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いま、高校図書館を舞台にした小説を読んでいます。
そのことはまた別の機会に書こうと思っていますが、その本を読んでいると自分の高校時代が懐かしく思い出されます。私も3年間図書委員で図書館に(比較的)入り浸っていたからです。
一番の思い出は、その図書委員会が発行する広報紙で「シャーロックホームズ」特集をしたことです。よく覚えていないケド、編集会議で「ホームズをやりたい」と言ったんでしょうね。中学生のころからのホームズファンだったので。
新聞を作った記憶はあったものの、内容は忘れていましたし、手元にも残っていませんでした。が、フェイスブックの同窓会ページでちらっとこの話題を出したら、持っている人がスキャンしてPDFで送ってくれました。次の帰省時にでも母校を訪ねてみようかと思っていたのですが、便利な時代ですね。
おそらく私が担当したと思われる部分を載せます。
言い出しっぺということもあってか、メインの記事を書かせてもらっているようです(署名はないけど)。この文章、司書の先生にこってり絞られながら書き直し続けたことも思い出してきました。高校2年生のときのことです。
ああ、懐かしいな。
特集記事は、このあと「ホームズ物語の時代背景」なんていう論評に進みます。
それはだれが書いたんでしょうね。私にはまったく書くことができない文章です。
また、「ホームズ物語ベスト10」という企画もありましたが、私の心のベスト10と違う。数人で分担したのかも。
下に挙げたブックガイドは多分、私が書いたと思われます。
なぜかというと、自分が読んだことのある本と読んだことのない本、どちらも紹介してるんですが、読んだことない本がバレバレな文章^^;わかりやすい。

読まずに紹介した本はどれかわかりますか?

私の高校の図書委員はほかの委員と同様、クラスから選ばれるのですが、実態は「部活」で、3年間続けるのが習わしでした。(1年でやめてもいいのだけど、だいたいみんな3年間続けてた)
私はもともと運動部にも入っていたのですが、2年の春演劇部の友人からキャストが足りないって言われて助っ人に行ってからずるずる部員になったし、生徒会も文化祭の実行委員やってから、なり手がいないといわれて副会長までやったし。勉強そっちのけであちこちの課外活動に精を出す生徒でした。(うまく足抜けできない性格?)
そうそう、生徒会副会長っていうのは他校との交流担当で、たびたび学校代表でイベントや会合に参加するためよく授業を「公欠」してました。
1~2年はそんな感じで忙しくしていたので(?)、成績はどんどん下がり続け、もう後がないというところまで下がった2年生の3学期、テストを返却するときに先生から
「おまえもそろそろよかだろ?生徒会も演劇部も引退だけん、そろそろ勉強ばするど?」
と言われたのをいまでも覚えています。
担任じゃない先生でしたが、私の活動をちゃんと見て知っていてくれてるんだなと思って、誇らしいような恥ずかしいような気持でした。

日本の対応にはいろいろ問題があるようだ。
感染者もどんどん増えている。
それともう一つ大きな問題は、だれしも不安を大きく抱えているということ。
原発事故の時を思い出す。
台湾の友人たちが日本を心配している。
というか日本政府の対策にあきれているという感じもある。
台湾はいち早くマスクの買い占め転売をなくす対策をしたし、数は多くはないが、全員が必ずマスクを買える仕組みもすぐに整備した。
「こういう手を打ってくれる政府」に国民は安心感を持つのだ。
日本政府にもそのような気概があれば…。
さて、昨日も政府は国民に「お願い」しかしなかった。
マスクも1日1億枚供給があるらしい(厚労省のホームページに書いてある)けど、どこに行けば買えるのか?さっぱりわからない。
我々は自分たちでどうにかするしかない。
幸い、私はマスクも持っているし、消毒液も持っている。
でも使い方がよくわからない。
とおもっていたら、台湾のサイトに分かりやすいのがあった。
対策の一部だけだけど、なるほどと思ったので参考にすることにした。
ダイアモンドプリンセスでも、清潔・不潔のゾーン分けは一応されていたらしいけど、それでもそれが一か所でも交わる場所があれば、対策は全部おじゃんになる。
家庭でもそれは同じ。
どんなに消毒、手洗いを回数やっても、順番が間違っていたら意味がなくなる。
日本語訳もつけてみた。
これを見て、消毒薬を玄関に置いた。
(それまでは水道のところに置いていた)
みなさん、消毒薬は玄関に置きましょう。

