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大江戸鳥瞰図 |
クリエーター情報なし | |
朝日新聞出版 |
昨日から調べている江戸時代の地図や街歩き系の本を図書館に予約した。
この時代、図書館の本もネットで検索して、そのまま予約できるから便利。
本が届いたらメールでお知らせ来るし。
そのうち、自宅に配達サービスができたりしてね。
(さすがに無料じゃないだろうけど)
gooブログ終了にともない引っ越してきました
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昨日から調べている江戸時代の地図や街歩き系の本を図書館に予約した。
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半七捕物帳 お江戸歩き |
クリエーター情報なし | |
河出書房新社 |
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古地図で歩く大江戸捕物帳―半七、鬼平の舞台を訪ねる (別冊太陽 太陽の地図帖 12) |
クリエーター情報なし | |
平凡社 |
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半七の見た江戸―『江戸名所図会』でたどる「半七捕物帳」 |
クリエーター情報なし | |
河出書房新社 |
やっぱりあった。
誰でも考えることは同じだなぁ~^^
でも私は自分で作りたい。
グーグルマップにおとしこんでみたいと思ってる。
本棚ゴソゴソしたらこんな本を発見。
使える!!
「歩兵の髪切り」に出てきた神田小川町の歩兵屯所もちゃんと載ってる。
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日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫) |
網野善彦 | |
筑摩書房 |
もうひとつ、いま読んでいる本。
こないだ久しぶりに本屋に行って、偶然見かけて買ってきた。
ほんとは「半七捕物帳」を探してたんだけど(全作品キンドルで持ってるのだけど、文庫で解説とか読んでみたかった)見つからず、かわりに手に取ったのがこれ。
文庫なのに1200円!
でも前書きだけ読んだら、めっちゃ面白そうでした。
いま、文字の項を終わり、貨幣の項に入ってる。
ちょっと「サピエンス全史」に似た構成です。
網野先生のご説だと、日本の社会は13~14世紀ごろに大変革があり、その前後で全然あり方が変わった。その後の社会は昭和30年代くらいまで続いていて、その後また大変革が起こっているのでは?というのらしい。
どんな変革なのだろう?
わくわく!
こちらもチビチビ読んでいます。
半七捕物帳 全69作品のリストを作って手帳に挟んでいる。
読んだものに黄色のチェックを入れてみてるけど、残りがだんだん減ってきた。
さびしい。
作品名の横の数字は青空文庫のID。
今はオーディブルで朗読を聞いてるけど(朗読の無い作品が10個以上ある)
聴き終わったら、「半七江戸地図」みたいなものを作ってみたい。
作品に登場した場所を地図にマークして、実際に訪ねて歩いてみるのも面白そう。
実は我が家の近所も登場している。半七は来なかったけど、子分が聞き込みに来たりしてて楽しい!もしかしたらもう誰かがやってるかな?
やはり、てるみくらぶは破産したそう。
こういう風に一般人の生活に関係のある会社の場合、より身近に感じて恐ろしい。
私も20代の頃に働いていたところが倒産して、お客さんにも家族にもたくさん迷惑をかけた経験がある。
だから、こういうニュースに触れると従業員のことも気になる。
給料がもらえるのかな?
残務処理が大変だろうな。
など。
最後の給料は現物支給だった。
高級美容液3本。
それも破産後なので手をつけてはいけないものだったのかもしれないけど、経理部長がこっそり渡してくれた。
でも・・・
これ、食べられないんですけど‥‥
家賃も払えないんですけど‥
結局換金できなかったな。
自分で使ったんだったか?
お客さんにも色々怒られたけど、あきらめてもらうしかなかった。
自分の損害を我慢して、若い私たちを励ますようなことを言ってくれるお客さんもいた。
今でもあのことは自分の中の消せない傷というか汚点。
その経理部長は、社長が姿を消した後も、われわれ一般社員が一定の残務処理を終えてちりじりになったあとも、毎日出社してきて残務整理していた。こういう人は信頼に足る。社長はあっという間に逃げて、一度も会うことはなかった。他の役員はみな自宅をとられてアパートなどに引っ越したのに、社長だけは裏技を使ったのか、元の豪邸に何年もそのまま住んでいるという話だった。10年くらいたってから、夢に社長が出てきて、めちゃくちゃにののしったことがあった。恨んでいたのかもしれないが、人を見る目を勉強させてもらったと思うことにしてる。
でも、経営者は会社を倒産させてはいけない。
本当にそう思います。
今の会社も危なくなったら事業整理してほしいぁ。
旅行会社の「てるみくらぶ」が倒産したらしい。
※現時点で未確認情報です。訂正しておきます。スミマセン。3/27 9:30
今回の倒産は、かなりひどいことになっているようで、まさに今旅行中の人たちのホテルがキャンセルされていたり、帰りの飛行機がキャンセルされていたりするらしい。これから出発するという人も、飛行機の予約は残っていたりいなかったり、ホテルは予約はされていても料金は払われてないので、お客がダブルで払わなきゃいけないとか。空港に着いたら送迎は来てないは、ホテルはキャンセルされててホテル探しからやらなきゃとか。
いろんなケースがあって大混乱しているそうだ。
旅慣れていない人ならなおさら相当混乱、心細いことだろう。
利用していた皆さん、本当に気の毒だ。
私もしょっちゅう旅行してるし、格安旅行ばかりだから他人ごとではない。
でもよく考えたら、もう旅行会社を利用する旅行はほとんどしていないのだった。
飛行機は、航空会社に直接予約。
ホテルはネットの予約サイトBooking.comとか楽天トラベルとか使ってるけど、現地払いにしてることが多い。
ツアーに至っては、もう10年以上お世話になってない。一人旅ばかりだから、使いにくいというのが最大の理由だけど、それでかえって助かってるのかも。格安ツアーや航空券販売の旅行会社が倒産するニュースもう何度もきいてきたもの、遠いところの話ではないのだ。
