シンガポールへ行く機内でまた見ました。日系の飛行機で日本語字幕があったので、前回よく分からなかった細かいところまで確認できて良かった。
やっぱり泣くねー。
創立記念日の講堂のシーンと、最後の台北アリーナのシーンは、何度見ても泣けることでしょう。
この映画はオススメです。シンゴジラはオススメできる人が若干限られるけど、この映画は360度誰にでもすすめられます。
というわけで、シンガポールに着きました。いま宿に向かう地下鉄の中です。
simカード18ドル。
gooブログ終了にともない引っ越してきました
シンガポールへ行く機内でまた見ました。日系の飛行機で日本語字幕があったので、前回よく分からなかった細かいところまで確認できて良かった。
やっぱり泣くねー。
創立記念日の講堂のシーンと、最後の台北アリーナのシーンは、何度見ても泣けることでしょう。
この映画はオススメです。シンゴジラはオススメできる人が若干限られるけど、この映画は360度誰にでもすすめられます。
というわけで、シンガポールに着きました。いま宿に向かう地下鉄の中です。
simカード18ドル。
急に思い立ち、仕事帰りに川崎で映画を見てきました。
今話題の「シン・ゴジラ」。
川崎駅で降りたら、いきなりこの巨大な広告が目に飛び込みました。
どうも川崎も登場するようです。
ロケ全面協力なんですね。
私、いい年ではありますが、実は「ゴジラ」を見たことがありません。
設定とかもよくわかりません。
それでも、見てもいいんじゃないかなと思って行きました。
この映画から「ゴジラ」デビューする人もいるでしょうから。
(ちなみに「エヴァ」とかも知りません。)
予備知識全くゼロです。
最近は映画のチケットはインターネットで座席指定して買います。
割り引きチケットもネットで買えるので便利ですね。
IMAXもあるようですが、ちょうどいい時間にやってた普通の上映回にしました。
気楽に見る映画だろうと思って、ポップコーンを買い込みました。
以下感想、そして例のごとくネタバレします。未見の方ご注意ください。
ゴジラは羽田から多摩川を遡上します。
うわっ!ここ川崎なのに!
めちゃ近いじゃん。
来るよ!
そのまままっすぐ行ったら、我が家もやられちゃう><
きゃーーー!!
と、しょっぱなから大興奮です。
見慣れた羽田空港、天空橋のところの鳥居、蒲田!
地元ならではの興奮もありました。
そして中盤、なんとゴジラが武蔵小杉のビル群へ突っ込んできますよ。
迎え撃つ自衛隊の陣地が置かれたのは・・・
ご近所の多摩川浅間神社ではないですか!!
あそこでよくイングレスやってました。
あんな狭いところに陣地作ったんだ。
全国でご覧になってる大多数の皆さんは、もう少し広いところと思ってるかもしれませんね。
多摩川の河川敷に戦車が!!
丸子橋が!!
そのまま行ったら職場も危うい!
あ、そっちへいった?
北品川?
ああ~京急線が!
いつも見ている風景がゴジラによって壊されていく。
何という面白体験でしょう。
((いえ、実は、見ながら怖くて怖くて、ちょっとパニック発作起きそうになりました。))
フィクションでヨカッタ・・・。
最後の作戦の場となる東京駅。
まさに東京の、日本の中心です。
ゴジラになぎ倒された、ビルにしっかり「GranTokyo」の文字が見えました。
あのタワービルは、もともと大丸の入ってた八重洲口の一つのビルを、東京のヒートアイランド現象を改善するために、北と南に分けたんですよね。風の通り道を作ったんだそうです。
ゴジラとは関係ないですが・・^^;
私は地図、地理好きなので、登場する東京の街がもう一つの主人公のように感じて、そこにワクワクし通しでした。
マニア的には、他にもいろいろな部分に反応する人いると思います。
鉄道もいい感じでしたね。
いつも怪獣にやられっぱなしの鉄道ですが、今回は活躍してた!
自衛隊も全面協力だったので、そっち方面に興味がある人もワクワクしたでしょうね。
あと、能狂言方面の方も^^
映画としても面白かったです。
こういうパニックものは、だいたい逃げ惑う市民側の誰かをクローズアップしてその人間模様とか、あるいは指揮する政治家や自衛隊の主要キャラの中の家族問題とかがウエットに描かれがち(パッと思い浮かぶの「感染列島」)ですが、この映画にはそういうものはほとんどなくて、「プロフェッショナル~仕事の流儀」とか「プロジェクトX」のような「仕事」の部分に光を当てて、貫いてくれた感じが気持ちよかったです。
怪獣映画、ゴジラではありますが、そこに描かれている「日本政府」のリアリティーはとてもよかった。私たちが311以降体験してきた現実を、こういう虚構を通して描いている。今「シン・ゴジラ」を見た日本人は、どうしても311に重ねるでしょうし、それを体験しているから、あそこで描かれていることがどれもこれもリアルに響くんでしょう。
セリフが多くて、登場人物も多くて、消化不良になりますが、それでも現実はああいうスピードで駆け巡っていくのだということが、福島第一原発の事故の際に我々は実際に体験しているわけです。
専門用語のオンパレード、これまでよく知らなかった関係組織の多さ。情報の嵐なのに何も確定的なことはわからないというもどかしさ。
だからあれはいちいち消化しながら見なくてもいいものでしょうね。
作ってる側も、あのセリフを全部観客に理解してもらおうなんて思ってないでしょうし。
政府の会議(閣議かな?)の場面の「中略」(!!!)という手法にも、とても納得しました。
きっとダラダラ長い会議なんだろうなぁ。
この映画、いろんな役者さんが、セリフも1個とかのチョイ役で多数出演されています。
こういうのもリアリティーに貢献してますね。
みんな持ち場持ち場の仕事があるわけですから。
ずっとかかわり続けないですよね。
石原さとみのキャラだけ、なんだか浮いてました(たぶん賛否両論ありそう)
でも、あの人が出てくると「あ、これ、おはなし(映画)だったね」とホッとする役割をしてました。
クレジット最後まで見てたら、小池百合子の名前がありました。
防衛大臣の役作りに貢献?
行定勲監督作品
熊本地震チャリティーのイメージがついてしまっているかのようなこの映画ですが、本来は地域振興のための映画でした。地震が起きたあと見ると、熊本の風景を映像の中に記録した功績を一番に感じるのですが、地震のことを外して考えると、をこの映画の本来のテーマとして感じるのは「置き去りにしたものを取り戻したい」ってことかな?
姜尚中氏演じる「男」は、熊本で育ってその後何十年も帰っていないような映画監督。次回作のロケハンのために久しぶりに故郷に帰って、そこで自分が故郷に置きっぱなしにしてきた気持ちを思い出し、思い出をたどる小さな旅に出る。
映画の表現では「初恋」だったりするわけですけど、現実はもっといろいろあるはずで、大人になって故郷を離れてしまった人のフワフワした感覚なども描かれていたと思います。そう考えると、自分などはまさしくドンピシャで。見終わって行定監督と話をした時に親しみを感じたのもそのへんもあるのかな、と思いました。単に実家が近所だったということだけでなく。
故郷を離れて暮らしている人の事情はいろいろでしょうけど、これは世界中どこにでもある普遍的なテーマで、みんなどこか、捨ててきたという感覚を持っているんじゃないかと思うのですが、その辺りの苦い感覚を思いださせました。
行定勲監督はキャリアも長いですけど、彼の作品見るの初めてでした。
台湾からの帰りの飛行機で見ました。
日本語の字幕がなかったので、全部は理解してないけど、面白かった。
この映画も台湾でかなりヒット(台湾映画として歴代5位の興行収入!)したそうですが、わかるな~。
「あの頃、君を追いかけた」と同じ時代背景、1994年の高校生の物語。
「あの頃~」が男性側からの視点なのに対して、こちらは女の子の立場で描いてるので、やはりこちらの方が相当面白かった。全てがいちいち身に覚えあるようなないような。
「わかる~!」って話ばかり出てきた。
話は「マンガ」です。(原作が漫画という意味ではなく)
可愛くもなくてドジでのろまで、でもいろいろ一生懸命って言う女の子が主人公で、学園の優等生とケンカっ早いちょっとワルな男の子二人に大事にされるという、少女漫画王道のシチュエーション。表現も漫画っぽくて、声に出して笑うシーンが多かった。
「あの頃~」の感想にも書いたけど、台湾の90年代の学生生活って、日本人の私の80年代の学生生活ともわりにかぶってて(それとも、どの場所でもここ数十年の学生生活ってあんな感じなのかしら?)、懐かしさハンパなかった。
・スカート丈まで厳しい校則
・体罰
・厳しすぎる生活指導に反抗する生徒
・仲良しグループ(あるいはクラスメート)でキャンプ
・個人の電話はなくて、家にかかってきた電話に親が出る
・同級生と放課後勉強、一緒に勉強するのがデート。
私は、高校生の頃にアイドルに夢中になったりはしてなかったし、
サイン帳みたいなものは小学生の時しかやらなかったケド。
台湾の学校の購買部って、食堂も併設なんだな~。
(これは学校によるのかも)
時代を感じるキーワードがいろいろちりばめられています。
・小虎隊の蘇有朋が活動停止とか
・ヘルメットかぶらずに(ノーヘルって言葉いま通じる?)バイクに乗るとか
・憧れのデパート「新光三越」とか
・好きな女の子のタイプは内田有紀か酒井法子とか
極めつけは・・・・
・不幸の手紙!!!
中国語では「幸運の手紙」ていうんですね。
でも中身やシステムはほとんど同じだった。
仕事や恋愛やいろいろなことに疲れた大人の女性たちに、一時のお伽話を提供する映画ですね。
ヒットするのもわかるなー。
今の30代が見たらきっと泣くよね!(30代じゃないけど泣きました)
「何で私たち、こんなに疲れているのかしら?」って、見た人きっと思うと思う。
それと、主人公が大ファンである香港のスター「アンディラウ」の存在が活きてたな~。
30年間スターの座に君臨し続けているアンディじゃないとできない話だったかも。
朝ドラの「あまちゃん」で80年代のアイドルの写真やレコードなどを部屋にいっぱい飾ってるの出てくるけど、主人公の部屋が全く同じテイストだった。
日本だと高校生でアイドルにはまる人はあまりいなかったような。
中学生の頃は多かったけど。
そして今日本でアイドルの追っかけみたいな人は皆いい大人なのが面白いですね。
今月封切られた台湾映画を見てきました。「 傻瓜向錢衝 」。
英語のタイトルは「Two Idiot」。
去年見て台湾でも話題~なにより台湾好きの日本人の間で話題~になったドキュメンタリー映画「湾生回家」の監督が撮った最新作。見に行った一番の理由は、知り合いの俳優さんが出ているから。タイトルが難しくて覚えられないので、映画館の窓口で「さーぐわシェマシェマダ」(シェマシェマダっていうのは、なんとかかんとか みたいな云いかた)って言って買いました。ちゃんと買えてよかった。
お馬鹿な映画と聞いていたんですが、意外と感動させられ、最後泣きそうになりました。ストーリーはひょんなことから借金取り立て屋の下っ端になった情けない男二人のドタバタ物語。これ、台湾で大ヒットした「海角七号」より面白い。と個人的には思いました。(へたな日本語が出てこないから入り込めたのかもしれない)
人物の描かれ方がベタなんだけどハッキリくっきりしていてよかった。海角七号にも出てた歌手の小應がパワーアップしててすごく良かった。 小應は今の台湾映画界で代わりのいない地位を築きつつあるんじゃないかな?小ネタ的に面白かったのは、 小應の持ち歌「轉吧!七彩霓虹燈」をカラオケで本人に歌わせてたシーン。観客がニヤリとする場面ですね。ちなみに「海角七号」でもこの歌は登場してて、その時は小應のセリフのバックで歌われてました。
映画のラストで台湾の海岸線の風景にかぶる主題歌が「亂彈阿翔」でびっくり、喜びました。何時聞いても渋くていい声だな~阿翔。ということで、わたし的にはパーフェクトな映画でした。
シネコンの割と小さなスクリーンで見たんですが、ほぼ満席でお客さんも楽しんでたみたい。台湾だと映画見ながらでもおしゃべりしたり携帯電話で話してたりするんですね。かな~り自由な感じでした。
最初のクレジットで、○○指導というのがたくさん出てきました。この監督さん、商業映画を初めて撮ったのかもしれません。
ヒットしてほしいな。
そして小應には、もっともっとビッグになってほしいなぁ。
台湾の大使館にあたる代表処の施設、台湾文化センターで映画の上映会があったので行ってきました。この台湾文化センターはいろいろな興味深いイベントを無料で開催しています。今回は、台湾で数年前に大ヒットした映画「あの頃、君を追いかけた」の上映と、台湾に詳しい江口洋子さんのお話を聞く会です。定員100人事前申し込み制。一ヶ月前の受付開始日に申し込みました。
知った顔がいるかな?と思いましたが、最近はこういうイベントに行ってもなかなか知り合いに会うことは少なくなりました。それだけ台湾好きの人口が増えたんでしょうし、世代交代的なこともあるのかもしれませんね。
会議室を大きくしたような部屋に100人入れてプロジェクターで上映する形なので、映画鑑賞としては理想に程遠いものです。何しろ字幕が前の人の頭で見えないんですから。(今後このイベントに出席するときは、整理券を早めにもらった方がいいですね)でも無料ですし、文句は言えないかな。トークショーは興味深く内容も濃かった。
映画は、ずばり青春映画です。
監督は30代前半の若い小説家で、初監督作だとか。小説家としては絶大な人気がある人らしいですが、映画は素人、その素人が作った、しかも出てくる人たちも、ほぼ新人というフレッシュな映画だそうです。それが大ヒットしたんだからすごいですね。台湾映画で歴代興行収入4位の作品だとか。
公式サイト(日本語)
原題:那些年,我們一起追的女孩
監督 ギデンズ・コー(九把刀)
製作総指揮 アンジー・チャイ(柴智屏)
出演者 クー・チェンドン(柯震東)
ミシェル・チェン(陳妍希)
スティーブン・ハオ(郝劭文)
ジュアン・ハオチュエン(荘濠全)
イエン・ションユー(鄢勝宇)
ツァイ・チャンシエン(蔡昌憲)
フー・チアウェイ(胡家瑋)
舞台は1994年の彰化の高校。
台湾の90年代というと、私が台湾に行き始めたころと重なります。だから見ていてとても懐かしい。当時、女の子たちは誰もヘアカラーなどしておらず、みんな真っ黒の髪をしていました。日本ではルーズソックスなどが流行ってましたが、台湾では制服を着崩すような子供はあまり見かけなかった。日本とは違うな~と感じたものでした。日本と比べるなら、むしろ80年代に10代を過ごした私の世代に近いと思います。学生寮に電話がなくて、共用電話に列をつくる学生たちというのも、自分の学生時代を思い出して懐かしい。(これ、年末に見たフランス映画「あの頃エッフェル塔の下で」の時も感じた)
ケータイの普及。
誰しも聞き覚えのある着信音。
そして921の台湾大地震(1999年)の描写。
拝むように携帯電話の電波を探すポーズ(昔ほんとに皆あれやってた!)