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先週に引き続き、三渓園へ。
先週は雨で人出もまばらだったけど、今週は天気が良い。
春一番の吹いた翌日、風は強いけど春の陽ざしが暖かい。
花粉症のため気が進まない様子の夫をそそのかし(鬼?)一緒に出掛ける。
誘い出す文句は、
「三渓園には原三渓さん考案の『三渓そば』なる名物があるらしいよ!なんでも茶席出席者の着物を汚さないように汁なしのそばだったんだって」
先週、ボランティアガイドさんに教えてもらった話を繰り出す。
夫は「お茶席」とかそれにまつわる話に弱いところがあるので、しっかり興味をそそられてくれた様子。さささっと出かける用意を始めてくれた。
まず、入り口で年間パスポートを購入。夫に聞くと「僕も」とのこと。二人で5000円。(4回くれば元が取れます)
昨日ほどではないケド、風がある。
夫の花粉症が悪化傾向、わたしも鼻水が…。
早くそばを食べねば!
園内にはいくつも茶店がある。教えてもらった茶店はどこだったっけ?
天気が違うと見ためでわからないぞ。
仕方ないので、ネットで検索。
「待春軒」だ。
行ってみると、奥まっているせいかお客も少ない。
さっそく、「三渓そば」を注文。
これです。

美味しかった。
そばじゃなくて細いうどんでした。
明治のころはけっこう「ハイカラ」な食べ物だったのでは?
コロナの影響で定時のボランティアガイドツアーは中止になっていました。
案内所には猫いっぴき。
ボにゃんティアガイド?
亀の甲羅干しの姿が面白い。
「花粉がきつい」ということになり、軽く園内半周位しただけで帰ることに。
年間パスポートも買ったことだし、また来ましょう。
そして翌日。
今日も天気がいい。
家で本を読んでいたけど、こもっていたくないな~。
買い物の用事もあるし、自転車で出かけてみるか。
と、お昼を食べた後やってきました。
自転車だと15分くらいです。
今日は昨日より人が多い。昨日は午前中だったからかな?
65歳以上は入場料が安いせいか、年配者が圧倒的に多い。
昨日もいたけど、婚礼写真を撮影中のカップルも何組もいました。
さて、今日の私のお目当ては鳥たちです。
これはカワウ。
三渓園には1羽だけいるようです。

こちらはアオサギ。

昨日と同じとことに陣取って、お客さんを喜ばせています。
これはバードウォッチングのセンパイの皆様。
どうやら蓮池のカワセミを狙ってるらしい。わたしも見つけたけど、写真に撮るのは無理ですね。当面鴨サイズ以上を撮影いたします。
季節ごとに訪れたい景色です。

三渓園3回目にして、やっと三重塔のところまで登りました。

三重塔と同じ高さに展望台もあり(三重塔には登れません)根岸湾が一望。
むかしはきれいな海岸線が一望だったのでしょうけど、今はコンビナートの景色です。
梅が満開でしたが、写真に撮るの忘れました。
次は桜の季節かな?

