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8月24日土曜日、恩師小澤先生の 94歳のお祝いの会が箱根湯本で開かれ、夫婦で行ってきました。
先生はしばらく前に体調を崩されて入院中とのことでしたが、無事開催され、全国から大勢の人たちが お祝いに駆けつけました。
私も大学の同期と誘い合いましたが、 一緒にヨーロッパに行った 皆さんや色々お世話になった方々に再会できたことがとても嬉しく、あちこち挨拶に忙しくとても楽しい会となりました。
会場は 箱根湯本駅に近い湯本富士屋ホテルの大宴会場。

34個並んだテーブルには、それぞれ グリム童話のお話のタイトルがつけられていました。われらのテーブルは「おおかみと七ひきの小やぎ」。
大学時代の友人たちといっしょです。
先生 は 医療スタッフに助けられながら車椅子で入場され、皆からの祝辞などを嬉しそうに聞いていらっしゃいました。
また 誕生日ケーキも用意されていて、 お孫さんたちからの祝福の言葉や 花束贈呈などもありました。
88歳の米寿のお祝いの時は先生の講演会が催されましたが、 今回も先生からのお話の時間があり、後進へのメッセージを力強い言葉で話されていました。

ご家族によれば 、ご体調は 一進一退のようですが 、この会を非常に楽しみにされて リハビリなども頑張って来られたとのことでした。
まだまだこれから やりたいお仕事の話なども、意欲的にされていました。
そのあとは先生の活動の関係者や、(私とは違い)立派な研究者となられている教え子の皆さんからの祝辞が続きました。ドイツの研究者仲間のウター 先生からのお祝いビデオメッセージなども届いていました。
米寿のお祝いの時は、私たち筑波の教え子たちにも声がかかり、同期の友人が祝辞を述べました。今回はそういう オファーがなかったので、ないものだと気楽に構えていたら、 会場入りした後 お世話係の方から 「祝辞の時間ありますよ。お願いしますね」と簡単に言われてしまいました。
えー 聞いてないし!
でも、こういう会で話をさせてもらえるのはとてもありがたいこと。
私なりに精一杯努めました。ぶっつけだったので、話はまとまらずボロボロでしたけど、まぁ気持ちが大事ですよね。 こういうものは 。
1人当たりの時間は2分ぐらいということでしたが、適当に話したら 5分も喋っていました。こんな機会はもうないと思いますが、何があってもいいように練習しておきたいと思いました。

参加者は全国から 300名ほどが集まったということです。
昔ばなし大学も今年で32周年、 そのお祝いも兼ねての会なので、昔ばなし大学の皆さんが中心で、数年前に「中欧の旅」をご一緒した皆さんも何人ももいらっしゃっていましたし、7年前の25周年大会でお目にかかった秋田の方々、小澤昔ばなし研究所の皆様との旧交を温めました。
私のテーブルはつくばの仲間たち、その他先生が筑波にいらっしゃる前の日本女子大学時代の教え子の皆さんのテーブル もありました。
会の終盤には先生の息子さん(!)のギター弾き語り などもあり、 なかなかのサプライズ。先生も最前列でとても嬉しそうにご覧になっていました。
会の時間は12時から4時までの4時間もとってあり、参加者とゆっくり話をすることができました。長丁場 なので 先生は途中で一旦が退席なさり、控え室で休まれていたようです。
最後は先生の弟さんの幹雄さんの指揮で賛美歌の「山辺に向かいて」 を歌いました。この歌は昔話 大学の会合では必ず歌われれるものです。

先生の体調を考慮して、先生に個人的に声をかけるのは遠慮しました。
(コロナやその他の感染などを避けたいということでマスクも推奨されていましたし)

いつも通り、愛と情熱のあふれる会で幸せな気持ちになりました。
会の終了後は、同じホテルに1泊の予約をしていたので、チェックインして、しばし筑波の友人と部屋でおしゃべり。
日帰りの人はだれもいなくて、みな箱根に宿を取っているとのこと。
湯本の駅前商店街で軽く飲もうかと繰り出しました。
箱根湯本も外国人観光客がいっぱいで、お店にも英語メニューが標準装備。日本の観光業界の進化はすごいですね。
昭和感漂う居酒屋で二次会。
学生に戻ったような気分でした。
箱根もまだまだ暑く、結局今回の箱根行きは、先生の祝賀会と友人たちとの居酒屋と、翌朝の温泉街散歩だけでおわりました。
もう少し気候の良いときにまた遊びに来たいなと思いました。

ほんとに今年の夏はあつすぎます。


全6回コースも後半に入りました。
前回の講義で、演習の課題を共に取り組む仲間ができて、この2か月あまり、LINEなどでやり取りを続けてきました。それぞれ栃木、埼玉、神奈川に住んでいて、会って話をする機会はなかったので、受講後に打ち上げに行って親睦を深めました。
また次の課題も3人で取り組むことにしましたし、ますます面白くなりそうです。

カンパーイ!
今回の講義内容で一番面白かったのは、「異類婚姻譚」論
世界中の異類婚姻譚を比較研修した「昔話のコスモロジー」をテキストにした講義でした。時間に限りがあり、水平比較はそれほど掘り下げられませんでしたが、垂直比較の講義はゾクゾクしました。
日本の昔話に「蛇婿入」という話型があり、あらすじは・・・
・年頃の娘のもとにある若者が夜な夜な通い娘妊娠。
・親が相手は誰かときくが娘には相手の正体は分からない。
・次に男が来たら糸を通した針を男の着物に刺せと入知恵され、その通りにする
・男が帰った後、糸をたどると山奥の穴(or沼)に達し相手が蛇だとわかる。
・蛇の子を産んでは大変だから、盗み聞きした方法で堕胎させる
・めでたしめでたし
そして、これと似た話が「古事記」中つ巻に「三輪山伝説」として収録されています。
ダイジェストを三輪明神のWEBサイトから引用します。
「美しい乙女、活玉依姫いくたまよりひめのもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、どれほども経たないうちに姫は身ごもります。姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。さらに糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。これによって若者の正体が大物主大神おおものぬしのおおかみであり、お腹の中の子が神の子と知るのです。この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けたということです。 」
(この文章に蛇は出てきませんが、「大物主大神」は蛇の姿をした神様です。)
昔話の「蛇婿入」と古事記の「三輪山伝説」がもともと同じ話なのは、すぐに分かります。でも話は一緒でも語り手の評価は真っ二つなのが非常に興味深いところです。
蛇婿入りでは、「蛇の子なんてとんでもない!」ですが、
古事記では、「蛇神様の子だ!神の子だ!」といって崇めるのです。
講義によると、714年に成立した古事記に対して、今に伝わる昔ばなしができたのは室町、江戸時代だろうとのこと(もちろん、昔話はもっと古い時代から語り継がれているわけですが、いま私たちが聞ける話のかたちとしては室町~江戸の時代成立)。8世紀の日本人は蛇の子を神の子だと考える自然観(宗教観)を持っていたが、時代が下ってくるにつれ、蛇の子は汚らわしいと考える自然観を身に着けてしまったといえる。
では、どこにその転換点があったか?
やはりそれは、仏教伝来、仏教の流布が日本人の宗教観を変えてしまったと考えられる。と。古事記編纂時にはもちろん仏教は伝わっていましたが、庶民にまで浸透するのは、10世紀前後らしいです。
それが昔話の世界ににじんでくるのだということが、エキサイティングでした。
昔話には、人類の歴史が刻まれているのですね。
ところで、「蛇婿入り」にはもう一つ別の話型があって、これも全国に伝わっているらしいです。あらすじは以下の通り。
・農夫の爺が田んぼに水が来なくて困っている
・「水を入れてくれたら娘を嫁にやる」とつぶやくと蛇が水を入れてくれた。
・3人の娘にそのことを話すと末娘だけが承諾する
・娘は嫁入り道具に長わらじと水瓶を要求、蛇とともに家を出る
・途中の川で水瓶を背負った蛇を川に落とす、蛇が流され娘は帰宅
・めでたしめでたし

あ、これは猿婿入だった。
蛇婿は娘に針で殺されるんだった。
こちらの話には、もう少し複雑な考察があり、
爺さん(父親)は蛇は神様と考え、約束を守らねばと考えている。
一方娘たちは、蛇は単なる動物ととらえ、人より下等なもので結婚などとんでもないと考えている。
田んぼに水を入れてくれた恩のある蛇を殺しても「めでたしめでたし」となる。
日本の宗教観、自然観の揺らぎが一つの話の中に登場している。
とこうなるらしいです。
おもしろ~~い!

今受講中の「昔ばなし大学入門コース」の教科書でもあるのだけど、受講仲間から「面白いよ」ときき、一気読み。

面白かった。
論文とまではいかないけれど、学術書~なんだけど、推理小説のような面白さがあった。
昔ばなしや伝説や神話には、「動物(や異世界のもの)との結婚」という話がたくさんあるけど、それはいったいどういうことなんだろう?
ひと口に動物との結婚といっても、婿さんが動物だったり、嫁さんが動物だったり。
仲良くしてるのもあれば、正体がわかったら別れ別れになるのもあるし、果ては相手を殺すのもある。そこにはどういうことが読み取れるんだろう?
また、世界中の話と日本の話の共通点や違いを見てどんなことがわかるだろう?
という本です。
後半のまとめまで読み進めると、著者の熱い思いがほとばしってます。
「え?これ文学の本じゃなかった?」
とおもうほど、先生の思想がびしーっと伝わってきます。
小澤先生、熱い人です。
 世界中の昔話が比較されているのもとても面白く、読みやすいのでお勧めです。

今年の夏から受講している昔ばなし大学の入門コース全6回、早いものでもう3回目を迎えた。

会場は代々木のオリンピックセンター。
昨夜見た大河ドラマ「いだてん」で選手村が完成していたけど、まさにそこだ!

