コンテンツへスキップ

「浮世の画家」

カズオ・イシグロ
戦中派の戦後のメンタリティの例として、戦後日本のナショナリズムの講義で出てきた小説。
カズオ・イシグロ初めて読みました。

6

今年の夏休みは「山の日」も含めて6連休だったのですが、ずーっと「ハリー・ポッター」を読んでいました。さらに、映画化作品も全部見ました。ほとんど外出もせず。上の写真に写ってる本は半分くらいです。図書館で借りたので、文庫本タイプやハードカバーなどいろんな「版」が混じっています。(英語版はぱらぱらと参考程度に読みました)

まさに「ホグワーツ魔法学校サマーキャンプ参加」の様相^^。
ハリーポッターシリーズは全部で7作品あり、1作品が文庫本だと2~4冊分あるので、かなり読みごたえがあります。(全作品映画化されており~7番目は映画2本分~しかも1本が2時間半!)
ハリーの通う「ホグワーツ魔法学校」は全寮制で、11歳で入学して7年通うのですが、その1年生から7年生までの7年間の出来事です。1学年分が1作品となっています。
とにかく1~2日では終わらない大作ですから、夏休みに集中して読めてよかったです。最後の二日は夢でもハリーポッターの世界にいました。まさに「寝ても覚めても」どっぷり魔法の世界につかりました。
子どものころから本は好きでしたが、ファンタジーには不思議と縁がありませんでした。「指輪物語」「ナルニア国物語」とか、ともだちが夢中になって読んでいた記憶はあるけど、私はローラ・インガルス物語やシャーロックホームズシリーズが好きでした。
初めて読んだファンタジー。
この作品は面白いです!
子供が読むには難しいような気もしますが、きっと子供は子供なりの、大人は大人の感動ポイントがあるのでしょう。
いま勉強しているヨーロッパの「昔話」の要素もいろいろ出てきますし。ファンタジーに素養のなかったところ、勉強にもなりました。

作者のJKローリングはわたしと同世代の作家。

90年代からハリーポッターを書き始め、1作品ずつ出版され、作家が本を書いている途中で映画化も進むという、まさに同時代の作品だったのです。

「次のお話はどんなかな?」などとワクワクしながら出版を待つ体験をした人も多かったようです。出版日には本屋にすごい列ができたとか。

残念!それには参加できなかった。
(だいたい、流行っているものに関心のないふりをしがちな天邪鬼なので、割とこういうことがよく発生します)
今更ながら、大阪のUSJにあるハリーポッターのとこ、行ってみたくなりました。オリバンダーの店で魔法使いの「杖」を買ってみたい(笑)

 イギリスの「階級社会」を背景に読み解く、大胆な「ハリポタ」論!

ハリー・ポッターは映画を1作くらい見た程度。

あまり興味を持ってなかったのですが、世界的な大ヒット作ですよね。
作者のJ・K・ローリングは、執筆当時、シングルマザーで生活保護を受けるほどの困窮していたそうですが、いまや長者番付に載る人ですよね。
きっと面白いんだろうなぁ、とは思いつつもこれまで読むきっかけがありませんでした。
この本は友人が書いたのです、ある日突然郵便受けにこの本が届きました。
作者からの恵贈で出版社から直送されてきたものでした。

このブログで「SHERLOCK」のセリフの翻訳に挑戦していたころ、コメント欄にいろいろ書き込んでくれてた方です。

せっかくいただいたので、感想も伝えなきゃ!
と一気読みしました。
ハリーポッター知らないのに読めました。
イギリスの社会階層論など、とても面白かったです。
で、この本を読んで、ハリー・ポッターも読み始め、
いま、3作目まで読み終わりました。
「賢者の石」
「秘密の部屋」
「アズカバンの囚人」
お も し ろ い !
売れるの納得です。
大人が読んでも十二分にたのしめます(というか、これが子供向けとは思えない)
本を送ってくれた友人からは
「この機会にぜひ小説の方をお読み下さい。英語で読むのがお勧めです。イギリスの学校生徒の口語表現とかもわかって面白いですよ。」
とおススメをいただきました。
え?英語で? 
冷や汗たらたら・・・・
でも、この夏はどこにも出かける予定もないから、
ハリポタを英語で読んでみるのも一興かもしれません。
とりあえず図書館に英語版もありそうなので借りるだけは借りてみましょう。

今やってるNHKラジオの「古典講読」は万葉集です。私の万葉集の知識は、高校で習ったところまでなので、ほぼ初めて聞く話ばかりで面白いです。
鏡王女(かがみのおおきみ)と中臣鎌足の相聞歌を取り上げている回がありました。
玉櫛笥覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも
玉櫛笥 みもろの山の さな葛 さ寝ずは遂に 有りかつましじ
万葉集にはいろんな状況の歌が入っていますが、この歌を送りあうタイプのもの(相聞)は、どうして両方セットで後世に伝わっているのでしょうか?
手紙のようなものだとしたら、セットになってるというのは不思議です。この歌の返歌がこの歌、と特定することも難しそうですし・・。
宴会の席などでふたりが一緒の場所にいて、(さらに公衆の面前で)詠みあって第三者が記録してたとかならわかるのですけど。
万葉集にもそういう宴席での余興的な歌もたくさんあるそうです。上記の鏡王女と中臣鎌足の歌がそれに当たるかは知りませんが。
ラブレター的なもので、しかも「人目を忍んでいる」状況の歌なら、残りにくいんじゃないかな?
うーん。
なんだかすごく気になってきました。
そうだ!
同級生に万葉集の専門家になった人がいたっけ。
聞いてみよう。
以下、わたしと同級生(専門家)のやり取り(相聞)です。

「こんばんは。 万葉集について質問なのですが…。 個人に宛てた相聞歌とか、どういう経緯で第三者の知るところとなり、歌集に収録されたのでしょうか?? 昔からそれが不思議でしょうがないのです。 昔のことで、コピーもないし、個人にあてた歌が残るのが不思議です。 すみません、気になってしょうがなくなってしまいました。」
友人
「こんばんは。 ご無沙汰です。相談の件、個人的には以下のように考えています。 万葉集の場合、歌人名が分かる相聞の歌はある程度偏りがあります。また歌人名が分からない相聞歌はある程度類型化された表現です。 前者の歌は、恐らくそれぞれが歌のメモなどを残していた。それらが万葉集の編集で利用されたのだと思います。後者の歌は、類型化されているので、似た歌が沢山詠まれていた。そうした歌が現在見るような万葉集の歌なのだと創造されます。 これは古今集以降の王朝和歌とは、また異なる残り方なのだと思います。こんなもんでいかがでしょうか。」
「早速のお返事ありがとうこざいます!! めも!! びっくりです。 とすると、万葉集を編むときに、「歌を集めまーす!」とかアナウンスがあり、子孫が応募したとか何でしょうか?(あるいは編者が著名な人の家に行き、「御宅にになんか先祖の歌残ってませんかねー書付とか?」と調査して回ったって感じなんでしょうか?? 類型化した方のは、流行り歌的に その時代の人々が ある程度みんなが知っていたような伝わり方をしていたってことでしょうか??
その辺のことが書かれた参考書とかありますか??」
友人
「編集の時にはある程度周辺の人に頼んだんじゃないですかね。また、古歌集などから拾った歌だと書いてあるので、そうした歌集が早くからあったんだと思います。 類型化した歌は、ある程度知られていたのだと思います。 参考になるような書物、バッチリではないですが、入門書としては、上野誠『万葉集講義』(中公新書)が参考になります。 」
ということで、読んでみました。
「万葉集講義」
面白かった!

