コンテンツへスキップ

今回の台湾行きで使った中国語について。
中国語はかなり錆びついてきています。
わかっていたことですが、レッスンをやめて3年くらいたちますし、新たに勉強してないし、どうしても退化していきますね。

それでも今回はいろいろ話したような気がします。大して話せもしないのに自分からどんどん話しかけていくという姿勢が自分にありました。これは語学力の問題ではなく、ずうずうしくなったということでしょうね。オバサン化しているのかもしれません。なんだか、昔なら「恥ずかしいな」と思っていたようなシチュエーションで、どんどん話しかけてるんですよね。

たとえば・・・

チェックインしたホステルで、エレベーターで乗り合わせた青年に
「チェックアウトしたところですか?このホステルいかがでした?」と話しかけたり、

また別の日の朝、自転車でホステルを出ていく青年に
「今日はどこまで行くんですか~?」と聞いてみたり。

パン屋さんでお目当てのパンがなかった時に
「昨日買ったパンがすごく美味しかったんですけど、今日は出てないですね」
とか言ってみたり。

良くいくレストランでお気に入りの料理が出てきたときに
「これ一番好きなんですよ~」とお店の人に話しかけたり。

映画館のチケット買う時も、担当との人と話をしながら席をいろいろ選んでみたり。

今までなら、黙っていただろうシチュエーションで話しかけているのです。おかげさまで結構中国語で話をした感じがします。台湾の友人ともお昼食べてお茶して…っていう時間ずっとしゃべり倒していたし。イベントの時も同じテーブルの見知らぬ人と軽くおしゃべりしたし。

文法、発音、相当にめちゃくちゃですが、コミュニケーションをはかる道具として使えているかと考えると、今までで一番いい出来だったかもしれません。


今年で2回目か3回目になる台湾の音楽イベントです。
台湾でもいろいろな音楽イベントがあり、特に「スプリングスクリーム」というイベントは開催規模も大きく有名です。FUJIロックみたいなものかな?

以前の記事
搖滾辦桌ROCK BANDOH! ってどんなイベント?

ただ、この「搖滾辦桌 ROCK BANDOH」というのはユニークな特徴があります。
それは、ステージを見ながら宴会ができるというもの。

辦桌というのは、このブログでも何度か書いてると思いますが、野外などで丸テーブルを出して宴会するという台湾(というか中華の)習俗ですね。台湾では昔は結婚式などもテントの下などに設営して、丸テーブルをだしお客さんは招待されてるされてないにかかわらず、好きな時間に来て空いてる席に座ってご馳走を食べ、好きな時間に帰る「流水席」というシステムだったそうです。いまは結婚式場やホテルでの披露宴も増えてきたようでよほど田舎に行かないと流水席というのはやってないのかもしれませんが…

このイベントでは、「辦桌」のチケットがあり、それを買うと宴会料理付きでステージが見られます。
2600元(1万円)だったからけっこうなお値段ですけど。’食事のつかないチケットは1600元なので、食事分は1000元ですね。

ちなみに「辦桌」は中国語(マンダリン)では「バンジュオ」と発音しますが、台湾語では「バントォ」と言います。「ROCK BANDOH」というのはそっちの発音から来ているわけですね。

チケットはネットで日本から購入。
台湾に行って、コンビニで発見するという大変便利な方式でした。
そのチケットを会場でさらにこの腕輪に交換します。

イベント会場は、2010年に花博をやった会場。今は花博公園になっています。
そこを二つのエリアに分け、各2つずつのステージを設営し、お客さんは自由にそのステージを巡ることができます。


これは日本のバンド「DIR EN GREY」の演奏。
長髪の人、頭振りすぎで外れないか(!)心配になりました。

ステージエリアは有料でチケットが必要ですが、その周りにはいろいろな屋台やチャリティーショップなどもでていました。青空理髪コーナーやシルクスクリーンのワークショップみたいなのとかが面白かった。全てチャリティーで原住民の子供たちの音楽活動に使われるとか聞きました。

