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今年の春節は1月25日でした。
せっかく中華街のそばに住んでいるので中華街の春節を見に行ってみよう!
大晦日(除夕)の夕食を華都飯店へ軽く食べに行きました。

元日に当たる土曜日は出勤だったのと、友人が遊びに来たので中華街には行かず、日曜にランチから行ってみました。

「聞き書き中華街物語」を読んで以来いつか行ってみたいと思っていた老舗高級店「萬珍樓」。お昼のコースなら行けるかな。

一番安いお昼のコース3000円(7品)に、春節料理(中華おせち4品盛)一皿追加。さすが高級店です。店内ゆったりしてて、店員さんの接客も素晴らしい(堅苦しくなくてフレンドリー)


カンボジア人のウエイターさんにはカンボジアのお正月のことを教えてもらいました。夫がその場でネットで調べたクメール語を(カタカナの発音で)話すと
「外国人の発音としては大丈夫です」とのこと。オモシロイ言い方。

お店のロビー(広い)には正月料理やランタンの展示も。

昼食後は近くの博物館を見て、それからまた中華街にもどり、春節のパレードを見ます。

博物館から向かって一番近かったパレードルートが善隣門の前。どうやらここは通るだけじゃなくて、パフォーマンスも見られるみたい。パレードくるまでまだ時間あるけどここで場所を確保。そのまま待ちます。

どんどん人が集まってきました。


パレードの様子。30分位くらい続きました。

爆竹の鳴らし方が面白かった。

緑の服の前にある手押し車が爆竹入れの箱(金網製)になっていて、その中で鳴らします。音や煙はそのままですが、ゴミが飛び散らない工夫のようです。

パレードが終わったらうす暗くなってました。人だらけの中華大通り。

毎年恒例、センター試験を解いてみました。
昨年は、年間を通して高校世界史をネット(高校生向きのサイト)なんかで俯瞰したり世界史関係の番組見たりして、高校時代に世界史とらなかった穴をうめようとしてみたんだけど、センター試験はそう甘くなかった。細かな知識を問うものばかり。半分は正解した(56点)けど、解いてて楽しくなかった。
大問の文章と、各設問の内容が関連しないのは何なんだろ??
大問の文章要るの?
世界史は教養として必要だと感じてるのでこれからも勉強は続けようと思います。歴史がわからないと、現代のことが理解できないもんね(最近それに気がついた)
地理は91点でした。
今回は時間も1時間に制限してやってみた。焦るね。
毎年感じるけど、地理は世界史に比べて良問が多いと思う。(地理が好きだからそう思うのかな??)もちろん地図記号とか知らなきゃ話にならないって問題もあるけど、地図記号って年号とかに比べて実生活で使う機会圧倒的に多いよね?あ、でも今はネットの地図やカーナビの地図で済ますから、果樹園の記号とかみないかな??

ラオスが出たのは刺激的。

私が間違えた部分は…
1.スイス、アラブ首長国連邦、日本、ハンガリーの中から日本を選ばせる問題。日本が選べないとは!無知を恥じました。
ちゃんと調べようと思って、ネットで探したけど、かなりいろんな指標があるのか、サイトによって順位や数字が違ってて混乱。
世界銀行のデータにあたってみたけど、見方が難しい。
下の表は世界銀行のデータだけど、(並んでいる国は私の興味に沿って抽出したもので、世界ランキングではありません)2017年にはスイスのデータがない。(スイス以外は順位は同じだけど。
ちなみに同じ国を対象にした1970年のデータはこれ
シンガポールはまだ低い位置。
1990年はこちら
日本が高い位置につけている。
バブル真っ盛りだったもんね。
2.東南アジアからオセアニアの農産品でコプラ油、茶、サトウキビの産出量。
茶の産地くらいは知っておけよって話ですね。
3.グラフを見て文章の正誤を問う問題。
完全にケアレスミス。時間かければ解けた問題だった。

