コンテンツへスキップ

今回の香港行きではおかゆを2回食べました。
香港のおかゆ「広東粥」はほんとに美味しい!
台湾にもおかゆはあるけど、広東粥にはかなわないというか、私は広東粥が好きです。
日本にも気軽に食べられるお店がたくさんできたらいいのにな。(うちの近所でこの手のおかゆを出す中華料理店ありますが、1杯800円とかします)

1軒目は、ワンチャイのホステルの近所にあったここで食べました。
忠記粥品

メニュー見たらいろんなおかゆがありましたが、名前が気になり「生滾状元及第粥」26ドルに挑戦。この店には「生滾」とついたものと普通のおかゆがあったのですが、生滾の方が高い値段設定でした。生滾っていうのは、出来立てとか作り立て!みたいな意味だともうのですが、そうじゃないおかゆってどんなおかゆ?


状元及第粥

状元というのは昔の中国の科挙で、成績優秀で合格した人の呼び名らしい。
「状元及第粥」は科挙の試験に受かるためにこれ食べて栄養つけたってことが由来みたいですね。

で、気になる中身は・・内臓ホルモン系でした。
レバー、ホルモン、肉団子などいろんな種類の肉が入ってました。
たしかに滋養によさそう。

2軒目のおかゆは、長洲の朝ごはん。
ジョニさんに連れられて行った、長洲の路地にある店。


こんなかんじのところ。


おかゆ!


腸粉!


ホットレモンウォーター!
(ジョニさんはこれに塩を入れて飲んでいたよ)


外は雨。
こんな風に店の軒先に座り、路地を行きかう人を眺めていました。

ここでもジョニさんが「オーダーは僕が」みたいな感じで、適当に頼んでくれました。
自分で頼むと、皮蛋の入ったおかゆばかりになるので、人に頼んでもらうのは新鮮ですね。
オーダー前に「内臓は食べられる?」と聞かれたので、「もちろん」と答えると、上の写真のおかゆが。初日に食べた「状元及第粥」と同じ中身でした。こっちの方が生姜がきいてた。

こうして、香港で2回食べたおかゆは2回とも同じ及第粥だったのでした。
ご縁でしょうか。
この内臓たち、全く臭みがなくて淡白なおかゆととってもマッチしてました。
うまく処理してあるのでしょうね。

2日目の朝はセントラルの陸羽茶室で飲茶しましょうということになりました。
人気の店だけど朝早く行けば予約なくても大丈夫では?ということで。
7時半に集合。
私も名前は昔から知っている店ですが、行ったことはありません。
わくわく!
セントラルに滞在中の友人たちは近所ですが、「YOKOさんは少し遅れてきても大丈夫よ」というお言葉に甘えて、少し遅れて参加。場所取りありがとうです。


湾仔からコトコトトラムに乗っていきます。


アドミラルティのあたり。
朝もやというか、霧がたちこめてます。

店につくと、ドアマンに何名様ですか?と聞かれた。
連れが先に来てるので、的なことを伝えると、二階?というのでそうだそうだと返すと、二階へのドアを教えてくれた。

初めてくる店。
なんだか伝統を感じる店構え。
二階につくと、お客はまだそんなに入っておらず、友人たちが奥のテーブルで点心をつまんでいた。
合流。

陸羽茶室


これ中身が何だかわかりませんでした。
食べてもわからないなんて・・・。
謎。


たくさん食べました。
勿論、これだけではありません。

満腹満腹。

「食後にコーヒーを飲みましょう。」
ということになり、場所を移して香港コーヒーを楽しみます。
ここで、香港通のCさんが連れてきてくれたのは、

檀島咖啡餅店 中環店

間違ってもスタバとかには行きませんよ。
老舗なんだそうです。

檀島というのはハワイのホノルルのことらしい。

香港特有のすっぱいミルクコーヒーを飲みました。
他のお客さんはほとんどの人がエッグタルトを注文してましたが、我々は悲しいかな満腹。
コーヒーだって半分くらいしか飲めませんでした。

茶餐廳なので、食事メニューも充実でした。
また今度ね。
入り口には、パンなどの持ち帰りコーナーもありました。
メロンパンみたいな「パイナップルパン」もいつか食べたいな。

これから、いったんホステルに戻り、荷物をまとめて長洲へ移動です。

4

話は前後しますが、初日の夕食を食べた「北角」のレストランの話です。

マッサージの後お昼からホステルに入れたので、とりあえず昼寝しました。
昼寝から目が覚めると、ちょうど「大人の遠足メンバー」が香港到着したとメッセージが入りました。
4時半頃「北角」で集合となりました。

トラムに乗ってゴトゴト東へ。
後発組と合流して、まずは「北角鶏蛋仔」というワッフルみたいなものを買いに行きます。
人気があるらしく、行列できてた。

列はこっちに作って並んでね。の張り紙。


こんな感じの商品。
おやつにぴったり。

そのあと、Javaロード街市の上にあるレストラン「東寶小館」へ。
この店は、なかなか予約するタイミングが難しいらしく、Cさんが何度もpチャレンジしてくれたものの(ホテルのコンセルジュにも頼んだらしいけど)結局予約ができなかったので、17:30の開店と同時に入ることにしたのでした。

おかげで、すんなり入ることができた。
まだお客はそれほど多くない。

5人だと中華もいろいろ食べられていい。
ふたり旅などの時は、種類が食べられず、いつも残念な思いをするし。

メニューには日本語もあります。
たくさん料理があって、迷う~~!

ビールを頼むと、お茶碗が出てきた。
おもしろい!

市場の上にある食堂なので、気取らない感じもよい。
料理はとってもおいしかった。
時間がたつにつれどんどんお客がやってきて、満席になりました。
この建物は公共の体育館みたいなのも入ってるらしく、「運動帰りに仲間と食事に来た」という風情の人もちらほら。

今回の旅行の食事関係は全て香港通のCさんにお任せです。
「大人の遠足」のいいところは、こういう風にメンバーが自分の得意分野を担当して旅を楽しくするところ。
私一人だったら、レストランとかは適当に通りがかったところに入るか、何度も行って知ってるところに入るかとかになりがちなので、こんな風に念入りに行きたいお店を調べて、そして確実に入るというのは、自分ではできないことです。

さしずめ今回の私は「長洲」島での地元の人との交流担当ですね。

4

「世界入りにくい居酒屋~長洲」(笑)のあとは、港の方へ移動します。
夕食は、海鮮!!
どんなふうになるのかよくわからないけど、地元の方にお任せです。

さっき、エンジェルがビーチにやってきて「今から市場に夕食用の魚買いに行く」と言ってました。
きっと市場で仕入れた魚をレストランに持ち込むんでしょう。

移動の途中、街から来た香港人の友人3人も合流。
歩いててばったり会ってしまうのがこの島のすごいところです。(でもこの友人とは台北の街でも、シンガポールの街でもばったり会ったことあるからなぁ・・・縁があるんでしょうね)

参照:再び、ラオパサへ│2006シンガポール

港に面した目抜き通りには、ずらりと海鮮料理屋が並んでいて、道の海側にびっしりとパラソル&テーブルが並んでいます。
我々はその一角のテーブルに着きました。
総勢11人です。
中華を食べるにはとても心強い人数。


せっかくの交流の場なので、と日本人同士で固まって座るのはやめて、ばらばらに座ってみました。

どんどん料理が出てきます。
新鮮な海の幸。
にぎやかにおしゃべり。
友人たちもめいめい、地元の人と交流を楽しんでいるみたいです。
お酒もどんどん消費されていきます。

いつの間にか隣のテーブルには、ビーチで一緒だった地元の人たちがやってきました。
食べきれない料理がそっちのテーブルに流れます。
また、お酒も融通し合ってるみたい。
よくわからないシステム・・。

香港のこういう宴会は、ちょっと作法が台湾と違う。
お酒を勝手に一人で飲んでてもいいみたい。
台湾の場合は、だいたい誰かと乾杯して飲んで、飲み終わったら再度相手に目で合図(敬意を表す)っていうのやるけど、香港は乾杯するけど、飲んだ後の挨拶はないみたい。日本風かな。

宴もたけなわ、「今日のこの食事は、ジェームスさんのおごりです~」というアナウンスがあり、みながお礼をいって終了。
ジェームスさんとは今日は初対面です。
いいのかしら?

カラオケに流れます。
去年連れて行ってもらって、面白かった話をしていたら、友人たちも楽しみにしていたのでした。
(香港に行く前に予習のカラオケ会まで開いて広東語曲練習した)

前回と同じ店。
時間が早いせいもあり、お客は我らのほかに1~2組。
入るといきなり「広東オペラ」をカラオケで歌っています。
へ~広東オペラって、カラオケに入ってるんだ!
広東オペラというのは「粤劇」と言われるもので、北京語で演じられる「京劇」に対して、広東語で演じられるものです。世界遺産なんだそう。台湾にもビンナン語で演じられる「こあひ~歌仔戯」というのがあります。いろんな地域にそれぞれあるんでしょう。言葉が違うほかにもきっと地域によって違いがあるのでしょうけど、良くわかりません。

何曲か聞いた後、同行のCさんが日本からカンペを用意してきた歌をリクエストします。
フェイウォンの「夢中人」とレスリーチャンの「MONICA」、懐かしいね~。
MONICAは吉川晃司のモニカですよ。

他のテーブルもガンガン歌を入れるので歌合戦のようです。
どのテーブルが歌っていても、盛り上がる我らチーム。
歌ってる人が、こっちのテーブルまで挨拶に来ます。

年齢層高めの客層なので、それに合わせたナツメロが入るみたい。
私の知ってる歌もありました。

夜10時過ぎ、香港島に戻る人たちは帰っていきました。
私は今夜一人長洲に泊まるので、もう少し残って歌っていきます。

レスリーチャンの「無心睡眠」を誰かが入れました。
この歌独特の振りがあるのだけど、全員がそのふりを始めました。
1987年のヒット曲らしい。
この場にいる人みんな私と同年代位。
青春が蘇るって感じでしょうか。

大変盛り上がりました。

私が日本人だからなのか、誰かがテレサテンを入れて、マイクが回ってきました。
「時の流れに身をまかせ」だ。
これなら日本語でも中国語でも歌ったことある。
1番を日本語で熱唱しました(下手だけど)
そして2番は中国語で。
喜んでもらえたような気がします。
えへへ。

夜11時ごろ宴会は続いてましたが、われらはお開きにしました。
楽しかった~~。
声がガラガラになっていました。

張國榮 Leslie Chueng / 無心睡眠(87年東京音楽祭) 

あの振りがない気がする…

去年行ってとても楽しかった「長洲」チョンチャウ。
香港から高速船で30分の離島です。
セントラルの5番フェリーピアから、30分おきに高速船とフェリーが交互に出航しています。
宿からフェリーピアに向かうバスがあることを確認し、向かいます。

香港はやっぱりバス便利ですね。
地下鉄は速いですが、駅から結構歩くことになるし。
北海中心というバス停から、11番のバスでバス停8個めです。3.8ドルって50円くらい。安い!

