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なんだか頭の中がごちゃごちゃする。とっちらかってるかんじた。整理のため、今の関心事を書いておこう。

☆日韓関係のゆくえ(いつどんなふうに関係改善するか?)
☆冬の寒さ対策。床の断熱と二重窓のDIY。窓のサイズ図ってホームセンターに行かなくちゃ。
☆腰痛改善。改善方向だとは思うけど、整体院に通うお金が心配。
☆横浜の街歩きガイドツアーに参加したい。この前元町商店街で4〜5人のグループにガイドさんがついて説明を受けてるのを見かけた。ああいうの参加したいな。

☆コメントくださったあゆみんさんとのやり取り(実はとても近しい方だったと判明)
☆安倍政権がいつになったら倒れてくれるのか。

 
ここまで書いて、ちょっと手が止まった。書き出していくと、そんなに関心事と言うのは多くないのかも。
 
と、夕食時に夫に話すと…
「ボクのことは?」
とイタズラっぽい顔で聞いてくる。
「ボクには関心ないんだ。ふーん。」
 
ドキッ!
 
ハイ。全然思いつきませんデシタ(笑)
 
 
追記。
もう一個関心事があった。香港情勢。これもとても気になっている。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

マルティン・ニーメラー

先日、撮りためていたTV番組を次々消化する中で「新・映像の世紀」を見た。
その中でにでてきた、ニーメラーという反ナチ運動家の言葉がずしんと心に鈍く響いた。
この言葉は、書かれたものではないため、似たような意味のことばがいろいろ伝わっているらしいが、上記にあげたのは、ニーメラー財団が詩としてまとめたものらしい。

こういうバージョンもある

「ニーメラー牧師は何千人もの人々の前に、彼自身のことを(あまりにも謙虚に)こう語った。ナチスが共産主義者を攻撃した。彼はやや不安になったが、彼は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。そして彼らは社会主義者を攻撃した。彼は不安だったが、社会主義者ではなかったので何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、彼はそのたびに不安になったが、やはり何もしなかった。そして彼らは教会を攻撃した。彼は教会の人間であった。だから彼は何かを行なった。しかし、それは遅過ぎた。」
— ミルトン・マイヤー

警句だ。
社会の諸問題を「ひとごと」と考えていることの恐ろしさがストレートに伝わる。
ナチであろうとなかろうと、同じこと。
心にとどめたい。

2019年ももう2週目に入った。そろそろ、今年の抱負とか目標を考えておこう。
で、ここに書いておくと何か月ごとに見返して、「あ!そんなこと考えていたっけ?」なんて気持ちを新たにする事も可能だろう。


新年に願うのはいつも健康。


1.勉強する。本を読む。

やらなければ!と思ってるわけじゃなくて、やりたいなぁと思っている。
ここ数年読書量がとても少なかったので、そろそろ読みたくくなってるみたい。


2.裁縫する。ミシンを買う?

去年は手縫いで外付けポケットとか、カメラ入れとか、小学生の家庭科レベルのものだけど作った。リュックのファスナーの修理もやってみた。それで、手芸店へ足を踏み入れて見たところ、結構楽しい空間だった。
裁縫なんて超級苦手な分野だと思ってきたけど、中学高校でミシンでスカートやワンピース作ったんだし、やればできるかもしれない。

3.会いたい人に会い、ゆっくり話をする時間を持つ。
去年まで数年続いてきた『巻き込まれキャンペーン』はいったん終わりにして、もうすこし能動的に活動することにしよう。(註:巻き込まれキャンペーンというのは、来るモノ拒まずでいろんなイベントに巻き込まれていくこと)去年までも『会いたい人に会う』というのは心がけてはいたけどた、もっと積極的に、自分から選んで行こう。

よく年賀状などで「今年は会いたいですね」なんて書くけど、結局会わずに数年経過とかってよくある。
「会いたい!」と思ったら今年は意識してチャレンジするぞ!

以上、2019年になって2週間目に私が何となく考えていることです。

2

今年を振り返ってみると、今年は「学ぶってどういうものなのか」を、ちらりちらりと感じ始めた年と言えるかもしれない。

昨日のエントリの「ええ、政治ですが、それが何か?」、実はこの著者の岡田先生とはSNSでつながって、少しメッセージのやり取りもさせてもらった。
私のセンサーが「このヒトは(ある程度何を言っても)大丈夫だ」と告げるので、著作を読み始めたことなどを図々しくもご本人に伝えたりして。(いや、きっと嬉しいんじゃないかな~無関心な事より絶対ね)そうなると、感想も伝えたくなるし、次があるかわからないけど、次に会う機会には、この本を読んで感じた疑問点なども質問してみちゃおうかな~なんて思う。

つまり、学びってこういうことなのかも。

講演会や勉強会に出て、話に納得したり興味をもったらその先生の本を読んでみる、或いはその話の中でに出てきた本を読んでみる。で、その本についての疑問や感想を伝える。
そうすると本の内容もすごく頭に入るんだなぁ。
だって、一回講演で話きいてるわけだから。

岡田先生は大学の先生だけど、学費払わなくてもこうやって勉強できる機会があるんだ。(本代とか呑み代とか別の学費がかかるけどw)

そうか、そうか、こうやって学べばいいんだ。
今頃気がついた。
大学まで行ったのに。

実をいうと、今年、ものすごい時間をかけて1冊の本を読む、小澤俊夫先生の講義を4回受けさせてもらって、「本ってこういうふうに読むのか!!」と衝撃体験をした。そのことを友人連に話したら、「そういうの大学の時やったでしょ?やらなかったの?」とあきれられたのだけど・・・。正直なところ大学の時にやった覚えがない。
もちろん、「講読」という授業あって、読んだこともあったような気がするけど、今年やったのとは印象が全然違ってた。

こういう本の読み方、学び方を20歳くらいで会得していた人も多いことだろうけど、自分はそうではなかった。
大学生の頃には何を読んでもたいして頭に入らなかった。
その本を書いてる人に話を聞きたい。
と思ったことなかったなぁ・・・。

時がきた。
機が熟した。
学びの時は「いま」!

こういうことなのかな?

思えば私の友だちも沢山大学の先生になってる。
友達のよしみで勉強させてもらえる機会もつくれるね。
ふふふ。
この周回遅れ感を別に恥ずかしいと思わないメンタルも学生の頃とは全然違う。

成長したんだなと前向きにとらえることにしよう。
いまから学んでいけばいいのでしょう。

巻き込まれキャンペーンを終了し、お断りキャンペーンが始まりました。
そんな中で誰に誘われたわけでもなくでかけてきた勉強会です。
小澤俊夫先生の「日本を見つめる」をよんで、そろそろ政治のことも自分のレベルで語れるようになりたいものだなぁ、でも何からどう勉強したらいいかわかんないしな~なんて思っていたらこの講座の案内を見かけました。
しかも、テーマが【憲法】。
これはいい!かも。

連続講座!岡田憲治の「政治学の基本の“キ”」

私の疑問

・安倍さんを批判する人は多いし、直接話したことない人だけど、どう見ても胡散臭く見える。
でもじゃぁ、なぜそんな人が日本のトップにいるのかな?
安倍さんと直接話したり、人柄能力を知ってる人たちはいるはずで(自民党の人たちね)、そんな人たちは、なぜ安倍さんをトップに置いておくのだろう?