夫の話。
先月のクレジットカードの請求書を見てたら、身に覚えのない請求があった!
カリフォルニアあたりで15万円強の買い物をしたことになっていた。
慌ててカード会社に連絡して、いろいろ聞き取りを受けたのち、1か月ほどしてから返金を受けられることになり(カードは停止され新しいカードが発行された)、ほっとしていたのだが、また別の連絡がきた。
今度は、私自身のカード。
私が以前カードを使ったお店の別の顧客に不正の被害があり、私のカード情報も漏れてる可能性もあるから、念のために交換するとのことだった。
これって、前にもあった。
これだ
そして私自身は、半年前に不正利用の実被害も受けている。

2019年06月24日の記事
クレジットカード不正使用被害
2017年から、何度カードを変えただろう?
今度で4枚め(夫は3枚)
そのたびに、カードの番号が変わるので、引き落としなどに使っているものは変更手続きがとても面倒。新しいカードが届くまでは、カードがない状態になるし。

私自身はカードには3Dセキュアを施しているけど・・・
もっとセキュリティーを高くする方法はないものだろうか。

引っ越してからいろいろなことが変わった。大きな変化もあるけど小さな変化もある。
小さな変化を思いつくまま記録。
● 駅までの道のりが苦にならない
以前は駅まで5分だった。今は12分くらいかかる。
でも、不思議なことにこの12分という長さがなかなか良いことがわかった。
寒い朝も12分歩くとポカポカしてくる。以前はあたたまる前に駅についてしまい、ずっと寒いままだった。
歩く道が商店街なのと住宅地なのでは大違い。商店街を歩いていると、12分でも短く感じる。苦にならないのは、商店街の屋根の下を歩くと雨に濡れずに済むというのも大きい。
これまでずっと駅近に住むのがいいと思っていた。が、単に距離ではなくて、駅までの道のりに何があるかがもっと重要だと気がついた。
●ベクトルがいくつもある
これまで住んでいたところは、電車が主要な交通手段で、バス便はわずかだった。そのため、人のベクトルも 駅に向かう↔駅から離れる の一直線上。
よく散歩をしたけど選択肢が多くはなかった。
今の環境は鉄道が2本あり、バス便もうんと多い。人もいろんな方向に歩いている(感じがする) 何も予定がない休みの日などに「どこに行こうかな?」と思って選択肢がたくさんあるのはそれだけで楽しい。
●Cafeの効用
以前の住まいも良い環境だったのだけど、不満は近所に気軽に行ける喫茶店(禁煙席がある店)がなかったこと。仕事帰りにちょっと寄れる店がないのを残念に思っていた。途中下車するなら有るけど、ゆっくりしてからまた電車に乗るというのはちょっとおっくう。
今の環境は最寄り駅を降りて帰宅するまでに7 軒くらいカフェがある(全部気楽なチェーン店)。これは私にとってはかなり魅力。時々一時間くらい寄って、昔ばなし大学や中国語などの勉強をしたりすることもある。
仕事と家庭の間に少しの時間でも一人でゆっくりする時間を持てるって結構大事。
レストランや居酒屋ではだめで、やっぱりカフェがぴったり。

先日、コーヒーを頼んで、恒例のセンター試験問題に挑戦した。
●街の変化が速い
前の家は、町工場の多い地区の住宅地。
駅前には商店街や飲食店街もあったけど規模は小さかった。
今度は商業規模が前より大きいせいか、店の入れ替わりが激しい。
引っ越してきて半年のうちに、新開店、閉店などをたくさん見た。特に閉店が多い。「今度行ってみたいな」と思う店に限って、行く前に閉店してしまうような気がするというのは冗談としても、この年末だけでも、行ってみたいと思っていた店が4軒閉店してしまった。