船賃

高速船 月~土 $25.80
    日休日 $37.20

普通船 月~土 $13.20
    日休日 $19.40

さすが日曜。高速船は満席に近かった。


お昼まえに長洲到着。
フェリー乗り場にジョニさんご夫妻が迎えに来てくれていました。
10か月ぶり!

まずは、私が停めてもらう部屋に荷物を置きに向かい、日本から持ってきたお土産を渡します。
友人たちもお土産を持ってきてくれました。


その後、大牌檔(ダイパイトン)でローカルなランチを食べる。
飲茶はどうか?と聞かれたのですが、朝から飲茶してきたのでそういうと、じゃヌードルにしよう!と連れてきてもらいました。オーダーも全部お任せです。汁あり汁なし、焼きそば、ビーフン、カレーなどなどいろんなご飯が出てきました。
(ジョニさんとご飯にいくと全部「僕が君たちのために頼んであげる」と言われる。これ香港スタイルなのか、ジョニさんがそうなのか?)

食後、ジョニさんに「3時半か4時ごろに、前に行ったビーチに集合」と言われる。
OK! あそこなら場所もわかるし、友人たちを連れて行こうと思ってたし。
再集合まで3時間。
ゆっくり島を散歩し、適当な店に入ってビール飲んだりして、のんびりします。


ウインドサーフィンで金メダリストを輩出した長洲。
記念の像がありました。
天気はあまりよくないですね。
雨は降ってないけど。

時間になりました。

待ち合わせの場所は、島の東側「観音湾」というところです。
簡単にたどり着けると思ったけど、あれ?道間違ったかも?
でもなんとか到着。
今日はまだ肌寒い・・・。(昨年5月に来たときは日焼けの心配してたけど)
それでも、ビーチに面した海の家(みたいなバーみたいなコーナー)には、地元の人々が10人くらい集っていました。ジョニさんもいます。やぁやぁ!来ましたよ~。


到着するなり、席を用意してくれて、何飲む?ビール?ワイン?
じゃぁ、ワイン!
と全員が口をそろえる。皆お酒好きです。

テーブルが組み立てられ、グラスが回ってきて、ワインのボトルもまわってきた。
かんぱーい!

そうこうするうち、どんどんメンバーが増えてくる。
「あちゃいごー」もやってきた。
あ、ギター持ってくる人がいる。
何やら演奏が始まるようだ。

ジョニさんも弾きはじめる。
あ、この歌知ってる。
知ってる歌なら歌わなきゃ。
歌詞がわからない・・そんな時はネットで検索。スマホって便利ね。

香港のポップスには日本の歌のカバーも多いから、彼らは香港の曲として弾き始めても、こちらは日本語の歌詞で歌ったりできる。英語の歌ならなおさら分かり易い。

奏者は3人になり、とても賑やかに。

ワインボトルもこんな海の家になぜ?と思うくらい次から次に出てくる。
もしかして誰かが買ってきたのかな?

この島に住む日本の友人もやってきた。
来る途中のパン屋さんで焼きたて売ってたから、とパンの差し入れ。
美味しい。

どんどん風が強くなり、寒くなってくるものの、ビーチで飲み歌うなんて楽しい。

もしかして地元の人たちは毎週日曜日にこんな風に過ごしているのかしら?
去年この場所で出会った顔見知りも何人もきてた。
楽しい暮らしだろうなぁ。

「世界入りにくい居酒屋」みたいだと思いました。
今度は暑いときに来たいな~。
今度はお酒持ってきます。

ホステルは4人部屋でした。
同室だったのは、北京から来たという女の子とヨーロッパからかなという年配の女性でした。
北京の女の子と少し話をしました(英語で)。
でもお互い英語がだんだん辛くなってきて、途中で中国語に…

彼女は一人で来たらしい。
香港は3回目で、これまでは学校の行事などで来たらしいが、今回は「注射を打つためにきた」とのこと。

え?「注射」?
ダージェン「打针」確かにそういった気がする。
彼女がいったことを整理すると、

・若い女性が打つもの
・病気なのではなく、予防のために打つもの
・中国では政府が許可していないから、わざわざ香港まできた

う~ん、子宮頸がんワクチンかな?

この彼女は、部屋で咳き込んでいた私に、「良く効く薬持ってるからあげましょうか?」なんて声かけてくれて、いい子だったなぁ。そして同室の二人とも、居住まいも美しく、荷物なんかも全然広げないし。静かだし。理想的なルームメイトでした。

私風邪ひいてて、多分いびきかいてたと思う。
ゴメンナサイ。
うるさかったよね。

※調べました。
子宮頸がんワクチンは中国では許可されていなくて、若い女性が香港に来て接種するケースが多いのだそう。

たったの2泊なのに3回マッサージしました。これはまぁ趣味なので・・・。

まず、初日の午前中に夜行便の疲れを取るべくむかったワンチャイの店。
そしてその次がみんなと夕食後に行ったセントラルの店。
最後にダメ押しの帰国時の空港で行った店。

1軒目

空港からワンチャイについて、とりあえず宿に荷物をおいて、出かけたマッサージやさん。
どこかで横にならないと、絶対夜まで持たない。
歩いてけるところに、ガイドブックに紹介されてる店があった。
行ってみよう。

華夏保健」というところ。
開店と同時に入ってみた。あたりに立ち込める漢方薬の匂い。なんか、効きそう。
中医の学校の付属の施設のようです。
受付に行くと、他に客はいないものの予約表がぎっしり埋まっているみたいだった。でも1時間コースなら少し待ってもらえればできますとのこと。多分マッサージ師さんを呼び出すんだろう。

1時間の推拿コース。
個室で着替え付で400ドル。
1時間だと背面のみでした。
痛くもなくちょうどいい感じ。
とても気持ちよく寝れました。
個室だと、マッサージ師さんのおしゃべりがうるさいということもないし、リラックスできます。

この店は、ものすごく広くて、個室がたくさんあります。
私が行ったとき、開店直後だったせいか、お客は全くいませんでした。
多分ベッド数の割に稼働は少ないような気がします。

シャワールームもあった。
でも冷房きつくて凍えた。
個室では冷房切ってもらってたんですけどね。

華夏保健
10:00AM - 9:00PM
香港灣仔荘士道18號嘉寧大厦一樓

2軒目

夕食を早めに食べてから、みんなで「マッサージに行こう!」となりました。
このメンバーけっこうマッサージ好き。
「大人の遠足」シリーズでは毎回マッサージに行ってます。

北角でご飯を食べましたが、夜はSOHOあたりで飲む事になるので、地下鉄に乗ってセントラルのマッサージビル「世紀廣場」へ向かいます。入り口のチラシを見て安かった「足海城」という店で足つぼ50分、肩15分220ドルというコース。

ここでも寝てしまった。
足つぼマッサージで寝るなんてめったにないことです。
5人で行きましたが、みなの感想はまちまち。
痛くて痛くて寝るどころじゃなかった!という人もいれば、気持ちよかった。という人もあり。
マッサージ師さんによりますね。

足海城 保健中心
10:30AM - 12:00AM
香港中環徳己立街1ー13号世紀廣場12樓

3軒目

空港のマッサージ店へ。
自分の便のゲートのそばにあった。ちいさな店だったけど値段は空港価格。足つぼマッサージ45分で480ドル。
ここでもまた寝てしまって、あまり覚えてません。

Wellness Spa & Salon
08:30 – 22:30
香港1號航站樓15號登機閘口

一番うまかったのはやっぱり1軒目。
雰囲気でそう感じたのかもしれないけど。
今度行くときはちゃんと予約入れて行こうと思いました。
コースもいろいろあるみたいだし。
香港在住者なら会員になれて割引も結構あるらしい。

春分の日がらみの3連休。
けっこう飛行機代も高いので、行きは夜行便にしました。
夜1時羽田発のドラゴンエア。(帰りはキャセイの夕方便)
色々込で往復 ¥47,230 でした。

行きの飛行機は、一時間10分遅れました。ギリギリまでお茶してから移動。バスゲートから搭乗です。

満席!
通路側の席でよかった。

ドラゴンエアは安いだけあって、モニターなどもなし。でもLCCというわけじゃないので、預け荷物は無料だし毛布もあります。そして夜中の3時に機内食出ました。(帰りのキャセイのご飯より良かった)よせばいいのについつい食べてしまった。
いけませんね。
あとは寝て過ごしました。

早朝香港空港に到着。
空港でのミッションは3つ。

1.両替

今回は2.5万円⇒1655香港ドル。1ドル=15.1円です。


2.SIMカードの購入。

中国移動の80ドルのが両替のところで売ってたのでそれを買い、お姉さんに5日間のデータ通信パッケージを申し込んでもらった。
前回はインフォメーションのようなところでCSLの100ドルのを買いました。

3.オクトパスカードのチャージ。

借り物のオクトパスに、とりあえず100ドルチャージ。


チャージ機はすぐに見つかりましたが、やり方が少しわかりにくかった。

夜行便で到着したら、どう疲れを取るかというのも思案のしどころですね。

空港からはケチケチして、バスで湾仔の宿を目指します。
安いうえに時間もかかればゆっくり寝られるだろうという算段。
空港からのバスにはAとEの二種類あり、値段が倍違います。が、所要時間が倍違うことはないので、安い方のE11というバスで湾仔を目指しました。安いバスらしく、乗り場も一番遠いところ。羽田空港でいうところの蒲田行きバスみたいな感じ。乗り場には屋根もありません。雨の日だとくじけてAの方に乗っちゃいそう。

E番のバスは、旅客ターミナルを出発した後、貨物ターミナル、機内食工場などいろんな仕事場をぐるぐる回る路線で結構楽しかった。そのうち眠ってしまって、気がついたら香港島に入っていました。マカオ行きのフェリーターミナルのあたりだった。一時間くらいでセントラルまで来た。湾仔までだと70分弱くらいだったかな。それで20ドル。(Aのバスは40ドル、エアポートエクスプレスは100ドル)
浮いた80ドルで何しよう。

今回泊まったのはワンチャイにあるホステル
Check Inn HK

booking.comから予約しました。
1泊5000円くらい。
ホテル代の高い香港ではありがたい存在です。

このホステルは長所もいっぱいですが、短所もそれなりに気になりました。
1泊のみでしたが、次も泊まるなら1泊かなぁ・・・連泊はどうだろうか。

○長所

場所が便利です。
ワンチャイエリアのヘネシーロードに面しています。
空港からのバス停もすぐ。トラム乗り場もすぐ。
地下鉄は徒歩4分くらい。(結局地下鉄使わなかったので不明)

ホステルの施設はきれいです。
移転したばかりなのか、住所表示が以前は3階だったものが2階に変わっていました。
上の公式ホームページの部屋の写真もちょっと違います。
こぢんまりしていますが、おしゃれな感じもあり。

WIFIはストレスなくさくさく。
スタッフもにこやかで、親切でした。
部屋に鏡もあり、スーツケースの入るサイズのロッカーもありました。
部屋は狭いけど、下の段のベッドの下に空間があるので、スーツケース広げて荷物整理できるのはありがたかった。
利用しなかったけど、プリペイドのSIMを100ドルくらいで売ってた。
洗濯サービスもあるらしい。
簡単なキッチンもありました。
また共有スペースにはPCもあり、各国語のガイドブックも充実(たぶん泊まった人の寄贈)

○マイナスなところ

騒音!

