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引っ越してきて3ヶ月が経ちました。
先日、近所に中国語教室がオープンしました。

実は、引っ越してくるときに、近くに中国語教室あるかな?
いい教室があったら、また通ってみようかな?などと考えてはいたのです。
そのときは、ピンとくるところがなく(よさそうなところは平日の昼間だったり)行動にはうつさなかったのですが。

無料体験できるらしいので早速行ってみました。
まだ始まったばかりで生徒さんいないみたい。
大丈夫かな?
先生は中国人で日本に長い人のようです。
料金は、前に通っていたところと全く同じ。
(結構強気?とも思ったけど、プライベートレッスンはこのくらいが相場なのでしょう)

お試しということでHSK5級のテキストを使ってやってみました。
ちょうど私のレベルでした。

簡体字が読めない!
声調忘れまくってる!
などいろいろ問題がありましたが、先生も話しやすかったし、楽しかった。
やっぱり何かを習うのって楽しい。

お小遣いが足りないけど、とりあえず申し込んでしまいました。
これも何かのご縁でしょう。
お小遣いが続くだけやってみようとおもいます。

先日我が家に遊びに来た香港の友人がネットにあげていた文章。
我が家での愉快な一晩が凝縮されてる文で、面白いのでこっそり転載。
(彼の文章はいつもこっそり転載しているな。私)
「私淑」ってちょっと意味が違うけど、勝手に教材にするということです。

青:原文
赤:私の意訳
黒:私のコメント

到日本昇迷朋友陽子及豐的家作客,暢快非常!
日本の陳昇ファンの陽子と豊の家に招待された。とっても気分がいい!
暢快:のびのびする気持ち

又高興認識到日本藝術圈文化人及在日本工作的台灣藝術行政人。
それに、日本の芸術関係の文化人や日本で芸術関係の仕事をしている台湾人にも知り合えてうれしかった。
行政人:現場監督、仕事をする人、管理職

從越後妻有大地藝術祭、
越後妻有の大地の芸術祭のことから
彼はそのために来たので、芸術祭のことは話題の中心でした。

東京與台北異同、
東京都台北の違いについてや
香港から来た彼にとっては、初めての東京は台北に似ていると感じたようです。
ソウルの方が東京に似てると思うけど・・・。

九十年代追昇往事、
90年代の陳昇ファン活動の話や
いつから陳昇を聴き始めたのか、初めてお互いに話しました。

陳昇在日本演唱票房滲淡、
陳昇の来日コンサートのチケットの売れ行きのはなし、
滲淡:????

九十年代香港地圖收藏、
90年代の香港の地図のコレクション
私が保管していた香港の地図~「香港街道指南」1996年のものからありました。

香港電影及HMV,
香港映画やHMVの話
彼が初めて陳昇の歌を聞いたのは、香港HMVのCD試聴コーナーだったそうです。
初めて聞いたのは「六月」って言ってたかな?

到豐的畫作藏品與日常素描、
それに、豊がコレクションしてる作品を見たり、豊の日常のスケッチを見たり
豊さんは気に入った絵を買って壁にずらりと飾っています。それをお客さんに見せるのが楽しいらしい。それに彼は、自分の描いた絵も見せていました。ははは。怖いもの知らず!

好久不見的二千円日圓,
久しぶりの二千円札と
陳昇の日本公演のチケットを別の香港の友人に頼まれて買っておきました。そのチケット代を香港で両替して持ってきてくれたのですが、二千円札が入っていて、その場にいた日本人が大いに反応していたのでした。「何年ぶりに見た!」とか言ってね。

或廣東話九聲變化之驚人。
広東語の声調が9つもあることに驚く人々。
広東語はむずかしい・・・・
9声もあるなんて!台湾人も驚いていました。

日文、英文、國語到廣東話交談,
日本語、英語、中国語、広東語でのおしゃべり
この言語チャンポンはとっても楽しいですね。

一開始便收不了口,
初めからすぐにしゃべりっぱなしで、
便:すぐに、「就」のような意味。

未夠七點聊到十一點半!
7時から11時半までいても足りなかった。

平日だったのが残念。
もっとたくさん話したかった。

感謝陽子及豐的款待!
お招きありがとう!
こちらこそ。
とても良い時間でした。

#日本人竟然唔知東京國立近代美術館
なんと、日本人が国立近代美術館を知らなかった

「今日はどこに行ったの?」ときくと「国立近代美術館」とのこたえ。
どこ?どこにいあるの?行ったことない!存在すら知らない。
と私が言ったものだから、びっくりしていました。
北の丸公園にあるそうです。
国立なのに知らないなんて!と驚かれました。

日本人として恥ずかしかった。
今度行きます。

唔知:(広東語)不知道

今回の台湾旅行は3泊4日(というか4泊4日~1日機中泊)。
台湾人の友人宅に滞在したこともあり、中国語濃度高め。
とはいえ、20年来の友人なので、前回の台東で初対面の人と一日中一緒にいたのとは違いまぁ気楽でした。

この友人は1年前に「中風」で倒れたというのは前に書きましたが、その病気のことを詳しく聞きました。医療関係の専門用語が難しかった。
話を総合すると、彼女のは「脳梗塞」だったようです。
出血はなかったので手術はせず、また幸い小さい梗塞だったようで、薬での治療だったようです。
発症した時に、友人と食事中だったようで、言葉がおかしくなったことに気がついた友人が救急に連れて行ってくれたのだとか。本人は自覚症状がないそうで、一人でいなくてホントに良かったと思いました。
左半身の麻痺があり、半年くらいリハビリに通ったんだそう。いまは、仕事にも復帰して、自分でリハビリを続けていると言ってました。

 塞住 詰まる
 復健 リハビリ

この友人と、ベジタリアン料理の店に行きました。VEGAN。これは日本語でもヴィーガンといいますね。ここで、料理の説明を延々中国語で聴きました。これも用語が難しかった。

 VEGAN=全素

それから、コーヒー専門店にも行きました。
一緒に行った友人たち、コーヒーにも造詣が深くて、やたらと薀蓄を聞かされました。スタバのコーヒーがおいしくないということでは、見解が一致。でもコーヒーの味の好みはまるで違うのでした。きっとワインの好みも違うんだろうな。
コーヒーの味の好みについての用語もなかなか難しい。
「香 甘 苦 酸 醇」
彼女たちに私のコーヒーの好みを話すと、じゃきっと「耶加雪啡」を試すべき。
と言われました。そしてそれを注文して飲みましたが、ほんとに美味しかった。

コーヒー屋さんのWEBページから、この豆の説明をコピペ。
エチオピアの耶加雪啡Yirga Chefeイルガチェッフェ私の知ってる名前だと「シダモ」になるのかな?厳密には違うのかもだけど。

耶加雪啡生長在衣索比亞西南部著名Sidamo產區的山岳及森林裡面,咖啡豆屬於中小顆粒,生豆顏色略呈黃綠色,豆型漂亮完整,酸性適中,保有非洲摩卡風格,是一款優質的水洗阿拉比卡豆。
淺烘焙下的耶加雪啡顯現獨特的檸檬、花香和蜂蜜般的甜香氣,柔和的果酸及柑橘味,口感清新明亮,為極具個性的高級咖啡。與一般咖啡不同的是,每一批次的生豆特性南轅北轍,對烘焙師而言,極富挑戰的趣味,不少品味獨具的咖啡人,著迷於它獨特的檸檬花香及蜂蜜的甜味,在台灣精品咖啡圈擁有極高知名度。