はじめはもじどおり「うた」 っていた「うた」が、文字(漢字)の浸透とともに買い留められるようになってゆき、
「だれが、どこで、どんなシチュエーションで」詠んだものか。
が重視されてきた。
というはなしが、目からウロコでした。
硬いタイトルですが、歌の現代語訳が砕けててとても楽しく読めました。
一例を・・・
大伴旅人が九州勤務を終えて都に帰任するときの送別会での山上憶良の歌
あがぬしの御霊たまひて 春さらば 奈良の都に 召上げたまはね
これについた現代語訳が
よっ!わが主人とも頼む大伴旅人サマ。その旅人サマのコネにすがりまして、春になりますれば、奈良の都に栄転させてくださいましな…。旅人サマ。
面白すぎ!でも状況よくわかりますね。

2

再来年の大河ドラマは紫式部が主人公だそうですね。
平安時代、しかもあまり武士が出てこない王朝絵巻。
面白そう!
平安時代というと「風と雲と虹と」を思い出しますが、都の旅一座の風俗が唐風だったりしてけっこう独創的でしたよね。(NHKオンデマンドで見返した記憶有)考証がむずかしく自由度があったのかな~などと勝手に推測。この平安絵巻も自由度があって作りようによってはかなり面白くなるのでは?と思います。
なんにしても戦国と幕末はもう飽き飽きなのでありがとうNHK!な気持ちです。
さて、わたくし偶然にもこのところ「紫式部日記」にはまってるんです。
大河のニュースがあった日はちょうど、予約していた「新訳紫式部日記」が図書館に届いていたので借りてきたところでした。

NHKラジオで「古典講読」という良番組があり、この前まで「紫式部日記」が取り上げられていたのです。ちらっと聞いたらとても面白かったので、ここ一月ほど、Youtubeに上がっているのを毎晩寝る前に少しずつ聞いています。

王朝日記の世界Ⅱ  第 26 回  紫式部 日記(1)紫式部 日記の 魅力 /島内 景二・しまうち けいじ・国文学者 NHK 古典講読
その講師の先生の本があると知って予約しました。
読んでみると、「古典講読」の台本がそのまま本になったような(その逆かも)もので、先生の声が聞こえてきそうです。今まであまり関心がなくて、「源氏物語」も教科書で読んだ程度なんですけど、この日記はとても面白いです。
1000年前の人ですが、島内先生の現代語訳が生き生きしてて、そこに紫式部がいるみたい。友達になれそうな人なのか、なれないタイプなのか、読み進めながら考えようかなと思ったり。
この本読んでおくと再来年の大河もぐんと楽しめるはず!

ロシアがウクライナに軍事侵攻し、大きな戦争になるのではないかと背筋を寒くしています。もしかして第一次世界大戦の始まるときはこんな感じだったのではないか?
戦車がウクライナの冬の大地を進む様子を見て、今でもやはり戦車なのが意外だったり、世の中の動きについて甘い考えだったんだと気が付かされてます。
なんとも落ち着かない、暗い気持ちになってしまったところで、本を読みました。
図書館に予約して、随分順番待ちしました。手に入って一気に読みました。
文庫だしこれは買って手もとに置きたいな。(と思っだけど絶版なんでしょうか??)
著者の京須さんは圓生百席などの録音盤のプロデューサーで、6代目圓生最晩年に一緒に濃密な仕事をした方。
そして文章も素晴らしい。
まるで圓生師がそこで喋ってるかのような錯覚。確かに声が聞こえてくる。
おすすめします。

佐々木閑先生のyoutube仏教講義をずっと見てます。
そこで最近登場したのが南条文雄。
もちろん全然知らない名前でした。
幕末生まれの真宗大谷派のお坊さん(学僧)で、明治九年に英国に渡り、当時ヨーロッパで進んでいたインド学、アジア学、仏教学に触れてサンスクリットを学んだ方。日本最初期の文学博士であり、大谷大学の学長などを務めた方なんだそう。
お坊さんの英国留学ってどんな感じだろ?
と興味をそそられ、図書館から借りてきました。

戊辰戦争の頃、本願寺が像兵を組織して、それに加わって1年余訓練に明け暮れていた話。

すごく秀才だったため、本山の学寮に入って頭角を現していた頃の話。
お坊さんだけど、夜の街に通ってお酒を飲み、いつも同じ女性たちが迎えてくれた話。(笠原さんはその女性との間に一男をもうけていたのだそう)
留学するのは周りに秘密だったこと。
横浜、神戸、香港、シンガポール、セイロン、スエズ運河、マルセイユと航海した話。
英国についてから英語を始めた話。
下宿での初日、ガス灯の消し方がわからず、フッと吹き消してしまいガス漏れ騒ぎになった話。
イギリスでは日本人学生会があり、持ちわまりで研究発表的なことをやっていた話。
アメリカ周りで帰国した話。
大陸横断鉄道にも乗っていらっしゃいます。
ペッペさんが見つけた仏舎利をタイの王様から譲ってもらえるとのことで、お迎えに出かけた話。
知り合いが洋行するというので挨拶に行た際に「いつかはインドへ仏跡巡礼に行きたいんですよね」と話したら「じゃあ、You一緒の船に乗っちゃいなよ。お金1000円かしちゃうからさー」と言われて、そのまま家財道具まとめてお寺に預けて、ほんとにインドに行っちゃった話(奥さん同行)。
これすごい。
1000円ってすごい大金でしょう。
ぽーんと出しちゃう人もすごいけど、すぐにのっちゃう南条文雄先生もフットワークが軽い。
船中で出会った乃木希典氏が「インドは物騒なところだから」と懐剣を渡そうとした(ケド固辞した)
仏教学の世界学会がフランス領インドシナ(トンキン)で開催されてそこへも参加。イギリス留学中に知り合いになった人たちと再会する。
日清戦争後、荒廃した中国の寺のお経を保全(と言っていいのか?日本に持ち帰る)のために清国慰問団が組まれたという話。
ミンビ暗殺事件のあとで、朝鮮の宮殿に幽霊が出るということでお坊さんに読経供養をしてほしいという要請があった話には驚いた。罪悪感が幽霊を見せている?
また、この時の同行者には「覚王山日泰寺」の塔建設のため、中国の寺から仏塔を移築しようという計画をもっていたことも興味深い。
佐々木先生の仏教動画。
先生が「濃厚接触者」となったことや体調不良だったとのことで1週間ほどお休みがあった。(おとといから復活!ぱちぱち)
久しぶりに鎌倉円覚寺の横田南嶺老師のYoutubeも観たのだけど、佐々木先生のことに触れていらして、みんなつながってるなぁなどと思ってちょっとうれしかった次第。