新しい天皇誕生日の振り替え休日。
コロナウィルスの懸念もあるので、人込みを避けててまた三渓園へ。
(年間パスポートを買ったので2日連続できても良いノダ)
もう3月下旬の暖かさで、風の強かった前日よりも人出が多いようだ。
池のカモを見ながらベンチで読書。
昨日三渓園に来た帰りに寄った図書館で借りてきた、水俣病関連の本(開架してる本としてはこれ1冊だった)。相当固い本かと思ったのだけど、読んでみると意外と読みやすい。

 
あとがきまで読んで納得した。
この本は長きにわたった水俣病裁判が「国との和解」という一定の決着を見たあとに書かれた「まとめ」の本で、「高校生にも読んでほしい」との意図からなるべく平易に書かれたのだそう。
よかった。
手にした本が読みやすくて。
今私はこの本を読み終えて、「水俣病問題」を分かった気になっています。
その状態で今のコロナ問題を振り返ってみると、いろいろ鮮明に分かります。
なぜ、検査を進めないのか?
なぜ、初期の段階で水際対策を徹底しなかったのか。
今、コトここに及んでも「国民の皆さんにおねがい」というゆる~い対策しかないのか。
よく考えてみれば、薬害エイズ、福島原発事故、沖縄米軍基地問題、
すべて同じ構造の問題だとわかります。
それとは別に個人的な感想も。
・昭和40年代に不知火海に海水浴に行ってた。親は危険を感じてなかったんだろうか?その頃の熊本の人たちの感覚は?
小学生低学年くらいのころに水俣病のことを知って、食べてる魚が心配になり「魚をたべて大丈夫?」と親に聞いたような記憶がある…
・昭和50年代、水俣病裁判が行われだしたころ、よくニュースでやっていた。でも私の関心は全然そこになかった。「いつまでもやってるんだな、裁判って長いな」と思ったくらい。
・昭和60年代~平成、熊本を離れたけど、裁判は国を相手どる全国規模のものになっていた。でもわたしは関心がなかった。
昨日本を読んでいて、「ちゃんと関心持って理解していたら自分だって環境庁を囲む人間の鎖や座り込みの支援だってできたのに」と思った。
今頃なにやってんだよ自分は。
これが、もう一つのイタイ感想。

神奈川県はマグカルっていう文化振興をやってるのですが、先日そのパンフレットについてたアンケートに答えたら、神奈川フィルのコンサートチケットが当たりました。
そこで、とことこ出かけてきました。
家から歩いて行ける神奈川県民ホール。
ベートーヴェン生誕250年記念のプログラムで美味しいトコどり。
指揮者による解説までありました。
で、第九の合唱で不覚にも泣いてしまいました。
感動。
今度はぜひとも全曲通しで第九を聞いてみたいと思いました。

 いままでその存在はよく知っていたものの、一度も手に取って読もうという気にならなかった「苦海浄土 わが水俣病」。
ようやく読んでみようかと思ったのがつい最近のこと。今度水俣の水俣病センター 相思社へ行くことになったので、その前に読んでおかないとまずいのでは?と思ったのがきっかけ。
普段なら図書館で借りるのだけれど、休みの日まで待てないなと思って、ネットで電子版を購入した。これならスマホでもパソコンでも読めるし、実物よりも安い。
購入して早速ちらっと読んでみた。
!!!
なんと素直な素敵な文章だろう。
すぐに石牟礼さんの文章に引き込まれた。
忙しい中だったので、数ページしか読めなかったが、続きが読みたくてもどかしかった。
それほど本好きではないのか、本を読むのはおっくうに感じることが多い。読んでいくと楽しい、面白いと思うことが多いのだけど、エンジンかかるまではしばらくかかる。ましてや水俣病という重たいテーマの本なのだ。
「読むのが楽しみ」になるはずもないと思っていた。
が、この本はちょっと違う。
もう、ほかの人たちは知っていて、いろんなところでさんざ話されつくしているんだろうけれど、こんなに素晴らしい文章だったなんて!
と今更ながら感激している。
たいそう遅い出会いではあるけれど、出会えてよかったと思いながら、今読んでいる。
実はまだ3分の一くらいしか読んでないが。
大事に読むことにする。

