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先生のラジオで夏の旅行の話が始まっていますが、私も久しぶりに夏の旅行の話を書きます。(まだ書いておきたいことがいろいろあるんです)

ライプツィヒ~ドレスデン~プラハ~ウィーンの移動はすべてバスでした。50人を超える団体でしたので、2台のバスに分乗して、全行程をずっと連れて行ってもらうのです。海外でバス旅行というのは初めての経験でしたが、荷物を自分で運ばなくていいし、楽ちんでした。

先生はこのドイツの旅行を20数年続ける中で、バスの運転手の人選も慎重に行っているのだと聞いたことがあります。今担当してくれてる運転手さんは、旅行の趣旨もよく理解してくれているし、人柄も素晴らしいので毎年頼んでいるんだそうで、今やスタッフの一人と言ってもいいくらいだと言う話です。去年の秋田大会にもわざわざドイツから自腹で駆けつけてくれたのだとか。

今年の旅行は人数の関係でバスは2台になり、運転手さんも2人になりました。もう一人の運転手さんはギリシャ人。私はドイツの人の方に乗っていました。私も去年秋田でお会いしています。

さて、旅行さいごの「さよならパーティー」では、旅行のお世話をしてくださった方々にお礼の言葉を述べる、というのがあったのですが、バスの運転手さんたちへのお礼の言葉は、なぜか私が述べることになりました。英語でスピーチとか無理!なんですけど、やるはめに・・・・。

以下、その顛末です。

旅行7日目、ウィーン到着の翌朝、ガイドさんに連れられて「クリムトの接吻」で有名なベルベデーレ宮殿を観光していました。皆でぞろぞろ歩いているとき、たまたま先生の隣に並びました。
「きれいな庭ですね~」なんて話しかけていたら、
先生から「そういえば、君は英語できるだろ?」と唐突に聞かれました。

うっ・・・英語は苦手だ・・・でもなんでそんなことを?

「今夜、さよならパーティーの時に、運転手さんへのお礼の言葉を頼みたいんだよ」

とのこと。
運転手さんへのお礼の話は、みんなでお金を出し合って心付けをするということで、バスの中で集金袋が回ってきたりしていたので、わかっていましたが、挨拶もするのですね。

先生直々の依頼、断れないなぁ。
一応、大学の教え子ってことでここに参加させてもらっている身の上、「英語苦手だから、できません」・・・とは言えませんよね。恩師の顔に泥を塗ることになってしまう(大げさな)

「はい、頑張ります」

と答えたものの、一気に気が重くなりました。

ちょうどその時、別の人が先生に「●●さんに英語の挨拶のこと話してみたんですが、無理だそうです」って言ってきました。

あ、断ってる人いる…。

●●さんって言ったら、旅行中かなり英語で話してるお姿を見かけたのに。
あんな人でも断るのに、私なんかで大丈夫なのかしら?

でも引き受けたからには、やるしかありません。お礼の挨拶だから、気持ちが伝わればいいのだし。別に長々話すわけじゃないし。

とはいうものの、「Thank you」の一言だけで済ませるわけにもいかないでしょうね。
先生が全幅の信頼を置いて、何年も共に旅行を作ってきた運転手さんへのお礼の言葉だから、型通りのものじゃつまらない。旅行中のエピソード的なことも織り交ぜて、気持ちの伝わる内容にしたいなぁ。

早速、周りの人に取材開始。
「今夜、運転手さんたちにお礼の言葉を述べる事になったんですけど、運転手さんに伝えたいことありますか?(ネタください)」

みなさん、急遽挨拶をすることになったという私の立場をわかってくれて、いろいろ話してくれました。(ありがたいですね)挨拶を断った●●さんにも、取材しました。ふふふ。「●●さん断ったんですって~?おかげで私がやることになっちゃったじゃないでりそう。

あと私には絶対伝えておきたいことがあります。

ライプツィヒからドレスデンに向かう途中で、幹線道路を離れてくねくねとした田舎道に点在する可愛い村々の中を通ったことがあったのですが、見せてくれたのはきっと運転手さんのサービスに違いない。
あれは良かったなぁ。
そのことは、ちゃんと運転手さんに伝えたいものです。

ある程度エピソードは集まったので、あとはこれで作文です。
ベルベデーレ宮殿のあとはさよならパーティーまで自由行動です。まだ時間はあります。なんとかこの間にまとめましょう。

ホテルにこもって原稿作りというのは味気ないので、観光に行きますよ。ウィーンで行かなければならないのはまずはカフェ。
有名なホテルザッハーの喫茶室へ。そこで名物のザッハートルテとウィンナコーヒーを飲みながら、作文。まずは日本語で構成を考えて、それから英作文。ネットに繋がっててよかった!単語を調べたり、熟語を調べたり、これが殊の外時間がかかるのです。


ホテルザッハーの紙ナプキンにずらりと下書き。
一時間以上ゆっくりして、はからずもウィーンのカフェを堪能することができました。

次に向かったのが寅さん公園。
乗り物にもいろいろ乗りたいと思って1日乗車券を買ってでかけます。車内で原稿も練れますしね。
トラムに揺られながら、英文を頭に入れていきます。全部暗記は無理でも、全部書いたもの読みあげるってのもなんですよね。少しは顔を見ながら話せるようにしたいので。

トラムでブツブツ、
道を歩きながらブツブツ、
あまり長くてもだめだ。
これ、普通に話したら何分くらいになるのかな?
3分位にまとめたい。
時間を計りながらブツブツ。
どうもここは発音しにくいなぁ、
ここははしょるか。

紙ナプキンに書いた原稿はかなり推敲したので読みにくくなってしまいました。それに、持ってきたペンがここへ来て急に書けなくなったので、ホテルに戻って清書することにしました。
観光もそこそこで切り上げ、ホテルへ。
シャワーを浴びて着替えてから、清書。
そしてまたスピーチの練習。

我ながら頑張ってるなー。
こんな感じでウィーン自由行動はずっとスピーチ原稿作りやってました。

そして、夜、いよいよパーティーです。
会場はウィーン郊外のとても雰囲気の良いワイン居酒屋「ホイリゲ」。
挨拶が先だといいなぁ、緊張してお料理の味もわからなくなっちゃう!
と思っていたら、パーティー前半で挨拶関係のプログラムは進んでいったので良かったです。


挨拶する私(この写真、構図がとっても素敵じゃないですか?)

