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こんな記事を見つけました。
凸版印刷が、江戸時代のくずし字を読み取る技術を開発実用化したというもの。

凸版印刷、くずし字翻刻を手軽に公開~OCR技術を応用し、誰でも容易にくずし字で書かれた歴史的資料にアクセスできるWebビューア「ふみのは」を開発、多言語対応により外国人への日本文化紹介にも活用~

古文書読むの大変だと思っていたら技術革新はすごいですね。
でもきっとこれでも読みこなせないものがあるはずで、そこはやはり古文書を学ぶ意義があるはずです。また古文書を読む中で、その時代の文化や社会の有様も知識として持つようになる、むしろその部分が機械にはできないことでしょうね。

さて、ここからが本題なのですが、先日ある高校の国語の先生と話すことがあり、英語教育の話になりました。

彼が「小学校から英語教育なんて必要ない。というか学校で英語教えなくていい。現代は技術が進んで、英語がわからなくても翻訳機などでコミュニケーションはとれるから不自由はない」と言っていました。

へ~。教育の現場にいる人はそういう風に考えてるのか。
国語教師なのに?
と、とても驚きました。
と同時に、その考えがとても危険なものにも感じました。

いつだったか、京都府の中学校の英語教師にTOEICを受験させたら、2割しか730点(この点数は英検準一級レベルで一応の合格ラインとして設定したのだそう)に達しなくて、最低点は280点だったとか。というニュースがありましたが、その先生たちが英語をコミュニケーションのツールとして使っていないことを如実に物語る結果でしたね。TOEICで測れる英語力云々という議論もあるでしょうけど、280点はないですよね、真面目に受けてないのかな?

きっとその国語の先生も、英語で実際に外国人とコミュニケーションとる機会がないのではないでしょうか?先日の「嫌韓」の時にも書きましたが、外を知らずに日本の中にだけいて、自説を振りかざしている人が、今の日本にあって意外に多いような気がします。

英語の本を読むとか、いよいよ困って英語で意思の疎通をしなければならないなんて言う時に翻訳機は便利です。私も、インターネットで外国語のサイト読むときにはしょっちゅう使っています。

よしんば、超小型翻訳機を常に携帯できる時代になり、日本語で会話するスピードと同じように外国語でも疎通できるようになったラそりゃ便利でしょう。
でも、外国語を知ることで日本語を客観視したり、外国語の奥行きを感じることは、外国の文化の存在を知ることになる機会は失われますね。外国語を勉強することは自分の可能性を地球規模に広げることになるのにもったいない。

英語の教育の仕方や、小学生から始めるのがいいのかどうか、細かいことは私にはよくわかりませんが、学校で教えず校外の学習でいいとは思いません。それこそ、経済格差が如実に表れてしまいますね。

それと、今の学校教育の疲弊がそこに現れているのかもしれませんね。
先生辛いのかな。
ついでだから書くと、私の友人で高校教師をしてる人がいますが、死ぬほど多忙です。
部活の顧問を運動部と文化部それぞれ掛け持ちして、私立だから土曜も授業あるし、日曜はだいたい遠征や演奏会、練習、コンクールと恐ろしいまでの連勤。合宿、校外学習の引率も長期休み中に何件もあり、運動部では毎回子どもがケガをするので病院にも付き添い・・・何年もそれが続いています。311の時も合宿引率中で、相当大変だった話を聞きました。部活の顧問は先生にさせない方がいいのじゃないでしょうか?恐ろしい労働環境ですよね。

9日は、去年亡くなった同級生の誕生日だった。
朝起きてカレンダーを見て、
あ、今日は彼女の誕生日だと思った。
誕生日を覚えている数少ないうちの一人。
学校卒業以来、直接会って祝うことはなくなったけど、
何年も会わない時期でもカードだけは送っていた。
メッセージを送らないのもなんだか変な気がしたので、
ご主人と娘さんにそれぞれ簡単にメールを送った。

娘さんからは
「朝、お母さんにおめでとう言うの忘れちゃったから、学校から帰ったらいうつもりです!」
と返事が返ってきた。
ご主人からは後日、
「ケーキを買って帰り、娘とHappyBirthday♪を歌っちゃいました」
との返信があった。

そうなんだ、亡くなったあとも誕生祝をすることは自然なことなんだろうなぁ。
命日は命日で厳かなものだとは思うけど、
やっぱり身近な人にとっては誕生日こそお祝いしたいものかも。
私でもお祝いメッセージ送りたいって思ったもの。

メッセージを送ったのがきっかけで、少し会話が続いた。
娘さんは高校3年生。
受験生だけど、成績が追い付かないのをお父さんは心配している。
「こんなとき、彼女がいたら上手に娘を鼓舞できるだろうに」
とちょっと弱気になってる。

娘さんの方に、それとなく受験のこと聞いてみる。
少し焦りはあるみたいだけど、それほど悩んでいないみたい。
そこがお父さんの心配の理由か。
でも
「部活終わったらがんばる!」
ってメールで宣言してた。

彼女だったら、きっとその気持ちを尊重するだろう。
それに、私も高校生の時そんな感じだった。
そんなわけで、
「部活引退までは部活がんばれ、勉強は夏から頑張っても間に合うよ」
と返信した。
はなはだ無責任な発言だけど。
その話を夫にすると、
「無責任なこと言ってくれちゃ困る」
って夢枕に立たれちゃうかもよ、と冗談混じりに言われたけど。

でも、ほんとのところ友人からは
「あの子、しっかりしてるから大丈夫なんだわ。YOKOさん、応援ありがとーねー。」
って言われる気がする。

友人夫妻は同じ大学出身(私も)、
娘さんも同じ大学に行きたいと思ってるみたい。
そうなったら、私もうれしいなぁ。

今年のGWの後半は5連休だった。
去年は福岡に行って実家にも帰ったのだったっけ。
今年は、5月後半が忙しいから、5連休を家にこもって過ごした。
洗濯掃除いつもの倍くらいやった。特に掃除は普段しないので^^;