私が泊まった部屋はレセプション隣の共有スペースに面した女性用4人部屋。枕元の窓はヘネシーロードに面していて、真下が横断歩道だったため、一晩中あの香港のカタカタうるさい歩行者用信号機の音を聞く羽目に。
他の部屋なら違ったと思います。
ただ救いは、同室の人がとても静かだったことです。
これは運ですね。

ベッドまわり設備が必要最小限。

このホステルでいちばん「え~っ」と思ったのは、ベッドにカーテンがついてなかったこと!
それとベッド上の空間が狭くベッド上では着替えられません。あと20センチの空間が欲しかった。
これまで泊まったどのホステルにもあった読書灯もなく、タオル掛けのようなものはありましたが、コートフックみたいなものもあると助かるんだけどなぁ。

バストイレが不便!

私が案内されたシャワーとトイレは一体型になってるものが2か所。
つまり誰か2人がトイレなりシャワーなりで入ってしまうと、もう使えない。
これは不便でした。
トイレが少ないのはつらい・・・。
シャワーも結局夜は使うことができず、早朝に使いました。
それなりの人数が泊まるのに2つはあり得ないのでは?と思う。

せめてトイレとシャワーが別々になってれば、同時に4人が使えるわけで、ずいぶん違うんでしょうけどね。


一応さりげない看板あり。


しょっぱなから暗証番号を要求されます。メールで教えておいてもらったのでモーマンタイ。


共用ラウンジ。


部屋の感じ。窓の外は香港の雑踏。
旅情たっぷりですが、安眠は保証できません?!


風通し良いベッド。カーテン欲しい…


ロッカーもあります。


窓の外をみたら、香港名物竹の足場で作業中の人がいました。

4


実際は…

初日:深夜羽田発(1時間ちょっとのディレイ) 朝香港到着
   E11のバスでワンチャイへ
   ホステルに荷物を預けてマッサージ。
   おかゆの昼食
   ホステルに入り昼寝
   夕方、ほかのメンバーと合流。
   北角鶏蛋仔。
   夕食はJAVA街市の上で。
   セントラルに移動。足つぼマッサージ。
   おしゃれバー。

2日目:朝ごはんは陸羽茶室で飲茶。
   フェリーで長洲へ移動。
   ジョニさんと再会。ダイパイトンで各種麺などの昼食。
   長洲散歩。ビール。
   ビーチでワイン&ギター。
   香港の友人ら合流。
   夕食は海鮮料理11人で。
   そのままローカルカラオケ。
   私一人で長洲に滞在

3日目:ジョニさんと茶餐庁でおかゆの朝ごはん。
   長洲から香港島へ。
   IFCモールの利苑でみんなと昼食。
   IFCモールで買い物ののち空港へ。
   空港でさらにマッサージ。
   夜 帰国

羽田空港が激混みで、余裕で乗れると思ってたバスに遅れそうになり、走りました。
旅行記は時間軸でなく、トピックごとに書こうかと思います。


香港のPASMO オクトパスカード(借りました)

ご近所の飲み友達の皆さんと「大人の遠足」に出かけることになりました。
目的地は、香港
この「大人の遠足」シリーズは、現地集合現地解散、食事も観光も適当に合流、が基本。
これまで、上海(2011)台湾(2013)、(私は参加していませんが)香港、そして去年はバンコクに行きました。

今回は私のほかに2夫婦。総勢5名です。
香港はホテルも高いので、一人で参加の私は、最近お気に入りの「ホステル」滞在にすることにしました。他の2組は、ホテルに一緒に滞在。

同行メンバーに香港通な方がいるので、食事などはもっぱらその人にお任せ。
私は香港の友人たちとの会食というか交流会をアレンジしました。
友達の輪が広がって楽しくなると思います。

予定

初日:深夜羽田発 早朝香港到着
   夕方まで一人で街歩き 一人飲茶?
   夕方、ほかのメンバーと合流。夕食。バーなど。

2日目:朝ごはんの、長洲へ移動。
   長洲観光 香港の友人ら合流。
   ランチ、夕食
   ローカルカラオケ など
   私一人で長洲に滞在

3日目:朝ごはんのあと、長洲から香港島へ。
   セントラルでみんなと昼食。空港へ。
   夜 帰国

駆け足ですが、にぎやかな香港の街とのんびりとした島の両方を欲張って楽しんできます。

10

3日目 10/22(日)

朝7時起床
Kさん、ルビーパレス(というサウナ)に予約の電話。うまくいく。
朝食はコーヒーショップでバイキング。
地下鉄でシンサまで。ルビーパレスに9時半頃到着。ロッカーの鍵をもらい、サウナに入って、アカスリとマッサージ。シャンプーまでしてもらって2時間くらい。私達のほかに客はなく、お風呂使ってた人はみんな従業員みたいだった。

シンサから、アックジョンまで歩く。
ちょうどお昼。途中セブンイレブンでジュースを買い、アックジョンの街をぶらぶらしてたら、ガイドブックに載ってた「キヨンボックン」というレストランにぶつかった。店構えがあまりに立派だったので少しひるんだけど、Kさんも行こうと言うので入ってみた。ところが、入口で車の整理をしていた人に引き止められ、「チャリガオプソヨ(席がない)」と言われる。「ネーイル●×▲■~」明日来いって言ってるみたい。近くにサムウオンガードンと言うカルビの店があるからそっちへいけとも言われる。
親切なのか、サムウォンガードンの回し者なのか??

 ※この時韓国語が分かったのかな??

この後は少しダイジェストします。

結局サムウォンガードンで昼食。高級店だったけど、美味しくサービスもよかった。でも最後にチップチップといわれた。昼間から若い女性二人で来て焼酎まで飲んだのでお店の人にびっくりされる。

昼食後、地下鉄で移動。
またUくんと待ち合わせて西大門独立公園へ。
ここは日本時代の監獄跡。いろいろな展示を見てまわる「関東大震災と朝鮮人虐殺」という特別展示あり。
天気がよく、監獄後とはいえ爽やかだった。独立門もみる。公園で踊る人々。

地下鉄で江南へ。
新川駅で降りて、漢江クルーズ。チケットを買う時に、地元の青年に「日本人ですか?」と話しかけられる。金さんという証券会社に勤める人。日本語が上手。「日本で親切にされたから日本人に親切にしたい」と言って、いろいろ話をしてくれ、帰りは車で遊覧船乗り場からアックジョンの駅まで送ってくれました。
かれはデート中だったけど、そのお相手というのが韓国で流行ってるTVの「MAKELOVE」というお見合い番組に出て知り合った人なんだそう。まだ会って1週間なんだって!

漢江クルーズは50分の船旅。
出航までに1時間くらい時間があったので、乗り場のレストランで食事。ワインのテイスティングもやる店でしたが料理は全然いけてなかった。
夜のクルーズで、景色はきれい。デート向き。
風が寒かった。2~3年前に落ちた橋のところも通った。見事に橋が無くなっていました。

金さんに駅まで送ってもらった後、「たえらん(茶芸廊)」というお茶屋さんに行く。3人で日韓問題などを語り、ホテルに戻ってきたら11時回っていました。


4日目 10/23(月)

早朝5:30起床で、同行のKさんは帰国の途へ。
私はまだあと1泊するので、のんびり。

行きの飛行機で隣に座ってた、これまた金さんに連絡して、3時に待ち合わせ。
そのあとUくんの住んでいる安山市へ地下鉄4号線で向かう。郊外では国鉄につながっていて便利。朝食は明洞で買った揚げパン。

車窓には、大きなアパート群も見えるし、田んぼも見える。
中央という駅で降りる。公衆電話でUくんに連絡し、迎えに来てもらう。
まずは住んでるアパートを見せてもらう。駅前ビルの中。ワンルームで事務所みたいな部屋だ。実際事務所にしてる人も多いらしい。

Kさんが渡しそびれてたと私に託したお土産のお菓子を渡し、一緒に食べながら、平家物語の話。そのあと同じビルの中にある食堂で、カルビとか冷麺を食べる。そのまま同じ建物の中のスーパーみたいなデパートみたいな店で、カセットテープとかCDを買う。どれを買おうか迷っていると、Uくんが「いま韓国ではこのCDが人気あるみたい」と言って紹介してくれたのが、イスンファンの4集とキムゴンモの3集でした。

※ここがイ・スンファンとの出会いでした。

一人歩きの午後。たくさんの出会いがあります。

安山からソウル市内へ戻る電車の中で、左隣に座ってた若い女性が日本語を勉強中らしく、テキストを広げていた。話しかけてみる。明日試験なのだそう。漢陽大で舞踏を専攻していて、日本語は教養科目。それほど話せる人じゃなかったので、あまり話は弾まなかったのだけど、その隣に座ってたおじさんが時々英語で話に参加してきて、さらに私の右隣に座ってたおばあさん(全羅道出身、韓国語しか話さない人)もまじえておしゃべり。
おばあさんが私に韓国語で話しかけてくると、左隣の女子大生が通訳してくれる、それでも通じないとその隣のおじさんが英語でヘルプしてくれるという愉快な構図でした。
サダンという駅で女子大生が下りて行くと、私は独力でおばあさんの韓国語に立ち向かわなきゃいけなくなったのだけど、今度は新しく乗ってきて目の前に立った青年が、上手な日本語を話す人で、通訳してくれて助かりました。

市庁駅で乗り換えのために降りると、その青年も一緒になり、ホテルまでご案内しますよということでお言葉に甘える。この人も金さんで、4年間立教大学に留学していて今は韓国で日本語を教えているそう。今はサラリーマンだけど、いつかは経営者になりたいから名刺を作らないと言ってました。

ホテルに戻って買い物をいったん部屋に置くと、ちょうど待ち合わせの時間。
ロビーに飛行機で一緒だった金さんと奥さんの兪(ユ)さんが待っていました。
奥さんのユさんは、細身の賢そうな美人で、美男美女カップルだと思いました。

まず、ホテルから車に乗ってヨイドの63ビルに行きました。
いろいろおしゃべりしましたが、ユさんが通訳してくれました。彼女は中国の吉林省出身の「在中僑胞」で、中国の外語大で日本語を専攻していたので、トリリンガル。
彼女の両親は日本時代に日本語教育を受けているので、数字などは今でも日本語を使っているという話。
対して夫の金さんの方は全羅南道の木浦の方の出身らしい。サトゥリ(方言)は、田舎っぽいから話したくないと言っていました。