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三渓園ということろは、原三渓という横浜で成功した商人の私邸を公開した庭園です。
自身も絵を描く人であり、 茶人であり 、美術コレクターであり、 芸術家のパトロンでもあった 原三溪さんは、相当太っ腹な人だったようで、 自分の家のために作った庭園も 生前から広く一般に公開していました。(この方は、商人でしたが関東大震災のあとは、横浜復興のために大変尽力されたひとでもあるらしい)
その一般開放の公園部分(外苑)と元々のお屋敷の部分(内苑) 全てを現在は横浜市(正確には財団)が管理しています。三溪さんの時代は無料開放でしたが、いまは700円の入場料が必要です。
元の地形をうまく生かした造園がなされているのですが、 一見自然に見える地形もかなり手が入っているらしく、石や樹木も日本各地から集められたとか、谷川の流れもポンプでくみ上げているとか、まったく人工の計算されつくした庭なのです。さらに、園内には日本各地から 移築された 茶室やお寺の本堂 などなどたくさんの日本建築が並んでいます。 三重塔までも!
これは 明治から大正にかけて由緒ある古いお寺が廃仏毀釈のあおりを受け、その多くがが荒れ果てた廃寺となっていたという背景があります。
住職もいなくなり荒れるにまかされていた古い建物を惜しみ、買い取ってここに移築したのだそうです。そのようなものに価値を認めて、運んできたのはまさに慧眼。
貴重な建物を保存している施設はさまざまにありますが、三渓園はそれを個人の力によってなしたこと、それがとても美しく調和していること、さらにそれを使いこなしていたことなど、スケールが大きいですね。
初めて行ったので普通に入場料700円を払いました。
年間パスポートが2500円だそうなので、次に行くときは年パス買います。
ボランティアによるガイドツアーもあって、雨もあってか参加者は私1人でした。マンツーマンで案内していただけて贅沢でした。それでもまだん半分くらいしか見てないので、花の季節が変わるたびごとに来てみたいと思います。
ここ茶店のお料理も特徴があるそうなので、次はそんなのにもチャレンジしてみたいです。
三重塔。
京都からの移築。
関東地方に現存する一番古い三重塔らしい。
秀吉が母のために建てたお寺も廃寺同様になってたらしいです。
これはお墓を守る建物の扉の彫刻。

変わった形の建物。
船のような形をしているらしいです。
年に2回、この建物の上のほうまで歩道が解放されて建物を見下ろすことができるそうです。
鬼瓦と桃。
三渓さんの時代にも、ここで茶湯のサービスがあったそうです。
焚火と茶釜、いいですね。
これは鎌倉の縁切寺として名だかい東慶寺のもの。
東慶寺も廃寺のようになっていたのだそう。
いまは観光客でにぎわうお寺ですね。
ダムに沈むはずだった岐阜の豪農の合掌造りの邸宅もここへ移築されました。
ここは入って見学できます。

三渓園には大きな池があり、今の季節は鴨たちが滞在中。

数が多いのは白黒くっきり、キンクロハジロ。

コロンとしてて可愛い。

そしてご存知、マガモ

なかなか珍しいアオサギ。

キリリとしてます。

ダイサギ。

こちらは渡らないカモ。

カルガモ。

花の名所でもある三渓園。

今は梅が見頃でした。雨でしたけど。

臥竜梅。

何本もあって見応え十分。

大寒桜。もう咲いていました。

今年は温かいですね。

新型コロナウィルスの流行も新段階に入ったと見える日本。

手洗いうがいの徹底のほかに、
不要不急の外出は避ける
人込みにいかない
という措置も必要に思われます。
それでも休みに家に閉じこもっていたくない。
ということで、人の少なそうな所へ行ってきました。
雨の三渓園
お客も少ない雨の中、猿回しやってました。
日光さる軍団の人らしい。
終わりの方少ししか見られなかったけど、伝統芸能を支えたい思いで、ご祝儀だしました。お客はパラパラだったけどみんな出してた。人数少ないほうがかえって良いのかもしれないと思いました。

全6回コースも後半に入りました。
前回の講義で、演習の課題を共に取り組む仲間ができて、この2か月あまり、LINEなどでやり取りを続けてきました。それぞれ栃木、埼玉、神奈川に住んでいて、会って話をする機会はなかったので、受講後に打ち上げに行って親睦を深めました。
また次の課題も3人で取り組むことにしましたし、ますます面白くなりそうです。