緊張して、手に持ってる原稿が小刻みに震えていました。
(ホント、こういうの苦手なんです。よくそんな風には見えないって言われるんですけど)

挨拶終えて、「良かったですよ。笑顔で表情も良くって」って、まわりの人に言ってもらえました。
ほっ、そんな風に見えていたのか、良かった。

引率の先生に、「私の英語ちゃんと通じてましたかね~?」って聞いたら、大丈夫ってことデシタ。これで、恩師の教え子ってことの面目躍如になったかな?

パーティーが進み、お酒もだいぶ入ってから運転手さんたちのテーブルへ行って、再度挨拶。ちゃんと、通じていたか確認しました。実はギリシャの人は英語はわからないそうでした。あちゃー。でも、去年の秋田での話などもして楽しく盛り上がりました。

生まれて初めて、大勢の前で英語で挨拶した経験でした。終わってみれば、まぁいい思い出になりました。勉強にもなった。まさに研修旅行でしたね。

エフエム福岡の番組「小澤俊夫昔話へのご招待」で、先週からこの夏の旅行のことが話題になりはじめました。

https://fmfukuoka.co.jp/mukashi/

昔ばなしの番組なので、きっと前半の「グリムの旅」の話題が中心だと思います。(私が行ったのは、その「グリムの旅」1週間が終わった後半の「中欧の旅」の方)これから何回か連続で放送されるはず。
楽しみ!

上記にリンクした番組ホームページから音声を聞くことができるので、興味のある方、ぜひ聞いてみてください。

音声ファイルへの直リンク
   ↓
2018年10月12日放送 第480話『グリム童話研修の旅 1 (2018)』

プラハは異常な高温だった。
旧市街からプラハ城までガイドさんについて歩いたが、そのあとは博物館へ行こうと思っていた。この炎天下街歩きはつらい。「国立博物館」があるようだ。歴史の展示もあるようだからそこへ行ってみよう。

行ってみると、歴史的建築の美しい本館は修復中とのことで閉館。
となりの現代的な建物の新館は見ることができるらしい。
新館の展示は、1階が考古学、2階が生物学、3階が特別展となっていた。
もともと博物学の展示をやっているところらしい・・・あれ?博物館って博物学でいいんだ…今頃気がついた。


閉館中の本館


博物館前は路面電車の軌道工事中


これが新館


新館入口

考古学展示は「ケルト文化について」のようだ。
ケルトについて、フランスやイギリスにいた人たち、くらいの認識しかなかったわたしは、なぜ中央ヨーロッパのチェコでケルトについての展示があるのだろうか?と不思議に思った。「これは企画展なのかな?」とも思った。

無知って怖いですね。

ケルト人は、まさしくこの場所、中欧ヨーロッパにいたのだ。
そして、ヨーロッパの各地に移動して行った。
イギリスやフランスにあるケルト文化は、あとの時代のものなのだ。
(まぁ先史時代のことなので諸説あるらしいが)


ケルト人の移動


チェコの考古学遺跡分布図


古代の墓から色々出土するらしい


腕輪、足環かも?武器にもなったのかな?


この石の頭は何か貴重な学問的価値があるらしい。
一生懸命英語のキャプションを読んでみると、髪型が特徴的とある。
ほんとだ、髪の毛がヘアバンドみたいに結われているのか、あるいは後頭部は刈り上げちゃってるのか、不思議な髪型だ。


土器もある。この時代のこの地域の土器はわりに実用的でシンプルだ。


土器をつくる窯の復元

ヨーロッパの先史時代には全く知識がなかったが、スマホの翻訳機能を駆使して何とか説明文を読み解く。

石器、土器、金属製の剣や乗馬器具などがあり、それぞれ日本との違いもあり興味深い。
その中で一番興味をひかれたのが、おびただしい数の「ピン」。
「前期 La Tene文化」とキャプションがあり、紀元前500年頃のもののよう。

日本やアジアの出土品には見たことがない。
大英博物館やローマやナポリなどでは見たのかもしれないが、記憶にない。
どうやら「Fibula」と呼ばれる装身具で、古代ギリシャ、ローマでもよくみられるのだそう。プラハ周辺で出土したものは、ブロンズ製でかんたんな「安全ピン」の形のものもあれば、ユニークな飾りのついた「ブローチ」と呼べる様なものもあった。

片側が渦巻き状のばねになっていて、完全に現代の安全ピンと同じ。
たくさん出土するということは日用品だったと思われる。日本にも銅や鉄は(時代がずいぶん下るが)伝わっているが、安全ピンは見たことがない。日本との文化の違いを感じる。


Fibula 安全ピンたち。


これは趣向を凝らした人型の安全ピン。(Fibula)

2時間ほど冷房の効いた博物館でじっくり見学でき、快適だった。
ケルトについて、いや、ヨーロッパの歴史そのものについて、あまりにも知識がないので、せっかくの展示を見ても半分も理解できていない。帰国したら勉強しなければ。

La Tene ラテーヌ文化:前6世紀~前1世紀にヨーロッパの広範囲に広がった鉄器文化。ローマ帝国に征服されるまでつづいた。

ドレスデン逍遥―華麗な文化都市の破壊と再生の物語
川口 マーン惠美
草思社

読了。
読みやすく面白い本だった。
ドレスデンはこの夏2泊してきたが、全く予習しないで行ったのが悔やまれる。
でも印象深い町だったので、この本を読みながら、あそこがそうだったのか!!と、記憶はまだ鮮明だ。