選手村のあとは宿泊もできる研修センターになっている。確かユースホステルもあったんじゃなかったか?随分前に友達が泊まっていた。

今回は3回目ということで、放課後に受講者の交流会も行われた。月曜日開催の講座のためか、図書館関係の人が多い印象。私みたいな一般サラリーマンは少ないかな。

この講座では毎回宿題が出て、演習があるんだけど、グループで取り組むことが推奨されている。はじめは仲間を見つけにくかったんだけど、今回は近くに座っていた人と3人のグループになることができた。交流会もあって話もできたし、いい感じで取り組めそう。

私の他のふたりは作家さんたちだった。
言葉や物語の専門家だ!
私はズブズブの素人だけど、エキサイティングなやり取りができたらいいな。こんな出会いも市民大学の楽しみですね。

宿題をやるのに参考にしようと図書館で借りてきた、福音館書店の日本の昔話5巻本。さすが、先生が丁寧に再話されているだけあってとても読みやすい!

1995年に出された本。301の話が入っているらしい。どの図書館にもおいてあるはず。大人の皆さんも読んでみたらいいと思う。



同窓会に行ってきました。
同期生84人中、出席者は29人でした。皆忙しい年代だし、日本中に(海外にも)散らばっているので、30人近く集まれたのもすごいと思うけど、 連絡がついた人が71人ということで、横のつながりを大事にしてきてよかったなと思います。
恩師もお忙しい中、スケジュールを調整して駆けつけてくださいました。

学生時代に戻って、遠慮のない会話で盛り上がりました。18:00から23:00までしゃべりっぱなし。それでも話せなかった人いるし、時間が足りないなーと思いました。
次はまた5年後!


NHK ファミリーヒストリー「小澤征悦~謎だった曽祖父の行方 75年ぶりの真実~」

引っ越してめっきりテレビをみなくなりました。
(録画機能が壊れたため)
この番組、再放送も見逃したのだけど、どうしても見たくてオンデマンドで購入して見ました。
私の敬愛する恩師小澤俊夫先生が、なんども登場していたから。

今回の主役、俳優の小澤征悦さんは、指揮者小澤征爾さんの息子さん。
つまり、先生の甥にあたるのですね。

毎回想うことですが、NHKの取材力はすごいですね。
小澤家の歴史についてはこれまで本も出ているし、私も知っている話が多かったけれど、ロシア側の先祖の調査はすごいと思いました。スターリン体制下で収容所で亡くなった方の埋葬場所までわかったのは、本当によかったですね。

私が個人的に驚いたのは、征悦さんの祖父、恩師のお父様の小澤開作氏の動いている映像が流れた事でした。
戦前満洲で活動する開作氏の様子を、関東軍の石原莞爾がフィルムに収めていて、それが石原の故郷鶴岡に保管されていたのだそうです。
ご家族は見たことあったのでしょうか?

恩師から直接話を聞く機会もあったし、同級生の中に開作さんのことを調べている人がいて、小澤家への取材に同席させてもらったこともあったので、開作さんのエピソードはそれなりに知っていたのですが、映像のチカラはそれにも勝っていました。
ちょうど、その同級生のまとめた開作さんの伝記(のようなもの)も完成して読ませてもらっていたので、この夏は一気に心が満洲へとびました。

番組は「家族の歴史」というよりも、よくNHKスペシャルでやるような「昭和史」番組の様相で相当見ごたえがあります。
NHKオンデマンドでの視聴は8/26まで可能です。

開作さんの奥様、さくらさんの肉声も流れました。(さくらさんにはもう30年も前にお目にかかったことがあります。何を話したか覚えていませんが)
この方の伝記もとても読みごたえがありますのでご紹介。

北京の碧い空を

ときを紡ぐ(下)昔話をもとめて
小澤昔ばなし研究所

小澤先生の自伝というか回想録。
この下巻は、世界学会のこと、日本女子大~筑波大~白百合女子大のこと、昔ばなし大学のことなどが語られています。それから先生を襲った「がん」のこと。

これ等の話は、先生のラジオ番組などでも断片的に聞いたこともありましたが、初めての話も多くとても興味深く読みました。特にがん闘病のはなしはあまり聞いたことのない話でした。

この本は、先日開催された先生の米寿記念講演会&祝賀会の席で、記念品として配られました。(配られなくても買う気じゅうぶんだったけど)先生の文章はとても読みやすく、あっという間によみ終わりました。

一番感銘を受けたのは、先生が人生のその時その時の局面で、接する人々にとても誠実に相対されているということ。
偉い人にも学生にも民宿の人にも・・・先生が学者として成し遂げて来られたことはもちろんすごいことだし、世界的な権威なのだけど、それは私などからすると遠すぎて、実感のわかないことなのですが、人に対しての誠実さは、お会いするたびに感じることで、私も自分を振り返って、「ちょっと自分、どうにかしないとな」と思います。


ときを紡ぐ(上)


祝賀会の帰り。3次会までやっての帰り、一人で4次会やりつつ読みました。

15日目。
仕事は休みです。午後、学習院大学での講演会を聞いてから、夜はまたコンサートへ行きます。

ウタ―教授の講演会。
「天国と地獄のメルヒェン」
学習院大学西5号館、B1教室にて。

恩師の長年の親友であるドイツの昔話研究の大先生が日本においでになり、福岡、京都、神奈川、東京など各地で講演会が開催されてきました。私もぜひお話をお聞きしたいと思ってやってきました。今日の講演会は申し込みも不要で、無料で聴くことができます。本当は、陳昇コンサートのために上京してきた福岡在住の友人(昔ばなし大学受講生)も一緒に行くはずだったのですが、実家のお父様が倒れて入院ということで、一人で行くことになりました。

行きがけに、電車が止まってしまい、2~3分遅刻しました。
学習院大学のキャンパスには初めて入りましたが、目白の駅前で立地も素晴らしく、緑も多くてさすが伝統のある大学ですね。


ウタ―教授は最近恩師が翻訳出版された、「国際昔話話型カタログ」を執筆された方として、私もお名前だけは知っていました。夏に昔ばなし大学で行った旅行の前半の「グリムの旅」では、ウタ―教授の講義を聴く機会があるというお話もきいていました。

講演はドイツ語なので、全く全く分かりません。
通訳(学習院大の加藤先生)だのみ。

内容もかなり高度で難しく、ヨーロッパのキリスト教文化の背景を良くよく理解していないと、さっぱりわからないのでした。私の知ってる日本の昔ばなしとは印象がずいぶん違います。同じヨーロッパの「リュティ理論」の講義は、難しいながらも結構理解できたのは、小澤先生の解説が随所に入っていたからなのかな?

講義は難しかったのですが、後半の質疑応答は面白いと思いました。
やはり日本人の疑問点というのはわかるなぁ。

終了後、先生に軽くご挨拶。
「どうだ、刺激的だったろう?」とのこと
「難しかったです!日本の昔話とはずいぶん違うように思いました」

奥様もおいでになってました。
また、旅行で一緒だった昔ばなし大学の皆さんとも「やぁやぁ!」と軽く挨拶して。
こんな風に何度も会ってくると、もうすっかり旧知のお友達気分。
ウタ―先生を囲む懇親会にも出席したかったのですが、今日はこれからまだまだやることがあります。みなさんへのあいさつもそこそこ、急いで代官山へ向かいます。

次は、来月の小澤先生の米寿祝賀会でまたお目にかかります。

88歳でも相変わらず多忙な恩師から、
「珍しく週末にスケジュールが空いたから集まらないか?」
とお誘いがあり、大学の同期プラスアルファで、先生の研究所に押しかけました。

いろんなものを持ちよりでやるというのは、学生時代からのやりかた。
先生も「スーパーとかで惣菜買って来てさ」とおっしゃってましたが、われわれも結構いい年ですし(笑)手作りの料理なども持ちこみます。

そして大量のお酒(これは一部!)。

せっかく集まるのだから、先生の米寿のお祝いをしようということで、黄色いちゃんちゃんこ、と我ら心づくしのメッセージアルバムを作って持参しました。こういうのはメンバーの中で得意な人が担当してくれます。心強いことですね。

11時に先生の研究所(そうです。先生はまだまだ現役で研究&教育の仕事をされています)に集まりました。
研究所のスタッフの方と先生の奥様もいらして、わいわいテーブルを準備し、呑み、喰い、しゃべりました。

上の写真は、黄色いちゃんちゃんこと頭巾を身に着けてもらって記念撮影したものですが、
誰かが「この写真SNSにあげてもいい?ダメな人いる?」
と聞くと、先生がひとり「ダメ!」と手をあげていました。
沽券にかかわるそうです(笑)
でも、結局その場でみんなに却下されて、さっそくSNSで同窓生たちに回覧されていました。
ふふふ。