カンパーイ!
今回の講義内容で一番面白かったのは、「異類婚姻譚」論
世界中の異類婚姻譚を比較研修した「昔話のコスモロジー」をテキストにした講義でした。時間に限りがあり、水平比較はそれほど掘り下げられませんでしたが、垂直比較の講義はゾクゾクしました。
日本の昔話に「蛇婿入」という話型があり、あらすじは・・・
・年頃の娘のもとにある若者が夜な夜な通い娘妊娠。
・親が相手は誰かときくが娘には相手の正体は分からない。
・次に男が来たら糸を通した針を男の着物に刺せと入知恵され、その通りにする
・男が帰った後、糸をたどると山奥の穴(or沼)に達し相手が蛇だとわかる。
・蛇の子を産んでは大変だから、盗み聞きした方法で堕胎させる
・めでたしめでたし
そして、これと似た話が「古事記」中つ巻に「三輪山伝説」として収録されています。
ダイジェストを三輪明神のWEBサイトから引用します。
「美しい乙女、活玉依姫いくたまよりひめのもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、どれほども経たないうちに姫は身ごもります。姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。さらに糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。これによって若者の正体が大物主大神おおものぬしのおおかみであり、お腹の中の子が神の子と知るのです。この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けたということです。 」
(この文章に蛇は出てきませんが、「大物主大神」は蛇の姿をした神様です。)
昔話の「蛇婿入」と古事記の「三輪山伝説」がもともと同じ話なのは、すぐに分かります。でも話は一緒でも語り手の評価は真っ二つなのが非常に興味深いところです。
蛇婿入りでは、「蛇の子なんてとんでもない!」ですが、
古事記では、「蛇神様の子だ!神の子だ!」といって崇めるのです。
講義によると、714年に成立した古事記に対して、今に伝わる昔ばなしができたのは室町、江戸時代だろうとのこと(もちろん、昔話はもっと古い時代から語り継がれているわけですが、いま私たちが聞ける話のかたちとしては室町~江戸の時代成立)。8世紀の日本人は蛇の子を神の子だと考える自然観(宗教観)を持っていたが、時代が下ってくるにつれ、蛇の子は汚らわしいと考える自然観を身に着けてしまったといえる。
では、どこにその転換点があったか?
やはりそれは、仏教伝来、仏教の流布が日本人の宗教観を変えてしまったと考えられる。と。古事記編纂時にはもちろん仏教は伝わっていましたが、庶民にまで浸透するのは、10世紀前後らしいです。
それが昔話の世界ににじんでくるのだということが、エキサイティングでした。
昔話には、人類の歴史が刻まれているのですね。
ところで、「蛇婿入り」にはもう一つ別の話型があって、これも全国に伝わっているらしいです。あらすじは以下の通り。
・農夫の爺が田んぼに水が来なくて困っている
・「水を入れてくれたら娘を嫁にやる」とつぶやくと蛇が水を入れてくれた。
・3人の娘にそのことを話すと末娘だけが承諾する
・娘は嫁入り道具に長わらじと水瓶を要求、蛇とともに家を出る
・途中の川で水瓶を背負った蛇を川に落とす、蛇が流され娘は帰宅
・めでたしめでたし

あ、これは猿婿入だった。
蛇婿は娘に針で殺されるんだった。
こちらの話には、もう少し複雑な考察があり、
爺さん(父親)は蛇は神様と考え、約束を守らねばと考えている。
一方娘たちは、蛇は単なる動物ととらえ、人より下等なもので結婚などとんでもないと考えている。
田んぼに水を入れてくれた恩のある蛇を殺しても「めでたしめでたし」となる。
日本の宗教観、自然観の揺らぎが一つの話の中に登場している。
とこうなるらしいです。
おもしろ~~い!