今公開されている「男はつらいよ お帰り寅さん」には、UNHCR~国連難民高等弁務官事務所の活動が登場します。あの泉ちゃんがUNHCRの職員なのです。
UNHCR日本のサイトの記事
この記事を読んでいたら、知っている人の名前が出てきました。
ン十年ぶりに。
懐かしい。
大学の先輩です。
UNHCR 駐日事務所の副代表だそうです。
活躍されているんだなぁ。
それと、先日お会いした陳天璽さんも無国籍の人々の支援をされているので、そちらの関係からもこのUNHCRの記事などを最近よく目にしていました。
そんな、こんなでこれも何かの縁と思い、寄付をすることにしました。
寄付は「国連UNHCR協会」というところが取りまとめているそうで、ネットからも簡単です。

今年もチャレンジ。
これで三回目です。
毎年楽しくて待ち遠しい地下謎
過去2回の反省(最後が遅くなって寒さとの戦いになりがち)をもとに、キットは先に買って最初の問題は家で解いておきました。
今年はさらに進化していて、コースごとに所要時間の目安の表示があったり、ベビーカーや車椅子を想定した「段差の有無」の表示など、様々に工夫されていました。
そして、上級者のためか、「超難問」コースが含まれていました。(謎解きの前半は自分でコースを選ぶことができます)


キットはメトロの一日乗車券込で2400円。中に謎解きのグッズがいろいろ入っています。


キットを売っている駅にはこんな掲示があって、これとキットの中の問題を組み合わせて解いていく仕組み。キットを買っただけでは解けないところがいいですね。
今回は東京駅をスタート地点に選びました(待ち合わせしただけだけど)。
以下、ネタバレになるから場所がどことは言えないけど、一日楽しく回りました。
いい気になって、「超難問コース」を選んでしまったら、本当にものすごい難問で、お昼ご飯を食べたりお茶したりで2時間以上かかっても解けなかったので、あきらめて別のコースへ回りました。
その難問は家に帰ってから解きました。
難しかった!
手ごたえ十分でした。

素敵な珈琲屋さんに寄ったり、

絵馬がてんこ盛りの神社にお参りしたり、

シャーロック・ホームズというビルを見物したり、
(謎解きっぽい!)

美味しいネパールダルバートを食べたり、

橋の上で問題解いたり、

寅さんでも登場した八重洲ブックセンターへ行ったり
シャーロックホームズの限定ノート買ったり。
(謎解きっぽい!)


そんなわけでなんとか謎解き終わりました。

地下鉄に乗るゲームとは言っても12000歩くらい歩いてました。
たのしかった!

お正月映画としての寅さんを見るおそらくは最後のチャンス。

と思って、見に行ってきました。
もう何十年もお正月映画を見るなんてなかったんだけど。
予想通り、周りのお客さんは私よりも上の世代のみなさん。
映画は…
久しぶりの作品なので、寅さんを知らない人にもわかるように作られていました。
皆な年をとってる…
寅さんがいない…
涙涙また涙でした。
満男のことずっと好きになれなかったし、今も好きじゃないけど、寅さんを好きなところでは共通点があるから、今回受け入れることができた。
メロンがでてくるシーンで
「メロン!」
「メロンだ!」
「メロン!」
と、客席のあちこちから声がしたのが、「映画館で見る醍醐味」だった。

台北市大安區溫州街47號
本では「ビオトープのあるY字路」として紹介されていたところです。
場所は、師範大学夜市から辛亥路(建国路の高架)を越えてすぐのところです。
霧里薜圳というのは、昔ここにあった灌漑用の水路のことのようです。
郷土史を大事にしているのがわかりますね。
でもこの説明版は、紙をラミネートしてるだけなので、すでにインクがにじんでいます。
こういう、いい雰囲気の路地(そしてここもかなりの高低差があるので水路を感じさせる)を歩いていくと、あります。このあたりは学生街独特のカフェなどが点在してます。
いきなりの橋。
公園のような作りです。
本の中で「ビオトープ」と紹介されていたのに納得。
台北の街中でこんな景色はとても珍しい!
暗渠ではなく開渠なんですね。