先生は、今月からヨーロッパへ2週間の旅行をされる予定で、
「お身体にさわるといけないから、あまり無茶な飲み方はしないようにしようね」
と事前にみんなで話していました。
2年前に同じ会を開いたときは昼から夜中の11時までやってしまってさすがに反省しました。

午後8時ごろになり「そろそろお開きにしましょう」と片付けはじめようとしたら・・・
先生が「まだ早いじゃないか」
と私の腕を持って椅子に引き戻しました。
こうなっては、お開きにするわけにはいきません(笑)

結局10時近くまで盛り上がり続け、先生がトイレに立った隙に「いまだ!」とばかりに片付け始めてお開きにできました。

先生元気すぎます。
私たちの方がねむくなったり疲れていましたよ。

(写真には少しぼかしをかけました)

ときを紡ぐ(上)昔話をもとめて
小澤俊夫
小澤昔ばなし研究所

先日「昔ばなし大学」の勉強会の2回目に参加させてもらって、その会場で買ってきた。
恩師の自伝。 
小澤昔ばなし研究所が発行している「子どもと昔話」という雑誌に連載されている、先生の文章をまとめたものだそうだ。
これまでにお聞きした話もあれば、初めて聞く話もある。
いま読んでいるのは、先生がまだ小学生だった頃のことで、満州、そして北京に住んでいらしたころの話。
おそらく、大きくなってから大人の話を聞いたりして記憶を補完したこともあるのだとは思うのだけど、小澤少年のみずみずしい感性がそのまま伝わってくる。
先生よく覚えているなぁ。

小学校の授業参観で、ほかの父兄から「君はキチョウメンね」といわれて、「キチョウメンってどんな帳面かな?僕の帳面は黄色じゃないぞ」と思ったとか。
小澤少年、カワイイ。

北京の「マントウ(中国式の万頭)売り」の売り声を楽譜で書いてある。
よほど、耳に残る売り声だったのだろう。

「ヤオチーコマントウ」と売りに来るらしい。
意味は「マントウいくついりますか~?」
中国語で書いたら「要幾個饅頭」となるだろう。

先生は幼い頃北京で育ったので、今も中国語できるらしい。

ほほえましい少年時代の思い出の中に昭和史の大事件が挟まる。
北京時代、夏休みを過ごすのに2泊3日の船旅をして大連近くの避暑地へ。
その道中も大嵐に遭ったり、弟の征爾さんが急病になったり大変なのだが、大連について「大和ホテル」(夏目漱石の写真が残されてるホテル!)滞在中、盧溝橋事件が起き、北京に帰れなくなってしまう。
こんなエピソードも授業参観と同じ口調で語られていく。

目で文字を追うだけではもったいなくて、声に出して夫によみ聞かせている。
波瀾万丈なのだけど、ほほえましい話が混ざっていて、先生の人柄を思い出し、くすりとする。
これから戦争の話はちょっとつらそうだけど、楽しみに読もうと思う。

先日、恩師からご連絡をいただいて、今度岩波文庫に入った自分の翻訳本についての講義を行うから時間が取れたらおいで、とのことだったので、同期たちを誘って出かけてきました。なんでも80分講義を3コマ行うらしい。
すごい。
相変わらず先生はすごい。
87歳ですよ。

ちなみに、テキストはこの本。マックス・リュティと言うスイスの研究者により1947年に書かれた本で、日本では1969年に小澤先生の翻訳により出版されましたが、今年の夏、岩波文庫から改めて発行されました。

ヨーロッパの昔話――その形と本質 (岩波文庫)
マックス・リュティ
岩波書店

会場は、代々木のオリンピック記念青少年センター。
天気も良く、代々木公園の紅葉もキレイでした。

会場に行ってみると、なんと200人教室。当日の参加者は180人を超えているそうです。(定員を超えてしまったので、追加日程を出して少し分散してもらったのだそう。大人気です。)参加者は、先生の主宰されている「昔ばなし大学」の研究会参加者(基礎コースが終わってさらに勉強を続けている人たち)の関東地区の人たち。この講義は、これから全国9カ所で開催されていくそうですよ。いったい日本中にどれだけの教え子たちがいるのでしょうか???

私たちには、ほかの招待客~~岩波書店の人や、他の出版社の方、通信社の方、先生のお仲間の研究者の方々~~と一緒に「招待席」が用意されてました。「のぞきにおいで」と言う話だから、後ろの方にこっそり立って見るのかと思いきや、良い席をご用意していただき、これはしっかり講義を聴かなくては!
はじめに招待客の紹介などもあったのですが、私たち大学の教え子は「応援団(=やじうま=遊び仲間)」と紹介していただきました。真面目な「昔ばなし大学」の皆様に対して、ふざけた姿勢が申し訳ない気持ちですが、先生の愛情を感じます。ありがたいです。

講義は、小澤先生とマックス・リュティ先生との出会い、本の翻訳のいきさつなどから始まりました。
リュティのこの原書との出会いは、先生が東北の薬科大でドイツ語の先生をしていたころ、東京の紀伊國屋書店の洋書コーナーでたまたまこの本を手に取ったのが始まりだったのだそうです。当時リュティと言う名前も知らなかったけど、「Merchen~メルヒェン」とタイトルにあったので、素通りできずに買ってきて、読みだしたらその内容の斬新さにショックを受けたそうです。
それで、自分で翻訳を始め、リュティ宛に翻訳の許可を求める手紙を書いたのだそう。住所なども当然知らないので「スイス、チューリッヒ市、●×出版社、マックス・リュティ様」で出したのだって。そしてその手紙は無事リュティに届き、翻訳OKの返事をもらったのだそうです。

でも日本で出版してくれるところを探すのは大変で、やっと出してくれる出版社が見つかったのはいいのだけど、条件が「印税などはなし」だったそうです。そのことをスイス側に伝えると「わかりました。では、象徴的印税として、出来上がった本を出版社に5冊、リュティに5冊送ってくれるなら出版を認めましょう」ということになり、1969年に出版できたのだそうです。
その後、ドイツの大学に研究者として滞在中に、スイスまでリュティに会いに行った話も面白かったのですが、多分この話は先生の出している雑誌「子どもと昔話」のどの号かに書いてあったと思います。

講義は、この岩波文庫を一文ずつ漏らさず読みながら進んでいきました。ぜんぶ先生が読んでくれて、そこに解説がいろいろな例を織り交ぜてちりばめられます。なんという贅沢。本を読むのに、こんなに丁寧に読んだことないかも。(今までで一番丁寧に読んだのはこのブログでも長く展開していた「SHERLOCK」のセリフですね^^)
ノートも取りましたが、先生の解説を本に直接書き込みました。

80分なんてどんなに長いのかしら?と思っていたのですが、あっという間に時間が過ぎていき、3コマ終わってしまいました。かなり集中してたので、脳みそは疲れ果てていましたが^^小澤先生の話は、「語りのプロ」だなぁといつも感心させられます。面白くて面白くて、いつまでも聞いていたいと思わせられ、面白いだけでなく、話の内容はすっきり理解できるようになっているんです。
そしてその先生は、3コマの講義後も疲れも見せず、夜の「交流パーティー」へ出席されていました。
脱帽・・・。

今年から「昔ばなし大学」に参加して『基礎コース』を受講している友人がいるのですが、「その会は相当高度な内容だよね、私なんかとてもとても~」と言っていたので、どうもとんでもないところにお邪魔させてもらったようです。
ありがとうございました。
わたしは「昔ばなし」を勉強しているわけではありませんが、この講義で、本の読み方を教わったように思います。また、勉強するテーマとの出会い、勉強(研究)への取り組み方、先達との交流の仕方のヒントなども教えてもらったと思います。あ~すごかった。

改正組織犯罪処罰法は今朝参院通過して成立した。
「日本は終わった」などというひともいるけれど、明日からも私たちはここで生きて行くわけだから、投げるわけにはいかない。

「適切に運用する」を繰り返していた安倍内閣。
こうなったからには、本当に「適切に」運用されるかどうか、監視するしかない。
それも国民の役目。
それから、都民は都議選で意思表明をすることもできる。
都政と国政は別物ではあるけれど、我々が一番意思を表明できるのが選挙だし。

以前、FBでこの法案についての意見を一言書いたら、反対意見の友人が強く意見して来た。
どんな意見でも自由に言えるのがいい社会だ。
この法案によって、みんなが今以上に空気を読み始めて、口をつぐんで窮屈な社会になる。
なんてことにならないように。
そう願っている。

5

いよいよ最終日です。お土産色々買ったので荷造りがちょっと大変。
朝ごはんのときに同席になったのが、先生のラジオ番組を放送してるエフエム福岡のプロデューサーさん。若い女性でした。九州人同士すぐに意気投合です。
先生の姿を発見!昨日秋田の同級生に頼まれたお土産をお渡しします。こういうお土産って渡すタイミング難しいもので、宿で渡さないと荷物になっちゃうしってことで、本人は渡しそびれちゃったみたい。先生まだまだお元気そう。すごい87歳。