5日間でやったこと。
・近所のホームセンターに通って花の苗を買い込んで植えた。
・夏目漱石三部作読んだ(本当はオーディオブックで聴いた。土いじりしながら)
・欲しい苗を求めて徒歩圏の花屋めぐり。
・図書館で明治期の地図見たり、「ひよっこ」時代の東京の写真集見たり。
・化粧ブラシを洗った。
・裾のほつれを繕った。

家にいるのは楽しい。
旅行好きだけど、家にいるのも同じくらい好きだなぁ。

金曜:職場早退、掃除、貸布団受け取り、深夜の居酒屋で弟と姪に合流。

土曜:朝食づくり、送り出した後、SHERLOCK4第一話「6つのサッチャー」鑑賞。字幕なしで流して1回、英語字幕つけて一時停止しながら1回。今回も凝りに凝ってる作品だ。夕食は近所のステーキやさんへ。お店の人に血のつながりを指摘される「こちらの3人は顔が似てるからご親戚かなと思っていました」やはり似てるのか。姪は原宿、渋谷と満喫したらしい。弟は上野の科学博物館に一日いたらしい。

日曜:朝食は夫作の豪華版。なのに「おまえら、感動薄いぞ」。
姪は今日は池袋に行くらしい。怖いもの知らずの15歳。夫が財布にあった現金を全部小遣いとして渡していた(太っ腹...)弟と少し話をする。地震の被害について、その後の家庭崩壊の危機について。今は何とか乗り越えて新しい段階に入ってるらしいが。これまでかなり疎遠にしてきたし、あまり根掘り葉掘り聞くのもねという気分にもなる。(きけば批判がましくなるし、それも避けたい)まぁ、自分たちで頑張るしかないものだし。近所を散歩しつつ弟を駅まで送る。弟の白髪も増えたなぁ。

二人が出て行って、静かになった。
ベランダに植物を入れよう。
ホームセンターで草花の苗を20個ばかり購入。植えつけ。夕食は肉骨茶。ニンニク攻撃を受けてぐったり。合間合間でオーディブルで夏目漱石の「それから」を聞いている。当時の読者層を想像している。

今年の5月は後半にイベントが集中しているので、GWはのんびりベランダのガーデニングでもしていようと思っていました。
そうしたら、次々に来客の予定が。

まず第一弾は、熊本の弟と姪っ子。
姪は、いま「歌い手さん」とやらに夢中らしく、そのイベントが東京であるのに合わせ、父親である私の弟に引率してもらう形で上京するらしい。我が家に2泊させてというので、こちらは大忙し。何に忙しいか?
掃除です。

というのも、マンションの大規模修繕(ついこのあいだ終了しました)のあいだ、一部屋をつぶして網戸やらベランダのウッドデッキやらプランターやら、土やらを仕舞い込んでいたのですが、まだその復旧が全くできていないのです。人が寝られるようにしないと・・・・。
これがかなりの大仕事なのです。
貸布団の予約なんかもしました。

この春から転職した弟と高校に進学した姪。
どんな顔で来てくるのかな?
何はともあれ、うちに来るのは初めてなので楽しみです。

そして第二弾は、香港の友人。
過去数回の香港旅行でめちゃくちゃお世話になった人が、奥さんと友人と一緒に東京に遊びに来ます。
おもてなしをしなければ!
と言っても、あちらもいろいろ予定があるので、一晩だけ一緒に食事することに。

いつも言ってるけど、私たち夫婦だけでは言葉がおぼつかない・・・!
中国語(広東語)や英語の話せる友人に声をかけて10人位集めました。
にぎやかに歓迎したいと思います。
とりあえず銀座の居酒屋を予約(これも友人にお願いした)。
あとは、友人たちのコミュニケーション力に期待です。
日本・香港インディペンデント映画祭のように、日本人と香港人の交流を深めたいと思います。

ご近所新年会では、かるたをやるのが恒例です。今年は小倉百人一首もやってみました。


二人で対戦。


バラ置きでみんなで勝負!
取り札が読みにくいと言われたけど、子供の頃からこのスタイルでしか遊んだことないような気が。このやり方マイナーなのかしら??


昭和の風物カルタ。
真空管ラジオとかDDTとか、古すぎる…

 ⇒かねこたかしの昭和郷愁かるた

写真がないけど「天空の城ラピュタ」名台詞かるたなんてのもやりました。

天空の城ラピュタ 名台詞かるた


そして締めはいつもの「上毛かるた」毎年やってるから、かなり覚えてきた。札を取るスピードも速くなってきました。

よのちりあらうしまおんせん。
てんかのぎじんもざえもん。
こころのとうだいうちむらかんぞう。

上毛かるた
財団法人群馬文化協会

今年の春節は1/28。
ちょうど土曜日ということもあり、ご近所の友人たちと新年会を開きました。上の写真は餃子を皮から作ったとこ。中国の北の地方では餃子で新年を祝うようですね。台湾の人たちはあまりやらないみたい。台湾でも大陸にルーツのある家の人たちはやるみたいですが。

包んだ餃子は水餃子に。
タクシードライバーというのは今人気の日本酒らしいです。岩手のお酒。


友人お手製の絶品唐揚げ。


シンガポールみやげのカヤトースト。
シンガポールには何度も行ってますが、食べたことありませんでした。
ココナッツのジャムなんですね。


シンガポールスリング


ラッフルズホテルの有名ピーナッツ入れの袋。


崎陽軒のシュウマイも、セイロで蒸すと更に美味しい。このせいろは香港の上海街で買ってきたんだそうです。

大人14人と赤ちゃん1人の楽しい集まりでした。食べたり飲んだり、カルタしたり。ここに引っ越してきて8年、楽しい仲間に恵まれて良かった。

休日の朝ごはんに夫が作ってくれました。
こんなに気合が入っているのは、私のためではなく、インターネットで公開しようと思っているからです(笑)こういうものにも効用があり、料理の腕を磨いたり、三日坊主の抑止になったりします。おかげで私は目にも美味しい朝食にありつけるというわけです。感謝感謝。