2

この夏はコロナコロナで何となく落ち着かなかった。
読んだ本の記録です。
論文集なので、それなりに難しいのですが、面白い話もあったり。
アンデルセンとグリム兄弟の生涯の比較研究は読みやすく興味深いものでした。
ヘレーン・ハンフ (著), 恒松郁生  (翻訳)
往復書簡集「チャリングクロス街84番地」の大ヒットにより、ついにあこがれの英国旅行ができることになったへレーンハンフのイギリス滞在記です。
翻訳している恒松郁生さんは、惜しまれつつ閉館してしまったロンドン漱石記念館の元館長さんですね。

頭木弘樹著
知り合いが読んでいて面白そうだったので図書館で借りてきた。
読み進めていくと、小澤俊夫先生の話やマックスリュティ理論の話が出てきてびっくり!頭木弘樹という方は「本を紹介する」のがお仕事なんだそう。
おびただしい本と落語の音盤が紹介されています。
面白い本でした。おすすめ!

お経で読む仏教」釈徹宗著
NHK出版 学びのきほんシリーズなので、とっても読みやすく面白かった。
この半年の仏教学習の成果もあり、よく理解できました。
釈先生のお話を聞く機会もそれなりにあるので、釈先生の声が脳内で響いていました。
おすすめ!

自由が丘にある小さな出版社~ミシマ社~の社長さんの書いた本です。
この出版社、本屋さんに行くと何か手書きっぽいポップとかがあったりして、気になっていたのです。
「自由が丘」だし。(自由が丘の近くでいつも仕事しています)
ここの出版社の本を買って読んだこともあります。(成長しない会社~「21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学」 平川克美著
最後まで読んで気が付いたのですが、この本はミシマ社のものではなく、河出書房です。
元気が出てきます。人生に悩んでいる人とか、若い人とか、これから一旗揚げたいひととか、そろそろ人生を仕舞いたい人とか。
おすすめします。

横浜に引っ越してきて2年になる。
通勤に時間がかかるようになった。
特急に乗れば35分、各駅停車で45分 door to door なら乗り換えや歩く時間も含めてプラス20分かかる。
時間に余裕があれば各停に乗るようにしている。帰りは必ず各停に乗る。
10分の差は大したことがないし、各停のほうが空いているから。(コロナになってからは特に空いていることは重要なファクター)
それに各停だと車内で読書にも時間が使える。
都内に住んでいた頃は、自転車のことも多く、通勤時に読書はほとんどできなかった。読書のための時間ってあるようでなかなかない。
おかげで、この2年で読書量がずいぶんと増えた。図書館で借りてばかりだから書棚の本は増えないけど。
あ、この週末に読んだのは、珍しく新刊本の小説「もしも徳川家康が総理大臣になったら」、電車に広告が出てて興味を持った。
まだ文庫にもなってないし、夫に話すと興味がないというので(前にも書いたが夫とは本の趣味が違う)、電子書籍にした。単行本だと1600円くらいするが、電子書籍だと1300円ちょっと。それにAmazonのポイントも貯まってたのを使って800円くらいで買えた。

一日で読み終わった。

800円で買って良かった。それ以上払ってたら、少し後悔したかも(ケチなんです私)。でも前半は大いに楽しんで読んだ。こういう歴史のifものは理屈抜きに楽しい。でもやっぱり内容が薄くて「時間つぶし退屈しのぎ」という感じの本だった
電子書籍は嵩張らないのが何よりの利点。家族でも回し読みはできないから、そこが不便だけど。(今回夫も読みたいと言ったらリアルの本を買っていたかも)

 
夫が買ってきて面白かったといっていた本。
小説読みの夫とは本の趣味はあまり合わない。
私は小説をあまり読まないし、たいてい図書館で借りてくるタイプ。
対して、夫は新刊本を山ほど買ってきてはせっせと読んでいくタイプ(本で破産するかも)。
これは書簡集ということで、とっつきやすく、そしてとても面白かった。
1970年に出版されたもので、日本語訳も早い時期に出ていたようだけど、今年の4月にこの増補版が新たに出て、本屋に平積みになっていたのだそうだ。
ニューヨークの脚本家の女性とロンドンの古書店との書簡集。
アメリカで見つからない古本をイギリスから取りよせようと思って、たまたま雑誌に広告のあったロンドンの古書店に、問い合わせをしたところから始まる。
1949年から1969年まで20年にわたる本の注文やそれにまつわるいろいろなやり取りがそのまま本になっている。
ただそれだけなのに、とても面白い。
時代の空気が詰まっている。
この作者のへレーンは、「消費される」新刊本を嫌っているようだ。その感覚はわたしも分かる。(だから私は新刊本を買わないで図書館で借りている)
それと古い時代を舞台にした小説などにも辛辣だ。
「その時代のことを知りたかったら、その時代に書かれた本を読めばいいのに、なぜ後の時代の人が書いたまがい物を読まなければならないのか」
その感覚も納得だ。
宮部みゆきの江戸ものも昔は好きだったけど、半七捕物帳を知ってからは、江戸風情を楽しむために宮部みゆきを読みたいとは思わなくなった(岡本綺堂も江戸時代を生きた人物ではないケド、現代語で書かれているものの中では江戸に近い)
さて、この本は1970年に出版され、それがリーダーズダイジェストに載り、世界中で大人気になったらしい。そして1986年には映画化されている。主演はアン・バンクロフト(ミセス・ロビンソン!)とアンソニー・ホプキンス(レクター博士!)。
 
アマゾンビデオで見てみた。
この映画もすごくよかった。
この二人は手紙のやり取りをするだけで、実際に会うことはないのだけど、それでもしっかり映画になってる。おすすめ!
さて、この古書店があった「チャリングクロスロード84番」。
いまはどうなっているのだろうかと、グーグルマップで調べてみた。
(こういうの大好き)
そうしたら、その場所はマクドナルドになっていた。
でも古書店時代の古い写真にある建物のファサードは同じもののようだった。
感激。古い建物を建て替えずに改装して使うヨーロッパならではですね。