チェックアウトして8:30のシャトルバスで市民会館へ。今日は受付のお手伝いも不要とのことでどっぷりお話を聞けます。今日の午前中は、各地の土地言葉で語るおはなしの会。これは私みたいな素人にも楽しめるはず。


朝、ホテルからはこういうバスで移動です。

南の方から北に向かうということで、沖縄の方から始まりました。語りの訓練をしている方だからか、もともとそういうプロなのかわかりませんが、アナウンサーみたいです。とても聞きやすくて引き込まれます。昨日の各地の活動発表のときも思ったけど、話し方が美しいというのは姿が美しいのと同じですね。いやそれ以上かも。

各地の土地言葉で、ということだったのですが、沖縄の言葉はさすがにさっぱりわからないので、共通語での語りもありました。沖縄の方は、もう一人、今の沖縄の子どもたちにもわかるような話ということで、共通語混じりのウチナーグチでの語りもありました。

鹿児島、宮崎、熊本、福岡と九州が続きます。私が一番楽しく聞いたのは、大隅半島の方の言葉で語られた猫と犬と宝銭の話。男性の語り手だったのですが、この方の言葉は私が親しんだ熊本県南部の言葉に近くてすごく懐かしかった。同じ鹿児島でもいわゆる「かごんま」の言葉になると隔たりが大きくんじますね。熊本は菊池地方の言葉ということで、もちろん分かるのですが、やっぱり血が騒ぐのは大隅半島の方のでした。

中国地方、北陸、近畿、東海、関東、ときて、やっぱり東北もたのしみ!

東北も私にとっては言葉が難しいですが、なんとも味がありますね。会場が大ウケしていたのは、遠野の方で「むかしあったづもな」から始まった嫁姑問題の話。このテーマが客席の皆さんに直撃したものと思われます。嫁ぎ先で姑と折り合い悪く、姑を殺してしまおうと思いつめるお嫁さんの話です。
最後は北海道、アイヌの昔ばなしを聞いてたっぷり3時間、楽しかったー。

皆さん、各地でお話の会など活動されているんでしょうけど、こんなに全国のお話がいっぺんに聞けるのはそうそうないことかもしれません。日本一周したような気分でした。

つぎはいよいよ最後のプログラム「お別れ昼食会」です。
市民会館の隣の体育館に場所を移します。テーブルには500人を超える参加者全員分のお弁当とお味噌汁がセットされています。床にはシートが敷かれ、土足で上がれるようになっていました。ほんとに細かな心づかいですね。

私達が座った席は石垣島からの参加者の皆さんのテーブルでした。わ〜!はじめまして!!色々話してたら、是非遊びに来てください。なんて話になり、住所交換して写真をとりましたよ。「一期一会ですから」とおっしゃって、石垣の黒糖をいただきました。ありがとうございます。いつか訪ねていきます。

それと、今回ぜひお話したいと思っていたのが、鹿児島県徳之島からご参加の皆さん。前夜祭の日にスタッフの方と話してたときに「今回は遠くは、石垣島や徳之島の方もいらしてるんですよ」と聞いてたんです。徳之島は夫の実家のルーツ。なんと1600年頃からの家系図が残っているんです。夫の祖父の代に大阪に出てきているので、夫も徳之島の人と交流無いらしいのですが、話してみたいよね。
午前中の語りのときに登壇した鹿児島の方に話しかけて、徳之島から来たという方を教えてもらいました。徳之島からは3人いらしてて、夫のルーツの町の出身という方もいらっしゃいました。その方ももしかしたら一族かも。帰ってから家系図見てみよう。

いろんな楽しい出会いがあった秋田大会といよいよ終わり。体育館のステージでは小澤先生の挨拶、ウドーさんのスピーチなどあり、なまはげも登場!実行委員長の西村さんの歌のお見送りありで終了しました。

市民会館前からは田沢湖駅や秋田空港へのシャトルバスが出発します。また、せっかく秋田まで来たのだからという人のために、周辺を観光するエクスカーションも用意されていました。それぞれ出発していきます。私たちは少し遅めの新幹線を予約してたので、しばらくは市民会館ロビーでおしゃべりしていましたが、駅行の最終シャトルに乗り込みました。途端にどサーッと雨が(やっぱり誰かすごいパワーで雨を抑えていたね)

お世話になりました〜〜〜。


石垣島じゃなくて西表島の黒糖でした。
ありがとうございます!

先生の講演のあとは、仙北市民会館から場所を移して「思い出の潟分校」での夕食会です。
市民会館前からシャトルバスが出て、潟分校まで参加者を運びます。
この夕食会が楽しみで楽しみで、私の中ではこれがメインイベントです。(とにかく小澤先生から5年前の20周年の時に、この夕食会がどんなに楽しかったか、さんざん聞かされたことがこの25周年大会に行こうと思った動機ですから)
市民会館にいるときに雨が降ってきました。
あら~夕食会は校庭でやるはずなのに、大丈夫かしら??

私たちは、秋田在住の同級生の自家用車で会場へ向かいましたが、途中で空が明るくなってきました。
あ!虹が出てる!
すごい~。きれい~。
虹をよく見ようと車を停めて外に出たら、向こうから秋田犬を連れて散歩してる人が!
わ~!
秋田で秋田犬。
うれし~。

奇跡のような出来事。
ものすごいパワーを持ってる人がいますね。
小澤先生かな?やっぱり。

会場の「思い出の潟分校」に到着してびっくり!
雨天に備えて、テントを張るとは聞いていましたが、こんな立派なテントだとは思ってませんでした。
5年前は、運動会のテントだったそうです。
地元のみなさんの歓迎ぶりに頭が下がります。

校庭にずらり並んだテーブル。
そして地元の皆さんが用意して下さった郷土料理など。
屋台形式で、好きなものをもらってきてテーブルで食べる形式です。
鶴の湯さんの名物「山の芋鍋」とか虹の豚の焼きトン。美味しかった~。
日本酒もありました。

この「思い出の潟分校」は昭和40年代まで使われていた小学校を、乳頭温泉鶴の湯の社長さんが私財を投じて修復保存されている施設です。小澤先生がその精神にほれ込んで、ここで昔ばなし大学の勉強会を開かれたのが発端で、今に続くお付き合いとなっているのだそうです。
去年の夏にもここを訪れましたが、ほんとに素敵な場所です。
建物だけでなく、ここを守っている人たちもいい方ばかりで、今回再会できたのが嬉しかった。この分校の校区には「千葉」さんと「三浦」さんばかり住んでいらっしゃっるそうで、会う人会う人、千葉さんか三浦さんなの。前回校内を案内してくれた千葉さんにも三浦さんにも再会できました。


実行委員長さんの司会。
この方、「山のはちみつ屋」さんの社長さんです。
前夜祭のなまはげからずーっと大活躍でした。
この社長さんには7月にもお世話になったので、お土産持っていったら、結局帰りにまたお土産いただいちゃいました。ほんとありがとうございます。


地元の伝統芸能の表演などもあり、楽しませていただきました。


夕食会はにぎやかに楽しく進行しました。
すっかり雨は上がりました。
ちょっと寒かったけど(ストーブ置かれていました)
イワナが焼かれていた囲炉裏(みたいなもの)にあたって温まらせてもらいました。

潟分校でお料理をしてくださってる、地元のお母さんたちと記念写真。
7月にもお世話になったので、今回東京のお土産持って訪ねました。
山菜のこととか何でも知ってるかっこいいお母さんたち。
お母さんたちの作ってる「いぶりがっこ」が普段は分校で販売されてるんですが、今回はなくて残念!別のいぶりがっこ買って帰ってきたけど、やっぱり味がちがう~。またきっと買いに行きます。

この写真撮ろうとしてたら、どこからか、小澤先生がやってきてすーっと合流しました。
先生はこのお母さんたちととても仲良しなんです。
いろんな方とお話して、ほんとに楽しい会でした。

(おまけ)
宿までの帰り道、これも同級生の車で送ってもらったのですが、先生のドイツの友人ウドーさんも一緒に帰ることになりました。ウドーさんは先生が毎年昔ばなし大学の受講生と行ってるドイツ旅行の時のバスの運転手さんです。25周年大会のためにわざわざドイツから(自腹で)駆けつけてくださったんだとか。
私たちは初対面ですが、(英語で)いろいろお話しつつホテルへ向かいました。
途中で同級生が道がわからなくなり「ここ右折だっけか?」と車を停めてナビで確認しようとしました。その時ウドーさんが「ここはまっすぐだよ。宿から来るとき曲がるところはなかったはず」と言い出しました。そしてその言葉の通りだったのでした。
さすがはバスドライバー。プロですね!
外国に来てても、道を見てるんだなぁ。

二日目が大会の初日です。
午後からですが、9時半のバスで会場に向かってくださいと大会スタッフの方から司令がありました。今日は受付を手伝うのです。朝風呂温泉に入り、朝ごはんのときには、先生の息子さん夫妻と同席になりました。うちの近所に職場があるそうで、ローカルな話題で盛り上がり(?)ました。

大会は午後からですが、皆さん午前中から会場に来て、物販を見たり、旧交を温めたり。受付をしているとほんとに各地からいらっしゃってると実感します。
お昼は地元の方が屋台を出してくれてて、山菜そばや山菜おこわ、山菜豚汁など買って食べられました。