以前はこんなのを作ってくれました。

厚焼トーストモーニングセット

バナナパンケーキ

フレンチトースト

年明けからマンションの大規模修繕がはじまります。ベランダにあるものは物干し竿以外全て一時的に撤去しなさいとのことです。ここに住んで10年近くになりますが、ついにこの日が来てしまいました。大規模修繕のことは、いろんな人に聞いていて面倒くさそうなので、その前に引っ越そうかとも思ってたのですが、機を逸してしまいました。でもよく考えたら、引っ越す方がメンドクサイですね。

この部屋にはルーフバルコニーがあるので、ウッドデッキを敷いて屋上緑化の芝生を置いたりプランタもかなりの数入れてガーデニングを楽しんでました。でもそれも数年前までで、今は雑草が生えまくりの放置ベランダです。〜〜だから片付けがめんどくさいんです!

修繕が決まってから、天気の良い休日はプランターをひっくり返しては、土をほぐして鉢底石や根っこや中に潜んでいる芋虫たちを取り除き、残った土を日に当てて消毒(もどき)。この写真は屋上緑化用の砂をきれいにしてるところ。

これを繰り返してますが、やってもやっても終わりません。でもやっぱり土を触るのは気持ちいいものです。プラスチックのプランターは10年近く使ってかなりボロボロになっているので、結構な数処分しました。再利用予定のものはキレイにしてから室内保管です。
大規模修繕は約3ヶ月。終わったら、きれいになったベランダで再度ガーデニング始めようかな。今度やるときは、引っ越しになっても慌てずに済むくらいの、こぢんまりした庭にします。

今年も大きなことから小さなこと、たくさんの出来事がありました。

その中でも、熊本の地震と友人の死は大きな衝撃でした。

地震のことはこのブログに色々書いて気持ちを整理したりしてきましたが、友人のことはほとんど書けないままでした。
自然災害も人の生死も人知を超えた領域です。自分の弱さや無力さをはっきり認識できたことは収穫だったと少しは思えるようになりました。また、そんなときに出会えた希望の発見も収穫として記憶しておきたいです。

仕事ではまぁそれなりにいろいろありましたが、今年大変だったのは「求人・採用・研修」です。
私はこのことで相当神経をすり減らし、またもやパニック発作が起きるようになったので、神経科のお世話にもなりました。(今は大丈夫です)
今年面接して採用した人 7人。
3か月の研修を終えて無事デビューできた人 4人。
は~。
研修の序盤で脱落したり、研修中盤で脱落したり、最悪だったのは研修が終わってからデビュー後1日で辞められたり。いろいろありました。ホント一年中採用問題で頭を抱えていたように思います。でも、がんばってくれた4人が育ってくれました。(まだそのうち2人は育ててるところですが)

来年は、人の問題で悩まないようにしたいものです。問題はあっても悩まないメンタルの強さを育てたいですね。

出かけた展覧会 出かけたお芝居 映画館に見に行った映画

を振り返ってみます。

展覧会

2月 友人の写真の個展
2月 同僚の絵の個展
5月 横浜美術館「複製技術と美術家たち ― ピカソからウォーホルまで」
10月 東京芸大美術館「驚きの明治工芸展」

あ、少ない。
2月は知り合いが二人も個展をしていて、驚きました。好きなことを発表する場があるのはいいですね!触発されました。展覧会はすべて招待券をいただいたもの。情熱がちょっと薄目でした。絵もあまり描かなかったし。

お芝居・舞台

1/15 朗読会「十神と狐」 東中野
4/15 東京印「あの春の約束を歩き出す君のために」 中野MOMO
6/9  プリモ寄席
8/13 東京キッドブラザーズ44th「雨上がりのシアター2016」 赤坂レッドシアター
12/4 月影番外地「どどめ雪」 ザ・スズナリ

寄席以外は、夫に誘われたものばかり。なかなか自分から探して出かけるということはありません。それでも、見に行くと面白いし、やはり「生」の迫力は素晴らしい。

映画館等に見に行った映画

2月 「シャーロック 忌まわしき花嫁」
5月 「あの頃君を追いかけた」台湾映画 台湾文化センターのイベントで鑑賞
5月 「傻瓜向錢衝」2016年台湾映画 台北の映画館で
6月 「うつくしいひと」 熊本地震チャリティー上映会
8月 「シン・ゴジラ」3回見に行きました!
10月 「君の名は。」

めったに映画館に行かない私にしては多い方でしょうか。他にも飛行機のなかやテレビではもっとほかにも見ていますが。やっぱり今年は「シン・ゴジラ」ですね^^劇場に複数回見に行くなんて!

人に会いにいったり、訪ねてきてくれたり。というのもいろいろありました。自分の為だけですがまとめとこ。(よく会ってる人達は入ってません)

3月 台湾の友人「小詩」がやってきて、渋谷の外国人だらけの回転寿司屋の洗礼を受けた。
5月 福岡で恩師を囲む会
5月 福岡在住画家のPEPEさんのアトリエを訪問しました。
5月 イギリス在住の同級生が帰省のついでにうちに寄ってくれました。
5月 福島みずほさん講演会で小澤征爾さんにお会いしました♪きゃー
6月 台湾で陳昇と一緒に活動している客家の歌手「黃連煜」さんが来日。ファンミーティング(笑)を企画しました。
7月 台湾フェスタ2016のために来日した「夾子電動大樂隊」を囲む宴会を企画しました。
8月 日本のブラジル、群馬県大泉町の友人を訪ねました。ブラジル料理美味しい!
9月 名古屋の友人、さんでーちゃん上京、蒲田で会いました。新しいお友達が3人増えました。
10月 マレーシアの映画監督 ホーユーハン氏来日。食事会き参加しました。
10月 憧れのゴジさんにお会いしました!!!
11月 大学の同期、後輩と恩師を囲む会。飲みすぎました。

コンサートのところにも書きましたが、来日してくれる人の歓迎がたくさんあった年でした。
海外からのお客様は楽しいですね。言葉は通じにくいけど、英語や中国語を駆使して何とかコミュニケートする、それだけでもうすごく楽しいのです。
このほかにもいろんな人と会って食事したり飲んだりしましたが、珍しいものだけ書きました。
来年も人との縁を大切にしていきたいですが・・・不義理してる人たちもいっぱいいるんです。
なんとかせねば!