ほんのちょっと前のことだけど、もう今では見なくなった風景。
それに、初恋の実らない感じ。
大学受験の失敗。
え?そんな理由で?っていうことで別れて行ってしまう彼と彼女。
この辺は、多分台湾に限らず割と普遍的なのかもしれないですね。
トークショーの台湾でヒットする映画の要素についての話はなかなか興味深かった。
台湾はメディアのプロモーション等でヒットが形作られるということがあまりないらしい。
いわゆる「口コミ」の力が大きく作用するそうだ。
今でも記録をもっている「海角七号」。
あの大ヒットは誰も予想せず驚いていた記憶があります。監督は当時やはり新人同様だった。(エドワードヤンの弟子ではあったけど)私の周りの台湾人も何度も見ていたから、ヒットしてるのは間違いないと感じたのだけど。でも自分で見に行って、「え?これそんなにすごい作品か?」と思ったのが正直なところだった。役者はみんな素人だったし・・・。ツッコミどころが多かった。でも台湾語、日本時代への視点など、熟成されてきつつあった台湾人のアイデンティティーを揺さぶるものがあったのだろうし、やっぱり音楽映画はいいものだ。
この「あの頃、君を追いかけた」も、90年代という、たった20年前だけど、今とはかなり違う台湾の生活が見る人に懐かしさを覚えさせただろうし、やっぱり青春、初恋映画は強い。って思いました。
それと、「海角七号」も「あの頃、君を追いかけた」もギャグのセンスというか、笑いのポイントが独特で日本人から見るとついていけない・・と思うようなものでも、台湾の人にはむしろそういうのが歓迎されるところがあるのかもなぁと思った。
台湾映画、そんなに見てるわけじゃないから、ただの感想ですけども。
日本での公開名は「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」だそうです。
お正月の旅行中、飛行機で見ました。
どこかに感想書いたと思ったのだけど、見つからない。
主演は、「サー」イアン・マッケラン。
他に、われらが国際スター真田広之氏。
そしてローラ・リニー(私の中では「ラブアクチュアリー」のなかなか告白できない女性役の印象強し)
夏に早川書房さんのイベントで日暮雅通さんのトークショーへ行ったとき、「イアン・マッケランのが・・」とよく話題に上っていたのでしたが、その時は何のことだかさっぱりわかりませんでした。
機内誌をぺら~っとめくってて、この映画のことか!と思い至りました。
映画はこれから日本公開されるので、多くは語りますまい。
でもちょっとだけ。
内容にあまり関係の無いことだけ。
ホームズ映画の中では、とってもとっても静かな映画です。
サセックスで養蜂生活を送る晩年のホームズ。
静かな日常。
イメージ通りのイングランド。
それから、日本が出てきます。
真田広之さんのパート。
なぜ日本が出てくるのか不思議ですし(あまり必然性がない)、描かれ方もなんだか妙な日本ですが、そこは大目に見ましょうか。いつものことですしね。
BBCのSHERLOCKでも1-2で日本と中国がごっちゃになってる、神秘の東洋が登場しましたけど、日本でも中国でも韓国でもベトナムでもない「エキゾチック東洋」っていう国があるんでしょうね。西洋映画制作陣の頭の中には。
真田広之は、私のイメージではいつまでもさわやかJACアクションスターですが、最近は何かくせのある悪だくみ系キャラが似合うようになってますね。
関係ないけど、この方私と同じ誕生日なのです。それもあるので勝手に応援していますよ。
この映画はホームズ映画でもあるけれど、大きなテーマは「老い」ですね。
老いについて、まだ私はリアルに考えられないけれど、自分の大好きな「シャーロック・ホームズ」が迎えた「老い」を通すことで、けっこうじーんと胸にしみました。
日本パートがアレですけど、日本じゃない別の国だと思えば、全体的にいい映画だと思います。
皆さんごらんくださいませ。
2016.3.1追記
昨年夏のアメリカ公開時のシアトルの日語メディアに載ったもの。
7月17日公開 『Mr. Holmes(邦題:ミスター・ホームズ)』 真田広之さんインタビュー
この記事によると、真田さんは日本文化が正しく映画になるように、現場でかなりダメ出ししているとのこと。頭が下がります。それをもってしてもあんなだったか‥という思いもあるけど。
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年末年始にテレビでやっていたので録画してみました。
宮部みゆきのあの有名小説の映画化です。
この作品、ものすごく面白い小説なんですが、日本では映画化されていません。
テレビドラマは2回されていて、一回は見たことありました。
(あんまり印象に残っていない・・ヒロインが佐々木希だった気が…)
今回は韓国映画です。
舞台は韓国に移っています。
さあどうなりますか。
見た感想・・・
へ~ここはこう設定変えたのね。ああ、あの人物は登場しないんだ…
などと原作と比べながら見ていたのですが、ラストに近づくにつれ、どんどん面白くなりました。(ほんというと、始まり方も面白かった)で、ラストは原作にないことを作ってるのでショーゲキ的でしたが、とてもよかった。
全体にブルーがかった画面もあの作品世界に合っていた。
私が原作を読んだ時のイメージカラーとは違うのですが、すごくよかったです。
韓国映画って面白いですね。
あまり見ないのですけど。
この作品は、そんなに大作でもないし、出てくる俳優さんたちも知らない人ばかりだったし(いえ、そもそも韓国映画界をよく知りませんので、ひょっとするとすごく有名な人たちなのかも)、低予算っぽい作りなんですが、良い映画でした。
なんだろ?脚本がいいのかな?
また、見せ場が小説と映画では異なっています。小説「火車」の面白さって、やはりヒロインがラストまで出てこない、ヒロインが何も語らない(すべてヒロインを知る人物から語られるだけ)という点にあると思うのですけど、そんなことでは映画を作ることは難しいので、ヒロインは冒頭から出てきますし、映画は映画なりの見せ場を作る必要があるのですよね。そのへんに素直に挑戦した感じが好感もてました。
これに関連して、綾辻行人の「十角館の殺人」って映像化されてるのでしょうか?あれも映像化は不可能じゃないかと思っちゃう作品ですが・・・興味あります。
以下ネタバレします!
まず、ヒロインの失踪は高速道路のサービスエリアで、婚約者がコーヒーを買いに行った一瞬のすきに忽然と姿を消すというもの。
ドラマチックです。
捜索を頼まれる婚約者の親戚の刑事は、原作では怪我をして休職中ですが、こちらでは収賄にかかわって免職になって求職中。よどんだ暗い空気が漂います。
失踪するヒロインの自宅は、原作ではきれいに片づけられていたのですが、こちらはめちゃくちゃになってます。ただならない感じが増幅されます。しかも指紋が全く残っていない・・・・。それで元刑事の刑事魂に火がつく設定。面白い!
ヒロインの初婚の相手は、老舗のボンボンではなく、食堂の店主でした。
やくざはえげつなかったな~。
婚約者!これが一番原作と違うことろかな。
原作では、ダメ人間に描かれてて感情移入できない銀行員の婚約者ですが、こちらはラストまで物語を引っ張っていく「主人公」です。動物病院を開業している獣医さんです。この設定変更は何のためかはよくわかりませんが、なかなかよかったですね。
ヒロインは原作のような「男がほっておかないか弱げな美人」では全くなく、結構普通っぽいです。
私も大好きなキャラ、タモっちゃんとかタモっちゃんの奥さんは登場しません。
あそこまで出すと複雑だからかな?
通販の会社は化粧品の会社になっていました。
子どもがいた設定とかいろいろ改変はありますが、概ね原作に忠実です。
また韓国ならではなのかな?と思ったのが婚約者の親子関係、高圧的な父親ですね。
ラストはかなり変わっているのですが、これは書かないでおこう。
いくらネタバレとはいってもね。
でもあのラストもまぁあれでもいいか…切ないケド。
筋には関係ないですが、面白いと思ったのは、韓国語で覚せい剤のことを「ヒロポン」って言ってたことです。
こんなところに歴史を感じる・・・
もしかして台湾でも通用するのかも?
えぐりたくない歴史ですけど。
その他にも韓国語は聞いてると、ずいぶん日本語と同じ単語があるな~と思わされます。
「ユニフォーム」とか「アトピー」「モデルルーム」「ストーカー」・・・
ツッコミだけで長すぎたので、感想はこっちに書きます。
この映画はフランス人の監督による全編フランスロケの日本映画です。
映画版が原作のイメージからかけ離れていると感じるのは、当然ながら監督たちの好みに改変されてるのでしょう。そして、それがフランス人の感覚を代表しているかはわかりませんが、改変されている部分に文化背景の違いなどのヒントがありそうです。フランス革命についてのとらえ方のようなものとかね。
オスカルのヘアスタイルも当然当時の一般貴族男性のものになっています。
ただおろしてるだけではどうしても「マンガ」なんでしょうね。
アンドレがオスカルの従僕として宮殿に出入り…というのも無くなってます。フランスの人から見たら「ありえない!」ってことかな?
ストーリーも変えられてはいますが、大きく変わったのはオスカル、アンドレのキャラクターです。アニメ版も結構変わってはいますが、まだ私にとっては許容範囲。でもこの映画版ではほぼ別人です。これは、日本だとかフランスとかの違いでなく作家の違いによるものでしょうね。
まずアンドレは、少年時代から身分制度に疑問と不満を持っている設定です。ジャルジェ家に恩義なども感じていません。オスカルのこと好きだから嫌々いるくらいの感じです。そして自由平等の理想の実現のために、活動してるみたいです。自分の好きなオスカルにもその思想側に来て欲しいと啓蒙し続けます。恋愛より同志になって欲しいと思ってるような感じです。
対してオスカルは、旧体制の(といってもその時点では現体制)に何の疑問も持たずに、親の意思に忠実に使命を果たそうとしている健気な女性です。そんなに強くないし、男として育てられたのが痛々しいほど可愛い女性です。アンドレの事は子供の時から兄弟のように思ってはいますが、身分制度に疑問を持ってないので、アンドレの言うことが理解できません。ジェローデルとの結婚話に対しても心の中では嫌だと思っているようですが、親の決めたことに逆らうことはできないとあきらめています。
で一番大きな改変と私が思うのは、この映画は恋愛映画ではないということですね。
衛兵隊に転属したあとの厩舎のシーンはこの映画のテーマが凝縮されてると思います。
以下必死で聞き取ったセリフ。ざっくり意訳ですけど。
「剣を失くした兵士がいた。悲しくなった」
「家族を飢えさせないためにやったのかもな」
「……最近全然家で見かけないな。私が帰るとすぐに出ていくし。もう一緒に食事したり、語り合ったりできないのか?……私は寂しいんだ。」
※原語 I miss you です。
「あなたがいなくて寂しい」「あなたが恋しい」
必ずしも恋愛の意味では無くですね。
「だからお前はどうする?俺たち2人、ここで同じ空気を吸って、ふたりとも一人ぼっちで、お互いを恋しく思ってるなら?」
「でも私は…」
「なんだ?貴族だからか?俺よりも上等だと?」
「上等というわけじゃない。ただ違う種類なんだ。法で定められた身分がある。」
「違う種類?身分?どうしてお前は平等ってことが考えられない?」
「平等なんて響きはいいけど、そんなことありえない。」
「平等こそものごとのあるべき姿だ。アメリカには平等がある。だれでも愛したい人を愛する権利を持ってる。」
「そのためにとても多くの人命が失われた。」
「未来のフランスの平等のためなら俺も命は惜しくない。戦うよ。」
「お前は何も持たないじゃないか。そんなことをしたら死んでしまう」
「俺はなんでも持ってる。そのために死んだとしても本望だ。自分の人生が意味あるものになる。」
「お前がいなくなったら私はどうすればいい?」
「お前のすべきことをやればいいじゃないか。(ここからいくらか優しい口調で)いつかお前も自分の夢を見つけるよ。」
アンドレが思想的にオスカルの先を行ってて、オスカルを革命側に引き込みたい。そのために啓蒙してる。そこには恋とかもあるのかもしれないけど、それより仲間ほしい方が強いような。完全に映画のオリジナルです。そして結構いい視点なんですよね。
もうひとつ。縁談を壊してきたと告げるオスカルにアンドレは、「おめでとう、これで一歩進んだな」と、先生みたいな反応をするのですね。これじゃあ恋愛要素がうんと薄められちゃいますね。
二人が結ばれた時も、「運命の恋の成就」というよりは、古い価値観から抜け出して、自分で考え行動する大人になったねおめでとう!これから新しいあなたの人生が始まるよ。という感じなのです。オスカルの成長物語かも。あ、だからアンドレがあっけなく死んでも扱いがドラマチックじゃないのか???オスカルの新たな旅立ちのための舞台設定の一つだったのかアンドレの存在は・・?