搖滾辦桌2015公式サイト

私は夕方会場に入り、主にお目当ての陳昇が登場する方のステージ「台湾味舞台」に行って見てました。
辦桌もこの「台湾味舞台」の方に設置されています。


食事用テーブル。
ちゃんと指定席になっています。

到着した時にちょうど女性歌手の「魏如萱」が始まるところだったので、後ろの方で見ていたら陳昇があらわれたようです。
周りの人が「陳昇がいるよ!」みたいに教えてくれたので、近づいて行って、挨拶し写真を撮ってもらったりしました。
ツイてる!

「昨日の桃園も見たんですよ~」
というと
「昨日と同じ衣装なんだ」
ときまり悪そうにしていたのがちょっと面白かった。


私がとってあげた男性ファンの写真。
陳昇さんなぜそんな変顔を?

実は、陳昇が何時にどこに出演するかは知らなくて、賭けみたいな感じでチケットを購入しました。もし陳昇が出る時間と食事の時間が重なっててしかも会場が別だったら…と思いましたが、ふたをあけてみたら陳昇は食事会場の舞台で、しかも食事の終盤からの登場だったので、陳昇ファンには一番いい塩梅でした。

食事のチケットは高額なので特別待遇です。
食事時間の前に、会場からお客さんは一旦外に出され、食事チケット持ってる人だけが舞台前にも行ける形です。
食事の時間は「董事長樂團」というバンドが登場し、ノリノリの音楽と演奏してましたが、お客さんたはまだ食事に夢中で舞台前に行く人は少なかったようです。食事チケットの無いファンたちは舞台の袖近くに集まって盛り上がってましたが、舞台前ががらんとしてるのはバンドとしてもちょっとやりにくかったかも?


料理の一部。

「董事長樂團」の演奏時には、陳昇やバンド関係者たちも一般のお客さんと同様にテーブルに座って食事していました。
途中で、陳昇も董事長樂團のステージに飛び入り。その隙に、陳昇テーブルにいる知り合いに挨拶に行きました。日本から来てるってことで喜んでくれて、ワインを一本もらって自席にもどりました。
で、周りの人たちとワインも楽しみました。

陳昇のステージが始まるときには、食事もほとんど終わっていたので、舞台前に行き、最前列で見ることができました。

高いお金払って辦桌席チケット買ってよかった!
残念ながら一組の持ち時間はわずか40分でしたが、食事もできたし、同席になった知らない人たちと話もできたし、得難い体験だったといえましょう。


会場に貼ってあった食べ合わせ表?

日本からも来てた人他にもいました。
一人で来てる人も結構いたし、台湾の人は親しみやすいので、もし外国人が一人で行っても寂しい思いすることはないと思います。
興味がある方、来年ぜひ、このとっても台湾らしいロックイベントにチャレンジしてください。

10月16日の台湾での封切り直後に見ることができました。ラッキー。

この映画のことは日本人の台湾好きの方から教えてもらいました。
ちょうど岡部さんの講演も聞きに行ったし、すごくいいタイミングでした。
見に行ったのは、宿の近く西門町のシネコン。
西門町は映画の街でもあるのです。
チケットはコンビニでも買えるんですが、宿から劇場が近かったので前日に窓口まで行って買いました。窓口で買えば手数料いらないし、席も選べます。
前売り買ってて良かったです。土曜日だったせいか満席でした。

場所柄なのか、若い人が多くて意外でした。
台湾の若者たちが、こういう日本人がいたってことを知ってくれるのはとても嬉しいですね。

映画の内容は、ドキュメンタリーです。
戦前台湾で生まれ育ち、終戦で日本へ引き揚げてきた、いわゆる「湾生(わんせい)」を中心に取り上げています。ほとんどが日本語で進行していくので、字幕を見る必要もなくストレスなく理解できました。