緑が美しい九品仏浄真寺。
散歩してきました。
桜でもなく紅葉でもない時期はヒトも少なくて落ち着いたいい感じです。


今日のお釈迦様。

本堂には上がらず外から眺めただけです。
最近ずーっと読んでいた、藤本晃さんの「日本仏教は仏教か?」シリーズ3部作。ようやく読み終わりました。読んでいてとてもしんどかった。
頑張って読んだ自分えらい!
この方は仏教学で博士号も持っているそうですが、一貫して主観的な論調で進むので、読み進めるのがつらかったです。
ご自身は浄土真宗のお坊さんだそうですが、テーラワーダとのつながりが強いようで、熱心な釈迦崇拝者だとのこと。悪い人じゃないのでしょうけど、こういう本を書くには向いていない方だなぁと思いました。
・お釈迦さまは全知全能。なんでもお見通し。
・お釈迦さまがスリランカに3回下り立っている。
・パーリ語仏典は真実。お釈迦様の時代から何も変わらずに続いている。
・根本分裂、部派仏教を経て上座部だけがお釈迦様の教えを守っている真のサンガ。ほかは偽物。
という話が繰り返し出てきます。
そのことが、筆者の一番いいたいことなのだろうとは思いますが、主張があるならもっと論理的に語ってもらわないと、飲み込みにくい。3冊にもわたって書いている情熱は感じるけど、その主張は全く納得できませんでした。
今回読み終えた3冊。
この「サンガ」という出版社は、テーラワーダ(上座部仏教)の本をたくさん出版しているようです。しらべたら、今年の1月破産してしまったのだとか!!出版業界は経営厳しいですよね。
 
 

読了。

去年図書館に予約しておいたのが、ようやく順番が回ってきた。
ジャレド・ダイアモンドやスティーブン・ピンカーなど海外の知識人たちにインタビューや寄稿してもらったものをまとめたのだそう。
主に去年の4月5月ぐらいに書かれたものが中心。
そう考えるともう1年が経っており情報としては多少古くなっているが、それでもとても面白く読めた。雑誌の特集をまとめたようなもので、重版などはされないのだろうけど。

世界の第一線で活躍する学者の皆さんであるが、当然ながらその未来予想はそれぞれ違っている。
AIの進化について脅威だという人、楽観的な人。
中国が脅威となるかならないか。
アメリカの民主主義や分断についての悲観・楽観。
おまけのように日本についても語ってくれているが、熱く語る人もいれば、たいして関心がなさそうな人もいた。
私なりに思ったことは、日本の喫緊の課題は男女格差の是正だ。そのことにより超高齢化社会を支える労働人口の減少などについても多少の光明が見えるというものだ。
今読んでいるのは、この本にも登場するスティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」。これが力作すぎてなかなか読み終わらない。飛ばし読みしてるのに、読み終わらない(笑)
でもすごい本だ。
なんとしても最後までたどり着きたい。

「この本を書くことができたはのは、自分にとって本当に良かったこと」
と著者自らがどこかで話していた本。
読了。
科学史概略(結構なボリューム)から仏教に話が及ぶ。
科学者と釈尊への「ラブレター」だとあとがきに書かれている。(この本を書くのに3か月かけたそうだがその期間が恋愛期間だったのだとか^^)
文中に何度となく著者の科学者への憧れが表出してくる。
そんなところに人間くさい佐々木先生を発見して嬉しくなる。
が、科学史概説の部分は私には難しかった。
万有引力、
相対性理論、
量子論…。
進化論はすこしわかったけど、数学史に至ってはまだチンプンカンプン。
何度も読み返す必要がありそうだ。
仏教については「釈迦の仏教」と「大乗仏教」について、それぞれ一章ずつ割いている。大乗仏教についてはかなりぶっちゃけた書きっぷりで痛快だった。
2006年の本なので先生もまだお若いのだ。
個体特性:寒さに弱い に大いに親近感。
釈迦の仏教と大乗仏教がそれぞれ優劣つけがたい(そもそもどちらが優れているなどという比較の対象にはならない)という説明に、「パターチャーラーの物語」が使われていた。この話、知らなかったけど、すごく納得だった。
釈迦の仏教と大乗仏教とは、それぞれ必要な人がいるというのは先生が色んな所で語っていることだけど、今までで一番良くわかった。
 
全てを失い、悲しみのどん底で物狂いのようになっていたパターチャーラーを釈迦が救い、彼女は出家して安寧を得た。
しかし・・・と先生は言う。
「もし、パターチャーラーの子供の一人が生き残っていたら?」
家も夫も両親も子供も失って悲しみのどん底にいることは変わりがないけど、一人残った子どもを育てなくてはならないなら、出家はできない。釈迦の仏教では救うことができない。彼女は在家のままこの悲しみ苦しみと対峙していかなければならない。大乗仏教の出番だ。
と、こういう話。
私はまだどちらも必要としてないから、宗教的に仏教を信じる段階ではないけど、仏教2500年の歴史には大いに興味がある。
「犀の角たち」が2013年に文庫になった。
たぶん文庫版の加筆もあるだろうから、買うならこちらかな。

アマゾンのレビュー見てると、佐々木閑先生を嫌いな人がいるんだな~と思う。なんかものすごい長文で否定してる人いるけど(レビュー欄で)なんなんだ?あの情熱は?

2

数年前から私が時々イベントセミナーでお世話になっている喫茶店(最近はコロナで全く出かけてませんが)『隣町珈琲』さん。そこでお目にかかったオーナーの平川克美さんは、かなり有名な言論者らしくご本もたくさん(でも難しそう)。それでもこの方は私が以前住んでいた大田区の隣まちのご出身だということで、かなり親近感をもちまして、難しそうなご本を買って読みました
そしてその平川さんの幼馴染でよく対談などされているのが内田樹さん。名前はもちろん知っていたのですが、「思想家」とか「哲学者」とかいう肩書きの方の著作はきっと難しくて読めないだろうと思って敬遠していました。
でもそうかぁ下丸子出身なんだ~と、身近に感じてからちゃんと書かれたものを読むようになってみると、面白い!難しいけど面白い!
さて、この本『サル化する世界』
内田さんはいろんなところに頼まれて文章を書いていらっしゃるようで、この本もそういう色んな所で書いたり話したりしたことを再録したもののようです。なので話題はあっち行ったりこっち行ったり、本としての一貫性はないのですが、それでも現代の私たちの問題を語っているという点は共通しています。
非常に興味を惹かれたのが「比較敗戦論」。第二次世界対戦の敗戦国各国の「敗戦の受容」について比較考察した文章です。もちろん日本は敗戦国ですが私から見ても敗戦の受容は健全な形ではないと思います。「敗戦」より「終戦」という言葉を使いたがるとかもその一例かな。
他の敗戦国はどのようにして敗戦を受容したのかという視点で語られています。戦勝国と敗戦国という規定も厳密には難しいもので、第二次大戦のような複雑な戦争、また一つの国でもその戦争の途中で政府が転覆して内戦になってしまったりすると、そもそも勝ったのか負けたのかということがはっきりしない場合があるようですね。
フランスは戦勝国だと思っていましたが(常任理事国にも入ってますしね)でも実はフランスは第二次世界大戦中はドイツに占領され協力した親独政府が政権を握っており本当の意味では敗戦国らしい。
逆にイタリアについては「日独伊三国同盟」の印象が大きいので、何の疑いもなく敗戦国だと思っていましたけれども、実はイタリアは第二次世界大戦中に内戦が起こりムッソリーニを失脚させレジスタンス側の政府になっており、(1945年7月にはイタリアは日本に宣戦布告したらしい)実は戦勝国なのだということも知りました。
敗戦をどのように受容したかによってその後の国民の心の問題にかなり影響を与えるということが、こういう比較研究をすることによってわかる部分があります。私の中の問題意識にも通じるので、ここ少し掘り下げたいな。
そのほかにも「結婚は生活防衛~リスクヘッジ」だという話。
教育が消費されるようになっている。一番教育効果を上げるのは実は「成績をつけないこと」なのではないか?という提言など、考えるヒントがたくさん詰まっていました。