2016年に出かけたコンサートを振り返ってみます。

1/1 陳昇跨年コンサート(台北)
1/1 乱弾阿翔 野外ステージ(台北)
2/5 見田村千晴ワンマンライブ (渋谷LOOPS)
3/4 イ・スンファン 初来日公演 (ZeppTokyo台場)
3/5 N響 オーチャード定期(渋谷オーチャードホール)
3/5 井上陽水(神奈川県民ホール)
4/20 落合さとこ×笹子重治(四谷ホメリ)
5/11 小澤征爾×新日本フィル(すみだトリフォニー)
5/11 動力火車(台北)
5/28 劉若英(台北)
6/12 アシュケナージ×N響 (NHKホール)
6/13 黃連煜 Chalaw(東京 台湾文化センター)
7/31 夾子電動大樂隊(台湾フェスタ 代々木公園)
8/1  夾子電動大樂隊 (青山月見ル君想フ)
8/7  バボラーク×日フィル(MUZA川崎)
8/14,15,16,17 歌台(シンガポール)
9/4  ヴィオッティ×東京交響楽団(MUZA川崎)
10/8 イ・スンファン 8.5時間コンサート(ソウル)
11/27 パーヴォヤルヴィ×ドイツカンマーフィル

けっこう見ましたね。
陳昇は1回しか見てない…このあと大晦日にも見る予定ですが。

クラシックの演奏会に6回行きました。
また海外へ遠征してみたコンサートが5つ(4回の渡航)
あ、シンガポーロの歌台を入れたらもっとになりますね。

海外のアーチストが来日して、というので見に行ったコンサートもありました。
来日してくれるのは嬉しいですね!
特に20年見たいみたいと思っていた韓国のイ・スンファンが来日してくれたのは嬉しかった。
勢いづいて、ソウルまで追いかけていくことになってしまいました。

来年は、日本の歌の上手い歌手のコンサートを聴きに行きたいと思います。
演歌の大御所とか、民謡の人とか。

今年もあと2週間。
どんなことをしたかな??
振り返ってみます。
まずは旅行から。

1月 恒例の台湾年越し(12/30~1/3)
2月 初ベトナム 社員旅行でホーチミン市へ行きました。(2/18~2/21)
3月 近所の皆さんと香港(3/18~3/21)
4月 熊本帰省(4/22~25)
5月 福岡、熊本(5/2~5/4)
   台湾2往復(5/21~23、5/27~29)
7月 秋田田沢湖(7/9~10)
8月 シンガポール歌台の旅(8/14~8/18)
10月 韓国ソウル(10/7~10/9)
12月 恒例の台湾年越し予定(12/30~1/1)

海外に7回でかけていますね。
うち4回が一人旅。
台湾に3回、今年は多かったです。
熊本には2回帰りました。地震のお見舞いでした。
その他国内は、秋田へ行きました。秋田県に滞在するのは初めてでした。

今年の頭に「行きたいと思ったら行けるときに行こう」と思い、時間とお金が許す限りでかけてみました。さすがにどんどん出かけると心に疲れがたまると判明。9月以降は外出を控えるようにしました。

私の海外行きは「旅行」というより「用足し」の性質が強いので、旅先でのんびりしたり、リフレッシュ♪とはなりにくいのです。だいたい人に会ったり、コンサート見たり、イベントに出席しています。
来年はもっと「旅」っぽい旅行をしてみたい。
誰も知り合いのいない町で、イベントなど無く、朝起きてその日に行くところを決められる、そんな旅がしたいものです。

先日、帰宅したらポストに不在票が入ってた。
なんだろうと思ったら、こないだ遊びに来た女子高生からの荷物だった。
受け取って開けてみたら、こんなのが入ってた。
紅芋タルト!

そうか、修学旅行で沖縄に行くって言ってたっけ。

それにしても、わざわざ買ってきて宅急便で送ってくれるとは!
涙出そうになっちゃった。

夫から、
「これは1日一個ずつ!大事に食べるよ」
との宣言が。
うんうん、大事に食べようね。

11月24日。
何日も前から、雪が降ると予報で言っていた。
まさか?
まだ11月だし。
山の方の話だろう。
そう高をくくっていたのだけど、

本当に降った。
しかも、朝から夕方まで降り続いた。
気温も日中に向けてどんどん下がっていった。昼12時の気温1.6度だったとか。

11月なのに。

東京で11月に初雪が降るのは54年ぶりなのだそう。

寒かった!!

先週、うちの家族が手術をすることになり、生まれて初めて手術室というところ(の前)まで行きました。大きな病院のため手術室だけで18個並んでるんだそうで、手術中のランプが点灯!みたいなことろまではいけませんでしたが。

手術と言っても疾患自体は手の指にできたデキモノを切除するというもので、生命にどうのこうのというのではなかったので気楽に構えてたんですが、手術で全身麻酔する、もしかして悪性だと指切断するかもしれない等、心配のネタはそれなりにありました。

入院初日は仕事が終わってから病院に顔を出したら、明日朝イチに手術時間が決まったと聞きました。
明日は朝8時前に来てくれだって。「私こないとだめなの?」って聞きました(笑)病院は家からそれほど遠くはないのですけどね。朝早いの大変なんですもの…

翌朝久しぶりに目覚ましを使って早起きしました。
手術中につけておくという「マウスピース」を自宅からさがして持っていきました。
8時前に病室へ行くと、良く寝たと言いながらTVを見ていました。手術前なのでご飯はなし。