秋田市在住の同級生もやってきました。開会後は、受付の残りはスタッフの方に任せて私も客席へ。夫は今日もビデオ係。

第一部は全国各地の昔話大学の代表者による活動紹介。皆さん話がうまいし、喋るのが好きな方ばかりのようで相当時間がおしました。第二部は小澤先生の講演だったのですが、1時間の予定が20分になっちゃった。でも、先生としては自分の話より活動報告のシェアのほうが大切って思っていらっしゃることでしょう。

先生の講演は短かったけど、その場にいた人みんなの胸にズシンと響いたのではないかと思います。お話の内容は、先生が若い頃に柳田国男にあって日本の昔ばなし研究を託されたエピソードから、そのバトンをこれから皆さんが引き継いでいってほしいという話。先生の思いはまさにこの一点にあり、涙ぐみ声をつまらせてそう話される姿に感動しました。

柳田國男先生のエピソードはこの頃話すようにされてるようで、去年の田沢湖旅行のときもうかがったのですが、今回は魂の叫びのようでした。ここにいる人はみんな先生の後継者難だなぁ。
そうそう、舞台上では、ゲストたちの紹介もありました。先生のご家族、弟さんご夫婦、二人の息子さんたちご夫婦、そしてその子供たち。「オザケン」も来てたので、混乱するかもしれないから写真は遠慮してねと、ご注意がありました。流石にミーハーな私もオザケンとは話せなかったな〜。残念。

夕食会へ続く

3


先週末、秋田田沢湖へ行ってきました。

この「昔ばなし大学」と言うのは小澤俊夫先生が主宰されている市民大学で、全国にものすごい数の学生がいます。1992年にスタートし、今年で25年。最初の頃の学生さんは、大学院に当たる「研究会」で今も勉強を続けていらっしゃいます。

今回の参加者も全国から500人以上が秋田田沢湖に集結!遠くは石垣島からもたくさん来ていらっしゃいました。

スケジュールは以下の通り。
5/26(金)夜、前夜祭@プラザホテル山麓荘
5/27(土)午後、大会開始@仙北市民会館
全国の昔ばなし大学の代表による自己紹介。小澤先生による基調講演。
夜、交流夕食会@思い出の潟分校
5/28(日)午前、各地の土地言葉による昔ばなし語りの会@仙北市民会館
お別れ昼食会@仙北市民体育館

2泊3日でたっぷり勉強(?)しました。交流って言う方があってるかな。
「昔ばなし大学」受講生でもないのに、おみそで混ぜていただいているので、前々から「何かお手伝いあったらやります!」とお伝ええしていました。~もともとはその日程で勝手に秋田に行って、ちらっとのぞかせてもらったり、お手伝いしたり、と思っていましたが、先生のご厚意で正式の参加者として加えていただきました~
うちの夫はずっと記録ビデオ係。
私は、2日目の受付をお手伝いしました。

去年の7月に大学の同期のメンバーで小澤先生と一緒に田沢湖一泊旅行しましたが、その時にお世話になった地元の方ともほとんど全員と再会できました。(この25周年大会は地元の方の強力なバックアップのもと実現しています。)去年ももてなしていただきましたが、今回は二回目だったのでもっと打ち解けてたくさんお話できました。きっとまた行こう!

前夜祭の様子から。
300人が参加しての前夜祭はホテルの宴会場2部屋使っての立食パーティー。
全国から集まった学生さんたち(女性が95%)が、久しぶりの先生との再会を喜んでいます。お!これは小澤俊夫ファンミか?!25年も続いているので、受講生同士の再会シーンもあちこちで。

私は受講生じゃないのですが、地元田沢湖の方(皆さん実行委員)にご挨拶したり、先生の弟さんとお話したりしてました。お酒も入って場が温まってきてからは受講生の皆さんとも色々おしゃべり。ほんとに全国から集まってます。

研究会などでグループで来てる方もすぐ仲間に入れてくれるし、一人で来てる方もいて、あまりアウェイ感はありませんでした。やはり昔話を語る人たち、おしゃべり好きですね。ヨカッタ。

前夜祭では、先生の挨拶に続き、先生のお孫さん(小学生)の赤ずきんちゃんの語りあり。可愛かった。後半は、コーラス。初めて聞く賛美歌、ラテン語の歌、そしてほたる来い。コーラス好きの先生なので、ここすごく力入ってました。

夫は仕事の都合で途中から参加。来るなりビデオ係を頼まれてました。ご苦労様。


指揮する先生


コーラスも上手な受講生の皆さん


最後にはなまはげ登場!!

いろんな方とお話して興奮して疲れたので、パーティ後は部屋に戻ってすぐ寝支度。でも先生はロビーでお酒飲んでらしたそうです。通りかかった夫が「何だ、もう寝るのか」って言われたらしい。先生ほんとお元気だわ。

夏の田沢湖旅行にも一緒に行った大学の後輩が先生を囲む会を企画してくれました。

先生の研究所に飲み物食べ物を持参して押しかけ、延々呑み続けるという企画。
昼過ぎから始まり、結局終わったの夜11時ごろ。
先生86歳なのに…無茶ですね。

参加できない秋田の同級生からお酒が届きました。
「阿櫻」と横手ワイン。


ずらりと並んだ酒瓶たち・・・
ちなみにこれ全部空です。
場所の問題もあって10人程度だったのに、こんなに飲むなんて!
このほかにビール多数。

今回は同期だけでなく、後輩もいたのでそれこそ何十年ぶりの再会もあり、楽しい話をいろいろ聞けました。
この日、私は途中で抜けて横浜ヘコンサート聴きに行きました。終演後連絡したらまだまだ佳境という感じだったので、また戻って飲み続けちゃいました。
もうお開きにしようと思って9時前に一旦片付けたのに、それまで座ってにこにこ皆の話を聞いていた先生が、やおら立ち上がり、冷蔵庫から酒瓶をもってきて「まだ酒あるぜ」って。
これは付き合わないわけには!

ほんと、先生お元気だなぁ。

今年は恩師に何度も会う機会があって幸せでした。
2/27 品川でちょっとご挨拶
5/2 博多で飲み会
5/24 吉祥寺で講演会
7/9-10 田沢湖一泊旅行
11/27 囲む会

田沢湖一周

「思い出の潟分校」を出たのが2時頃でしたか。
これから田沢湖を見て、5時の新幹線で帰京の予定です。


田沢湖。
日本で一番深い湖。
自然いっぱいで、景色の美しい湖です。

タツコ像

いきなり異国情緒あふれる像が現れます。
これが今の田沢湖のシンボルのようですが‥昔ばなし研究者の先生からみると、ちょっといただけない像だったようです。「日本の女神は裸身では現れない・・・」

タツコ伝説では、むかしこのあたりにタツコという娘があり、美しくなるには水を飲むとよいと聞き、水を際限なく飲み続けているうちに、龍の姿になってしまった。というもの。

戦前の川の付け替えで水質が酸性になり、魚が住まない湖になってしまったことでも知られていますね。「クニマス」がいなくなった話…
今では水質改良を行い、魚はずいぶん戻ってきたらしいです。ちょっと見では水はとてもきれいで、魚がうようよいました。でも、やはりクニマスは見つからないままだそうです。悲しいですね。

途中雨も降ってきたので、昨日行った山のはちみつ屋さんのカフェでコーヒーブレイク。先生が、その昔新設の学校に頼まれて校歌を作った話などを聞いて盛り上がりました。


メンバーの中にマラソンランナーがいたのでとった写真。田沢湖マラソン。

田沢湖駅へ。

田沢湖は韓国のドラマIRISのロケ地になったそうで、ドラマのヒットを受け、ロケ地巡りする韓国からの観光客がどどーっと押し寄せたそうです。 IRISミュージーアムなんてものまでありました。気合入ってる! 観光案内所もマルチリンガル仕様。

新幹線で、東京へ。
帰りの新幹線の中でも話は尽きないのでした。

オマケ。
東京駅についたあと、これまた同期生が働いている駅前のレストランへ。
濃密な2日間になりました。

鶴の湯をチェックアウトして向かったのは「思い出の潟(かた)分校」
もともと昭和49年に廃校になった小学校の分校校舎を、10数年前に修復して平成16年から一般公開しているところです。鶴の湯のオーナーさんが私財を投じて修復したそうで、なんとも頭の下がる施設なのです。

行ってみると「本日開校中」の札があります。

ちょうど参院選の投票日ということで、体育館は投票所になっていました。
先生の顔で(?)中を見学させていただきました。木造の体育館は合掌造りです。

体育館の床は放置されていた間にデコボコになったそうで、全面張り替えたそうです。
わかります。わたしも去年のGWに、廃校になった母校の小学校をのぞきに行ったら、体育館の床が反ったりデコボコになったりと無残なのを見てきましたもの。
先生は以前から「昔ばなし大学」などの関係でこの潟分校を利用されているらしく、スタッフの皆さん全員と昔なじみのようにお話されていました。


なんとも懐かしい感じがする廊下。
私も小学校低学年の頃、このような木造校舎を経験してます。


見学料は200円です。
その他、維持のための募金箱も置いてありました。少額ですけどチリンと協力。

そして、ここでは予約をしておくとお昼ごはんが食べられるのです。厨房では地元のお母さんたちが腕をふるってました。厨房に、スタスタ入っていって、おばちゃんたちと賑やかにおしゃべりする先生。おばちゃんたちも先生のことが大好きなのが伝わってきます。いろいろ美味しそうなものがあって期待が高まります。

売店ではいぶりがっこやかき餅、黒にんにくなど手作りのお土産販売中。
しっかり買わせていだきました。

教室には、昭和40年代まで使われていたんだろう木造の机に椅子。

分校なので、1-2年教室、3-4年教室、5-6年教室と、複式学級になっていました。先生も3人くらいだったようです。学校に残されてたんだろうなという教材や、地元の人が、寄贈したんだろうという教科書などいろいろ珍しかったり、懐かしかったり。
戦前の教科書は興味深かった。
音読してみたんですが漢字が難しい。変な読み方すると、今は大学の先生になってる同級生から厳しいチェックが入る。ハハハ。

わらぐつ。ともう一つ奥のものわかりますか?
雪モッコという雪道を固めるものだそうです。

校内見学している間に、最初に見た教室に昼食の用意がされていました。


給食の時間です!