烏来温泉に日本人3人と台湾人2人でドライブしました。
わたし以外の2人の日本人は、私より中国語ができる人たちだったので、車内では中国語。こういう状況なかなか楽しい。温泉に入るということで、「PAO」の発音の練習をさせられました。Pao 1声 ならどういう意味で、2声ならこんな意味・・・とレクチャを受けたのに忘れちゃってる。もう一回調べて書き記そう。

Pao 1 拋 捨てる、投げる。
Pao 2 刨 ※でも「刨冰=かきごおり」の時は Bao4と発音するんだって。難しい・・・
Pao 3 跑 
Pao 4 泡

台湾に行くと、面と向かって話すことも多いけど、メッセンジャーなどで待ち合わせやらなんやらのやり取りをすることも増える。電話よりも私には楽だから、メッセンジャーを多用してるのだけど、チャットになると文字を打つ速さがついていけなくなる(スマホだし)この辺りも相当鍛えられる。訓練の場、それが私の台湾旅行。

台湾の友人が来日、我が家に滞在中です。「ただいま」から「行ってらっしゃい」までの中国語合宿が始まりました。

今回の来日目的は紅葉です。銀杏の葉の色づきに合わせ急遽スケジュールをとったようで、「明日から東京なんだけど、よかったら明日の晩ご飯でも?」と連絡が来ました。

はじめは外で会うつもりで、どこに宿をとったのか(どこで会うのが便利かなと思ったので)聞いてみると、明日来るのに、宿はこれからだという話。じゃうちに泊まったら?と言うことになりました。ちょうどこの間、姪が泊まりに来てたので客用寝具の用意もあるし。

しかし、中国語難しい。
自分が喋るのがものすごーくでたらめなのを感じてイヤになる。ちゃんと勉強しないとなー。


昭和記念公園(友人が見てきた立川の銀杏)

私が好きな歌手に毎年毎年誕生祝カードを送っているって話は、前にも書いたと思います。2年前にはイラストを描いて送ったら、その年の暮れのコンサートの記念Tシャツの図案に採用されたという嬉しい話もありました。もちろん、今年もカードを送りました。
 「ファンレターのその後が・・・」 「ファンレターのその後のその後」

さて、その歌手の誕生日から2週間が過ぎた昨日のこと、バックバンドの人からメッセージが入りました。顔見知りではあるものの、個人的なやりとりをした事の無い人だったので、「なんだろ?珍しいなぁ」と思っていたら、その歌手からの伝言と言うか問い合わせでした。
彼が言うには・・・・
一昨日、歌手と食事してたら私の事が話題に上がり、私が台東の図書館で祖父母の情報を見つけたことについて詳しい話を聞いてほしい。と頼まれたのだとか。
へ~歌手さん、なんでそんなこと知ってるんだろう?だれか台湾側の人が、私のブログやフェイスブックに書いた記事を伝えたんだろうか?なんて思ったのですが、よくよく思い出してみると、出どころは自分でした。

今年の誕生カードを送るに当たり、市販のカードを買ってきたものの、何かメッセージの一つも書かないとカッコがつかない。でも、私の中国語力では書けることが限られるし…いろいろ考え、先日の緑島コンサートに行けなかった話を書きました。目の前まで行っておきながら、船が出なかったために会場に辿りつけず、対岸の台東で3日過ごした悔しい気持ち(というか、日本から駆けつけていたんだよ~ということ)は伝えておこうと思って。怨みがましく書いた後、やっぱりこれでは誕生カードとしてどうなんだと思い直し、「それでもコンサートに行けなかったおかげでできた時間で台東の図書館に行って、祖父母のこと調べられて収穫あったんですよ」と言うこともかんたんに書いておきました。
で、自分はすっかりそのことを忘れてしまっていたのでした。ハハハ。

でも、興味を持ってくれたんだなぁ。
嬉しくなりました。
誕生カードをちゃんと読んでくれているってことも分かったし。(でももしかすると、いまどきファンレターなんて出す人いないのかも?!ネット全盛時代ですものね。誕生カードなんかもあまり届かないのか?私みたいなファンは化石級なのかもしれません。)

しかしバックバンドの彼に、状況を伝えるのも一苦労です。
全て中国語ですよ。
誰か日本語のできる友人に翻訳してもらおうかとも思いましたが、単語の羅列と簡単な文章で、何とか状況は説明しました。私の「感受」(感想)も教えてと言われたけど、中国語で気持ちを伝えるのは難しく、事実のみになっちゃっいました。翌日、私のつたない説明を「まとめたから確認して」と連絡が来ました。ちゃんと読める中国語に整理されていました。勉強になるなぁ。私がOKと伝えると「じゃ、歌手に転送する」って返事が来ました。「良かったら彼の感想を教えてね」と言っておきました。何か知らせてくるかもしれません。

私と歌手さんの付き合いももう20年近くになりますが、私からファンレターは何度となく送ってるものの、あちらからは何もなし。会った時には言葉を交わすことはあるけど、何しろ芸術家だし、こっちの緊張してるし、中国語が難しいし。結局、Tシャツのイラストの感想も聞いてない。今度は何か感想が聞けたらいいな。

今回の旅行では中国語を話す機会がとても多かった。旅行中「まるで中国語のレッスンに来たみたい」と何度も思ったほど。初日こそ台北で日本人の友人とお茶したりしたけど、台東に行ってからは日本語なし、知ってる人なしの異邦人環境。さらに、悪天候のため旅程が変更になり、初対面のAさんと3日間一緒に遊ぶ(遊んでもらう)ことになり、一人でウロウロする旅行よりも強力に中国語会話をする場面が続いた。

そして、刻々と変わる天候と旅程変更に伴い、緑島の民宿の人から連絡がドンドン入ったり、緑島で合流するはずだった友人たちと連絡取り合ったり、また、現地での宿の手配、飛行機の変更などなど、あやふやにできないやり取りの場面も多かった。

 ふー、鍛えられた。

幸いなことに案内してくれたAさんの中国語はとても明瞭で聞き取りやすかった。外国人に合わせてわかりやすく話してくれたのだろう。人によっては発音が明瞭でなかったりして聞き取りにくいタイプの人もいて、そういう人とは会話が続かず気まずくなってしまう。その点Aさんとはとてもとても話がしやすかった。きっと察しが良くて頭がいい人なんだろうな。
それに・・・
私が図書館で 昨夜曽祖父のことを調べた話をしたところ、Aさんも昔自分の先祖が住んでいたという土地へ一人で出かけて行った話をしてくれた。似たような経験をしてることで、彼女もとても興味を持ってくれた。言葉が聞き取りやすいだけでなく、通じるものもあったような気がする。おかげで、彼女とはけっこう込み入った話を、食事中に、ドライブ中に、博物館の陳列品を見ながら、延々と続けることができた。昔からの友人のようにかなり打ち解けあったと思う。初対面なんだけど。

でも一番ストレスなく話せたのは、小学校3年生の女の子との会話だった。やはり私のレベルには小学生くらいがピッタリなんだろうな。

台東で鍛えられたおかげか、台北に戻ってから乗ったタクシーの運転士さんに自分の行きたい道を案内したときにもすらすら、中国語が出てきた。運転手さんに「中国語上手い!」と言われたのは良くあるお世辞で真に受けてはならない種類のものだけど、「台湾人より道をよく説明できる」と言われたのは嬉しかったな。

ところで、博物館で先史時代の陳列品を見ながら、Aさんがやたらと「シェンチー」と口にしてる。
この音でぱっと結びつくのが「生気=怒る」だったので、なんでそんなに怒るって言ってるんだろうか…とおもってたのだけど、
跡でようやく気がついた「神奇=ふしぎだ」と言ってたのだ。

生気 sheng1 qi4
神奇 shen2 qi2

全然声調違う。とほほ。

朝のニュースを見ながら、我が家の居候は日本語の勉強をしているらしい。
「見送り」「若手官僚」などブツブツ言ってる。

さて今日の中国語は、ミサイルの数え方。
北朝鮮のミサイルの話から、台湾海峡のミサイルの話に。

「サンチェンメイ」のミサイルがあったでしょう?
と言われ、なんのことか???