読み物として面白い。
著者が取材で聞いた話と資料にあたった話とがミックスされ、分かりやすく臨場感たっぷりに語られる。特にドレスデン爆撃の話は体験者に話を聞いていて、自分もそこにいるかのように感じられた。また、フラウエン教会の再建についても、実際に活動している人に話を聞いたり、2005年の落成の際のレポートもあり感動的だ。
ドレスデンに行ってみたい人には特におすすめの本。
私もまたすぐにでも行きたい。

初ドイツが、ライプツィヒとドレスデンだったのはかなり特殊な体験だったのかも。と思い始めた。
ヨーロッパはイタリアと英国しか行ったことがないから、あのバロック建築の洪水を見てもあまりびっくりしなかった。ローマでさんざん見たから、ヨーロッパはこうなのかと思っていたのだが、甚だ勘違いだったようだ。

緑の丸天井の宝物。
アルテマイスターの傑作の数々。
呆れるほどの豪華感は、ある1人の君主のなせる技と知って驚いた。

あ、駆け足で見たアルテマイスターの傑作の中で私が一番心惹かれた画家「カナレット」について、この本の中で結構なページが割かれていたのがうれしかった。この著者と多少似た感性があるのかもしれないと思った。その画家の絵には、私が行った時は群がる人もなく、じっくりじっくり時間をかけてみることができた。警備に立ってる人に、いろいろ質問もした。英語で聞いたが答えは全てドイツ語でさっぱりわからなかったのも思い出だ。


カナレットの描いたノイマルクト広場。向こうにフラウエン教会が見える。

先生の率いるこの研修旅行には歌がつきものらしいとは聞いていた。

「教会とかに入っていってさ、まん真ん中で堂々と歌うんだ。そうしたら誰も怪しまない。歌は賛美歌だから、神にささげるということになり問題ないしね」と先生が楽しそうに話してくれる。

前半組の皆さんはドイツ各地で歌って来たらしい。果たして、後半組にもそのチャンスはあるのか?

先生は文学者で昔話の研究者だが、若い頃からコーラスをやってこられた。
高校時代に合唱部を作ったり(先生は新制高校の一期の世代)大学の先生になってからも合唱サークルを主宰して指導したり。ご自身のドイツ赴任時代には街のセミプロのバッハ合唱団に所属していたのだとか。
最近まで知らなかったのだけど、作曲などもされてて、先生のラジオ番組のBGMは、先生の手によるもの。

さて、ドレスデンについた夜のこと。
夕食後ホテルに戻る道すがら川沿いのブリュールのテラスを何人かでそぞろ歩いていると、向こうの方からコーラスが聴こえてくる。耳を澄ますと、聞き覚えのあるメロディー。25周年秋田大会で聴いたあの賛美歌だ。
近づいていくと果たせるかな、先生と10数人の仲間たちがエルベ川の辺りで歌っている。
早速我々も合流。

先生は中心で指揮をする。
こんな時でもとても真剣、
皆照れずに真剣にやろうぜ。真面目に歌わなきゃきれいな音にならない。みんなもっと小さな円になって、!音が散らばらないように。人の音を聞いて!テンポを合わせて!」と渾身の指揮。前半の旅から参加してる人たちは、呼吸ぴったり。先生の意図をすぐに理解する。我々後半から参加したメンバーも、その雰囲気についていく。
なるほど、真面目に歌うと楽しい。


(ブリュールのテラス夜景)

このテラスは、川沿いの遊歩道になっていて、観光客も多く、大道芸人もいる。歌う我々の周りにはいくらかの聴衆が足を止め、歌い終わると拍手が起こった。
気持ちいいな。

翌日午前中。
ホテル前にあるフラウエン教会前の広場へ。ここで、この教会の歴史について先生から説明を受ける。
前の記事に書いた爆撃破壊から再建に至る歴史を東独時代にここを訪れた事もある先生の体験も交えての話で身を乗り出してきく。このためにこの旅行に参加したのだ。

(先生の説明を現場できく。修学旅行だ!)

先生の話が一通り終わる。次の行程はドレスデン城の「緑の丸天井」の見学で少し時間があるらしい。すると先生が「歌おうか?」鶴の一声。

皆、ゴソゴソと楽譜を取り出す。
そう、旅行初日に「ドイツ語会話メモ」とともに楽譜が配られていた。
昨夜と同様、先生がみんなを指揮する。「小さな塊になろう。音が散らばらないように。人の声をきいて。テンポが遅くならないように」最初に各パートで音を取る。初心者は皆主旋律を歌う。50人を超える歌声、素人でもそれなりにいい音になる。

ここは、ドレスデン一の観光名所、歌い終わると周りから拍手が。こういうのがヨーロッパなんだなぁ。
先生はこの教会の中でも歌えないものかと考えていらしたが、時間の問題もあり実現しなかった。残念。前半組の人はライプツィヒのバッハゆかりのトーマス教会でも歌ったらしい。(タイミングがあうかの問題)羨ましいな〜。

ウィーンの最後の夜。
さよならパーティーをしたのは地下のワイン蔵みたいな石造りのレストランだった。
そこでも「最後に歌おうぜ」ということになり、皆で歌った。三回目だったので私はアルトに移って歌った。建物の構造的にとても音が響いてきれいだった。いつでもどこでも複数の人がいればできるハーモニー。


(いかにも音が響きそう)

歌い終わって先生がひとこと。
「うん、きれいだ」

先生がコーラスをお好きなのがわかる気がした。

ドレスデンが、第二次大戦中に空襲で被害を受けた街というのはなんとなく知っていた。でも、あの戦争で空襲というのは珍しいことでもないから、それほど特別には考えていなかった。
旅行前に「ドレスデンに行くよ」と友人に話すと、「フラウエン教会はぜひ行くべき」という話だった。