講座も面白かったのですが、終わってから先生にちょっと質問をしたら、「これから打ち上げ行きませんか?」と誘われたので、面白そうだなと思って参加してみました。
6人位で近くの焼鳥屋さんへ。
政治の話から、野球の話、さいごは力道山の話になって、カルチャーショック的な楽しい打ち上げでした。

政治は選択、そして言葉が大事。
政治と無関係に生きているように見えて、だれも無関係ではないということが、こないだの釈徹宗さんの宗教学入門と全く同じ話で、面白いと思いました。

好きとなったらけっこう集中して楽しんでしまう私の生活、そろそろ文化系の遊びはひと段落つけて、体を動かしたくなってきました。ボクシングをやめてから2年くらいたち、カラダがかなり老け込みました。体重もどんどん増加する一方で、膝とかも痛くなってきたし。

昨年夏あたりからそろそろリセット…と思ってましたが、いざとなると本が読みたいとか落語聞きたいとか、ワインに興味とか、なかなか体を動かすふんぎりがつかない。更に半年くらいだらだらと飽食の日々。
しかし、そろそろ機が熟したようで、動きたくなってきて、本日ジムに申し込みました。
2ヶ月の短期集中でパーソナルトレーニングを受けます。(食事の指導も)
その後は自分で続けていけるようになるといいな。

また、ここで報告していきますね。


(写真はイメージです)

今年やりたいことメモ

□メガネ新調
□スマホ買い替え、もしかしてもしかすると電話会社も替えるか?
□婦人科検診(そろそろ)

最近読んで、とても腑に落ちたというか、感銘を受けた文章です。

アジアの国々と歴史に向かう時に、
どうしたら「楽」になれるんだろう?
どうすれば前向きに付き合えるんだろう。
自分のやったことでもないのに、どうしてあれこれ言われなきゃならないんだろう?
若い頃から、ずーっとずーっと、もやももやもやしてきました。

旅行で訪れたり、友達ができたり、いろいろな経験をする中でずっと考えてはきたのですが、明確なこたえが何十年も見つからずにいました。
でも最近、この文章を読んで「あ!そうか」と思いました。
そして気持ちがかなりすっきりして、楽になりました。

リンクしますので、ご興味があれば是非読んでください。
短くはないですが、とても読みやすい文章です。

第66号「平和国家として生きるために克服すべきことがある」
昔あったづもな通信 第66号  小澤俊夫

今回の衆院選メモ。

おそらく史上最低レベルの投票率なのだろう。荒天での投票所の早じまいなどもあったらしい。まぁ、そのことで大勢に影響はなかっただろうけど。安倍さんの思惑通り(あるいはそれ以上)の結果になった。
希望の党の減速。あの党は、もしや安倍さんと密約してての「逆刺客」だったのではと思わせるほど。
土壇場旗揚げの立憲民主の躍進。どうも民意はこの辺にありそうと感じたけど、でもそこをすくっていけないのが、小選挙区制。反自民、反安倍票は見事に割れた。選挙区ごとに見ていくと、野党への票の合計は確実に自民よりも多く、一本化できていれば自民は勝てなかったはず。この民意を反映できない選挙制度がもどかしい。小選挙区制とは二大政党制が確立してこそ活きる選挙制度なのだと痛感する。この状態では、民意が切り捨てられるのでは?「小選挙区制導入」問題が取りざたされていたころには全くこういうこと思い至らなかった。 
これで、改憲の動きは加速されるだろう。
この期に及び、改悪させないためにはどう監督すればよいのだろうか?

最近考えている「フィクション」の重要性。
先日、ある英文学者と食事した際、「大学の文学が人類にどう役に立つか」について話題にして、その時に示唆されたのが、文学は「フィクション」の存在とその扱い方を学ぶ学問だ。ということ。

非常になるほどと納得させられた。この選挙にしても、投票行動には「フィクション」が大きくかかわっている。人々は、真実やデータや統計や論理的思考の中から投票先を決めるのではなく、候補者の語る「物語」に対して投票をすることが多いのではないか?

それと最近、壬申の乱前後の日本について関心あり、日本書紀や古事記の編纂が、その後の日本にもたらした多大な効果についても考察している。「なぜ天皇制は無くならないのだろうか?」というテーマを考えて、やはりそこのこたえは「日本書紀」や「古事記」の編纂までさかのぼるんじゃないかと思った。天皇が素晴らしいひとだとか、尊敬できるとかそういうことではなくて「そういうものだから」という壮大なフィクションが心の中に植え付けられているから、だから敬う気持ちになる。その敬う気持ちをなんとなく抱く人々が日本と言う国にまとまっているのかもしれない。

「フィクション」とは得体が知れず、扱いがとても難しいもの。そしてそれをうまく使えるものが世界を統べることができるのかも。文学部や文系学部を切り捨てるのは、為政者にとって都合がいいのかもというのはあながちうがち過ぎでもないのか。

2

人間どこかしらにつまづきの経験があるものだ。
その経験をしっかり受け止めてこそ進歩もあるのだろうと思うものの、そこら目を背けたいと思うこともままあって。

私が若いころに1日のうちの3分の2くらいの時間をそれに使った仕事。
そこでの経験はもう忘れたいと思っている。
いわゆるブラック企業だったし。
でも、当時の同僚たちは、時々集まって旧交を深めているのだそう。
私は参加する気にならない。
数人とは個別に会うことはあるけど、同窓会みたいなノリはちょっと。
きれいな思い出にならないこともあるのだなぁと思う。

ほとんどの人たちは、別の業界で新しい暮らしをしているからなのかもね。
それに対して自分は、同じ業界でその続きを延々とやってるから、ダメなのかな。

他の会社でも「新卒時代の同期と久しぶりに集まるんだ」
なんて話をときどき耳にする。
うらやましくはあるが、自分にはもっと時間が必要だと思う。

人と比べて優れているとかそういう風には思ってないし、そういう意味だとコンプレックスの強い方だけど、それでも自分のことはとても好き。私のことを一番好きなのは間違いなく私だろう。
このブログも一番読んでいるのは自分だという自信もある。

これも自己肯定かね?
幸せなことですね。

最近着物にちょっと興味がある。
友人の影響かな。
先日、読書会をやったメンバーのうち二人は着物を着る人だ。

そのうち一人はまだ30代だけど、普段着のように着物を着こなし、木綿の着物やデニムの着物などという、洗濯機で洗える着物で飲み会に現れる。織物にも興味があって機織りもしてるんだって!
かっこいいなぁ。
せっかく日本人に生まれたんだから、私もあんなふうに着こなしてみたい。

私自身は、着物には縁がなかった。
背が高くて手も長いので、貸衣裳なんかだとちんちくりん。草履や足袋も規格外。
お下がり・借り物が無理なので、着物を着ようと思ったらとにかく「お金がかかる!」
ので敬遠していたわけ。
成人のとき着物着て写真撮りましたが、袖が短かったので必死に手を引っ込めてた。
そういえば、結婚した時の打掛もそうだった・・・笑。
式場の衣装係の人が「ギリギリだけど手を隠せばなんとかなるか」って言ってたっけ。
貸衣裳だから仕方ない。

でも、友人たちの影響もあり、数年前に浴衣を買った。
「今は背の高い人用の大きいサイズも安く買えますよ」と言われたのがきっかけ。
確かにショッピングモールの呉服店に行くと、つるしの安い浴衣が買えた。
いい時代になったものだ。

でも着物と言えば、
・フォーマルに着るもの
・高価
・決まりが多くて堅苦しい
・着付けが難しい

というイメージで、どうしても浴衣から先に行けない。

で、ふと考えた。
昔の日本人は(祖母くらいの年代までは)金持ちも貧乏人も着物着てたし、フォーマルでも普段着でも労働着でも着物だったんだよね。

着物=フォーマル=よそいき ってイメージを払拭してみようじゃないか!

