20年前の3学期のこと、私は就職も何とか決まり、後は卒業をするばかりとなっておりました。
が!
あまりに不真面目な学生だったため、卒業単位が足りない!
特に、4年まで履修しなくてはならなかった「体育」は出席日数が明らかに足りない!
どうしよう~。
でも就職も決まってるし、なんとしてでも卒業したい・・。
というわけで、決行しました。
体育の先生の研究室へ行き、拝み倒す戦法。
「せんせ~い、出席日数が足りないのはわかってるんですが・・・。
もう就職も決まってるんです。
なんとか卒業させて下さいっ!!」
優しい先生(陸上の先生でした)は、じゃあ、レポートを書いてきなさい。
と温情をかけてくれました。
体育専攻の友人に本を借りて何とかレポートを仕上げ、
単位をもらいました。
おかげで、めでたく卒業することができました。
じつは、これと同様のことをあと1科目でもやってます。
(これも一般科目の他学の先生の授業)
こんな調子だったので、卒業から20年もたつ今でも、
何かプレッシャーがあると、きまって「単位が足りない夢」を見てしまいます。
さて、昨日の母校でのホームカミングデー。
なんと会の司会をしていたのが、その先生でした!
わ!わ!わ!わ!
先生は覚えていないだろうけど、やっぱりご挨拶してこなくちゃ!
と思って、先生に話しかけました。
20年ぶり。
私の顔を見るなり「あっ!」とおっしゃるではありませんか!
「先生に20年前救って頂いた者です」とご挨拶すると・・・
「おぼえてるよ~」との事。
きゃー!
覚えていらっしゃるのですか?!
それはマズイ・・。
大体、ろくに授業に出てなかった学生なのに・・・。
話を聞けば、私のように「何とか単位下さい」と頼みに来る学生が2年に1人くらいいたとの事。
20年で10人・・・
それじゃぁ覚えていると言う話も無理ないですね。
この話で、自分のダメダメさを再確認。
「それでも、先生に卒業させていただいたおかげで、なんとか社会の片隅でまじめに生きております」とご報告いたしました。
ホームカミングデーでは、副学長や講演会の理事の方、サークルが同じだった友人など、いろいろな方とお話をして、再会を喜びました(みんな私を覚えていてくれた!)。
自分の専攻のところばかりでなく、多方面に知り合いがいると言うのは、不真面目な学生だったとはいっても、学生生活が多彩に充実していたということかなと思います。
学生生活に感謝。
こういう学校へ出してくれた両親に感謝です。
財産だね(^^)
ばんは~(^^)
うん。私もこの前の同期会でみんなを見ていてつくづく思ったのは、この人たちの同級生になれて、私はなんて幸運だったことだろうってこと。
昔から自分に自信のないまま今でも生きているため、優秀でもない自分がこうしてとても優れた才能集団の同級生になれたのは、入試でのまぐれだったと思えてならないの。推薦入試でも落ちたしね(笑)小論文で、下書き完璧!と思った瞬間に残り時間は15分。。。焦りとその後の展開が予想されて、手が震え、字が書けない。。。人生で初めて経験する恐怖の15分だった。
だから、プレッシャーを感じていると私が見る悪夢は決まって、入試で白紙答案を前に焦っている。。。もしくは、(公立の場合、法の元の平等の観点からあり得ないのだけど)卒業した同じ学類を再受験し、自信のないまま発表を待っている自分の姿。
どこまで、自己否定だよ、とは思うけど、潜在意識下にある、自分への自信の無さを変えられないままでいるよ(^_^;)
きっと、自己肯定に至るプロセスが私の今生での命題かもしれないね。
あ、私も1人、頼み込んでレポートで単位をいただいた先生がいらしたよ。チョムスキーの英語学概論の授業だったかな(^_^;)
この単位がなかったら教員免許はおろか、卒業もできなかったという単位だった。教室の場所は今でも覚えてるよ。1学の某教室。
なんだか、大学に行きたくなってきたな~
めーさん
めーさん、コメントありがとう。
何度も読み返しました。
いろいろ言いたいことがあります。
まず、めーさんも単位もらいにいったんだ!なんか安心した(笑)
それと、私が何回も繰り返し単位が足りない夢を見るように、めーさんは入試の夢を見るんだね。
深層心理に刻まれたプレッシャーの記憶なのかな。
興味深いですね。
めーさん、傍から見てると、自己否定なんてぜんぜん必要ないと感じるよ。
MLでも話題になってたけど、周りから見ると、いつも一生懸命で、燃焼している(しかも善良なんだよね。めーさんって!)というのが印象的でした。
そのまま変わらずにいてほしいなというのは、周りの勝手な希望ですが。
自己肯定というのは、大なり小なり人生のテーマになってる人多いと思います。
私もこう見えてそうでした。
私の場合は30歳を超えてから、いろいろな気づきが始まって、すごく生きるのが楽になってきた実感があります。
まだまだ修行中ですけどね。
だから、学生のころの自分なんて顔から火が出るようなことがいっぱいあるわけなんだけど、じゃあ、20歳の自分と今の自分と、性格や周りへの表現が変わっているかと言われれば、ほとんど変わってはいないんだよね。
(同期会でも「かわってない!」と連発されたし、先日のつくば行きでも、ものすごく実感しました。いろいろ失礼だと連発された・・・汗)
つくづく、人って変わらないのね。
と思います。
あとは、その自分をどれだけ愛してあげられるかなのですよね。
めーさん、ゴーゴー!
また、集まろうね。
ありがとう!
こんにちは~。
YOKOちゃん。
お返事しずらいコメだったね。
お返事ありがとう。
YOKOちゃんのお返事を読んでいたら、谷川先生のある詩を思い出しました。私の一番好きな谷川先生の詩です^^
「成人の日に」
高校の先生だったころ、卒業間近の高校三年生に贈った詩。
ネットで探していたら、こんなページが。
http://cazenoiro.com/tanikawa01.html
このページには、私が先生に直接お話させていただいたときに話題にもした、「まっすぐ」も紹介されていました。
「成人の日に」
の中に出てくる最後の部分の自己と他者肯定の言葉が、励みになるのよ~^^
そうそう、また集まろうね♪
今日のランチは、会社裏のワゴンでやってくる本格派「ビビンバ」。
脇ちゃんがこれを見ていたら、脇ちゃんの会社からも近くのはずだから、一度お試しあれ~。
詩
めーさん、こんにちは。
教えてもらったサイト見に行きました。
「詩」っていいですね。
そういえば、私も以前谷川俊太郎の詩集を1冊だけ持ってました。
「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」タイトルだけで買った本。たぶん高校生のとき。
そのころは良くつかめなかったけど、今見てみたら、また違う印象かも。
「死んだ男の残したものは」も歌ではじめ知りました。谷川俊太郎の詩だったのですね。知らなかった。
まったく「詩」的なものとはかけ離れて生活していますが、生活をすることそのものが、実は「詩」なのかもしれません。
私のお昼はダイエットクッキーだよ~