いやいやいやいや。
その他にも、パリの貧困に気が付かなかったオスカルをアンドレが咎めたり。と、この視点はたくさん描かれてます。ラストまでこのテーマを緊張感をもって継続してくれれば、これはこれで良い映画になったと思う。ベルばらじゃなくなっちゃうけど。
このテーマのおかげで、この映画のアンドレはすごくかっこいいんですよね。何度もオスカルをどこからともなく助けに来るシーンあるし。原作にある、身分差に苦しむみじめな感じは全くありません。アンドレは常に自信満々です。演じてる俳優さんもなかなか素敵です。対してオスカルはとにかくかわいいので、日本のファンの大部分には「イメージと違う」と受け入れてもらえなかったでしょうね。わかる・・・。
かといって、この映画は別のテーマで撮った「ベルばら映画」だ!と、胸張っていえないのがつらいとこ。原作のエピソードを無理して挿んでくるため散漫な印象はぬぐえないし、とにかくラストがしょぼすぎるので盛り上がらなくて余韻もないのです。映画としていまひとつもふたつも残念なのですね。
どうせのことなら、同じ予算でもっと別の脚本でしっかりベルばらの世界観を撮ってほしかったなぁ~とか夢想しますね。ロザリーやジャンヌは出さなくていいから、オスカルとアンドレの内面の葛藤中心に描くとか。この映画版のように、アンドレが新しい時代の思想を身につけていて、それでオスカルを啓蒙していくっていう流れでもいいけど。「恋愛物語」としてのベルばらを見たいのですよ。ファンたちは。
改変希望ポイント
●オスカルの人となりを端的に表現するのに、初盤にアントワネット馬暴走事件を入れたい。
これで、オスカルの勇敢さ、アントワネットへの忠誠心、アンドレの感激、フェルゼンの男気(ここでオスカルがフェルゼンに惚れる!)、アントワネットの善良性などがいっぺんに描ききれるし。画面としてもドラマチック!いいスタントマンをよろしくです。
●ロザリー&ベルナールはオスカルたちと接点の無いパリ下町の市民として描く。
「アタシを一晩買ってください」のシーンは入れて、それでパリ市民の困窮をオスカルが知るというのはあり。
●オスカルドレスシーンは、やっぱり失恋シーンへとつなげたい。
ジャルジェと名のって楽しそうにぺちゃくちゃするというのでもいいけど、とにかく舞踏会を抜け出して噴水脇でさめざめと泣いてるオスカルを心配して近づいてきたアンドレが、たまらず愛の告白するって流れの方が盛り上がる。
●ジェローデルの求婚エピソードは時間の関係で省略してもいいかな。お父さんからの結婚命令みたいな感じでセリフだけでもいいような気がする。家長の威厳でもって、オスカルを絶体絶命に追い込んで、アンドレと二人の心の動きを感じる情緒的なシーンを挿むっていうのではどうでしょう。
●ジャルジェ家の舞踏会のシーンもなくていいかな。もしオスカルが男に見える配役だったら女性と踊るシーンが絵になるだろうけど・・・。
●肝心のオスカルの告白シーンをどうするか。
父との決別、貴族という身分との決別っていう流れは大筋でいいのだけど。軍人もやめるのかな?やっぱりオスカルって人は骨の髄まで軍人って描き方をしてほしい。軍服を着たまま、群衆に合流する。オスカルを殺さない脚本にするなら、アンドレも殺さずに群衆に合流して、さあこれからバスティーユへ!というとこで終わらせてほしいなぁ…。あとはもうみんな知ってるので。
誰かまた作らないだろうか?
CGもあるから群衆シーンも描けるよ!なくてもいいけど。
ついに最後まで見てしまいました。実写版のベルサイユのばらです。
いや~すごい作品。はっきりいうと、ものすごく残念な作品でした。
この映画についてはこれまでもその残念ぶりを多少は小耳に挟んでいたので、なんの期待もなく見たんですけど、ラストにちかづくにつれてどんどんめちゃくちゃに…あ~あ。
言いたいことがあふれてきてるので、思いつくまま、感想(やツッコミ)を書き散らします。1979年の映画だから、今更ネタバレとかいう話でもないと思うので、気にせずガンガン行きますよ。(あ、ちなみに私が見たのはネット上にある英語音声フランス語字幕のものだったので、細かな部分は話が見えてないです・・)
★本物のベルサイユ宮殿でロケしてるらしい。
ベルサイユだよ~と言われても、行ったこともないし「はぁそうですか~」って感じですが、有名な「鏡の間」はわかりました!スタッフフランス人も多いだろうし、衣装とか小道具とか考証はそれなりにしっかりしてるのではないだろうかと思ってます。それにしても男も女もカツラなので髪の色が銀色の人ばかり。見分けがつきません!!!ジャンヌも初めこそ、黒っぽい髪の毛ですが、途中から銀色になるので、同じ人間だと分かりにくい・・・・。
ドレスもいいし、楽器なんかも素敵。馬車とか輿とかいいですね~。オスカルの着てる軍服もよかった。時代劇っていいなあ。
★セリフはすべて英語でした。英国英語ですね。
舞台劇みたいに、すごくはきはき聞き取りやすい音声。なぜかな?この時代の映画はそうなの?アフレコなのかも??
オスカル&アンドレは英国人俳優さんだったらしいですが、アントワネットはオーストリア人、フェルゼンはスウェーデン人だったそうです。へ~。結構こだわったキャスティングですね。
★音楽はミッシェル・ルグラン
なかなかいいです。
壮大でドラマチックなテーマ曲もいいし、それを現代風にしてヴォーカルのついた「I'm a lady」っていう主題歌も軽快ですてき。
映画は見に行けずじまいでしたが、サントラは持ってました。サントラには、映画のシーンの音声がいろいろはさんであって、今回映画を見たら結構名場面集だったんだなと気がつきました。当時は英語のセリフは100回繰り返そうともほとんど聞き取れてませんでしたが、今なら少しはわかります。自分の成長を感じています・・・・じーん
★ジャルジェ家は大貴族にしては小ぢんまりとした建物です。
趣味は悪くないけど・・・。
使用人もばあやしかいないのかっていうくらい少ない。もう少しいいおうちを用意してほしかったなぁ。ジェローデルの屋敷のほうが豪華でしたね。
★オスカル誕生シーン、お母様は産褥で亡くなってしまいました。これで男として育てるというのに説得力はつきますね。
★アンドレの初登場シーンはありません。オスカル誕生シーンで、ジャルジェ将軍がばあやに孫を引き取れ、オスカルの友達(コンパニオン)にするって命令してます。
子ども時代は可愛いですね。子供時代のオスカルもコロコロした感じです。
★オスカルはアントワネットの個人ボディーガードで、宮廷のサロンに一人で控えています。アンドレは オスカルが宮殿に伺候すると同時に 王宮の厩番に就職で、オスカルの従僕ではありません。でも通勤時は一緒ですね。アンドレの希望ではなく旦那様の命令で嫌々厩舎に行ってるようです。
★フェルゼンは・・・その他大勢に埋もれてしまって、目立たない。いい男はいい男ですが。アントワネットや取り巻きが騒ぐので、特別感はあります。ルイ16世からは建築に興味のある青年として認識されてますね(笑)。オスカルがフェルゼンに魅かれる根拠がほとんど描かれてない・・セリフで説明があったかもしれないけど、聞き取れず。
★ジャンヌは出てくる、原作と同じ感じ。首飾り事件も描かれます。
でもロザリーは原作とは大きく異なり、可愛くない。
母親をポリニャック伯夫人に轢き殺されるのは同じだけど、実はその娘という設定はなく、したがってジャルジェ家に引き取られる話もなし。
★ロザリーとオスカルの最初の出会いこそ、原作通り「一晩私を買ってください!」って馬車に駆け寄るんだけど、アンドレが買いそうになるっていうのも面白い展開です(そしてその後の再会シーンではアンドレもロザリーもお互い誰なのか覚えてない・・・)。オスカルとは単に顔見知りって程度の仲ですね。当然ロザリーが「オスカルさま・・・」となることもありません。
★ロザリーはローズベルタンの工房で働いていて、ジャルジェ家に注文のドレスを届けます。アンドレに「うちにはドレスを着るような人はいないけどな~」みたいなことを言われますが。そしてベルサイユいってみた~い!とか言って、こっそり馬車のトランクに隠れて連れて行ってもらうことに。なんじゃそれ?そして王后陛下まで臨席される舞踏会に簡単に潜り込み、ポリニャック伯夫人の首を絞める・・・・警備薄すぎですね。(っていうかこの一連のシーン全く不要だと思いますけど)
★その舞踏会でオスカルはドレスを着てフェルゼンと踊る事になりますが、オスカルが全然目立ってない。よく見ればもちろんきれいだけど、その他のご婦人も皆きれいなので、全然目立たない。背も低いし。周りの反応も原作では「おお~~美しいひと!」ざわざわ!って感じだったのに、誰もオスカルに注目しない・・・。その辺演出でなんとでもなったと思うけどなぁ。あ、一人いた、しつこくオスカルに話しかける男が。たぶんあとで求婚に来るジェローデルでしょうかね。
★フェルゼンは王妃様と踊ってます。
それをオスカルはその他大勢と一緒にガン見してます。
で、王妃様と踊り終えたフェルゼンがなぜか目立たないオスカルに声をかけにきます。まるでクラスでも目立たない地味な子がめいっぱいおしゃれして来たところを、憧れの学級委員長から声かけてもらったみたいな展開です・・・。
う。
★原作では一言もしゃべらないオスカルですが、映画では普通に自己紹介してます。しかもジャルジェと名乗ってます。フェルゼンが勝手に(?)勘違いして「オスカルのイトコですか?よく似てますね」なんていうものだから、「そうですいとこです」なんて話を合わせましたけど、多分名乗る気満々だったのではないかと思われます。
★フェルゼンと踊りながら、饒舌に喋り捲るオスカル。オスカルの話題をだしてますね。オスカルについていっぱい話させたかったんでしょうね。フェルゼンもオスカルの美しさは自分だけが知ってるだの、オスカルを好きになってたかもしれないだの勝手なことを言ってます。喋りすぎたと反省するフェルゼンに、「オスカルとはあまり親しくないから、何を言っても漏らしませんわ」みたいなことを言ってるような気もするんですが、このシーンのセリフは音楽もうるさいしあまり聞き取れませんでした。
★舞踏会のあと噴水のそばで一息つくオスカルの背後から伸びる男の手・・・・
ぎゃ!でも黒い騎士ということはなく、アンドレでした。
で、唐突に愛の告白。
あ?このタイミングなんだ?
アンドレはロザリーをほったらかしてしまってますね。
★ここの告白シーン、乱暴に腕をつかまれたりして、ドレスが若干ビリッてなってるので「青いレモン」の再現ですね。変なとこ、原作のテイスト挿んでくるなぁ…
告白されたオスカルが「お前にはそんな権利はない」っていうのですね。で、アンドレが「権利ならある!」と啓蒙がすすんでいるのはアンドレっていうところは、まぁなかなか良い設定で、このあとも新しい時代の考え方を身につけてるアンドレと、旧体制の思考から離れられない支配者側のオスカルという対立は描かれていて、好感もてます。原作とは違うし、これじゃオスカルじゃないだろと思いますが、まぁ、これはこれでリアリティあるのでは?
★忘れるところでした。
映画には決闘シーンがあります。(原作にはない、アニメにはあります)得物はピストル。オスカルが勝ちます。アニメと違って、相手は死にます。
決闘の理由は些細なことです。パリの路地で道を譲る譲らないとかそんな話。道をふさいでいるのには理由があって、(ロザリーの母親が馬車の事故で死にかけてる非常事態)でもそんなの聞く耳なしの相手に掴みかかっていくオスカル…ドゲメネ公爵(かどうかわからないけど)が子供を背後から撃ったとかいう話もないし、あれじゃ、オスカルただの短気なバカに見える・・・。
★決闘はピストル持って背中合わせに立ち、何步か歩いて振り返って撃つというもの。
でもお互いの立ってる延長線上に、乗ってきた馬だの馬車だのがあって、流れ弾に当たりそうですね。もっと違う場所で待機すればいいのに・・。危ないな。でもほんとはそういうものなのか?
★決闘するというオスカルに父親はとっておきのピストルを用意します。娘の勝利を信じて疑ってません。ジャルジェ父はわからずやなおやじという描かれ方。最後までそうだったのかな?肝心のセリフがよくわからず、この点保留。
★それに対してアンドレは決闘に絶対反対の立場です。くだらない事に命をかけると非難ごうごう。ですが、父親が認めたのでもうどうしようもありません。
不安のためか一人にしないで一緒にいてくれとアンドレにせがむオスカル。もう子供じゃないんだからとはいうものの、結局はオスカルの望みを聞き入れるアンドレ。長椅子で昼間の服のまま寝てます。それはいいのですが、オスカルも着替えもせず、ブーツも履いたままで寝てますよ。決闘前の緊張感かな?