もちろん、高いものはおいそれと買えない。
でも部屋着なら?
誰に見せるでもない生活着なら和装暮らし始められるかも。

そう思って気にしてみると、和装で暮らしている人、それなりにいるみたい。
歴史家のかるの造船所さんは「家では和服です」って言ってた。
ときどきこのブログで紹介するニッポン画家の山本太郎氏もFBで見る写真は全部和服。普段着だと和服にスニーカーとか穿いてる。

聴いた話によると、20世紀の半ば、洋装が日本人の生活に浸透してきて、先行きに不安を持った和装業界は「高級化」「フォーマル化」を生き残りの戦略に選んだのだそうだ。
それで、現代の和装はこんなに堅苦しいイメージに固められてしまってるんだ。
でもそれって、ついこのあいだのことなんだよね。

日本の長い歴史を考えれば、服飾の歴史もいろんな変遷をたどってる。貫頭衣から始まり、高松塚古墳壁画のドレスみたいな裳とか、平安絵巻の袴にひとえとか。着流しみたいに見える鎌倉~室町の着物~小袖から、振袖~筒袖まで色々。

今のフォーマル和装は江戸~明治あたりのフォーマルの生き残りなのかもしれない。
今や死に絶えたように見える庶民の普段着の和装文化は、現代以降進化してもいいわけだよね。

こんな風にちょっと興味わいている。

6

また都知事が辞任だそうです。
私はせこい人は好きではありませんが、せこくないことと都知事であることは直接には関係がないのではと思います。都政をちゃんとできない人なら問題ですが、せこすぎて常人のレベルじゃないところまで来ていても辞任するようなこととは思えないですね。政治資金が贈収賄とか、選挙違反とかそういう方面なら問題ですけど都知事辞任することはないと思っています。せこいことだけが原因ではなかったのでしょうけど、何も法に触れていないわけだし。。まぁもう決まったことですが。

政治家は嫌われたらダメなんだな~というのが感想。

それに、こんなことも思います。いま政治家を尊敬してる人って圧倒的少数でしょう。だいたい政治家って、尊敬どころか悪口言われる対象です。これどこの誰に聞いてもそんな気がします。
「だれがなっても同じ」
「投票する人いない」
何十年も前から言われてますよね。私もそう思ってる部分強いです。そんな誰も尊敬しない「政治家」なんて、普通の人は目指そうとすらしないでしょうね。

それにしても、みなさん気に入らない人をたたきすぎじゃないでしょうか?公開イヂメのようでしたね。芸能人が不倫したとかでも袋叩きにしたり。何か気に入らないことに対して(あまり自分と関係がないことなのに)、うっぷんを晴らすように叩きまくる世間がちょっと怖くなっています。わたしもちょっと自分に気に入らないことがあるときに、公のことにかみつきたくなることがあるので、自戒もこめて書きました。

気分を変えてみましょう。
お題は「私が都知事になったら・・・」です。

そもそもは、インターネットで誰かがふざけて書いていたネタなのでしょうけど、そのフレーズを引っ張ってきて、自分がもし都知事になったらどんなことをしたいかっていうのを考えてみたら、楽しくなってきました。

今まで考えたこともなかったんですが、自分が都知事になったらどんな東京にしたいか。考えるだけならタダですし、実はこういう風に考えると、今度の都知事選も違った面が見えてくるかもしれないです。一応都民ですし。立候補することのできる年齢だしなぁ。無責任な考えなので、自由にかきますね。

3大公約 私が東京都知事になったら

1.自転車専用道路を整備します。
2.都内の飲食店の全面禁煙化をすすめます。
3.犬の散歩時、公道での長い(伸びる)リードは全面禁止します。

3番目が小さすぎますか?
あはははは。

最近、友人たちとの語らいや新しい出会いやいろいろな文物との出会いや、楽しいことがありすぎて、もう人生のピークを迎えてしまったのかも。こんなに楽しいことばかりであとはまっさかさまに落ちるだけなんじゃないだろうか、などと思ってしまうほどです。

たとえば、先の日曜1日の出来事をダイジェスト記録する以下の通り。
自分のための記録として残してみよう。

朝6時半起床。
洗濯、朝食、ガステーブルの掃除、物置部屋の本の整理、
など何時になく家事を頑張り8時半ごろ家を出発。

電車を乗り継ぎ1時間ほどで大泉学園駅へ。
駅にあった「銀河鉄道999」の車掌さんの人形などにテンションを上げる。
10時前、友人と落ち合う。
一緒に牧野記念庭園へ。
展示や園内の植物をゆっくり2時間ほどかけてみる。
牧野富太郎氏の業績や人となり、全然知らないことばかりで面白かった。
早速ネットで氏の「植物記」を注文。

お昼近くになり、ネットで調べておいた駅前の甘味処へ。
かき氷食べながら人生論・芸術論(?)を語り合う。
1時間以上過ぎてた。

朝は寝ていた夫から連絡。
吉祥寺に遊びに行くという話。井の頭公園でやってるアートマケッツというのが見たいらしい。
大泉学園からバスで吉祥寺行きがあるよと知らせてきた。
急きょ友人と一緒にバスで吉祥寺へ。

駅ビル新しくなった吉祥寺は初めてかも!
人の多さに閉口しつつも、井の頭公園へ。
夫はここで開催中のアートマーケットを見に来たんだとか。

3時ごろ夫と無事会い、園内の木々を見ながら、3人で散歩。
途中、徳川家康に献上された湧水の井戸を見たり、井の頭公園の池の水質改善のパネルで勉強。
井の頭公園の池はもともとは湧水だったんですね。

アートマーケットで空き瓶をリサイクルして作品を作ってるブースに立ち止まる。
話をすると、とても話し好きのおじさん。
教育産業に携わった後、定年後の趣味でこういうの作ってるのだそう。
私の出身校とかも知ってたり、元の職場が大田区だったり、友人が教材関係の仕事してたりと共通点があって話が尽きなかった。

友人と別れ、地元に戻り、近所の友人夫婦と夕方5時から蕎麦屋さんで夕食。
日本酒飲んだり、いろいろ蕎麦屋さんのおつまみ食べたり。
あちらは理系のお二人なので、筑波での農林団地の一般公開の話などで盛り上がる。

そろそろお開きにしようかという中、これまた近所の居酒屋さんが「ワインの試飲会」をやるという情報が友人に入り、友人に連れられ二軒目へ。行ってみると今日は常連さんたちだけの貸切で、これから店で出すワインをどれにするかを試飲してもらってるということのよう。

お腹いっぱいだったのでいろいろ美味しそうなおつまみもあったけど、手が出せず、それでもワインばかり5~6種類はテイスティング。素人ながらお店の人に意見を言って、帰宅。(試飲会は無料でした)

