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先週末、秋田田沢湖へ行ってきました。

この「昔ばなし大学」と言うのは小澤俊夫先生が主宰されている市民大学で、全国にものすごい数の学生がいます。1992年にスタートし、今年で25年。最初の頃の学生さんは、大学院に当たる「研究会」で今も勉強を続けていらっしゃいます。

今回の参加者も全国から500人以上が秋田田沢湖に集結!遠くは石垣島からもたくさん来ていらっしゃいました。

スケジュールは以下の通り。
5/26(金)夜、前夜祭@プラザホテル山麓荘
5/27(土)午後、大会開始@仙北市民会館
全国の昔ばなし大学の代表による自己紹介。小澤先生による基調講演。
夜、交流夕食会@思い出の潟分校
5/28(日)午前、各地の土地言葉による昔ばなし語りの会@仙北市民会館
お別れ昼食会@仙北市民体育館

2泊3日でたっぷり勉強(?)しました。交流って言う方があってるかな。
「昔ばなし大学」受講生でもないのに、おみそで混ぜていただいているので、前々から「何かお手伝いあったらやります!」とお伝ええしていました。~もともとはその日程で勝手に秋田に行って、ちらっとのぞかせてもらったり、お手伝いしたり、と思っていましたが、先生のご厚意で正式の参加者として加えていただきました~
うちの夫はずっと記録ビデオ係。
私は、2日目の受付をお手伝いしました。

去年の7月に大学の同期のメンバーで小澤先生と一緒に田沢湖一泊旅行しましたが、その時にお世話になった地元の方ともほとんど全員と再会できました。(この25周年大会は地元の方の強力なバックアップのもと実現しています。)去年ももてなしていただきましたが、今回は二回目だったのでもっと打ち解けてたくさんお話できました。きっとまた行こう!

前夜祭の様子から。
300人が参加しての前夜祭はホテルの宴会場2部屋使っての立食パーティー。
全国から集まった学生さんたち(女性が95%)が、久しぶりの先生との再会を喜んでいます。お!これは小澤俊夫ファンミか?!25年も続いているので、受講生同士の再会シーンもあちこちで。

私は受講生じゃないのですが、地元田沢湖の方(皆さん実行委員)にご挨拶したり、先生の弟さんとお話したりしてました。お酒も入って場が温まってきてからは受講生の皆さんとも色々おしゃべり。ほんとに全国から集まってます。

研究会などでグループで来てる方もすぐ仲間に入れてくれるし、一人で来てる方もいて、あまりアウェイ感はありませんでした。やはり昔話を語る人たち、おしゃべり好きですね。ヨカッタ。

前夜祭では、先生の挨拶に続き、先生のお孫さん(小学生)の赤ずきんちゃんの語りあり。可愛かった。後半は、コーラス。初めて聞く賛美歌、ラテン語の歌、そしてほたる来い。コーラス好きの先生なので、ここすごく力入ってました。

夫は仕事の都合で途中から参加。来るなりビデオ係を頼まれてました。ご苦労様。


指揮する先生


コーラスも上手な受講生の皆さん


最後にはなまはげ登場!!

いろんな方とお話して興奮して疲れたので、パーティ後は部屋に戻ってすぐ寝支度。でも先生はロビーでお酒飲んでらしたそうです。通りかかった夫が「何だ、もう寝るのか」って言われたらしい。先生ほんとお元気だわ。

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これまでは、コンサートにまつわることを書いてきましたが、中身についても覚えているうちに詳細レポ書いておこう。曲順に。イスンファンのMCは赤文字にしておきます。

2017年5月20日 東京:豊洲PIT
2017年5月21日 大阪:堂島リバーフォーラム

(オープニング)
会場が暗くなったと思ったら、「5月は韓国では…」という、イスンファン本人による日本語でのナレーションからスタート。事前に録音されたものと思われます。東京と大阪、それぞれのバージョンがありました。地名を言うとこだけ変えてあった。きいてると照れちゃうほど、ポエムな内容だったような。去年のコンサートでの観客のみなさんが温かだったことへの感謝の言葉もあり、「倍返し」とかちょっと笑いを取る部分もあり、全部日本語だったことも、日本人ファンとして嬉しかったですね。私たちのために来てくれたんだ!って。

バンドのメンバーが揃い、ステージにスポットがあたり、イスンファン本人の登場。

1. 좋은 날
 ちようんなる 良い日

去年のお台場より少しテンポを落とした感じ。て始まったけど、東京はすぐさまスタンディングに。大阪は立たなかった。テンポが違ってたのかな??

2. 사랑하나요
 さらんはなよ(東京のみ紙ふぶき)恋してるの?

もう二曲目で紙吹雪です。
忙しいね。でも短い公演だから飛ばしていかないと。紙吹雪飛ばすのに気を取られ、イスンファンが可愛い仕草するのとか見逃しました。

ここで多分最初のMC

挨拶。日本語英語韓国語。恒例ので、日本人客がどのくらいいるかの確認。「ワタクシは、ここでシチュモンがあります。皆さんの中で、日本人の方はどのくらいいますか?」東京では去年より多い感じで、彼もらやや満足な感じ?大阪は思ったより少なかったんでしょうか?「えっ…」という反応でした。
それから、自己紹介。ギタリストが日本留学経験あるので、彼が通訳します。と言うのは前回同様。
自分で自分の紹介をするのは恥ずかしい。私はデビューして28年の歌手ですから、歳の話はやめときましょう。ロックからバラードまで色々歌うんですが、今日は、シン・スンフンやソン・シギョンを好きな人もいると思うので、バラードを多めに歌います。
え?そうなの??去年もシンスンフンの名前出してたね。

3. 그 한 사람
 くはんさらむ

この歌は、ドラマかなんかのサントラに入ってるらしい。かわいい歌の印象だけど、歌詞を知らない。
これは去年はやらなかった。

4. 화려하지 않은 고백
 かっこよくない告白

この歌は韓国では結婚式の定番曲らしい。ロマンチックな歌なんだけど、ここで今日は皆さんに、愛の純粋さを見せて欲しいと思います。お金をばらまきますけど、それに惑わされないところを見せてくださいね。

で紙幣発射器でお金をばらまく。拾う客(笑)お約束なんでしょうね。このシーン何度も見たことあるけど、そういう意味だったんだ!納得。私は10億ウォンほどいただきました。
ニセモノのお金なのになんでそんなに取りたいの?