病棟の看護師さんの先導でてくてく歩いて手術室へ行きました。病室とは別の棟なので、渡り廊下を渡ったり外来のヒトでごった返す待合の前を通ったり。

手術室入り口で看護師さんが受付をします。手術を持ってる患者さんも何人もいます。ストレッチャーに寝ている人もいれば、うちみたいに歩いてきた人もいたり、小さな子供もいました。切なくなりますね。
手術室だけで18個。手術関係の看護師さんだけでも150人いるのだそうです。
しばらくベンチで待っていると、手術をしてくれるチームの皆さんが5~6人やってきて、ご挨拶。本人確認して(フルネームの確認、リストバンドのバーコードの確認)、手術する手にマジックで印をつけてくれました。その後チームのみなさんが簡単に打ち合わせをして「じゃ!」と手術室へ消えていきました。
いかにも「プロの仕事!」って感じで、子どもの頃にこういう光景を見ることがあったら、医療関係の仕事に憧れていたかもしれません。幸か不幸か全く縁がなかったので、違う道を歩むことになりましたが。

私は看護師さんと病棟に戻り、待機。
その間、看護師さんが「迎え用」のベッドメイキングをしてくれます。
行きは歩いていきましたが、帰りは病室のベッドをもってってそれで帰ってくるのだそうです。
へ~。

きれいにベッドメイクするのがプロの技です。電気毛布も入ってました。足元に酸素ボンベもセットして準備万端です。2時間ほどして、手術終了したらしく、迎えに行くことになりました。

私はここで待ってたらいいのかな?
と思ったら、一緒に行くのだそう。
こういうのって、病院の人は当たり前なんでしょうけど、こちらは初めてなので「迎えも一緒に行きますよ」って言っておいてもらったら慌てなかったのですが。その時タイミング悪く、仕事関係の緊急連絡が入ってきてて、看護師さんの話をちゃんと聞けてなかった。お待たせしちゃいました。スミマセン。

ベッドをガラガラ運んで手術室へ行くと、私は「先生から説明がありますので、説明室へ行ってください」とのこと。指定された部屋へ行くと、執刀医の先生が、手術の内容と結果について説明してくれました。そして切除した腫瘍がアルコール(?)漬けにされているのを見せてくれました。きゃー!っ見ても別に何もわかりませんが、一応ちゃんとやったよってことですね。

手術の途中で腫瘍の一部を生検したそうですが、MRIなどで見て予想していた通りの病気(腱鞘巨細胞腫)で、予定通りに手術も進んだという話でした。また再発するかもしれないけど、その時も慌てる必要ないから。と言われました。
部屋を出るとき「本人もう眼覚めてるから」とのことで、ほっとしました。
全身麻酔はよくやる麻酔ではあるけど、時々目覚めない人いるって言う話で、本人も手術の前に、もしかして目が覚めなかった時のためにって「ありがとう」って言い残していきました。(今となっては笑い話ですが)
なので、目が覚めてるのはいいニュース。

私が説明室から出ていくと、ちょうど本人のベッドがエレベーターに乗ろうとしているところでした。
麻酔のせいか出血のせいか、顔色は青白かったし、うつらうつらしてるようでもあったけど、無事終わってよかった。ガタガタとベッドをおして病室に戻りました。

全身麻酔をした後は5時間くらいは安静にするようですね。
午前11時過ぎに戻ってきたので午後4時過ぎになったら身体を起こしたりするみたい。
それまでは1時間おきに看護師さんが血圧や体温を測りに来てくれます。
1時間くらいそばについてましたが、本人眠ってる時間が長いので、昼食をとりに1時間ほど外出。
その他はずっと病室で、ゲームしたり本読んだりしていました。

夕方、体を起こしてみて問題いので、じゃ、座ってみましょう。じゃ、立ってみましょう。お腹はぐるぐる言いましたか?じゃ、お水飲んでみましょう。じゃ、歩いてみましょう。と15分おきくらいに少しずつからだを慣らして行って、夕食は普通に食べることができました。でも半分くらいは残すことにしたみたい。


結構おいしそうな病院食。

病棟の先生(執刀医とは違う人たけど主治医らしい)がやってきて、順調に回復してるから、明日退院できそうですね。っていう話をしてくれました。
早くても明後日だろうと思っていたので、更によいニュース。
それを聞いたら本人もうれしそう。
痛みもあまりなく気分も悪くないみたいなので、私も7時半ごろには帰宅することにしました。

家について気が付きました。
ものすごく疲れていました。
ただ座っているだけだったのに、朝から晩まで病院にいるってほとんど体験したことないことだし、初めてづくしで緊張もしたんでしょうね。

3日目は、少しゆっくり出発することにしました。
今日はもうすることもないから、のんびり朝ごはんを食べてから行こう。
本人から連絡がきて、午前中1本点滴をしてそれが終わったら退院できるらしい。
10時ごろ行って、片付けして、着替えて、忘れ物ないかチェックしてもらったら、めでたく退院となりました。

会計がお休みの日だったので、会計は後日、抜糸の時ということになりました。
いったいいくらなのかな?