しばらくして「サンチェン」「3000」とわかったけど、「メイ」って??
「サンチェンメイのミサイル」だから、ミサイルの量詞だね。
「メイ」?どんな字を書くのかな??

「枚」 mei2 

えー!?
日本語だと「発」だよ。
「発」だともう発射されたあとの数え方ですね。
へー!

2

台湾人の友人が滞在中。
日本語が堪能で、日本語のブラッシュアップをしたいという希望もあるので、基本的に日本語で会話してるけど、時々中国語の単語が混ざる。ここが私の中国語レッスンになる。

さて今朝のこと。ベランダでコーヒーのみながら、
「台湾で最近たばこの値段が‘ゼンジャー’するから、まとめてたくさん買いました。」
と言い出しました。
ゼンジャー??値下げ??

「珍しいね、値下げなんて」
「違います、高くなりますよ」

彼が言った単語「增加」zeng1 jia1

私が勘違いした単語「降價」jiang4 jia4

声調も全然違う。うう・・・。


4月に日本旅行するかもと言っていた香港の友人に、予定は決まったかと聞いておかないと、「来たよ!今夜空いてる?」とか急な連絡をもらいかねない。(で急すぎて会えなかったりする)

そこで携帯でメッセージを送ることにした。
最初は英語でチャレンジしてみたが、一文目からもう怪しい。
英語になってない・・。

相手の返事もよく意味が分からないけど
「まだ決まってないけど、逆にいつなら都合いいの?」
と聞かれたような気がする。

「土日がいいけど、早めに知らせてくれたら都合つけられると思うよ」

うう。
英語でなんて言う?

結局後半中国語になった。

なんか情けない。
中国語も怪しいけど。
英語よりましだな~。

NHKの中国語講座のストリーミング放送をネットで聴いてみました。

レベルアップ中国語

ラジオドラマ風のスキットが流れました。
ラジオと違って、ネット放送だと繰り返し聞けるので、途中で止めたりしながら、聞き取ったのをノートに書いてみました。北京が舞台で、私の苦手な大陸のアル化中国語。中検の勉強をやめてから大陸の中国語を聴く機会がほとんどなかったので、新鮮でした。軽声とかすっかり忘れてるので「想想」みたいな簡単なのが聞き取れなかったり。単語もちょっと違います。

memo なんじゃこりゃ?的単語(生詞ともいう)

公安局
派出所
大巴  機場巴士のことみたい。
师傅?师父? 司機先生のこと。これは知ってた。
团团转  繁体字が思いつかない・・・團團轉、初めて見た。
美女 小姐のこと。流行語らしいです。

热锅上的蚂蚁(熱鍋上的螞蟻)は昔習ったことありました。
熱い鍋の上の蟻のようにじりじりするっていう例え、なんちゅう残酷なことを…!と思って覚えてました。

NHKの教材だから仕方ないとは思うのですが、「口音からして中国人じゃないね?」なんてセリフがあるのだから、それっぽい口音の人を使って欲しかったなぁ。日本語なまりの中国語でもいいですよね。ダメ?:p

内容も割と面白く、展開が楽しみです。
中国語も勉強し続けないとね。

4

私と中国語のかかわりについて、ちょっとまとめておこうかなと思います。

1997年

初台湾旅行 ※この時点で知ってる中国語「ニーハオ」「シエシエ」。
香港映画をいっぱい見ていたので、北京語より広東語に親しみを感じていた。

1998年

インターネットを始める。
陳昇ファンサイトのチャットルームに出入りし始める。使用言語は英語だったけど、人々の書く中国語を「心の目」で読み始める。同時に台湾へ通い始め、友人できる。現地では英語使用。中国語は数字や「我要這個~これが欲しいです」程度。

1999~2000年

このころ台湾からの留学生の友人に中国語を習う(半年くらい?)。いわゆるカフェレッスン(台湾師範大学の教科書1課~9課あたりまで)先生が友人だったので、馴れ合ってしまいあまり身につかず。
それでも台湾へ行く度、少しずつ中国語を使い始める。
相変わらず簡単なこと以外は英語。
陳昇関係の新聞記事など「心の目」で読む。
中国語カラオケにはまる。ピンインわからず、カタカナでルビを振っていたのが致命的だった。

2001年~2008年

中国語での飲み会や食事会へもいろいろ参加。旅行会話は一通りマスター?
買い物はできてもそれ以上の会話のできないもどかしさを感じ始める。
慣れもあり、友人らの話す中国語はなんとなく理解できるようになる。でも自分のしゃべってるのが正しいのか間違ってるのか、ぜんぜんわからない。耳から覚えた中国語に限界を感じていた。まわりからも「ちゃんと勉強したら?」の声多数。

2009年

一念発起、中国語個人レッスン開始(カフェレッスンでなくちゃんと教室へ)。ピンインを覚える。師範大学の教科書10課から。文法も勉強し始めた。そり舌音が理解できた。夏に台湾で1週間の語学レッスンを受ける。中国のタイピング(ピンイン入力)を導入。メールを書き始める。

2010年

レッスンがちょっと中だるみし、中検に挑戦しようと思う。簡体字の勉強開始。文法詰め込み勉強で3級と2級を取得。英語がすっかり使えなくなる。

アウトプットはまだまだ訓練不足だと感じるが、会話中わからない単語があったときに聞き返したりできるようになってきた。以前なら「聽不懂」しか言えなかったのに。かなりの進歩だと思う。

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以上は2010年12月22日にアップした記事でした。
それから5年以上が経過したので、更にまとめておこうかと思います。

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2010~2013年

2013年4月まで、週に一回の個人レッスンに通い続けました。
教科書は師範大学の「実用視聴華語5」の途中まで進みました。

でも、教科書の4巻以降は内容がかなり難しく、週1で1時間だけのレッスンでは全く内容をこなせなくなりました。
2012年からSHERLOCKにはまってしまい、ひまさえあれば英語のセリフを読むようになってしまったことも、中国語学習が進まなくなった一因でした。

4年強個人レッスンを受けたことで、中検2級にも合格したし、日常会話もなんとなくできるようになり、新聞記事なども芸能記事程度なら流し読みで意味がわかるようにもなりましたし、友人にあててなら中国語のメールも書けるようになりました。

2014年~現在

レッスンを受けなくなったことで、教科書の勉強はストップ。
日常で中国語は、フェイスブックなどで台湾の友人たちが書き込んでいるのを読んだり、それにコメントしたり。
また、旅行先で使ったり。
時々思いついたように中検2級の和文中訳問題に挑戦したりしていますが、どんどん衰えてます。

さてこれからどうなりますやら。

今日は春節です。
中華圏の友人たちはみなお正月気分ですね。

そんななか、台湾の友人が今朝FBにアップしてた文章が面白かったので、訳してみました。
知らない単語や用語もあったので結構適当に訳してますが、久しぶりに中国語の練習になったかな?