去年のお台場では、客席に降りてきて握手会になったのがこの歌でしたね〜。

そして、最後の「かむさへー♪」のとこ、観客に歌わせます。まず日本人だけ。次に韓国人だけ。最後はみんな一緒に。

5. 내게만 일어나는 일

これは11集に入ってて、後輩バンドたちの男声ユニゾンと、後半に力づよいラップが入るドラマチックな展開の曲です。今回はバンドのメンバーがコーラスに入ってました。すこし味わいが違いましたが、カッコイイ。

6. my life
(ご存知ビリージョエル)

僕はデビュー当時からずっと自分で曲を作るので、他の人の歌はあまり歌わないんですが、今日は僕の歌を全然知らない人もいるかもしれないので、oldpopを歌います。ビリージョエルのマイライフ。

ここ大阪のMCちょっと長くて、客席の反応がイマイチだったんでしょう、大阪の人はバーンって撃たれたらみんな死んだふりするって聞いてたのに。そうじゃないの?みたいなこと言ってたらしい。

私はズバリ世代なので嬉しかったなー。
i don't care what you say anymore this is my life!
なかなか良かったですよ。イスンファンのビリージョエル。
でも、なんかリゾート地のショー付きレストランに来てるような気分だったなー。(こないだフィリピンでまさしくそういうとこに行ったんで)

7. 물어본다
 むろぼんだ(巻ティッシュ投げ)

もう定番中の定番。
この歌を歌わなかったライブを見たことがないほど。
いい歌なんだけど、巻テッシュ投げるのに夢中で歌がいまいち聞けなかった(笑)
イベントセットお手伝いしてよかった。きれいな放物線でした。

8. 그대가 그대를
 くでがくでるる(ヘッドバングじゃないアレンジ)

イントロ聞いた途端に、隣の席のすみつばめさんに(別々にチケット買ったのに偶然隣の席でした。ご縁ですね)ほらこれ!すみつばめさんの好きなアレンジ!って言ってしまいました。頭をブンブン振るハードすぎるアレンジがここのところ続いてたけど、今回は抑えめのオリジナルに近いものでした。歌い上げ。

ここでギター対決だったのかな?
二人のギタリストがソロでギュンギュン弾いて、最後オーバーザレインボウになる。
(補足:っこはギター対決じゃなくてメンバーの自己紹介だったようです)
その間、ステージでは巻きティッシュの回収、イスンファンはお召し替え。プリーツスカート穿いてきたよ。

9. 기다린 날도 지워질 날도
 きだりんなるどちうおじるらるど

椅子に腰掛けて歌います。「この歌を知っている人は老人です」

10.너를 향한 마음

これも古い歌。
初期のアルバムの収録曲はメロディーがキレイなの多い。

11. 한 사람을 위한 마음
 はんさらむるういはんまうむ

男性観客をステージにあげて歌わせる企画がありました。(別記事参照)
男性ファンの割合はぐっと少ないので、手を上げる人も少なく、男性ファンが羨ましくなる瞬間です。

12. 화양연화(花様年華)

新しい曲だけど、どこか懐かしい歌です。この歌はMVもいいんですよねー。

13. さよなら(ご存知オフコースの曲)

なんの前触れもなくイントロに入ります。あれ?この曲聞いたことない。なんだろ?新しいアレンジなのかな?と思ったら、「さよなら」でした。「さよなら」だとしてもこのアレンジは知らないなぁ。彼らのオリジナルなのか?それとも後の時代の小田和正バージョン?

この歌を歌うことは知っていました。あるとき、イスンファンのFBにこの曲の練習風景写真が載っていて、歌詞がひながなでモニタに写っていたんです。
流石に歌はうまい!でも、発音が…。韓国語話者が日本語を発音するときの特徴がありありと…。「つ」とか「ず」とか、惜しい!!きっと次はもっと練習してきてくれるんでは?喉の負傷のせいで練習十分できなかったんだそうです。

歌い終わって、小田和正の話をしていました。「自分より20歳くらい年上ですが、あの爽やかな声を維持するのには相当な節制を自分にかしていると思います。尊敬します。」っていつてました。この歌を選んだのは小さい頃よく聞いていたからとか。この歌、81年(79年)なんで小さくはなかったでしょw。工場長。でも、日本曲が(表向きは)禁止の時代。どういうふうに聞いてたのでしょうね。友達と海賊テープの回しっことかかな?(私もラジオのエアチェックテープの貸し借りでオフコースは聞いていたので、同じようなもんかな)マイライフとは違う感覚でしょうか。

14. 천일동안
 千日間

この歌の説明は「20年間僕の財布を支える最大のヒット曲デス。7分以上ありますが、居眠りしないで聞いてくださいね」
ラストのギターソロは新ゴジラ。
(補足:シンゴジラというのは、ギタリストがしょってたレーザービームのことです。あの彼が動くたびにレーザーがゆらゆらするのがシンゴジラのとあるシーンを彷彿とさせるんです。わかりにくくて済みません。シンゴジラ見た人ならピンとくると思う)

15. 家族

イントロでイスンファンが「カミヒコウキ」って教えてくれました、親切。
後半観客大合唱になる部分で飛行機を飛ばします。歌い終わって、「みなさん、今日一番の笑顔でしたね。何曲歌を歌うより紙飛行機ですね。」

16. 悪女誕生

4集の収録曲。単純な振りがついていて、これをやりたいと思ってたので、やってくれてうれしかったな〜。
この曲から、ノリノリコーナーです。みんな立ちますよ。


17. JERRY JERRY GO GO

古い曲ですがライブの定番。客席との掛け合いがなんて言ってるのかわからないので、これから研究します。

18. 疎通の誤謬

9集収録曲。これもライブでやる率が高い曲ですね。飛び跳ねすぎて膝がガクガク。

19. 덩크슛 Dunk shoot

朴槿恵弾劾のさなか、呪文部分が替え歌になることが多かったのですが、普通の呪文に戻っていました。新しい大統領になったし、ね。
「韓国に新しくいい大統領が誕生しました。日本の安倍首相と仲良くやってほしいと思います。」みたいな話もあり。

20. Super hero

そろそろラストスパートです。楽しいですか?もっと楽しくするために、マネキンチャレンジをしたいと思います。歌の途中でみんなで一斉に動きを止めて人形みたいになります。
一回練習してみましょう。あんまり難しいポーズで止まると大変ですから、無理しない範囲で。
などという説明あり。練習は大阪ではやらずにぶっつけ本番でした。「この動画は、来週僕のフェイスブックにアップロードします。」(もう載っています)

21. 세상에 뿌려진 사랑만큼
 せさんえぷりよじんさらんまんくむ
一年前の東京公演では、この曲がオープニングでしたが、今回はラスト。どちらにしても印象的ですね。
女声パートは時々最前列の観客にマイクを向けて歌わせるんだけど、今回は客席大合唱。ルーシーさんの野望は次回に持ち越されることになりました。