この夫婦は二人とも上昇志向の強い人たちで、私はちょっと押され気味。

たとえば、お金持ちは江南の高級アパートに住む。
「いい畑と悪い畑があるように、成功するためには住む場所はとても大事だ」などと話してくれた。金さんは今はサラリーマンだけど、昔貿易に携わって成功したことがあってその時に仁川にアパートを買ったそうで、ローンも完済してるらしい。
すごい。若いのに!
だけど、今はソウルで仕事していて、仁川では通勤に不便なので借家に住んでる。韓国では家を借りるときに、保証金を300万ウォン位積むと家賃タダでいくらでも住めるんだそうだ。
貧乏人は家賃を払うけど、少しお金あればいいシステムですね。

 ※当時のレート 100W=¥13.2
  300万ウォンは、40万円くらいだ。
  40万で家賃タダなんて!よほど金利が高かったんでしょうね。当時の韓国。

63ビルの駐車場の車の停め方が結構ぎゅうぎゅうで、これじゃ車出したいときに出せないんじゃ?と心配になったら、金さんが説明してくれた。
そういう風に人の進路をふさぐように停める車はギヤをニュートラルにしてサイドブレーキも掛けずにおくと、出たい車がその車を動かしていい仕組みなんだって。

へ~!って、日頃運転しない兪さんも知らなかったらしく、ふざけてその車を動かしてみようとしたら、金さんがすごい剣幕で「危ないから触るな!」と怒りました。この夫婦だけかもしれないけど、韓国の男女関係ってこういう感じなのかもって少し思いました。

(((((( 中略 ))))))))

漢江沿いの何車線もある広い道路がひどく渋滞してるなか、オリンピック公園などを車窓から見て、サドンというところで、夕食。
ナッチぽっくむという辛い料理をご馳走してもらいました。美味しかった。
ホテルまでまた送ってもらったのが夜9時頃でした。
たくさん話ができてとても面白かった。

そうだ、丙午の話になった。
中国や韓国でも丙午の女は良くないっていうらしい…


5日目 10/24(火)

ホテルで朝食を食べ、ロッテデパートの地下へ。
開店と同時に入ったら、店員さんたちがずらりと整列!日本のデパートと同じですね。
キムチをお土産に購入。

キムチがこぼれないように厳重に荷造りして、ホテルをチェックアウト。
荷物を預けて、最後の街歩きにでかけたのは「南山公園」
秋晴れの爽やかな空気の中、ソウルタワーに上りました。

南山で近くにいたおじいさんに声をかけて、自分の写真を撮ってもらおうとしたけど、なかなか通じなかった。身振り手振りで伝えたら、快く写真撮ってくれたのですが、韓国語、勉強しないとな~と痛感。地元の人とたくさんおしゃべりしたけど、韓国語はほとんど通じていないので。

ホテルに戻り、ガイドの羅さんに迎えに来てもらって、お土産屋に一度寄って、空港で日本に絵葉書をだし、金さん兪さんに電話して昨日のお礼をいい、無事帰国しました。


CD 1万ウォン位だ。安い。カセットは1200Wってどんだけ安いの!
揚げパンの安さも電車賃の安さもびっくりしますね。ソウル中心部から安山市までといったら、1時間半くらいかかる距離なのに・・・(750Wといったら100円くらい)。


初めての韓国。
濃かったなぁ…。
今読み返しても、韓国語も話せないのに街中でいろんな人と交流してますね。

この時の体験が強烈で、「もっと話したい!」と、帰国してからNHKのハングル講座を始めるんです。
そしてしばらくは夏休みやGWの長期休みには、一人で韓国に出かけていました。
ホテルも予約せずにぶらりと。
だいたいフェリーで釜山から入って、ソウルまで行くという感じ。

韓国語もどんどん上達して、結構話せるようになってきたところで、急に香港方面に転んだのでした…そして香港映画経由で、台湾通いが始まりました。

初めて韓国に行ったときの旅日記が発掘されました。
読み返してみたら、忘れていることばかり。
ツアーで行ったんだとか、いろんな人に会ってるなぁとか。
再度記録したいと思います。
この旅行は、同級生がソウルに住んでいたというのがきっかけでした。

日程 1995年10月20日(金)~10月24日(火)
同行者 Kさん(ソウルのホテルで合流)
HISのホテル付自由ツアーだったみたい。
ホテル:ロッテホテル

初日 10/20(金)

午前中仕事をしてから成田へ。ユナイテッドの夜便。897便。
ソウルまでは2時間。
隣の韓国人男性と話をする。

空港に着くとキムチのにおいがするなどと本に書いてあったけど、そんなことはない。
入国審査、むっとした顔の係りの人だ。「アンニョンハセヨ」と言うと顔がほころび「はんぐんまるる・・」と言われたが聞き取れない。「何日滞在しますか?」と日本語で聞かれる。「おーいる(5日)」とたどたどしく答えた。

トイレに行って、荷物を取り、両替をして外へ。
迎えの人がずらりと並んでいる。何か気恥ずかしい。私の迎えのHISの人もいるはず、と出迎えの人々の持ってる紙をのぞき込む。
ありました。「●●(私の苗字)御一行様」という紙。
ひとりなのに・・・。
実際に、HISの係りの羅さんが迎えに来たのは私だけだった。タクシーでホテルへ行くことになる。

空港のタクシー乗り場でひと悶着。
乗り場に並んでいると、後ろの人がどんどん乗るので、羅さんがいろいろ言って、乗っている人を下ろそうとした。一台目のおじさんは、けんか腰で言い返してきて、降りようとせず。二台目の人は下りてくれたので、そのタクシーに乗る。
羅さんの話によると、「この頃は韓国人も順番を守るようになってきたんだけど、こっちの人はせっかちだから…。最初のおじさんはそっちが乗ろうとしないから乗ったのだって。おかしいですよね?失礼でしょ。」と怒っている。

タクシーで空港に向かう途中、羅さんといろいろ話をする。帰りの迎えの打ち合わせをした後、朝鮮総督府(今の国立博物館)はどうして取り壊されることになったか?という話になる。
「日本の建てたものだからでしょう?」と私が言うと
「それだけじゃない。それだけなら、市庁もソウル駅も銀行も日本が建てたものだけど壊さない。あの建物があるために、宮殿が門から見えない。大統領官邸も宮殿の後ろにあるけど見えないから、というのが一つの理由。それから宮殿の後ろに「大」という形の山があり、博物館は上から見ると「日」という形に見え、市庁ふが「本」という形に見える。つまり「大日本」。それが、韓国の方位学の重要な場所にあるから、というのがもう一つの理由。」と話してくれた。

夜9時半ごろホテルへ到着。ロッテホテルはいいホテル。
フロントへ行くと同行のKさんはすでに部屋にいるとのこと。
羅さんとはここで別れる。
部屋でお風呂に入ってから、夜10時ごろ、少し外出。
明洞まで歩いてみる。にぎやか。東京と変わらない感じで、夜歩きも怖くない。
コンビニみたいな店でビールとコーラを買う。レジはPOSが導入されている。店の人に何も話しかけられず残念。
Kさんは先に歩いていたそうで、道を知っていた。


2日目 10/21(土)

7:20起床。朝食は贅沢してルームサービス。
Kさんはアメリカン。私はカルビタン。カルビタンにはカクテキやノリなどが付いてきた。
朝食後ホテルの地下の銀行で両替。係りのお姉さんがとても愛想がいい。

10:00 こっちに住んでいる同級生U君がホテルにやってくる。
今日は3人で観光。
まず、徳寿宮へ。ここは景福宮を小さくしたようなところ。U君の説明がすばらしい。豊臣秀吉の時代に景福宮が燃えてしまい、宮殿をココに移した。建物一つ一つの前で歴史的な背景を説明してくれる。すごい。

昼食は「韓定食を食べたい」という私のリクエストで仁寺洞まで歩き、トゥレという店を探す。
仁寺洞は歩行者天国になっていて、骨董品や筆、古本、陶磁器などを売る店が並ぶ。今日はちょうど何かのお祭りらしく、屋台がいろいろ出ていた4.飴を切って売る店は「芸」をするのがお約束なのか、何軒もあったけど、どこもにぎやかな音楽をかけて、はさみをカチャカチャ言わせて芸をしていた。仁寺洞の裏のほうは昔ながらの古い家で、貴族が多く住んでいたのだそうで、とても趣深い。仁寺洞の骨董店は経済的に苦しくなった貴族たちが暮らしのために家にあったものを売り出したのが始まりとか。

トゥレは奥まったところにあるいい感じの店。
日本語は通じず、英語が少し通じる。U君も韓国語はまだそれほどしゃべれない。
お店のおにーさんはいい人で、通じないながらもいろいろ説明してくれた。「韓定食~はんじょんしく」は予約しないとだめだそうで、代わりに「せこぎ(牛肉)」とか「ゆっけ」とかありますよ・・・と説明してくれるが、なかなか全部は通じないので、予算を3人で5万ウォンくらいとかいって相談。せこぎを入れると7万ウォンでということで、それで注文。お任せです。
結局飲み物とか全部入れると8万ウォンくらいになった。U君がご馳走してくれた。
帰り際、お店のおにーさんが、実は今月宮城の作並温泉に行ってきたばかりだと言っていた。しぶいな・・・・

※このお店今も健在のようです。
http://www.seoulnavi.com/food/2123/

昼食後は景福宮へ。
またまたU君の講義の続き。勉強になる。
景福宮はとても大きいが、その建物のほどんどは焼けたり壊れたりしてあまり残っていない。
ミンビ暗殺の石碑のところも行ってみた。今年は事件からちょうど100年で、10/8に行事があったらしい。花がそなえてあった。
高宗が愛したという建物はきれいでした。
結婚写真を撮るカップルがいました。

※参考:閔妃暗殺事件(1895年)(世界史の窓)

旧朝鮮総督府 国立博物館へ。
羅さんの話の通り、宮殿側からしたらかなり目障りな場所に建っており、何もここに建てなくても…と、日本の帝国主義の狭量さを感じて悲しくなった。この建物の撤去に日本も協力すればいいのにと思う。中は国立博物館になっている。子供たちが大勢いて展示物の名前を書き写している。絵を描いている子もいる。大人でも書いている人がいる。勉強熱心で結構だが、名前を書き写すことばかりに熱中して、肝心の展示物を見てない子もいるようだった・・・。
私一人なら、サラーっと流して見るところだが、同行者もいたので全部しっかり見てしまった。
朝鮮半島との歴史的な深いかかわりは知っているつもりだったけど、半島側の視点でみたのが面白かった。陶磁器などは、やはりこちらのほうがはるかに進んでいたんだとはっきりわかるし。伝播していくのが具体的にわかったような気がした。

光化門からまた仁寺洞にもどる。
伝統茶院というタバンでお茶。ここも貴族の家を画廊と茶房にしているところで、内庭が広くとてもいい雰囲気でした。

夕食は明洞で参鶏湯。栄養参鶏湯。おいしかったけど食べきれなかった。
途中、全州屋の前を通ったけどガイドブックに書いてある通り、本当に幟を持ったおじいさんが立っていた。あの人は一日中立っているのだろうか?