★酒場での大乱闘シーンもあります。
決闘のあとやりきれなくなった様です。アンドレを相手に飲んだくれてます。アンドレは完全に保護者ですね。
ロベスピエールも登場して一応原作と同じ「戴冠式のスピーチを後悔・・・」みたいなことを言います。乱闘シーンはジャッキーチェンのアクション映画みたいだった。かんたんに壊れる椅子、机^^
★酒場の外の馬をつないだあたりに倒れている二人を、なぜかフェルゼンが見つけて、助けて家までついていきます。そこで、フェルゼンはオスカルが女だと知るという展開。女と知ったきっかけは、ばあやが「she・・」って言ったからですね。
★そのあとオスカルが上半身裸になってその姿を鏡に映すっていうシーンあるけど、あれはいらないなぁ…脱がせなくても女にしか見えないものね…アンドレも覗き見る必然性なし。ところで、日本の時代物とかでも時々あるけど、男装してる女の人は胸にさらし巻いたりしてるでしょ?オスカルはそんなことしてないのかな?ブラウスの下は何もつけてなかった・・・もともとブラウスとかは下着の役目と聞いたことあるけど、胸がいろいろ邪魔だと思うのですよね…。これって現代日本人の感覚なんだろうか??
★びっくりしたのは、ロザリーがドレスを届けにジャルジェ家に来た際に「ドレスのお届けが遅れたのは、王妃様の恋人が(アメリカからフランスに)戻られたせいなんです」とベルタン譲からの言伝てを伝えたこと。えええ?勿論噂ではみんな知ってるんでしょうけど、こんな風に知らない人にまでいうのかしら?王妃様お気に入りのデザイナーが?それと、なんでそれでドレスが遅れるんだろうか?
と思って、見返してみたらベルタン嬢はそんな言い方してませんでした。ロザリーが礼儀を知らないためにそんなあけすけな言い方したということなんですね。あーびっくりした。
さて話はここからクライマックスへ。
★なんとか原作通りに近衛をやめて衛兵隊への転属を願い出るオスカル。やめる理由はよくわからなかった。なぜかそのシーンでルイジョゼフを肩車してます。肩車…映画オリジナルです。フランスではよくやるのかな?なかなか可愛いシーンでした。
★衛兵隊ではあからさまに反抗されてます。反抗というかやる気がない感じか?ここは面白かった。で、ちょっと落ちこんだオスカルが、厩舎にいるアンドレに「お前が遠くなったみたいで寂しいよ。もっと話したいのに」みたいなことを言うって、ちょっとなんっていうか、オスカルじゃないよ、ただのかまってちゃんじゃんか・・・映画のオスカルは、別人オスカルと思っておかないとここから先は冷静でいられなくなります。
オスカルの泣き言にアンドレは結構突き放したような態度です。「お前なしで私はどうやっていけば…」とさらに弱気なオスカルに「おまえもいつか自分の夢が見つかるさ」って。つれないなー。
★三部会が開かれて、議場から議員を締め出すとかもろもろの話があり、ついにオスカルが民衆に発砲しろという上官の命令に背き、営倉みたいなところにほおり込まれます。ここでオスカルが、人は平等に選択の権利があると気がついた。みたいなことを話します。でも衛兵隊士と信頼を築いたようには見えてなかった。いつの間に?さらになぜかアンドレたち群衆も同じところにぶち込まれ…あれ?営倉じゃないのか?一般の留置場だったか。あ、アンドレたちが助けに来たってことなんですね。オスカルの顔を見つけて二人ハグ。ついにオスカルが自分の側に来たってことで嬉しかったんでしょうねえ。
★帰宅したオスカルですが、待っていたのは父からの往復ビンタです。
徹底的に口答えを始めるオスカルに父は剣をとって成敗モード(?)オスカル危うし、手を怪我します。そこへアンドレが割って入り、結局将軍はアンドレに負かされる・・・ここの将軍とアンドレのセリフがよく聞き取れないのが残念。
なんて言ってるのかな??
★10回くらい繰り返して聞いてみたけど、やっぱりわからない。結局字幕のフランス語を翻訳機にかけましたよ。
オスカルの父を剣で追い詰めたアンドレが「命は助けてやる。そのかわり俺たちをほっておいてくれ」といいます。この映画のアンドレは不遜です。主に対しての忠義心など全くない感じで全編描かれてる。アンドレも身分の差で悩んでいないと盛り上がりに欠けるじゃないですか。アンドレも原作とは別人です。
★ばあやのいるキッチンへ入るアンドレとオスカル。ばあやが手の傷の手当てをしてくれますが、オスカルが「もうこの家にはもどれない」とさめざめと泣きます。
そこでばあやの謎の行動「何を言ってるんですか?あなたはもう自由なんですよ!ついに自由になったんですよ!」とアンドレに祝福をして、二人を駆け落ちさせようとするような勢いです。
ばあやにびっくりした。
このばあやも原作とは全くの別人です。
★それから納屋のシーン。
この納屋はオスカルとアンドレが子どもの頃によく遊んでいた思い出の場所です。明日は民衆が蜂起するから自分も行かなくては。お前を置いていきたくないけど、自由のためには行かなきゃいけないんだ。というアンドレ。もう完全に原作と立場逆転してます。
私も行くというオスカルにダメだと言ってますよ。で、オスカルからの愛の告白があって・・・地味なラブシーンへ。
地味だ‥‥
で明けて7月14日。丸腰でバスティーユへ向かう二人。なんだかデートっぽくてオスカルの笑顔が可愛いです。ホントに近所の縁日とかお祭りかなんかに行くような感じですよ。
★烏合の衆なのでしょうがないんですが、群衆(のつもり。ほんとはそんなにヒトがいない。エキストラ集められなかったですね・・・しょぼーん)にもまれて二人ははぐれてしまいます。
そして・・・ああ、もうここから書きたくない。
アンドレが逃げてる途中に背中に銃弾を浴びて道ばたに倒れます。
オスカルは最後までアンドレを見つけられません。
民衆はただ逃げてるだけにしか見えなかったのに、バスティーユに白旗が・・・
えええ~~ほんとに?!いつの間に??
結局オスカルは見物人だったような感じで(アンドレもだけど)あっけなくfinってそりゃないよ~。
こんだけ改変するなら、アンドレ殺さないでよ~。
もののあわれを教えてくれる映画でした。マル。
こんだけ語れるっていうのも、すごいことですね。
突っ込みたくなるところだらけで、それが魅力になっていますね。
長くなりついでに、もう少し書いておこう。
でも続きは稿を改めます。
ベルばら再燃しているおかげで、フランスにもにわかに興味が。
これまであまり興味がなかったので、フランスがどんなところなのかイメージもわかない。うーん、と思っていたら、東急さんからこの映画の宣伝メールが届いた。なんとなく興味を惹かれる。
というわけで、予定のない日曜日、渋谷の「ル・シネマ」までやって来ました。
フランス映画なんて今まで見たことあったかな?というくらい遠い存在でした。(ずーっと記憶をだとって、かろうじて「レオン」と「グランブルー」だけは見ていたことを思い出しましたが。ほんとにそのくらいしか見てない。)チラシには監督さん(アルノー・デプレシャン)のこと「巨匠」と書いてたけど、もちろん知りません。ハジメマシテ。
映画館はネットでチケット買うのが主流なのかな?あまり買ったことないけど、出かけてみて席無かったりしたら嫌なので、ネットで買っておきました。劇場窓口でチケット引換。封切二日目ということで、いい香りのサシェももらいました。日曜の昼間で公開二日目というのにガラガラでした。でもゆったり見られて快適。
で、全く予備知識なく見始めました。
出だしは、何やらサスペンス調?
フランス語が心地よい子守唄のようでうっかり寝そうになりました。
やばいやばい。
これビデオじゃないんだから後で見返したりできない!
(((((上映時間2時間強)))))
見終わって、感想は・・・
何もでてこない・・・・・
文化村から渋谷駅まで唇を一文字にして黙りこくってモクモクと歩きました。
誰とも話したくない、そんな気持ち。
見ながら涙が出るようなことはなく、見終わっても爽快感もなく、ただズーンと痛い。
鈍痛。
独り言すら言う気にならない。
は~、1人で見に行ってよかった。
ここ以降、もしかしたらネタバレするかもしれません。これからご覧になる予定がある方はご注意ください。
私と主人公はどうやら同世代らしい。
10代の頃にソ連へ旅をする話が出てきます。
そして、大学生の主人公が仲間たちとテレビでベルリンの壁崩壊の生中継を見るシーンもあります。
私は、あの時生中継を見たのかな?日本だと時差があるから見られる時間じゃなかったのかな?それともテレビがなくて見てないのかな。あまり記憶にない。1989年11月9日の出来事だったそうです。あのころ私は…水戸に住んでたんだっけ。
囲碁がでてきた。
「ゴ」と発音してた。そして中国のゲームだと説明があった。
でも「ゴ」と発音するなら、日本じゃないのか?勿論、囲碁の発祥は中国だけど。
★調べました。
中国語のwikiにて。
围棋是一種策略性棋類,使用格狀棋盤及白二色棋子進行對弈。起源于中国,中國古时有“弈”、“碁”(“棋”的异体字)、“手谈”等多种称谓,屬琴棋书画四艺之一。其西方名稱“go”,係源自日文「碁」的发音。
西洋では「ゴ」と発音するけど、それは日本語から来てるとの説明。
今の中国語では「囲棋~ウェイチー」というようですね。
「碁は「棋」の異体字なのだそうです。
脱線した‥‥
ストーリーはあって無きがごとし。
あるにはあるんだけど、それより心象の方が印象的。
青春恋愛映画ってことになるんでしょうね。
でも、痛かった。
10代で出会って遠距離恋愛する主人公達の数年間が中心で、それを40代半ばか、50歳近くなって思い出す主人公。
痛い。鈍痛・・・。この痛みの理由は一体???
見終わってロビーに貼ってあった記事などを見たら、「若い頃は恋愛を軽く考えがち、この恋愛の次にはもっとすごい恋愛が待ってると根拠なく思い込んでる…」とあった。
全くその通り。
私の青春は平凡だったけど、それでも(いや、それだから?)、振り返ってみれば軽く捉えていた。
確かに。
なんか腹が立ってきた。
だから、誰とも話をしたくない。って思ったんだろうか。
タイムマシンに乗ってあの頃に行けたら、「もっと大事にしなさいっ!次はないよ」って自分を叱るかも(笑)
主人公が最後の方であらわにしたのは「怒り」
美しい思い出という風に見ることもできると思うけど、この映画は「怒り」を表現する。
80年代が舞台なので、風俗は懐かしさがあった。
フランスのことはわからないけど、電話も自由にかけられない学生時代とかね。文通がお互いの連絡手段。
そして、トヨタセリカ!!
主人公ポールはいつでも本を読んでる。
寝転がって読むときもいつもものさし(定規)をガイド&栞として使う。
そんな描写が妙にリアルで、思い出すとじんとする。
現在のポールの読書シーンがなくて残念だったけど、今のポールはどうやって本を読むのだろうか?
人類学を学ぶポールの読んでいる本も、個人的には懐かしい。
レヴィストロースの「悲しき熱帯」。マーガレットミード、ソルジェニツインの「収容所列島」(これは人類学じゃないと思われるけど…)…全部課題図書だった。借りてきたり、買ったりした覚えあり。ポールと同じ年の頃に私も体験してる本・・・・
そして…そして…
読んでない・・・
人類学からはすぐに落ちこぼれた自分もよみがえって、なおのこと痛かった。
フランスを身近に感じようという当初の目的はあまり達成できなかった。
高校生があんなにタバコを吸うのは普通なのか?!
マリファナパーティも一般的なのかな?
映画としては、かなり良かったと思います。
ヒロインが魅力的だったし。
主人公も綺麗な顔してたなー。
若い人より大人のほうがしみじみするでしょうね。
きっと私と同じように、自分を振り返って、ちょっと苦い後悔をかみしめるって人が多いと思います。この映画が描きたかったのは、そういう苦さなんじゃないかと思いました。
10月16日の台湾での封切り直後に見ることができました。ラッキー。
この映画のことは日本人の台湾好きの方から教えてもらいました。
ちょうど岡部さんの講演も聞きに行ったし、すごくいいタイミングでした。
見に行ったのは、宿の近く西門町のシネコン。
西門町は映画の街でもあるのです。
チケットはコンビニでも買えるんですが、宿から劇場が近かったので前日に窓口まで行って買いました。窓口で買えば手数料いらないし、席も選べます。
前売り買ってて良かったです。土曜日だったせいか満席でした。
場所柄なのか、若い人が多くて意外でした。
台湾の若者たちが、こういう日本人がいたってことを知ってくれるのはとても嬉しいですね。
映画の内容は、ドキュメンタリーです。
戦前台湾で生まれ育ち、終戦で日本へ引き揚げてきた、いわゆる「湾生(わんせい)」を中心に取り上げています。ほとんどが日本語で進行していくので、字幕を見る必要もなくストレスなく理解できました。
映画のプロローグとエピローグには、先日高崎の岡部さんの講演会のお世話をされていた、清水さんが登場していてちょっとびっくりしました。
引き揚げ後、生活基盤を日本に移しても台湾への望郷の思いがつのり、生まれ育った場所や昔の知り合いを尋ねあるく湾生に密着する部分、また親は日本人ながら、台湾人に里子に出されて育った湾生の子や孫たちが、彼女の日本人の母の墓を日本で探す課程に密着する部分、その他いろいろな湾生がでてきます。特に東部の花蓮港あたりで開拓移民として入植した人たちは、自分たちの耕した土地ということもあるのか、故郷への思いが強烈なようでした。
湾生の望郷の念に思いをよせると心が絞られるような切なさを感じました。
台湾での評判も「ハンカチが手放せない!」というようなものだったようです。
場内からは鼻をすする音がひっきりなし。
私もこみ上げるものをこらえながら最後まで見終わりました。
湾生の子供らが、自分の親がなぜこんなに台湾にこだわるのか理解できない、という話も出てきます。この辺、ただノスタルジーに終わらず、歴史を今へとつなぐ視点だと感じましたし、人間の普遍的な性分を描いた部分ともいえると思いました。(実は私が一番深いな~と思ったのはこの点でした)
自分が湾生の子孫であるということを別にしても、いろいろ考えさせられる映画でした。
湾生の一人として登場する冨永さん、とても魅力的なおじいさんで、機会があったらぜひお目にかかりたいと思いました。なんでも封切初日には台湾に招待されて舞台挨拶があったとか。台湾の観客の前で、台湾語であいさつして大うけだったとか。
冨永さんが台湾語を話すシーンは、私の見た劇場でも「どわっ」と盛り上がっていました。
また映画の中で、湾生の戸籍が今も台湾の役所に保管されているというくだりが出てきます。
うちのばあちゃんのもあるのかな?