てるみくらぶで働いてた人も辛いだろうなぁ。
(会社の倒産経験してるので、これも身にしむ)
帰省中、母の誕生祝いで街まで食事に出た。
ランチだったので、食後熊本城の様子を両親と見に行った。
作業の様子を説明するパネルがいたるところにありました。
こうやって説明してもらえると、理解が進むし、良いことだと思います。
崩れた石垣を整理して、番号を振って保管しているようです。
でも手つかずのところもまだまだ多い。
薬研堀のところ。
この空堀は父が若いころはソフトボールの練習会場だったらしい。
仕事の昼休みにやってきては同僚とソフトボールやってたんだとか。
写真手前にバッターボックスがあって、いま崩れてしまってる石垣越えをさせるのを目指してたんだとか。
巨木も崩れたままになっていました。
加藤神社前。
人を通すところはこのようにがっちりと補強しているようです。
石置場
立ち入り規制。
城彩苑の上のところ。行幸坂を望む。
復旧には20年かかると言われている熊本城。
20年なのかどうかは、やってみないと分からないのかもしれません。
東京にいる時は「崩れてしまっても熊本城が無くなったわけじゃないし」なんて思ってたのですが、やっぱり実際に足を運んでみて、いつも行けた場所があちこち立ち入り禁止になっているのを見ると、とても切なくなりました。
天守閣に近づけないのもとても寂しい。
「城彩苑」というお土産物を売ったりしている施設はオープンしていました。
行ったらすごい人気で、ごった返していました。
その中に「復興城主」の申し込みカウンターがありまそいた。
つまり熊本城の復興のための寄付の受付です。
これまでも平成の大改修などでも「一口城主」等と言って一般の寄付を募っていましたが、今回もそういうものです。
ここに寄付をすれば熊本城のために使われます。
早速、受付に行って「城主」になりました。
その話をFBで友人に伝えたら、台湾の友人も寄付したいと言ってくれて、代理で手続きしました。
ネットからも申し込めてクレジットカードで入金できるので便利です。
彼女はまだ熊本城に行ったことはないそうですが、天守閣に近づけるようになったらぜひ案内してあげたいと思います。
「城彩苑」で見かけた中国語の張り紙。
バオビン~かき氷のことですね。
城主になったあかしの城主手形。
熊本で色々の特典が受けられるらしいですが、熊本に次に帰るのはいつかな?
昨年の5月に帰省して以来、10か月ぶりに熊本に帰りました。
阿蘇くまもと空港に父に迎えに来てもらい、健軍の実家にもどるのに、津森経由にしました。
津森は父が子供の頃に住んでいた土地で、なつかしいというのもあり、また、ここから帰ると木山を通ることになるので、地震後の益城町の様子も見られるということでこういうルートになったのでしょう。
父の子供時代の思い出話などをききつつ津森を通り、木山、安永、馬水、惣領、沼山津と地震の被害の大きかったところを通りました。
飛行機の窓からも確認できていたのですが、屋根の修繕が終わらず、ブルーシートを貼ったままになっている家屋が予想以上に多い。
県道の両脇、地震直後は崩れた家が立ち並んでいたところはかなりの割合で更地になっていた。
家の近所まできても状況はあまりかわらず。
壁が崩れた家が「危険」の張り紙もそのままにされていたり、隣の家も屋根にブルーシートをはったままだったし、更地もちらほら増え、取り壊しの工事をしている家もあったりと、地震後の復旧作業がゆっくりゆっくり進んでいるという状況だった。
業者さんの数が足りず、地震の直後から頼んでいてもなかなか順番が来ない。ということもあり、またもともと年寄りが多いので、家を空けて施設に入っていたりで家を手直しする人がいないということも多いようだ。
健軍商店街のアーケードも見に行った。
鉄筋コンクリート3階建てのスーパーが倒壊していた現場は、建て替えの工事に取り掛かっているようだった。アーケードは修復が終わり、きれいに塗装されていた。それでも更地もあり、廃業した店もあり。もともとシャッター商店街の様相だったので、復活は遠い道のりのように思える。
(地震直後の様子)
熊本を離れていると、こういう生の情報にはなかなか触れることがなく、ブルーシートなどはかなり減っているものと思い込んでいた。
反省。
同級生の家もちょうど解体が始まったと言っていた。
地震直後には被害が少なくて一部損壊程度だった友人の実家も、その後の余震で被害が大きくなり、再検査したら大規模半壊となったとか。まだ修理ができないので不安の中暮らしてるそうだ。
改めて天災の恐ろしさを感じた。
<<追記>>
津森を通りながら、父が話してたことのメモ。
祖父は「駐在さん」だったので、父たち家族は駐在所に住んでいて、それは津森小学校の近くにあった。今はもう建物もなく、【がけ崩れ危険地区】という看板が立っていた。去年の地震とは関係がなく、昭和54年と書かれていた。その駐在所から、学校まで竹馬に乗って行ったことがあったとか。家の縁側から竹馬に乗り、はだしのままで行ったとか。
途中、道が木山川に沿っていた。
津森神宮などもあるところ。
「木山の初市には、この道を木山まで歩いていったなぁ」とか。地図で見るとちょうど4キロの道のり。小学校低学年時代の思い出らしいので、結構遠かったですね。
木山の初市ってなんだろうと思ったら、今でもやってるそうですね。毎年3月に開催しているらしいです。
北部横貫公路
全長約129.5kmの省道台7線の自動車道である。(Wiki)
日本時代(大正時代)に開いた山道を拡張したもののよう。
宜蘭市から昨日は鳩の澤温泉まで行って帰ってきました。
今日は、また途中まで同じ道をたどり、さらに山越えをして桃園市へ出て、台北から淡水まで向かいます。グーグルで調べると4時間半の行程。
ドライブの状況を写真でご紹介。
(写真は2日分が混ざっています)
どうということない景色ですが、台湾でドライブするのは珍しいことなので色々写真撮りました。この車には、カーナビを付けてる上に更にタブレットでグーグルのナビも使ってる。そして私にはよくわからないけど面白いデバイスを導入してた。それは、音声を認識するもので、話しかけると音楽を流したり、ラジオの局を探したり目的地までの距離を答えたり、歌を歌ったりするsiriみたいなもの。
ガジェット好きな友人なのでいろんなものを積んでいるみたい。
タブレットのグーグルマップ。
山道のくねくね感が伝わりますか?