斎藤幸平氏の対談集。
2019年の本。
これも100分 de 名著を見た後に図書館に予約しておいたのですが、やっと順番が回ってきました。 マルクス・ガブリエルら3人の識者とのかなり刺激的な対談(というかインタビュー?)です。哲学や社会学、経済学の最先端の人名や考え方がたくさん出てくるので、正直そのテクニカルタームについて行くことができず、読むのにはなかなか骨が折れました。
こういう本は自分の関心事にどのくらいシンクロするかによって理解度が変わってくるんだろうなと思います。現在の私には第2部のマルクス・ガブリエルとの対話が一番共感し、勉強になりました。
例えば、幼い頃から哲学的思考を訓練するということが人類をもっと幸せに導いていくはずだという主張や倫理的リテラシーを99%の人が持つ社会がどのようなものであるかという話にはかなりハッとさせられました。
自分自身を振り返っても哲学がどのように役に立つかということが全くわからないまま、「哲学なんて頭の中で考えをこね回してるだけだ」というような感覚がずっとありましたので、大変反省しているところです。
哲学的思考訓練をほとんど積んで来なかったために、この歳になるまで世の中の事象について自分の態度を決められず困っています。かなり遅きに失した感はありますが、今こういう本を読みたくなっているのは、自分自身が哲学的思考の欠落を実感しているからにほかなりません。
例えば日本人はほぼ100%の人々が読み書きができますが、それは日本という社会が読み書きができるという能力に非常に重きを置く社会だということだからだと言えるのだそうです。
つまり哲学的思考能力に重きを置く社会であれば、人々がほぼ100%哲学的思考ができる、つまり善悪の判断ができる社会になるだろうということです。そうすれば今ネットにはびこっているヘイトスピーチも、あるいはポピュリズムに対してももっと良い理解や選択が可能になっていくのではないかと言うのです。
なるほど。
そういえば、2年ほど前からNHKで特集されているマルクスガブリエルの「欲望の資本主義」シリーズで彼がニューヨークへ行って色んな人と語り合うという回がありました。
その中で彼に同行していた日本人の若者がいて「この人誰だろう」と思っていたんです。
調べてみたら斎藤氏でした。
他の二人の対談者の話もそれぞれ興味深し。
特にマイケル・ハート氏との「コモン」の話はズバリ私の興味の範囲で刺激的でした。ベーシックインカムも。
ところでウォール街占拠って何?
全く興味なくて知りませんでした。
第3部のポール・メイソン氏との対話については、頭がついていかなかった。また時間が経ったら読み返してみたいと思います。




ところで、
マルクスガブリエルの本みたいにして売ってるんですね。

4

「大乗仏教ってなんだろう」の一環で手にとった。これは比較的読みやすかった。近世近代の大乗仏教での悟り体験を集めた本。(平塚らいてうの悟り体験も載ってる!)

悟り体験を書き残したり詳しく人に話したりするというのは、ここ100年くらいのことらしく、記録はそれほど多くないらしい。
ただ集めただけでなく、学者さんらしく「大乗仏教の悟りとは何か?」という論が展開していて面白かった。

大乗仏教の悟りは釈迦の時代の悟りとは違うみたい。現代のテーラワーダでの悟りはどんなものなのだろう?


読んでいくと、大乗仏教の悟りというものが個人的な体験ではあるものの、ある程度パターン分類できるものだということがわかる、さらに「精神異常」とそっくりな面もあるのだと気がつく。実際、修行中に狂ってしまう人もいたらしい。

いずれにしても私は悟ったりできないだろうし、相当頑張って参禅しても精神異常をきたすのが関の山という予感しかないから、試みないようにしよう。

それでなくても現代人は知識・情報が多すぎて悟りから遠ざかり続けているという。バランスを大きく欠いた現代人は頭とは別の感覚をもっと膨らましていかないと悟れないのだろう。悟りを目指さないにしても、このままでは苦しみが増すばかりだろうから多少の瞑想はやってみたいなと思った。

佐々木閑先生の大乗仏教の本に出てきた大竹晋さんの大発見の話に感銘を受け、調べたらこの先生(今は仏典翻訳家だそうです)も同じ大学の方。ご縁を感じて何冊か本を借りてきました。

「宗祖に訊く」は現代日本に残る伝統的仏教十三宗の宗祖たちが一堂に会するシンポジウム(!)の形式で進む本。

なかなか面白い試み!と思ったのですが、各宗祖たちの言葉は彼らが残した文献に当たっているため現代語訳になっていてもなかなか難しく、今の私のレベルでは読み進むのは無理そう。そもそも十三宗の違いがよく理解できていない。
そこで、今の私の一番の関心事「大乗仏教とは何か?」ということについてヒントがあるかもと思って「大乗非仏説をこえて」を先に読むことにしました。

この本もなかなか手強いです。「一般向けに書いた」とありますが、論文仕立てになっておりなかなかの強面。

それでも内容は非常に面白く、前半は大乗非仏説論に対して日本の大乗仏教側からの反論を検証しているのが興味深く読み進めました。(そしてどれも論拠に乏しいと論破)

後半は、これからの大乗仏教の存在意義を扱うパート。筆者の筆に力の入ってるのがわかります。全体的に骨太で読むのにエネルギーが必要でしたが、筆者の考えも十分伝わる興味深い本でした。
わざわざ、カフェに出かけて(時間をとって)じっくり読みました。こういう難しめの本は家にいるとなかなか読めませんので。