もしあるなら見てみたいとおもいますが、映画の公開で同じことを考える日本人が急増して、台湾の役所に迷惑かけるかもしれませんね。
映画《湾生帰郷物語》7分間予告篇
<台湾>「湾生」という日本人…ドキュ映画が大きな反響(毎日新聞)
終戦から70年、「湾生」と呼ばれる人もどんどん少なくなっていきそのうち忘れられていってしまうでしょうね。
日本でも公開されるといいなぁ。
というか、日本でこそ公開すべき映画ですね。
その時はぜひうちの家族にも見てほしいと思います。
六本木に「シネマート六本木」という映画館があります。
というか、ありました。
先日6月14日をもって、おしまれつつ閉館してしまいました。
映画館のさいごに立ち会うというのは初めての経験でしたが、いろいろ考えさせられました。映画にそれほど思い入れがあるわけではなく、映画館で映画を見ることも少ない私なので、映画館自体にあまり愛着など感じたことはないのですが、この映画館には何度か行ったことがありました。そう、「シネマート六本木」はアジア映画専門の映画館だったのです。
オープンしたのは10年近く前。
ちょうど韓流ブームだったころで、韓国映画をよくかけていたようです。
その後中華圏の映画も広く扱ってくれて、このブログでも記事にしてる東京国際映画祭やシンガポール映画祭などもここが会場になっていました。
アジア映画の専門館。
アジア圏のエンタメが好きな人々にとっては聖地的な位置づけだったのかもしれません。わたしも香港映画を見まくっていた20年位前ならどっぷり通ってたでしょうねぇ。ここ10年ほどはあまり映画を見なくなっており、夫に誘われた時だけ行くような感じでした。
閉館が決まってから、マレーシア映画特集、香港映画特集、台湾映画特集、韓国映画特集などなどものすごくおもしろいラインナップで上映イベントを畳み掛けるように続けていました。私は体調(気分)的に映画を見られなかったので、結局最後まで一本も見ませんでしたが、ヤッパリ惜しいことをしたと思います。
この日も夫は最終上映を見ると言って出かけて行きました。
私は「台湾ウィーク」で陳明章さんのライブを見た後、六本木に向かいました。
以下レポです。
最後の一週間は怒涛のラインナップだったようです。
「きっとうまくいく」(インド)なんてすごくいい映画だったもんなぁ。
虎ノ門からバスで六本木に向かい、駅前で差し入れのお菓子など購入して映画館へ。
私が到着した時間は、最後の上映が行われているところでしたがロビーにぱらぱら人がいます。皆閉館セレモニーを見届けようという人たちのようです。
セレモニーの一環で、シネマート新宿の支配人が新宿から走って六本木に駆けつけました。
その様子はネットで実況もされていたようです。
お客さんたち大勢で「負けないで」を歌って出迎えました。
写真はよく見えませんが、ゴール後の挨拶。
全スクリーンの最終上映が終わり、お客さんがどんどんロビーにやって来ます。夫とも落ち合い、他の友人の姿も見かけます。
六本木の支配人さんが、場内整理をしながらマイク片手にポーズとってくれました。
社長あいさつ。
ロビーにぎっしりのお客さんたち。
社長の熱い話が、ジーンとしました。
掲示板が炎上したとか、オフ会で映画ファン同士で結婚した人たちがいるとか楽しい話も。
社長さんは香港映画からアジア映画に入ってきた方のようです。
お話してみたかった。
最後に六本木の支配人の挨拶。
この閉館に向けて、ものすごく熱い思いを持っていろんな企画を考え進めてきたんだなぁとわかりました。
ジーン……
1本も見に来なかった自分、申し訳ありません。。。
最後の上映作品。
支配人さんの渾身のセレクションとのこと。
過去の上映作品のポスターがぎっしり貼られていました。
いろんな企画をやってたんですね。
ホントに手作りで温かなクライマックスでしたね。
最後はスタッフの皆さんに見送られて外に出ました。
でも名残惜しくその場にとどまる映画ファンのみなさんたち。
お疲れ様でした。
シネマート六本木。
お疲れ様でした。M支配人。
映画「KANO」「海角七号」「セデック・バレ」3部作を世に送り出した監督「魏徳聖さんと語る会」というのが東京で開催されたので、行ってきました。
3月7日(土)午後
新宿の京王プラザの宴会場にて。
語る会は参加費1000円。
その後、別会費で懇親会も開かれたのですが、先約があったこともあり講演のみ参加しました。
そもそも私ごときがそんな懇親会に参加しても…ね。
会場は細長い配置だったので、なるべく前の方に行こうと思いました。
前から5列目くらいに陣取りました。
右隣は若い女性(KANOのTシャツを着てました。映画のファンかな?)
左隣は(たぶん)在日台湾人のおばあさん。
同じ列には取材っぽい人もいました。(監督の話をその場でキーボードで打ち込んでた。)
この会の主催は「在日台湾同郷会」というところ。
共催には在日台湾婦女会、日本台湾医師連合、日本李登輝友の会、台湾の声、台医人協会、台湾研究フォーラム、高雄医学大学日本校友会、怡友会、東京池袋教会、台湾独立建国連盟日本本部、日本台湾語言文化協会、日本基督教団東京台湾教会という団体が名前を連ねていました。
さっぱりわかりませんが、政治的な香りもしなくはないですね。チャンネル桜関係も来てたし。でもいろんな人たちが協力してこの会を実現させてくれたことに感謝です。
会場は年配の方が多く、台湾語が飛び交ってました。
方々であいさつしあってる人たちを見かけました。こういう世界はかなり狭いもののようですね。私の知った顔もなくはなかったですが、声をかけるほどでもなく、一人静かに参加しました。
有名なところでは、金美齢さんをお見かけしました。すてきな帽子をかぶって颯爽としてらっしゃいました。もう81歳なんですね。とてもそんな風には見えなかったなぁ。
で、「語る会」の内容ですが、これは非常に面白かった。
魏さんの語り口は柔和でとてもわかりやすく、さらにバランス感覚もいいし、政治的に流れそうな質問もうま~くさばいてました。(変なところに感心しちゃった)
前半はあらかじめ主催者が用意した質問に魏さんが答えていくスタイル。
後半は参加者からの質問に魏さんが答えるスタイル。参加者からの質問は紙に書いて提出し、その中から進行係が選んでました。中国語への翻訳も必要だし、スムーズに進んで良い進行だったと思います。
印象的だった話。
日本時代のことは3部作で描ききったので次の構想は、400年前のオランダ人が来た頃を描きたいらしい。
台湾人のアイデンティティーを追求して映画を作ってるんだなぁと思いました。
これまでも魏監督のインタビューなどを通して、この人は別に日本に思い入れがあるわけではないと感じてたけど、今回その点がよく理解できた気がします。
日本人としては少しさみしいけど、当たり前のことです。日本も中国も台湾ということをとらえるための装置なんだな~と。
自分を許す
「原諒~ゆるし」というキーワードが何度か出てきたのですが、それについて「自分を許す」ということだと話していました。
これは監督の中ではかなり明快なことと見えて、よどみなく話をしてた。
このテーマについて何年も何年も考えていたのだろうと思いました。
3部作は台湾の日本植民地時代をテーマに扱っていますから「ゆるし」なんていうと、短絡的に「その時代をゆるす」とか「日本の植民地支配を許す」なんてことを考えてしまうわけですけど、そういうことではないらしい。
「他者を許すのではなく自己を許す」ということです。と語っていました。
この点、私自身も目からうろこが落ちるような感覚がありました。
今の日本とアジア各国との関係を考えるとき、この許すかどうかの問題がいつも立ちはだかってます。「中国や韓国は日本を許してない」「日本は原爆を落としたアメリカを許しているのに」「台湾の人たちは親日で日本を許している」とかなんとか。
そしてもう一つ、世代の問題もあります。「前の時代に先祖が犯した罪」についての考え方です。それを糾弾するのか、見ない振りするのか、自分が生まれる前のことだから関係ないとするのか、あるいは自分の罪だと自責の念に駆られるのか・・・・。
このことは、わたしも長年考えてきたことで、監督の視点はとても面白いと思いました。監督が何度も「生まれながらに罪を背負っているのかどうか」という話をしていました。まさに日本人である私も同じことを考えるのです。考えない人もいるのかもしれませんが、考えなければやはり前に進めないこともあるのです。
果たして私自身は私自身のこととして、許しているのかどうか?
まだ答えは出ないけど、とても良い考える視点をもらったと思います。
この3部作のうち実はセデックバレを見ていません。
予告編で首が飛んだりするシーンがあるのを見て、私には無理だなと思ったからです。
2作品だけ見た感じだと、特に「海角七号」は下手な映画です。(KANOは監督が違うし、結構いい感じにできてました)でも台湾でものすごい旋風を巻き起こしました。歴代興行収入の記録を塗り替えたんですからすごいです。台湾のアイデンティティーを考えるという監督の狙いがばっちりと成功しているわけです。
その手法として映画はとてもよかったんだなと思いました。
ストーリーの中に描くのでじわじわ伝わるのでしょう。
その他にも、一番好きな映画は「屋根の上のバイオリン弾き」だとか、是枝監督が気になるとか。エドワードヤン監督の話とかいろいろ面白いこと話してくれました。
きっとそのうちどこかにレポートが掲載されるのではないかと期待しています。
休憩時間には監督に挨拶したりサインもらったり写真撮ったり、にぎやかでした。
言葉の話。
司会者は台湾語で質問してました。
魏さんは大体中国語で答えてましたが、ところどころ台湾語になったりもしてました。たぶん、参加者の中に台湾語話者が多いことを知っていたからでしょう。台湾語になると会場の反応も盛り上がってました。
進行は日本語で行われました。
日本語が母語でないことが明らかな人でも日本語だけで挨拶してましたし。魏さんの話もすべて日本語に翻訳されました。でもどうしても要約気味になるので、少しでも中国語が聞き取れてよかったです。会場の人たちの多くは通訳が不要のようでした。
魏さんの中国語はとてもわかりやすくて、わたしでも半分くらいは理解できました。
でも2時間ずっと聞き続けたので、頭がパンクしそうでした。
私はぼんやりしてて質問できなかったのですが、将棋のシーンのことをきけばよかったなぁと帰る頃になって思いました。
映画「KANO」「海角七号」「セデック・バレ」3部作を世に送り出した監督「魏徳聖さんと語る会」というのが東京で開催されたので、行ってきました。
3月7日(土)午後
新宿の京王プラザの宴会場にて。
語る会は参加費1000円。
その後、別会費で懇親会も開かれたのですが、先約があったこともあり講演のみ参加しました。
そもそも私ごときがそんな懇親会に参加しても…ね。
会場は細長い配置だったので、なるべく前の方に行こうと思いました。
前から5列目くらいに陣取りました。
右隣は若い女性(KANOのTシャツを着てました。映画のファンかな?)