鯉や亀が泳いでいました。

近くにはこんな市民菜園が。
プランタではあるけど、市民のオアシス。って感じですね。
ふっと向こうを見ると、ドーム屋根が見えます。
台湾大学の体育館です。
この体育館にはコンサート聞きに何度か行ったことがあります。
でも近くにこんな素敵なところがあるとは、本を読んでいなかったらたどり着けなかったでしょう。

夢のY字路からすぐのところにもう一つのY字路がありました。このあたりは水路のあった関係でY字路だらけなのです。

「ファーストY字路」として登場
そして、微妙な段差も多い。
この廟は裏口から入るときは道路と同じ高さでしたが、正面に回ると道路との間に段差が。
廟の裏側からのアプローチ。道路と段差無し。


廟の正面。7段くらいの段差がある。

このY字路にも日本家屋が大事に保存されて、和食店として活用されています。
ビルに囲まれぽつんと残る平屋の日本家屋。
おそらく昔はこういう家が、軒を連ねていたのだと思われます。

「野草居食屋」という料理屋さんです。

台湾に残されている戦前からの日本家屋で、改修されて公開(店舗などに活用されているものを含めて)されているものは、ほとんどが前の住人も特定されて、子孫が訪問したりしているようです。
この家も戦前は石井稔という台北帝大の先生が住んでいたそうで、さらに戦後は熊大に留学経験のある台大の教授の家になったそう。それにちなんで熊本のお酒など飲めるのだとか。
この道を少し川の方まで歩くと「紀州庵」というむかし料亭だった日本家屋があります。そこは以前たまたま通りかかって見学したことがあります。
2018年3月の写真「紀州庵」
今、台北ばかりでなく、台湾中で街のそこかしこに戦前からの日本家屋が修復保存されているのを見ることができます。
でもこれを短絡的に「親日」と考えてはいけないと感じます。
「日本時代を懐かしんでいる」というのも的外れです。
この本の著者も書いていましたが、台湾の人たちの台湾アイデンティティの探求の中で出てきた当然の態度だと思います。
台湾にこのような時代があった。
良い悪いという評価以前に事実だからしっかり受けとめて自分たちの歴史として保存する。
これは「日本人が建てたもの」ではあるけれど、「日本のもの」ではなくて「台湾のもの」だととらえているんだと思われます。
いま日本では今までにない台湾ブームだし、訪れる日本人も多いと思いますが、日本人だからこそ、このことを知っておいてほしいと思います。
なんだか偉そうですが、20数年台湾と付き合ってきて、感じていることです。

