走ってるので眺めもいい。
本数も多いしバス停の案内も詳しい。
バスの番号ごとにすべての停留所が記載されています。
バス停の名前は番地が一番多いみたい。
Aft Bef Opp などの暗号がついた停留所も多し。
何度も乗るうちにだんだんわかってきました。

Aft:通りを渡った先の停留所
Bef:通りを渡る前の停留所 
Opp:建物なランドマークの目の前の停留所
違うかもしれません…

このビルは政府が立てたチャイナタウンから見える高層住宅。
分譲マンションらしい。
すごく高くなつてるって話。
もともと30万シンガポールドルくらいだったのが、いま100万ドル超えてるそうな・・・ひゃー。


乗ってたらどんどん郊外の方へ。
イケヤが見えてきた。
シンガポールのイケヤも大きいですね~。


郊外に行くバスはたいして景色が変わらないので、地下鉄の駅が近そうなところで降りました。
P&Ḡの大きなビルがありました。


地下鉄に乗ってリトルインディアにやって来ました。
シンガポールには何度も来てますがここにはまだ来たことがない気がします。


駅を降りると八百屋街。


見たことない野菜もありました。
チビチビゴーヤ。かわいい。
ナスのきれいな色!


インド人街の道の飾り付け、チャイナタウンとはまた一味違います。
チャイナタウンのは「中秋節」の飾りつけって話だったけど、ここのは何だろう??


カラフルな建物。
この建物は、チャイニーズの有名な人が昔住んでいたところらしく案内板がありましたが、日本語の説明はありませんでした。
この家の前に公衆トイレがありました。
有料で20セント。


今夜も歌台に行くので、早めの晩ごはんをたべます。
ずーっと昔からガイドブックなどで名前だけは知ってた有名店「バナナリーフアポロ」。
バナナの葉っぱの上にカレーを盛りつけてくれる店です。

さて何を食べましょうか?
周りを見るとみんなけっこうな人数で来てる人ばかり、大きめの皿に盛られた料理をいくつも並べて、みんなでシェアしてるようです。
一人だとそうはいかないよなぁ…一人用であらこれ食べられるのは何かな?
さんざんメニューを吟味して、ベジミールスはびりや二セットかで迷い、最終的にマトンビリヤニというのを頼みました。

正解だった!

ビリヤニって言う炊き込みご飯みたいなものと野菜の付け合せ2種、サンバル、マトンの煮込みです。


店内の様子。
広いです。


シンガポールにもこの呼び出しボタンあるんですね~。
便利。
空いてたから使いませんでしたが。


飲み物はライムジュースと食後に「テタレ(ミルクティー)」。
お勘定。
16.35ドル=1400円くらいです。

さてお腹も膨れたので、いったん宿に戻り、遠くを見るメガネをもって今日の「歌台」会場に向かしましょう。

マックスウェルフードセンターには飲み物のお店も何軒かあります。
スイカジュース1.8ドルを飲んで、トイレにも行って、チャイナタウン散策へでかけます。


マックスウェルから奥に入った路地のショップハウスはおしゃれなレストランやバーになっています。
台湾もそうですが、こういう建物の1階部分の通路は私有地とおもわれます。
オープンエアの席として自由に使えるんですよね。
とっても雰囲気有りますね。


落ち着いた街並み。


こういうものをいくつか見かけました。
「李」一族の同族会みたいなものなのでしょうか?


その名も「クラブストリート」。
オシャレなバーやレストランが立ち並んでいます。
夜にもう一度来よう!


おしゃれバーの連なるとこの裏。
ここは気取らない裏の顔。


こんなところに、神様?!


チャイナタウンにはアンティークショップも多い。
高級お土産屋さんですね。
この店は綺麗な品揃えでした。
博物館みたいで思わずいろいろお店の人に聞いちゃった。
でも半分も理解できず(悲)
買おうと思えば買える値段の小物入れとかお皿とか。
でも、今家のものを減らしてるところだから、我慢。
また来よう。


ここはごみごみした感じの店だったけど、店主さんが書家らしい。
自分の作品もいろいろ売ってた。


宿の目の前にあるヒンズー教の寺院へ。
ドレスコードの説明は写真で。
わかりやすいですね。
裸足で入ります。


中はこんな感じ。
観光地にもなってると思いますが、ほとんど人がいなくて静かでした。
黄色いチェーンより奥には信者しか入れません。


チャイナタウンの駅の方へ行ってみます。
行列の出来てたお店。
牛肉干みたいなの売ってました。


チャイナタウンはチープなおみやげを売る露店も元気。
ここら辺はWIFIも提供していて、屋外でも電波をキャッチできるらしいです。
いろいろおもてなしの工夫をしていますね。