映画のプロローグとエピローグには、先日高崎の岡部さんの講演会のお世話をされていた、清水さんが登場していてちょっとびっくりしました。

引き揚げ後、生活基盤を日本に移しても台湾への望郷の思いがつのり、生まれ育った場所や昔の知り合いを尋ねあるく湾生に密着する部分、また親は日本人ながら、台湾人に里子に出されて育った湾生の子や孫たちが、彼女の日本人の母の墓を日本で探す課程に密着する部分、その他いろいろな湾生がでてきます。特に東部の花蓮港あたりで開拓移民として入植した人たちは、自分たちの耕した土地ということもあるのか、故郷への思いが強烈なようでした。

湾生の望郷の念に思いをよせると心が絞られるような切なさを感じました。
台湾での評判も「ハンカチが手放せない!」というようなものだったようです。
場内からは鼻をすする音がひっきりなし。
私もこみ上げるものをこらえながら最後まで見終わりました。

湾生の子供らが、自分の親がなぜこんなに台湾にこだわるのか理解できない、という話も出てきます。この辺、ただノスタルジーに終わらず、歴史を今へとつなぐ視点だと感じましたし、人間の普遍的な性分を描いた部分ともいえると思いました。(実は私が一番深いな~と思ったのはこの点でした)

自分が湾生の子孫であるということを別にしても、いろいろ考えさせられる映画でした。

湾生の一人として登場する冨永さん、とても魅力的なおじいさんで、機会があったらぜひお目にかかりたいと思いました。なんでも封切初日には台湾に招待されて舞台挨拶があったとか。台湾の観客の前で、台湾語であいさつして大うけだったとか。

冨永さんが台湾語を話すシーンは、私の見た劇場でも「どわっ」と盛り上がっていました。

また映画の中で、湾生の戸籍が今も台湾の役所に保管されているというくだりが出てきます。
うちのばあちゃんのもあるのかな?
もしあるなら見てみたいとおもいますが、映画の公開で同じことを考える日本人が急増して、台湾の役所に迷惑かけるかもしれませんね。

映画《湾生帰郷物語》7分間予告篇

<台湾>「湾生」という日本人…ドキュ映画が大きな反響(毎日新聞)

終戦から70年、「湾生」と呼ばれる人もどんどん少なくなっていきそのうち忘れられていってしまうでしょうね。
日本でも公開されるといいなぁ。
というか、日本でこそ公開すべき映画ですね。
その時はぜひうちの家族にも見てほしいと思います。

今回の台北行きのお金をまとめます。 1台湾ドル約3.7~3.8円

●交通費など 
飛行機 バニラエア(成田桃園往復)   ¥26,130
空港バス アクセス成田         ¥1,000
スカイライナー ¥2,200
空港バス 125×2=250NT
悠遊カードチャージ    500NT
 ※悠遊カードでは、MRT、バス、桃園までの往復のほかコンビニでの買い物等も含む(200NT位は残った)
計 ¥32,180

●宿泊費(4泊)
成田ビューホテル1泊          ¥4,600
ネクストタイペイホステル3泊  1820NT ¥6,880
計 ¥11,480

●通信費
電話チャージ(7モバイル)     250NT
新SIMと3日間ネット(台湾モバイル) 300NT
計 ¥550NT  ¥2,000

●遊び
コンサート     2600NT
エステ      2100NT
映画       290NT
計 4990NT  ¥18,800

●食事など
初日
 昼 イカのとろみスープなど 100NT
 パン 75NT
 紅茶 35NT
 夜 鍋(ご馳走になる)
2日目
 昼 ワンタン (ご馳走になる 90元)
 明星コーヒー (ご馳走になる 180元) 
 スタバコーヒー  115NT
 湖南料理(彭園) 1056NT/2人 = 528NT/1人
 パン 90NT
3日目
 昼 鶏家荘  572NT
 くまモンカフェ  120NT
 コーヒー   120NT
4日目
 コーヒー    10NT
 昼 空港ご飯  220NT