台湾の桜は濃いピンク。
林業の発展とともに開かれて行った道路や鉄道。
(中国の範囲が広い!!これが中華民国の版図だ!)
途中まで「蘭陽渓」という川に沿って山を登って行きます。
この川がとても雄大。
水はそれほど流れていないのですが、河原に石が大量にあり、大きな谷をつくっています。
台風や大雨が降ると、流量が増えて上流から石がゴロンゴロン運ばれるんでしょうね。
その河原に何か整備してあるところが‥
拡大写真。
何だろう?
連れは西瓜畑と言ってましたが・・・。
山道はあちこち崩れています。
ここはまさに崩れたところをパワーショベルで修繕中。道をふさいでいる重機は器用に自分の身体を山の方へ移して我々を通してくれました。
途中、休憩。
標高の高いところにある池「明池」。
涼しいから景勝地として人気があるようです。
明池山荘というホテルもあります。
山歩きとかの拠点になりそうですね。
ここには薄いピンクの桜が咲いていました。
「不滅の栄光」
この道路を切り開いた人々をたたえる、石碑と案内板です。
この案内板にはにほん時代のことは書かれていなくて、「光復初期・・・」から説明がされています。この道路の工事のことは教科書にも書かれて、国民党政府の偉業としてしっかり教わったという話。
1950年代に人力で作った道のようですね。
大変だったろうなぁ。
農園もあります。
ここから山歩きで着るような道が作ってありました。
北橫公路の高いところは植生も違います。
針葉樹林が広がっています。
宜蘭県と桃園市の境目。
この山道の工事は大変だったでしょうね。
朝10時に宜蘭のホテルを出て、淡水駅に着いたのが午後4時を回っていました。
6時間のドライブとなりました。
写真はあまりありませんが、この道路を通ってて感心したのが自転車の多さです。
日曜だったせいか、自転車で山越えしている人が本当におおぜいいました。
100人は見たと思います。
台湾の自転車人気もすごいものですね。
それと、宜蘭側も桃園側もタイヤル族の集落が点在していて、それも興味深いものでした。
集落によってモニュメントがあったり、原住民文化のモチーフの飾りがあったり。
ゆっくり訪れてみたいですね。
鳩之澤温泉から戻ってきて、晩御飯を食べにホテルの向かいにある「宜蘭東門観光夜市」へ行きました。
昼間にも一度通って下見(?)しておきました。
昼間はまだどこも開いてない。
夜になったらここにも屋台がずらっと並ぶんでしょうね。
そして夜。
ガード下が夜市になっているので、雨でも営業できそうですね。
入口近くの葱油餅を早速食べます。
あと、これも屋台で試してみたかった「銀糸巻」。
でも見た目が知ってる「銀糸巻」となんだか違う。
超級安いけど。
油が良くないとこれは美味しくない。
そんなに食べ物の屋台は多くなかったので、結局夜市の中にあるステーキ屋さんへ入りました。
が、あまりおいしくなかった・・・。
でもとりあえずお腹いっぱいになったので、ジミー公園まで散歩。
宜蘭の駅前にあります。
ジミーさんのことはよく知らないので、「ふ~ん」という感じだったのが自分としても残念。
やはりこういうところは「あのジミーさんの世界が!」とかって盛り上がりたいですね。
宜蘭の駅舎もジミーさんとのコラボらしい。
※ジミーさんというのは、台湾の有名な絵本画家です。
帰りに、駅前のスーパーで果物や夜食を買ってホテルへ。
10時半くらいに就寝。
これスーパーで買った芋チップス。
なかなかおいしかった。
今回の目的地はこの「鳩之澤温泉」。以前は「仁澤温泉」と言ったそう。
そのいわれは、日本時代に林業に携わる人たちが開いた温泉で、鳩が入ってたからこの名がついたとか?国民党時代になり「仁澤温泉」と改められたが、最近またもとの名前に戻されたのだとか。
山道をくねくねと登っていくと、山の中腹から白い煙のような湯気がもくもくと立ち上っている。あそこが目指す温泉らしい。周りに何もなく、ほんとに山の中の一軒湯であるようです。
到着すると、それなりに少し開けた平地があり、駐車場と幾つかの建物があった。湯けむりが上がっている場所が二箇所あった。大きな方が源泉なのだろう。建物群から少し離れた高いところにある。そこから湯を引っ張っていると思われるパイプもあった。
もう一つの湯けむりは、いくらか規模が小さい。温泉玉子作りの場所でした。
売店で玉子を買って、茹でるかごを借りました。借り賃は20元、別に200元のデポジットを預けます。
もくもくしてるところからは、ボコッボコッと暴力的なお湯が涌き出ています。
湯しぶきが当たると火傷の危険あり!
タマゴも食べたので、温泉に入りましょう。
ここには、水着を着てはいる「SPA区」と個室になってる「家庭湯」と、いわゆる男女別浴場の「裸湯」があります。
連れが当然「裸湯」!という姿勢だったので、有無を言わせず裸湯へ。
台湾らしいSPA区でもよかったんだけどなぁ。
裸湯へ行くと、入り口は施錠されていて、係りの人を呼んでチケットを見せて開けてもらわないといけませんでした。
もちろん、温泉のなかでの写真はありませんよ。
大きな露天風呂で、一応洗い場もありました。かんたんな石鹸シャンプーは備え付け有。ドライヤーもあり。コインロッカー有(お金は戻ってくるタイプ)
先客5~6人といったところでしょうか。
入ってみて、なぜこの温泉にわざわざやってきたのか、わかりました。
とにかく泉質が良い!