趁春節回台的機會,幫一個旅居日本做生意快20年的客人處理電腦問題,順利解決了以後就開始聊了起來。他住在玉縣的●●附近,一個月房租只要5萬日圓。而他做的工作是在企業之間當中間人,處分一些過期資產,對於有這種工作感覺實在很奇妙,簡直可以當作某個作家的小說裡登場人物的工作了。

K君每天從玉縣開車出門,到日本各地的公司去處分已經攤提完畢的資產。有一天處理完事情以後,回到租屋處遇見就住在隔壁的房東先生,房東是在汽車製造商××在玉的△△工場上班的老員工,而他那天下午剛被公司資遣而提早回來。約好了隔天早上五點一起開車去湘南海岸的江之島釣魚以後,各自回到房子裡去。

其實現在的魚沒那麼好釣了,堅持不用智慧型手機的K君在電話裡對我說著。我其實並不想談釣魚這些事情,只是已經講了一個多小時的電話,到底要怎樣你才要掛啊~~~~~!!!! 我連你房東在哪裡工作都知道惹!!!!!!

翻訳練習
むりやり村上春樹っぽく書いたのでなんかよくわからないことになってます。

春節で一時帰国している顧客のためにコンピュータの問題を解決することになった。その顧客はもう20年も日本でビジネスをしている。順調に直ったあと、少し話をした。彼は埼玉の●●付近に住んでいる。月の家賃は日本円でたったの5万円。そして彼の仕事というのが企業の代理で償却の済んだ資産を処分するというもの。こういう仕事はなんだか奇妙な感じがする。まるで小説の登場人物の仕事のようだ。

K君は毎日埼玉県にある自宅から車で通勤する。日本各地の会社に出向き不要になった資産を処分するのが仕事だ。ある日仕事をすませて、自宅である貸屋に戻ると、すぐ隣に住む大家さんとばったり会った。大家さんは自動車メーカーの××の埼玉△△工場で長年働いてきた工員だが、その日の午後、会社からリストラされていつもより早く帰宅したところだった。
翌日朝五時に湘南江の島まで車を飛ばして釣りをしようと約束を交わし、それぞれの家に戻った。

今魚はあまり釣れなくなったんだけどね。いつまでもスマートフォンを持とうとしないK君が、電話で僕にそう言った。僕は別に釣りの話などどうでもよかったが、もう1時間もこうやって長電話している。いったいどうやれば電話を切ってくれるんだろう。僕は君の大家がどこで仕事をしているのかまで知っているのだが・・。。

「在企業之間當中間人,處分一些過期資產」ってどんな仕事だろう?
「攤提完畢」って「減価償却」かな?
「被公司資遣」って「リストラ」で合ってる?
会社をくびになること?

最後の一文字「惹」はどういう時に使うのかな???

今日は春節です。
中華圏の友人たちはみなお正月気分ですね。

そんななか、台湾の友人が今朝FBにアップしてた文章が面白かったので、訳してみました。
知らない単語や用語もあったので結構適当に訳してますが、久しぶりに中国語の練習になったかな?

趁春節回台的機會,幫一個旅居日本做生意快20年的客人處理電腦問題,順利解決了以後就開始聊了起來。他住在玉縣的●●附近,一個月房租只要5萬日圓。而他做的工作是在企業之間當中間人,處分一些過期資產,對於有這種工作感覺實在很奇妙,簡直可以當作某個作家的小說裡登場人物的工作了。

K君每天從玉縣開車出門,到日本各地的公司去處分已經攤提完畢的資產。有一天處理完事情以後,回到租屋處遇見就住在隔壁的房東先生,房東是在汽車製造商××在玉的△△工場上班的老員工,而他那天下午剛被公司資遣而提早回來。約好了隔天早上五點一起開車去湘南海岸的江之島釣魚以後,各自回到房子裡去。

其實現在的魚沒那麼好釣了,堅持不用智慧型手機的K君在電話裡對我說著。我其實並不想談釣魚這些事情,只是已經講了一個多小時的電話,到底要怎樣你才要掛啊~~~~~!!!! 我連你房東在哪裡工作都知道惹!!!!!!

翻訳練習
むりやり村上春樹っぽく書いたのでなんかよくわからないことになってます。

春節で一時帰国している顧客のためにコンピュータの問題を解決することになった。その顧客はもう20年も日本でビジネスをしている。順調に直ったあと、少し話をした。彼は埼玉の●●付近に住んでいる。月の家賃は日本円でたったの5万円。そして彼の仕事というのが企業の代理で償却の済んだ資産を処分するというもの。こういう仕事はなんだか奇妙な感じがする。まるで小説の登場人物の仕事のようだ。

K君は毎日埼玉県にある自宅から車で通勤する。日本各地の会社に出向き不要になった資産を処分するのが仕事だ。ある日仕事をすませて、自宅である貸屋に戻ると、すぐ隣に住む大家さんとばったり会った。大家さんは自動車メーカーの××の埼玉△△工場で長年働いてきた工員だが、その日の午後、会社からリストラされていつもより早く帰宅したところだった。
翌日朝五時に湘南江の島まで車を飛ばして釣りをしようと約束を交わし、それぞれの家に戻った。

今魚はあまり釣れなくなったんだけどね。いつまでもスマートフォンを持とうとしないK君が、電話で僕にそう言った。僕は別に釣りの話などどうでもよかったが、もう1時間もこうやって長電話している。いったいどうやれば電話を切ってくれるんだろう。僕は君の大家がどこで仕事をしているのかまで知っているのだが・・。。

「在企業之間當中間人,處分一些過期資產」ってどんな仕事だろう?
「攤提完畢」って「減価償却」かな?
「被公司資遣」って「リストラ」で合ってる?
会社をくびになること?

最後の一文字「惹」はどういう時に使うのかな???


今回台湾で陳昇のLIVEを見に行ったのですが、、がががが!その際にまたこのフレーズが飛び出しました。

 「妳的中文沒有進歩!」
(あなたの中国語全然進歩してないね)

がががーん。


http://blog.goo.ne.jp/travel_diary/e/d890517b92183e5e220b57af39ba0b41

思い起こせば、5年前、2009年の正月にも同じことを言われました。
コンサート後、友人がサインをもらいに陳昇のとこに連れて行ってくれて、そのときに何か話したんだけどぜんぜん通じず、そしたら「妳的中文沒有進歩!」と。

それで悔しくなったのと、そろそろどうにかせねばな~という気持ちとで、帰国してから中国語教室を探し、結果的に個人レッスンを受けることにしたのです。
4年間の個人レッスンで、私の中国語力はかなり向上したはずなんです。(といいつつレッスンやめてもう1年がたってしまいましたが)

が!今回また陳昇氏から同じ台詞が・・・・。
そりゃ、もちろん全く流暢にしゃべれないし語彙も少ないし、そもそも中級の入り口でうろうろしてる状態だし、ダメなのは分かってるけども、それでも5年前よりかははるかに進歩してるのにな~。
そこんところ分かってほしかったなぁ。
陳昇さんのためにせっせと中国語勉強したんだけどなぁ。
全然分かってもらえなくてがっかり。
しかも勉強する前と全く同じこと言われたのにもガックシ。

ことの詳細はこうです。

今回のライブの前の食事会では歌手の皆さんとも気軽に話せて写真なんかも自由に撮る時間があったので、我らも写真撮らしてもらおうと話しかけたんです。(上の写真のような感じ)

私:「こんにちは。今回は日本から4人出来ましたよ~。写真撮らせてください~」

陳昇:「●×●×●×●×フィリピン●×●×日本●×●×●×」

え?フィリピン?!何の話?

とパニックになっていると
「何だ?分からないのか?進歩してないな~」と先ほどのお言葉だったのです。

で、よほど重要な話なのか(そんなことはあるまい。これは経験的になんとなく分かる)、彼は同じ話をもう一度(少しゆっくり目に)話してくれましたが、さっぱり分からず。
お手上げとなりました。

一緒に写真をとった中国語堪能なBちゃんに聞くと、「先日フィリピンで、ボートで世界中を旅している夫婦と知り合い、その時に一緒に写真撮ったんだけど、また日本人と写真だよ」と言ってたらしい。
はぁ。「夫妻」とか「開船」とか多少音としては聞き取れたんだけど、意味がさっぱり分かりませんでした。

っていうか、こういう挨拶のときにそんな話するかな~~。
もうちょっと社交辞令的な、よく来たね~とかそういうこと言わないのかな?