左隣は(たぶん)在日台湾人のおばあさん。
同じ列には取材っぽい人もいました。(監督の話をその場でキーボードで打ち込んでた。)
この会の主催は「在日台湾同郷会」というところ。
共催には在日台湾婦女会、日本台湾医師連合、日本李登輝友の会、台湾の声、台医人協会、台湾研究フォーラム、高雄医学大学日本校友会、怡友会、東京池袋教会、台湾独立建国連盟日本本部、日本台湾語言文化協会、日本基督教団東京台湾教会という団体が名前を連ねていました。
さっぱりわかりませんが、政治的な香りもしなくはないですね。チャンネル桜関係も来てたし。でもいろんな人たちが協力してこの会を実現させてくれたことに感謝です。
会場は年配の方が多く、台湾語が飛び交ってました。
方々であいさつしあってる人たちを見かけました。こういう世界はかなり狭いもののようですね。私の知った顔もなくはなかったですが、声をかけるほどでもなく、一人静かに参加しました。
有名なところでは、金美齢さんをお見かけしました。すてきな帽子をかぶって颯爽としてらっしゃいました。もう81歳なんですね。とてもそんな風には見えなかったなぁ。
で、「語る会」の内容ですが、これは非常に面白かった。
魏さんの語り口は柔和でとてもわかりやすく、さらにバランス感覚もいいし、政治的に流れそうな質問もうま~くさばいてました。(変なところに感心しちゃった)
前半はあらかじめ主催者が用意した質問に魏さんが答えていくスタイル。
後半は参加者からの質問に魏さんが答えるスタイル。参加者からの質問は紙に書いて提出し、その中から進行係が選んでました。中国語への翻訳も必要だし、スムーズに進んで良い進行だったと思います。
印象的だった話。
日本時代のことは3部作で描ききったので次の構想は、400年前のオランダ人が来た頃を描きたいらしい。
台湾人のアイデンティティーを追求して映画を作ってるんだなぁと思いました。
これまでも魏監督のインタビューなどを通して、この人は別に日本に思い入れがあるわけではないと感じてたけど、今回その点がよく理解できた気がします。
日本人としては少しさみしいけど、当たり前のことです。日本も中国も台湾ということをとらえるための装置なんだな~と。
自分を許す
「原諒~ゆるし」というキーワードが何度か出てきたのですが、それについて「自分を許す」ということだと話していました。
これは監督の中ではかなり明快なことと見えて、よどみなく話をしてた。
このテーマについて何年も何年も考えていたのだろうと思いました。
3部作は台湾の日本植民地時代をテーマに扱っていますから「ゆるし」なんていうと、短絡的に「その時代をゆるす」とか「日本の植民地支配を許す」なんてことを考えてしまうわけですけど、そういうことではないらしい。
「他者を許すのではなく自己を許す」ということです。と語っていました。
この点、私自身も目からうろこが落ちるような感覚がありました。
今の日本とアジア各国との関係を考えるとき、この許すかどうかの問題がいつも立ちはだかってます。「中国や韓国は日本を許してない」「日本は原爆を落としたアメリカを許しているのに」「台湾の人たちは親日で日本を許している」とかなんとか。
そしてもう一つ、世代の問題もあります。「前の時代に先祖が犯した罪」についての考え方です。それを糾弾するのか、見ない振りするのか、自分が生まれる前のことだから関係ないとするのか、あるいは自分の罪だと自責の念に駆られるのか・・・・。
このことは、わたしも長年考えてきたことで、監督の視点はとても面白いと思いました。監督が何度も「生まれながらに罪を背負っているのかどうか」という話をしていました。まさに日本人である私も同じことを考えるのです。考えない人もいるのかもしれませんが、考えなければやはり前に進めないこともあるのです。
果たして私自身は私自身のこととして、許しているのかどうか?
まだ答えは出ないけど、とても良い考える視点をもらったと思います。
この3部作のうち実はセデックバレを見ていません。
予告編で首が飛んだりするシーンがあるのを見て、私には無理だなと思ったからです。
2作品だけ見た感じだと、特に「海角七号」は下手な映画です。(KANOは監督が違うし、結構いい感じにできてました)でも台湾でものすごい旋風を巻き起こしました。歴代興行収入の記録を塗り替えたんですからすごいです。台湾のアイデンティティーを考えるという監督の狙いがばっちりと成功しているわけです。
その手法として映画はとてもよかったんだなと思いました。
ストーリーの中に描くのでじわじわ伝わるのでしょう。
その他にも、一番好きな映画は「屋根の上のバイオリン弾き」だとか、是枝監督が気になるとか。エドワードヤン監督の話とかいろいろ面白いこと話してくれました。
きっとそのうちどこかにレポートが掲載されるのではないかと期待しています。
休憩時間には監督に挨拶したりサインもらったり写真撮ったり、にぎやかでした。
言葉の話。
司会者は台湾語で質問してました。
魏さんは大体中国語で答えてましたが、ところどころ台湾語になったりもしてました。たぶん、参加者の中に台湾語話者が多いことを知っていたからでしょう。台湾語になると会場の反応も盛り上がってました。
進行は日本語で行われました。
日本語が母語でないことが明らかな人でも日本語だけで挨拶してましたし。魏さんの話もすべて日本語に翻訳されました。でもどうしても要約気味になるので、少しでも中国語が聞き取れてよかったです。会場の人たちの多くは通訳が不要のようでした。
魏さんの中国語はとてもわかりやすくて、わたしでも半分くらいは理解できました。
でも2時間ずっと聞き続けたので、頭がパンクしそうでした。
私はぼんやりしてて質問できなかったのですが、将棋のシーンのことをきけばよかったなぁと帰る頃になって思いました。
KANO日本版。
見てきました。
普段映画館で映画を見ないので知らなかったのですが、1日って映画料金安いんですね。1100円で見られてラッキーでした。3時間を超える作品なのでお得な感じがします。
見に行ったのは川崎のチネチッタ。
都内でも数館上映していたようですが、映画の日ということもあり、また先日NHKの「ニュースウォッチ9」で紹介されていたせいもあるのか、満席のところも多かったようです。
見終わってロビーにいたら江東区に住んでるCさんとばったり。
「え~なんでこの映画館に?」と聞くと、昨日の時点で都内の映画館がが軒並み満席でチケットとれなかったからとの話でした。
確かに私も前日の朝に予約したのですが、当日は「満席です」とアナウンスしてましたものね。
チネ3は138席。
日本版の日本語字幕付き。
映画自体は95%が日本語で進んでいくのであまり字幕を追う場面はなかったですが。台湾語のセリフや原住民の言葉の部分は字幕があって有難かった。
反面、慣れないたどたどしい日本語のセリフを聞き取るのが大変だったところもありました。(台湾で見た時は中国語の字幕が付いていたので少し理解の助けになった)
2回目なので、1回目とは違った発見もありました。
今回は野球のラジオ実況のアナウンサーの演技に感心しました。
台湾大会の実況は、なんと文化放送のスポーツ実況に定評のある斉藤一美アナだったのだそう。
プロだろうと思ってましたよ。
日本人の中で見たので[そこ笑うとこ?」みたいな違和感がなかったのも素直に物語に入り込めました。台湾で見た時は感動的な場面で爆笑だったり、「??」ということもあったのです。それはそれで国民性の違いを感じて面白いんですけどね。
映画化にあたって史実を少しずつ変えたところもあったようですが、1920年代終わりから1930年代初頭にかけての近代化していく台湾の姿にはやはり感動を覚えました。
最初、鬼監督がやってきたとき、嘉義の噴水は工事中でしたが、凱旋パレードの時は立派な噴水が完成していました。また1944年には噴水は壊され(金属の供出かなんかがあったのかも)水の無い池になっていました。
こういうところ丁寧に作っているなぁと感心しました。
また、1944年の嘉義駅で出征するために集まっている現地召集兵(?)の中に顔に刺青のある若い兵士が含まれていて、「高砂義勇隊」のこと思いださせました。
ちらっとワンカット出てくるだけですが、このことは台湾の人も知らないケースもあるし、日本人の多くも知らないと思います。監督たちが描きたかった「知るべき歴史」の一つかと思います。
嘉南大圳の完成もわかりやすいエピソードを通して描かれていて、素直に感動します。この時期のインフラ建設は日本でも多くのことが行われてきたでしょうけど、嘉南大圳は当時アジア随一の灌漑設備だったそうです。
八田先生は大沢たかお氏により爽やかに描かれてます。
爽やかすぎはしないかと思わなくもなかったですが、八田先生は台湾の教科書にも載ってる人物でかなりの尊敬を集めているのでこの描かれ方にも納得です。
それに対し、近藤監督は主役でもあるし、人間臭く描かれてました。永瀬正敏もいい役者になったなぁ~と思いました。
映画の大筋は前にも書いていますが「スポ根」「白球を追う高校球児モノ」です。(この時代高校ではなく中学ですけど。)
青春の情熱を100%野球にぶつける球児たちの物語、感動しないはずがありません。
しかも実話。
映画としてもストレートに作ってあります。
見終わった時の爽快感がたまりません。
映画の最後は球児たちのその後が紹介されるのですが、日本人選手がほとんど太平洋戦争で戦死しているのに対して、台湾の選手はかなり長生きしてその後も台湾の農業や野球に貢献したというのを知り、ほっとしました。
なぜかほっとしたというのが正直な気持ちです。
この辺私の台湾への複雑な思いがちょっと現れますね。
映画では紹介されませんが、フィリピンに出征する前に嘉義による設定の札商の錠者投手。史実では満州方面に出征し、シベリア抑留のまま亡くなったそうです。
KANOでは「日本人、漢人、高砂族」の民族をこえた美しいチームプレーを見ることができますが、戦争は三者の運命をそれぞれ違うものに分断していきます。
映画には呉明捷投手の実際のお子さんとお孫さんが出演されてるとか、すごい!呉明捷投手はずっと日本で暮らされたそうで、子孫は日本の方のようですね。
この辺りにも「KANO」が昔のおとぎ話でなく「歴史」なんだと、はっとさせられます。
台湾とかかわる日本人は、歴史から目をそらすことはできません。どうしたって自分が生まれる前に台湾が日本領だったことが歴然として目の前に見えてくるのです。
そしてそれは、プラスであれマイナスであれ「歴史」の事実です。
「あの時代は良かった」と、のほほんと懐かしむ姿勢ではいけないし、「植民地なんて台湾に悪いことをした」などと贖罪意識を持つばかりでも違うと思います。
私の友人の台湾人たちは学校で台湾の歴史を学ばなかった世代です。(中国大陸史を国史として教わっていたそうです。)そのため「KANO」や「セデックバレ」(霧社事件)また、少しさかのぼって「非情城市」(228事件など)で描かれた台湾の近代史は、新鮮なもので自分たちのアイデンティティにつながるものだという思いがあるのではないかと想像します。
日本人にとっても似たところがあります。
近代史を「恨みつらみ」や「美化」あるいは「贖罪意識」でなく、冷静な視線で見ることが日本人が国際社会の中で自分の立ち位置を決めることにつながると思っています。
この映画を見てそんなことを考えました。
まだまとまってないけど、とりあえずの感想文をメモしておきます。
KANO日本版。
見てきました。
普段映画館で映画を見ないので知らなかったのですが、1日って映画料金安いんですね。1100円で見られてラッキーでした。3時間を超える作品なのでお得な感じがします。
見に行ったのは川崎のチネチッタ。
都内でも数館上映していたようですが、映画の日ということもあり、また先日NHKの「ニュースウォッチ9」で紹介されていたせいもあるのか、満席のところも多かったようです。
見終わってロビーにいたら江東区に住んでるCさんとばったり。
「え~なんでこの映画館に?」と聞くと、昨日の時点で都内の映画館がが軒並み満席でチケットとれなかったからとの話でした。
確かに私も前日の朝に予約したのですが、当日は「満席です」とアナウンスしてましたものね。
チネ3は138席。
日本版の日本語字幕付き。
映画自体は95%が日本語で進んでいくのであまり字幕を追う場面はなかったですが。台湾語のセリフや原住民の言葉の部分は字幕があって有難かった。
反面、慣れないたどたどしい日本語のセリフを聞き取るのが大変だったところもありました。(台湾で見た時は中国語の字幕が付いていたので少し理解の助けになった)
2回目なので、1回目とは違った発見もありました。
今回は野球のラジオ実況のアナウンサーの演技に感心しました。
台湾大会の実況は、なんと文化放送のスポーツ実況に定評のある斉藤一美アナだったのだそう。
プロだろうと思ってましたよ。
日本人の中で見たので[そこ笑うとこ?」みたいな違和感がなかったのも素直に物語に入り込めました。台湾で見た時は感動的な場面で爆笑だったり、「??」ということもあったのです。それはそれで国民性の違いを感じて面白いんですけどね。
映画化にあたって史実を少しずつ変えたところもあったようですが、1920年代終わりから1930年代初頭にかけての近代化していく台湾の姿にはやはり感動を覚えました。
最初、鬼監督がやってきたとき、嘉義の噴水は工事中でしたが、凱旋パレードの時は立派な噴水が完成していました。また1944年には噴水は壊され(金属の供出かなんかがあったのかも)水の無い池になっていました。
こういうところ丁寧に作っているなぁと感心しました。
また、1944年の嘉義駅で出征するために集まっている現地召集兵(?)の中に顔に刺青のある若い兵士が含まれていて、「高砂義勇隊」のこと思いださせました。
ちらっとワンカット出てくるだけですが、このことは台湾の人も知らないケースもあるし、日本人の多くも知らないと思います。監督たちが描きたかった「知るべき歴史」の一つかと思います。
嘉南大圳の完成もわかりやすいエピソードを通して描かれていて、素直に感動します。この時期のインフラ建設は日本でも多くのことが行われてきたでしょうけど、嘉南大圳は当時アジア随一の灌漑設備だったそうです。
八田先生は大沢たかお氏により爽やかに描かれてます。
爽やかすぎはしないかと思わなくもなかったですが、八田先生は台湾の教科書にも載ってる人物でかなりの尊敬を集めているのでこの描かれ方にも納得です。
それに対し、近藤監督は主役でもあるし、人間臭く描かれてました。永瀬正敏もいい役者になったなぁ~と思いました。
映画の大筋は前にも書いていますが「スポ根」「白球を追う高校球児モノ」です。(この時代高校ではなく中学ですけど。)
青春の情熱を100%野球にぶつける球児たちの物語、感動しないはずがありません。
しかも実話。
映画としてもストレートに作ってあります。
見終わった時の爽快感がたまりません。
映画の最後は球児たちのその後が紹介されるのですが、日本人選手がほとんど太平洋戦争で戦死しているのに対して、台湾の選手はかなり長生きしてその後も台湾の農業や野球に貢献したというのを知り、ほっとしました。
なぜかほっとしたというのが正直な気持ちです。
この辺私の台湾への複雑な思いがちょっと現れますね。
映画では紹介されませんが、フィリピンに出征する前に嘉義による設定の札商の錠者投手。史実では満州方面に出征し、シベリア抑留のまま亡くなったそうです。
KANOでは「日本人、漢人、高砂族」の民族をこえた美しいチームプレーを見ることができますが、戦争は三者の運命をそれぞれ違うものに分断していきます。
映画には呉明捷投手の実際のお子さんとお孫さんが出演されてるとか、すごい!呉明捷投手はずっと日本で暮らされたそうで、子孫は日本の方のようですね。
この辺りにも「KANO」が昔のおとぎ話でなく「歴史」なんだと、はっとさせられます。
台湾とかかわる日本人は、歴史から目をそらすことはできません。どうしたって自分が生まれる前に台湾が日本領だったことが歴然として目の前に見えてくるのです。
そしてそれは、プラスであれマイナスであれ「歴史」の事実です。
「あの時代は良かった」と、のほほんと懐かしむ姿勢ではいけないし、「植民地なんて台湾に悪いことをした」などと贖罪意識を持つばかりでも違うと思います。
私の友人の台湾人たちは学校で台湾の歴史を学ばなかった世代です。(中国大陸史を国史として教わっていたそうです。)そのため「KANO」や「セデックバレ」(霧社事件)また、少しさかのぼって「非情城市」(228事件など)で描かれた台湾の近代史は、新鮮なもので自分たちのアイデンティティにつながるものだという思いがあるのではないかと想像します。
日本人にとっても似たところがあります。
近代史を「恨みつらみ」や「美化」あるいは「贖罪意識」でなく、冷静な視線で見ることが日本人が国際社会の中で自分の立ち位置を決めることにつながると思っています。
この映画を見てそんなことを考えました。
まだまとまってないけど、とりあえずの感想文をメモしておきます。
台湾映画「KANO」がついに日本でも公開されました。
私の友人たちも次々に見に行っています。
私は台湾公開時(去年の春)に現地で見る機会に恵まれましたが、ぜひ日本の映画館で日本の観客と一緒に見てみようと思っています。
日本のテレビでも特番が組まれたりして結構力入っていますよね。
映画で使われた1930年代の嘉儀の街や甲子園球場が巨大セットだったと知って驚きました。
そんなところにも注目してもう一回見ようと思います。
以下、初見時の感想を少し手直しして再録。
相変わらずの浅い感想を書きますよー!