ぬるぬるしたお湯で、肌がつるつるになります。
1時間弱堪能して、外に出たらもう真っ暗になってました。
昼食を食べた後は、太平山の方にある温泉を目指しますが、その前にちょっと寄り道。
ちょうど山への途中に「カヴァランウィスキー」の工場があるのです。
蒲田のバーの方から工場見学できますよ~と話を聞いていたので、ぜひ一度行ってみたいと思ってたのでした。工場の売店なら販売してるものの種類も多いでしょうから(空港免税店では4~5種類のものしかないし、サイズも選べませんので)できればいろいろ試せるミニボトルのが欲しいと思っていました。
見学コース。自由に歩いてよいようになっています。
ミネラルウォーターの工場も併設。
こちらはウィスキーのボトリング工場。
樽がいっぱい!
入口と出口
ウィスキー工場はさすがに一番人気!
説明があります。
展示も充実。
樽の中はこのように焼いてあります(見えづらいですが)
スチールポットです。
たくさんありました。
このコーナー濃厚なウィスキーの香りが立ち込めてました。
こちらは売店。
「撮影はこちらで」の撮影スポットから。
買ってきたものたち。
ミニボトル6種セットを買いました。
これで好みの味を見定めてから、また買いに行こう♪
工場の情報
金車酒廠
住所:宜蘭縣員山鄉員山路2段 326 號
http://www.kavalanwhisky.com/
宜蘭についてまずお昼ご飯をたべます。
やって来たのは「猫耳」の店。
猫耳って話には聞いていたけど食べるのは初めて。
(あ、猫の耳の形ってだけですよ。念のため)
猫耳と魚団子の入った汁ビーフン。
40元。
「総合」には魚丸と猫耳がまざってるんですが・・・
猫耳一個だけだった。
魚丸も柔らかくておいしかったけど、「猫耳湯」にすればよかったな。
次にチャンスがあれば、またチャレンジしたいです。
美味しかった。
猫耳というのは求肥みたいな半透明の皮で餡(肉と野菜)を包んだ三角形のもの。
猫の耳に形が似ているところからの命名のようです。
でも実は一般に「貓耳」という食べ物はこれではないのです。
私が昔台湾の人に「食べてみて」と紹介されていたのもこれではありません。
もっと小さくて小麦粉で作ったいわゆるパスタのようなものです。
この宜蘭の店のは台湾でも珍しい貓耳のようですヨ。
信利號貓耳
+886 3 933 1702
台湾宜蘭市文昌路8號
この店の帰りにちょっと道を間違えたおかげで、もう一つの有名店「南塘水餃店」にも行くことができました。(ちょうど通りかかった)連れが「ここも有名な店ですよ」というので、猫耳ビーフン食べただけでまだお腹いっぱいじゃなかったので、ここで水餃子と酸辣湯をいただきます。
これでも酸辣湯は小30元ですよ。二人でシェアして食べました。
水餃子の皮は厚めで餡はキャベツ中心。酸辣湯も美味しい。
ここに、自動餃子包みマシンがありました。捏ねた麵と餡をいれると、どんどん餃子ができてくる。そのあとお店の人がちゃんと形を整えているようではありました。
満腹!
南塘水餃館
地址宜蘭市聖後街78號
電話03-9362091
營業時間11:00 ~ 21:00 (月曜公休)
台湾の友人が予約してくれたホテル。
宜蘭駅からも近く、東門夜市は目の前で便利です。
今回の宜蘭行きは、どこに泊まるとか、どんなルートで行くとか、全て台湾の友人(弟分)にお任せしました。気を使わないというのもあるし、頼りがいもあるやつだし。普段の旅行なら自分で何もかも調べて準備するのですが、たまにはこんな旅もいい。
先ず今夜の宿へ向かう。ホントは山の中にあるホテルに泊まりたかったけど満室だったらしい。それで宜蘭の街中のBOSSホテルにしたのだそう。
「電話で予約入れただけなので、ちゃんと泊まると、ホテルの人を安心させます」
こんなところ、妙に律儀。
行ってみると駅からも近く小ぢんまりした古めで小奇麗なホテルです。
道の向こうに観光夜市もある。
部屋は結構広い。
1人で寝るにはもったいないくらいの大きなベッド。
お風呂はバスタブとシャワーブースが別々。
茶器がカワイイ。
(二階からの眺め)
(一階席の様子)
春酒第二部はライブです。
宴会に参加した人には優先席取りの権利もあり、前の方で見ることができました。(たまたまラッキーなことに誰かが気を利かせて私の分までとっててくれました。ありがとう)
春酒でなくても、いつもライブはお酒をガンガン飲みながらやる陳昇さんですが、今回はあまりだらけたおしゃべりはなくて音楽中心でした。お酒はよく飲んでたけど。私もバーで台湾ビールを買ってきて飲みました。他の人たち、割と飲み物持ち込んでた。。ゆるすぎる・・・・。
今回はゲストが多かった印象。
最初はフィルチャン(張宇)。
この人は春酒の出席率高い。もしかして毎年来てるのかな??
相変わらず歌がうまく、オーラは少なめ。
次に趙詠華。
なぜコートを着てるんだろ??