U君とはここで別れて、われらは途中の洋服屋などを冷かしつつホテルへ。
ホテル37階のラウンジへ夜景を見に行ったがあまりよく見えない。コーヒー1杯飲んで部屋に戻る。土曜の夜のせいかソウルの若者でスカイラウンジへのエレベーターはいっぱいだった。


今はもう旧朝鮮総督府の建物はありません。
1995年に解体されているので、私が見たのは本当にぎりぎりだったんですね。
その後ソウルへ行ったときに、尖塔部分が地面に置かれているのを見た記憶があります。
その後、その尖塔部分は、別の博物館へ運ばれて展示されているそうです。

   

ここ数日、昔聴いていた韓国ポップスのことを思い出してたんですが、ひとつどうしても名前を思い出せないグループがいて、気になってました。

男二人女一人の混成三人組で、ダンスっぽい歌を歌ってて、男の歌を担当する人が台湾のウースーカイに似てる~って当時友達と話してた。おおよそ、私が好きな系統ではないのだけど、何故か妙に気に入ってCDも何枚も買ったしカラオケで歌う練習もしたかも・・・・だったのですが、すっかり名前も忘れてて思い出せない。

それが、昔の韓国旅行の旅日記に意外なメモがあり、判明しました。

「COOL」 クールです。

そして、そのメモが、これ。

1997年の釜山慶州に行った際、団体行動に少しくたびれて慶州のホテルの喫茶コーナーで一人でコーヒー飲みました。他にお客もいなくて暇そうにしていたウエイトレスのアガシに話しかけて、どんな歌が好き?何かおすすめある?とか聞いて、書いてもらったのが、クールとパクサンミンだったようです。釜山に戻って、CD屋でこのメモを見せてちゃんと買ってきました。パクサンミンはそうでもなかったけど、クールは気にいったんですね。

こんなことがクールを聴くきっかけだったんだ。
忘れていました。

イスンファンがK-クリックという番組で受けたインタビューを、ネットにあげている方がありましたので、リンクしておきます。ネットにあげてくださった方、ありがとうございました。

https://twishort.com/9xikc

これによると、今回の来日公演は彼の出演料はなかったと。
そうだろうなぁ…
赤字覚悟とか、持ち出しなんじゃぁとか思ってましたが、やっぱり。
それでもやりたかったのでしょうね。
嬉しいな。

そしてまた次回も出演料なしで来ると。
しばらくはその覚悟でやってくれたらファンもうれしいし、なにか道筋がつくのではないかと期待します。

日本にステージの衣装を買いに年3回くらいは来ていると。
それで日本語も少しずつ覚えてるんでしょうね。

今年も7時間以上70曲のコンサートを企画してる?!
なんと!
行ってみたい。
でも7時間、こちらの体力が心配だ。

このインタビューは、公演前のもののようですね。
彼が実際に、東京公演をやってみてどう感じたのか?
手ごたえがあったのかなかったのか、そこだれか聞いてほしいなぁ。
ネットに一応記事はあるのだけど、本人の談がない。しかも韓国メディア。
日本のメディアで誰もチェックしてなかったのかな?
なんだかなぁ・・・。記者会とかもやってないみたいだし。
もったいない。
こんなことなら私が取材を申し込めばよかった(半分本気)
昔のPOPASIAとかああいうメディアがあったころなら絶対取材してるよね。
それともこれから出るのかしら?

陳昇も赤字でいいから日本に行こうとか思ってくれてたらなぁ・・・
結局一度もたったの一度も実現してないもんね。日本側も誰も呼ぼうとしなかったし。
橋幸夫の時にもっと頑張るべきだったか…

8

探し物をしていて20年前のノートを発見しました。
1ページ目に「Diary 31」と書いてあります。
あのころまだ日記をつけていたのかと思ったら、中身は違いました。

ページをめくって、3ページ目が上の写真です。
イスンファンの「チョンイルドンアン」の歌詞を書き写し、そこに辞書で引いた語意を書き込んであるものでした。どうやら、歌詞の意味を理解したいと思ったようです。「千日」を「天日」とか書いてあるし、ほんとに初心者ですね。

このノートの半分くらいまで、初めての韓国旅行(1995年)で買った2枚のCDの歌詞を書き写したり、たぶんNHKのハングル講座かなんかで勉強したんでしょう、例文なんかが書き込んであり、ハングルだらけ。
今見ても全然わかりませんが、当時はせっせと勉強していたようです。

さらに次の韓国旅行の計画を立てたりもしています。
今は、こういう風にノートに何かを残すということもなくなってブログに書く程度ですが、昔はノートに書いてました。
今見返すと面白いですね。

この旅行は母と母の友人と一緒にプサン~キョンジュに行った時のものです。
それまでに何度か韓国旅行してた私が、ガイド役になって行った楽しい旅行でした。
行きは福岡発の高速船ビートルで、帰りは夜行のフェリーカメリアに乗ったのでした。
雑魚寝のフェリーなんて母には慣れないものだったようですが、面白かったのではないでしょうか?

この旅行では会計係もやっていたようで、帰国してから作った会計報告書もありました。
物価がわかって面白いかも。
単位は韓国ウォンです。
4人分の料金。

旅日記もごそごそ探し出しました。
四人で39000ウォンの夕食は「大伽耶」という店で食べたらしい。
5/5の朝食 4000ウォンとあるのは、町の食堂で「ヘジャンクク」。
5/7の朝食が高いのは、ホテルで食べたからですね。

8

今回スンファンのことほとんど知らない夫を誘って見に行きました。
私がイスンファンを好きなことは知ってる人ですが、歌を聴いたこととかなかったはず。でも、コンサートを楽しむためにと、二人でせっせと予習をしました。そうしてこれまでのライブ動画などを見るうちに、彼の方もいつの間にか気にいったようで、カラオケ予習にも積極的に参加してくれたし、コンサート前日には「楽しみになってきた~!!」と盛り上がってました。

へ~、こんな展開になるとは意外。

そして、当日。
なんの打ち合わせもしてないのに、彼も韓国のファンの皆さんにあげるプレゼント(お菓子とか)を買ってきました。(イベントセットのお礼用)気合入ってるじゃん!

会場では周りの人と話したり、歌ったり、紙飛行機飛ばしたり、とても楽しんでいた様子。客席に歌わせる歌にはカナで書いた「カンペ」も用意してたので、一緒に歌えたのもありました。
帰りがけ、「いや~~、すごかった!たのしかった!!喉が強いね!歌うまいね!」と、何度も繰り返してました。家に帰りついても、あの場面ではこうだったとか、隣の人がこんな話をしていたとか、彼の方からも話題が尽きないようでした。

その後も、イスンファンで検索して情報収集とかしてるらしく、私も知らないようなことを教えてくれて、驚かせてくれます。

「YOKOが書いてたことに感動したよ。どうにかして、そのことイスンファンに伝えたいな~」
とかいうので、なんだろうと思ったら、私が2007年頃に書いたブログ記事を読んだらしいとわかりました。恥ずかしいわい。

という感じで、大変好意的に賛同してくれています。
また来日公演あったら絶対行きたいって言ってくれるだろうし、ひょっとすると韓国にも行くことになるかも。
これからのライブ活動もまた楽しめそうです。

N響のオーチャード定期公演でなぜアンコールを聴けなかったかというと、夜は別のコンサートがあったからです。
それがこの井上陽水コンサート@横浜!

N響オーチャードは1年近く前からチケット買ってあったんですが、井上陽水のは夫がキャンセルの出たチケットがあるといって急きょ買ったもの。
それでダブルブッキング。
でもまぁなんとか頑張れば両方みられるということで、どちらも行くことにしました。
そして、陽水の方は4枚チケットが買えたので、初生陽水という近所の友人も誘いました。ずっとファンでレコードは何枚を持っていてもコンサートは初めてっていう人結構いますよね。

午後6時に横浜で開演なのに、渋谷を出たのが6時近くになってしまいました。そのため、最初の5曲くらいを聞き逃しました。このコンサートは「UnitedCover2」というツアーの一環で、去年の暮れにも東京国際フォーラムで聴きましたので、まぁ最初聞きそびれても‥なんて思ってたんです。でも行ってみてびっくり、全然曲目が違っていました。同じツアーなのにこんなにセットリスト変えちゃって!あちこち追いかけていくファンにはたまらない魅力ですね。

ユーミンの「リフレインが叫んでる」の途中から入場。
これも、有楽町ではやらなかった曲。
今回は立ち見も出ているらしい。
すごい人気ですね。
陽水さん。

そして、なんと途中で15分の休憩がありました。
ええ~っ。こんなの初めてです。

でも休憩時間にロビーに行ってみて納得。
殿方トイレも淑女トイレももうそれはそれは恐ろしい行列。
とても15分の休憩時間ではさばけなさそうでした。
観客の年齢層が高くなっているからでしょうね。


休憩時間に撮ったセットリスト

後半もかなり曲が変わってて、トークも違ってて、楽しめました!ただ2階席だったのでアンコールの「夢の中へ」でも周りに立つ人が少なくてちょっと残念。1階席の皆さんはノリノリでしたよ。


物販コーナー。
イスンファンにも欲しかった。物販。

初陽水のお友達も堪能してたようでした。
誘ってよかったですね。
また次のコンサートでお目にかかりましょう。

陽水さん、日本の宝。

4

イスンファンコンサートの翌日は、N響を聴きに行ってきました。
これはもう1年近く前から予定していたもの。

演目はドヴォルザーク

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調op.104 
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調op.95「新世界から」

ロシアの若手指揮者とイギリスのチェロ奏者。
指揮:スタニスラフ・コチャノフスキー
チェロ:ガイ・ジョンストン

バッハもあったけど基本的にドヴォルザーク尽くし。

イスンファンで疲れた体に心地よい安らぎのひと時となりました。(つまり寝ていた‥?)