私は子供の頃から寒がりで冬が苦手。

でも、この冬は(暖冬ということももちろんあるけど)それほど寒いと思うことがない。ある、寒さ対策を実践しているから。
どんなときに寒いと感じているかというと、それは外出時ではなくて家にいるとき!夜の茶の間や朝の台所、洗面所。
夜の茶の間で寒く感じてくると、たくさん着込んで動きたくなくなる。そしてますます寒くなるという悪循環。
去年まで住んでいた家は、高気密で日当たりもいいしリビングに床暖房まであったのだけど、それでも寒くて24時間暖房を入れ続けたりしていた。
それが今年は寒くない。
正確には「寒さに震える時間がほとんどない」
その秘密はお風呂。
前の家よりも格段に寒いはずの今の家(隙間風もあるし階下に部屋ないし)、DIYで断熱対策したけれど、部屋を暖めるにも限界ある。
そこで、「寒い」と思ったらすぐお風呂に入ることにした。幸い、浴室が狭く浴槽もミニサイズなので、5分もあればたまる。そこに15分位つかっているとポッカポカになる。2時間くらいは持続する。そして、身体が冷えないうちに布団に入る。
朝も入る。起きたらまず湯船につかって汗をかく。そうすると、それから2時間近く、職場につくまでポカポカだ。
前の家は脱衣所もお風呂も寒かったからお風呂の準備するのも億劫だったんだけど、今の家にはそもそも脱衣所なんてものもないし(リビングにお風呂がついてるかたち)。部屋が狭くてグレード落ちてるんだけど、かえってよかった。
今朝はこの冬一番の冷え込みで、初めて0度になったみたい。
このままこの対策で春まで頑張るぞ。

横浜に来てから近隣に博物館資料館が多いことに気がついた。休みのたびにできるだけ出かけているけどまだ全館制覇までは遠い。
こういう博物館に共通のパスなんかあればいいのに。(東京にはある。東京に住んでいるときに利用すればよかった…)
せめて、年間パスポートはないのか?
博物館に行くたびに少し気をつけていたところ、ついに年パスのある博物館に出会った。
企画展も含めた共通の入館料は300円で、年パスは1500円。5回以上行けば元が取れる計算。そんなに行くだろうか?と思ったが、もうすでに4回行ってる。
展示も面白いのだけど、私の目当てはユーラシア文化館にある小さなライブラリー。シルクロード関係、美術関係、横浜関係の本が置いてある。
そしていつ行ってもすいているので、時間があるときに行っては本を読んでいる。(図書館より近い)

今読んでいる本はこれ。

「横浜華僑の記憶 : 横浜華僑口述歴史記録集」中華会館, 横浜開港資料館編(2010.10)
元横浜開港資料館の研究員で、今ユーラシア文化館の副館長をされている、伊藤泉美さんがかかわった本。横浜華僑の古老にインタビューしたもの。(前に記事にした陳天璽さんもインタビュアーとして参加されてた。世界はつながる)
こういう「聞き書き」というのは面白い。読みにくい部分もあるけど、生の声だから面白い。
そのトップバッターとして登場していたのが、今日の記事のタイトルに挙げた「奇珍楼」先代店主の黄礼祥さん(1912~1999)。山下町(現中華街)で生まれて、お父さんが本牧十二天に「奇珍楼」をオープンするので引っ越し、関東大震災の時には12歳でかなり記憶が鮮明。震災後は一時神戸に避難、そして太平洋戦争中、海岸には外国人を住まわせられないという理由で、立ち退きを迫られ今の麦田町に移転したのだそう。
関東大震災の日は、学校をサボって(?)家にいたら出前を頼むお客が来たので家の場所を確認しにお客さんについていった、その帰りに本牧十二天の鳥居の前で揺れが来たらしい。鳥居が崩れてきて危ないとこだったとか。
ご本人はもう20年ほど前に亡くなられていて、いまはそのお子さんたちが店を引き継いでいるということで、行ってみた。うちから歩いて10分くらい。
店は古いが、お客は入っている。
2棟を中でつないでいる構造。休みの昼時だったので、当然のように相席になった。
グルメ誌にも載ってるようだけど、何も見てこなかったから何を食べたらいいかわからない。とりあえず、サンマーメンにした。
甘めの味付けで美味しかった。
店内には店の歴史の写真などが貼られていた。