ピープルズパークコンプレックス。
旅行社とマッサージ店がひしめき合ってるビル。
こういうのが昔の東南アジアの都市のイメージだったなー。
始めて来た頃のシンガポールでこういうビルに入ってるマッサージ屋さんに行ったことありました。
もはや懐かしい感じを求めて人々がやってくるのではないでしょうか。

このビルは足つぼマッサージ30分15ドルが相場でした。

ここからバスに適当に乗って、あてのない旅をしようと思います。

二日目の朝です。
起きたくなるまでゆっくりすることにしました。
のんびりしすぎて、朝ごはんの終わりぎりぎりに滑り込み。

朝ごはんは泊まっているのとは違う建物のロビーで。
ここにフロントもあります。
コーヒーはインスタントだけどまあまあの内容。

パンは自分でトーストします。
食べなかったけど。

宿泊客がおいていったと思われるガイドブック。
新しい。
「ゴールデンスランバー」もある。


カフェとしても使えるらしい。
ボトルワインも置いてあります。


この自転車は借りられるのかな?
結局確認しないままでした。


宿の階段。いい感じ。
踊り場には鏡があり、ここで身支度してる人もいました。


裏~2階の洗濯物干場~から見たとこ。
ショップハウスの裏側って、いい味がありますね。

しばしのんびりして、早めの昼ごはんを食べようと、ホーカーセンターへ行くことにしました。
宿から歩いてすぐに有名な「マックスウェルフードセンター」があります。
ここにいつも行列の出来てる海南鶏飯のお店「天天」があるのです。
いままでは並んだことありませんが、今日は先を急ぐわけでもないので並んでみます。
私の前に20人くらい並んでいました。
お店の人も慣れたもので手際よくお客をさばいていきます。
すぐに順番が来ました。

普通のチキンライスだと3.5ドルらしい。
一匹丸ごとなんていう注文もできるようです。
人数がいればそれも楽しそう。


間違いなく美味しい。
つけだれはにんにくソースでした。

相席したおじさんが美味しそうなの食べてたのでどこの店のか聞いてみた。
指差した先がここ。

ここもかなり行列できてた。
おじさんと中国語でいろいろ話してみた。
半分以上はわからないけど楽しい。
相席の楽しさ。

今日は紹介してもらった人の都合が悪くなったので、一人で一日行動する日となりました。
さて、どこに行こうかな?

歌台は毎日いろんなとこでやってますが、今日は近場へいく事にしました。
夕べねてなくて疲れてることですしね。
地元の方のアドバイスに従って、コモンウェルスという駅の近くでやってるところに行きました。

ティオンバルー駅から3駅くらいのところです。


駅を降りてしばらく団地の中をあるきます。
住宅地の芝生公園にテントを張ってやってるようですね。


シンガポール建国50年を祝う敬老会も一緒にやってるようで、たくさんの丸テーブルに老人たちが大勢座ってました。

ステージ前にはそれより若い人たちがいましたが、もう席がありませんでした。
歌台は入場無料です。
多分食事をしてる人は招待されているか、お金を払っていると思われますが。

仕方なくしばらく立ち見することにします。

ミニスカートのダンサーをしたがえ歌う女性歌手。

もともとは施餓鬼の行事なのでお供え物があるんでしょうね。
立ち見も疲れてきたのでステージに背を向けたベンチを見つけて観客を見ながら歌だけ聞いてました。
夜風が涼しく気持ちよくて眠くなってきました。
昨日はろくに寝てないから無理ないですね。
このままここで眠りこけるわけにはいきません。
雰囲気は味わったし、そろそろ帰るとしましょう。

出し物は福建歌謡が中心ですが、「月亮代表我的心」やテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ(の中国語バージョン)」など、知ってる北京語歌もありました。

いつの間にか、歌手が男性に変わっていました。
遅い時間になるほど人気のある歌手になるのかもしれません。
宴もたけなわとなり、客席に降りてきて観客と踊ったりしながら歌ってます。
誰かを思い出させるなぁ。

すごくいい雰囲気です。

しかし、九時くらいに電池切れとなり会場を後にしました。
地下鉄でチャイナタウンまで戻り10時過ぎには寝ました。
ドミトリーは静かでよく眠れました。

ただ、冷房が寒すぎる。
スイッチを探しましたが、リモコンが見当たりません。
誰かが隠してるのでしょうか???