それからギタリストにビヨンドの歌を歌わせた。
懐かしい「関心永遠在」もやった。
ボビーが「自分には大物になった弟子が金城武と劉若英の二人いるけど、これから出てくるのは三人目の弟子」と紹介したのが、なんとボビーの所属するロックレコードの段社長。この人若い頃歌手志望だったと聞いたことあるけど(で、才能足りず裏方に回ったとか)年取ってやはり昔の夢を追いかけたくなったのかしら?三曲歌いました。プレスリーの「愛さずにいられない」と台湾語の「思慕的人」そして長渕の「乾杯」の北京語カバー。
さすが歌手を目指していただけあって歌うまい。でも歌詞がボロボロで「普段所属歌手たちにお客さんはお金払ってるんだぞ!」と小言言ってるのに…と笑いを取ってました。
そして後半に阿VONが真面目に「この方をお呼びできるのは大変に光栄なことです」と紹介した文夏先生が登場しました。一日前にインドネシアから帰ってきたばかりと伺ってたけれど、全く疲れも見せない歌いっぷり。ほんとに90歳なのかしら??
この文夏先生がステージに上がって歌っているときに、陳昇がまた変なことを初めました。ギタリストの前に置いてる譜面、譜面台、歌本のファイルをボンボン舞台袖に投げ始めたんです。「こんなもの使うな!暗譜してないのか?!」と言わんばかり。しまいにはiPad(最近バンドマンたちはiPadに楽譜入れてるらしい)までほおり投げようとするのでハラハラしてしょうがなかった(流石にこれは投げなかったけど)
あとで聞いた話によるとやはり「文夏先生のこの曲(媽媽請你也保重)は国歌みたいなものなのに楽譜がいるのか?!」と投げていたらしい。
ギタリストたちが苦り切ってたのが気の毒だった。その後ステージスタッフが素早く散らばった楽譜を拾い集めて復旧してたけど。こういうところがあるからボビーは怖いと言うか、一筋縄で行かないというか。
ライブは三部構成で終わったのがちょうど12時でした。おつかれさま〜。
帰り道は、やはり近くに宿をとったという香港の楽と一緒にてくてく歩いて帰りました。
これ、その夜のベストショットだと思う。
いい顔してるね。ベースのイーウェンちゃんも。
春酒。という毎年陳昇(ボビー・チェン)が開催している宴会付きコンサートに行ってきました。場所は、これも恒例の西門町にある紅楼(日本時代のレンガ造りの建物です)今回は日本から参加したのは私だけ。会場について知り合いのいる席を探します。今回は香港の人たちと一緒の席に座りました。左隣はジョニさん、右隣は上海から一人で来たという男の子、初めまして。10人の円卓で知らない人は二人だけだった。これなら楽勝です。
香港のファン仲間とは付き合いが長いし、香港に訪ねていったこともあるしで 緊張しない関係。ジョニさんはひところよく日本に来てて、よく会ってたんだけど、ここのところ来日仕事は少ないらしい。最近はサムホイ(許冠傑)のコンサートツアーを主催してるとか。すごいっ、チケット回してほしいっ。
あまりにリラックスしすぎて、主役の陳昇と話もしなかったし、2ショット写真も撮らなかったよ。しまった。何やってるんだ!<自分。
でも、それなりに積極的に楽しみました。
まず、年末のコンサートで目が釘付けになった男前のキーボード奏者がいたので、知り合いに頼んで、2ショット写真撮らせて貰った。(オバサンだな〜やってることが)
隣に座ってた上海の男の子とも交流。彼は遠くから見てるとヤンチャな感じがしてたのだけど、話してみるとはにかむところもあって可愛い。でも台湾人の雰囲気とはやっぱり違うな〜。ファン歴6年って言ってました。コンサートに来るようになって2年なんだそう。「大陸のファンは熱情だよね〜」って話をした。やっぱり大陸では陳昇に会えないから、こういう機会に弾けちゃうんだと言ってた。
彼が「陳昇の奥さんだ!」と席を立っていったので、私も後を追ってボビーの奥さんに挨拶。
その後、文香さんがちょうど私の横を通ったので、まず挨拶。「コンニチワ」と文香さん。文夏さんも来てるというので、ご挨拶しに行く。文夏さんの隣に陳昇が座って話してたんだけど、私が来たのを見て「YOKOここに座って文夏先生とお話しろ」と席を立っていってしまった〜あら〜〜。
私は文夏先生の隣に座ってそれから日本語で色々インタビュー。貴重なお話を伺えました。(このお話はまた後日シェアします)
同じテーブルに、ボビーの奥さん、歌手のフィル・チャン(張宇)ご夫妻もいて、フィル・チャンにもご挨拶。「前に三個好男人のときにお目にかかった日本人です」と自己紹介したら「知ってますよ」との返事。ほんとに?!覚えてるのかな〜??2ショットをお願いして、カメラを渡したのが彼の奥さんで有名な作詞家の十一郎さんだった…不覚。どおりで見たことある顔だと思ったんだよね。
文香さんに「先月東京で撮った写真もらってないよ」と言われたのでその場でLINEの交換(!!)。普段使わないから難しかった。無事写真送れました。文香さんからはスタンプがガンガン届いた。使い慣れてらっしゃるご様子。
最近は台湾でもほとんどお酒飲まないようにしてるけど、この宴会ではワインにウイスキーに、とたくさんいただきました。新年会だからね。
みんな料理が来るたび写真に忙しい。
基本は赤ワイン。
そうそう、こういう円卓(バンドォっていう)の宴会料理食べる機会何度も有った割に、お作法とか無頓着でした。でも、今回気が付いたことがありました。こういう席では、1人分の食器としてあらかじめ、皿、お椀、箸、コップが一組用意されているのですが、周りの皆(香港人、台湾人、上海人ともに)は皿の上にお椀を置いて、すべての料理をお椀にとって食べ、骨とか貝殻をお皿にのせてる…。私はというと、汁物はお椀に、固形のものはお皿にのせて並行して食べてた。上の写真でも確認できますね。
このことに突然気がついたので、周りの人に「もしかしてそれが正式な食べ方なの?」と聞くと、「そういうわけでもないんだけど、この料理ならそうするなぁ。もっと大きな料理、例えば蟹とかなら皿の方に取ることもあるけどね。料理に寄るかな」とのこと。
キャー恥ずかしい。と騒いでいたら気にしないで大丈夫と慰められた。