「潟の母さん弁当」


中身は豪華ですよ!山菜もりもり。
おにぎり2種。菜飯おにぎりともう一つは味噌焼きおにぎり。中にお漬物入り!
大ぶりのおつゆのお椀には、「ミズ」が山盛りに入ってます。
また山盛りのいぶりがっこ、蕨のおひたしなどもたっぷり。


枝豆、ゼリー


ミズたたき

食べきれないほどでした。
お腹が苦しくてウンウンうなっているところに、おばちゃんたちがやってきて、持ち帰り用の袋をくれたので、枝豆やらおにぎりやら漬物は頂いて帰ることにしました。

新幹線の中で食べよう~♪

デザートに出していただいた名前忘れたけど、ほんのり甘酸っぱいものは作り方をおそわりました。
 
 米粉 100
 水 1200
 砂糖 150
 酢  40

これを混ぜて火にかけて焦がさないように練る!
冷やして食べると美味しい。

食後はみんなで片づけをして、施設の方々とおしゃべりして、たっぷり潟分校を堪能しました。


外観。大きな木が印象的です。

これから田沢湖一周です。

FM福岡のラジオ番組。過去の放送をネットで聞くことができる。主に昔話のことを話す番組なのだけど、教育者の立場から見た若者の話と親の話をしている回がある。この中の内容に、ハッとしました。

2010年7月30日放送 第52話『教師として見た若者の姿』

2010年8月6日放送 第53話『教師として見た親の姿』

大学生の子供のところに毎日電話をかける親とか、入学式や卒業式に親が出るとかそんな話が出てくる。(先生が大学で教えていたのは15年位前までだから、今とはまた状況違うかもしれないけど)

私が大学進学で家を出て関東で生活した4年間、両親はただの一度も私の下宿に来たことがなかった。学費や仕送りはもらっていたので、もちろん親の庇護の元にあったわけだけど、生活面への親の介入は全くなかった。入学式にも、引越しにも、とにかく一度たりとも来なかった。熊本からの交通費や時間の問題もあったと思うけど、一番の理由は私のことを信頼してくれていたんだろう。

1〜3年までは電話もなかったので、私は手紙で生活の様子を知らせたり、緊急の連絡は、学校に「電話をしろ」の伝言を残してもらって、それが掲示板に貼り出され、公衆電話からかけるという感じだった。

大学生になってすぐ、自分がもう親の管理下にないんだな、と実感したのが、1泊や2泊でどこかに出かけるにも、親に連絡しなくていいということだった。高校生の頃までは、外泊は許されていたけど、どこに誰と泊まるという報告はしていた。それが、大学生になったら、コンパで遅くなって朝帰りしようが、友達と小旅行に出かけようが、親に話す必要なんて全くなく、その分危ないことがあっても助けてもらえないけど、自由を満喫したものだ。一年生の一学期、新宿で高校の同窓会があって終電がなくなり、真夜中の歌舞伎町前でタクシー争奪戦に加わったことなんてきっと今でも親は知らないだろうな。アハハ。

私の18から22歳までの4年間は、自立を学ぶ期間だった。学校の勉強はあまりしなかった。小澤先生が言うところの「三年寝太郎理論」にバッチリと当てはまる。高校生までは、グレることもなく、それなりに優等生っぽく過ごしてきたけれど、大学は違った。思いっきり寝たといえるのだろう。

お金だけ出して、口は出さずに、この環境を与えてくれた両親には本当に感謝している。

一夜明け。さすがに東北の朝は早い。
山の朝の空気を吸いたいな~なんて思いましたが、「今日もいろいろあるし。もうちょっと体力温存」なんて7時くらいまではごろごろしていました。周りは起き出して、お風呂に行ってるような声が聞こえます。
やっぱり朝風呂は入りたいよね。

浴衣のまま、目指すは混浴露天風呂。
行ってみると、ちょうど我らの連れしか入ってない。
今のうちだ!


お風呂は撮影禁止なので、借りてきた写真です。
広いです。男性は露天風呂はこの一つしかないらしい。女性用はこのほかにも専用のが2つあります。
中央の方の底からポコポコ熱い湯が湧いていて、火傷しそうなくらい。
あたりは明るくなってはいますが、このように白濁しているので気になりません。

先生も加わってみんなで混浴露天風呂を楽しみました。

混浴と言えば、はるか昔一度だけ入った記憶があります。
宿から離れた山の中にあるところで、暗い道を上って行きました。
脱衣所が男女共用だったため、女性が先に脱衣所を使い、そのあと男性が入ってきて、男性が上がった後、女性が上がるという風に工夫して入ったのを覚えています。確か10数人くらいの男女グループだったと思うのですが、誰といったのかが全く覚えていなかったんです。
会社の人たち?
サークル?
長年謎だったのですが、今回判明しました。
同期のUくんが「確か4年生のときに鬼怒川温泉で混浴に入ったよね?」と言いだして、それだ!と分かったのでした。

話を聞くと、どうも4年の秋、卒論の中間発表を使用という名目で、同級生の希望者で温泉に行ったらしいのです。専攻もばらばらな人たちで、それでも真面目に卒論の進み具合などを、一人ずつみんなの前で発表して、「すごく貴重な意見もらったんだよね~」って。

全く覚えてない。
混浴露天風呂のことしか覚えてない・・・・^^;

長年の謎が解けたところで、朝食です。
写真撮り忘れて、友人の写真を借りました。(なのでごはん大盛り!私のではありません)


イワナの佃煮、山の芋のとろろ、そして山菜尽くし。
美味しかった!

隣で食べてた、秋田在住の同級生が「ばーちゃんちの朝ごはんと一緒だ」とボソッと言ってました。
こんなに珍しいものを食べてるんだ。
うらやましい。

朝ごはんのあと、自然発生的に先生のお話を聞くゼミが始まりました。
先生の人生の転機というべき柳田國男先生との出会いの場面の話です。
おもしろかった!!


ほとんど現役時代には先生の講義を聞いてなかった人たち(専攻が違うということも大きい)。
現役時代よりもみな熱心に話を聞いていますね。
この熱心さが若いころにもあったらなぁ・・・・。


朝の本陣。


せっかくなので、部屋の囲炉裏に火を入れてもらいました。
7月ですけど。
またまたみんなが火の周りに集まり、先生のお話を聞きました。
囲炉裏ってものすごく暖かいんですね。
冬にも体験してみたいと思いました。

さて、名残惜しいですが、朝10時にチェックアウトします。
また絶対行きたいです。
乳頭温泉郷、鶴の湯温泉、素晴らしいお宿でした。

夕食は先生の知り合いの地元の方も参加されるとのことで、宴会場でいただきます。先生が主宰されている「昔ばなし大学」の25周年大会が来年ここ田沢湖で開催されるそうで、その関係の方々です。お酒の差し入れなどもいただきました。御膳に土地の珍しい食べ物が並びます。


山菜など土地のものたくさん。

本来、上座にどなたが座って、とか席順をいろいろ決めるんでしょうけれども、交流を主眼にしようということで、地元の方を我らが取り囲むような席順にしました。私の隣は地元の教育長などなさった方。先生のおかげで、ただ旅行してたら出会えない方とお話することができました。秋田のお国言葉が新鮮!へば!


イワナ

山の芋鍋というのが名物らしく、囲炉裏に吊るした鍋で振る舞っていただきました。


これ美味しい!