新しい人に何人も会ったし。
楽しい楽しい休日でした。

最近こういうのが続いてます。

なんでかな?
あ、そういえば、この日の行動すべてほかの人から誘われたのがきっかけだ。
自分から!ではなくて、人の誘いに素直に従ってるといいことがあるのかもしれません。


服と靴もかさばる場所をとるものですね。

日本は四季があるから季節ごとに必要な服が違ってたいへんです。
旅の時はその季節の服だけあればいいけど、家の場合はそうもいきません。
油断するといつの間にか服がクローゼットに入らなくなってきます。

タンスの肥やしになってる服を処分
痩せたら着ようもダメですね。
実はあります。
いくつも取ってある・・・。

思い出にまつわるものも危険。
ちなみに私は高校生の頃の制服とかとってたりします。
他にも部活で着てた服とか。
中学生のころに買ったTシャツをまだ着てるんです。
いい加減にしろよ・・・ですね。

よれよれになったら処分
好きな服は着やすかったりしてそればっかり着てしまいます。
いい加減くたびれてても、もうちょっとと思ってしまいがち・・・

好きじゃない服は処分
買ったはいいけど少しサイズが合わなかったり、コーディネートしにくかったりでなんとなくあまり着てない服、これも処分しよう。

その上で、季節ごと、シーンごとに必要な服を旅行の荷造りするみたいに選んでいけばいいかも。

季節
冬・春秋・夏

シーン
会社、客先訪問、スポーツ、休日、結婚式、葬式

たぶん、会社に行く服が一番必要だと思うけど、各シーズン3パターンくらいあれば着まわせるような気がする。

客先用 2パターン
休日用 2パターン
スポーツ用 2パターン
慶事弔事は各1パターンで。

その他、水着とか浴衣とか、南国リゾート用とか少しバリエーションはあってもいいだろうけど、こうやるとたぶん今の服の半分になる気がする。

これ、早速やってみたい。
わくわく!


20歳の頃にアメリカ大陸でバックパッカーをして以来、旅好きのはしくれです。
バックパッカーをやったとはいっても、冒険はあまり好きではなく、「暮らすように旅すること」が自分に合った旅のスタイルだな~と感じています。

就職してからは、国内旅行なら1泊2日、海外旅行は2泊3日という具合に駆け足になることが多いので、なかなか「暮らす」といった感じにはなりません。それでもやっぱり旅の中で暮らしを感じるのが幸せで、できるだけそんな体験をしたいと思っています。

旅の中で「暮らし」を感じる時間は・・・

 〇荷物をバッグから出してホテルのクローゼットにしまう。
 〇コインランドリーなどで洗濯する
 〇旅行だからと贅沢せず、公共交通機関を使う。
 〇毎日同じお店で買い物する
 〇スーパーで食材買う
 〇自炊する

など。など。
これが「暮らすように旅する」で、今日の話は逆に「旅するように暮らす」です。

旅行中はいろいろ楽しいことがあります。
めったに会わない人に会ったり、珍しい景色を見たり、歴史的な事跡訪ね歩いたり。
でもそれとは別に、心の開放感があります。それは「休み」で仕事しなくていい、という意味もありますが、「所有していない開放感」ともいうべきものです。

つまり、自分の持ち物が旅行のバッグに収まっている分だけで、家具も家電もホテルにある最小限で、その最小限のものだけで暮らす開放感のようなものです。
身軽になる感じですね。

旅行の時に感じるその身軽さは、もちろん不便さとも表裏一体であるわけですが、家に帰って自分の持ち物に囲まれてみると、便利だけど必ずしも快適とは思えないのです。多少不便でも旅に出てる時の方が何倍も気持ち良いのです。

ならば・・・
「旅するように暮らす」をテーマに自分の生活をデザインし直そうかな。

まず、「家に便利な生活用品がいっぱいある」必要はないのだと自覚しよう。

たとえば、台所。
あまり使わない調理器具がいろいろあります。

 ・ぎんなん割
 ・チーズおろし
 ・にんじんしりしり器
 ・フードプロセッサー
 ・計量スプーン
 ・蒸し器
 ・レモン搾り
 ・麺棒
 ・すし桶
 ・まきす

これらはたぶん包丁で兼用できたり、二つを一つにまとめたりできるんだろうな。お料理上手になれば、きっと何でも包丁でできるんでしょうね。
食器も使ってないものたくさんあるし。

こういうものを整理していくと、たぶん「ちょっといいサービスアパート」くらいのキッチンの備品になるような気がします。

 ・炊飯器
 ・ずん胴鍋(蒸し器付)
 ・ゆきひら鍋
 ・土鍋
 ・フライパン
 ・コーヒーやかん
 ・ルクルーゼ
 ・タジン鍋             むむ!これでも多すぎ?!

 ・電子レンジ
 ・オーブントースター
 ・フードプロセッサー 
 ・ざる
 ・ボウル
 ・菜箸
 ・トング
 ・おたま
 ・穴あきお玉
 ・しゃもじ
 ・へら
 ・茶こし
 ・計量スプーン
 ・計量カップ
 ・ピーラー
 ・おろし金

 ・コーヒーサーバー
 ・急須
 ・紅茶用ポット
 ・功夫茶セット
 ・茶筅
 ・抹茶茶碗        むむむ、必要ない気がしてきた‥

 ・ワインオープナー
 ・塩分濃度計
 ・栓抜き、缶切り
 ・キッチンタイマー
 ・米櫃

こうやって見ていくと、つくづくモノって多いな~。
これに食器が加わるのだから台所ってすごい分量になるわけよね。

食器は・・

 ・ご飯茶碗
 ・汁ものお椀
 ・どんぶり
 ・皿(大中小)
 ・大皿
 ・手塩皿
 ・醤油皿
 ・小鉢

 ・コップ
 ・コーヒーカップ
 ・ビールグラス
 ・ワイングラス
 ・湯呑
 ・ぐいのみ

             問題はこれらをそれぞれ何客所持するか・・・。

自分の家だから自分の好きなようにやればいいんだよね。
「旅するように暮らす」台所編、少しずつ手を付けていこう。

★上の写真はネットで見つけたもので我が家ではありません。

私の仕事は、美容関係。
化粧品やエステといったものに日々かかわっています。
先日、仕事の付き合いのある20代の女性エステティシャンと話をしました。
その彼女が言うには

「わたし、形の無いものにお金使えないんですよね・・・」

あっと、それはエステ業の完全なる否定ではないか?
そういう彼女なので、エステティシャンの仕事をしてはいるけれど、自分でお金を払ってエステに通ったりはしないのだそう。
逆に化粧品は高いものでも買うらしい。

わかるような気もする。
お金にゆとりがないときには、エステなんかにお金使えないし、やってもやらなくても生きていく事にそれほどの違いはないかもしれない。

でも、私はというと、エステにお金使います。
収入に見合わないくらい、使います。
(言い訳は「仕事上情報収集も必要だから」^^;)

でも本音は、単にマッサージとかお手入れしてもらうのが好きなんです。
すごく心が豊かになる気がして、化粧品買うくらいなら同じお金でエステに行くなぁ。
その彼女とは正反対です。

エステだけでなく、一番お金を使う娯楽は旅行ですし(このブログの読者の方ならもうご存知ですね!)、CD買うよりコンサートに行くし。ホテルは「寝られればいい」じゃなくてできるだけ快適なところがいいし。(高級ホテルはお金ないから無理ですが)
形の無いものにお金を使う方がしっくりきます。

こういうのは、お金のダメな使い方なのかもなぁと思ってた時期もありました。

流行の服なんか全然持ってなくて、もちろんブランドものなんて1つも持ってなくて、かかとのすりへった靴を履いて、それでいてエステに行ったり、しょっちゅう海外旅行したりするのってバランス悪い感じしますよね?