先日、夕ご飯を中華街へ食べに行った。
夫と待ち合わせしてたのだが、店に現れた夫の手にはその本があった。
著者のご家族であるお店の人に本を見せて感想を伝えようということらしい。(もちろん、私も感想は伝えるつもりだったのだけど、ご本人は今海外にいらっしゃると翻訳者である友人に聞いていたので、本を持っていこうとまでは思わなかった)
注文をすませて、お店の人に本を見せて
「読みました!すごく感銘を受けました」
などと話してたら、
「さっきまで本人いたんですよ。一時帰国していて今夜の飛行機でまた戻るんです。またあとできますから、ゆっくり食べていらしたら会えるかも。」
とのこと。
なんと!
会えるかも。
そしたら、直接本の感想が伝えられるじゃないか!
ラッキー。
ゆっくり食事していたら、果たしてご本人登場。
彼女を訪ねてきたお友達もいらしたり、お客さんの中には顔見知りの人もいるらしく、あちこちから引っ張りだこの様子。
そんな中、わたしたちのテーブルにも来てくれた。本の感想や大学のこと、本に出てくるお父様のお話などして、本にサインをもらった。
お店には中国語版もあり、翻訳をした友人のこととか、なぜ翻訳が出ることになったかなどを聞いた。(中文版も買ってそっちにもサインもらった^^)
よく知らなかったが、私の友人は日本に留学していた10数年前、何かの調査でこのお店を訪ねてお父様にインタビューをしたことがあったのだそうだ。その後友人は台湾に帰国し、さらにアメリカに渡り、いまは台湾に戻っている。
あるとき、ある台湾大学の先生が来日中に陳天璽さんの「無国籍」をたまたま本屋で手に取って、読んだのだそう。そしてぜひ台湾で出版したいと思ったらしく、その翻訳を私の友人に頼んだらしい。私の友人も学生時代に会ったことのある家族の話でもあり、喜んで引き受けたのだそうだ。
この本にも登場するそのお父さんにご挨拶したいと思っていたが、その日は、旅立ち前の一家団欒になるだろうし、あんまりお邪魔しても申し訳ないと思って、店を出てきた。そうしたら、道の途中でお父さんと陳天璽さんが一緒にいるところにばったり出くわした。
ラッキー!
99歳になるとはとても思えない、かくしゃくとしたご様子に圧倒されて思わず「握手してください!!」とお願いした。
満州~台湾~日本と激動の時代を生き抜いてきた、力強さと温かさを感じる大きな手。感激した。またお店に行ったらご挨拶しよう。
陳天璽さんとそのまま道端で立ち話(忙しいのにすいません)
で、話はいま彼女が滞在しているマレーシアのジョホールバルのことになった。
「ジョホールバルには友人居るんですよ。あちらの華人と結婚してて・・・」
というと
「え?日本人ですか?もしかして私その人に会ったことあるかもしれないです」
まさかね。
と思ったが、彼女の家族構成とかを話していくと、どんどん条件が当てはまる。
えええ?
ほんとうに、私の友人と陳天璽さんの言う人物は同じだった。
おなじマレー語のレッスンを受けてるのだそう。マレーシアに住んでる日本人だってたくさんいるはずなのに、なぜ知り合いがつながるんだ?!
世間は狭い。
というか、きっとこの人とは縁がつながっているってことなんだろう。
30歳を過ぎるころから、こういう体験を幾度となくするようになってきた。
知り合う人と何重にもつながっていることがわかるとか、
同じ人に「なぜここで?」というような再会をするとか、
そんな時は、きっと前世からの縁でつながってるんだろうと思うことにしている。
陳天璽さんともそのご縁のなかにいるのかもしれない。

「請指正」と書いてある。
意味が分からずたずねると「YOKOさんは(大学の)先輩ですから、間違いがあったら指摘してくださいという意味です」とのこと。辞書で調べたら「ご叱正を乞う」というのが載ってた。「叱正 」も知らない言葉だった 。使うことないものね。
大いに苦笑したのでした。

横浜に来たので9区を応援に行ってみようと、台湾から帰ってきた翌日、自転車ででかけました。

快晴。自転車気持ちいい。
今回はなんと筑波大26年ぶりに出場ということで、友人達と応援したいね!なんて話してましたが、お正月はみんな家族単位で忙しいもので、結局一人で観戦することに。
筑波の応援グッズ持ってる人とかいたら合流したいなと思ってずいぶん自転車で走り回りましたが見つけられず、そのうち場所もなくなってきたので、日本大学の幟を持ったおじさんの隣に陣取りました。

選手が来るとワーッと声援が上がるのでわかります。


カメラが来て、白バイが来ます。

何枚も写真撮りましたが、なんとかうまく写った一枚。学生連合。噂のナイキのシューズ履いてますね。

残念ながら筑波の選手は最下位で、鶴見中継所でタスキがつながらなかったのですが、応援しました。
私の目の前を駆け抜けていった筑波の9区はなんと医学生(医学専門学群5年)だって!カッコイイ!