この後も予定があり、アンコールのスラブ舞曲はロビーを歩きながら聞く羽目に。

3月11日です。
あの日から5年です。
東京に住む私は、いろんなことを忘れて生きていますが、時には振り返り、よリ広くを見渡して、心を寄せようと思います。

4

イスンファンのコンサートから帰ってきて、家でCDを聞き直しています。
コンサートの前は、イスンファンを知らない夫にも予習してもらいたいと、アレンジが近いだろうと思われる最近のライブ動画ばかり見ていたのですが、一区切りついたので、CDを聞き始めました。
そこで、意外な発見がありました。

これまではどんなに聞いても「CDの中の人の声」に感じていたものが、

「お台場のステージで歌ってたあの人が、CD録音スタジオに立って歌った歌なんだ」

と、実体のあるものとして実感できました。
くっきりと。
今までは、どこか架空の人物のような感じがしてたんですね。
CDという小さく薄っぺらいものの中に入ってる音が、実体のある人間として認識される瞬間を実感したのは初めての経験。

やっぱりライブってすごいです。

今までの「好き」とこれからの「好き」は違うような気がします。

これまでの「好き」は音とか楽器とかそういう音楽の構成要素の一つとして、彼の声や作り出される音楽が好きだったもので、彼個人には余り興味がなかったんです。でもコンサート行って、生身の人間だって(日本語もしゃべっちゃうし)感じてしまったので、すこし彼の人となりにも興味が持てるようになってきた。実際のたたずまいや物腰も、遠くから見ただけではありますが、とても好感の持てるもので、がっかりさせない人でした。

もともと私はあまりバラードが好きではなく、イスンファンに「バラード歌手」と言われる面しか見えなかったら、20年以上も聞き続けてこなかったと思うことがありますが、初めて買った「HUMAN」というアルバムに、「モシッケサヌンゴヤ」というコテコテアメリカンロック!というような曲があり、その曲があったが為に、2枚目、3枚目とCDを買い足していく気持ちになったんです。

聞きはじめの頃はほとんど情報もないし、ネットもまだまだの時代で、彼のライブがこんなにすごいというのも知らなくて、「モシッケサヌンゴヤ」がなかったら、途中でCD買うのをやめてたでしょうね。

でも、そうするうち、「the SHOW」というライブ盤とビデオを手に入ました。
ライブの彼はCDの彼と全く違っていました。
曲のアレンジも全然違う…
やっぱり私が「モシッケサヌンゴヤ」に感じたロック魂をもってる人だ!!
と感激して、その後、どんなにCDに好みと違う曲が続こうとも(^^;)信じてついていきました。

・・・CDではこんなひょろひょろ歌ってるけど、彼の中にはロック魂が潜んでいる・・・

その後ライブ盤が何度も出て、更にはネットにライブ動画があふれる時代になりました。
そして、それを見聞きするたび、イスンファンの音楽性の幅広さとかCDに収まりきれない魅力があることについて確信をふかめていきました。

念願のライブに行き、彼のCDに入りきらない魅力を堪能したわけですが、ライブから戻ったら、今まで楽しめなかったCDの曲も全部完全に好みになってました。

「あの彼が歌ってる」と思うだけでもう完全に全肯定です。

こんなに変わるもんかね。
自分にびっくりです。

ライブの楽しみはステージ上だけにあるのではありません。
客席に入って一体感だったり敵対心(!)だったり、生きてる人々の息吹を感じるのもコンサートの醍醐味ですね。

韓国に行ってライブみたい!と思い始めた頃から、韓国のファンはどんな人たちだろうと興味がありました。ライブの映像見ながら自分がそこにいたりら、隣の人とどんな会話をするだろうかなんて想像してみたり。
やっぱり韓国語かな?いやいや、英語のほうが結局は意思の疎通がはかれるんじゃ?
そんなくだらなくも楽しい想像をしていました。

今回は、来日公演とはいえ韓国人が大多数を占めるであろうことは薄々わかってました。
ほぼ、韓国で見るのと同じような感じになるのでは?
想定会話集なども頭に準備しつつ、会場へ。

見まわして感じた事。

意外と、年齢層低めだ。
圧倒的に女性が多い。
本国のライブ動画には男性ファンもそれなりにいたけど、日本まで追いかけるほどの熱いファンには女性が多いのでしょう。

ベントセット

開演前、ブログにコメント頂いた方達とおしゃべりしてたときに、韓国のファンたちが手に手に大きな袋や紙バッグを持って、いわゆるイベントセットを配りに来てくれました。そうか~こういうふうに有志が作ってくれて配ってくれるんだ…。
今回は韓国から400人がチャーターできたってニュースがあったけど、その人たちは一人4つずつ作ってきたらしい。でもどう見てもひとり4セットどころじゃなくたくさん持ってるよ。きっと日本の観客に渡そうと思って多めに作ってくれたんじゃ?

イベントセットの内容は
・紙飛行機 作った人により数も色も大きさもまちまち。
 人にあたっても危なくないように、先端は平らにする配慮まで行き届いていますね。
・紙吹雪
・巻ティッシュ
・使用説明書(日本語!!)

私の前の列は30前後位の女性たち。
かなり熱狂的で、イスンファンが、客席へ降りてきた時なんか、ぎやーきゃー言って右へ行ったり左へ行ったり。可愛かった。残念ながら我らのそばまでは来てくれませんでしたけどね。

後ろは日本在住っぽい男の子2人と女の子。この人たちも乗りがよく、私はこの人たちと公演中よくアイコンタクト取りました。

ステージに降りてきたスンファン氏でしたが、客席はもうたいそうきゃーきゃーと盛り上がっていましたが、自分の席を離れてアーチストに駆け寄るような人はなくて混乱することもなく、大変良い感じでした。

それと、素晴らしいと思ったのは、ノリノリの曲ではみんな踊ったり飛び跳ねたり叫んだりするのですが、静かな曲、バラードなどではシーンと水を打ったようになるのです。「歌が聞こえないよ」と感じることもなく、それもすごくよかった。ライブの楽しみ方をみんな心得てる~って感じました。

そして、最後にビックリなことが待っていました。

アンコールも終わり、場内明るくなり、さあ帰ろうか。というときに、韓国のファンたちがあちらこちらで、床一面に落ちている紙飛行機やティシュや紙吹雪の紙切れを拾い始めました。ゴミ袋持ってる人もいました。
ほんとに、あっちでもこっちでも。

感激。

私たちも掃除に参加しました。
ほんとに最後、係りの人に「もうこれくらいでいいですから。あとはこちらでやります」と言われるまで。

夫は一緒にお掃除をした人に、イベンントセットのお礼にと買ってきたものを渡していました。

同じアーチストを好きなもの同士という連帯感があるから、もとから印象はいいわけですが、一層よくなりました。
たぶん、韓国に一人でコンサート見に行っても怖くない。
そんな風に思いました。

陳昇のときもファンの温かさを感じましたが、また別の雰囲気ですが、こちらのファンもお行儀良くて善良ですてきです。
イスンファンのファンのファンになりました。

12

2010年にイ・スンファンが「盗作」した、というような記事が日本のネットに出て、そのことについて私もブログに書きました。以前に書いた投稿には、コメントでも指摘されているように、当時の私の認識不足がありました。あんまり深く考えずに日本語の記事を読んだ印象だけでポストしてしまったのです。

そんな昔の話もう放っておこうかとも思いましたが、いまでもそのキーワードでこのブログに来る人もいるようなので、誤解を解いておきたいと思いこの話題を取りあげたいと思います。

■記事の概要
日本の有名なアニメ「フランダースの犬」の主題歌を、イスンファンが作品に取り上げているが、2010年、彼がラジオで「あの曲は盗用だった」と告白した。という内容。

この件に関して、私は詳しいわけではないのですが、それでも当時の記事とそれにまつわる日本側の反応にはいろいろと誤解があると思います。記事中でも「イスンファンが盗用した」とは書いてなく、あくまでも「作曲者が盗用した」と書いてあるのですが、日本のネット民の皆さんの反応は「イスンファンという韓国の有名な歌手も盗作した」みたいなニュアンスがありました。ネットにはそういう書き込みがいつまでも残るので厄介ですね。せめて私の今回のこの記事が人々の目にもとまるといいと思います。イスンファン氏の名誉のためにも。

まず、イ・スンファンの「フランダースの犬」という作品は、彼が子供のころに聴き親しんだアニメの主題歌にインスピレーションを得て、自分のオリジナルを付け加えた、いわゆるリメイクです。

こういう作品は沢山ありますよね。
ぱっと思いつくのは、ラフマニノフをベースにしたエリックカルメンの「オールバイマイセルフ」とか。

そもそも、作品名を「フランダースの犬」としていることから、この作品が「盗作」などに当たらないことは明らかです。「盗む」ならオリジナルの名前を付けたりしない。あくまでもこの作品は、子供のころに好きだった歌をベースにした新しい創作物です。

なにか問題があるとすれば、その原作者を当初イスンファンが知らなかったということ。それで、本当の作曲者を意識しないでCDを出しました。でもそれは不可抗力です。韓国でも日本のアニメ「フランダースの犬」は放送されていましたが、すべて韓国語になっていて(もちろん主題歌も)見ていた子供たちは日本のアニメだと全然気が付いていなかったそうです。(何年か前に韓国の掲示板でそのことが話題になったっていう記事をネットでみました)

しかも、韓国版「フランダースの犬」の主題歌「よあけのみち」は韓国人の作詞作曲としてひろまっていたんです。似たようなことは昔の台湾でもありましたね。日本語のカバーでも作曲者不明となっているもの。あ、そうだ、オフコースの「時に愛は」をチーチンがカバーしたのも作曲者小田和正じゃなかったし。

というわけなので、当時のイスンファンにはこの曲の本当の作者はわからなかったと思います。不可抗力と書いたのはそういうことです。また、もしわかっていたとしても、韓国内では韓国人の作詞作曲で通っているものを、わざわざ変えることまではしなかったでしょうし。後になってから「あの歌、日本の歌だったんだ・・・!」と気が付いたんだと私は思います。

子供向けのアニメだから、韓国語の歌詞をつけるでしょうけど、そうじゃなくても歌詞も変えて作り直す必要がありました。(後述)その時になぜ作曲者も韓国人名にしてしまったのかは1970年代に戻って当時の関係者に話を聞かないと分からないですね。(イスンファンは関係ない)

これには、日本と韓国の歴史がかかわってきます。
戦後、かなり長い期間、韓国では日本の歌や芝居(日本語文化)を公共の場で流すことが禁じられていました。(何時までかな?私が韓国に行き始めたころはまだそんな時代で、テレビではだめ。でも街の海賊TAPEにはたくさん日本の歌が売られてました。)そして、日本と韓国の間で著作権についての協定はありませんでした。

こんな話があります。ずいぶん昔に作家の曽野綾子氏の小説が韓国語に翻訳されました。原作者本人に何の断りもなく翻訳を出版したのがさすがに気が咎めたのか、出版社が曽野綾子に連絡を取りました。事後承諾的なものですね。でも、当時日本と韓国には著作権についての取り決めがなかったために、法的には曽野さんは韓国側に権利を主張することはできませんでした。そこで、彼女は翻訳者側に「もしお気持ちがあるなら、私の本の翻訳の利益の一部を寄付してください」と言ったそうです。
あまり期待せずにそう言ったそうですが、果たしてしばらくして、韓国のハンセン病関連施設から曽野さんにお礼の連絡があり、ちゃんと寄付がなされたことがわかったそうです。それが1970年代初頭のことで、今も続く「海外邦人宣教者活動援助後援会」の活動につながっていったそうです。

下にそのことを取り上げた記事を貼っておきます。

第4回(1997年度)読売国際協力賞 海外邦人宣教者活動援助後援会

ちょっと脱線しましたが、当時こういう風に原作者に連絡を取るケースは普通に考えてまれだったことでしょうし、日本語の文化は長く韓国ではアンダーグラウンドで、著作権どうのという話にならなかったんじゃないかと思います。(いまはそんなことないはず)