でも自分がそうしたんだから仕方ない。
会社にはいつも同じ服を着て行ったとしても、旅行には行きたいのだから。

でも、最近、こんなフレーズをネットでよく見かけるようになりました。
いわく・・

「同じお金を使うなら、モノよりも体験を買う方がより満足感を得られて幸せ ...」
「モノより体験にお金をかけた方が幸せになれる」
「旅行やレジャーにお金を使う方が、物を買うより満足度が高い」

へ~。
そうなんだ。
私が特殊かと思ってたけど、そうでもないのか。
これからもこの生き方を変える必要はないのかな。

どうやら、学者さんの研究で「モノより体験のほうが幸せになれる」という論文があったそうですよ。

自信ついてきた。
こうなったら、どんどんこの世で体験できることをとことん体験しつくして死んでいくぞ!

美容にはさほど興味のなかった(今でも実はあまりない)私が、美容業界で、ん十年やってこられたのはこの「エステ」という形の無いものを扱うことができたからかもしれません。
化粧品だけだったら、無理だったかも。

ただ、モノはあまり買いませんが、モノを捨てられないという性質はあって、どんどんモノが増えます。
・人からいただいたものが捨てられない。
・旅行の思い出のパンフレットとか捨てられない。
・本が捨てられない。
・キレイな紙袋捨てられない。
そして部屋が汚部屋に…(TT)

これはこれから、変えていきたいと思ってます。

「旅するように暮らしたい。暮らすように旅したい。」
これは一つの理想です。

持ち物を極力減らして、旅行中のような装備で暮らしたい。
本もできれば処分して、図書館をうまく使いこなしたい。
洋服は季節ごとにスーツケースに収まる程度を持ち、
調理器具も1つで何役もするようなものを使って。

幸いデジタル時代なので、旅の思い出の写真もアルバムでなくクラウドで管理できるし。
家電製品の取扱説明書も必要なときはネットで閲覧できるし。
家に物を置いておく必要がどんどんなくなっている気がします。

必要最小限の身の回りのものと、パソコンとホテルにある備品程度の家電と。
それに災害時の備えがあればいいのじゃないかな?

そうしたら今よりもっと家賃の安いところに引っ越せるかも。
もっと体験にお金かけられるかも。
ワクワクしてきた!


「マイブーム」という言葉を作ったのはみうらじゅんさんだったか。

私も「マイブーム」の多い人間ですが、興味がなくなるとあきれるくらい興味なくします。

で、今、自分でも不思議なくらい「本が読めない」。

「最後に読んだのはいつだったか?」
というくらい読んでいません。

逆に、今うちの夫は今怒涛の読書ブーム。
毎週毎週何冊も新刊を購入して読みつくしている模様。

ところで、私の友人知人にも本を書く人がちらほら出現し始めました。
「わ~い友達の本だぁ!!」
と喜び勇んで即購入し、

「早く読んで感想を伝えたい!!」
なんて思うのですが、全く読めず。
買っただけで「積ん読」状態。
これでは友人にも悪いと思いつつも、全然ページがめくれない。

夫が「これは面白かったよ」
とたまに推薦してくれるのですが、全然読めず。

こんなに本を読まない時期は人生で初めてかもしれません。

今まで全く運動してなかったのが、運動に興味持ってるわけだから、今まで大好きだった本に興味をなくしてても不思議ではないのかな。
それに十数年ぶりに絵も描き始めたし。

少しは本も読めたらいいのだけど、もうしばらくこの本を読めないブームは続きそうです。


「マイブーム」という言葉を作ったのはみうらじゅんさんだったか。

私も「マイブーム」の多い人間ですが、興味がなくなるとあきれるくらい興味なくします。

で、今、自分でも不思議なくらい「本が読めない」。

「最後に読んだのはいつだったか?」
というくらい読んでいません。

逆に、今うちの夫は今怒涛の読書ブーム。
毎週毎週何冊も新刊を購入して読みつくしている模様。

ところで、私の友人知人にも本を書く人がちらほら出現し始めました。
「わ~い友達の本だぁ!!」
と喜び勇んで即購入し、

「早く読んで感想を伝えたい!!」
なんて思うのですが、全く読めず。
買っただけで「積ん読」状態。
これでは友人にも悪いと思いつつも、全然ページがめくれない。

夫が「これは面白かったよ」
とたまに推薦してくれるのですが、全然読めず。

こんなに本を読まない時期は人生で初めてかもしれません。

今まで全く運動してなかったのが、運動に興味持ってるわけだから、今まで大好きだった本に興味をなくしてても不思議ではないのかな。
それに十数年ぶりに絵も描き始めたし。

少しは本も読めたらいいのだけど、もうしばらくこの本を読めないブームは続きそうです。

自転車通勤の途中、踏切が1箇所あります。そこは駅前なので、朝など多くの人がいます。で、本来やってはいけないことですが、遮断機が降り始めてから踏切に走り込んでくる人、多数。
ホントに、多数。

この辺の電車駅は、改札からホームまでがとても近い構造で、駅に入ってくる電車に乗りたい場合、遮断機が上がってから踏切を渡って改札に入っても間に合うくらいです。流石に朝は人が多いのでもっと時間がかかりますが。それもあって遮断機が降り始めてから走り込んでくる人が多いのでしょう。危ない危ない。踏切に走りこむくらいなら、少し早く家を出るか、家を出てすぐのところで走っておけばいいのにと思いますが。(それは無理か…)

先日のことです。
踏切手前で警報がなり始めたので、自転車を降りて待ってました。

それからざっと20人くらいの人が踏切に果敢に駆け込んできました。
そして、踏切の真ん中で若い女性同士がぶつかって、一人は駆け去りましたが、もう一人は踏切内で転んでしまいました。

ああ!あぶないっ!!

その女性は、よろっとしながら立ち上がり、あとほんの数メートルの距離を駆け出そうとしました。その時点で 遮断機は完全に降りており、 踏切内に残っているのは彼女一人になっていました。

ところが、その女性、一旦立ち上がったはいいのですが、またよろけて転んでしまいました。

ええええ!!!!