 機内コーヒー 200円
 機内お茶  200円

計 1985NT  =7,900円

●お土産など買い物
ロイヤルホテルのヌガー 380NT  
阿原の石鹸 300NT
当代芸術館のテープ 190NT
雨合羽2つ 60NT
パンとスコーン     141NT
機内 梅酒  900円

計 1071NT  ¥4,900

しめて 77,260円 でした。
安く上げたつもりでも、それなりに使ってますね。

台湾で初めてホステルに泊まってみました。
いつも台湾に行く時は旅程が忙しいので、宿は快適じゃないと体力消耗するなどと思っていたわけですが、こうも宿代が高くなってしまうと、やはりその価格は魅力。 ホテルの場合、私がよく使ってたような安めでちょっとキレイなとこが一泊3000元くらいするようになってきたので、一人旅だと負担が大きい。トイレやお風呂が共用になる不便を我慢すればいいだけのことです。

今回はbooking.comで探した西門町の「ネクストタイペイホステル」にしました。
女性専用ドミトリーで、3泊1820元。
今のレートでも1泊2300円位です。ホテルとの差は歴然。

場所は西門町の繁華な通りに面した雑居ビルの9階と10階。


殺風景なエレベーター。

エレベーターを下りるとフロントです。
ホテルのようなロビーはありません。
初日チェックイン前に荷物を預けたんですが、荷物を整理できるような椅子とか台もありません。

料金先払い。カードも使えます。
手数料が上乗せされる事などはなかった。

下の階はフロント、客室、女性用のトイレとシャワー。上の階が共用キッチン、リビング、男性用のトイレとシャワー。ベランダ(喫煙&洗濯物干しスペース)
まだ出来て新しいようで、内装はピカピカでした。

フロントでスリッパに履き替えます。
沢山用意されていますが、共用なので気になる人は持参してもよいかも。


ベランダ(兼喫煙スペース)


ベランダからの景色、夜。


ベランダからの景色、朝。

ドミトリーは6~7部屋あり、男女共用タイプの他に女性用がありました。
私の泊まったのは女性用で4人部屋でした。
多分一番狭い部屋だったと思います。おかげでとても静かでした。

シンガポールでもベッドは横向きで、長い辺部分が開口部でしたが、他の部屋を覗いてみると、うなぎの寝床タイプもありました。

今回も上の段。
気分は良いけど出入りが面倒くさいですね。

ベッドには読書灯、コンセント2口(マルチタイプ)、収納式の小さなテーブルもあり、奥の壁は鏡っぽくなっていて何かと便利でした。

部屋に鍵のかかるロッカーがあり、リュックはそこへ収納しました(はじめは上掛け布団とシーツが入ってました。)他の人はスーツケースだったので部屋の奥の方においてましたが、空間はそれなりにあったので邪魔になるようなことはなかったし、私物をあちこちに置くような人はいなかったので快適でした。

部屋は飲食禁止。
部屋ごとにWIFIがあり、入りも良かった。
共用スペースにもWIFIあり。

ベッドには防炎遮光のロールスクリーンがあり、下ろすとちょっとした個室になります。

各部屋のドアはかなり防音がきいてて、廊下の足音など全く聞こえなかった。
この辺りはそのへんの安いホテルに比べても格段に静かだったといえますね。
勿論同室の人がうるさいとかその時のタイミングもあるでしょうけど。

タオルはなし。ハンガーも無し。
ベッド足元の壁にフックはあったので、ちょっとはかけられるけど、長いものは無理。
冬の旅行では上着が邪魔になりそうだなー。

トイレとシャワーは4つ。
洗面台は6つ。
並ぶようなことはなかったけど、時間帯により床が水浸しになってました。

シャワーは暑いお湯がたっぷり出て快適。着替えるスペースがないのはまぁ仕方ないですね。着替えは濡れないようにビニール袋に入れてシャワー室に持って入って棚に載せときます。シャンプーとボディーソープは用意されています。シャワー用にビーサン持って行ったんですが、このホステルは土足禁止だったし、シャワーもトイレと分かれてたので、素足で入ることに抵抗はなかった。