そして、実際に行ってきた。
泊ったホテルもこの教会の真ん前で、何度となく通ることになった。
それが上の写真。
教会の前にあるのはルターの銅像。

有名な話らしいのでご存知の方も多いと思うが、この教会は1945年の爆撃で壊滅的に破壊され、長く瓦礫の山として放置されていた。東西ドイツ統合のあと、再建の気運高まり、1993年から再建が始まった。瓦礫の山から石材を探し出し(戦後間もなくからそうやって少しずつ準備がなされていた)、以前と同じ場所に使うなどして(見つからない石は新しく調達し、「世界最大のジグソーパズル」と言われたのだそう)2005年に再建完了した。

白っぽい石と黒っぽい石のまだらもようなのはそういう事情だ。
何か、熊本城の石垣の復原を想起させる。

今は、古い歴史的な建物もきれいに復元されているので爆撃のことは言われなければわからないほど。
でも、街で売られている絵葉書に1945年当時の写真が多くあり、衝撃を受けた。
日本の空襲のあとはまさに焼け野原で何も残っていない写真をよく見るが、それとはまた違う凄まじさ。
石の街が破壊されるとこうなってしまうのか。


市庁舎から見た爆撃後のドレスデン市街地。

そしてもう一枚、絵ハガキの写真。
それはドレスデンの中心街とは一見信じがたい写真だった。フラウエン教会と羊?

裏には「フラウエン教会」と書いてあるし、崩れ方を見ても、フラウエン教会であるのは間違いないのだけれど、手前の牧場の風景は何だ?
教会のまわりは石畳だったはずだけれど、なぜこんなことになっているのだろう?
いつごろの写真?
いろいろ疑問がわいてきたが、その場では解決しなかった。

帰国していろいろ調べた。
この写真は1957年に撮られたものらしい。有名な写真なのだそうだ。

つい去年のこと、この写真に写る羊飼いが60年経って探し出され、インタビューを受けるということがあったようで、その記事の載った地元の新聞記事を見つけた。彼は80代の今でも羊を飼う生活をしているそうだ。

1957年当時、エルベ川の河原からフラウエン教会の前などを羊に草を食べさせながら移動していたらしい。
やっぱりここはこういう草地になっていた時期があったのだ。
石畳はどうなってたのかな?
爆弾で穴が開いて凸凹していたところが草地になったのだろうか?

疑問はまだ残るが、合成写真じゃないことはわかった。

着色してみた。
草地の様子がリアルにわかる。

更に情報がないものか「ドレスデン 羊」などというキーワードで検索を進めていたら、下のようなカラー写真を見つけた。
1960年代の様子らしい。上の写真と同じ場所だが撮影場所が違うようだ。
なるほど、これで見るとかなりわかる。草地は教会前の石畳の広場ではなく、いまは建物が建っている場所だったのだ。

写真を詳しく見ていくと更に場所が特定できそうだ。右手にみえる教会の塔みたいなものが「聖十字架教会」のものだとすると・・・
広場に建つ2つの銅像の位置から見ても、この羊たちのいる場所がまさしく今回泊まった、ヒルトンホテルのある場所のような気がする。
なんと!
この絵ハガキはホテルの売店で買った。
まさしくその場所に立って60年前の写真を見ていたんだなぁ。


(グーグルマップの3D機能で検証)

ヒルトンホテルは1990年に建てられた。
戦災からずっと空き地だったのではないだろうか。教会の前が広い駐車場になっている時代の写真もみかけた。
そういえば、フラウエン教会の周りには今回行ったときも、工事が行われていた。よくある都心の再開発だろうと考えていたが、もしかすると、戦後はじめての建築工事なのかもしれない。

上にあげた、市庁舎の塔からの眺めの写真。あれと同じアングルで現代の様子を写したものも見たのだが、広い駐車場になっていた。グーグルマップでも確認できる。
ドレスデンの復興は70年以上かけて新しい街を作っているのだ。それによって世界遺産を取り消された新しい橋の建設も然り。ただ昔の美しさを取り戻すだけではないのだということを思った。

旅行中に消化しきれなかったことを少しずつ復習中です。

到着2日目、ライプツィヒでの昼食は全員で歴史のある店に連れて行ってもらいました。

アウアーバッハスケラー。
AUERBACHS KELLER

かのゲーテも通った店で、彼の代表作「ファウスト」にも登場するのだそう。店の前にはファウスト&メフィストフェレス像などもありました。

店はメードラーパッサージュというアーケード街の地下にあります。このアーケードは、日本のとはちょっと違って建物の中にあるような作りで、ミラノのガレリア(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア)を模して作られたらしいです。パッサージュは20世紀の建造ですが、地下にあるこの酒場はそれよりもうんと古く、1525年にできたのだそうです。当時から地下なのはなぜだろう??

団体なのでセットメニューです。
この旅行初めての外ご飯。特大ボリュームの洗礼を受けました。美味しかったけど。ドイツの黒いビールも飲みました。


前菜


メイン


デザート

さて、このお店は古くからあるビール酒場といった趣で、銀座ライオンなんかとも似ています。(ライオンがドイツのを真似たのは明らかですね)天井や壁にはアーチがたくさんあるのですが、その中の一つに、森鴎外の絵がありました。(写真は同行者にいただきました)

下調べもせずに来てしまったので、鴎外の絵のことなど全く知りませんでした。絵があるということは鴎外がこの店に来たんだろうと思いましたが、それ以上の詳しいことはわかりません。なぜに紋付き袴なのかとか?