今私の周りの人々の中で最も話題の作品。
台湾へ行くのが封切りの翌日ということもありぜひ現地で見ておきたいと思いました。
西門町の「絶色」と言う映画館で見ました。
台湾で映画を見るのは海角七号以来、何年ぶりでしょう。
本編が185分もある大作です。
見てみて驚いたのは、セリフの殆どが日本語だったことです。
もちろんあの時代のリアリティーを重視するなら日本語にならざるを得ないでしょうけど、この作品では、日本人の監督を主人公に据え、球児たちにも日本語を使わせています。
当時の台湾は、支配者である日本人と、台湾語、客家語を話す漢族、そして部族ごとに言葉がちがう原住民(映画の中では時代考証に沿って「蕃族」という呼称が使われていました)、さまざまな言葉が混在していて、人口的には漢族が圧倒的に多いのですが、公用語は日本語であり、多民族構成のチーム内で使うのも日本語なのです。
そのため日本人にとっては殆ど字幕が不要です。
台湾映画なのに。
有り難かったです。
今回は、日本人キャストも芝居のできる人ばかりで安心して見てられました。
永瀬正敏、大沢たかお、坂井真紀、あと名前を知らないですが脇役も皆良かった。
海角七号の時は目を覆うばかりでしたからね。
予算があるというのはいいですね~。
さて映画の中身ですが、実話です。
スポーツ爽快ものです。
監督がスパルタ式なので「スポ根モノ」と言っていいでしょうね。
当時当然あったであろう偏見や差別意識もちらっと描いてありますが、むしろそれらを超えた人間の可能性を描いていて気持ちの良いものでした。台湾では、日本人に媚びている映画だという批判もあるようですが、多分大多数の台湾人はそう思わないと思います。
甲子園の場面。
最初は無名で応援なんかもなかったのに、勝ち進むにつれどんどん応援が増えて、決勝では「阿里山」と「KANO」という文字が表裏に書かれたうちわを振る人がおびただしい数になっています。
当時の日本人にとって台湾は日本領土だったわけですから当然なのかもしれませんが、その場面にはジーンとなりました。
アミ族の平野くん、めっちゃいい味出してたなぁ。
同じくアミ族キャッチャーの東くんは男前だった。
当時の原住民はほとんど日本語の名前を持ってたんですよね。
嘉南大圳(かなんたいしゅう)を建設した、八田與一さんも登場してました。
描かれ方はとても好意的でした。
演じるのは大沢たかお。
この時代の熱い情熱はどんな話でもほんとに感動しますよね。
なぜだろう??
映画としては手放しで絶賛するようなものではないです。
素晴らしい映画だし、見てよかったし、誰にでもおすすめしますが、映画としては「粗」がいっぱいあるんです。でも制作陣の映画愛があふれているので帳消しになるという・・・
「海角七号」のときにも感じました。
映画としてのストーリーや役者の演技はボロボロだったんですけど、愛にあふれてて大ヒットしたのかな・・・と思ったものです。
セデックバレは見てないのですが、似たような感想を持ったかもしれません。
下手だけど、一生懸命歌うのに心動かされる素人のど自慢に感動するようなものかも。
この映画は、間違いなく日本に来ると思います。ぜひご覧になってください。
台湾映画「KANO」がついに日本でも公開されました。
私の友人たちも次々に見に行っています。
私は台湾公開時(去年の春)に現地で見る機会に恵まれましたが、ぜひ日本の映画館で日本の観客と一緒に見てみようと思っています。
日本のテレビでも特番が組まれたりして結構力入っていますよね。
映画で使われた1930年代の嘉儀の街や甲子園球場が巨大セットだったと知って驚きました。
そんなところにも注目してもう一回見ようと思います。
以下、初見時の感想を少し手直しして再録。
相変わらずの浅い感想を書きますよー!
今私の周りの人々の中で最も話題の作品。
台湾へ行くのが封切りの翌日ということもありぜひ現地で見ておきたいと思いました。
西門町の「絶色」と言う映画館で見ました。
台湾で映画を見るのは海角七号以来、何年ぶりでしょう。
本編が185分もある大作です。
見てみて驚いたのは、セリフの殆どが日本語だったことです。
もちろんあの時代のリアリティーを重視するなら日本語にならざるを得ないでしょうけど、この作品では、日本人の監督を主人公に据え、球児たちにも日本語を使わせています。
当時の台湾は、支配者である日本人と、台湾語、客家語を話す漢族、そして部族ごとに言葉がちがう原住民(映画の中では時代考証に沿って「蕃族」という呼称が使われていました)、さまざまな言葉が混在していて、人口的には漢族が圧倒的に多いのですが、公用語は日本語であり、多民族構成のチーム内で使うのも日本語なのです。
そのため日本人にとっては殆ど字幕が不要です。
台湾映画なのに。
有り難かったです。
今回は、日本人キャストも芝居のできる人ばかりで安心して見てられました。
永瀬正敏、大沢たかお、坂井真紀、あと名前を知らないですが脇役も皆良かった。
海角七号の時は目を覆うばかりでしたからね。
予算があるというのはいいですね~。
さて映画の中身ですが、実話です。
スポーツ爽快ものです。
監督がスパルタ式なので「スポ根モノ」と言っていいでしょうね。
当時当然あったであろう偏見や差別意識もちらっと描いてありますが、むしろそれらを超えた人間の可能性を描いていて気持ちの良いものでした。台湾では、日本人に媚びている映画だという批判もあるようですが、多分大多数の台湾人はそう思わないと思います。
甲子園の場面。
最初は無名で応援なんかもなかったのに、勝ち進むにつれどんどん応援が増えて、決勝では「阿里山」と「KANO」という文字が表裏に書かれたうちわを振る人がおびただしい数になっています。
当時の日本人にとって台湾は日本領土だったわけですから当然なのかもしれませんが、その場面にはジーンとなりました。
アミ族の平野くん、めっちゃいい味出してたなぁ。
同じくアミ族キャッチャーの東くんは男前だった。
当時の原住民はほとんど日本語の名前を持ってたんですよね。
嘉南大圳(かなんたいしゅう)を建設した、八田與一さんも登場してました。
描かれ方はとても好意的でした。
演じるのは大沢たかお。
この時代の熱い情熱はどんな話でもほんとに感動しますよね。
なぜだろう??
映画としては手放しで絶賛するようなものではないです。
素晴らしい映画だし、見てよかったし、誰にでもおすすめしますが、映画としては「粗」がいっぱいあるんです。でも制作陣の映画愛があふれているので帳消しになるという・・・
「海角七号」のときにも感じました。
映画としてのストーリーや役者の演技はボロボロだったんですけど、愛にあふれてて大ヒットしたのかな・・・と思ったものです。
セデックバレは見てないのですが、似たような感想を持ったかもしれません。
下手だけど、一生懸命歌うのに心動かされる素人のど自慢に感動するようなものかも。
この映画は、間違いなく日本に来ると思います。ぜひご覧になってください。
東京国際映画祭 COMPETITION部門の映画を見てきました。
エドモンド・ヨウ監督 マレーシア「破裂するドリアンの河の記憶」 ワールド・プレミア だそうです。(とはいえ、この映画祭での上映の3回目の回だったので、舞台挨拶などは無し)
この監督さんはまだ20代でこれが長編処女作とか。
上映前にロビーで監督さんを見かけた夫が駆け寄りサインをもらっていました。
お!サインがカタカナだよ。
「エドモンド楊」って書いてくれました。
日本橋のコレド室町にあるTOHOシネマズスクリーン6。
満席でした。当日券目当てに劇場まで来てた友人にばったり会ったのですが、彼女はチケットが買えずに泣く泣く帰って行きました。やっぱりコンペ部門は舞台挨拶なくても人気なのですね。
今回は、夫の誘いで見に行ったので全く事前情報なし。それならあらゆる先入観なしで見たほうがいいかなということで、映画祭プログラムの紹介文なども読みませんでした。
オープニングはキャメロンハイランドの茶畑の景色から静かに始まります。
マレーシアだなぁ。
低予算なんだろうとは思うけど、静かな中に若い監督の思いがあふれかえっているような映画でした。主人公が少しずつずれていくようなオムニバスのような印象もある筋立て。見知ったKLの景色も出てくるものの、音が絞ってあるので印象が全く違いました。
女優さんたちがきれい!
そしてどのシーンもカメラのアングルや画面の色が一コマずつ心に残る。
何か「はずしてる感じ」のある構図。
違和感というのも違うけど・・・。
印象深かったのは、高校の歴史の授業。
入試対策の教科書まる覚えの授業でなく、自分たちの国や周りの国の歴史の事件を生徒たちが調べてきて芝居仕立てで発表するというもの。タイの民主化運動、フィリピンの民主化運動、それに日本のからゆきさんの問題が取り上げられていました。
それに対比するように「今起きているレアアース工場建設と環境破壊問題」。これがリアルにマレーシアで起きている問題なのかは勉強不足でわかりませんが、一般的にどの国でも起きている話ですね。日本も原発問題をかかえているし、まさに今香港で起きている傘運動も。
大人数のエキストラが使えなかったのか(?)、工場建設現場も学校のシーンも、デモシーンも人が少ないのですが、それが却って詩的な効果をもたらしていたように感じました。
時々心象風景のような抽象的な画面が挟まるので、その部分ちょっと理解しにくかったのですが、あれはイメージでとらえてもいいのかな?
運動に参加する高校生の子供時代?焚書のようなイメージのシーンがあるけれど、そこがわからなかった・・・。
テーマについて、はっきり「これです!」と声高に言わない分(言ってる部分も結構あったけど)ぞわっとするような感覚が残りました。
静かに始まり静かに終わったのもよかった。マレーシアの映画はやはり面白いですね。そして監督の才能も。
上映が終わり、ロビーに出ると監督さんのほか、主演の俳優さんがいました。
声をかけると満面の笑顔。
かわいいい~~~~~!!
画面で見たときはごつい印象だったのですが、実物はわりと小柄でとにかく笑顔が可愛かったのでした。
Koe Shernくん。ファンになりました。
映画は基本的に北京語で進みます。
女優さんたちの北京語きれいな発音で聞き取りやすかった。
時々広東語やマレー語は挟まるのがマレーシアぽかったけど、こんなきれいな北京語で日常生活してるのかなと思いましたが、その辺は詳しくわかりません。
夫の感想は
「きれいな人がいっぱい出てきた。それだけでもう、いい映画。」
だそうです(笑)。
以前は何本も精力的に見ていた東京国際映画祭ですが、今年はこれ一本で終わりそうです。
<追記>
監督とツイッターでやり取りしました。
ギモンの部分も思い切って質問してみました。
私の下手な中国語には目をつぶってください。
やり取りを簡単に翻訳しますと・・・
私:英語や中国語で感想を言うことはできないんですが、一番印象深かったのが、高校の歴史の授業の場面です。ああいう授業はマレーシアでは普通なんですか?
監督:普通じゃないです。りん先生の教え方は特別です。
私:ありがとうございます。では、監督はあのような授業は監督の経験ですか?それとも完全な創作ですか?