これは、あれですね、習慣の問題ですね。
汁物と固形のものを分けないんだな、中華の人たちは。汁物だろうと、揚げ物だろうと、おこわだろうと、出てきた順番にお椀にとって食べ、食べ終わってから次の料理を食べるわけだね。
次からは私もそうしよう~。
今回の宿は「ネクスト台北西門町」というホステル。
リピートです。ここは私の台湾でのホステルデビューとなったところ。ここの印象が良かったので以降もっぱらホステル泊になったのでした。今回西門町でのイベント参加が目的なのでこ再訪を決めました。
チェックイン時、二回目ということで、説明は省略してもらったのですが、担当してくれたスタッフがすごく親切でした。部屋まで荷物運んでくれるし、朝ごはんの場所を説明してくれて、聞きもしないのに周辺のおすすめ飲食店を色々教えてくれました。(朝ごはんつきなのに、外で朝ごはんを食べるならここがおすすめというのも教えてくれました)何より驚いたのは、私の名前をすぐに覚えてくれて、出かけるときやチェックアウトの時、「ヨーコさん、オハヨウゴザイマス」「傘持ってますか?」「ヨーコさん、いってらっしゃい」とか声かけてくれたことです。すごい〜。
こんな親切なスタッフを揃えて、以前はつかなかった朝ごはんも付いて、以前は有料だったコーヒーも無料になり、それで一泊600元2000円くらい。私には関係ないけど、喫煙スペース(共用ベランダ)があるのも珍しいホステル。
残念ながら、朝ごはんは食べに行くことができませんでした。台北駅前のネクスト台北と同じく、近所にある「台北日記」というホテルの朝ごはんが食べられるんだと思います。台北駅前は同じ建物内にあって便利でしたが、西門町は建物が違うのもあり、体調の問題もあって行かなかった。3泊分もあったのに、もったいなかった。たぶん豪華な朝ごはんだと思われます。
このホステル、前に来たときはそれほど感じなかったのだけど、韓国人御用達状態になってるみたい。「留言ポストイット」見てもハングルで埋まってる。同室の子たちもラウンジの子たちもほとんど韓国人の女の子だった。最近、韓国人の女の子って海外旅行先でよく目に入る、目立つからかな?台湾も旅行先として人気なのかもね。(最近韓国人の女の子を狙った卑劣な犯罪が台湾で発生してたので、影響がなければいいけど)
台北に到着して駅から宿まで間近い距離だけどタクシーに乗りました。
タクシーの会話はお決まりの、
「どこからきたんですか?」
「仕事?観光?」
「何日いるんですか?」
「どこに行く予定ですか?」
から始まり、それに答えていると、
「中国語上手ですね」(当然のお世辞)
「どこで勉強しましたか?」
ここまでが、毎度おなじみだいたいのの定型文です。だから答える方も慣れたもんです。今回はそこからお天気の話に発展。私が「ここ数日台北寒かったみたいですね?」と振ると、
「今日は、温かいですよ。台北の春の天気は『ホームーシン』と言うんです。」
ホームーシン?
なんだろ??と、分からないでいたら、運転手さんが色々言葉を尽くして説明してくれました。ホームーシンは、漢字で書くと「後母心」。継母の心ということらしい。変わりやすいってことを表してるんだそうな。なんか前にも聞いたことあるかも。そして、「端午節までは冬服をしまいこんではいけない」とも言われています。という話。
勉強になるな〜。
そのあと、私が行く予定といった大平山の話になり、寒いですよ。雪が降るかもしれませんよ。とか、一泊で行くといったら、それじゃあ時間が足りないですよ。とか、「ポンポンチャー」がありますよ。とか、色々話してくれました。ポンポンチャーつてなんだろう??
後でこれは「トロッコ」と判明。
桃園MRTの台北駅からタクシーに乗ると、運転手の名前を書いた紙を渡してくれます。レシートも出た。これ初めて見たかも。1.2キロ、たったの85元の距離でしたが、なかなかよい中国語の勉強になりました。
※帰国して調べてみたら、「後母心」のこと、このブログに書いていました。2013年の記事「最大の中文クラス」すっかり忘れてる‥‥
ついに台湾のメイン空港である桃園空港(昔は蒋介石国際空港って言ってた)と台北市内が鉄道で結ばれました!!先月は本数限定で無料開放してたらしいですが、今月からは正式開業で半額で乗れました。(桃園空港→台北駅は160元
これまでバスかタクシーしかなくて、渋滞で時間が読めなかったりしたので、鉄道の開通は本当に喜ばしい。
台北駅まで35分くらいで到着できます。
新しい駅は、構内広々。
悠遊カード(スイカみたいなもの)で乗れます。券売機のところにすごく並んでたので、スカイライナーみたいに指定席なのかも?と思って(全然調べていなかった)係の人(オープンしたばかりなので大勢いる)に聞くと、カードならそのまま乗れるとのこと。
ホームへ。
ここの駅は始発ではなく、行き先が2つあるので注意が必要です。「台北駅」行きに乗ります。
到着した車両は、荷物おきのスペースがある他は普通の地下鉄。ぎりぎり席を確保しました。立ってる人も結構いました。
車窓に広がる景色が新鮮。
桃園の近くの田んぼには水がはられてたけどまだ田植えはされてなかった(翌日行った東海岸の宜蘭では田植えが済んでた)
台北駅が終点。
この駅も広い。
今日はタクシーで移動しよう。
タクシー乗り場は改札から近く、係の人がいて運転手の名前が書かれた伝票みたいなのを切って渡してくれます。
並ばずにすんなり乗れました。
桃園空港がぐんと便利に近くなりました。
写真は帰りに乗ったときのもの。
空港に向かうときは注意が必要です。私は1タミで降りるのに、ぼーっとしてて降り損ねそうになった。ホームに書いてある駅名が小さくて目が悪いので見えないのですね。危なかった。皆さんご注意を。
森沢 幸 (ナレーション)
あらすじ
「土蔵の中には大きな蛇が祀まつってあるんだそうで……。それに三度の食物を供える。それには男の肌を知らない生娘きむすめでなければいけない…」。雇われた生娘が土蔵で見たのは…。幕末の江戸を舞台に、人情に篤いがクールな知性派、岡っ引きの半七親分が大活躍!