帰国して調べました。

鴎外がドイツ留学中にこの店に来ていたのは間違いないことでした。ドイツでは、まずライプツィヒ大学で学んだのだそうです。当時からきっと名店として有名だったのでしようから、何度となく足を運んだのかもしれません。そして鴎外はこの店で友人と飲んでいるときに「ファウスト」を翻訳することを考えるのです。そして、実際に大正2年に翻訳出版しています。

絵の中の紋付き袴は、晩年の鴎外がライプツィヒ当時の若い頃を回想している様子なのだそう。軍服が当時の鴎外、中央の洋装の男性は鴎外の友人の哲学者、井上哲次郎。彼と一緒にこの店を訪れて、ファウストを漢文で翻訳したら?とか話したんだとか。絵の中には、ファウストやメフィストフェレスも出てきますね。

この研修旅行、ご飯食べるところも手抜きなく厳選されてます。
勉強になるなぁ。
でも、もっと調べて行けばよかった。
この店のホームページには日本語版があって、どうも、店の売店では森鴎外の「独逸日記」が売られていたらしいです。森鴎外にあまり関心がなかったので、スルーしてしまいました。

鴎外のドイツ留学について詳しいレポートがあります。丹野義彦という東大の先生のものです。この壁画についての解説も詳しいです。

森鴎外のドイツ留学を辿ってみよう~ドイツ アカデミック街道を歩く
丹野義彦 (東京大学教養学部心理・教育学部会)

友人がこのレポートの存在を教えてくれたのですが、なんと彼女の曾祖父様は、鴎外と同じ頃ドイツ留学していたのだそうで、鴎外の「独逸日記」にも登場するんだそうです。
すごーい!!

自分でアンテナを張っていくと、いろいろなものが身近にあるということに気づかされます。

ドレスデンの自由行動の日に自転車を借りて街を乗ってみました。
ヨーロッパの自転車道の整備は素晴らしいと前々から聞いていたので、実際に体験したかったのです。

「自転車乗ってみたい」と表明していたので、同行者から「ホテルの1階にレンタル自転車ありましたよ」とのタレコミがありました。コンセルジュに聞いてみたらどうやらホテル運営ではなく、ホテルに入ってるテナントのようです。


借りるのには、パスポートなどの身分証明が必要です。
わたしはパスポートは部屋に置いてきてたので、日本の運転免許証で貸してもらいました。


はじめ、一番安いこの緑色のママチャリを1日7ユーロで借りて乗ってみたのですが、ママチャリ乗りにくくて、高くてもいいから変えてもらおう、と店に戻りました。


で、このスポーツタイプを借りました。
これは1日13ユーロ。
ハンドルの形が家で乗ってるのと同じだし、変速ギアも左右についてました。シマノ製。


更に、サドルにサスペンションがついてました。
こういうのに乗ったことなかったので「これ、壊れてますか?」ときいて失笑を買いました。
これは、ヨーロッパの石畳を走る場合必須の機能ではないかと思います。石畳の道ではハンドルに伝わる振動はハンパなかったですが、サドルからお尻に伝わる振動はほとんど感じないくらいでとても快適でした。自分の自転車にもつけたいな。いつもお尻が痛くなるので。


ドイツの道、ほんとに快適でした。
上の写真は、車道で自動車の右折レーンの左側にある自転車専用道です。
自転車が路肩の走り憎いところに追いやられることもなく、快適に、安全に走れます。自転車専用信号機も結構見かけました。


場所によっては、歩道と同じ高さに自転車道が作られていました。
これも快適です。車とも歩行者とも接する場面がないので、気分が良いです。


ドレスデン中央駅前の自転車置場。
こんなに自転車に優しいのに、自転車置き場があふれることなく、駐輪も楽々。(自転車置き場が一カ所にか固まることなくひろく分布しているのも一因でしょうか?そもそも街の人口が少ないのかな。(ドレスデンは50万人、少ないわけでもないけど・・・)


広い公園に走りに行きました。
舗装されてませんでしたが、木立の中走るのはとても気持ちよかった。


この部分は公園の中心部でここは舗装されてました。

自転車の返却は、ホテルの駐輪場に鍵をかけておいておけばよいと言われた。ママチャリなら道路に置きっぱなしでもよかった(もちろん鍵はかけてだけど)
夕食後はお酒も飲んだから乗らなかったけど。

自転車体験。
とっても良かった。
いい自転車借りたのも良かった。
また、どこかで乗りたいなぁ。

https://www.dresden-fahrradvermietung.de/


★絵葉書多数
★不ラファエロの天使のマグネット
★ベルベデーレ宮の図録
★「接吻」メモ帳、えんぴつ
★ボヘミアグラスの小物入れ
★クロスターノイブルクのワイン
★チェコのビール
★チョコレートなど
★先生ご推薦「ケルンの水4711」関連グッズ

8日目。今日はもう帰るだけです。

朝食後、9時にスーツケース回収。

出発まで1時間半、すこし街を散策しました。
ベートーベン広場のベートーベン像を見て、トラム(24時間券を買っていたからまだ使えた)でモーツアルト公園へ。ここは、寅さんのウィーン篇で、竹下恵子と出会う場所。来ておきたかった。

10:30 ホテル出発でウィーン空港へ。ルフトハンザの自動チェックインはとても煩雑だった。(日本語翻訳がヘン)

13:15 ルフトハンザ2329便でミュンヘンへ1時間程度。ミュンヘン空港でビール飲んだ。羽田への便は2時間ほど遅れた。待合室では昔ばなしの語りをする人もいて、研修旅行っぽい!

