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JR の 首都圏のかなりの範囲を 最低運賃 150円だけを払って ぐるっと回れる いわゆる大回りの旅をやってきました!

大回りとは?
下の地図の範囲のa 駅から b 駅まで行く場合、どんなルートで行っても、最低料金で行けるという特例です。
もちろん 改札を出てはいけませんし、同じ駅を2回通ってはいけないなどのルールがあります。また切符は当日限り有効です(日付をまたいでも終電までは乗れます)

スタートは JR 根岸線 石川町駅です。
Suica や PASMO でも乗れるようですが 旅情を高めるため 150円の切符を買いました。
石川町からですとお隣の駅、関内や桜木町まで行ける切符です。

7:51購入

旅のスタートです。
まず 根岸線の終点 大船へ向かいます。
8時3分 石川町駅発。
日曜日の朝 下り線はガラガラです。
大船 到着8時28分。

朝ごはんを食べていなかったので 大船駅構内のベックスコーヒーで食べます。

朝ご飯 2人で1090円です。


大船からは 東海道線下り、9時発熱海行きに乗ります。

東海道線はそれなりに人がいましたが 何とか 席を確保して 茅ヶ崎へ向かいます。

この 大回りの旅を思いつく きっかけとなったのが、YouTubeの鉄道ファンの人の動画。乗り鉄とか言われるファンの人たちは 「この列車は何系」とかよく話していて、ちんぷんかんぷんですが(笑) それっぽい写真を撮ってみました。
東海道線で乗った車両は「モハ E 230」、
モーター付き ということで、は普通客車ということのようです。
は JR東日本 (イーストのE)
後の数字は 型番や 製造番号のようです。

茅ヶ崎 到着9時15分。


次は 相模線に乗って 終点 橋本まで行きます。
相模線は単線でした。
初めて 乗りました。
相模線はそれほど 本数がないので 茅ヶ崎で少し待ちます。
ホームに財布が落ちていたので 改札の係員の人まで届けたりもしました。
9時27分 茅ヶ崎発橋本行き。

10時半 橋本 到着。
相模線は単線 なので、途中 何度も上下線の待ち合わせをしました。
ずっと空いていましたが、 橋本が近づくにつれ 人がどんどん 乗ってきて この混雑になりました。
橋本からは横浜線に乗って 八王子へ向かいます。

10時40分

八王子駅で八高線に乗り換えます。
八高線は八王子と高崎を結んでいる線ですが 途中 川越線も並走しているようです。
自分でボタンを押して ドアを開けるタイプの車両です。
高麗川で八高線は北へ向かいますが、 この車両は川越線に入って川越へ。


12時24分 川越 到着。

乗ってきた車両はモハでした。

ちょっとお腹が空いてきたので 川越駅をぐるりと 見学。

川越の これ何でしたっけ?
火の見櫓?時計台?
ラーメン屋と蕎麦屋もあったのですが もうちょっと我慢して 大宮でご飯を食べようと思います。
川越駅の乗車位置を知らせる サインは 川越名産のさつまいもの 絵柄が!

川越からりんかい線直通新木場行きに乗って大宮へ向かいます。


この車両も ガラガラ。

大宮駅には20分くらいで到着。
大宮駅はとても大きな乗換駅で新幹線も通ってますから 駅ナカのお店が充実しています。
いろんなお店があったんですが 人もその分 多くて大賑わい。
今日は和食のお店に入りました。

美味しそうです!
贅沢しました!
かなり満足したので大宮から一気に 東京上野ラインで横浜に帰ります。
13時53分発 熱海行き。

14時52分 横浜に到着しました。
運良く1両目のボックスシートに座れました。

横浜から関内まで移動して改札を出ました。出発から7時間以上経ってました。自動改札機ではピンポンと鳴って通ることができなかったので、係の人に「大回りしてきました」と言って出ました。

夫は本を読み進めることができたみたいで喜んでました。
私は車窓の景色を見たりいろんな車両に乗ったりが楽しかったです。
これは前の日にちょっとプランを立てたものです。
この通りには行かなかったけど。
なかなか楽しい遊びでした。 また次は別のルートで回ってみたいと思います。
房総一周とかもやってみたい。

3回目の授業がありました。
今日も 三郎兵衛さんの話の続きからです。
三郎兵衛さんは村でいろいろ 揉め事を起こす問題がある人だったそうですが、
のちのち時代が下ると「三郎兵衛」家ということになって名望家チックになっていくようです。

さて また時 国行けから見つかった 古文書で三郎兵衛さんの家の商売がわかります。
これは 曽々木の 三郎兵衛さんが、同じ能登半島の宇出津の人から
4人乗りの船を買った時の証文です。

さらに下の古文書は三郎兵衛さんがその4人乗りの船を今の山形県酒田沖にある 飛島 という島に冬の間 係留 しておくために 通行手形を求める 願い書 です。

下のは 古文書の資料はついてなかったのですが 翻刻された資料です。
三郎兵衛さんが能登半島から4人乗りの船で松前から若狭のあたりまで色々なものを運んでいたということが この 古文書から分かっているそうです。
この頃の三郎兵衛さんは 「組頭」 ということになっているようです。
トイレを作った人とは別人物かもしれません 代々 三郎兵衛を名乗っているのでしょう。
今日は 能登半島の時国家の話から、
佐渡の船登源兵衛家古文書、
さらに瀬戸内海の 二神島〜二神氏の古文書の話にまで及び、
古文書調査と考古学的な発掘調査を照らし合わせる話など、非常に興味深いものでした。

能登時国家にて発見された 古文書を使った授業を継続中です。

古文書を読む 授業ではないのですが、資料には 古文書がバシバシ と出てきます。

これは道にトイレを作って訴えられた男の話です。
江戸時代はなかなか 愉快ですね。
【参考】
この授業はこの愉快な話がメインではなくて、「水呑百姓だ 頭振りだ 貧農だ」と思われた人たちがどれだけ 豊かな経済活動をしていたか という証拠の古文書という文脈で登場しています。
この道にトイレをはみ出して作って訴えられた三郎兵衛という男は、
身分こそ農地を持たない 「頭振」ですが、お金はたくさん持っていたらしいです。