応援のあとは箱根駅伝の応援旗を自転車に挿して横浜観光地巡りしながら帰宅しました。赤レンガ倉庫。

開港記念会館

山下公園

そして、中華街へ行って華都飯店(『無国籍』の著者のお家)でお昼ご飯食べました。

今読んでいる本。
横浜中華街で生まれ育った女性が書いた本です。
日華断交で無国籍を選択した家族の歴史。
横浜中華街を日常的に歩くようになって興味を持っているのと、さらには、この本の中国語版を私の台湾の友人が翻訳したという縁もあり、読んでいます。
日中国交回復により、「台湾籍」が認められなくなった結果、「無国籍」という身分を選んだ人たちがいた。そんな家庭に生まれ、横浜中華街で育った著者は、ある日、台湾への入国も日本への帰国もできず、空港から出られない衝撃的な経験をする。国籍とは? 民族とは? アイデンティティの基盤とは何か? 国家と家族の歴史に向き合い、深く掘り下げた体験的ノンフィクション。 
感想はまた。
2020.1.10読了
通勤電車の中で読み進め、昼休みも読んで二日で読み終わった。
いい本でした。
知らないことがたくさんたくさん。
著者が小学1年のころ、学校の図書館にあった中国語で書かれた日中戦争の資料集で見た写真に衝撃を受け、自分が生まれた日本と父母の国の間にこんなひどいことが起こって、それでも日本に住んでいることが受け入れられず、泣きじゃくって「どうして私たちは日本に住んでいるの?」と父親に尋ねる場面がある。そのときの父親の言葉が素晴らしい。
「私たちは歴史を乗り越えるためにここにいるのだよ」と幼い娘に語るのだ。
このお父さんに会いたい。
実は、このお父さんにはすでにお会いしている。
あいさつ程度だが。
この著者の家は横浜中華街の中華料理店だ。
そして私ももうすでに何度となくご飯を食べに行っている。
この本にも出てくるように、週末など夜遅めの時間になると、奥の円卓で家族の食事が始まる。初めのころは「この店は営業しているんだろうか?」と思ったほど。
この夏、横浜中華街のそばに引っ越したと知った私の台湾の友人が
「YOKOさん、華都飯店にはいきましたか?」
と聞いてきた。まだだと答えると
「ぜひ行ってください。お父さんお元気かな?陳先生のおうちなんですよ。陳先生は筑波ですよ。YOKOさん知り合いじゃないですか?」
などと言ってきて、こちらはちんぷんかんぷんだった。
詳しく話を聞くと、彼女の言う「陳先生」はこのレストランの娘さんで、早稲田の先生らしい。そして、「陳先生」の本の翻訳(日本語→中国語)をその友人が担当して出版したという関係があったのだそう。
そんなこともあり、家からも近いし、行ってみたら美味しいし、観光客ずれのしている横浜中華街で「昔ながら」の雰囲気を保ってるような(昔の中華街を知らないけど)この店に通うようになった。
なので、本を読みながら、ご家族の顔も浮かんでいた。
また、著者は筑波大学出身で、その点も私と共通点があり(バックグラウンドは全く違うし、私はあんなにまじめな学生じゃなかったけど)大学時代の話なども親近感を持って読んだ。
国籍のない人たちがこんな身近にいたとは。
台湾にかかわるようになって20数年、いろいろな人の話を見聞きしていたけど、自分の身近なところにいる人たちの話は知らずにきていたなぁ。
また、日華断交の時代からすすんんで、今はまた違う形の無国籍者がいる。
日本にも世界にも。
今度お店に行ったら、本の感想も伝えたい。
それと、お父さんにきちんとご挨拶したい。
著者ご本人にもいつかお会いして、話をしたい。