18:40 ルフトハンザ714便で羽田へ。

翌 13:00 羽田着。

お疲れ様でした~~~

7日目。ウィーン滞在。

朝食後、歩いて行ける「シュテファン大聖堂」へ行き、エレベーターで塔に上りました。

10時集合で現地ガイドさんが案内してくれます。
バスでぐるりとリンク道路を巡って車窓から市内観光。見どころだらけで忙しい。ベルべデーレ宮殿で下車。有名なクリムトの「接吻」のある美術館へ入ります。1時間くらい美術館を見学して、バスでホテルへ戻ります。

午後は自由行動。
ホテル近くの「ホテルザッハー」で「ザッハートルテ」と「ウィンナコーヒー」。
行列できてたけど、一人だったので割とすぐに入れた。
またまた一日乗車券を購入し、トラムや地下鉄に載ってみる。
ネットで調べると「寅さん公園」というのがあるらしいので、先ずそこまで地下鉄で行き、帰りにトラムを乗り継いで「市民公園」のシュトラウス像を見て、ホテルへ。

夕食は郊外の「ホイリゲ」というワイン農家のやってる居酒屋へバスで向かいます。ここでこの研修旅行のさよならパーティーです。さよならパーティーは、少しおめかししてくる人もいたり。司会進行役の人もいて、楽しく過ぎていきました。
私はバスの運転手さんへのお礼のスピーチを担当しました(英語!)

ホイリゲのワインはとっても美味しかったのでした。

6日目。今日は朝プラハを発って、バスでウィーンへ向かいます。

7:00 スーツケース回収
8:00 出発
プラハ市内の渋滞、それと途中の高速でも渋滞していて、予定がずいぶん押してしまいました。
チェコを出る前に寄ったトイレ休憩時に、皆の小銭を集めてビールを買って回し飲み。

13時到着予定だった昼食会場へは、2時間遅れで到着。

15:00 クロスターノイブルク 修道院レストランで昼食 併設のワイナリーでワインを3本購入。

17:30 ウィーン着 ホテルチェックイン後 バスでシェーブルン宮殿へ
シェーンブルン宮殿は専属ガイドさんについて、宮殿内を見学、その後宮殿内のレストランで夕食。それからサマーコンサート。華やかでとっても楽しかった。(この辺ことは改めて別記事で書きます)

5日目。プラハ滞在です。

朝食後、9時集合で皆で市内観光へ出かけます。
この観光には、現地ガイドさんがついてくれます。

火薬塔~旧市街広場~フス像~天文時計(修復中で見られず)~カレル橋~プラハ城

と歩きました。旧市街は迷路のようで迷いがいがありそうです。が、とにかく暑い。プラハには超高温警報が発布されていて、37度までなるとか。ドイツもそうでしたが、今年はヨーロッパも熱い。(暑いではなく熱い)
カレル橋でプラハ城へ行くチームとミュシャ美術館へ行くチームに分かれましたが、ほとんどが坂の上にあるプラハ城まで歩いてきました。ここで解散です。私は単独行動しようかと思っていましたが、どうやらこの研修旅行ではあまり単独行動は推奨されないとわかり、同じように単独行動を希望している人に声をかけられて二人で離脱しました。

プラハ城を二人で歩き(チケット窓口の列があまりに長く、熱中症で死ぬかもと思ったので、チケットは断念して、城内を眺めながらただ歩いてきただけになりました)地下鉄駅で1日乗車券を買って、国立博物館前で下車、そこから単独行動。目当ての国立博物館は本館が改装中で閉館していて、新館を見学。考古学展示がとても面白かった。
そのあとは、トラムに乗って乗り物を楽しみ、バーツラフ広場の本屋~旧市街の「ボヘミア」というレストランで夕食。夕立でびしょ濡れ。

19:20 ホテルロビー集合で国立マリオネット劇場へ(希望者のみ)。夕立のあとの涼しいプラハ旧市街を歩いて劇場へ。出し物はモーツアルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」あらすじも知らなかったけど、結構楽しみました。
帰りにスーパーに寄り、両替したチェココルナを使いました。

4日目。ドレスデンを発ち、チェコの首都、プラハへ向かいます。

11時スーツケース。12時チェックアウト。13時出発。
午前中の使い方が難しい。
結局、朝食後10時にアルテマイスター美術館へ入り、30~40分見てから、一度ホテルに戻りスーツケース出してチェックアウトしてから、再度アルテマイスターに戻ることにしました。
2部屋分引き受けて。
アルテマイスター美術館にはラファエロとかフェルメールとか名画がたくさん。ミケランジェロのピエタもありました。ランチの時間はなくなったので、通りすがりのカフェでサンドイッチとコーヒーを買って、集合時間までホテルのロビーで食べました。

13:00 ホテル出発 バスの旅。

途中、トイレ休憩をサービスエリアのようなところで。
チェコのお金でアイスクリームを買って食べました。

16:00前にプラハ着。チェックイン。夕食までホテル周辺をうろうろ。スーパーで買い物。
プラハは少し雑然とした街路で坂も多く、建物も古くてとても旅情をそそる町です。

18:30 バスで夕食会場へ。渋滞激しい。
夕食は、プラハ最古のビール醸造ビヤホール。U Flekuへ。
古い店構え。雰囲気も良く素敵でした。アコーディオン弾きのおじさんもやってきて日本の曲も演奏してくれた。

3日目
今日は1日ドレスデンなのでゆっくりすることができます。

朝食後、9時にロビー集合でまずはみんなでホテル目の前にある「フラウエン教会」へ。小澤先生が、この教会の歴史を説明してくれます。そして教会前の広場でみなで賛美歌のコーラス!!周りの観光客のみなさんが拍手してくれました。
その後、ドレスデン城へ。途中「君主の行列」のマイセンタイルの壁画を見て、レジデンス宮のなかの「緑の丸天井」という宝物館へ。ここは時間の予約が必要らしいですが、しっかり10時の予約が取ってありました。
10:00 緑の丸天井に入った後は自由行動です。ツアーの皆さんはケストナー博物館へ行く人が多かったのですが、私は単独行動したくてそれには参加しませんでした。ショッピングモールで水やちょっとしたお土産を買った後、先生とランチの約束してたのでホテルへ戻り、先生の部屋に電話するも不在(結局先生とは会えず)、ひとりでフラウエン教会前広場のカフェでランチしてから、ホテルのレンタルバイクショップで自転車を借りました。