2

読みました。

面白かった!
お坊さんyoutuberの動画を見ていくうち、ドイツ人のお坊さんがこの本を紹介するものに行き当たりました。
釈徹宗著『天才 富永仲基 』について、2020年10月2日
図書館で取り寄せて、早速読み始めたらめちゃ面白かったです。
釈先生の本は難しい言葉もバシバシ出てくるのだけど、語り口に親しみがあるので読めちゃいます。
【公式の本の紹介文】
江戸中期、驚くべき町人学者が大坂にいた――。醬油屋に生まれ、独自の立場で儒教や仏教を学ぶ。主著『出定後語』では、世界に先駆けて仏教経典を実証的に解読。その成立過程や思想構造を論じ、結果を導いた「大乗非仏説論」は、それまでの仏教体系を根底から揺さぶり、本居宣長らが絶賛するなど、日本思想史に大きな爪痕を残した。生涯独立不羈を貫き、三十一歳で夭折した“知られざる天才”に、僧侶にして宗教学者の著者が迫る。
要するに、漢字のお経しか手に入らなかった時代に、経典の成立の順序を明らかにし、「大乗非仏説論」~大乗仏教のお経はお釈迦様の(じきじきの)教えではない~の証拠まで突き止め
た天才がいたという話です。
日本の仏教史を知ってる人の間では富永仲基は有名人なのだと思いますが、私は全然知りませんでした。
実は「大乗非仏説」ということばも、初めて知ったのです。
そのくらいの知識である私でも、この本は面白かったし、釈先生の解説のおかげで仏教の歴史も少し理解が進んだと思います。

芥川賞受賞作が載る時だけ、

たまに買う文藝春秋。

買って読みました。

受賞者のインタビューも載っています。
インタビューに出てくる「影響を受けた国語の先生」が、私の同級生なので仲間内で今回特に話題です。

教え子が芥川賞とって、さらにインタビューで自分の授業のことをあれこれ語ってくれるなんて、国語教師冥利に尽きるんじゃないかなーなんて想像してます。
すごいな。

文藝春秋の目次ってこういうふうにカラーで、折り込みになってます。
これを見て思い出したことがあります。
小さい頃祖父母の家に行った時、本棚に子供の読むような本がなくて、引っ張り出して眺めていたのがこの目次の部分です。イラストがあったからでしょうね。文藝春秋だったのかはわかりませんけど。多分小学校に上がる前
何十年も忘れていましたがこの目次のページを見てその時の感覚が蘇りました。
あでもリボンの騎士とのらくろみたいな漫画が本棚にあったような気もします。
記憶があやふやですけど。

2

SDGsは現代のアヘンだ。
エコバッグやマイ箸を持ち歩くことだけで満足してはいないか?
先月NHKの100分で名著に登場した先生の本。
番組はこの本の内容を紹介するような流れ。
図書館に予約したものの、凄い待ち人数。
新聞やネットやテレビなどで耳にして気になった本は図書館に予約入れてるが、話題の本はなかなか順番が回ってこない。
そこで、土曜日の散歩でとおりかかった本屋で購入。
そこでは週間ベスト2位(学術部門で)。
売れている!
ちなみに1位は「スマホ脳」。
2日で読了。
示唆に富む本なので時々は音読して夫に聞かせては話し合ったり。

このほんの著者、斎藤氏は34歳。

新進気鋭っていうのかしら、
切れ味が鋭く、非常に面白く読めた。
こういう本を読むときに心に浮かぶ
「だから私達はどうすればいいの?」
と言う疑問にもしっかり答えを出してくれる。
「行動するための本」だ。
難しいことも書いてあるけれども、だいたいは我々普通の人間に向けて書かれたメッセージでとても読みやすく心にひびく。
著者の情熱を感じるのだ。
買ってよかった。
資本主義システムがもう人々を幸せにしないことが明らかだと感じている昨今、この本がベストセラーになっていることに希望を感じる。
昨日の新聞記事(朝日新聞有料版)

1996年のエベレスト遭難事故の10年後に作られたドキュメンタリーを見ました。当事者(もちろん全員ではない)のインタビューで進んでいきます。

本を2.5冊読み、映画もみたあとなので、登場人物たちが容易に見分けられ、
「あーこの人があの人なのか!」
という感じで感情移入できました。字幕は自動生成の英語しかないから何言ってるかはそんなにわからなかったけど。
台湾登山隊の「マカルー高」の話には初めて触れることができました。(これまでの本では批判的にあつかわれていたり、インタビューしてなかったり)彼の中国語が懐かしかった(台湾ロス)スコットフィッシャーの最期については彼の証言が一番生々しい…。
公式サイトです。
非常に詳しいことが載っています。インタビューの文字起こしもあって親切!これからちょっとずつ読んでいきます。

今読んでる本。

これまた面白くて、どんどんひきこまれています。(たくさん人が亡くなってる遭難事故なので面白いというのはちょっと語弊がありますが)
1996年大量遭難事件の当事者(ロシア人ガイド)が振り返った本です。
も読みましたが、人により立場も見方も違うことに気付かされます。
登山なんかしないのにこんなにヒマラヤの本を読んでしまうのは、生と死の極限が描かれているからなんでしょうね。
1/19 読了
通勤電車の中で読みながら泣いてしまった。
ラストの邂逅はまるでおとぎ話。
映画のラストシーンのようでした。
「空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」では「ガイドの務めを果たしていない」と徹底的に批判されていたブクレーエフ氏ですが、この本を読むと彼の誠実さや登山家魂を素直に感じることができ、「空へ~」の記述が眉唾に感じられます。もちろん誰しも神の視点には立つことは不可能なので、「空へ~」の著者にも言い分があるとは思いますが。
1990年代にエベレスト登山が商業化され、それによっていろいろなひずみが生じ、ブクレーエフのような従来型の登山家の精神が通用せず、非難される・・・この遭難事件はそのひずみの現れだと思います。
今はもっともっと商業化されていて、頂上付近での渋滞などもニュースになっていますし、ごみ問題も深刻らしいです。アジアの最貧国の一つネパールの貴重な外貨獲得源でもあり、この問題も資本主義の問題につながっていきます。
でもこの本の中で読み取れるブクレーエフの人柄、山への思い、人への敬意には素直に感動します。
いまNHKでやってて録画してみてる「グレートヒマラヤ」に登場する貫田宗男さんもこの本に出てきます。エベレストほどの山にかかわる人は世界でもそうそう多くはなく、つながっているのですね。番組の中で重廣恒夫さんや松田宏也さん(ミニヤコンカで奇跡の生還を果たした人)に遭遇する場面が出てきましたが、本で読んだ「すごい人」に続々出会うのがヒマラヤなんだな。。(いえ、私がそこに行ったとしても会えないと思いますが)