キッチンには簡単な調理器具や食器、コンロ、電子レンジがあり、コーヒーマシンもありました。
コーヒーは10元で飲めました。お茶は無料。
冷蔵庫は持ち主の名前を書いて入れておくシステム。
この部屋もみんな静かに使っててあまり交流などはなかった。
テレビを見てる人、ゴロ寝してる人、勉強してる人、パソコン使ってる人、ご飯食べてる人、みんな好きなように楽しんでいました。

洗濯はしなかったけど、濡れたタオルを毎日干してでかけました。
洗濯機とかはみあたらなかった。

滞在の感想はかなり良い印象です。
リピートありです。
でも他のホステルも体験したい。

NEXT TAIPEI HOSTEL
公式サイト

何と日本語のページがある!

フロントの人は皆若者たちでした。中国語と英語を使います。
チェックアウトするときの係の人は片言の日本語を話していました。

今日はもう帰るだけの日です。
荷造りは昨夜のうちにすませておき、目覚ましを6:30にかけました。

6:30起床、洗面などすませて、7時チェックアウト。

歩いて台北駅まで行こうと思いましたが、多少荷物も重いなぁということで、大通りの中華路に出たらすぐバスが来たので、1停留所分だけ乗りました。便利。

台北駅そばの「台北西バスターミナル」から桃園空港行の国光号に乗ります。
125元(500円弱)

7時半ごろ出発して空港を目指します。

ここ数年はずっと台北市内の松山空港を使っていたので、久しぶりの桃園行バスです。

車窓から見える景色がほんとに変わりました。
台北市内を出てもずっと高層マンションが続きます。

2日目に桃園に列車で行きましたが、行きも帰りもぎゅうぎゅうづめで、人の多さを実感しましたけど、こういうことなんでしょうね。

途中渋滞もありましたが、無事空港に到着。
バニラエアのチェックインカウンターで手続きしてすぐに出国。
空港のカフェで定食を食べました。
220元(800円くらい)
機内食でないので腹ごしらえです。

水が売ってなくてウロウロしました。
自動販売機があるのですが、全部売り切れ。
別のゲート方まで遠征して無事500MLのペットボトルを購入。20元(80円弱)

桃園空港ではボーディングブリッジを使っての搭乗でした。
快適です。

帰りは窓際の席で、景色を眺めてました。

桜島、宮崎、富士山など見えました。
特に桜島はくっきり見えて感動しました。

定刻より速く午後3時15分には到着しました。

機内でスカイライナーの優待チケットを2200円で売っていたので購入し、帰りは4時のスカイライナーにしました。バスなら東京駅まで1000円ですけど、速くて快適ですね、スカイライナー。

最寄りのターミナル駅まで戻り、鍋焼きうどんを食べていたらどんどん疲れが襲ってきました。
7時前に帰宅し、ばたっと倒れるように寝床へ。

翌朝、活動量計で睡眠の様子を見たら、7時半から10時間寝ていました。
やはりいろいろ疲れていたようですね。

朝6:30うなされて目が覚めた。
心臓バクバクするので、ベランダで少し外の空気を吸った。

でも、昨夜遅かったから二度寝。

9時過ぎ、同室の子のアラームが鳴り続け、部屋にいられず起き出す。
シャワーを浴びて、朝ごはん。


キッチンでは10元でコーヒーが飲める。

昨日買ったタルトとコーヒーで。
12時頃までキッチンでのんびり。

西門から中山までMRTで直接行けるようになって便利。


当代芸術館へ。
先日講演を聞きに行った岡部さんの母校、建成小学校の建物です。


煉瓦造りでとても立派です。
終戦後は台北市庁舎として使われていたのだそう。


中は次の展覧会の準備のためか、一部しか公開してませんでした。

中山市場


こんな表示前からあったっけ?


