またまた情報が寄せられました。
なるほど、こんなふうになっていましたか。台所と三畳の間が戸棚を介してつながっている作りなど、当時としたら相当頑張って作ったんじゃないでしょうか??
勝手口の外に風呂用薪を入れるための物置があったというのも知りませんでした。私の記憶ではもう薪はなかったと思います。お風呂は電熱器で沸かしてました。物置には何が入ってたんでしょうね??
それと、池もなかったです。埋めてしまったのかな??
先日の「熊本の民家」と違い、この家はもう取り壊されて存在しないので、記憶をたぐっていくしかないですね。
勝手口の側の写真を発掘。
写っている子供は私の弟です。
この家が我が家かは不明。同じような家がずらりと並んでいます。
間取り図にある通り、台所は張り出しています。
そして礎石が丸いごろっとした石ですね。