(アンコール)
22. 어떻게 사랑이 그래요
 おっととけさらんいくれよ

アンコールの定番。この歌出たら、最後だなーと思うことになりますね。東京では会場が大きかったこともあるのか?マイクを割りと近づけてうたいましたが、大阪では喉が回復してたか会場の大きさのせいか、マイクを持った手を下におろしてうたいました。
やつぱりすごいな〜。

(エンディング)
~이별기술자(これは去年のお台場と同じですね)

長くなったのでここまで。
書きなぐったばかりで読んでる方に不親切なので、しばらく推敲してくと思います。

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ずっとこの記事のタイトルを「きだりんなるどちうおじるらるど」にしてたけど、ちがいますよね。
「はんさらむるういはんまうむ」ですよ!はじかちー。
訂正しました。

イスンファンの東京公演で、この曲を歌ったとき、間奏でイスンファンが手を上げました。そうするとしばらくして、客席から手が上がったらしく、その人がステージに呼ばれて2番を歌いました。あ、これ、そういえば去年の10月にソウルで見たコンサートのときもやってた。男性にだけチャンスがあるみたい。

コンサート後、夫が「あの歌初めて聞いた。YOKOの予習リストに入ってなかったね。でも、あれ覚えて明日大阪で歌いたい。」と言い出しました。え?今日初めて聞いた曲を明日歌うって??できるのかしら、でも歌えたらおもしろいね!帰宅して、ゴソゴソCDを引っ張り出し、歌詞カード見ながらカタカナで歌詞の読みをメモしてみました。

しばらく練習してみたものの、疲れてるし、夜中だし、明日早いしで、この日は寝ることに。なんとか、夫のスマホに音源をダウンロードだけはしました。

翌日、大阪に向かう新幹線の車中で、お弁当を食べたあと、夫がおもむろにカンペを取り出して練習を始めました。

おお、まだやる気なのか??
でも、大阪についたあとは実家に行ったりして、それほど時間はなく、試しに歌ってもらっても、メロディラインが怪しい。やっぱり無理か…カラオケと違って生バンドで歌うのは難しいんだよね。
でも、開演前にすこし時間あったので、また練習を始める夫。

これは…ひょっとすると…?

そして、実際のコンサートで、昨日と同じようにその歌になり、間奏で手を上げるシーンに。東京のときは一人しか手が上がらなかった感じだったけど、大阪では2列目のセンターの人も手を上げてた。
こちらも負けじとアピール。でも、スンファン君はセンターの人を指差した。ダメダメこっちも〜〜!と、最終的には「上がれって言ってるよ」夫をあおって送り出しました。

でステージにあがった二人、最初はセンターの男の子。この人は韓国人でしょう。緊張したみたいでしたが、普通に上手でした。で、途中でイスンファンがマイクをとって、夫に前に出るように促しました。カンペを広げて歌う夫。イスンファンの表情が変わります。
「おや?これ平仮名だ、この人日本人なんだ」と少し驚く感じ。

夫は始めこそちゃんと歌えたんですが、途中からメロディがあやふやになってしまいまいました。この人歌えてないと見るやいなや、観客たちが一斉に歌い出し助け舟を出してくれました。歌い終わった夫に早速「ありがとうございます。」と握手。そして観客に向かって「この人はひらがなでメモしてきてくれました」と紹介してくれました。客席大歓声でした。

感激!

面白かった〜〜。

よくやろうと思いましたね。我が夫ながら度胸がすごいですね。

コンサート終わり、いろんな人が、すごいすごいって声かけてくれました。
やはり、日本人が(しかも男性が)歌ったというのが、韓国人のファンにも印象的だったみたいです。
そのあと、インターネットでたくさんの人に「感動しました」ってコメントをもらいました。写真を送ってもらったり、動画ファイルを送ってもらったり。

現場ではあまりよくわかってなかったんですが、あとで動画で見ると、どうも彼はほんとは指名してもらえなかったようですね。もう一人の韓国人の方が本来の当選者だったようです。イスンファンの「あなたは違うよ」のジェスチャーも見える(笑)でも、その時は、よくわからずに強引にステージ上がっちゃったんです。
あとで夫に聞いたら「ダメって言われてる気がしてあきらめかけたんだけど、あなたが行っていいっていうから‥」ハイ。「行っていいよ」といったのは私です。へへ。パディのときも二人で歌ってたから、二人もありだと思ったんです。

でもどうですか?
どう考えても結果オーライですよねっ!!
せっかくの日本公演ですから日本人のファンが歌ってくれたら本人も嬉しいでしょう。
「また日本に来よう!」と思ってくれたんではないでしょうか?
やっぱり時には強引さも必要ですね。
というか勘違いですけど^^;


これがカンペです。
新幹線の中で私が書いた第3稿です。へたな字だ。
韓国語独特のぱっちむとか全部省略して、歌いやすくしたものなので、これ読んでも意味わかんないと思います。


スンファン氏と2ショットだ!
イスンファンはファンと写真撮ったりしない人みたいなので、これは貴重ですよ。

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はじめ記憶に頼って書いたのですが、達人にお助けいただき、完成しました。

オープニング~イスンファンの日本語ナレーション「五月は韓国では●●の月と言います~」

좋은 날 ちようんなる
사랑하나요 さらんはなよ(東京のみ紙ふぶき)
그 한 사람 くはんさらむ
화려하지 않은 고백 (お金をばらまいた曲。「人生はお金だけじゃない」)
내게만 일어나는 일 (RAPは無しでバンドがコーラス)
my life(ご存知ビリージョエルの"OLD POP")
물어본다 むろぼんだ(巻ティッシュ投げ)
그대가 그대를 くでがくでるる(ヘッドバングじゃないアレンジ)
기다린 날도 지워질 날도 きだりんなるどちうおじるらるど
너를 향한 마음
한 사람을 위한 마음 はんさらむるういはんまうむ(男性観客をステージにあげて歌わせる)、
화양연화(花様年華)
さよなら(ご存知オフコースの曲)
천일동안 千日間(20年間イスンファンの財布を支える最大ヒット曲。居眠り禁止w
家族(紙飛行機~)
悪女誕生(この振りをしたかった!念願かなった)
JERRY JERRY GO GO
疎通の誤謬(飛び跳ねすぎて膝がガクガク)
덩크슛 Dunk shoot
Super hero(マネキンチャレンジ)
세상에 뿌려진 사랑만큼 せさんえぷりよじんさらんまんくむ
(アンコール)
어떻게 사랑이 그래요 おっととけさらんいくれよ

エンディング~이별기술자(これは去年のお台場と同じですね)

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2日目は大阪公演です。
昨夜も遅かったけど、早起きをして、7時半ごろ家を出ました。
最寄りのJRの駅のコインロッカーに昨夜預けておいた「イベントグッズ」を取り出して風呂敷包み2個に分けました。(重かったから家まで運ばなかった)

イベントセットは正確には58個ありました。
風呂敷にしたのは、月曜朝から仕事場に直行予定なので大きなスーツケースは避けたかったから。


まるで何十年前の行商人のようないでたちで8時半の新幹線のぞみに乗りました。
昨日東京会場で買ったTシャツを朝から着て行きます。
だれか声かけてくれないかな?