・・・・・言いそうにない(涙)。

まぁ、だから陳昇であるともいえる。
普通では面白くない。
こちらが予測つくようなことを話してくるのでは陳昇ではないね。

でも、それでは一生かかっても彼の中国語(というか彼の話す内容)を分かることは難しいですね。
嗚呼!

お手上げです。

2

去年の春に「24時間中国語合宿」をやってくれた台湾の友人がまたやってきました。今回はお泊りでなく、夕食に遊びに来てくれただけでしたが・・・でもしばし「中国語漬け」の時間を過ごせました。

楽しかった!


(お顔にはモザイクかけてしまいましたよ。)

中国語レッスンに行かなくなってそろそろ1年がたつので、私の中国語もかなりあやしくなってきてるところ。いいタイミングで来てくれました。
お寿司の出前を取って自宅でゆっくりおしゃべり。
早速「寿司」の発音矯正が開始されます。

繁体字だと「壽司」。
うろ覚えのまま「ショウスー」と発音する私。
ショウの「ウ」の部分でしっかり口をすぼめなさい。
「スー」のところは、上と下の歯を合わせて唇は横に開いて「すー」と発音しなさい。

彼女の発音だと、shou4 si1って感じなのかな?

「公司」のsiなんだけど、日頃ちゃんと発音できてなかったみたい。
shouは、痩せるの「痩」と同じ発音って話で、この言葉よく使ってるんだけど、発音全然違ってたわと反省。

その後もずっと中国語でおしゃべり。
私はやっぱり単語がすらすら出てこなくなってて、ところどころ英単語になっちゃったりとか、ふがいない。

彼女の頭の良さは相変わらずで、私と夫が日本語で会話してるのに「うんうん」とうなずいたりして、理解してる・・?!

帰る前に「不老騎士」の主題歌の意味を解説してくれました。

《不老騎士》主題曲《路途》
作詞:林祐丞、陳昇
作曲:林祐丞、陳昇
演唱:新寶島康樂隊

聽到天邊的風啊吹啊吹
吹來吹去吹到我的心肝底
在這個撩亂繁華的世界
好佳在有你陪我走一趟

看到天邊的月娘啊掛在那
騎車繞啊繞過了半屏山
忘記了已經辛苦了一輩子
只想要看到明天的日頭赤炎炎

Oh Hey~ 風雨我不驚
Oh Hey~ 路難走也要走
Oh Hey~ 日頭要下山
Oh Hey~ 有你來作伴
忘記了已經辛苦了一輩子
只想要看到明天的日頭赤炎炎

告別了漂泊的青春 我陪你走天涯
為什麼我心內猶然酸酸
我所愛的人 你在哪裡
天邊的白雲啊
你不要笑我傻
她有在夢中跟我說
我所愛的人在前方

聽到天邊的風啊吹啊吹
吹來吹去吹到我的心肝底
忘記了已經辛苦了一輩子
只想要看到明天的日頭赤炎炎

<超超意訳>
風の音がする、吹いて吹いて心の中まで吹いてくる。
そのがやがやとした世の中だけど、
お前と生きてこられて幸せだった。

まあるいお月さんが天に輝く
オートバイで山をくねくねと走っていくと
辛かった一生はもう忘れた
ただ、明日のお天道様を拝みたい。

Oh Hey 雨風も恐れない
Oh Hey 悪路でもただ走る
Oh Hey 日が沈む
Oh Hey お前といっしょに行こう
辛かった一生はもう忘れた
ただ、明日のお天道様を拝みたい。

不安定な青春の日々に別れを告げ、
お前と天の果てまで共に
なぜか心はまだ痛む
愛するものよ、いったいどこにいる?
空に漂う雲よ
俺を馬鹿だといって笑うな
夢の中で彼女が話しかけてくれた
愛するものは前にいる

風の音がする、吹いて吹いて心の中まで吹いてくる。
辛かった一生はもう忘れた
ただ、明日のお天道様を拝みたい。


彼女が持ってきてくれたお土産。
コーヒー味の梅、美味しかった。

ミーティング、観光のあと一旦ホテルに引き上げ、夕食の時間までしばし自由時間。

夕食は台湾料理の店を予約してあるとのこと。
私が日本側メンバーを迎えに行きタクシーで会場へ。
10人くらいの会食でした。
ここではひたすら親睦を深めます。
私もつたないながらも通訳をかってでて、場を盛り上げました。

二次会は日本風のスナック。
おそらく、日本人のおじ様方をもてなすための配慮だったのではないかと思います。若い女の子たちも呼ばれて(とは言っても水商売の人ではなく、スタッフや友人たち)お酒の一気飲み大会など荒っぽいもてなしが続きました。

おじ様方はほとんどつぶれてしまい早々とタクシーでホテルに。

私は大して飲まなかったし、酔うどころではなかったのですが、なかなか興味深い体験でした。とりあえず最後まで付き合って夜更けにホテルに帰りました。

ひょっとして酔いつぶすのがもてなしなんだろうか??
「とことん」というのが大事なのかな?
などと考えさせられました。
うーんよくわからない。

私としては自分の好きなアーチストと夜中まで一緒に飲めたので、満足満足。

昼間のミーティングより夜の付き合いのほうが大事なのかも?
そう思えた出来事でした。

秋。
「一度台湾に行かないと話が進みませんね。YOKOさんが次に台湾に行かれるのいつですか?そのときに一緒に行って打ち合わせをしたいんですけど・・・」

と、●●●氏のマネージャーから申し出があり、予定をあわせて台湾で打ち合わせを行なうことになりました。

ちょうどそのころ私はコンサートを見るために、友人と高雄、台中、台北を移動する旅行を予定してました。
日本側の方もそれにあわせて台中に来るとのこと。
台湾のコンサートも見ておきたいしってのもあったみたい。

台湾のMに伝えると「じゃあ、その人たちのチケットを用意しとくから、ついたら電話頂戴」との返事。

チョットマテ、私のチケットは無しですか・・・?

(冗談です。私はとうの昔にチケット買ってましたしね。)

コンサート会場近くで日本側のマネージャーさんたちと合流し、食事をご馳走になりました。
そしてMに連絡。

コンサート開演前の楽屋で初顔合わせすることになりました。
私は何でこんなことしてるんだろうか?
と内心思いつつも、双方を紹介する役目になっていました。
そのコンサートは複数歌手のジョイントだったので、楽屋には他の歌手もいました。そちらの皆さんに会えたのも嬉しかった(役得だ!)

無事挨拶は終わり、翌日台北でミーティングをすることを確認してその日は解散しました。

翌日。
一足先に帰国する友人と別れ、一人台北に向かいました。
ホテルにチェックインした足で、日本側のマネージャーさんたちの宿泊ホテルへ行き、なんだかんだと台北の町を案内しつつ、ミーティング会場へ移動。観光ガイドか?!