去年は1年間ずっと腰の調子が悪かった。
間に引っ越しもあって、ぎっくり腰手前まで何度も行った感じがあったので、秋になるころ近所の整体院へ行ってみた。
そこは、私と同じ年の男性が一人でやっているところで、腕はなかなか良かった。
私の腰痛は筋肉疲労からきていると思われ、普段の姿勢、運動不足など心掛けなければならないことが多いのだけど、とりあえず揉んで調整してもらうと気持ちよく、安くはないけど、回数券を買ってしばらく通うことにした。
が!
この先生、接客下手。
話下手。
施術を受けている間、筋肉の話ばかりでもないので、世間話もするのだけど、だんだんとそれがストレスになってきた。
先日の会話。
私が新しく買ったバッグの話になった。
「あ、そのバッグ、偶然ですね~僕と色違いですよ」
「これですか?わたしもすごく選びに選んでこのバッグ買ったんですよ。いいですよね~」
「ぼくはね、それネットで買ったんです。新品がすごく安く買えたんですよ」
それから、延々と自分がいかに安く買えたかの話が続いた。
正札で買った人と話をしてるんだから、そこちょっと考えないのかな?
先日のこと、お正月の話になった。
「お正月どこか行ったんですか?」
「〇〇に行ってきました。そこで、船の運転体験して面白かったんですよ。先生はいったことありますか?」
「僕はそこはないんですけど、▽▽ってとこでは、飛行機の運転体験できるらしいですね。そっちも行ったことないけど(笑)」
お客がAの話題を振るとBを持ち出す。
Cを振るとDの話。
どこまでも並列でキャッチボールにならない。
お客さんに対抗してどうするのか?
この人も、むかしは人間関係とかちょっと難しいと思ってたことがあるかもしれない。私もそう、社会人なりたてのころから10年くらい、営業をやってきたけど、お客さんと「世間話」するのが苦手だった。私と同じタイプの人。
でも今ならわかる。
バッグの話なら、自分の自慢話はしないでそのバッグを気に入ってる点を、お客さんと共感しあう。「ここがいいですよね~」「そうですよね~そうですよね~」って。
船の運転の話なら、船の運転の中身を聞いて、いったん「面白そうですね~」とか受けた上で、飛行機の運転体験できる場所の話を持ち出そう。
でも、彼は年齢的にもベテランだし、経営者だしそれなりに自信持ってるんだろう。
一人で仕事してると、人と比べることもないだろうし…。
疲れるので、なるべく「筋肉」の話に戻すようにしてる。
この話なら相手がプロなので、こちらが聞き役に回っても辛くない。

 
 
お正月休みに、近所の本屋さんで買ってきた。
小さな本屋さんだけど、こんな本があるなんて!
この松本洽盛さんは、以前見た映画「湾生回家」にも出ていた、台湾生まれの方。
この本は、松本さんたちが台湾のお年寄りたちにその人生について聞き取りをしてまとめたもののよう。
 
一気に読んだ。
やっぱり、ご本人たちの声は重みがある。
 

本の表紙にもなっている地下鉄「古亭」駅近く、同安街のY字路です。本では「夢のY字路」として紹介されています。

本にも登場の「十普寺」

堂々たるY字路ぶり!

暗渠になっているのがわかりますね。
暗渠をたどっていくと「廟」が出現。ここは古いのかな。
  

こん回の台湾旅行の裏テーマはこの本に登場する「Y字路」を散策すること。

まず、宿から一番近い「Y字路」へ。

齊東老街 本では15番のY字路
  
日本統治時代に日本人用の住宅(官舎)が多く作られ、今も残っているエリアです。
もともと水路があったのでY字路になったようです。

でもさすがに戦前の木造家屋は老朽化しているので、保存再利用のための修復が進められています。
修復中の家屋の塀に、昔の地図や来歴が書かれたものが印刷されていました。

修復が終わって、公開されている建物です。

「齊東詩舎」
前に来た時、何も知らずに通りかかって中を見学したことがあります。
今回は休館日でした。

齊東老街の出口も立派なY字路です。

近くに、こんな場所が。
一瞬自分がどこにいるのかわからなくなってしまいました(笑)