時代はめぐり、韓国でも著作権について敏感になってきました。
日本の曲のカバーなら、ちゃんとそうクレジットするのが当たり前の時代に。

そしてちょうど2010年当時は韓国の音楽界で「盗作・盗用」問題が話題でした(こっちはよくある盗作の話です。メロディーラインが似てるとかそういう疑惑。ですね)それで、イスンファンも自分のCDに入っている曲について「実は日本の曲だった。」と言及したんでしょう。彼自身がクリエーターですから当然本当の作者が誰かということについては敏感でしょうし。

これは完全に私の想像ですけど、イスンファンがラジオで話したのは、

「今盗作が話題だけど、実は自分の歌にもそういうのがあったんだよね。いや~びっくりしたよ。だってあのアニメ、日本のだって知らなかったし、主題歌も韓国人の作詞作曲とされてたからリメイクした時も気が付かなくて。でも日本の曲だってわかったからそれなりの対応はしたんだよ。」

みたいな感じだったのではないかと。
新聞記事がニュアンスを変えてくるのはよくある話で。
しかも、この時の日本語の記事は「嫌韓」ムードにおもねるにおいがプンプンするし。
「盗作だった」なんて書き方、腹立たしいですね。
マスコミのあおり記事とそれに反応する「嫌韓ネット民」という構図。

この前カラオケに行ったら、この歌入ってました。
作曲者は日本人になっていました。
歌いました(^^♪

4

今回は撮影OKということで、なんかそのこともMCで話していたっぽいけど、その部分は通訳が入ってなかったか、トイレに行ってて(たった二時間のコンサートなのに何をやってたんだ自分)聞いてなかった。「日本ではずっとコンサートでは撮影禁止なんだけど、今回は特別に・・」みたいなこと言ってませんでしたか?

というわけで、ファンたちが客席で撮影した写真や動画がたくさんあります。
どうもinstagramがメジャーなようで、そこからよさそうな動画を探して、リンクしました。
主に日本語MCとか、イベントソングとか見どころを集めたつもりです。
(ほとんど自分のためのリンク集です)

オープニング
https://www.instagram.com/p/BCiRxtiuJvw/

紙吹雪
https://www.instagram.com/p/BCiWuJ2EwAJ/

紙飛行機
https://www.instagram.com/p/BCkyIO-EiPw/

巻ティッシュ
https://www.instagram.com/p/BCkwv6WkiMN/
https://www.instagram.com/p/BCkJqRAI2wn/
https://www.instagram.com/p/BCijPI2v2r6/

マイクなしのオットケ~
https://www.instagram.com/p/BCjXBBtr0hq/

日本語MC「本日皆さんとお会いできてとっても嬉しいです。あなたはどうですか?」
https://www.instagram.com/p/BCiaOhBHS7b/

日本人客が少なくてガッカリするスンファン氏
https://www.instagram.com/p/BCiYw9YQ4Xg/
https://www.instagram.com/p/BCj1LlpuPdO/

日本語MC「これからそろそろ身体を動かす…」
https://www.instagram.com/p/BCiZQFBsspG/

「チチポン」=ハッピーアイスクリーム(ツイッタで意味を教えてもらいました)
 ※二人が同時に同じことを言ったときに、「●×●×」というとアドバンテージを得られる子供っぽいゲーム(?)「ハッピーアイスクリーム」という表現も地方差があると思いますけど。
https://www.instagram.com/p/BCio8IFwUJv/

Youtubeからも。
アンコール曲「オットケサランイクレヨ」マイクなしで歌うのは最後の方。
도쿄 오다이바 이승환 어떻게사랑이그래요 (2016.3.4)

これは少し短い。
後ろのほうの人が撮った動画なので、頭が邪魔ですけど、音はきれい。
歌うまいですね。
이승환 세월이가면 20160304 HWANTASTIC in Tokyo (zepp diversity)

写真
https://www.instagram.com/p/BCiTa1YByOH/

12

コンサートが終わり、皆さんの燃えつき症候群の報告が続々届いていますね…
私もまさに「とんびんまうむ」状態です(え?使い方違う?)

復習と称してCDをごそごそ引っ張り出して聞いていますが、告白します。聞いてないCDがいろいろ発見されました。たぶん買ってから1~2回は聞いてるんでしょうけど、あんまり覚えてなかったり。それで今反省しながら繰り返し聞いているところです。7集「Egg」はハード路線が好きな私としては、買ったころはころは甘すぎると思ってたようですが、今聞くと何とも良いじゃああ~りませんか!あと「SeriousDay」もあんなにハードな私好みなのに全く聞いていなく新品のような状態で発掘されました。かっこいいです。これベスト盤?


イラスト描いてみた。(消しゴムなし)

さて、反省はこれくらいにして、コンサートの感想を思いつくことから書いていきたいと思います。
コンサートはたったの2時間です。でも、ふらふらになるくらい燃焼させてもらいました。
エネルギーがすごかった。あれを去年は6時間やったんですね、スンファン氏の体力すごいです。
6時間のコンサートは陳昇でも結構経験あるんですけど、陳昇のは割と自由に好きなように歌い、しゃべり、酒を飲み、バンドメンバーに延々演奏させ、ゲストに歌わせで6時間。もちろんそれも恐ろしいほど(しかも何回もやってる!)ですが、イスンファンのはもっと計算されててデザインされてて、普通に考えたら無理~!!ってなる話でしょうね。たぶん二度とない。

●日本語MCにビックリ
第一声「東京の皆さん、イスンファンのコンサートへようこそ!」

コンサートの前にmy storyさんにMCに通訳入るんじゃないか?と言われてたんだけど、実はあまり信じてなかったんです。今までいろんな外国のアーチストのコンサートを見ていますが、あまりそういう配慮をする場面を見ていなかったので。しっかり通訳入れてたのは川口リリアで見たツイジェン崔健くらい。去年の夏に見た中華圏バンドの東京公演は中国語分からない日本人ファンは置いてけぼりだったし。そういうの普通だと思ってた。

そしたら通訳どころか本人が精一杯日本語で話してました。そして、込み入ってきたら日本語ができるギタリスト(留学経験ありなんだそう)が通訳し始めた。びっくりして感激した。序盤に日本人がどれくらいいるか確認して、かなりの少なさに本人もがっかりの様子だったけど、それでも日本語のMCは最後まで徹底してた。プロだ。おそらく日本人は1割くらいだったんじゃないかな?

いわゆる韓流とかKPOPと言われるコンサートには行ったことがないのでよくわかりませんが、あれだけ日本人のファンが詰めかけるのだからきっと海外に打って出てる韓国人スターたちは日本語をちゃんと話してるんでしょうね。日本語の歌もあったりして。もしかして、イスンファンもそういう状況を眺めていて、それを踏まえての日本語準備だったのかもしれない。でも、日本市場なんてあまり考えてないだろうし、あの日本語の準備は、一つ一つのステージに最高を求めるイスンファンのこだわりだと受け取りました。

MCで笑ったのが、客席の日本人の一人に向かって、
「あなたに聞きたいことがあるんですけど、いいですか? 私が誰か知っていますか? シン・スンフンじゃないですよ。」
ここでシン・スンフンの名前が出ることが興味深し。
並び称されているのか?日本で彼が有名だと思われてるのか?

「もう一つ聞きたいんですけど、ワタシの歳を知ってますか?」
「ワタシ韓国で52歳なんですけど、日本の年では50歳です。日本に来たら、キモチがいいデスね~」

やっぱり私より年上だったか…昔のプロフィールはなぜサバを読んでたのかな?

そうそう、「自分は日本人で言うと江頭2:50と同じ年です」みたいなこと言ってました。
誰がそんなことを教えた?それともエガちゃんのこと好きなのかな??

バンドメンバーの日本語による自己紹介も可愛かった。
この辺は外タレさん来日公演のお約束のお楽しみですね。
「ワタシは海賊王になる男だ」って意味不明のことをいうバンドメンバーの自己紹介に対して、「これは、漫画のワンピースのことです」なんていう解説までしてくれて、ただの丸覚えじゃないんだな~と日本語のうまさにビックリ。

●2時間の中にいろんな曲をぎっしり詰めてくる気合
今回の公演、一曲一曲がかなり短く仕上げてあった。
それに気がついたのは「セガジソウォン(3つの願い)」で、2つめの願いをとばして3つ目に行ったとき。
周りの人と顔を見合わせて「トゥーボンチェは??」。
これも明確な意図あってのことと感じたました。

日本の会場は時間制限がキッチリしてるし、今回は事実上彼にとって初の来日コンサート。
いろんな曲をショーケースのように聴かせたかったに違いない。お客も喜ぶし。やっぱり「あれ聞きたかったな〜」って言うのあるものね。もしかすると日本の音楽関係者にも聴かせたかったかな?来てたかな?関係者。

曲を短めにしたのが多いとはいっても、「イベントソング」はきっちりやった印象。
「ムロボンダ」の巻ティッシュ投げはちゃんと三回やれたし。あれは気持ちよかったな〜。わかっていらっしゃる。

たった2時間なのに気合の違いがわかる点はほかにもあり、衣装替えも何回もあった。
もちろん全部着替えるということではなく、上着を替える程度だけど、上着3種類+上着なし+駱駝の耳のついた帽子で、いろいろイメージを変えてくれたのもこだわりを感じました。

それから今回公演の機材全て自前で韓国から持ってきたらしい。
たった一回のためにそこまでするか?赤字だったんじゃ?それでもまだ半分くらいに抑えたとのことで、物足りなかったらしく、この次はもっと大きな会場で思いっきりやりたいみたいな話もしてました。
次を期待していいの?

そのほか、思い出したことをランダムにメモ。

・これは本国での公演でも言ってたみたいだけど…
「この歌を知っている人は、いい年ですね」
日本に留学経験のあるギタリストくんの通訳では「ジジババです」だったか?!
そしてその歌は「キダリンナルドチウォジルラルド」27年前の歌ですね。

・アンコール曲「オツトケサランイクレヨ」最後マイクを外し、生声で歌いはじめて呆然とした。
横で目を閉じて聞き入っていた夫に、ステージ見て!って促した。
マイク通したのと変わりない声量、すごいの一言。
確かに後半の音量の大きな曲はマイク通すと声が割れて聴こえてたからね。

・「外タレ」さんの来日公演で楽しみにしてるコトの一つにご当地ソング(とか日本語の歌とか)があるけど、それはやらなかった。なくてよかった。彼らしい。でも単純に韓国でやってるライブをそのまま持ってきたわけじゃない。
その証左が日本語MC。
実はちょっと「フランダースの犬」が頭をよぎったけど。あれもいい曲なので聞きたい気はするけど、無理かな。

曲によって座ったり立ったり、客席の振りもいろいろお約束があったようでそういうのを体験できたのも楽しかった。
アンコールの掛け声で、「이승환!」 「dream factory!」はわかったけど、이승환の前に何か言葉が付いてたのがわからなかった。ツイッターで質問して教えてもらいました。

  →「ムジョク(無敵)イースンファン」だったそうです。

また次があるかな?
あってほしい。

「ジョン・メレンキャンプとイスンファンのコンサートに行くこと」というのが、ここ10年くらいずーっと言い続けてきた人生の宿題でした。これで全て終了。あとはおまけの人生だ(笑)。

韓国のファンのことなどもっと書きたいことありますが、稿を改めます。

20

ついにこの日が来ました!