ミーティングの場には日本語話せる人もいるらしいし、私はこれ以上の深入りはやめようかなと、参加する気はなかったのですが、やっぱり同席してほしいとのことで、結局私も参加することに。

ミーティングは、コンサートの主催会社(■■のプロダクションとは別の会社)の事務所で。
これが、うちの会社と似たような雑然とした会社で、応接室もなく多分社員がお弁当食べてるだろうな~というテーブルで買ってきた紙コップのコーヒーのみながらの顔合わせ。

なんか、南国。

日本からは、●●●氏のマネージャーとコンサート運営会社の方2人。の計3人。台湾側は■■のマネージャーMとコンサート主催会社の担当者2名とあと何をしているのかわからない日本語の話せる女の子。(多分友達かな。日本語要員として借り出された印象)

ミーティングは拍子抜けするほど簡単に終わりました。
結局顔を見ればそれでいいのかな?
と思いました。
うーん、よくわからない業界。

そのあと、コンサート会場のホールを下見し(私もはじめてステージとか舞台裏を見た!)台湾側の接待で観光101に上ったりしたあと、夕食の約束をして一旦解散。

私はこのころになると、気分もずいぶんほぐれてきて、「キチンと」やる必要はないんだな。こんな風にゆる~くやっていても進んでいく仕事なんだな。
と、だんだん楽しめるようになってきました。

こんな経験もう二度とないだろうし、こうなったらとことん楽しもう。

第一回面談の後、ほどなくして私は別件で台湾へ行きました。
Mに会って、内容を再確認したり、■■氏から●●●氏に渡してほしいとプレゼントをことづかったりして帰国。

●●●氏の事務所の方にも再度お目にかかって、あちらの関係会社の方と食事したり、イベントにお招きいただいたり、なんだかんだで、時間が過ぎてしまいました。

条件のやり取りは、だいたいOKで、バンドの人数だとか楽器はどうするとか具体的な話も出始めましたが、肝心のスケジュールがいつまでたっても押さえられません。

日本側もどうなるかよく分からない話にあまり前のめりにはなってくれませんし、台湾の方もマイペース。
中に入った私は胃の痛い思いをして過ごしていました。

ここには詳しく書けないけど、業界の違い、国の違い、でかなりやきもきさせられました。
スケジュールを一旦決めたのに「勘違いしてた」とか。
え~考えられん!

でも完全に手弁当でノーギャラでやっていたので、病気にはならずにすみました(笑)。
「私これ仕事じゃないし。」
「手伝ってるだけだし。」
「そもそもただのファンだし。」
とl心の中で自分に言い聞かせて精神のバランスを保ってました。

なんだかんだで、具体的なスケジュールが決まったのは翌年の秋のことでした。

会社に半休もらって、面談のため大物歌手事務所へ。
こんなこと用の名刺なんて持ってないので、仕事の名刺に個人のメアドと携帯番号を手書きで書き込んで持参。
また、今日は第一回顔合わせだから、台湾の依頼主がどういう人物かを紹介するため、関連するCD、本、雑誌、DVDなどを持っていきました。

約束の時間丁度に事務所を訪ねました。
個人事務所だから、こぢんまりしてる。
初めてこんなところに足を踏み入れるよ!
靴を脱いで上がるところだった。

応接間に通されて担当者と名刺交換。

挨拶もそこそこに、あちらから
「実は、今年の春に台湾に行ってきたんです」
とその歌手の記事が載った台湾の新聞を見せられた。

え?もうすでに台湾でコンサートやってたの?
もしかして?

と思ったけど、そうではなく、講演会に呼ばれたのだそうだ。
なるほど~。

「台湾の印象はいかがでしたか?」
などと言うところから、会話もけっこう弾みだした。

こちらも準備してきた資料を見せながら、私なりに台湾側代表としてのプレゼンを行い、またどうして私みたいな素人がこうして代理人を勤めているのかについても説明。

一番つかみがよかったのが、その歌手の曲を台湾のロッカーがカバーして、大きな野外コンサートで演奏しているDVDでした。
あれをみたら、その歌手の関係者は感激するのでは?
(権利関係は知りませんが・・・・^^;)

あちらからも、最近の活動についてとか、仕事を請ける受けないと決める基準などの話がありました。具体的に金額そのほか条件の提示もあり、かなり話としては明確になったと思います。

提示された金額が高いのか安いのか、私には見当もつきません。
でも、それを心配するのは私の役目ではないので、このまま台湾側に伝えて考えてもらうことにします。

というかこの条件すべて訳すの?私??!!
ぎょえ~。できないっつーの!

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なんとか、要点のみ訳して、台湾へ連絡。
まず第1段階突破に、大変喜んでくれました。
さて、どんな展開になるのでしょうか?

アポが取れたことを台湾へ伝えると向こうは大喜びでしたが・・・。
私はかえって緊張。
私がちゃんと伝えないと、まとまるものもまとまらないかも。
プレッシャーを感じてきました。
とにかく準備できるだけしとこう。
自分で安心できる程度の下準備をして、面談にのぞもう。

そこで台湾へ送った問い合わせメール

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dear M

我連絡上了"●●"先生的公司.
下禮拜三要見面.
妳可以寄給我妳們公司的基本資料嗎?
我對妳們公司不知道多少.

他們說●●先生有可能性去台灣演出.
所以想知道妳們的計劃和演出條件等等.

請快回信
謝謝

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「我對妳們公司不知道多少」
ってこんな中国語あるのかな?
「あなたの会社についてあまりよく知らない」
と書きたかったのですが。

その後、Mとはチャットなどもしながら、
できるだけの資料を送ってもらい、こちらの疑問点を解消しました。こちらの希望は「台湾でコンサートを開いてほしい」というシンプルなものなので、比較的最初の話は難しくはないはず。

以前台湾の会社と化粧品を作ったときみたいなわくわく感を感じ始めました。


一応台湾側のやりたいことなどわかったので、日本のその大物歌手の事務所へ恐る恐る電話してみます。

  「ハイ、株式会社××でございます。」

  「あ!私、YOKOと申しますが、そちらは歌手の●●●さんの事務所でしょうか?」
   ※ホントはちゃんと本名を名乗りましたよ

  「ハイ、そうですが?」

  「あの・・お仕事の依頼などもこちらのお電話でよろしいでしょうか?」

  「ええ、こちらでお受けしております。」

やった~!
これで交渉できるぞ。
結局その日は、担当者が不在とのことで、内容を文書にまとめてFAXで送ることにしました。
簡単に自己紹介と台湾からの依頼内容をまとめてFAXしました。

その翌日、私の携帯がRRRRRR~。
出てみたら、昨日は不在だった担当者の人。
とても物腰やわらかな感じで、ちゃんと話を聞いてくれる。
ひとしきり、こちらの趣旨を話した後、

「で、●●●さんに台湾でのお仕事をお願いできる可能性はありますでしょうか?」

と聞いてみると、結構いい感触。
で、一度会って話すことになりました。
うわ~、どんどん展開するぞ!

アポは4日後です。
キンチョーする!

とりあえず、4日後会社に半休をもらいました。


FBで台湾の人が書いていた「如火如茶」という言葉。

「火のごとく茶のごとく」とはどんな状態?
と思ったら・・・ホントは「茶」ではなく「荼」と書くべき文字だそう。
勿論読み方もcha2ではなくtu2なのだとか。
上の画像の花の名前です。

こちらのブログで教えていただきました。
勉強になりました。
中国語 あれこれ講座

ちなみに原文は、陳昇のベーシストのイーウェンちゃんが書いてたもの。
「老老恨如火如茶地練團ing...」

老老恨というのは、陳昇のバックバンド「恨情歌」の前の前のメンバーという意味ですね。

「メンバー勢ぞろいで盛んに練習を繰り広げている・・・」

今の「恨情歌」
前の「恨情歌」は「老恨情歌」
そしてその前のが「老老恨情歌」つまり第一次「恨情歌」です。
一緒に載せられていた写真には、小傑、家駒、CHICHIなどの姿がありました。これは期待大です!
楊老師や小伍も参加してくれたら夢のようです!