早めに退院できたので、まる一日半家でのんびりできたし、おふろにも入れたし、あっという間に元気になっています。手術したとこを濡らしてはいけないので、片手で不便そうですが、今日からは仕事にも行きました。
1週間後くらいに抜糸のようです。しばらくは、私が家事全般やらないといけません。早く元気になってね(笑)。

これから、かんたんな軽~いペンケースを作ります。

用意するもの
・おまけでもらった去年の手帳のビニールカバー
・好きな紙
・ヘアゴム

用意した紙を手帳カバーにはさんで、鉛筆や消しゴムを入れます。

くるくる巻きます。

ゴムで止めて、さぁ出来上がり。
軽くてかさばらない、シャーロックホームズのワンポイントがついた、オリジナルペンケースができました。この紙は、昔同僚にもらった、ロンドンのシャーロックホームズ博物館のメモ帳です。

台湾の友人の紹介で、これから半年間日本に滞在するという台湾青年と知り合った。友人からのプレゼントを運んでくれたので、その受け渡しもあり、昨日初顔合わせをした。
場所は、日本の居酒屋に行ったことがないという話だったので、私の職場の近所の居酒屋。ごくごく普通の店に連れて行きました。(あまりおいしいとは言えなかった、ごめんね)

台湾科技大の博士課程にいる学生さんで、日本の大学に調査研究のため半年の期限で滞在するらしい。うちの職場の近所の大学。私こういう世界に疎くて、半年リサーチでラボに入るっていうのがどういうものなのかよくわからないけど、教育の一環なのかな?同じ様なシステムでドイツにも1年いたのだそう。彼が何の研究をしているのかはきいてもよくわからないので、深追いせずにおいた(笑)

うちの夫と3人、英語と中国語をめちゃくちゃチャンポンにしていろいろ話した。

旅行も大好きで、言葉の習得にもすごく興味があるらしい。日本語は勉強したことがないと言っていたけど、来日前に日本のドラマなんかを見て少しずつ覚えているみたい。途中から日本語もかなり混ぜたけど、理解できてる。なんて頭いいの!!

よく台湾の人に感じる、穏やかで、社会に対するしっかりとした考えを持っている聡明なタイプ。この人もそうだ。

アイスランドにオーロラを見に行った話。
ドイツでは魚釣りをするのに免許がいる話。
犬を飼うのにも免許がいる話。
日本は、生活に必要な製品や食品の多くを国産で賄えるのがすごいことだと思う、と言ってたのが印象深かった。あまりそういうことを考えたことがなかったのでなおさら。というと「日本人にとっては普通のことだから気にしてないのは当然です。でも台湾だと、これはどこのがいい、これはどの国のがいいっていちいち考えながら暮らしている部分があるんです」だそう。

日本に来てまだ2週間だけど、朝晩は自炊(写真見せてもらったけど、すごく上手!)をして、週末はいろんなところに出かけているみたい。国営ひたち海浜公園にコキアを見に行ったりしてた。さすが台湾人の情報はすごい、日本人も良く知らない観光スポットを知ってる。列車の旅も好きみたいで「出雲号」に乗りたいという。「サンライズ出雲」のことですね!いまや貴重な寝台車。ぜひ実現してほしい。「青春18きっぷ」をすすめたら「もう18才じゃないから・・」というので年齢制限の無いことを教えておいた。その誤解、日本人にも多いよね。きっと。

言葉はなかなか通じにくいけれど、こんな人と話をするのはとても気持ちがいい。私の知らないことや気付かなかったものの見方を教えてくれる。私の年齢になったら、若い友人も積極的に作りたいもの。

彼の日本滞在が実り多いものになるように、私も何か力になれたらいいな。

先日亡くなった友人のご家族を訪問しました。
その友人は私の同級生で、私自身もしばらくは気持ちの整理もつかなかったのだけど、50日祭(神式で葬儀を行ったので、49日にあたる儀式はこういうらしい)を終えたところで、改めてお参りすることにしたのです。友人の一人娘のことも気になっていて、旦那さんからもいらしてくださいとのことだったので。当日はお供えするお菓子と、私たちで食べるケーキを買っていき、お茶を入れてもらって3人で話をしました。

彼女の生前、年に一度くらい、家に遊びに行って、旦那さんや娘さんも交えてよくおしゃべりをしました。彼女はのんびりおっとりした性格だったけど、旦那さんと娘は早口でテンションの高いタイプ。うまくバランスとれているなぁと思っていました。

さて、彼女抜きの訪問はどんな感じになるのだろう?

少しドキドキしていたのですが、いってみたらいつもと変わりがない、まるで彼女がいるような(隣の部屋か台所にでもいて姿が見えないだけみたいな)感じで、何の違和感もなく時間が流れていきました。

お葬式の時から気になっていたことを聞きました。
「なんで神式でやったんですか?」
亡くなった一報をもらって病院に駆け付けた日の夜、ご自宅ではまだ線香がたかれていました。葬儀屋さんから「じゃぁ宗派のご確認をお願いしますね」なんていう言葉が出ている状態だったので、あの時点では決まっていなかったのでしょう。
旦那さんは、家がどうのこうのじゃなくて、前に知り合いのお葬式が神式でいいなぁと思ったのと、やっぱりそっちの方が親しみあるからね、彼女も前に「神棚が欲しい」と言ってたこともあるし、という答え。
そうなんだ。
実際、私も神式の葬儀を体験して、いいなぁと思ったので、自分の時のこと考えとこう。

旦那さんから、ちょっと話を聞いてやってほしいと言われていた娘さんともいろいろ話をしました。(そのあいだ旦那さんは買い物に外出するという気の利かせぶり)高校生らしく、学校生活にいろんな悩みがあるようでした。が、大半は、オタクトークでした。今何が面白いか、何が好きか、オタクだとクラスの中でヒエラルキーが低いとか、でもサークルに行くと同じような趣味の人ばかりで楽しくてしょうがないとか、でもおかげで勉強する時間が無くなって赤点とってやばい!とか。

きっと、彼女が生きているとき、こういう話をいっぱい聞いていたんだろうなと思いました。彼女もかなりのオタクだったし(まぁ私もですけどね)。「君の名は」がどんだけすごいかについて、ものすごく語ってくれたので、私も「シンゴジラ」を語りました(笑)

お母さんが買い与えてくれた、と言って持ってきたマンガたち。
私と趣味同じ。


お父さんもお父さんで、ゴジラのソフビを持ってきて、カオスになりました。
かなりの時間をオタクトークで盛り上がりました。

楽しかった。
私が楽しんでどうする?と、帰り道反省しましたが、こんな時間を持てたことを彼女も喜んでくれているんじゃないかと、思い直しました。生きてる人間は前進していくしかないのだから。

帰宅したころ、LINEの交換をした娘さんから「とっても楽しかったです!!またお話しできるのを楽しみにしてます」ってメッセージ入りました。また、会いに行こう。社交辞令じゃないよね?