イワナの刺し身と秘湯ビール。
秘湯ビールはかなり個性的な濃い味。ブナの酵母で作ってるんだそうです。


いブリ大根いぶり人参、緑色のは「ミズ」という山菜。茎は浅漬にしたり、お浸しにしたり、根の方は細かく切って叩くと粘りが出るそうで「ミズたたき」というものになり、葉は、天ぷらで出てきました。いま季節だそうで、ミズ尽くし。

それと、写真を撮り忘れたのですが、土地の人が「たけのこ」と呼ぶもののフライも出ました。「姫竹」(ネマガリタケ)と言うものでこの辺りの名産。秋田には孟宗竹はあまり育たないそうで、私達が普段「たけのこ」と言ってるものとは違うものです。

今年、クマに襲われた人たちが採っていた「たけのこ」というのはこれのことだそうです。私にとってたけのこは「掘る」ものですが、このたけのこは「とる」ものなんだって。やはりちゃんと聞かないとわからない話ありますね。あのニュース聞いたけのこ掘りを頭に思い浮かべていました。

お酒も秋田のしかもこの辺のお酒がズラリ並びました。
ズシンとしっかりした味で少し甘みもあり、普段好んで飲む新潟の酒とは全然違う個性で美味しかった。
翌日田沢湖のお土産店で「神代」というお酒を買って帰りました。

宴会のあとは、「ホタル鑑賞会」です。

この日程にしたのにはさらに理由があり、この辺りのホタルの出現特異日なんだとか。先生は数年前にたまたまこの日程で鶴の湯を訪れたそうで、その時ホタルを見たんだそうです。

「君たちも見たいだろ?この日が一年で一番ホタルが出るんだそうだよ。この日にしようぜ。」と先生。

蛍スポットまでは車でしばらく走ります。お酒を飲まなかった地元の方に運転していただいて連れて行ってもらいました。
沢の入り口に車を置いて歩いて真っ暗な沢沿いを登ります。先頭は御年86歳の先生です。
え??
地元の人が先頭を歩いてるんだと思ってました。
なんという健脚!

雨で濡れた真っ暗な山道を懐中電灯を手に一列縦隊で歩いていくと、蛍がぽおっぽおっと見え始めました。真っ暗な前方にもわぁっと白く光る滝が現れ、そこが蛍スポットのようです。
雨が多かったので、少し少なめだったのかもしれませんが、一帯に漂う蛍の光。
すごいなあと思ったのは、頭の上はるか遠くを飛ぶホタルです。滝のせいで高いところを飛んでるらしいです。写真は無理なので撮りませんでしたが、その分しっかりと目に焼き付けました。

蛍を堪能したくだり道、「ほらこれが夕食で出てきたミズだよ」と、地元出身の友人が路傍の草をとって見せてくれました。こういう沢のとこならどこにでも生えてるんだ。とのこと。


夜の鶴の湯

蛍を堪能したあとは、宿に戻り本陣の二間続きの「男子部屋」で宴会の続きです。
夕食時に飲み切れなかった日本酒の瓶が並ぶ並ぶ。


それと夕食のデザートのフルーツを持ち込んでの二次会です。

この鶴の湯のオーナーさんもやってきました。
せっかくなので、電気を消して灯油ランプの明かりだけで話をすることに。
そうすると不思議と声のトーンも落ちるんですね。

私は夕食時に飲みすぎたのか、ちょっと眠くなってきて、お酒は飲まず、ひたすら水を飲んでブドウやサクランボを食べていました。先生が請われて昔話などしてくださったんですけど、そのころには舟をこぐ有様。先生がお元気なのに、なんというだらしなさ。

23時を回ったころ、そろそろお開きにしよう。と声がかかり、片づけてそれぞれの部屋へ。真っ暗なので先生をお部屋までお送りして、私たちもすぐ寝ました。お風呂は24時間とのことで、きっとお風呂に行った人もいたんでしょうね。

隣の先生の部屋から、コンコンと咳き込む声など聞こえました。
もっと早くにお開きにするべきだったかな‥‥
などと思ううち、眠っていました。

マイクロバスがどんどん山深く入っていきます。
これから向かう今夜の宿は「日本秘湯を守るの会 乳頭温泉郷 鶴の湯温泉」です。
秋田ならではのブナ林をくねくね進んでいくと、途中から砂利道になります。これも「秘湯」のもてなしだそうで、あえて舗装しないのだとか。きいた話では、鶴の湯温泉は通年営業だそうですが、冬季の除雪もすべて鶴の湯さんの自前で行うのだそう。公費に頼らない経営、これも心意気なんでしょうけど、すごいことだと思います。

途中にはミズバショウ群生地もあり、ハイキングコースもあるみたいなのでゆっくり滞在できたら楽しいだろうな〜。

そして到着したところ。
秘湯です。
茅葺屋根の家がとても雰囲気あります。

バスを降り、みんな興奮して写真撮ってます。先生は勝手知ったる感じでどんどん奥へ進んでいき、事務所棟で手続き。


沢から引いた水で飲み物冷やしているようです。

支配人さんが部屋割やお風呂、食事場所の説明をしてくれます。私達の泊まる部屋はさっき見た茅葺屋根の建物で、本陣と呼ぶらしい。江戸時代にお殿様の湯治があったときにお供が詰めていた建物なんだとか!5部屋ある部屋全部我らが泊まります。壁は板一枚で隣の話し声なんかもまる聞こえです。私たち貸切だったので今回は良かったですが、
一部屋だけとかなら、静かにしなくちゃね。

部屋に入る前に不揃いの石で組んだ階段があります。手すりなどもなく、バリアフリーには程遠いつくり。さすがにこの点だけは先生も怖いと思ったそうです。夜は暗くてさらに見えないから、先生の手を取って上り下りしました。

中は畳敷き、手前に囲炉裏があり奥に洗面所とトイレがあります。テレビとかそういう興ざめなものはありません。さらに部屋の扉は鍵がかかりません。中にいるときはつっかえ棒みたいなもので、開かないようにできるのですが使いませんでした。貴重品は封筒に入れて事務所に預けるようになってました。使わなかったけど。


水回りはきれいです。トイレはウォシュレットでした。この辺りも社長さんのこだわりなんだそうです。さらにこの宿の最高のもてなしは、携帯電話がほぼ圏外になることもありますね。
公衆電話はありますが。一部携帯が使えてる人もいましたが、私は2台(ソフトバンクとドコモ)ともずっと圏外でした。

まず、日本秘湯を守る会会員の宿ですからご自慢の温泉に浸かりましょう。


中の撮影はご遠慮くださいということなので、外観だけ。

ここの温泉は4種類。白湯と黒湯と滝湯とあとひとつは??女性は内湯3か所、露天風呂2か所、さらに混浴露天風呂にもはいれます。男湯は内湯2か所、露天は混浴のみ。女性が優遇されてますね。混浴露天風呂は外からも見えるつくりになってるのですが、とても大きくて解放感あります。女性の入り口は目隠しがされているので、白濁のお湯につかってから、広いところに出られるようになっています。ほんと、女性に優しい作りだと思います。

内湯にもシャンブーとかシャワー付きの洗い場などはなく、板張りの洗い場に、石作りの浴槽、いかにもクラシックな設えです。石鹸だけは置いてありました。温度はかなり高め。いいお湯!
露天風呂は岩風呂で、底から温泉湧いてます。露天の温度はぬるめなのですが、底から湧いてる部分は熱くて、移動すればいろんな温度を楽しめます。

白湯も黒湯も白濁したお湯で一見どっちも「白湯」ですが泉質が違うらしい。酸性とアルカリ性なんだそう。確かに、なめてみると味が違いました。

かわりばんこにお風呂浴びて、なんとなく食事の時間まで真ん中の部屋に集合しておしゃべり。久しぶりに集まった同級生同士、話はつきません。
そうするうちに、宿の人が灯油ランプを持ってきてくれました。素敵。

そろそろご飯の時間です。

週末に1泊2日で、秋田県の田沢湖へ行ってきました。
2年も前から計画していた旅行で、前日は興奮してよく眠れなかったくらい。

大学時代の恩師が田沢湖と縁があるそうで、とても良い所だよという話を聞き、「同期会を田沢湖でやろうか」という企画が持ち上がったのが2年以上前の話。先生に「ご都合はいかがですか?」とたずねると、なんと2年先まで週末のスケジュールは満杯!!(どれだけ忙しい80代なのさー)もう鬼も笑わないよと言いながら、先生の2年先のスケジュールをおさえて、この日が来るのを待ったのでした。

秋田在住の同期に宿の手配などを任せ、新幹線や車の手配は学生時代の企画委員長に任せ、ほとんど連れて行ってもらうだけの形で参加。同期会ということですが家族も参加OKというので、私の夫も参加します。(何しろ先生のファンなので勝手に教え子にしてもらった)

普段同期会を東京で開催するときは50人くらいは集まるのですが、流石に秋田までの泊まりがけの企画、今回は先生も入れて12人の参加。
それでも九州、大阪、さらには台湾から駆けつけた同級生もいます。


東京駅で待ち合わせ、秋田新幹線こまち号に乗ります。行きの車内から修学旅行みたいな賑やかさ。田沢湖までの3時間があっという間に感じるほど。

3時間だなんて、近いですね。
秋田県は、東北で唯一行ったことのない土地で、とても遠く感じていたんですが、九州に比べて近いこと近いこと。
仙台から合流する人もいます。
指定席をブロックで買えたので、スムーズに出会えました。

お昼に田沢湖到着。
秋田市在住の同級生と田沢湖の教育関係の方が出迎えてくれました。先生のお人柄ですね。この先も行く先々で先生の有名人ぶりというか、人気に驚かされるのですが、それはまたおいおい。

東京出るときも雨でしたが、こちらも降ったりやんだりの雨模様。でも、暑くもなく快適。マイクロバスをチャーターしてくれたので、皆で一緒に動けます。こちらはただついていくだけ。楽ちんです。