ネタバレします
これは完全にホームズだ!!
ブナ屋敷だ。
話は面白いけど、設定にちょっと無理があるかなー。
寮番夫婦は自分たちだけで手が足りないなら、お蛇様のお供えのご飯の世話は自分たちで賄って、その他の母屋や庭の掃除とか、そういう仕事に女中さんを使えばよかったでしょう。そうすれば発覚しなかったのに。
田舎者を馬鹿にしすぎでは?
向島の寮と言えば宮部みゆきの時代小説にも登場します。
宮部みゆきが、半七ファンだからかな、あるいは寮といえば向島だったのか?
半七で学ぶ江戸文化
・この時代、田舎者の娘でも読み書き普通にできる。彼女の書いた手紙が事件解決の端緒。
朗読:藤田かおる
あらすじ
衆人が見守る舞台上での殺人事件!半七親分が酔っ払いを熱演する目的は?江戸のホームズ、半七親分の活躍を朗読で楽しもう。
素人芝居「忠臣蔵」の勘平を演じる大店の息子が、本番の真っ最中に殺された!
半狂乱の実の母に頼まれて捜査に乗り出した半七は、自らも店先で大芝居を打ち、犯人を炙り出す――。
幕末の江戸を舞台に、人情にゃ篤いがクールな知性派、半七親分が大活躍!
以下、微妙にネタバレします。
素人芝居
すり替わる凶器
舞台上の死の臨場感
事件の動機は、陳腐と言えば陳腐ですが、半七の人情味あふれる解決法に感心します。
この解決法、今の価値観だとちょっと首をひねるところもありますが、江戸までさかのぼらずとも、松本清張の作品などでもこういう処理の仕方を良しとする価値観は受け継がれていたと思います。(ゼロの焦点とか)
半七に事件の調査を依頼に来る人物にひねりがきいてて、この人情話がもりあがります。
「依頼人」の存在は、シャーロックホームズでは、割合に必須条件ですが、半七捕物帳では、あまり依頼人というのは登場しませんので新鮮でした。ここかお上の十手を預かる半七と、私立の諮問探偵であるホームズとの違いですね。
「だが、旦那、このことは無論内分にいたしますが、江戸中にたった一人、正直に云って聞かせなけりゃあならない者がございますから、それだけは最初からお断わり申して置きます」
こういう物の言い方、ホームズにも共通しますね。ホームズはもうちょっと皮肉が利いてるか。
半七で学ぶ江戸文化
・磔の処刑の仕方が事細かく描写されていて怖かった。
腋のほうから何度も槍を刺して絶命させるのですね。ブルブル・・・。
「春酒」と中国語で言うと「新年会」という意味になるそうです。
毎年このくらいの時期になると、私の大好きなボビー(陳昇)オジサマは「春酒」と題したコンサートを開きます。「新年会」ですから、コンサートの前に宴会があるのが毎回恒例。中華の丸テーブルで、知らない人たちと一緒にご馳走を食べます(お酒もたっぷり差し入れられます)。前回参加したのは3年前になるので、「また、そろそろ参加したい」と、今年は万障繰り合わせていくことにしました。宴会まで含んだチケットは限定50席のみの売り出しですから、プラチナチケットとまではいきませんが、手に入れにくいのです。なのに、今年はチケットの発売情報を見逃してしまってました。発売当日発売1時間前に、台湾の友人から「今チケット買うのに並んでるところなんだけど、YOKOの分も買う?」と連絡が入り、あわててお願いしました。
あぶないあぶない。
(でも、こんな風に連絡もらうとか初めてです。ラッキーでした)
最近、台湾に行ってもいつも駆け足、ということが続いていたので、今回は3泊4日。
私にしては少しのんびりした日程をとり、初日に春酒に参加した後は少し旅行らしいことや、ご無沙汰してる友人に会ったりしようと思っていました。
でも、計画しているうちにだんだん窮屈な日程になってしまいました。
あれれ?
おかしいなぁ‥‥。
今のところの予定
初日:夕方桃園空港着→宿へ→春酒(たぶん夜遅くまで)
2日目:朝からエステ。昼ごろ台北を出発して宜蘭の山の温泉へ。宜蘭か山に宿泊。
3日目:山の温泉から台北に戻る→淡水へ。友人と会う。淡水の夕日を見る。ご飯食べる。
4日目:昼前に桃園空港着。帰国
なんかぎっしりだ。
2日目に泊りがけで山に行くことにしたのが、原因なのはわかってる。
なんでこんなことになったかというと…
2日目の午後時間あるなぁと思って、台湾の弟分、蛋蛋に
「土曜日ヒマ?どっか遊びに行こうよ」
と声をかけて
「いつも台北ばかりだから、どっか郊外へ。車出してもらえるかな?行ったことない北埔、三峽老街、猴硐、あと陶器の街鴬歌とか。あともうずいぶん長く行ってない基隆、烏來、猫空とか。おススメある?」
なんて相談していたら、
「宜蘭太平山の仁澤溫泉」
と強力な推し。
山奥なので、時間的に制約があるのと、午後から出かけるんじゃ日帰り無理なのとで、1泊泊りがけで行くことになった。かなりおススメの温泉地らしい。私としてもなかなか行く機会の無いところだし、車出してもらえる機会でないと自力で行くのは大変なので、楽しみ。でも山道かぁ…酔いそうだなぁ…。酔い止めを多めに持っていかねば!