ガラ空きかと思いきや、全部予約席で2時間待ちだそう。写真だけ撮らせてもらいました。

一人で食べるのはちと苦しいけど、美味しいのです。


プリンも美味しい。

ロイヤルホテルのヌガーを買う。
380元。

キャッシュコーナーには、振り込め詐欺注意のステッカーがー
台湾でも多いらしいです。詐欺。

再度くまモンカフェへ。


街歩き。
この日本時代の建物ももうすぐ壊されるんでしょうね。
私が台湾に通い始めた十数年前には、まだまだ台北にもたくさんこういう家があったけど。

初日に行ったパン屋にまた行ってみた。三回目。台湾バジルとドライトマトのパンを買う。

一旦宿に戻って荷物を置いて再度お出かけ。

霧雨が降ってきたので合羽を購入。一番安いのはなんと19元。コンビニだと39元。

台北駅地下街で、携帯電話の液晶保護シールを購入。99元。

いろいろ済ませて、今回の台湾旅行のメインイベント、「ロックバンドゥ」という音楽フェスへ。


ご飯が出るのがこのイベントの面白いとこ。

5時半から10時頃までいました。

一緒に行った友達とお茶して、宿には11時頃戻りました。


いい天気。


阿宗麺線は今日も人がいっぱい。


イングレスするようになって、この手の史跡の案内図にことさらわくわくするようになってきた。


中山堂。


戦後70年にちなむ展示


友人と待ち合わせランチ。


大きなワンタン。これで小。90元。


老舗、明星珈琲店。


目の前の廟ではお祭りやってました、道路にステージが組まれていました。


裏に回るとこんな感じ。
そうです!トラックの荷台がステージなのです。

戦前の台湾生まれの日本人「湾生」たちを撮ったドキュメンタリー映画「湾生回家」を見た。

これから桃園へ向かいます。
台鉄に乗ります。


桃園の駅は新しく建て変わってました。これは古い方。


街のケーキ屋さんのウインドウ。
台湾のデコレーションケーキも独特だ。

ご飯食べるところを探し回り、結局デパートの上の湖南料理の店へ。


一番安い480元のコースにしました。

食後バスに乗って今夜のイベント会場へ。

イベント終わり、またバスで桃園駅へ戻りそこから列車で台北駅へ。
てくてく歩いて宿にもどりました。


夜12時過ぎの西門町。


到着


国光バスで市内へ。
大阪から来た女の子4人グループにおせっかい焼いてみる。


台北駅から西門町まで無料バスがあると聞いて待ってたんだけど、運転手さんにMRTを強力推薦される。


台北駅前の蒸気機関車

西門町へ。


台湾デザイナー、アキボの作品がお出迎え。


お昼ごはん。イカ団子のとろみスープと、そぼろかけご飯。しめて75元。

ホステルに荷物預けて、エステヘ。
戻って部屋へ。


ロンドンで見た観光地図、台北にもあった!

電話が使えなくなっていたのでショップまで行き結局新規契約。
300元。


自転車。


借りてみたものの、サドルが調節できず断念。


街をウロウロ。
美味しそうなパン屋さん多い!


買ってみたらとっても美味しかった!