監督:創作です。昔先生たちがああいう風に授業してくれたらと思っていました。
私:よくわかります。私も林先生の歴史の授業受けてみたいです。
監督:^^
私:もう一つ質問があるのですが…抗議行動する人たちのアジトでホイリンが子供時代の彼女(と私は感じましたが)抱きあって、上から燃えた紙がひらひら落ちてくる場面ですが、あれは何を表しているのでしょうか?マレーシアの歴史に何かそういう事件などがあったのでしょうか?私完全に間違った理解をしてるかもしれません。すみません。
監督:あれは、夢もしくは記憶です。ホイリンもミンも二人とも同様に夢と記憶の中で生きています。ああいった夢は彼らの心境を表しているのでしょう。
私:わかりました。あれは具体的な事件を表しているのではなく、心境の表現なのですね。ありがとうございました。
監督:いえいえ、質問ありがとう。
連日「KANO 感想」のキーワードでの訪問者が多いようです。
「KANO」じわじわと日本でも関心が高まっているのかもしれません。
朝の連ドラ「ごちそうさん」でも甲子園は重要なキーワードでしたし。
白球を追いかける青春物語は、皆大好きなはずです。
KANOについて、は言いたいことがいくつかあります。
映画としては手放しで絶賛するようなものではないです。
素晴らしい映画だし、見てよかったし、誰にでもおすすめしますが、映画としては粗がいっぱいあるんです。
でも制作陣の映画愛があふれているので帳消しになるという・・・
「海角七号」のときにも感じました。映画としてストーリーや役者の演技はボロボロだったんですけど、愛にあふれてて大ヒットしたのかな・・・という。
セデックバレは見てないのですが、似たような感想を持ったかもしれません。
下手だけど、一生懸命歌うのに心動かされるのど自慢のようなものかも。
先日、録りためてた映画を立て続けに5本見ました。
なんだか最近は邦画を見たい気分です。
かんたんに感想をメモ。
「社葬」1989年
おっさんだらけの暑苦しい映画。面白かった。
緒形拳の若々しい時代。いいですね。あの人。怖さや凄みもあるのに、コミカル。
携帯電話のない時代。懐かしかった。
★★★★☆
「感染列島」
日本で何百万人も死んでしまう新しい感染症。
怖かった。街のパニックをもう少し描いてほしかったかも。
医者が現場を離れて海外に感染源を求めていくのが興醒めでした。ありえへん。
★★☆☆☆
「大奥」
仲間ユキエの。女の戦いが怖い。蛇が出たので星が減る。
男性陣に魅力あまりなし。(趣味の問題かな)
本田博太郎さんの新井白石は怪しくてよかったけど、怪しい必要あったのか??
あ、こころ旅でおなじみ火野正平氏がお医者の役で出てた。ちょい役。あと、ギバちゃん活かせず。
★★☆☆☆
「異人たちとの夏」1988年
泣きすぎて頭が痛くなった。風間杜夫の舞台風の台詞回しが結構好き。
でもこの映画の白眉は片岡鶴太郎。いい芝居をしてました。88年風景も懐かしい・・・。
秋吉久美子も。名取裕子さんはお気の毒でした。
★★★★★
「ゲロッパ」
山本太郎君もこのままがんばってたらヨカッタのに。
岸部一徳、西田敏行。面白くないわけがない。でも他のシーン&ストーリーはつまらなかった。オープニングの空撮と音楽だけがめちゃめちゃかっこよかった。
★★★☆☆
相変わらずの浅い感想を書きますよー!
今私の周りの人々の中で最も話題の作品。台湾へ行くのが封切りの翌日ということもありぜひ現地で見ておきたいと思いました。
西門町の絶色と言う映画館で見ました。台湾で映画を見るのは海角七号以来、何年ぶりでしょう。
本編が185分もある大作です。
見てみて驚いたのは、セリフの殆どが日本語だったことです。もちろんあの時代のリアリティーを重視するなら日本語にならざるを得ないでしょうけど、この作品では、日本人の監督を主人公に据え球児たちにも日本語を使わせています。
当時、支配者である日本人と、台湾語、客家語を話す漢族、そして原住民の部族ごとの言葉が混在していて人口的には漢族が圧倒的に多いはずですが、皆の共通語は日本語になるのでチーム内で使うのも日本語なのです。
日本人が見るときは殆ど字幕が不要です。台湾映画なのに。
有り難かったです。
今回は、日本人キャストも芝居のできる人ばかりで安心して見てられました。海角七号の時は目を覆うばかりでしたからね。
お金があるというのはいいですね。
さて映画の中身ですが、実話です。
スポーツ爽快ものです。監督がスパルタ式なのでスポ根と言っていいでしょうね。
当時当然あったであろう偏見や差ペツ意識もちらっと描いてありますが、むしろそれらを超えた人間の可能性を描いていて気持ちの良いものでした。
台湾では、日本人に媚びている映画だという批判もあるようですが、多分大多数の台湾人はそう思わないと思います。
甲子園の場面。
最初は無名で応援なんかもなかったのに、どんどん応援が増えて、決勝では阿里山とKANOが表裏に書かれたうちわを振る人がおびただしい数になっています。
当時の日本人は台湾を日本だと思っていたから当然なのかもしれませんが、そのシーンにジーンとしました。
アミ族の平野くん、めっちゃいい味出してたなぁ。同じくアミ族キャッチャーの東くんは男前だった。当時の原住民はほとんど日本語の名前を持ってたんですよね。
かなんたいしゅうを建設した、八田與一さんも登場してました。
描かれ方はとても好意的でした。
この時代の熱い情熱はどんな話でもほんとに感動しますよね。なぜだろう??
この映画は、間違いなく日本に来ると思います。ぜひご覧になってください。
【不老騎士-歐兜邁環台日記 Go Grandriders】戲院版預告Official Trailer
今回の台湾旅行は行きがJAL、帰りがチャイナエアラインでした。
一本ずつ映画を見たのですが、行きは「ダイアナ」。
本当の話はどうかわからない、誰も知らないでしょうけど、切なかったです。
で、帰りに見たのがこの映画。
以前このブログで書いたことのある、オートバイで台湾一周を果たしたおじいさんたちの話なのですが、これはドキュメンタリー映画です。(前に書いたのはそれを題材にしたテレビCM)
前の記事
http://blog.goo.ne.jp/travel_diary/e/97af1586c46d5b3badd7edbebfa24190
今回の陳昇のコンサートで一番感動した歌が「路途」という曲で、バックのスクリーンにこの映画のシーンらしきものが映っていました。まだこの映画の存在すら知らなかったのですが、前に書いたCMの時に実話としては知ってたので「あの話だなー」と思いながら歌を聴いてました。歌もすごく良くてジーンとしました。
そしたら帰りの飛行機でこの映画があって、わー!見てみよう!!
エコノミークラスの小さなモニターで見たので字幕も小さくて厳しかったのですが、でもでも事実の重みというか、ただ画面を見てるだけでも伝わる力があって、感動しまくりながら見てました。
機内食の時間になってボロボロ泣いてるのが恥ずかしかった。
映画を最後まで見て気がつきました、なんと主題歌が陳昇のあの歌でした!
そうか、だから歌のバックであの映像だったのかー。
ネットで調べたら、この映画の監督が陳昇の大ファンで主題歌を頼んだらしいですね。
youtubeでサーフィンしてたら去年の跨年コンサートのステージに監督さん、いらっしゃってました。
当時は誰だろう?と思ってましたが、やっとわかりました。
言葉がわからないといろいろ見逃してますね。
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上にリンクした動画は、劇場公開時の予告編です。
字幕の部分を簡単に意訳してますので参考にしてください。
彼らの平均年齢81歳
─ もしもし、わしの可愛い孫よ。元気にしてるかい?おじいちゃんが恋しくないかい?
心の中にはまだ18歳の夢を抱き続けている
─ 居眠りしてた。
─ 車に乗りましょう。
─ バイクに乗りながら居眠りしちゃったんですか?
無数の観客を感動させた真実の物語がついにスクリーンに!
─ 娘が言うんだ。「お父さん、そんなに歳をとってまだそんなことするの?やめてよ」ってな。
─ これが自分の祖父だとしたら、やめるように言います。そんな危険なことに参加して欲しくないんです。()
(ストレッチャーで運ばれる隊長)
─ すまない。
─ そんなことないです。
─ すまない。みんなに申し訳が立たない。隊長なのに自分が落伍するなんて。
(奥さんの写真、墓の前で)
─ 妻よ、もう一度お前を台湾一周に連れて行きたいと思ってるんだ。もしお前が連れて行って欲しいというならな、そのとおりにするよ。
─ オートバイで台湾一周するのは、引退する前からの夢だったんだ。
─ 昔は彼は日本軍中尉、我ら二人は敵味方だったんだ。でも今は、再会して笑いあってわだかまりはもうない。
(相逢一笑泯恩仇は、成語みたいですね。)
(ゲームセンター)
― 子供のゲームがこんなに面白いとは知らなかった。
― ある時彼らを見てて突然気がついたんです。たくさんの人が補聴器つけてる!って。この人たち本当に台湾一周できるんでしょうか?
あなたが80歳になった時、まだ夢を叶えようとする勇気をどれほど持っているだろうか?
(海岸)
― あんた、この海水を感じるか?雨と同じように体に当たるんだよ。わかるかね?
― これ海水じゃないよ。ほんとに雨が降ってるんだよ。
― ほんとに、雨が降ってきましたね。
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新寶島康樂隊-路途 (官方完整版MV)
陳昇の歌う主題歌です。
日本版は出てないようですが、以前テレビ放映して、その時の邦題は「ジェイン・オースティンに恋して」だったようです。「高慢と偏見」のパロディです。
イギリスのテレビドラマ。
1時間番組の4回シリーズたったみたいで、中身だけだと3時間で見終わりました。タイムスリップものというか、三次元の我々が二次元の小説の中に迷い込む系のお話です。
見た感じでは、小説というより、コリン・フアース版のテレビドラマの世界に迷い込んだ設定でしょうね。制作局も時期も違うので俳優さんは違いますが、美術や、俳優さんの造型がそっくりでした。無意味にダーシーが池に飛び込んでシャツがスケスケになるシーンがあります(爆)
お話は、「高慢と偏見」の大ファンの現代女性アマンダが、何故か、高慢と偏見の主人公リジーと入れ替わってしまうというもので、「高慢と偏見」のキャラクターによるパラレルワールド的展開が楽しめます。
アマンダがお話の世界に入り込むのが、ちょうど小説(ドラマ版も)「高慢と偏見」の冒頭と同じタイミングで、舞踏会、風邪を引いてしまうジェイン、コリンズ牧師の来訪など原作に沿って進んで行く親切進行。
でm、リジーとアマンダが入れ替わっていることで、少しずつお話がずれ始めます。
ネタバレさせちゃいますが、
ネタバレしますよ。
ジェーンとコリンズさんが結婚してしまってどうなるのかとハラハラしました。
お父さんはほんとに決闘してしまうし。
原作よりも、母親やウィカムの描かれ方が好意的だったのも興味深し。
アマンダと入れ替わってリアル生活してたリジーが、すつかりこっちに馴染んでたのが素晴らしかったですね。
流石リジー。
リジー側の物語も見て見たかったですね。
お父さん役の人がどこかで見た顔だと思ってたら、ノッティングヒルの恋人でバーニー役やってた人でした。
貫録でてたなー。
お母さんは、あのERのエリザベスコーディー!
久しぶり!
字幕も無しで駆け足で見たので台詞が全然わかってなくて、筋の流れだけ追ってしまったので、日本版出てほしいなー。
ノーラエフロンの生前に映画化の話があったそうなのですがとうなったかしら?
誰も引き継いてないのかな?
台詞の引用
Amanda Price: I can't dance this sort of dance.
Mr. Darcy: Nor I. Together we shall make a shambles. But we shall do it with such authority that everyone will stare at us to learn the step.
Caroline Bingley: Charles told me your secret. It is my secret too. I shall get my paws on Darcy and I shall marry him because it is correct, and necessary and expected by everyone including God. But the physical society of men is something I have never sought. I shall endure it with Darcy because endurance is a speciality of our s ex. But the poetry of Sappho is the only music that shall ever touch my heart, though I have yet to play upon the um... instrument myself.
sought:seekの過去、過去分詞
endure:我慢する
Amanda Price: Goodness. Jane Austen would be fairly suprised to find she'd written that!
※ビングリーの妹が実は・・・というシーン
Mr. Darcy: Ah! Well met, well met! Bingley, Miss Lydia and I have just now returned from the opera...
Mr. Bingley: Darcy.
Mr. Darcy: ...And the problem with the opera of course, is one cannot...
Mr. Bingley: Sir, will you have done? Your subterfuge is well-meaning but it is puerile and demeans us all. There is no opera in Hammersmith. You've just arrived from god-knows-where, that much is plain.
subterfuge:逃げ口上
※ハンマースミスにオペラはないっていうのは現代とのギャップで笑とこかな?
あまい台詞(ダーシーの愛の告白シーン)
Mr. Darcy: Amanda. It means 'she who must be loved'.
Amanda Price: You must not. You must not...
Mr. Darcy: Wherefore must I not? Who is to judge us? I have laboured so long in the service of propriety.
labour=labor
propriety:作法、礼儀
Amanda Price: Elizabeth. I am not Elizabeth. The entire world will... hate me.
Mr. Darcy: Were that true, Amanda, I would fight the world! You are the one I love.
ベネット夫人やり返す!のシーン
Lady Catherine de Bourgh: Well? What do you have to say for yourself?
Mrs. Bennet: I say this. You are a prig, Madam, a pander and a common bully. And you cheat at cards! Do you suppose you may enter my house and brandish your hat at me thus? I have a mind to turn you upside down and use you to scrape out Ambrosia's sty.
prig:(道徳・作法などに)堅苦しい人,道徳家とうぬぼれる人.
brandish:振り回す
thus:したがって、だから
scrape out:掻き出す
sty:豚小屋、モノモライ
Lady Catherine de Bourgh: Madam, I take my leave of you.
Mrs. Bennet: Do! Or I shall take you out and set to scraping! Scrape, scrape, scrape, I shall go!
Mr. Bennet: Tally-ho, wife!
Mr. Collins: Mrs. Bennet, you must desist!
Jane Bennet: Oh be quiet, you silly man. Do you suppose Mama would permit her daughters to be married to your brothers when before her very eyes is the specimen of you?
Mr. Bennet: [after Lady Catherine and Mr. Collins leave] Tonight Mrs. Bennet, with your permission, I think I shall sleep in our bedroom.