11時ごろ大阪着です。
大阪は3年ぶり。
夫の実家があるのに、なんという不義理でしょうか。
とりあえず、イベントセットを大阪駅のコインロッカーに預け、夫の実家へ。
ちょうどお昼くらいについてみると、お義母さんがご馳走作って待っててくれました。義理の兄や妹、甥っ子たちも来てました。久しぶりです。

ご飯食べて、おやつ食べて、いろいろおしゃべりしてたらあっという間に、お暇する時間に・・。
滞在時間わずか2時間。申し訳ない。
申し訳ない話がもう一つありました。

3年前に帰ったのは法事だったのですが、
そろそろまた法事じゃないかなと思った夫が
「親父の法事まだだっけ?」と聞きました。
そうするとその場に妙な空気が流れました。
お義母さんと夫の妹が目配せしてる。

なんだろ?

「実は、今年27回忌やってん。でな、連絡するつもりやったんやけどな、その前にあんたが21日に帰るで~ゆうてきたやん。まさか、2週連続ではむりやろ思て、法事のことは内緒にしてました。そんなわけで先週済ませました。ごめんなー」
とのこと。

わわわ~ん、そんな気を使ってもらったんだ。
すみません。
こちらこそすみません。
お義母さんたちにももっと会わなきゃなーと思いました。


南海電車だったので、駅に関空のエアポートトレインRAPIDが停まっていました。
鉄人28号みたい。


大阪駅で風呂敷包みを回収し、タクシーで堂島リバーフォーラムへ。
新しくてきれいな建物です。
受付で「中でファンの人たちが作業してると思うんですが?」と、入れてもらいました。
東京では野外で作業してましたが、大阪は屋内でやらせてもらってるみたいです。
今日は人手が足りているとのことで、預かったセットを渡すだけになりました。
イベントセット作業も、一つの楽しみととらえてるんでしょうね。
「今日だけしかやれない人もいるから」という話でした。
韓国のファンの人に「お疲れ様、これ飲んで」と冷たいコーヒーをいただきました。(言葉は韓国語ですが、きっとそんな感じでしょう)

今日は、イベント3種類あるうちの「紙吹雪」が急遽中止になったそうです。おそらく、東京で初めて体験した主催者が「掃除が大変!」と思って、あわてて禁止にしたんじゃないかと想像。
一旦セットした紙ふぶきは全部取り出さなきゃならない。
大変だ…。
ファンの作業の取りまとめをしていた女性(この人のおかげで私も作業の仲間に入れてもらえたの)はかなりテンパってました。かわいそ…。


少し時間が開いたので、会場の中庭で頂いたコーヒー飲みながら待機。
大阪も30度の真夏日だったそうですが、ビル風が吹いて気持ちの良い中庭でした。

「自分の分のイベントセットある?」と聞かれて、そういえば飛行機が無いって言ったら、こんなにたくさんもらいました。(これは周りの席の人に配りましたよ)

今日は4時開場。5時開演です。
昨日の東京会場で見かけた顔もちらほら。
今日の席も3列目ですが、1列めがなかったので実質2列目です。
そしてこの会場は、昨日の東京よりも狭い。
ステージも近い。
わ~い。


ほら、この距離!

開演前に、「会場で会いましょう」と話してた人とおしゃべり。
まずは、10年ほど前に紫林雨サイトを主宰されてたじょいらむさん。
彼は、イスンファンのこと、ファーストアルバム時代からリアルタイムで知ってるんだそうです。
それから、4月にツイッターでこのコンサートのことを一番最初に教えてくれた人にもあいさつ。席の番号を教えてもらったので、探しに行きました。英語で会話。彼女は韓国から飛んで東京も大阪も見ると言っていました。これ終わったら京都とか旅行するって。
自席に戻り、隣の席の人にも話しかけました。岐阜から来たという韓国の女の子で、日本語すごく上手。中学生くらいからずっとファンだと言ってましたがコンサートは初めてなんだとか。連絡先も交換して仲良くなりました。

開演前の楽しいひと時です。
いつもボビーチェンのコンサートではやってることですが、イスンファンのコンサートでもできてうれしい限り。去年の秋に韓国に行ったときは一人も知り合いいなかったのに、すごい進歩です!

おしゃべりしてたら、イベントセットを作ってくれてたファンの人が私の席までやってきて、
「あの、YOKOさんにお願いがあります。コンサートの最後にこれをこの列の人で持ってステージに向けてほしいんです。私の席向こうの方なので・・・」
と差し出されたのが7枚の色紙「またきてね❤大阪」と書いてありました。


これは「ね」

おお~!
それは重大な役目を仰せつかりました。
とりあえず並びの席の6人で受け持つことにしました。
日本人には私が説明し、韓国人には岐阜の人が説明してくれて、最強の布陣。

コンサートの感想はまた改めて書きますが、ホールの大きさ、音響、イスンファン本人の声の調子すべてが大阪の方がよかった気がします。

エンディングで、色紙はちゃんと歌手本人に見つけてもらって指差してくれたみたい。(よく見てなかった。あとでYoutubeで確認しました。ハートのマークを見つけて手でハートの形してたのも確認)

終演後はもちろんみんなでお掃除。
紙吹雪なかったから、終演後のお掃除も割と簡単だったかも。

私たちは、今夜はお掃除は少し手伝っただけで、先に帰りました。
このあと、姫路の友だちに会うことにしていたので。
(こういう忙しい予定を組んでくるのはたいてい夫ですね)
ホール近くの居酒屋で食事して、新大阪のホテルまで帰りました。
さすがに疲れました。
へとへと。

おまけ。
姫路の友だちをホールの外で待っていたら、イベントセット作りしていたファンの一団がやってきました。やっぱりお掃除ははやく終わったみたい。
で、中庭にビニールシートを敷き始めました。
なんだろうと見ていると、余ったイベントセットの仕分けのようです。
次のコンサートでまたつかうために、余ったものを手分けして持って帰るんでしょうね。
ホント、頭が下がります。

イスンファンのファン(どぅぺんみん)たちって独特。
この人たちと知り合えたのはとっても良い経験になりました。
たぶん、これからもお付き合いが続くでしょう。

6

いよいよやってきました。
去年は平日だったか、土曜だったか、とにかく仕事の日でした。今日は休みなので色々用事してから出かけましたが、途中からすごく緊張してきました。最近一段とメンタル弱くなってきたのかしら??たかが、楽しみにしてるライブに行くだけでこんなに緊張するとは??