コンサート終わって帰ってきたのはやはり2時半頃だったか?大晦日は地下鉄が終夜運転するので助かります。
朝方寝て、10時頃に起床。
今日は帰国なので荷物をまとめます。
元旦は毎年恒例で、友人たちとお昼に北京ダックを食べます。大晦日に誕生日を迎えた仲間内で最年長のお兄さんが「北京ダックを食べたい」と言ってご馳走してくれるので、他のメンバーはケーキを買っていって誕生祝もするのです。
会場は北京ダックの老舗「天厨菜館」。
台湾では北京ダックとは言わず、「北平」ダックといいます。

食事のあとは、台湾の弟分に車を出してもらって温泉へ連れて行ってもらうことにしました。参加者は女性3人。

これも最近の定番です。
台湾の弟分は温泉好きで、とにかく泉質にこだわるタイプなので彼が連れて行ってくれるところはアタリです(が、泉質にこだわるあまり設備は重視しないのでかなり野趣あふれるところになります)
はじめに行った割と近くの行儀路温泉は、人が多すぎで車を止める場所がなくあきらめました。陽明山の温泉へ。

山の上は霧と雨。
陽明山のおすすめ温泉はそこまで混んでなかった。前にも来たことあったんだけど、その時あまりの野趣ぶりに「ビーサン持ってきたらよかった!」と後悔した(足の裏を怪我しそうだった)ので、今回は売店で買いました(売店でタオルなんかと一緒にビーサン売ってる時点でやばい場所だと気がつくべきなんだ)
今回はサンダル買って行ったから非常に快適でした。お湯もすごく良くてビリビリするくらい熱かったけど、体がすっかりスッキリしました。
台北駅へ戻り、友人たちと別れたあと、弟分と食事して(やっぱり牛肉麺!)空港まで送ってもらいました。

なんと生肉!ここに熱々のスープを注ぐことで煮えるというもの。
初めて食べました。
飛行機は格安航空会社のタイガーエア。
行きに乗ったピーチより、座席も広く機内持ち込みの荷物も10キロまでなので使いやすい。私の荷物は8キロでした。(ピーチなら7キロまで)
深夜12時過ぎの出発で、冬の復路は2.5時間で来てしまうので、羽田に朝の4時頃には到着。電車の始発より早く、羽田発5:15横浜駅行のバスがあったのでそれに乗って帰宅しました。

家にはまだ暗いうち、6時過ぎに到着しました。
明けましておめでとうございます。

寝たのは朝方3時過ぎ。
それでも、8時くらいには目が覚めてしまう。それをむりやり10時くらいまでベッドでゴロゴロ。体力温存です。
朝食は、昨日の夜食にと思って買っておいたパンやお餅やエステでもらった果物など。

今日も日中は、Y字路探しへ。

古亭から師範大学周辺をウロウロ。

お昼は、師大付近で羊肉の麺(今回麺ばかり食べてる)雨模様で寒いもんだからついつい汁物食べたくなるんですね。

ブラブラしたあと、台湾シャンプーをしに美容室へ。一軒目に行った小林髪廊は予約でいっぱいと断られ、曼都へ行きました。(私は台湾シャンプーしたいときはこのどちらかに行きます。どちらも台北市内にたくさん支店のあるチェーン店)

350元(約1000円)でシャンプーブロー、それにマッサージまでついてくるこれはお得だと思います。
いったん宿に戻り、着替えてしっかり寒さ対策もしてから夕食の約束をしている富錦街のイタリアンレストラン
へ。時間なくなってタクシーをとばしました。日本から集まった仲間5人で大晦日の夕食を食べます。 この5人は2日間ともにコンサートを見るのですが、宿も日程も皆それぞれバラバラです。
台湾なのにイタリア料理食べることも大丈夫な台湾リピーターの人ばかり。

ここからバスでコンサート会場へ。

霧にけぶる台北101。