これは、非常停止ボタンを押しに行く案件では?
そう思った次の瞬間、その女性は立ち上がりなんとか踏切の外に出ることが出来ました。

良かったけど。
ほっとしたけど。
危なすぎる!
遮断機降り始めた踏切に侵入するのはホントにダメです。
あんな場面もう見たくない。


今だから書きますが、私20年ほど前にものすごくお金に困った時期がありました。働いていた会社の経営が思わしくなく、給料が出たり出なかったりで、かなり借金を抱え、家計がいわゆる自転車操業状態。アパートの家賃も遅れてばかり、ガス電気水道がとめられることにも慣れてしまうほど。

結局その会社は倒産してしまいましたが、公的なところからの救済(未払い給与を出してもらえる)や失業保険などのおかげで何とか借金を清算できました。そして再就職して生活を仕切り直したころ、営業先のお客さん(お店の経営者)からいただいたのが写真ものです。

「YOKOさん、今1000円札持ってる?」

「あ、持ってます。」

「じゃ、貸して。おまじないしてあげる。」

言われるがままに財布から1000円札を出し渡しました。
その方は、自分の財布から5円玉を取り出して、私の出した1000円札で包み始めました。器用に小さく小さくたたまれた5円玉入りの1000円札(↑写真)ができあがりました。

「できた。これであなたはもうお金に困らないわよ。これをお財布にずっと入れておきなさい。」

私の正直な気持ちとしては、「1000円だって生活費、おまじないに使う余裕はないのに」だったのですが、その時はそのお客さんの人柄もあって、素直に受け取りお財布にしまいました。その方には自分がお金に困っていた話などはしたことがありませんでしたが、倒産する会社にいたということで何か察してくださったのかもしれません。

以来20年。

何度も財布は買い換えましたが、そのたびにこの1000円札のお守りも移し替えて、財布の底で大事にしてきました。

大事にしてきたというのは、ちょっと嘘ですね。
実は存在をすっかり忘れていたんです。
先日、あまり現金を持たずに食事して、支払いの段になって「お金がない!」と慌てて財布の裏までひっくり返したときに久しぶりに見つけたのです。

でも考えてみれば、あの時から20年間一度もお金に困ったことはありません。
つまり、困り果ててこの1000円札のお守りをほどいて使うような場面は、この20年一度もなかったということです。

おまじないが効いたのかな。
久々に目にしたこのお守り、また財布の奥にしまいました。
この先も何とか無事に過ごしていけますように。

人生の先輩というのはありがたい存在です。
自分の考えを押し付けるのではなく、ヒントを与えてくれて感謝です。

さて、表題についてですが、実は私は「反原発」ではなく、どちらかといえ原発容認の考えを持っています。「脱原発」は理想としては何度も頭に浮かんでますが、現実問題難しいのではないかと思っています。もちろん詳しく勉強したこともなく、印象の範囲ですけど。印象というのは「反原発」の人々の主張が変なのが多くて(山本太郎議員に代表される変な人たちや「放射脳」と揶揄される非論理的非科学的と思える論を展開する人たち)嫌悪感ばかり増すというのもありますね。それに左翼につきものの(右翼にも?)シュプレヒコールというのがどうも苦手です。

暇なときに自分なりにきちんと考えてみようと思ってはいるのですが、結構複雑な問題だし、何を知ればいいのかもよくわからない。特にネットの世界は玉石混交(大部分が石)、マスメディアもあまり好みじゃないし。
もんもんとしていたところ、電力関係のお仕事に長年携わってきた人生の先輩からこの動画を紹介されました。「原発問題の本質に迫る動画としてこれ以上のものはない」ということです。

原発事故 吉井議員質問ダイジェスト

見てみたら、すごくよくわかります!
なんてわかりやすいんだ~。

こんなことが、地震の5年も前から国会で語られていたとは!
自分の無知が恥ずかしい・・・。

この吉井議員は、wikiによれば京大工学部の原子核工学科卒の専門家だそうです。この動画では2006年から国会での原発の安全問題についての質問の様子が収められています。
話し方も穏やかで聞きやすいです。声もステキ(結構大事なポイントw)

福島第一原発事故が起きる前に、「内部電力、外部電力もすべて断たれたら、冷却できず、炉心溶融、水蒸気爆発が起きるのではないか?」と指摘し、その電力供給のバックアップの重要性を指摘している国会議員がいたなんて。

2006年当時にこの質問を見ても専門用語(炉心溶融、冷却水の取水、自然崩壊熱、外部電力・・・)が多くて意味が分からなかったと思いますが、2011年を経験した後ではこんな言葉だれでも分かる言葉になっていますね。

で、見ていて一番気になったのは、吉井議員の指摘を受け止めて対策を講じていたら、福島第一の事故はもっともっと違ったものだったろうという点です。

今なら、一般人の私にもよくわかります。
外部電源及びバッテリーのバックアップを複数持ち、そのどれか一つでも残っていたら、燃料棒の冷却が続けられて女川原発と同様に冷温停止できたかもしれない。

もちろん、女川だって電源をすべて失っていたら福島と同様の問題が発生したでしょうし、どれだけバックアップを持っていても全部だめになる可能性はゼロにはならないでしょうけどね。

さて、この動画をあげているのが日本共産党であるせいか、閲覧が2万件程度にとどまっています。もったいないことです。私もこれが先輩からのお勧めでなかったら、スルーしていたかもしれません。

さて、この動画や吉井さんの会見動画などをみて思うのは、原発事故は人災だった。ならば、やはり万全の対策をしておけば原発稼働も可能ではないか?という点です。

原発問題思いつきあれこれ(書き散らかしです)

原発は利権とがんじがらめだからいけない。とかいう人がいますが、それはどうなのかな?もし太陽光に切り替えて原発分+アルファを全部太陽光でやるといっても、利権のカラム話は避けられないのでは?

日本は地震列島だから原発はなくすべき。
もっともだと思うけど、日本に住んでる以上ここでやるしかないから。それでも311まで地震で原発大事故は起きておらず、福島第一のも、万全の備えをしていたら食い止められたのだとしたら・・・コストの面で合わないということになるかもしれないけど。

核廃棄物の問題だけは、どうしたらいいのか答えが出ません。

この問題は、福島の事故が起きてから、ずっと考え続けています。ブログには書いたことはあまりないですが、日本のだれもが頭の片隅にいつも置いていることだとは思います。

この動画ひとつで答えが出たわけではありません。
原発推進の人々の話も聞かなくちゃと思いますしね。
安全神話は崩れた、ではこのリスクを持ってでも推進するその主張も知りたいです。
このブログをご覧の方のお考えも知りたいです。
よかったらコメントください。
ただ、私がついていけないような高度なコメントをいただいてしまった場合は、お返事できないかもしれませんが・・・。

おまけ(こっちは1時間の動画で長いですが、原発事故後の記者会見の様子です)
原発問題について 吉井議員の会見

自転車通勤している私ですが、とにかく交通ルールを守らない自転車にヒヤヒヤ、いらいらさせられてます。

中でも気になるのが、右側走行の自転車。
危ないですよね。

スマホ自転車とかヘッドフォン自転車とかも、めちゃ危険ですが、これは危ないのを分かってやってるんでしょう。それに対して、右側走る自転車は知らないでやってるんじゃないかな?と思うことがしばしば。

ある朝のことでした。
とある交差点で、ヒヤッとすることがありました。
右側走行してきた自転車とトラックが出会い頭にぶつかりそうになったんです。
自転車に乗っていた女性は悲鳴を上げて急ブレーキかけてました。
トラックも一旦停止してそろそろとスタートしかけてたところだったので、ぶつかりはせず事なきを得ました。

私は道の反対側にいて見てたのですが、あれは自転車に問題があると思いました。
勿論、事故になってしまえば、トラックの前方不注意とかも言われるンだと思いますけど。

トラックの立場で考えると、
●そもそもその道は一方通行なので、右側から来る車に注意している。
●自転車は一方通行でないので、左から来る可能性はあるが、左側通行していればぶつかることはない。
●歩行者は、左から飛び出してくる可能性あるが、一旦停止してのろのろ動き出しているスピードならぶつかる可能性は低い。