昨年12月に来日公演のニュースを聞いてから、心落ち着かず、台湾に陳昇のコンサート見に行ってた時もホテルではイスンファンを流し続け、台北の街角でも口ずさみ、ベトナム行ってもホテルでイスンファンライブの動画で予習を続け…もちろん夜な夜なライブ動画を流し続け、歌詞をカナ書きして歌えるようにしたり、カラオケボックスで集中練習したり、みっちり?準備してきました。

しかし、準備をすればするほど楽しみで仕方なくなり、当日は手が震えたり、胸がドキドキしたり、りんかい線に乗ってお台場に向かう途中でお腹も痛くなってきました…。

ほんと、どんだけかけてるんた?って感じですが、しかたないです。20年越しの念願のライブですから!!

仕事場も早退して会場へ向かいます。
会場には開場前に到着。

イベントセットというものを韓国のファンが持ってきてくれるという情報を得ていたので、何かお礼を渡したいと思い、途中のデパ地下で菓子折り購入。


なんと!
写真撮影OKですと?!
日本の公演では珍しいことですね。でも、私のスマホじゃ写真は期待できません。一眼レフ持ってくればよかった。


お花はこの2つ。
初来日コンサートというのに地味ですが、韓流ギョーカイと一線を画した企画なんだと思わせますね。独自路線を感じてなんとなく嬉しい。


韓国語の案内。

開場を待つ間にイベントセットらしきものをたくさん持ってる人たちを発見。セットをもらってお礼の差し入れを渡しました。

日本の人だったのですが、「これアーチスト宛のプレゼントじゃないんですか?」ときかれましたが、いえいえ、こんなにたくさん作ってくれた方へのお礼ですよ。

アーチストにプレゼントか~、その発想はなかった。

入場のため整列。
私の真後ろから日本語が。振り返ると、おお、この方はLucyさんでは?!声をかけると果たしてLucyさんとお友達の皆さんでした。10年以上ぶりの再会ですね!


名前がカタカナで書いてある。じーん。


ブログにコメントくださった皆さんに見つけていただくべく、ロビーでビール。早すぎたかな?誰にも会えない。


二階席に上がってみたり。


ステージ前まで行ってみたり。
おお!階段がついてる。客席に降りてきたりするのカモ?!

Lucyさんたちの席へ行き、おしゃべりしてるうちだんだん人が増えてきて、すみつばめさんか見つけてくれました。
すみつばめさんの席へ移動。韓国から来たファンの人とおしゃべり。韓国語は全く出てこない。仕方なくすみつばめさんに通訳していただいたり、英語で交流。

イベントセットを紙袋にいっぱい持った韓国のファンたちがどんどん回ってきて配ってくれます。
それだけで感激。
イスンファンのファンは何か雰囲気がイイですね。

KASUMIさんも見つけてくれました。三人でおしゃべりしてたら真横に座っていたのが、 my storyさんでした。

わ~!
皆さんに会えた!
記念写真撮りました。
私のスマホだと写りが悪いんですけど、送りますので、このブログのメッセージ機能でメアドを知らせてください。

そうこうするうち夫もやってきて、2階席に来てるはずの北海道のお友達を探しに行きました。中華方面のファンつながりの方なんですが、今夜行きますってメールもらってたんです。
彼女とももう何年ぶりでしょう。嬉しい再会です。

2階席もステージがよく見えて良さそうでした。私の席は一階後方なのでステージはあまり見えない…。
そしてコンサートが始まりました。

会場が沸き立ちます。

つづく…

4


昨日は、スンファン氏御一行様は最終リハのあと渋谷のリキッドルームで行われた韓国のなんチャラというバンド(よく知らなくてすみません)の応援に駆けつけたっぽいですね。

私は今頃、昔のライブアルバムを引っ張り出して、予習しましたよ。
付いてるのがVCDで画像が悪いのなんの。
いまはきっとDVD出てるんでしょうけど、手に入れてません。

いよいよ今夜!!

12

イ・スンファンコンサートに行かれる皆様、いよいよ明日に迫りましたね!
体調は万全ですか?予習のしすぎで寝不足気味の私ですが、今夜は早く寝ようと思います。

会場で私を見つけたら声をかけてください。

ドキドキしてきた。

もういまさら予習するには追いつきませんが、去年の伝説の6時間21分のコンサートのセットリストを入手しました。
曲名の後ろにあるのは収録アルバムです。
初出のものではないので、ベストやLIVE盤が多くなっていますね。
それにしても66曲とか、すごい…

이승환-빠데이 셋리스트(2015.9.19)

1.좋은날 무적전설(無敵傳設)
2.사랑하나요 반란(反亂)
3.기다린날도지워질날도 HisBalladII
4.잘못 HisBalladII
5.화양연화 FALLTOFLY前
6.구식사랑(Feat.이주한ofWinterplay,린) Dreamizer
7.내게만일어나는일(Feat.MC메타of가리온) FALLTOFLY前
8.체념을위한미련 Human
9.이노래 Hwantastic
10.너를향한마음 HisBallad(OriginalLimitedEdition)
11.첫날의약속 TheWarInLife
12.세가지소원 반란(反亂)
13.크리스마스에는 B.C603
14.ChristmasWishes Egg:SunnySide-Up
15.못말리는봉팔이 반란(反亂)
16.덩크슛 반란(反亂)
17.제리제리고고 반란(反亂)
18.롹스타되기(Feat.윤도현ofYB,요한ofPIA,이성우of... Dreamizer
19.한사람을위한마음 무적전설(無敵傳設)
20.꽃 HisBalladII
21.울다 Hwantastic
22.완벽한추억 Dreamizer
23.그대는모릅니다 반란(反亂)
24.WonderfulDay(Feat.박신혜) Dreamizer
25.악녀탄생 Human
26.춤바람 Egg:SunnySide-Up
27.세월이가면 무적전설(無敵傳設)
28.화려하지않은고백 HisBalladI
29.천일동안 무적전설(無敵傳設)
30.다만 무적전설(無敵傳設)
31.내가바라는나 Human
32.심장병 반란(反亂)
33.가족 반란(反亂)
34.루머 무적전설(無敵傳設)
35.FallToFly FALLTOFLY前
36.물어본다 반란(反亂)
37.참쓰다 3+3
38.어른이아니네 FALLTOFLY前
39.Life'sSoIronic FALLTOFLY前
40.그한사람 3+3
41.내맘이안그래 몽롱(Monglong)(Repackage)
42.내게 반란(反亂)
43.너에게만반응해(Feat.이소은) FALLTOFLY前
44.건전화합가요(Feat.45RPM) Hwantastic
45.세상에뿌려진사랑만큼 반란(反亂)
46.동지 반란(反亂)
47.퀴즈쇼 반란(反亂)
48.A/S Dreamizer
49.하찮은사랑 Karma
50.멋있게사는거야 무적전설(無敵傳設)
51.흡혈귀 무적전설(無敵傳設)
52.착한내친구 반란(反亂)
53.Rewind Hwantastic
54.그냥그런이야기 B.C603
55.슈퍼히어로(Feat.슈퍼키드허첵&파자마징고) 몽롱(Monglong)(Repackage)
56.소통의오류 Hwantastic
57.Happilyeverafter 순정만화OST
58.그대가그대를 반란(反亂)
59.붉은낙타 Cycle
60.단독전쟁 Dreamizer
61.Warning Egg:SunnySide-Up
62.이별에대처하는우리의자세 Human
63.내생애최고의여자 Dreamizer
64.개미혁명 Dreamizer
65.이별기술자 Dreamizer
66.어떻게사랑이그래요 Hwantastic

このコンサートについて伝える記事(日本語)

4


記事をコツコツ書いていたおかげで、「私もコンサート行きます」っていう方のコメントをいただいたりして、だんだん心強くなってきました。
my storyさん、Lucyさん、すみつばめさん、KASMIさん。
そしてツイッターの方でも、声かけていただいた方がありました。

いよいよ明後日!皆さん一緒に楽しみましょう。

さて、ここのところ毎晩家で動画を見て予習していましたが、
「ちょっとカラオケボックスで予習しよう!」
という話になり、昨晩、夫と二人で2時間歌ってきました。

イ・スンファンの歌は日本のカラオケボックスでも20曲以上歌えます。

  参考:カラオケで歌える曲 이승환/イスンファン/Lee Seunghwan

私はこれまでも1~2曲程度は歌ったこともありましたが、2時間イスンファンオンリーなんていうのは初めて。(陳昇のみとかはやったことある。中島みゆきしばり、サザンしばり、80年代洋楽しばりなんてのも昔はやりましたな~)

夫はこれまで全く韓国語にも韓国ポップスにも興味がなかったのですが、半ば強引に私にチケットを渡され、予習だ予習だと、曲を聞かされているうちに、少しずつ興味を持ってきたようです。ハングルを読めもしないのに、iPhoneに韓国語入力を設定して、1時間ほどでハングルも文字を見たとおりに入力できるようになりました。

そして通勤時に動画で予習を重ねるうち、
「いや~いいね~。歌がうまいね~。すごい喉だね~。コンサートが楽しみになってきたよ」
と、たいそう気に入ってきた様子。

そして、カラオケ行って練習しよう!ということになるわけです。

とりあえず、予習課題曲を中心に知ってる曲を歌ってみました。
(ムロボンダはカラオケに入ってませんでした。残念)


チョウンナル
セサンヘプリョジンサランマンクム
サランハナヨ!?
DunkShoot
家族
赤い駱駝
オットケサランイクレヨ
セガジソウォン
クリスマスには
千日間
タマン
キダリンナルドチヲジルラルド
クデガクデルル
別れに対するぼくらの姿勢
トンビンマウム
クデヌンモルムニダ
ネゲ
フランダースの犬
ジェリジェリGO!GO!

などなど・・・
私もほとんど初めて歌う曲ばかり。
でも何度か練習するうち、夫は「オットケサランイクレヨ」を上手に歌えるようになってました。
すごいな~。

私はと言えば、どれもこれもうまく歌えません(もともと歌が下手)
でも意外と「クリスマスエヌン」は気持ちよく歌えました。
あの歌は歌詞が曲に乗りやすく作ってあるんだと思われます。
でもきっと今度のコンサートでは歌わないよね。

ちなみに上のラクダの写真は、「赤いラクダ」ではなく、「家族~カジョク」です。
なぜ動物園の映像なのかな?通信カラオケなので固定の映像ではないんですけどね。
「家族」モノってことなのかしら??