というわけで、今度の台湾旅は、久しぶりに郊外へ出かける冒険旅となりそうです。
(いや、地元の人に連れて行ってもらうから、冒険じゃないか)
では、行ってきます。
あらすじ・解説
娘思いの真面目な父が、ある朝突然の来訪者に殺された! 死をきっかけに、父親が隠しぬいた忌まわしい過去が炙り出される……幕末の江戸を舞台に、人情にゃ篤いがクールな知性派、半七親分が大活躍!
ネタバレしますよ
完全にこれはグロリアスコット号事件。
途中ではは〜ん。と気がつきました。
河童が出てきたので、四つの署名も混ざってるか??
細かく見ていくと、この話はグロリアスコット号の翻案と思えるほど。
腕に刺青がある、罪人であることを示す刺青をかくすために紅葉の刺青を入れてる。でも半七の観察眼にかかるとしっかり見破られる。ホームズのグロリアスコット号事件でも、トリヴァ老人の腕のイニシャルの刺青(を消そうとした跡)をホームズがしっかり観察している。すっかり心を入れ替えて真人間になり、周りからも善人の評判の高い人物になっているところへ、昔の悪事を知るものが訪ねてくるというのも一緒。
実行犯として小さな人間が登場するところは「四つの署名」風味。ホームズ物語は大英帝国らしく、植民地からやってきた「トンガ」ですが、こちらは鎖国中のお江戸。登場するのは「河童」です。
河童!!
半七捕物帳は、こういう怪奇風味もたっぷりなので、幽霊とか化け猫とか狐とかいろいろ出てくるんですが、この河童には最終的にはちゃんと現実的な解説がつきます。
半七で学ぶ江戸文化
・六十六部=巡礼者。略して「六部」ともいう。
・河童の見世物は見世物小屋の定番。
レネ・リウ(劉若英)がついに日本でコンサートをやります!
(昨年5月台北アリーナでのコンサート時に撮影)
レネ・リウ(劉若英)は中華圏の大人気女優&歌手です。デビューは20年以上昔ですが、今や中華圏で稼げる女性歌手の筆頭だそうです。2016年のコンサート収入は中華圏女性歌手の中でナンバーワンだったんだとか。そんなに売れている印象無いですが(失礼)、出身地の台湾はもちろん、中国大陸での人気がすごいんですよね。
女優としては天性(だと思います。デビュー作見たらそう思う)の演技力と、透明感のあるその個性で独特の存在感を持っています。彼女は子供のころからピアノをやっていて、高校卒業してアメリカに音楽留学をしていました。もともとは歌手志望で、私の追いかけている台湾のシンガーソングライター&プロデューサーの陳昇にスカウト(?)され、レコーディング助手のような仕事をしながら下積み生活をしているころに映画出演の話があり、歌手よりも先に女優としてデビューしてしまいました。
それがシルビアチャンの「少女小漁」1995年。
その演技が大評価され、台湾の映画に次々に出演します。その間に陳昇のもとで音楽修行も続け、CDも何枚か出しますがそれほど売れず・・・・。音楽活動は、陳昇のコンサートにゲストで出たり、陳昇の弟子というイメージでした。
が!
4枚目のアルバムだったか、日本のkiroroの「長い間」のカバー曲「很愛很愛你」が中華圏で大ヒット!
1998年ごろのことです。それから歌手としてもスターダムに上って行ったのでした。
その後は陳昇のもとを離れ、レコード会社も移籍し、売り方を変えたら、どんどんヒットを飛ばし(売れなかったの陳昇のせい?)いつの間にか「女性があこがれる女性」の地位を確立していました。そして「結婚できない最後の大物女性芸能人」の称号も!
そんな彼女も、40歳を超えて中国の青年実業家と電撃結婚をし、44歳での高齢出産にもチャレンジ。しばらくの産休を経て、ママさん歌手&女優としてその人気を不動のものにしています。
私もこの20年間、ずっと動向を注目してきた人です。生レネのステージも何度も見ています。初めて見たのは1998年のお正月でした。まだ陳昇の弟子のイメージだったころです。2002年(もう15年も前だ!)に彼女が初めて大型コンサートを台北で開いたのも見に行きました。その時に手に入れたサイン入りTシャツは今も私の寝巻となって大活躍です。そのあとも何度か彼女の個人コンサートや舞台劇を見ています。
うちは、夫が大ファンなので、来日が決まってからというもの毎日大騒ぎ。
チケットも先行予約で購入。
友人8人のグループで大挙して観覧予定です。
去年の3月、イスンファンが来日コンサートをしたのと全く同じ会場です。
ご縁を感じますね~。
チケットはまだ絶賛発売中らしいので、ぜひお出かけください。
9500円というのは安くない金額ですが、本国へ行けば、体育館などの巨大な会場でも15,000円以上する入場料でしか見られない人です。この狭いところで見られるのはお得ですよ!
東京 2017/3/23(木) Zepp DiverCity TOKYO
開場・開演:OPEN 18:00 / START 19:00
チケット:¥9,500-(税込/全席指定/1Drink別)
チケット発売
プレイガイド イープラス:eplus.jp
チケットぴあ:0570-02-9999 Pコード:323-756
ローソンチケット:0570-084-003 Lコード:76865
楽天チケット:http://ticket.rakuten.co.jp/
For Customers outside Japan:
RENE LIU ticket is now available via Rakuten Tickets!
*Follow the link and you can make the reservation!
http://global.rakuten.com/en/store/ticket-star/item/20170323_reneliu/
劉若英関係の過去記事
2008年劉若英台北コンサートレポ
2010年劉若英台北コンサート
2016劉若英台北コンサート ミニレポ
2013年「レネ・リウの手紙」(新聞記事の翻訳)