会場の豊洲PITをゆりかもめ新豊洲駅から望む。周り何もない!

3時半過ぎに会場に着くと、「ビニールシート工房」なるものが見つかりました。ファンたちが、コンサートの中で使う紙飛行機とか紙吹雪を一人分ずつ袋つめ作業中。仲間に入れてもらうことにしました。

30分ほど作業したところで650セットほど出来上がったということで一旦終了。みんな職人みたいに黙黙作業して連携もバッチリ。達人揃い!


これはほんの一部

去年のコンサートで知り合った、サンヒョンさん、すみつばめさん、ルーシーさんらとお茶しに隣のフットサル場のカフェへ。韓国から一泊で見に来たなんていう人とも同席しておしゃべりタイム。でも韓国語が全然話せない。くやしい〜。

5時に開場したので記念品の買い物して、受付でさっき作ったイベントグッズを配る人たちを応援


こうしてみると、オフィシャルみたいですが、これはファンたちが自分たちのお金で準備したものなんです。

コンサートの感想はまた改めて。
イスンファンの日本語にはさらに磨きがかかってました。
去年みたいな客席との交流はなかったけど。

それと、彼は今、彼の歌手人生で最悪というくらい喉を傷めていて(おそらくコンサートができるような状態でないくらいに)彼のベストからは程遠いコンディションだったようです。でも、海外公演だし根性で歌ったと思われます。

私の席は3列目の右のほうでした。


終演後、これをお掃除お掃除。


キレイになりました。
椅子の片付けまでやった!!
やりすぎでは??


外で記念撮影。足元のゴミ袋に見えるのは、明日の大阪公演に持っていくイベントグッズの残りです!この袋のまま電車に乗って帰りましたよ。

イスンファンの個人事務所は、ドリームファクトリーと言います。で、イスンファンの熱心なファンのことを、ドリームファクトリー民と呼ぶというのを以前教えてもらいました。
普段は省略形でドゥペン民というらしい。

今回の来日公演に向けて、イベントセット私も作ってみたんですが、ドゥペン民たちはすごい!薄々わかってたんですが、すごいです。

たとえば、トイレットペーパーを巻き直して作るビューポック、これを作るのに色々独自の器具を作ってるんですよ。まさにファクトリー!


電動ドリル!!

そして、会場で配るべく(?)一人で何十個、何百個と作っている様子がSNSにあがってきてます。
もちろん紙飛行機も。紙吹雪も。

今回の東京公演前にみんなで集まって作業するらしいので、私も参加します。
ドゥペン民の皆さんと交流できるのが楽しみです。日本語話す人もいるし。あとは、たどたどしい英語でも何とかなるでしょう。わくわく。

写真はinstagramのスクショです。

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こんな記事を見つけました。
凸版印刷が、江戸時代のくずし字を読み取る技術を開発実用化したというもの。

凸版印刷、くずし字翻刻を手軽に公開~OCR技術を応用し、誰でも容易にくずし字で書かれた歴史的資料にアクセスできるWebビューア「ふみのは」を開発、多言語対応により外国人への日本文化紹介にも活用~

古文書読むの大変だと思っていたら技術革新はすごいですね。
でもきっとこれでも読みこなせないものがあるはずで、そこはやはり古文書を学ぶ意義があるはずです。また古文書を読む中で、その時代の文化や社会の有様も知識として持つようになる、むしろその部分が機械にはできないことでしょうね。

さて、ここからが本題なのですが、先日ある高校の国語の先生と話すことがあり、英語教育の話になりました。

彼が「小学校から英語教育なんて必要ない。というか学校で英語教えなくていい。現代は技術が進んで、英語がわからなくても翻訳機などでコミュニケーションはとれるから不自由はない」と言っていました。

へ~。教育の現場にいる人はそういう風に考えてるのか。
国語教師なのに?
と、とても驚きました。
と同時に、その考えがとても危険なものにも感じました。

いつだったか、京都府の中学校の英語教師にTOEICを受験させたら、2割しか730点(この点数は英検準一級レベルで一応の合格ラインとして設定したのだそう)に達しなくて、最低点は280点だったとか。というニュースがありましたが、その先生たちが英語をコミュニケーションのツールとして使っていないことを如実に物語る結果でしたね。TOEICで測れる英語力云々という議論もあるでしょうけど、280点はないですよね、真面目に受けてないのかな?

きっとその国語の先生も、英語で実際に外国人とコミュニケーションとる機会がないのではないでしょうか?先日の「嫌韓」の時にも書きましたが、外を知らずに日本の中にだけいて、自説を振りかざしている人が、今の日本にあって意外に多いような気がします。

英語の本を読むとか、いよいよ困って英語で意思の疎通をしなければならないなんて言う時に翻訳機は便利です。私も、インターネットで外国語のサイト読むときにはしょっちゅう使っています。

よしんば、超小型翻訳機を常に携帯できる時代になり、日本語で会話するスピードと同じように外国語でも疎通できるようになったラそりゃ便利でしょう。
でも、外国語を知ることで日本語を客観視したり、外国語の奥行きを感じることは、外国の文化の存在を知ることになる機会は失われますね。外国語を勉強することは自分の可能性を地球規模に広げることになるのにもったいない。

英語の教育の仕方や、小学生から始めるのがいいのかどうか、細かいことは私にはよくわかりませんが、学校で教えず校外の学習でいいとは思いません。それこそ、経済格差が如実に表れてしまいますね。

それと、今の学校教育の疲弊がそこに現れているのかもしれませんね。
先生辛いのかな。
ついでだから書くと、私の友人で高校教師をしてる人がいますが、死ぬほど多忙です。
部活の顧問を運動部と文化部それぞれ掛け持ちして、私立だから土曜も授業あるし、日曜はだいたい遠征や演奏会、練習、コンクールと恐ろしいまでの連勤。合宿、校外学習の引率も長期休み中に何件もあり、運動部では毎回子どもがケガをするので病院にも付き添い・・・何年もそれが続いています。311の時も合宿引率中で、相当大変だった話を聞きました。部活の顧問は先生にさせない方がいいのじゃないでしょうか?恐ろしい労働環境ですよね。

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人間どこかしらにつまづきの経験があるものだ。
その経験をしっかり受け止めてこそ進歩もあるのだろうと思うものの、そこら目を背けたいと思うこともままあって。

私が若いころに1日のうちの3分の2くらいの時間をそれに使った仕事。
そこでの経験はもう忘れたいと思っている。
いわゆるブラック企業だったし。
でも、当時の同僚たちは、時々集まって旧交を深めているのだそう。
私は参加する気にならない。
数人とは個別に会うことはあるけど、同窓会みたいなノリはちょっと。
きれいな思い出にならないこともあるのだなぁと思う。