チャイナタウンのホステルにチェックインします。
ショップハウスというシンガポール独特の建物を改装したホステルです。


私の部屋はこんな感じ。
この部屋は女性専用のドミトリーです。

そして私のスペース。
けっこう居心地良しです。


ロッカーにかばんが丸ごとはいるし、鍵もかかるし。
なかなか考えられています。
備え付けられているのは、枕二つ、掛け毛布、バスタオル、ハンガー1個、それに耳栓。
12~14人部屋でした。(ちゃんとベッド数えなかった)
バスルームが部屋の中にありトイレ&シャワーが2つありました。


簡単なカギだけど安心感有りますね。


コンセントは各ベッドに2つずつあるようです。
今は電源重要ですからね~。
しかもマルチ仕様でBFタイプ買って行ったけど使わないで済んじゃった。

昼間なので部屋にいる人は少なく、今のうちに荷物の整理をしちゃいましょう。
スーツケースをあけるのはもう帰るときだけでいいように、滞在中に使うものを外へ、使わないものはスーツケースに入れます。

4時、これから紹介してもらったシンガポールの人と会います。
一人旅は構わないけど、一人ご飯はちょっと寂しいなーと思って、シンガポールによく行く友達に現地の人を紹介してもらったんです。
インターネットでやり取りして、4時に待ち合わせ。
肉骨茶を食べに連れて行ってもらいます。

向かったのはテイオンバルーというエリア。

これが肉骨茶です。
漢方入り肉のスープって感じかな。

美味しい!

次におすすめのカフェに行きました。

この地区は古い建物をリノベートしておしゃれなカフェやお店がどんどん出来てるらしい。
住宅も多いのですが非常に高いらしく、「外国人が多い」とのこと。
シロカネや麻布って感じでしょうか?

罪なほど甘い塩キャラメルタルト。
食べ終われなかった。
でも隣の女の子、同じもの頼んでてペロリと平らげてた。

中国語と英語でがんばっておしゃべり。
なるべく英語を使おうと努力しましたが単語が全然出てこない・・・・。
それでもやっぱり異文化な人と話をするのは楽しいものです。

PLAIN VANNILA

次は今回の旅の目的「歌台」へ向かいます。

今年の夏の海外旅行はシンガポールです。
去年からもくろんでいたのですがやっと実現しました。
何度も書いていますが、今回のメインの目的は「歌台」を見ることです。

私の仕事場では7~9月の期間、お盆やすみとは別に2日間の夏休みが取れるのでそれと土日をつなげて4連休にしました。
木曜の仕事を終えて、いったん帰宅してから羽田に向かいます。


シンガポールへ。0時05分発。


機内食。
これは朝になってから出たものです。
乗り込んですぐはカレーパンみたいなものが出ました。


到着しました。時差は一時間。
シンガポール時間で午前6時。


空港のインフォメーションカウンターでWIFI申し込みしてパスワードもらいました。
6時間有効。
SMSを受け取れる携帯を持っている場合は、カウンターに行かずに手続可能です。


両替屋さんで電話のSIMを購入。
データ通信のみ5日間のプランで18ドル。
30ドルくらいは覚悟していたので、18ドルのがあって助かりました。
設定はおねーさんがやってくれました。


MRTで市内へ移動。
JALの着くターミナル1からはスカイトレインというターミナルをつなぐ電車に乗って、T3まで移動します。


券売機。昔来たときに買った「EZLINK」というSUICAみたいなカードを使ってみたのですが、全く反応せず。
仕方なく現金で買いました。
到着駅の窓口できいてみたら「これもう古くて使えません」
と言われたので、新しく買い直しました。
12ドルでうち5ドルはカード代、7ドル運賃分です。

車内は貨物列車みたい。
車両によっては椅子がありません。
そのくらい激混みになるってことなのかな??


途中、タナメラという駅で乗り換えて市内へ。
朝のラッシュ時間にかかりはじめたようです。
シティ駅で下車。


スパへ。
フェアモントというきれいなホテルの中にあります。
ここも昔は違う名前のホテルでしたがどんどんオーナーが変わりますね。


お風呂に入ったり、マッサージ受けたり、ごろ寝したりで夜行便の疲れ取ります。
マッサージは税サービス料込で170ドルの1時間のトラベラーリカバリーコース。
この内容で15000円くらいなので、シンガポールのスパは都会にしてはほかのとこより割安感がありますね。
仮眠室でゴロゴロもして宿のチェックインの時間までゆっくり。
2時までいました。


到着早々ですが、もうチャンスがないかもしれないのでシティ駅にあるスーパーでお土産の買い物。
お寿司は赤い色味のネタ多い気がします。


魚売り場。
氷の上に魚が泳いでるみたいに展示されてます。


ドリアン3房30ドル。
高い!
季節を外してるのかな?
この後外でもあまりドリアン売ってるところなかった。


ラッフルズホテルを通ってバス停へむかいます。
中庭で壁のペンキを塗ってました。


窓の大きなバス。
ばすでもEZLINK使えます。
乗るときと降りるときにカードリーダーにタッチします。


チャイナタウンに来ました。
飾り付けは中秋節向けらしいです。


ヒンズー教の寺院。

初日前半はここまで。
午後二時半です。
宿にチェックインします。