明日見る映画のチケット買いに行く。


290元。


阿原で石鹸買ってみる。


極度乾燥しなさい。


蛋蛋と会って西門町で晩ごはん。鍋を食べた。
ごちそうになっちゃった。
いつもながらすまぬ。台湾の弟よ。

ホステルに帰ったの深夜12時。

今回の台湾行き、荷物はこんな感じ。乗る飛行機の荷物制限に引っかからないようにリュックにしました。

成田を朝7時代に出る飛行機なので、初めて成田で前泊します。

東京駅から成田空港周辺のホテルへ行くバスが出てます。片道1000円と安いのでそれを使うことにしました。時間はかかるし一時間に一本ですが乗ってればホテル玄関まで連れて行ってくれるのは楽ちん。

このバスです。
ほぼ満席で、外国人の利用が多いですね。

空港周辺には一時間弱で着いたものの、ホテルを順繰りに回るので目指すホテルがあとの順番だと時間かかります。エクセル東急やヒルトンは早いです。

2040に東京駅を出て、目指す成田ビューホテルに着いたのは2215頃でした。利用客のないホテルには停まらないので時刻表より早かったけど。

ドトールコーヒーの自販機あり。ココアを買って客室へ。
古さの目立つ部屋ですが、ツインで広々。今後はホステル泊になるので広さを満喫。バスタブにお湯を張ってゆっくり休みました。


これで4600円は安いよねー。

朝4:50起床。


チェックアウトして、5:30の送迎バスに乗りました。バスは第二ターミナルまでなので、そこから第三ターミナルまでは循環バスに乗って移動です。

格安航空会社専用の第三ターミナル、はじめて利用します。まだまだ新しいけど、徹底的にコストダウンを図った作り。ダクトなどもむき出し、ポリカーボネートの壁材など。

でも機能的で案内もわかりやすいし使いやすいターミナルですね。コンビニ大きい。食事コーナーも安価で良い。

ベンチがごろ寝も許容したソファタイプで、あちこち夜明かしした風の人々が寝てました。

チェックインはカウンターで。特に並ぶこともなくスムーズでした。国際線の検査場は6:30まで開かないのでしばしソファで待機。

朝ごはんはコンビニおにぎりとお水。流石に朝早すぎて食欲ありません。

出国手続きが終わったところでコーヒーを飲みにカフェへ。ラテ420円。

搭乗口はブリッジはなく、階段を下りて外へ出てタラップを上がるスタイル。いろいろ経費削減してますね。車いすの人などは別のルートがあるものと思われます。

バニラエア。
3+3の席。ほぼ満席です。
機内での飲み物は200円。アルコールは400円。リーズナブルですね。
中国茶を頼みました。

免税販売も使いました。台湾の人へのお土産に梅酒を。機内結構快適です。


ここに一枚の写真があります。
昭和8年刊の「東台湾展望」という本に載っていたとされる、台湾大武の「大武支庁」前での集合写真です。
ここに私の曽祖父が写っているらしい。(祖母の生前見せたらそう言ってました)
一人だけ白っぽい服を着ている人がそうです。

私の祖母もいわゆる「湾生」(台湾で生まれ育った日本人)です。
~「湾生」の定義が、「台湾で生まれ育ち、終戦後引き揚げてきた日本人」ということなら、台湾から引き揚げてきたわけではないので正真正銘の湾生ではないかもしれませんが~

10年以上前に台湾東部を回った際に、祖母の卒業した学校を訪ねたり、家のあった集落まで行ってみたりしたのですが、そのときのことをまとめてWEBにあげたら読者の方から、当時の写真の載っているサイトを紹介してもらいました。

もうそのサイトのことはわからなくなってしまったのですが、その際にダウンロードした写真(上の写真)に、もともとは「東臺灣展望」という本に掲載されていたのだというキャプションがあり、先日の岡部さんの講演会に触発されて、その本を探してみようと思い立ちました。

国会図書館のホームページにアクセスして検索したら、地方の図書館にいくつか蔵書しているところがあることがわかりました。
私に便利なのは横浜市図書館です。

というわけで、日曜日、桜木町にある横浜市中央図書館へやってきました。

レファレンスデスクで尋ねるとすぐにぴぴぴーっと検索結果を出してもらえます。
なんて便利なんでしょう!

禁帯出なので館内で閲覧です。
古い本なので書庫で保管されているらしい。
取り出してもらうまで10分ほど待ちます。

でてきました~!