ほとんどの人たちは、別の業界で新しい暮らしをしているからなのかもね。
それに対して自分は、同じ業界でその続きを延々とやってるから、ダメなのかな。

他の会社でも「新卒時代の同期と久しぶりに集まるんだ」
なんて話をときどき耳にする。
うらやましくはあるが、自分にはもっと時間が必要だと思う。


去年の10月にコンサート見て以来、やっぱりちゃんと歌詞もしっかり読まなくちゃ!なんて思って、こういう風に復習用のエントリ下書きだけ(韓国語の歌詞をコピペしただけ)たくさん作ってたのですが。
ちっとも進まず・・・。

もう今週はコンサート本番ですヨ。
個のエントリの下書きは、きっと「復習」として後日登場するかな。

でもなんで「ノエナラ(君の国)」を入れたんだろう?
コンサートでやるような曲じゃないけどなぁ。

9日は、去年亡くなった同級生の誕生日だった。
朝起きてカレンダーを見て、
あ、今日は彼女の誕生日だと思った。
誕生日を覚えている数少ないうちの一人。
学校卒業以来、直接会って祝うことはなくなったけど、
何年も会わない時期でもカードだけは送っていた。
メッセージを送らないのもなんだか変な気がしたので、
ご主人と娘さんにそれぞれ簡単にメールを送った。

娘さんからは
「朝、お母さんにおめでとう言うの忘れちゃったから、学校から帰ったらいうつもりです!」
と返事が返ってきた。
ご主人からは後日、
「ケーキを買って帰り、娘とHappyBirthday♪を歌っちゃいました」
との返信があった。

そうなんだ、亡くなったあとも誕生祝をすることは自然なことなんだろうなぁ。
命日は命日で厳かなものだとは思うけど、
やっぱり身近な人にとっては誕生日こそお祝いしたいものかも。
私でもお祝いメッセージ送りたいって思ったもの。

メッセージを送ったのがきっかけで、少し会話が続いた。
娘さんは高校3年生。
受験生だけど、成績が追い付かないのをお父さんは心配している。
「こんなとき、彼女がいたら上手に娘を鼓舞できるだろうに」
とちょっと弱気になってる。

娘さんの方に、それとなく受験のこと聞いてみる。
少し焦りはあるみたいだけど、それほど悩んでいないみたい。
そこがお父さんの心配の理由か。
でも
「部活終わったらがんばる!」
ってメールで宣言してた。

彼女だったら、きっとその気持ちを尊重するだろう。
それに、私も高校生の時そんな感じだった。
そんなわけで、
「部活引退までは部活がんばれ、勉強は夏から頑張っても間に合うよ」
と返信した。
はなはだ無責任な発言だけど。
その話を夫にすると、
「無責任なこと言ってくれちゃ困る」
って夢枕に立たれちゃうかもよ、と冗談混じりに言われたけど。

でも、ほんとのところ友人からは
「あの子、しっかりしてるから大丈夫なんだわ。YOKOさん、応援ありがとーねー。」
って言われる気がする。

友人夫妻は同じ大学出身(私も)、
娘さんも同じ大学に行きたいと思ってるみたい。
そうなったら、私もうれしいなぁ。

人と比べて優れているとかそういう風には思ってないし、そういう意味だとコンプレックスの強い方だけど、それでも自分のことはとても好き。私のことを一番好きなのは間違いなく私だろう。
このブログも一番読んでいるのは自分だという自信もある。

これも自己肯定かね?
幸せなことですね。

4

5/19に台湾台北で文夏先生の誕生パーティーがあるらしい。誕生パーティーと言っても国宝歌手の文夏先生なので、コンサート形式のようです。
この招待状は台湾の音楽家協会みたいなところが出してるもので、代表者はウーバイ&チャイナブルーのベース小朱だ(サインが見える)。
参加費は1万台湾元。
いろいろお土産がもらえるらしい。
多分一般人を入れるのではなく、業界人だけで集まる感じなのでしょうね。ステージに上る人も豪華らしい。曰く、陳昇、黄連ゆいー、荒山亮、施文彬、李明徳、王瑞瑜。
台湾の音楽人たちが、こういう風に大先輩を尊敬して、誕生会を開くのって温かくていいですね。
文夏先生の誕生日を記念して、この3月にお話したことをまとめたと思います。
3月に記事書いたときに「この話はまた改めて」なんて書いておきながら、延び延びになっていました。
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3月の台北での陳昇主催「春酒」宴会で・・・
文香さん(文夏先生の奥様)がちょうど私の横を通ったので、まず挨拶。
「コンニチワ」と文香さん。文夏さんも来てるというので、ご挨拶しに行く。
文夏さんの隣に陳昇が座って話してたんだけど、私が来たのを見て「YOKOここに座って文夏先生とお話しろ」と席を立っていってしまった〜あら〜〜。私は文夏先生の隣に座ってそれから日本語で色々インタビュー。貴重なお話を伺えました。
文夏先生との会話はすべて日本語です。
文香さんとは中国語ですが、すこし日本語も混じります。
文夏先生(以後「夏」): 昨日ね、インドネシアから帰ってきたばかり。夜中についたの。

私:あ!春節訪問団ですね!昨日?お疲れじゃないですか?

 夏:元気元気。

ここで、文香さんが同卓だったエバー航空の服務員のお姉さんたちと寺インドネシアでエバー航空の人と会った話をしてました。国宝だからと、いい席にアサインしてくれたとかいう話だったような‥。
中略

私:先月、東京でお会いした時、あのあと山梨に行かれたんでしょ?いかがでしたか?

 夏:温泉に行ったよ。よかったよ。そのあと東京に戻ってきてね。築地に行って寿司を食べて。イイネ、築地の寿司は。女性たちは、皆買い物してたけどね。

ここで文香さんが東京で撮った写真を見せてくれる。
銀座にある石原裕次郎カフェ。
すごくよかったというようなことを話してくれた。
東京滞在の話をひとしきり聞いた後に、前々から聞きたかった話をしてみた。今日はゆっくり話せそうだ。(もう陳昇と話したいとかいうのはどこかに行ってしまった)

私:先生って、以前日本に留学されてたんですよね?

夏:そう。中学生の頃ね。台湾では音楽の専門教育が受けにくかったからね、日本に行ったのよ。

私:中学生でですか?どこか学校に入られたんですか?

夏:いや、学校には行かずにね、先生に個人レッスンを受けた。

私:へ~個人レッスンだったんですね。どんなことを勉強したんですか?