ドレスデン市内サイクリング
市内の自転車道は走りやすく、どんどん郊外へ。暑くて耐え切れず、ドレスデン中央駅~グローセルガルテンへ。気持ちの良いサイクリングでした。

ランチは先生と取れなかったので、夕食を一緒にすることに。10人くらいで近くのスイス料理店(エーデルワイスアルペンレストラン)へ(空いていたから)。この旅行中に一度は先生とご飯食べたかったので、とりあえずミッション完了。

食後はエルベ川沿いのブリュールのテラスへ。
ツアーの人とそぞろ歩き&激論。
研修旅行ってかんじ!
修学旅行みたいで楽しい。
ホテルに戻ると、先生の部屋の前で手招きする人が。そのまま5~6人で先生のお部屋でワインを呼ばれました。私の部屋でも女子会が開かれてました。修学旅行だ。

2日目。
ホテルは ウェスティン ライプツィヒ
朝食はホテルで相部屋の方と一緒に。自己紹介などしながら。司書歴ン十年のベテランの方で、今は小学校の図書館司書をしているのだそう。
午前中は自由行動となっていたが、後半組葉初日ということもあり、みんなでまとまって市内観光をすることになった。
9:00スーツケースを部屋の外に出しておく。チェックアウト。
9:30 集合
ホテルから歩いて~観光案内所(絵葉書を買う)~マルクト広場~旧市庁舎~ゲバントハウス~パッサージュ~聖トーマス教会へ
日曜のミサが終わるのを待ち聖トーマス教会内部へ。男性コーラスの練習風景を見学。練習だけど、音が響いてとてもきれい。昼食まで自由時間。マルクト広場の地下鉄駅を見に行った。

昼食:Auerbachs Keller で。
ここは、ライプツィヒ大学の学生時代のゲーテが良く通った居酒屋で、「ファウスト」にも登場するのだそう。メフィストフェレスの像などが玄関のところにある。森鴎外も来たことがあるらしく、紋付袴の鴎外の絵が壁画になっていた。料理はセットメニューで、ドイツ料理。量が多い!!ビールがおいしい。この旅行では、昼からアルコールが推奨されていた。そしてほとんどの人が酒好きだった!

食後、聖ニコラス教会に寄りパイプオルガンを堪能。
15:00 ロビーに集合して、バスでドレスデンへ向け出発。総勢50名を越えるので、バス2台。車酔いするので、前方座席を確保。アウトバーンから、細い田舎道に入り、かわいい村々の中を縫って移動。たぶん運転手さんのサービス。

磁器の町マイセンへ寄る。
美術館もあったけど、時間もあまりないのでショップの商品をじっくり見ることにする。アウトレットには60%オフで出ていたけど、それでも高い。1万円以上のものが多かった。何も買わなかった。

夕方 ドレスデン着 ホテルチェックイン後 みなで歩いて夕食へ。アルテマイスター付属のレストラン。貸切だった。魚料理。

夕食後はブリュールのテラスをそぞろ歩き。どこからとも無く聞いた事のあるコーラスが聞こえてきて行ってみると、先生がいてみんなで歌っていた。もちろん合流して歌う。拍手を貰った。

まずはメモ代わりに旅のダイジェストを載せていきます。

初日

12:00 羽田空港集合
チェックインのあと、団体待合室(初めて入った!)で同じ研修に参加する皆さんと「結団式」20数名で自己紹介をしたのですが、なんとなんと、ほとんどの方が複数回参加していらっしゃる!引率の先生から旅行中の注意事項の話などがあり、あっという間に搭乗時間が近づく。

14:05 ルフトハンザ717便でフランクフルトへ向け出発。(所要時間 11時間40分)
18:45 (ドイツ夏時間)フランクフルト到着。入国審査。乗り継ぎ。
22:15→ 22:35(DELAY) ルフトハンザ164便でライプツィヒへ
23:30 ライプツィヒ着 荷物受け取り、JTBの係りの人の出迎えを受けバスでホテルへ

深夜 ホテル着。玄関に小澤先生も出迎えてくれていました。チェックイン、部屋割りを聞くと、私は前半組の人と相部屋だそう。どんな人かな?夜中だったので挨拶もそこそこにシャワーを浴びて就寝。

昨日の午後無事羽田空港に到着しました。
50人を超える団体旅行で、全員と話をして名前を覚えよう。と頑張ったので、ブログを書いている暇もありませんでした。

とても楽しい旅となりました。
おいおい旅行記書いていきますね。

到着初日、フランクフルトから、ライプツィヒまでの飛行機が少し遅れ、日付けが変わってからホテルにチェックイン。

1週間先にドイツを旅行していた先生たちが迎えてくれました。
米寿のお祝いをした飲み会から3週間、ライプツィヒでの再開が果たせました。

ドキドキの部屋割ですが、私と同室になるのは、先発隊の方でした。部屋の鍵を受け取り、そ~っと部屋へ入り、挨拶もそこそこ、お風呂に入って寝ました。(でも疲れのせいか、あまりよく眠れなかった)

翌朝、朝食のときに挨拶して自己紹介し合いました。新潟から来た司書さんでした。

部屋からの眺め。

そして、この朝、これから街あるき!というタイミングで、デジカメが壊れてしまいました。まさか!と思いましたが、本当に壊れてました。

これから美しい街並みを写真に撮ろうと張り切ってましたが、スマホの低性能カメラで撮るしかなくなりました。心の目に焼きつけましょう。

夏休みだからか、ルフトハンザ機内はほぼ8割が日本人客。
通路側の席で良かった。
隣は同じツアーの人。
窓側に学会参加の大学院生。
フランクフルトまでは約11時間のフライト。ロングフライト用のジャージ素材のロングワンピース&むくみ防止の着圧ソックスで割と快適に過ごす。