まず向かったのが、駅からほど近い「山のはちみつ屋さん」のピザ工房。


先生はこちらの社長さんとも親しいそうで、以前から話は聞いてたのです。お会いしてみると、お話上手でとても楽しい方でした。はちみつについて相当研究されているようで、在京の大学などにも出向いてミツバチの生態なんかの最先端の研究にも明るく、それを秋田弁で面白おかしくレクチャしてくれて、もう皆大ファンになりました。

女王蜂は羽化後一週間で交尾のために巣の外に出て、晴れた日の昼間上昇気流に乗って高く飛び上がります。それについてきた体力のある雄と交尾するのですが、なんと、雄の性器性嚢まで自分の体に取り込んでしまうのだそうです。それで巣に戻ってからしばらくは産み続けることができるのだそう。そして精子の在庫が少なくなるとまた外に交尾に出かけるのだそう。そしてオスはといえば、交尾後数時間で死んでしまうのだそうです。
ひゃー知らなかった。


秋田の野菜がゴロゴロ乗ったピザ


はちみつもいろいろ試食できて、気に入ったものをお土産に買ってきました。


ピザ屋さんの裏には田んぼが広がってました。緑が目に優しいですね。遠くの山に発電所らしき建物が見えました。調べたら「先達発電所」というそうです。水路式の水力発電。

さて、ここから乳頭温泉の宿へ向かいます。

2

またまた、仕事を早退して駆けつけました!恩師主催の講演会です。人手不足とのことで運営のお手伝いもすることになりました。

テーマ:「子どもたちに幸せな未来を」
昔ばなし研究所主催。
ゲスト福島みずほ氏。
会場は吉祥寺駅近くの武蔵野公会堂。
参加費500円。

私は普段あまり政治的な活動はしていませんし、社民党支持でもないし、恩師の関係がなければ関心も持たなかったと思いますが、縁とは面白いものですね。

主催の小澤俊夫先生はドイツ文学者で昔ばなし研究者で、大学を退官されてからも「昔ばなし大学」という勉強会を全国で開催されていて、80を超えるご高齢ながら、毎週全国各地を精力的に飛び回っていらっしゃいます。私は昔ばなしを勉強もしてませんが、ただ先生とお酒を飲むのが愉快なので、機会があるとご一緒させていただいてます。

先生は、満州生まれで戦時中は軍国少年だったそうで(終戦時中学3年生)、そのご自身の体験から、昨今の安保法制や、安倍さんに代表される右傾化をとても危惧しておられまして、これまでも何度となく、考えを発信して来られたんですが、ついに黙っていられなくなり、この講演会を計画されたそうです。

私は戦後生まれですし、先生ほどの強烈な思いをどうしても持つことができずにいます。さらには安倍さんの言うこともわかるな~などと思ったりするわけですが、今回はいい機会なので勉強のために参加することにしました。

開演前に会場近くのカフェに打ち合わせに行ったら、先生と一緒にご家族もいらっしゃって、なんと小澤征爾氏まで同席されてるではないですか!一気に緊張しましたが、図々しく写真一緒に撮ってもらいました。きゃー!舞い上がってしまったので、この間の新日フィル演奏会の感想を伝えることも忘れました。熊本地震追悼のG線上のアリアで泣いた話なんかすればよかったなー。と帰りの電車の中で思いました。

講演会は福島みずほさんが舞台に立って原発の話、戦争の話、安保法案の話、憲法改正の話などをされてました。原稿も何も見ずにあれだけの話をするというのはすごいな~、と思いました。
へ~と思ったのは彼女の本籍地が熊本だったという話やお父さんがアメリカ生まれで、親戚は戦争中強制収容所にいたという話など。こういう会だったからでしょうけど普段テレビなどでは聞けない話で興味深かった。

もう一人制服向上委員会のシンガー・ソングライターの女性が登壇して歌を披露してくれました。感想は………自粛します。

講演会の後半、客席の質疑や感想コーナーがありましたが、これが面白かった。

戦没者遺族という八百屋さんの女性。
「どんな戦死も全部犬死だ。どんなに美化しても犬死だ」

高校教師を長年つとめたという82歳の男性。
「暴走族や右翼に走る少年たちは家庭からも社会からも学校からも締め出されてるの。彼らと話をするのには半年はかかる」

中国帰国者の女性。
「終戦後の中国で身内がどれだけ苦労したか、自分の祖父母、母後と涙と引き換えに手にしたのが日本国憲法だ」

先生のつながりがなかったら絶対行かなかったであろうこの手の集会。小澤征爾さんも、「生まれて初めて政治家の話を聞きました。自分の人生にとって、とても大きな意味のある体験になった」と言ってましたが、私も良い勉強になりました。

私なりに戦争をしないですむにはどうしたら良いか、考えていこうと思います。

これは地震の前から予定していたGWの旅行です。

福岡一泊、熊本一泊。

仕事場を早退して、羽田へ。先々週よりもガラガラな空港です。時間帯によるんでしょうか??
羽田発福岡行きに乗ります。


熊本へ行く飛行機とは航路が違ってて新鮮です。山陰の海岸線を見ながらの空の旅。


福岡の海岸線も個性的ですね。


到着してすぐに地下鉄で街へ。福岡空港は日本の国際空港の中で最高に便利なところにあると思います。


祇園駅。
駅の地下道に自転車置き場が併設。初めて見ました、こう言うの。

これから、大学の恩師を囲んでの食事会です。(簡単に言うと飲み会)
福岡在住の同級生と先生の教え子さんなどが参加しました。先生が出演されてる福岡のラジオ番組の収録に合わせ実現した会でした。これからも時々やりましょうという話でした。


博多は食べ物美味しいですね。
幹事さんが飲み放題にしてくれてたので、焼酎を飲み過ぎました。
あは、いつものことです。

福岡在住の友人で先生のファンにも声をかけたら駆けつけてくれました。30年位前の先生の本を持参しててサインをもらってました!スゴイ。先生も喜んでくれました。

帰りはタクシーで先生をホテルまで送り、私も天神のホテルへ。
楽しい宴でした。


ホテルはレディースフロアにしてくれてました。嬉しいマッサージ機!

先日5年ぶりに大学時代の同期会があり、行ってきました。

卒業して3回目です。(5年前の同期会
一学年80数人のところ半分近くの人が集まりました。遠くは海外から、北海道、九州、日本全国に散らばってる同級生たちがこの日のために都合を合わせてやって来ました。世話をする人がいて、名簿が定期的に更新されているのがこういう会を開ける理由ですね。
幹事に感謝。


今回も地方から集まるみんなに都合の良いように東京駅前での開催。お店探しの下見に幹事に付き合いましたが、良い会場が見つかってよかった。

今回は、おしゃべりに時間を取ろうということで、ほとんど企画もなかったのですが、同級生の中には本を出した人などもいて、そのインタビューコーナーなどは面白いものでした。また海外の大学で教鞭をとってる人が参加してたので、その人にもインタビューもありました。同期生の活躍を知るのもよいものです。

卒業以来初めて会う人もいて、懐かしくもありましたが、一番強く感じたのは、あの人に会えた!とか言うことではなく、みんなが一緒にいる空間にいることができた。というようなこと。
学生時代に幾度となくみんなで集まってイベントやったり、合宿やったり、コンパやったり。あの時のわ~っと人がいて、その中に自分がいる、ゆるい帰属の感覚がもう一度味わえたのが嬉しかった。
あの空気をもう一度呼吸できた感覚というのかな。

何十人もいる同期生の中には、仲の良かった人もいればあまり話をしなかった人もいます。でも、あまり親しくなかった人とでも学生時代のような感覚で話しができる、これが同期会の醍醐味だなーと感じました。今回その幸福感でことのほか酔ってしまい、最寄駅で降りそびれて(終電だったのに!)一駅歩いて帰るなんてことにもなりました。楽しかったなぁ。


集合写真、さすがにそのままのせるのはあれなので、油絵風に加工。

父を語る (1972年)
小沢さくら 東京 中央公論事業出版

課題図書その3
小澤征爾氏のお父様小澤開作氏のことを家族がまとめた本。
小澤開作氏についてはほかの人が書いた本もありますが、まずはここから行こうかと思います。

小澤開作氏は、山梨の貧しい農家に生まれ、それでも歯科医になるべく勉強をし、さらに勉強をしたいとドイツに向かおうと思っていた。シベリア経由で行こうと思ってまず満州にわたりそこで働きつつ機会を待っていたところで、石原莞爾らと出会ってしまい、歯医者をやめて政治活動家になっていくのだそう。そうして、五族協和の理想に燃えた活動をしていたが、最終的には満州から追放され、太平洋戦争の開戦前に日本に戻ってくることに。戦時中は立川に住んだが、特高が張り付く日々だったらしい。戦後は川崎で歯科医を再開したとか。

ここまでは、先生に聞いた話。相当豪胆な人物で、武勇伝の数々があるのだそう。本には詳しく書いてあるらしいので、楽しみ。

北京の碧い空を―わたしの生きた昭和 (角川文庫)
小澤さくら
角川書店

小澤征爾さんのお母さまの書かれた本。
ずいぶん昔友人からすすめられていたのだけど、手にする機会がなかった。今回購入して読んでみます。

課題図書 その1です。