写真に納まりきらないくらい大きな本です。
布張りの立派な装丁で、古いアルバムみたい。


中はこんな感じで、左のページが写真で、右のページにその解説が載っているという構成です。

東台湾の2つの「庁」即ち「花蓮港庁」と「台東庁」について詳しく書かれています。
著者は毛利さんという台湾在住のジャーナリスト(?)だった方のようです。
この本を書くに当たり、台東に移住して1年ほどかけていろいろ調査したあと、カメラマンとともに取材旅行にでかけて5か月かけて台湾東部をくまなく回って、書きあげたようです。昭和7年当時の東台湾は西台湾と違い非常に交通不便で、取材にはいろいろ御苦労があったようです。

この本は、もともと非売品として「東台湾暁声会」という会員の人たちにだけ分けられたもののようです。
もちろん日本ではほとんど残っていない本ですが、台湾で2003年に復刻版が出版されたようです。一番上にあげた写真もその復刻版(中国語版)のコピーです。
そのほんも今や絶版となり、手に入れるのは簡単ではなさそうです。

図書館の方に許可をいただき、気になるページだけ写真に撮りました。
また読みたくなったら図書館に行けばいいのですが、自分のメモとしてここに一部載せます。
(写真をクリックすると大きくなります。)


表紙


上2枚
今でいう「蘭嶼」に住んでいる「ヤミ族(タオ族)」についての記述。
蘭嶼のことは、この本にも詳しく書かれていて、非常に興味深いものでした。

上2枚
台東の旧駅舎。
今はもう列車が走ることはなく廃線になっています。確か最近アートの展示などをする場所になったのではなかったかな?

上2枚
「大武支庁」についての記述

上2枚
パイワン族の頭目「パウカ」について

以下は祖母が住んでいた「大武」についての記述と写真


付録の地図。
(大武付近のみ)
地図を見ると、鉄道もない、自動車の通る道もない山奥までも日本人は統治のために、くまなく調査し、原住民(当時の呼称は「高砂族」)の集落を把握していたことがわかります。
そしてかなりの部分の高砂族部落に対して駐在所、派出所を置き、子どもたちの教育所を作っていたのがわかりました。

上3枚の写真
日本人を襲って逮捕された原住民と日本人と友好的な原住民のコントラスト。
こういう写真を今見るときには、いろいろなことを考えさせられますね。

上2枚の写真
3のタバカス教育所の子供たち「おそろいの服を見てもらいたいような顔!」というキャプションが微笑ましい。
この著者の子どもに向ける目はとても温かです。

巻末には東台湾のいろいろな広告が載っていました。
出版に当たり広告を出してもらって費用にしたんでしょうね。
いろんな広告の中でこの産婆さんの広告が気になりました。
「ただ親切を旨として…」最後の「…」が、なにかもう今っぽい感覚ですよね~。

奥付

「毛利史郎」というのはこの本の所有者の名前でしょうか?
著者毛利さんのご家族かもしれませんね。
どういう経緯でこの本が横浜市立図書館にやってきたのか・・・そこにもきっとドラマがありそうですね。

さて、一番上の写真をみた十数年前、
この写真は身内で撮った記念写真が何らかの要請により集められて本に載ったのではないかと漠然と想像していました。
しかし、この本を読み終わりわかったのは、この本の写真はすべてこの本を出版するために撮影して回ったものだということです。
ものすごいことだと思います。

花蓮や台東の街中の写真は日常っぽく撮られているのですが、山に行けばいくほど、各役場や駐在所や学校では、まるで何かの記念日の写真のように正装して整列して写真に納まってます。当時の辺鄙な山奥の人々にとって、この取材がめったにない「ハレ」の出来事だったと言えるのではないかと思いました。

私の曾おじいさんも、きっとワクワクしてカメラの前に集まったんじゃないかな。
その割にみんな顔が緊張しているのも面白いですね。