ご飯が2.5回出た。
スパークリングワインがあったの良かった。

機内では、映画見たり音楽聞いたり。映画は中井貴一と佐々木蔵之介の「嘘八百。

11時間ほど乗って現地時間18:30にフランクフルト着。
ここで入国して22:15発の国内線でライプツィヒへ向かいます。


乗継便を確認


団体行動です。


ドイツらしいデザイン

ビーツのサラダを買いました。

初めてのルフトハンザでドイツへ行きます。まずは、羽田からフランクフルト。その後ドイツの国内線でライプツィヒまで。

現地でもいろいろ報告できるかな。
いってきまーす。

下調べを何もしていないので、緊張MAX。
ガイドブックを図書館から借りて来たけど、読む時間がない…。

言葉ももう英語で行くしか選択肢はないけど、挨拶くらいは現地語で。
と思って、スマホにドイツ語とチェコ語の会話アプリをインストールだけしてみた。

それはそうと、東京医科大の女子受験生だけ一律に減点してたっていう話、はらわたが煮えくり返っています。
えらいさんの出身県の子供だけは有利に判定する高校ボクシングの不正にも。
子どもたちをなんだと思ってるんでしょうか。
大人は!!

このところ連日猛暑の中ではありますが、往復1時間の自転車通勤してます。
汗だくになりますが、幸い職場にはシャワーがあるので、さっぱりして仕事に取り掛かります。
帰宅後もすぐに入浴。
夕食とってるうちに、眠くなります。
暑さのせいなのか、運動のせいなのか、多分両方ですね。
夜9時にはベッドに入ります。
夜中に目をさまし、水飲んだり、ゲームしたり(ダメな大人)、インターネットしたりしてますが、夜中に何度か目が覚めるのは、室温のせいかな?エアコンつけてますが、暑かったり寒かったり、温度調節が難しいですね。

そんなわけで、旅行の準備が思うように進みません。
そのせいなのか、飛行機に乗り遅れる夢を見ました。
集合時間を間違っていたのでした。

正夢にならないように気をつけます。

海外旅行保険はいつもクレジットカードに付帯しているもので間に合わせている。一度も使ったことはないけれど、保険とはそういうものでしょう。

さて、今回、団体ツアーで旅行会社の手厚いフォローがある。保険についても同様で「チェコに入国するにあたって、クレジットカード付帯の保険の場合は証書を取り寄せるように」との指示があった。できれば英文がいいでしょう。という話だったので、カード会社に連絡して証書を取り寄せた。

そんな話を友人としていたら、「カード付帯の保険だと補償額がたりない」という話がでてきた。
え、そういうもんなの?

調べてみると。。。
チェコに入国する人は海外旅行保険必須で、しかも補償額に下限の規定があるらしい。チェコ大使館の記載によると「治療・傷害・死亡に関連する項目においてそれぞれ3万ユーロ相当額以上の保険金が支払われるものでなければなりません」とのこと。ビザ免除の場合も同様とか。クレジットカードは複数持っているので、それを合算すればなんとかなりそうだけど、一箇所からしか証書は取り寄せてない。補償額の話までは旅行会社の人話してなかったけど、実際の運用はそれほど厳密じゃないのかな。

クレジットカード海外旅行保険の合算について。
複数の海外旅行保険付帯のクレジットカードを持っている場合、死亡後遺障害補償は合算不可だけど、その他の保険金は合算OK。

でも結局、今回は治療補償だけ追加で保険に入った。
9日間で700万円までの補償で保険料1780円。
損保ジャパンのネットで申し込む海外旅行保険off
出発当日まで入ることができるネット保険。
便利ですね。

陳昇まつりでなかなか落ちついて考えられなかったのですが、来月ヨーロッパ周遊9日間の旅に出かけます。

いつもは出発前に徹底的に調べたおしていくスタイルの旅行をする私ですが、今回は全く準備ができていません。なぜなら、団体ツアーだからです。ホテルも移動も全て旅行会社が手配してくれています。甘えています。
とはいえ、自由行動も多く、食事とかも自分でしなきゃいけないのですが、そもそも旅行の場所自体も自分で決めたわけでないので、未だいまひとつ興味が湧かず、ガイドブックはおろか町の地図すら見ていない状況・・・・、じゃ、なぜ行くんだ?

そう思いますよね?

なぜかというと、これは恩師主催の研修旅行で、「先生と一緒に旅したい」という動機のみで参加するからなのです。先生88歳なので、さすがにこれで最後なんじゃないかという話です。
会社の夏休みの前に更に1週間前倒しで休みをもらわなきゃいけないこととか、目の玉飛び出る高い旅行代金とか(新婚旅行時の2人分よりも高額!~とても質の良い手配旅行なので)いろいろなハードルを乗り越えての参加なのです。
先生と一緒に旅行できるのが楽しみなんですが、何処に行くかはそこまで重要じゃないという・・・。

前置きが長くなりましたが、あまりにもに準備不足なので、現地でネット環境が必須でしょう。地図調べたり、レストラン情報調べたりとかね。
そこで、それだけは準備することにしました。

3か国周遊なので、WIFIルータ借りて行ったらどうなるかな?
ちょっと調べると、9日間で15000円位
えええ~~~高すぎる。

じゃあ、SIMカードはどうかな?
団体旅行なので到着空港でSIM探すのは避けたい。
日本で買って行く方がいい。

調べました。

安いのありました。
Threeデータ通信プリペイドSIM【イギリス含む42ヶ国対応】【1GB / 30日タイプ】
1GB(1か月有効)で、ヨーロッパ各地で使えて1200円しない。
やすい!
イギリスの「スリー」という電話会社のデータ専用SIM。
迷わず買いました。

春にヨーロッパに行った友人からのお勧めはこれ。
AIS プリペイドSIMカード データ通信 15日 4G/3G
これは15日間データ使い放題。3400円。
日本もアジアもアメリカもカバーしてる。
「スリー」のがうまく使えなかった時のために、保険として買っておこう。。
使わなかったら、別の旅行の時に使えばいいし。

これで、いつでも出発できます。