なので、問題ないはずだったのです。
自転車が右側走行して(しかもスピード出して)こなければ。

しかし、件の自転車の女性、たぶん、トラックが悪いと思ってる。
そんな表情してた。
自分が右側通行してるのが悪いとはきっと気がついてない・・・。
よっぽど追いかけていって、右側通行危ないですよ。
って声かけようかと思ったけど、追いつけませんでした。

政治の話は特に得意ではありません。
世の中の仕組みをとても分かっているわけではないし。
でもそういう人でも選挙権を持ち、この国を、私たちの生活を、未来をどうしたいのかについて考えて、代表を国会に送り込む。それが民主主義の政治ですよね。

どう考えても、日本国民の大人世代に突入している年齢になった身としては、
「いや、よくわからないんで」とか「政治には関心ないから」とか言って良いわけがないとわかっています。

政治的によく考えるほうだった両親に育てられたこともあるし(というか私たちの親の世代は、関心高い人が多いですよね。60年安保世代?)20歳になったら選挙に行くのは当たり前だと思っていたので、これまでずっと投票には行っています。
正直、若いころは、誰に入れていいのかさっぱり分からなかったし、選挙の争点を聞いてもあまりよく理解できなかった。

でも30代になってから、少しずつ政治が分かるようになりました。選挙の争点にも関心が持てるようになり、投票することも意味が感じられるようになって来ました。
それでもたいした考えがあるわけじゃないけど、自活するようになってからは漠然とした生活防衛感覚もあるし、海外に出て行くようになると国際社会における日本の立ち位置などへの希望などは、肌で感じるようになってきたから。

さて、今回の参院選。
とにかく、東京選挙区で山本太郎氏が当選したのがとても衝撃でした。
絶対ないと思っていたので。
3番目に当確出たときはとても驚きました。
私、この世の中のこと全然分かってなかったんですね。

でも考えてみたら、自民→民主に政権交代したときも、こういう感覚だったのかも。
「一回やらせてみようよ」って。
今回の山本氏当選も「一人くらいいてもいいんじゃない?」ってことなのでしょうか?
まだ良く飲み込めていません。

わたしも成人式なら2回以上。
まぁ結構いい感じに歳をとってきました。

年齢を重ねることで、自分の成長や経験値のアップなど、いろいろいいことがあるんですけど、つくづくいいな~と思うのは、回りに専門家が増えてくることですね。

自分と一緒に、友人知人も歳をとっていき、それぞれいろいろな経験をして、いろんな分野の専門家になってる。

それが楽しいです。

昨日会った友人は、趣味で知り合った人ですが、人材関係のお仕事で専門家になってました。自分の仕事での求人についていろいろアドバイスもらいました。
面接の仕方や、求人の方法など。
こちらはまるっきり素人なので、
へ~っ!て目からウロコが落ちるようなお話を聞かせてもらいました。

英文学の先生になった同級生は英語を教えてくれるし、
そむりえ君はワインをオススメしてくれるし、

私もこの業界で二十数年。
きっと他の人よりか、よく知っていることがあるんでしょうね。
お役に立たたなくては。

2

昨日は、ツイッターのスパムDMを踏んでしまい、いろいろ面倒なことになりました。
これまでにも何度もそういうメッセージを受け取っていましたが、その都度「これは怪しい」と、回避していたのですが。
つい、気がゆるんでしまっていたようです。
やられました。

数人の人がすぐに教えてくれて早めに対処できたので、大事には至らなかったと思いますが、いろいろ勉強になりました。
なぜ、ひっかかってしまったのか、自分ではわかっています。
よく知ってる人からのDMだったのですが、ちょっとした事情があって、普通の対処ができませんでした。
またいつもと違うネット環境でつないでいたのも一因。

少し状況が違うだけで、普通の判断力が鈍ってしまうというのは問題だなぁ、と反省中。
この経験はしっかり今後に生かしていこうと思います。

ご心配やアドバイスをいただいた皆様、ありがとうございました。

今回の起きた現象をまとめておきます。
皆様の参考に少しでもなれば幸いです。

現象篇-------------------------

1.ツイッターのDMが来る
2.リンクをクリック→開かない
3.いつも使わないPCでアクセス→認証をもとめられる。
4.ツイッターのID&パスワード入れてしまう。

 ※フィッシングです。
  この時点でアカウントを乗っ取られてます!

5.身に覚えのないDMをたくさん送ってしまう。
 (フォロワーさんからDMやメンションなどでお知らせが届き始める)
 どうも、新しいフォロワーさんから送っている模様。100通くらいか?
 DMの送りすぎで、規制がかかりしばらくDMは送ることが出来なくなる。
 (この機能のおかげで被害が最小限になったようです)

対策篇-------------------------

1.ツイッターのパスワードを変更する。
2.送ってしまったDMを削除する。
3.フォロワーに「DMがスパムであることを知らせる」
4.ツイッターの設定のアプリ連携を確認、自分で承認した以外のアプリがあるはずで、それを「許可しない」に変更。

参考にしたサイトはこちら。
「乗っ取りに注意、Did you see this pic of you? lol URL … という内容のTwitterフィッシングサイトへ誘導するスパムDMが発見されました。」
http://twitterspam.info/1848

アカウントの乗っ取り事件は「くまモン」アカウントの件を思い出しますが、あれは怖い事件でしたね。私のような一般人のアカウントはそこまでする魅力がないでしょうけど。

気をつけたいものです。

4

「“結婚している人幸せ”意識に男女差」というニュースがyahooのトップに載っていた。ちょっと考えさせられた。
まずはもと記事。


“結婚している人幸せ”意識に男女差
1月31日 6時6分

「結婚している人のほうがしていない人より幸せ」と思うかどうか、NHKの放送文化研究所が調査した結果、「結婚している方が幸せ」と思う割合に男女差があり、女性の方が男性より低い結果となりました。

この調査はNHKの放送文化研究所が去年11月から12月にかけて全国の16歳以上の男女1800人を対象に配付回収法で行いおよそ67%に当たる1212人が回答しました。
調査で「結婚している人のほうがしていない人より幸せ」と思うか尋ねたところ「そう思う」または「どちらかといえばそう思う」が合わせて28%で、「思わない」と「どちからといえばそう思わない」を合わせた29%とほぼ同じでした。
ところが男女別で見ると▽男性は35%が「そう思う」または「どちらかと言えばそう思う」と答えているのに対し▽女性は23%にとどまり男女差がありました。
さらに女性でも▽独身の場合は26%が「そう思う」または「どちらかと言えばそう思う」と答えているのに対し▽結婚している場合は21%となりました。
家族社会学が専門の日本女子大学の永井暁子准教授は、「男性の場合と違い、女性は仕事でも家事の負担でも結婚のメリットがない社会であることが、こうした結果につながっている。魅力的な家族生活を送れる社会の仕組みが出来上がっていない」と分析してしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130131/k10015183491000.html


こういう調査の結果は解説によって印象が操作できますね。
結婚していない人は結婚してる人に比べて幸せかと聞くとまた別の結果になったりするかもしれません。

気になったので元データに当たってみました。

放送文化研究所
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/category/yoron/index.html

このサイトに載っている調査結果も一部のようですが、さらに一部を(ニュースで言及してた部分)のグラフを載せておきます。

専門家が、「男性の場合と違い、女性は仕事でも家事の負担でも結婚のメリットがない社会であることが、こうした結果につながっている。魅力的な家族生活を送れる社会の仕組みが出来上がっていない」と分析しているのは、この調査結果だけが根拠でないのかもしれませんが、私には少し違和感があります。
そもそも、「幸せ」という抽象的で、人によって定義があいまいなものを数値化していくこと自体に無理があり、その無理を承知での調査なのでしょうけれど。

「幸せ」を感じる基準に男女差があるのでは?