夏:何でもやったよ。楽器もいろいろ勉強したし、歌もね。あのね、クラッシックよ。ポップスじゃないよ。

私:わ~すごいですね。何でもされたんですね。そのころどこにお住まいだったんですか?

夏:蒲田

私:え!!!蒲田ですか?私も蒲田の近くに住んでいます。

夏:それでね。台湾に戻って高校生になって。そのあとレコード出したの。台湾にはね、レコード歌手1人もいなかったよ。だから、僕が第一号。えへへ。

 私:!!

お酒飲みながら、宴会料理食べながらいろいろおしゃべりしました。
最後におちゃめな先生をご披露
先生が、テーブルクロスの布で何かを拭いています。みるとハサミです。子供が使うような工作用の可愛いハサミ。オレンジ色の柄でした。

私:先生、そのハサミなんですか??

夏:これはね、僕が幼稚園の時に先生にもらって大事にしてるハサミ。

私:!!(そんなに古くは見えないけど・・そこに文香さんから解説が入りました。)

文香:ウソ!(これは日本語で)
   食べ物を小さく切るためのものよ。

夏:えへへへへ~。(『だまされた?』みたいな顔してる)

私:ああ、こういう食事は食べにくいものもありますもんね。

 夏:(いろんなものを切って食べる実演をしてくれる)これね、100円。いいでしょ。日本にきたらね、100円の店に行ってこれをたくさん買って、いつも持って歩くの。僕より若い人たちでも、歯が悪いのがいたら、これをあげる。みんな喜ぶよ。

ハサミを後輩に配りまくる文夏先生を想像してみた。
なんと微笑ましい。
文夏先生、いつまでもお元気で。
誕生日おめでとうございます。
ちなみに、文夏先生は1928年5月20日生まれ、。
今年満89歳?!
日本語で読める「文夏先生」についての記事。
どちらもインタビューです。
私の記事より何十倍も内容があります…^^;
2023.4.7追記
川瀬さんの記事をリンクしていましたが、もうリンクぎれになっていますね。
下にもう一回貼ってみます。
歌謡界の明星 文夏  インタビュアー 川瀬健一
国宝歌王 文夏さん 94歳逝去

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予想通り、ムンジェイン氏が当選しましたね。
韓国の革新系は日本に厳しい姿勢をとるらしいので、日本人としてはちょっと残念ですが、ここのところの韓国の社会情勢を見ていれば、当然の結果でしょう。(でも、盧武鉉氏のとき、厳しかったかどうか記憶にない。保守の朴槿恵でも十分反日だった気が)

投票率は8割を超えたとか。在外投票も多かったとか。そういえば、SNSなどで見かける韓国の人たちも在外投票に行った写真をたくさん挙げていました。特に今回は若い人たち選挙に行ったんだろうと思います。パククネ前大統領罷免要求デモなどにも若い人多かった印象ですしね。
日本は直接選挙しないので、ちょっと比べにくいけど、投票率8割越えとかなさそうですね…。

さて、最近SNSを見ていると、【ネトウヨ】というんですか?やたらと韓国を攻撃する人たちがいて、気持ちが寒々としてしまいます。中国のことも攻撃する人がいますが、最近は大統領選挙があったし、慰安婦問題の合意を反故にするという話題もあるので、特に韓国への攻撃が目立ちます。
実は、私の直接の知り合いにもそういう人がいます。どう考えるかは自由ですし、自分の考えを表明するのも自由ですが、私は不愉快です。

国の体制を批判したり、抗議したり、あるいは外交について評価したりすることは必要です。
でも、「○○人はこうだ!」という論調で、攻撃を加えたり、嫌ったりするのは、理性的ではないし、何も良いことを生み出さないと思います。個人のレベルでは、常に隣人と相互に理解を深めて、交流していく事。これが国際社会では必須のことだし、日本のためにも不可欠なことだと思います。嫌ってケンカばかりする先に待っている未来は、恐ろしいものしか考えられません。

私は、来週韓国歌手のコンサートに行って、韓国の人たちと交流しますよ。イスンファンはパククネ批判も目立ってやってた人だし、ムンジェイン支持を明確にしていますが、それとこれとは別の話。自分がそれを支持するわけではなくても、交流はしたいのです。もちろん一番の理由は、ただ、音楽がすきなだけですが。

こんな風に音楽に興味を持ったことを通して隣国を知る機会があるのはありがたいことでした。
広い世界のうち、まだ東アジアと東南アジアの音楽くらいしかわかってないですけど。

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さて、イスンファンの日本公演もあと10日と迫ってきました。
主催者先行に申し込んだ私のチケットはまだ届きませんが・・・ちゃんと来るんでしょうねぇ。
ドキドキ。
やきもきしつつも、少しずつ準備を進めています。
準備と言っても情報収集ですけどね。

どうやら、今回も「イベント」と言われる、歌の途中で紙テープ投げたり、紙飛行機とばしたりするあれをやってもいい公演のようです。韓国のファンたちが準備している様子がSNSなどに上がってきています。

それから、前回の東京公演ではなかった「物販」が今回はあるそうです。
「Big Brother」というコンサートタイトルロゴをプリントしたTシャツとかが発表になっていました。
これは手に入れたい。
他の物販もあったらうれしいなぁ。

歌の予習はあまり進んでいません。
ここの所通勤時なども夏目漱石の本の朗読聞いていたし。

でも夫の方は、着々と予習を進めているようで、1か月ほど前に私が選んだ「イスンファンおすすめ43曲」のリストを聴き続けているのに加え、参考書買ってきたりしてハングルの勉強やってるようで、曲名なども読めるようになっています。すごい!
今朝は、「リストの43曲の歌詞を全部ちょうだい」と言われました。
歌詞も読む気のようです。
歌えるようになるつもりなのかも?!

(ハングルの初歩を彼に教えたのは三週間ほど前のこと)

私の方は、イベントグッズを作って行こうと思っています。
とりあえず、色つきのトイレットペーパー買ってきて、「ヒューポク」(意味はトイレットペーパー爆弾、トイレットペーパーではイメージが悪いということで「巻ティッシュ」という呼び方を採用したい)を作ります。あとは、紙飛行機と紙ふぶきづくりですね。
あと10日。できるかな。

今年のGWの後半は5連休だった。
去年は福岡に行って実家にも帰ったのだったっけ。
今年は、5月後半が忙しいから、5連休を家にこもって過ごした。
洗濯掃除いつもの倍くらいやった。特に掃除は普段しないので^^;

5日間でやったこと。
・近所のホームセンターに通って花の苗を買い込んで植えた。
・夏目漱石三部作読んだ(本当はオーディオブックで聴いた。土いじりしながら)
・欲しい苗を求めて徒歩圏の花屋めぐり。
・図書館で明治期の地図見たり、「ひよっこ」時代の東京の写真集見たり。
・化粧ブラシを洗った。
・裾のほつれを繕った。