記録的な寒波が東アジアを襲いました。
上空の空気が稚内と奄美でも同じ温度だという話で、西日本が大雪に見舞われたようです。
そしてなんと香港や台湾でも雪が降り、少し高いところには積もったようです。
台湾や香港の友人たちは雪の写真をフェイスブックなどにあげて大騒ぎしていました。

そんな中、東京は気温は低めながら快晴で、お出かけ日和となりました。
日本でも太平洋側の、さらにより東側は寒気の影響を受けにくかったようです。

もうひとつ、24日は台湾の歌手阿妹が東京でコンサートを開きました。
私の各地の友人たちがみんな集結していて、フェイスブックなどを見ていると、あのひとも!このひとも!という状態でみんながコンサートのことを書いていました。

人々の投稿が二分されるという面白い現象が起こった日曜日でした。

私は・・・といえば、昔の職場の先輩と久しぶりに会って昼食を食べ、そのあと夫と自転車やに行きました。
何を買ったかはまた別の記事にしますね。

大雪というほどではなかったのですが、今年初めての積雪があった朝、首都圏の交通は大混乱。
私が使っている最寄り駅でも、ホームに入れない人であふれる状態に。
一時間ちょっと待ったけど乗れる気がしないので一旦帰宅して、しばらく家事とかしてから再度でかけました。

時間差出勤で無事に二時間遅刻で会社へ行きましたが、同僚たちの半数は散々な目にあってました。地下鉄やバスで通勤してる人は普段通りに行けたようです。

普段驚異の過密ダイヤで運行している首都圏の交通機関。
普通に動いていることが奇跡なんでしょうねぇ。


朝の混雑


夕方の駅


一夜明けて、ガラガラの駅

今日は西日本が荒れるとか。九州も心配ですね。皆様気をつけて。

4

ここ二年連続で凶が出てる初詣のおみくじ。ついに今年大吉を引き当てました!

細かいことにとらわれずゆったり構えてよし。

というお告げだったので、そのように心がけようと思います。

このブログでも毎年のようにおみくじのことを記事にしてきましたが、私の印象では凶を引くことが多いような気がしてるんです。それで、昔の手帳や記事を調べてみたら、過去11年遡ることができました。

なんと、11年で5回、凶をひいてます。多くないですか?そして大吉は二回目。大事にします!

皆様、明けてもう今日は4日ですが、あけましておめでとうございます。
昨日台湾の旅行から無事戻ってきました。
台湾にはしょっちゅう行ってるので、普通の旅行記録を書くのはやめて、旅行中に出会ったことや感じたことをもとに小説のような感じで空想や架空の設定も入れて自由に書いてみようかと思いました。
かなりのお目汚しだったかとは思いますが、一人称じゃない文章を書くのはほとんど初めてだったので、楽しかったです。

ただ、やはり旅行中、十分な推敲もせず、書いてはアップ、書いてはアップで、読み返すのが恐ろしいです。読み返した時には、恥ずかしさで投稿取消すかもしれません。

私が年末年始の休みに台湾へ行ってコンサートを見るというのももう18年になりました。我ながらすごいハマりっぷりだと思いますが、これも家族の理解があってのこと。そして自分の仕事と健康と環境に恵まれているおかげです。心から感謝しています。

今回の旅行もまた思い出深いものとなりました。
古い友人との温かな再会、新しい人との出会い。
日本にいても当然そうなのでしょうけど、台湾という異国に行くと、人との縁が繋がってることがとてもよく理解できて驚くほどです。18年間積み上げてきた縁を大事にしていこうと改めて思いました。
そしてこのブログを読んでくださる皆様、コメントなどくださる皆様。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

9/10の関東地方への記録的豪雨による茨城県常総市の水害のニュースには心を痛めるばかり。
翌日には宮城県でも洪水があり、テレビ画面やインターネットで伝えられる様子に自然の力の大きさを感じています。
河川堤防の決壊による大きな水害はその2か所のようですが、床下、床上浸水の被害はかなりあちこちで起きているようです。

微々たるものではあるけど、赤十字の義捐金口座に送金しました。

茨城県「茨城県台風18号等災害義援金の募集について」

群馬大の片田教授が話していましたが、どんなに高い堤防を作っても万全にはならない。危険を危険と感じ取って自分で身を守る行動が大事だ。その行動できる人間を育てることが防災だとのこと。本当にそうだと思います。
ここ数十年はそれ以前に比べて治水がかなり改善されてきて、台風の度に浸水するなどということは無くなっているようですが、それでも最近は台風の規模自体が大きくなる傾向もあり、ひとたび何か起きれば被害が大きくなるのですね。

私なんて防災意識がかなり低いので、戒めたいと思いました。

ところで、今回大きな被害の出た「常総市」、耳なれなくてどこのことかピンときませんでした。

「水海道」や「石下」といわれて、ハッとしました。
つくばのすぐ隣。
小貝川を渡った向こうなのですね。

小貝川と言えば昭和61年に大きな水害があって、その時も近くてびっくりした覚えがあります。

山には山の怖さ
平野には平野の怖さ
都市には都市の怖さ

それぞれ常にリスクをしょって生きていることを心したいと思いました。


今年の台風13号は強大で、しかも進路が問題。
8/3にはサイパンに甚大な被害をもたらし、そして今日は台湾に上陸して色々な被害が出ているようだ。
風雨がものすごく、街路樹や電柱などが根こそぎされているの多数。
更には風力発電の風車もぽっきり折れてしまっている。

自然の力は恐ろしい・・・。

きょう8/8は台湾でやはり台風により、一つの村が土石流によって消滅してしまうという災害が起きた日だ。88水災と呼んだと思う。2009年のことでちょうど当時台湾に滞在していたのもあり印象が深い。
その村は村ごと別の場所に移転し、私の友人が今年行ったという話を聞いた。