去年のうちに読了した本。
ヒマラヤ登山のノンフィクション3冊目。
これは、1996年に実際に起きた大量遭難事件の当事者(生還者)が書いたレポート。
ヒマラヤ登山の技術的な面だけでなく、利害関係なども含めてとても複雑な状況を理解する助けになった。エベレスト登山と言っても聖域ではなく、下界の社会と変わらないこともわかった。
この本を書いた人は、もともとジャーナリストでエベレスト登山のことを記事にするために登山隊に入った人。図らずもこの遭難事件の当事者となったため、体験に加えてさらに色々な取材を重ねてこの本を書いたそう。迫力があった。

この遭難事件には関係者が多く、当事者の書いた本をあと2冊あるらしい。
それも読んでみたいと思います。
この1996年の遭難事件は2回映画化されている。新しい方の映画がネットでレンタルできたので見てみた。2015年の作品。 話は割合にシンプルになっていて本の中身と違うところもあったけれども、実際の登山の様子などが映像で見れるのは分かりやすかった。

図書館でお正月用の本を借りてきました。

退屈しないようにと思って手当たり次第に。世田谷区の図書館は一人15冊まで借りられるようになって助かります。

ヒマラヤ登山系の本3冊。

仏教入門系の本4冊。
岡本綺堂半七捕物帳系4冊。
「昔ばなし」大学の課題図書系2冊。
背表紙が読めないくらい薄い本は岩波ブックレット「年表昭和・平成史-1926-2019」です。

おおむね私の今の興味の範囲と言えます。

相変わらず小説は読まないけど。
昔話もどちらかというと民俗資料のような感覚で読んじゃうし。
仏教系の本は数多く出ていますが、玉石混交。
(本が悪いのではなく、私の興味にこたえてくれる本でないケースが多いということが大きいですが)今回のチョイスもあまり期待できないかな?
また感想書きます。
今年はコロナ禍でイベントが少なかった分、例年より本を読んだかもしれません。

図書館に本を返しに行ってヒマラヤ関係の本があるかなと登山コーナーに回って見つけた本です。 
そもそも登山に興味がなく、このマロリーという人のことも知りませんでした。先日読んだ、夢枕獏の「エヴェレスト〜神々の山嶺」という小説の中に大きく取り上げられていて知ったのですが、この人は「そこに山があるからだ」と言った方だったのですね。
その言葉なら知ってる!

読み始めてすぐに「大当たり!」な本だと分かりました。
こういう本を読みたい!
こういう本が読みたかったんだ!
面白くて読み終わるのがもったいないほどでした。
 私と違ってマロリーという登山家の事をご存知ない方は少ないかもしれませんが、説明をすると…
 世界最高峰エベレストに人類が初登頂を果たしたのは1953年のイギリス隊だとされていますが、それより30年前の1924年に、もしかしたら初登頂したかもしれないといわれてました。
 なぜかというと、1924年のイギリス隊のメンバーであったマロリーとアーヴィングの二人が頂上アタックに出かけたあと行方不明になったからなのです。その後遭難死ということになりますが、果たして頂上を踏んでから遭難したのかそれとも頂上にたどり着くことなく遭難したのかそれが長年の謎だったわけです。
 夢枕獏の小説にはそのマロリーが頂上アタックの時に持って行ったカメラの話が登場します。もし初登頂がなされていれば必ず写真を撮っただろうから、カメラさえ見つかればその謎が解けるというわけです。なかなかスリリングで面白い小説でした。

 一方、この本は小説ではなくノンフィクションです。
 1999年にマロリーとアーヴィング二人の遺体を見つけるためだけの調査隊が組織されました。二人を見つけることが出来れば(特にマロリーのカメラを見つけることができれば)、彼らが頂上にたどり着いたのかどうかの謎が解けるだろうというのです。ちなみに高度8000mを超えるエヴェレストのような山では、遺体は腐敗することがなく、かといって人力で下ろすこともできないため、遭難した人たちはずっとそのままなのだそうです。想像のつかない世界ですね。

 1924年のマロリーたちの登山の様子、それから1999年調査隊の登山の様子がたくさんの資料をもとに交互に語られ、非常に臨場感を持って読み進むことができます。

最後にどうなるかということはここには書かずにおきますが、タイトルにもあるとおり、すべてを解き明かすことはなかなか難しいものです。
 マロリーたちの遭難は75年前(今からだと100年近く昔)のことなので、ある意味考古学的な手法が用いられて調査が進みます。それは古代遺跡の発掘などにも似たロマンです。そして、その調査がマロリーの謎の魅力にとりつかれた数人の「個人」の情熱により成し遂げられたというのもワクワクするポイント。
 
事実の前にはフィクションは霞んでしまいますね。

を読んで以来、「ヒマラヤ登山」に興味が出てきて、デスゾーンにも登場した夢枕獏氏の小説「エヴェレスト~神々の山嶺」を読んでみようと思った。
図書館で借りてきたが、なんと文庫本で1000ページ以上ある。
でもさすが人気作家の夢枕獏、とても面白くて2日で読み終わった。(休みの日に一日中読んでいた)夢枕獏って初めて読んだけど、かなりくせの強い作家さんですね。しつこいなぁ・・・・という感想。
とても面白いんだけど。
 
これまで登山というものに全く興味がなかったので、本を読んでいても具体的にどんなふうに登るのかイメージが難しい。さらにヒマラヤがどんなところなのか全然知らなかったので情景を思い浮かべることも難しい。
もちろん、そういう読者のために結構解説も入ってるから、まったくちんぷんかんぷんということはないのだけど、山の写真とか登山家の服装とかは写真で見ておきたいところ。
というわけで、この本が映画化されたのも見てみました。
なるほど、カトマンズってこんな町なんだ。
エベレストってこういう山なんだ。
ベスキャンプってこういうところなんだ。
とイメージがつかめました。
映画は正直原作とはかなり印象の違うものでした(ストーリーが追えない・・・ダメな脚本のお手本みたいな感じ)
 
以来、グーグルアースでヒマラヤの地図を見たり、地形を見たり、ベースキャンプに行った人のブログ読んだり、写真見たり、急にヒマラヤブームです。
テレビで「ヒマラヤ」っていう検索ワードで番組検索したら、NHKBSでヒマラヤ山脈を端から端までトレッキングするという番組をやっていたので、早速録画してみています。
雄大。
人々は氷河の削った谷(U字谷って地理で習った)に住んでいて、景色がとても独特。谷にへばりつくような段々畑。日本の景色とは全然違う。
ネパールは100くらいの民族からなっているのだそう。びっくり・・・。
エベレストのベースキャンプには、1週間歩いて行かないとたどり着けないらしい(ヘリコプターは別)。ヒマラヤの中はそんな風に歩いていくことしかできない場所がたくさん。アジアの最貧国の一つと言われますが、今どんどん中国の開発資本が入ってきているらしい・・・。地元の人にとっては良いことだと思いますが、きっとかなりの自然が破壊されてしまうでしょう。
2015年のネパール大地震のとき、ヒマラヤも大きな被害があったそうで、そのことを取り上げたドキュメンタリーもみました。
3000m上から土石流と雪崩が落ちてきて村を飲み込んでしまったらしいです。知らなかった。
初めて知ることがいっぱいで、ネパールに興味がわいています。
玄奘三蔵の天竺行ルートはヒマラヤ通るのかな?
調べてみた。
さすがにヒマラヤ越えはしてなくて、シルクロードからアフガニスタン回りだったみたい。