家にいるのは楽しい。
旅行好きだけど、家にいるのも同じくらい好きだなぁ。

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連休中に「三四郎」も読了。
多少ななめ読みの部分もありましたが‥

これは、高校時代の読んでたらよかった。
熊本の高校(つまり五高、今の熊本大学ですね)を卒業して大学進学のために上京して、大学での新生活を始める三四郎に、自分も重なる。時代も場所も年齢も性別も学力も向学心も全て三四郎とは違っているけど、それでも自分の18歳の頃を思い出さずにはいられない。三四郎は23歳だけど。

好きなキャラは断然に「与次郎」。
もっと若い頃に読んでいたら、その感想だったかどうか。
三四郎とか野々宮さんがいいとか思ったかもしれない。
でも結婚するなら「与次郎」がいい。
与次郎がいなかったら、最後まで読み終われなかったかも。

与次郎ファンクラブを作ってもいいくらいだ。
漱石先生も与次郎に羨望を持ってるはず。ああいう風にはなれないけどなりたいと思っていたのではないか?

気になったことメモ

週に40コマの講義をとるとかすごすぎる。
三四郎の下宿のあった「追分」というのは、今の東大の北西側、地下鉄東大前駅のあたりか。
図書館に行ってでたらめに本を借りても、必ず誰かがその本を以前に読んでいる。こんなに本があるのに!
当時の展覧会は、靴を脱いで上がるところに展示されてたんだ。
「団子坂」の菊人形祭り。半七捕物帳にも登場していた。半七捕物帳と重なる舞台と言えば、「化け銀杏」か。舞台になった森川宿というのは、東大のあたりのはず。

年長者と屈託なく話のできる与次郎を三四郎は羨ましく思う。
彼はどうしても緊張してしまうからだ。それを三四郎は九州育ちだからと原因付けていたが、果たしてそうだろうか?実は自分も学生の頃ずっと三四郎と同じコンプレックスがあった。でも同じ熊本人でも、屈託のないのはいたからなぁ。当てにならない。

門を読了。
それからの続編のような話。

でも、でも、およねさん、安井の奥さんだか、恋人だかだったの?
妹かと。。。。
妹なのだから、罪悪感は別の何かだと思っていた。あらあら(笑)

友人の奥さんとか恋人を略奪するとか、このテーマを書かずにはいられない人だったのかな?
夏目漱石先生。

禅寺で悟れないのは、漱石自身の体験が投影か。
お世話してくれるお坊さんが若いのも、確か漱石の体験と同じ。
夢十夜にもそういう話があった。

それにしても大したことが何も起こらない小説。
これが売れる明治ってすごい。

4

このアパートに引っ越して来てもう9年になる。
初めの数年は、広めのベランダに喜んで、せっせと草花を育てていた。
でもそれも5年を過ぎて飽きて来て、ここ数年は雑草が生えるのと競争するような有様だった。

この正月からの大規模修繕で、ベランダのものを全て片付けねばならず、一旦仕切りなおしになった。修繕も終わり、せっかく綺麗になったのでガーデニングを再開することにした。

色々学習したので、手に負えなくなるほどの量を持つのはやめて、こぢんまりと楽しめるものにするつもりだ。植物もこれまで育てたことのないものを中心に厳選しよう。


修繕中の様子
ベランダのものは全て片付けて、足場が組まれてた。


屋上緑化の芝の植わっていたプレート。
ここ数年は、芝は枯れ果ててイネ科植物など雑草が生い茂っていたのを全て抜いて、土とプレートに分けて保管していた。ここにまた芝を植えるか考えた末、匍匐性の草を色々植えて見ることにした。


寄せ植え。
水やりの手間を考えて、大きめの鉢を残した。


ホームセンターに日参して苗などを購入。


寄せ植えも試行錯誤。
1鉢に3株植えていたところを4株に増やしてみる

土は新しく買うことをせず、大規模修繕時にしまいこんでいた元のプランターで使っていたものを再利用したので、あまりいい環境とは言えないが、ベランダでは土の処分も大事なので仕方ない。


部屋からベランダを見ると草花が目に入るようになった。
やっぱり気分がいい。

空のプランタがいくつか残ってる。
また、育てたことのない草花を見かけたら、少しずつ増やしていくことにしよう。

本日読了。

漱石先生ファンを自認する私ですが、漱石先生の小説はあまり読んだことがありませんでした。
ようやく読む気になった代表作。
でも、途中までは辛かった。
村上春樹の辛さに通じる。
主人公に魅力ない。
否、負の魅力しかない。
イライライライラ。

でも最後まで来て急展開して、今までグダグダしてたのはなんだったのと思うほど、あっけなく終わるんだけど、でもラストがよかったなー。
あのラストを明治時代に書いてるんだ。
夏目漱石が文豪って言われて、お札にもなってて、今も読まれている理由がわかる。

ラストの赤の洪水にハートを射抜かれました。

代助たいがいにしろよ。って思ってたけど。
まだ、30前なんだもんね。
青春物語だったんだなぁ。
応援しようという気になりました。ちょびっとだけ。

金曜:職場早退、掃除、貸布団受け取り、深夜の居酒屋で弟と姪に合流。

土曜:朝食づくり、送り出した後、SHERLOCK4第一話「6つのサッチャー」鑑賞。字幕なしで流して1回、英語字幕つけて一時停止しながら1回。今回も凝りに凝ってる作品だ。夕食は近所のステーキやさんへ。お店の人に血のつながりを指摘される「こちらの3人は顔が似てるからご親戚かなと思っていました」やはり似てるのか。姪は原宿、渋谷と満喫したらしい。弟は上野の科学博物館に一日いたらしい。

日曜:朝食は夫作の豪華版。なのに「おまえら、感動薄いぞ」。
姪は今日は池袋に行くらしい。怖いもの知らずの15歳。夫が財布にあった現金を全部小遣いとして渡していた(太っ腹...)弟と少し話をする。地震の被害について、その後の家庭崩壊の危機について。今は何とか乗り越えて新しい段階に入ってるらしいが。これまでかなり疎遠にしてきたし、あまり根掘り葉掘り聞くのもねという気分にもなる。(きけば批判がましくなるし、それも避けたい)まぁ、自分たちで頑張るしかないものだし。近所を散歩しつつ弟を駅まで送る。弟の白髪も増えたなぁ。

二人が出て行って、静かになった。
ベランダに植物を入れよう。
ホームセンターで草花の苗を20個ばかり購入。植えつけ。夕食は肉骨茶。ニンニク攻撃を受けてぐったり。合間合間でオーディブルで夏目漱石の「それから」を聞いている。当時の読者層を想像している。