心の中までは見れないけれど、こういう調査で「幸せだ」と単純に答える人の割合は男性の方が多いんじゃないかな。
こういった調査に回答するには自分を客観視する必要がありますが、女性はあまり普段から自分を客観視していないと思うので、結果に男女差が出るのは当然だと思うのです。

ステレオタイプにくくるのはよくないですが、男性はこういういう質問をされたときに、結婚生活全体として捉えて「おおむね幸せ」なら「幸せ」と答える傾向があると思うのですが、女性はその点ちょっと複雑で「幸せ」と言うものは完全形をしてて、そこにちょっとでもマイナスがあると「幸せとはいえない」という評価をしがちだと思うのです。(もっというなら女性の幸せの感じ方はゼロか100か、瞬間瞬間に「幸せ」と「不幸」が繰り返される日々をすごしている感覚です。
たとえて言うならこんな感じ。

・美味しいもの食べた→幸せ
・電車で足踏まれた→不幸
・夫にその髪型にあうねって誉められた→幸せ
・ひとりだけ残業になった→不幸
・あったかいお風呂にゆっくり浸かった→幸せ
・子供が熱を出してるのに夫が会社を休んでくれない→不幸
・仕事で誉められた→幸せ

でもこんな生活を「幸せか?」と尋ねられたときに、総合的に判断するのに慣れてなくて「完璧じゃないから幸せとは言えないわね」としてしまう人が多いように思うのです。

結婚してる状態としてない状態を比べると、してる方が生活が複雑になります。「配偶者との共同生活」「子育て」「配偶者の親戚」「それらと仕事との両立」などなど、単身のときにはなかった要素が(子育ては単身でもあるけど)加わるので、「幸せ」イメージも崩れやすくなるのでは?

でもこれはあくまでもイメージの世界の話で、本当にその人が不幸ということにはなりません。もともと女性の方が環境適応能力は長けてると思いますし。
私の周りでも配偶者への不満、義理の親への不満など散々話す人いますけど、離婚するかというとそんなことはなく、ただ口に出して言いたいだけみたいなんですよね。

女性って、言ってることとほんとに信じてることが違う場合が多いと思います。
だから、こういう調査にはもっと多角的な質問をしないと意味がないんじゃないかな。

興味があるのは
1.「結婚しない人は幸せか」をきく。
2.年代別 配偶者有無別、「結婚は幸せか」をきく。
3.今結婚している人に「未婚時代と結婚後とでどちらが幸せか」をきく。

こんな調査もあわせてしてもらったら、もうちょっと「へ~~」と思うような結果が出るのではないかな、と思うのですが。

今日は「成人の日」ですね。
昔は仕事柄よく取引先の美容室にメイクの助っ人を頼まれていました。

自分のために書く話。今日は懺悔篇です。

その頃、年明けは社員一同東京本社に集まり、初詣に行くのが恒例でした。
(私は千葉に住んでいました。)
各地の支社からも社員が集まり新年の挨拶などやっていたら、幹部から話があるとのことで、全員が一箇所に集められました。

  「実は2回目の不渡りが今日明日に出ます」

ガガガーン!
そうです、勤めていた会社が倒産したのでした。

それから1週間ほど、客先への説明や残務処理に追われました。
そしてそれも一旦整理がつき、成人の日の前日、社員30名ほどで解散飲み会をやりました。

倒産にいたる会社というのは、それまでもいろいろ苦しいことがあり、それを共にがんばってきた戦友みたいな仲間たち。その人たちとの別れが寂しくて仕方なく、いつも以上に飲み、大泣き、最後はとうとう前後不覚に・・・。

ちょっと待て!
アナタ、明日の成人の日、千葉の美容室でメイクの手伝いを頼まれていたんじゃ???
そんなに飲んでどうやってそこまで行くの?

「大丈夫です。電車に乗って帰れます・・・・むにゃむにゃzzzz」(私)

酔いつぶれている私の周りで先輩たちが相談してました。

「何とかしてこの子を千葉まで連れて行かなきゃ!」

先輩が先輩の友人に連絡をして、夜中だというのに千葉まで車で送ってくれるように頼んでくれました。わけも分からず、両脇を抱えられるようにして車に乗り、2時間くらいかけて千葉のアパートまで帰りました(多分)

翌早朝、なぜ起きられらのか不明ですが(多分モーニングコールがあった)、美容室のオーナーが迎えに来てくれて、成人式の支度の手伝いをすることがなんとかできました。
着物を着た新成人の女の子たちにメイクをするのですが、かなりお酒臭かったはず・・・

うううう、ほんとにゴメンナサイ。

前の晩に散々泣いてたから目も腫れてただろうな~。
でも倒産のこと知ってる美容室のオーナーさんは、何も言わずに、お寿司を食べに連れて行ってくれました。(二日酔いのためほとんど食べられなかったけど・・)

あのときの自分は、ほんとに恥ずかしい。
そして、あのときの新成人の皆さんゴメンナサイ。
それとあの美容室のオーナーご夫妻、ありがとうございました!

2

選挙は昨日で、結果もわかっていますけれど、いまさらこんなサイトを見つけましたので、載せておきます。

自分の政治的スタンスと、それを政策にしている政党をマッチングしてくれるサイトです。
やってみたら、ちゃんと投票した政党と一致したので、ほっ。

投票マッチング

投票マッチングでは、20の政策に関する質問に答えるだけで、科学的手法に基づき、あなたの考えに最も近い政党を判定します。結果の解説と見比べながら、あなたの支持政党選びの参考にしてください。

http://nihonseiji.com/votematches

とはいえ、言っていることと実際に実行可能かどうかは別問題。投票する側にはその辺を見抜く力を求められるので、そんなことまで考え出すと、まあ、難しいですけどね。

一人暮らしをするようになって以来、ずーっと悩み続けているのが整理整頓。
苦手なんです。

旅行に行ってホテルに泊まるたびに、
こんな部屋に暮らしたいなー
って思うのです。

でもいざ片付け始めると、
ものが捨てられなくて、収納しきれない。

特に、頂き物や記念の品など捨てられないし、
本も無理。
結婚してからは、2倍になったので、ますますひどくなりました。

前よりうんと広い部屋に引っ越したはずなのに、散らかり具合は変化なし。
どういうことなんでしょうねー。

もうたえられません!

冷静に、必要なものを考えてみよう。

基本的に、ホテルみたいな部屋にすみたいわけだから、旅行の持ち物プラスαで考えればいいはず。

旅行に持って行くもの。

・服
・洗面道具、化粧品
・お金などの貴重品

あ、これだけだ。

それにプラスαの部分は、食料と調理器具。寝具。掃除用具。洗濯用具。
趣味に部分で大事なのは本とCDなど。

もしかしてこれ以外は捨ててもいいの?
その法則で整理してみよう。