2

「デスゾーン」

 2018年にエベレストで滑落死したひとりの登山家の軌跡を追ったノンフィクション。友人の書評と言うか読後感想をネットで読んで興味を惹かれ、その場で Amazon の Kindle(電子書籍)で購入した。今年の10月に出版された本で、開高健ノンフィクション賞を受賞したらしい。
 栗城史多というこの登山家のことは私は全く知らなかったのだが、滑落死のニュースが飛び込んできた2018年の5月、ネット上でかなり話題が出ていたので色々記事を読んだ記憶がある。かなり毀誉褒貶の激しい人だった。
 エベレストに8回挑戦しており、いずれもスポンサー企業あるいはクラウドファンディングで費用を集めての登山だ。そしてヒマラヤ登頂をネットで生中継(自撮りだったり)するといういわゆる「劇場型」登山が話題をよんだ。しかしその一方で、エベレストにチャレンジするほどの実力はないのではないか、彼の言っている「無酸素」あるいは「単独登頂」ということは嘘なんじゃないかなどという批判も早くから出ていたたようだ。自己啓発系のヒーローとしてもてはやされる一方で、ネット上などでは批判が繰り広げられ「炎上」も度々起こっていたらしい。私はその一連のことを彼が亡くなった時点からさかのぼって知っていくのだけれど、結局本人が亡くなってしまえば全ては闇の中となり明確な答えも得られずそれ切り忘れていた。

 この本の作者は栗城さんがまだ無名の頃、北海道のローカル番組で2年間密着取材していたTVディレクターで、10年以上前に取材は終わり彼とも関係が切れていたが、彼の死によりまた1から取材を始め、関係者一人ひとりに話を聞きこの本を書いたらしい。

 一気に読んだ。
 登山も、この登山家のこともよく知らないがとても引き込まれた。生前の彼をメディアで見たことがなかったので顔も知らないし、まるで小説を読んでいるような感覚があった。

 丹念に取材がなされているとは言っても、「半分だけ」の印象もある。親しい人ほど取材にはこたえていないからだ。作者の想像の部分も多い。さすがテレビ番組を作っていた人だとも感じた。小説のようだと感じたのもそのあたりのことが関係してるだろうと思う。半分の材料(それでも相当な仕事量だと思う)でこれだけのものをかいてしまうのだから。

 彼に関わった人たちはいろいろな「なぜ?」を抱えていたと想像する。直接知らなくても、講演会やメディアを通して彼を応援していた人、批判していた人も多いだろうし。この本でその人たちの「なぜ」が少し溶けるだろうなと思った。

2

予約していた本が届いたという連絡を受けて仕事帰りに図書館へ。
以前は月曜休みだったけど、今は開いてるんだよね。と思いながら…しかし、月曜は夕方5時閉館だった!残念。
すっかり本を読む気でいた私、図書館近くの古本屋の店先を覗く。
で、見つけたのがこの本。
著者の本郷先生は放送大学の番組で見てたことあり、語り口がわかり易かった記憶ある。面白く読めるかな?帰りの電車で読み始め、帰宅後も読み進め、翌日の通勤電車で読み、帰りの電車で読み終わった。読みやすかった。
歴史学者の視点から、歴史に「空白」が生じている部分にスポットを当てて論じてる。私なんて歴史の知識が穴だらけなので(高校日本史、鎌倉時代初期までしか履修しなかった)何が空白なんだかさっぱりわからないけど、そんな人にもよくわかるように展開する本だった。
資料が万能ではない。
歴史研究における「科学的」とはどういうことか?という話はとても興味深かった。また、「皇国史観」の誕生から成長の話も納得。歴史観もどんどん変化しているんだなー。

学校では統治者側からの歴史ばかりを教わってきてあまり深い関心を持てずにいた歴史だけれど、文字資料のない庶民の歴史なら興味がある。
庶民の歴史をあらわにしようとした石井進という研究者のことは知らなかったけど、今後機会があれば本を読んでみたい。

2

アメリカ大陸の先住民はなぜ、旧大陸の住民に征服されたのか。なぜ、その逆は起こらなかったのか。現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものとは。1万3000年にわたる人類史のダイナミズムに隠された壮大な謎を、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学など、広範な最新知見を縦横に駆使して解き明かす。 
知り合いが読んでいたので、気になって読み始めた本。
図書館で借りたのだけど、予約人数が何十人と多かった。
むかしの本だけど、話題なのかな?
タイトルだけ見てたらきっと読むことはなかったと思うのだけど、まさに私が読みたかった本でした。
13000年前に人類に何があったか?
それは食糧生産を行うようになったことです。
農耕や家畜を飼うことなど、食べるものを育て始めた人類は、それからどんどん社会を変えてきました。でも、世界の文明の進度(?)には濃淡があり、それには地理的な条件が非常に重要なカギを握っていると、著者は圧倒的説得力をもって論じていきます。
翻訳の問題か、文章が固くて読みにくいのですが、それでも非常に面白かった!!

えええーっと思ったのは、いま太平洋の島々に広がる人びと、このルーツは台湾にあるという話。台湾にこんなに通いながら全然知りませんでした。

「オーストロネシア人」は遺伝子の分類で4つに分けられるらしいのだけど、台湾には4つすべてがあり(うち3つは台湾にしかない)、太平洋中の広範な範囲に広がる人々はすべて同じ分類の人々なのだそう。
今は、こういう研修はゲノムで進んでるのだけど、以前は言語学の分野で分類研修が進んでいたそう。で、その言語学の研究成果をゲノムが裏付けしているのだそうです。なんか、すごい・・・・。

高校生のころ、世の中に「人類学」という学問があると知り、漠然と憧れて大学へ進みました。いそいそと人類学の講義をとりましたが、当時の私にはなにがなんだか・・・・・???の連続で、結局人類学には進みませんでした。
読めと言われたレヴィ・ストロースとか難しすぎて全くページが進まなかったし、おそらく人類学を学ぶ基礎ができていなかったのだと思います。
それからン十年が経ち、やっぱりこの分野に惹かれます。
いまからもう一回学んでみよう。レヴィストロースにはまだきっと歯が立たないと思うけど、いまは解説書とか周辺書籍を読むという「ズル」も覚えたし、
人類の歴史の大ロマンを味わう楽しみと、今の自分がどう生きていくかについて、学ぶことができそうな気がします。