大きな災害があったりすると、その日付をその災害の名前につけたりするので、思い出しやすい。
しかし最近の意識調査で、広島と長崎に原爆が落とされた日付をこたえられない日本人が実に7割にも上ったというニュースがあった。

NHK世論調査 原爆投下日を7割が不正解

原爆投下の日、答えられたのはわずか3割弱 際だつ長崎での風化

8/6と8/9という日付は、12/8、3/10、8/15などとともに私の中では重要な日付だけど、日付などにあまりこだわらない人もいるにはいるだろうと思う。
「終戦間近の8月初旬」ぐらいな感じで認識してる人もいるだろう。
私自身も、サイパン陥落や満州事変、日中戦争開戦日などは日付覚えてないし・・。

こんなことを考えて、多分人が覚えている日付にはいろいろ個性があるかもしれないと思い始めた。
思いつくままに、列挙してみよう。個人的な誕生日などは除く。226事件とか515事件とかものぞく。

1/8 昭和天皇崩御
1/17 阪神淡路大震災
3/10 東京大空襲
3/11 東日本大震災
3/12 九州新幹線全線開通
6/4 天安門事件
8/6 広島原爆投下
8/8 台湾の88水災
8/9 長崎原爆投下
8/15 太平洋戦争終戦
9/1 関東大震災
9/11 アメリカ同時多発テロ
9/21 台湾大地震
10/10 東京オリンピック
12/8 真珠湾攻撃

日付間違って覚えてるのもあるかもしれないな・・

追記:やっぱり間違ってた。昭和天皇崩御は1/7で1/8は平成元年スタートの日だった。

ホントに暑いですね。
今年の夏。
ついに夜、エアコンをかけて寝るようになりました。
最低気温が26度とか27度とかちょっと考えられないくらいに暑いんですものね。

それと猛暑日、酷暑日が連続しているのもつらいですね。
身体は慣れてくるのかもしれませんが、一息つきたい。

これから1週間の台湾の天気予報見てみたら、雨というのもあるのですが最高気温が28度とか29度とか。30度超える日がないんです。台湾から友達が来日中ですが、「日本暑い!!」って言ってました。

今年は仕事で出歩くことも多く、一層暑さを身近に感じています。
皆様もご自愛ください。

このブログに時々登場する香港のジョニさん。
先月の香港旅行で大変にお世話になった彼ですが、今日本とビジネスをしているので、毎月日本出張があるそうなんです。でもほとんど仕事の予定でびっしりなのと、日程も1泊だったりで、もうずいぶん東京では会ってなかったのでした。

それがこの水曜日の午後4時半ごろ、いきなりLINEで「今東京についた。今夜時間るんだけど?」とメッセージ。

いつもながら突然だ…。

今回は銀座に泊まるというので、待ち合わせのセッティングをして、6時に仕事が終わってすぐ銀座に向かいました。

ホントは今日も夕食の予定があったようなんだけど、急にキャンセルになり時間が空いたので声をかけてくれたみたい。で、銀座のホテル前で会ったはいいけど、銀座には全く詳しくない私、どこに連れて行こうかしら・・・?

なんていう心配は杞憂で、ジョニさんは私に会うなり「当てがある」とばかりにさっさか歩き始めました。

そしてたどり着いたのが、この店

銀座酒蔵検校

酒屋さんですが、利き酒みたいなこともできるみたい。
立ち飲みで、おつまみは缶詰とか乾き物中心。
そして安い。

こういう飲み方を「角打ち」っていうのですね。初めて知りました。そういえば私の最寄駅前にも普通の酒屋さんで夜な夜な立ち飲み「角打ち」してる人たちいるんですよ。今度参加してみたい。

ジョニさんは、今日銀座についてホテルに向かう途中でこの店を見かけて気になってたんだとか。
なんというか、鼻がきくね~!
ほどなくして夫も合流し、いろいろおしゃべり。


こんな感じでお店おすすめのお酒を何種類か試せるの。

1時間半ほど飲んだ後、店を変えて座ってさらに1時間半ほど。
今回も楽しうございました。

ジョニさんは夜の10時半から別のアポがあると言って、タクシーで六本木方面へ消えていきました。
お疲れ様です。
あわただしかったけど、いろいろ話せて面白い夜になりました。

先週に引き続き忙しい今週。
台湾から大好きな友達が一人旅にやってきたので二晩ほど夕食を一緒にした。

彼女と話すのは愉快だ。
言葉は十分には通じないけど、とても聡明な人なので会話に支障がない。

旅好きな人で私より幾つか年上だけどいつも新鮮な感動を話してくれる。
今回は伊豆の河津桜や富士山を見たそう。青春18切符も使ってみた。

今回は旅の終わりに使ってたセルフィー棒をお下がりにくれた。
スマートフォンをセットして自分の写真が取れる便利グッズ。

ありがとう。


通勤に使う乗換駅。
週替りでいろんなお店が出てるイベントスペースがあるのだけど、そこに月曜から和菓子屋さんがででる。

月曜そこを遠巻きに眺めながら乗り換えホームに向かうエスカレータに乗って、二度見した。
あっ!
これ彼の店じや???

下まで降りてまた上りのエスカレータに乗って元に戻る。
やっぱりそうだ。

彼というのは、ん十年前、新卒就職した会社で同期だった人。実家で商売をしてた彼は2年位で退職して田舎に戻って、それから会うこともなかったけど、インターネットの時代になって再会した。

山形の和菓子屋さんの旦那さんになって、時々東京にイベント出店してるらしく一度目黒駅に出てるときにあった。(それで、今回も店の外観で彼の店だとわかった。)

一週間だけの限定出店なので、それから2日に一回寄ってます( ´∀`)

そして、今日は大学の同級生と再会予定。明日は東京オリンピックを目指す知人の子供の試合の応援!

忙しくて嬉しい悲鳴状態です。