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昨日、中国東北部に住む友人とビデオチャットしました。
食料品は、スーパーが営業しているので困っていないといっていましたが、ほとんど家に缶詰めだそうです。春節の休みも全中国的にあと1週間のびるらしいし、なんとか封じ込めて鎮静化してほしいですね。
封鎖された武漢の人々はどうしてるんでしょうね。心配ですが、でも突貫工事で作った病院が動き始めたらしいですし(10日で作ったとか!!中国すごい)終息に向かうことを祈ります。
このニュースをはじめて耳にしたのは、今年の元日、台湾でのことでした。
友人と車に乗っていたときに、カーラジオから「武漢でSARSのような病気が発生」というニュースをやっていたのです。
SARSならもう経験のあることだし、怖いことは怖いけれども、そんなに大変なことにはならないかな?などと思っていたら、じきにそれはSARSではなく、別の新しい病気だということがわかってきました。
当初は報道が少なかった日本でも1月の中旬ごろからは連日の報道、職場でもその話が多くなりました。そして先週、街からマスクがなくなりました。
新型インフルの時を思い出しています。
きょうの各国の感染者と死亡者のリストをみてみました。
なんと、中国に次いで危ない国になってますね。日本。
香港に住む友人が旅行の計画を取りやめたといっていました。いわく、行こうと思っていた国が、「入国後2週間は外出自粛」を求めているから・・・とのこと。
香港はこの表で見ると15人ですね。
もちろん人口の大きさは考慮しなくてはいけないけれど、香港からの旅客が外出制限受けるなら、日本もって話になってもおかしくないですね。
もちろん、香港=中国とみなしての措置なんでしょうけれど。
2003年のSARSのときは、相当なパニックになった記憶があります。
今回はそれにくらべたら結構冷静だと思いますが、もう感染者数ではSARS(8,096人)を越えてるとか。
ただ、致死率は10%前後だったSARSよりも低いようなので、そこが救いですね。
ただ、ウィルスは変異するものらしいので油断はできませんが。
とはいえ、治療法も確立しておらず、感染者もどんどん増えている現状。
うちの職場も毎年恒例の社員旅行は中止になってしまいました。
タイに行くはずでした。
上の表ではタイは日本と感染者数が同じくらいですね。
行っても問題ないと思いますが、心配すいる人もいるので無理していかなくてもいい。妥当な判断と思います。
マスクが町から消えましたが、マスクはたいして予防にはならないそうですね。(それでも人込みではつけていますけど)手洗いうがいの徹底と、睡眠を十分とって疲れをためないようにして免疫力をさげない努力をしています。
昨夜は9時間寝ました^^
皆さんもよく休んでくださいね。

今受講中の「昔ばなし大学入門コース」の教科書でもあるのだけど、受講仲間から「面白いよ」ときき、一気読み。

面白かった。
論文とまではいかないけれど、学術書~なんだけど、推理小説のような面白さがあった。
昔ばなしや伝説や神話には、「動物(や異世界のもの)との結婚」という話がたくさんあるけど、それはいったいどういうことなんだろう?
ひと口に動物との結婚といっても、婿さんが動物だったり、嫁さんが動物だったり。
仲良くしてるのもあれば、正体がわかったら別れ別れになるのもあるし、果ては相手を殺すのもある。そこにはどういうことが読み取れるんだろう?
また、世界中の話と日本の話の共通点や違いを見てどんなことがわかるだろう?
という本です。
後半のまとめまで読み進めると、著者の熱い思いがほとばしってます。
「え?これ文学の本じゃなかった?」
とおもうほど、先生の思想がびしーっと伝わってきます。
小澤先生、熱い人です。
 世界中の昔話が比較されているのもとても面白く、読みやすいのでお勧めです。