多分所属事務所くらいは調べればわかるだろうと思い、気軽に「OK」とこたえてみた。
実際ネットで検索したら、所属事務所の住所電話番号はすぐにわかった。

しかし・・・

一度断られている話を、再度頼みに行くのならちょっと準備も必要ではなかろうか?
第一、わたし自身、Mがいったいどういうことをしたいのか、まったくつかめていないし・・・。

改めて、Mに確認した。
いったい何がしたいのか?
台湾でその人のコンサートを開きたいのか、それともその人と知り合いになってCDを一緒に作りたいのか、日本に来るのか?台湾に呼びたいのか?

つたない中国語で一生懸命作文して、Mにメールを送る。
何がしたいのかがわからないと、作戦の立てようもないし。

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我上網查了●●●先生的公司電話號碼.

我可以幫妳們打電話問問.
我想先問妳為什麼把●●●先生來台演出?
1.妳們有什麼樣的計畫?
2.那是工作嗎?還是想跟他認識而已?
3.妳們想把他到台灣來還是在日本跟他講話?

我覺得妳們被拒絕過一次,這次也不簡單.
所以我想了解妳們的意思
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ひどい中国語だけど、当時の中国語レベルでの必死の作文です。
今見るといろいろ直したいところある・・・。

「查了」じゃなくて「查好了」の方がいいよなぁとか。
「把」じゃなくて「邀請」使わなきゃ。

それにきた返事

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附件是我之前給●●●先生公司的mail
但是我不知道他們有沒有看過
信件上的時間及一些問題需要更改
但是大意上是這樣
請你先看看
我們希望明年可以邀請他來台演出
如果他對於我們有些疑慮
我們也可以先和他們交朋友...如果他們願意的話啦...
大致上就是這樣
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このメールに日本語の手紙が添付されてきていました。
それを読んで大体のことはわかりました。

では、大物歌手の事務所へ電話してみましょうか。
ドキドキ!


(諸事情により伏字いっぱいの記事になっていることをお許しください)

事の発端は、台湾の■■氏に向けて毎年送ってるバースデーカード。
その年は中国語を習い始めたし、中国語で作文してみた。

11月頭、台湾の美●から、■■氏のマネージャーであるMが私と連絡取りたいといってるとFBで連絡。
知らされたメアドにメールを送ってみる。
その返事には、私のバースデーカードを見たこと、中国語が上手になってて驚いたこと。そこで折り入って頼みがあること。
などが書いてあった。

その頼みとは・・・

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Dear YOKO:
好久不見!因為你寄來的生日卡,我才發現你的中文超好...
讓我想到或許可以請你幫忙
我想要找一位"●●"先生,來台演出
之前是透過台灣電視圈的朋友邀請他
但是被拒絕了
原因是他沒有海外的演出計劃
不知道是不是能請你幫忙連絡上他的公司或是經紀人
而有機會可以讓我們介紹■■和他們認識呢?!

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日本のとある大物歌手●●氏を台湾に招聘したい。
というものだった。
前にも台湾のTV業界の人を通じてオファーしたものの断られているとのこと。

その人の会社かマネージャーに連絡取れないだろうか?
で、このことを話してもらえないかな?

そういうお願いだった。


女神陳綺貞,演唱到歌曲「All along the watchtower」的時候,她除了跟女BASS手繞足全場外,還上演女女吻!讓全場觀眾情緒陷入沸騰。


陳綺貞大突破!演唱會現場上演女女吻戲碼

「大突破」ってこんなときに使うんですね。
おもしろ~い。
ちなみに、このチアチェンコンサートでベースを弾いている彼女は、陳昇のバックでもベースを弾いています。
可愛いですね。

先日友人の友人の友人の台湾人が来日して居酒屋で飲むというお誘いがあり行ってきました。
会場は銀座の居酒屋。銀座なんて久しぶり!

参加者は、うちの夫婦と友人、台湾人親子(20代と50代)、友人の友人であるシンガポール人の6人。
またまたインターナショナルな集まりとなりました。
使用言語は大体中国語(マンダリン)6割、日本語3割、英語1割といった感じで、台湾人親子は台湾語で話しをしていました。

でも今回の中国語会話は非常にハードルの高いものでした。

・20代の台湾人女の子は、いわゆる最近の若者言葉で、早口なのと発音がはっきりしない(ように聞こえる)のと、通じないと途中から英語になってしまうのだけどその英語がまた慣れないという・・・

・お母さんの方は年齢はわたしたちに近いものの、南部の人なので思いっきり台湾国語で、簡単な単語がなかなか聞き取れませんでした。これは慣れの問題だと思うけど。

・シンガポール人の中国語は台湾の人とはやっぱり違うので、これも慣れの問題かもしれないけどなかなか聞き取れなかった。

特にお母さんの話す南部のいわゆる台湾国語(タイワングォユィ)~台湾なまりのマンダリンのことです~は、洗礼を受けた気分でした。
いままでも台湾国語はずいぶん聞いているはずなんですけど、ちゃんと中国語を勉強したあとで聞くと、かなり台北の言葉と違うんだなぁと感じました。今までは聞いたことあるといっても、お店の人だったりタクシーの運転手さんだったりで、こんな風に長いこと話し込むというわけではなかったし。
ほとんど初めての体験といってもいいくらいでした。

まず「学校」という単語が聞き取れませんでした。
xuexiao~シュエシャオ
という発音の言葉ですが、ほとんど「せーさお」に聞こえるんです。
中学は「ぞんせー」。
慣れるまで何のことかさっぱり分からず、あちらもなんでこんな簡単な言葉が通じないんだろう?という表情で焦りました。

謝謝 xiexie~シエシエ を 「シェーシェー」と発音するのは日本人だろうと思っていたら、見事に「せーせー」という発音でびっくりしました。

まだまだ奥深いです。
台湾。
今度、南部に行って、じっくり勉強したいと思います。

というわけで、会話の継続は結構厳しいものがありましたが、
それでも人柄がいい人たちだったので、楽しく和やかに会は進みました。

途中で、歓迎の意味で台湾語の歌を歌う流れになったのですが・・・・
歌詞を覚えていなくてボロボロでした。
いつもはカラオケで歌詞が出るのを歌ってるからね。

こんなときのために、各国語でちゃんと歌詞を完璧にした鉄板の歌を用意しておくべきだな~と思いました。

ちなみに、私が歌おうとしたのは「純情青春夢」です。
お母さんも知ってる歌で、歌詞はボロボロながらも一部一緒に歌えてよかったです。

潘越雲 純情青春夢

981004 陳昇 信義誠品-新書簽唱會 part-1(純情青春夢)

この動画は、振栄クンのギター1本で歌うバージョンです。


今日まで台湾の友人が桜を見に来日していました。
そして一昨日うちに遊びに来てくれました。
うちの諸事情もあり1泊で。
他の日程は、東京のいろんなホテルに泊まったようです。
カプセルホテルも体験するんだ!と言ってました。何気にカプセルホテルは人気のようですね。

夕方、私の会社の近くで待ち合わせして、一緒に家まで帰りました。
家に荷物を置いてから、スーパーに買い物に行き、夕食を作って食べ、夫も交えて夜中まで話し込みました。

翌日は私も仕事を休んで、デパ地下で花見弁当でも買って近所の花見スポットに行こうと思ってました・・・・が!
翌日は、雨、そしてものすごく寒くなりました。
結局、一日家で過ごすことに。

少しゆっくり目に出勤することにした夫のお手製朝ごはん(↑写真)を食べた後、お茶飲みながら家でのんびりしつつ喋りまくり。
お昼過ぎに、「お腹すいたね~。うどんでも作るか」
と簡単なお昼を作って食べ、またその後はしゃべりまくり。
やっと雨も上がった夕方、今夜は浅草に泊まるという彼女を駅まで送りました。

夕方6時過ぎに待ち合わせ場所で会ってから、翌日夕方6時半ごろ駅に送っていくまで24時間(睡眠とお風呂などの時間を除いても15時間)は中国語会話してたことになります。特に夫が仕事に出かけていた時間は、丸々朝から夕方まで、マンツーマンでしゃべりっぱなし。

いつも中国語レッスンに行って1時間中国語を話しますが、それをぶっ通しでやったような充実感と、半端ない疲労感でした。
彼女は疲れなかったのかなと心配になりましたが、彼女にとっては母語だから私ほどの疲れはないかも・・・(笑)他の疲れはあったかもしれませんが。

友人はテレビのナレーションの仕事をやるほど、中国語の発音がきれいで、また初学者にも分かるようにゆっくり鮮明に話してくれます。
中国語習いたてのころから、彼女と話すとよく聞き取れるので、すごく上達したような気分になってました。それは、今でも変わりませんが、彼女の方が相手のレベルに合わせて語彙や発音をアレンジしてくれるからなのですね。

また、彼女は日本語が分かりませんが、それでも日本人同士で話してる会話の内容をよく推測して、話についてきます。
ほんと頭のいい人だなと感じます。

発音矯正や語彙の選択など、中国語レッスンぽい話題もたくさん出たから、録音しとけばよかったな~。もったいなかった。

今回厳しく発音矯正が入ったのは
「jiao」の発音。(教,腳,焦 など)

「炒焦」とか繰り返し発音させられました・・・・難しかった。

そのほか、「合算」と「划算」意味はほとんど同じだけど、「划算」を使うことのほうが多いとか。

他にもたくさんあったのに、話すそばから忘れてる・・・
やっぱり録音しとけばよかった。

ほかにもたくさんの話題がでました。
彼女の仕事の話、旅行の話、特にLCC格安航空会社の話とか。中国語では「廉價航空」とか言ってたかな。ヨーロッパのLCCに乗った話。
普段どこのサイト使ってホテルの予約してるかとか、旅行の情報交換もいろいろ。あとは、スマホのアプリ情報とかもすごく詳しいのでいろいろ教えてもらいました。

たまに泊まりに来てくれると、中国語の勉強にもなっていいなぁ。
まさに中国語合宿。
またやりたいです。
次はいつ来てくれるかな?


土日はセンター試験でした。
受験生の皆さん、寒い中お疲れ様でした。
私も、はるか昔に受けた共通一次を思い出しつつ、新聞社のサイトで問題をダウンロードして挑戦してみることにします。

まずは、中国語から。

毎年思うけど、面どくさい問題が多い。
中国語検定2級よりかなり難しい。

自己採点で去年は141点でしたが、今年は144点でした。
問題の難易度もあるから、横ばいって感じでしょうか?
間違えたところの確認をしておけば、勉強になるはずなので、あとでやっておこう。

後日、国語、地理、英語にも挑戦してみます。

今日は友達の働く靴屋さんへ行って、足のサイズを専門の機械で細かく測ってもらい、あう靴を探してもらいました。サイズは25センチでした。いつも大きめの靴をはきすぎていたことがわかりました。25・5とか、26とか!
もっとピッタリした靴を履かなくちゃいけないのですね!
勉強になりました。

写真は、居酒屋のカウンターで飲みながら問題といてるとこ。
大人ならではの余裕?!

相聲瓦舍
http://youtu.be/pDdzqqRPeqc

前回の続きを聞き取りしてみました。

如果你當被菲律賓人收養?
那?
太太要不要買醤油?
等會等會,怎麼會變了太太呆呆
你現在變菲傭啊!
如果你當被泰國人收養?
那?
sawadee~~
就是泰文啊!
太太要不要買醤油?
怎麼又變了太太呆呆
你現在就是泰勞了。
不一定吧!你不能就說一點好的嗎?
好的。
啊!
如果當年西藏人收養?
那?
那你現在就是小秦少卿仁波切。
不至於吧!
如果你當被阿扁收養?
那?
那你現在就已經坐過空軍一號。
這有什麼好的?
如果你當被小馬哥收養?
那?
那你現在還可以續坐空軍一號。
我○○可不可以不要啊。
如果你當被賓拉丹收養?
被誰?
那你現在可以擁有好幾台空軍一號。
為甚麼?
你是恐怖分子,你可以jiexi劫持全世界的空軍一號。

赤文字は、教えてもらったあとのものです。

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劫持  脅して奪う=ハイジャックするという意味らしいです。
菲傭 台湾の一般家庭で働くフィリッピン人のメイドさん(女性)
泰勞 台湾に出稼ぎに来てるタイ人の労働者(男性が多い)
仁波切 チベット仏教上の「リンポチェ」
阿扁 陳水扁元台湾総統
空軍一號 総統専用機
小馬哥 馬英九現台湾総統
賓拉丹 ビン・ラディン
恐怖分子 テロリスト

相聲瓦舍 太太要不要買醬油

いま中国語レッスンで使ってる教科書の中に「相聲」という言葉が出てきました。
「相聲」というのは漫才のようなものです。
日本の今の漫才よりももっと伝統的で、文化の香りもするインテリが好きそうな感じの芸能です。そうだとすると、漫才というより落語に近いかもですね。

台湾で人気のある若手相聲チーム「相聲瓦舍」の比較的短くて簡単な動画を先生に紹介してもらいました。

こういうの初めて見ました。
台湾の人ですが、とても発音がきれいで教科書みたいです。
相聲は大陸から伝わったもので、マンダリンでしかやらないそうです。
だから、台湾では相聲を聞く人は若い世代やある程度教育を受けた人たちなんだとか(台湾語でやらないので、古い世代には受けない)

「相聲瓦舍」って相聲「チーム」なんですよね。
メンバーが何人もいるようなんです。
そういう意味では劇団みたいな感じかも。

でも彼らの動画をいろいろ見ていたら、やっぱりありました。
台湾語でやってるのも。
きっとこれから変わっていくのでしょうね。

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字幕がないので、かなりの部分が聞き取れませんでした。
で、しつこく10回くらい見て、あと先生にヒントをもらって、少し理解できました。

人は生まれながらにして言葉をしゃべるわけではない。
言葉を教えられるから、話せるようになるのだ。
今中国語を話しているのは親が中国語を話しているからだ。
アメリカ人に育てられれば、今頃英語を話してるし、フランス人に育てられれば、フランス語を話している。
じゃ、フィリピン人なら?
タイ人なら?
(ここで台湾で働く両国人のモノマネが入る。)
出稼ぎの人じゃなくてもうちょっといいところで育てられたい。
じゃ、チベット人なら?
アメリカ大統領なら?
ビンラディンなら?

と続いていきます。

ちゃんと、ディクテーションしてみようかな?
多分50%くらい聞き取れるはず。

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人類的語言,親耳養生○進而衍生成文字。
文化○○(常成?)傳承才有了根據。
說得好!
但是,人類並不是天生就會說話。
有人教。
誰教?
爸爸媽媽,或是任何小孩帶大的人教。
你的意思是...?
何必好比說你吧。你現在說的是中文。
那是因為我爸爸媽媽都說中文。
如果不幸當年你是○○棄嬰。
真是不幸。
被美國人修養收養
那?
你現在就說的是英文了。
這哪有不幸?這很榮幸啊!
如果你當被法國人修養收養
那?
你現在說得法文了。
那也很好啊。

何回聞いても聞き取れないものは聞き取れません。
誰か教えてください・・

※ネットで質問しておしえてもらったところを赤文字修正してます。