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すこし前に読み終えた本。
去年の11月に出版されたのですが、その時にどこかの本屋さんで平積みになっているのをちょっと立ち読みして面白そうだったので、すぐに図書館に予約をしました。
その予約の順番が回ってきたのがこの8月だったのです。相当話題の本だったのだと思われます。もう予約していたことすら忘れていました。

たくさんの研究データに基づき2030年の世界がどのようになっているかということを分かりやすく書いています。
人口、経済状況、それから環境問題。
そこに至る過去のデータも載せてあるのですんなり理解できます。
落合さんの本を初めて読みました。彼は天才と言われる人ですが、こんなにも平易な言葉を使えるって、こういうことも天才だからからなのかなと思いました。
コロナ以前の本ですが、コロナがあってもこの未来の状況はそれほど変わらないと思われます。
人類はたくさんの課題を抱えていますが、未来に明るいものもうっすら見えるそんな本でした。
皆さんにご一読をおすすめしたいです。

オーディオブックで読(聴)了。
第一次世界大戦の頃からの世界の戦争について、とてもわかりやすく理解することができた。
日本の東アジア内でのこの難しい状況(国内世論も含め)を引き起こしているのは「日本人が自分たち自身で戦争の反省を徹底的に行わなかったからだ」というのにとても納得。
右のヒトも左のヒトも上も下も、自分たち自身で東京裁判的なことをやっていたら、戦後75年の今の風景はもっと違っていたはず。
そして、いま世界で起こっている戦争や紛争についても広く解説があり、とてもよく理解できた。
池上さんはわかりやすい事を大切にしていると思う。
殆どの紛争は「ニュースでみたことある」ということばかりだが、そのつながりについては、解説してもらうまでわからなかった。
この本のレベルの理解が日本人の一般的理解となったら、これまた、今の空気の色は違うだろう。
鍵は教育かな。

読了。

やっと。
下巻は興味のあるところだけしか読んでないけど、面白かった。
日中韓で見解が対立する部分の議論が時間切れになったところをそのまま載せてあるのがとても興味深かった。

 
私たちの中に染みついている「戦争」は「空襲」「原爆」など、自分たちに被害をもたらすイメージが先行する。
このことは、子どものころ中国大陸で戦争を体験した恩師が「銃後の日本人は戦争の被害のことしか知らない。自分の愛する夫や息子たちが戦地で何をしていたのか知らない人ばかりだ。日本人は戦争の被害の面しか見ていない」と話されていたのに共通する。
やはり、対話はとても大事なんだ。
 「未来をひらく歴史」の続編(と書くのも変だが)。
私が今とても知りたいことが書いてある本なので、一生懸命読んでいる。
が、なかなか読み終わらない。
なぜかとても読みにくいのだ。
内容が難しくて頭に入らない、よく噛んで食べないと呑み込めない固い雑穀おむすび食べているような感じ?
私の頭が悪くなってる可能性も大きい(最近あまり本読まないし)が、
全体的に文章がこなれておらず、読者に負担がかかる。
でも内容はとても良い。
というか、勉強になる。
東アジアの近現代史を、いわゆる「西洋列強」まで含めた国際的視点をもって、通史として編纂されている。
今までずっと知りたかった内容だ。
日本の側からだけでもなく、
中国や朝鮮の側からだけでもなく、
自由主義側からだけでもなく、
共産主義側からだけでもなく、
客観的(?)視点で通して書くというのはとても大変な作業だったと思う。
途中「どうしてもこの部分はご論を尽くしても、共通の認識に至らず、やむを得ず複数の見解を併記する」という部分もあった。
その苦労に敬意を払い、こちらも時間をかけて読もう。
願わくは、もっと読みやすいこなれた文章になって、広くこの本が読まれますように。
できれば、高校生や大学生に多く読まれてほしい。

2


どういういきさつだったか思い出せないのですが、おそらくネット上で何かの記事か、SNSで誰かの投稿を見たのだと思うのですが、この本の存在を知りました。
早速、図書館にあるか調べて予約して借りてきました。
2005年に出版された本の第2版です。(2006年版)
2000年に発行された「新しい歴史教科書」は衝撃的な本でした。
当時話題だったので私も2001年の市販本を買って読みました。
それまでの教育で私の中に蓄積されていた感覚とはかなり違う本で、正直なところ、とても読みやすく、心が軽くなりました。(それが危険な罠ですね)
それまでは、日本の戦争犯罪や植民支配の歴史を書いた本をそれなりに読んでいましたし、大学の韓国語購読の時間に抗日運動の資料を読まされたり、友人との韓国旅行では西大門の刑務所跡など見に行ったり、90年代はあえてそういう史跡を見に行くのが日本人の責任だと思っていましたが、「自分はいわゆる『自虐史観』に陥っていたのかな?」などと思ったものでした。
が、それから20年。
東アジアの外交関係はよくなるどころか、どんどん悪化しており、日本の内政はかたくなでヘイトがはびこり、中韓の「反日」も、慰安婦問題も徴用工問題もより一層厳しく追及されています。
やはり、何かが大きく間違っているわけです。
もうこれは確信です。
「新しい歴史教科書」はあまりにも日本の(特に近現代史)を肯定し過ぎの「日本スゴイ」本なので(だから日本人が読むと心地よい)、当然中国や韓国から大批判を受けました。
そしてもちろん、日本人からも批判が続出。
そんな中で、出来上がったのがこの「未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史」です。日中韓3か国の学者、教師、などが共同で勉強会を重ね、共同で執筆し、3か国で出版されたのだそうです。
が、恥ずかしながらまったく存在を知りませんでした。
欧米列強の帝国主義の圧力により、開国した近代(日本で言えば黒船来航あたり)から2000年ごろまでの東アジアの歴史を3か国の立場から書かれています。
1930年代から太平洋戦争終結までの部分は、読んでいてかなりしんどいものでした。
が、知らない話も多く、読んでよかった!
なぜ、アジアの国々はいつまでも日本に謝罪を要求するのか?
日本がどうして過去を清算できないのか。
なぜ政治家は靖国神社へ行きたがるのか?
敗戦から75年もたつのに、どうして新しい前向きな関係が築けずむしろ悪化するのか?
中国や韓国の人たちと知り合い交流するたびに、私の中にずっとくすぶってるこのいたたまれなくなる感覚。
この本を読んでいて、自分の中の答えが確信になってきたようです。
日本は中国、韓国、北朝鮮、台湾、東南アジア諸国と前向きな関係を築いていかなくては、未来が明るくならないでしょう。
この本にも、もちろん批判があると思います。
私自身、これを青少年に読ませるならもっと練らないといけないなと思いながら読み進めました。3か国それぞれの文章のトーンが違いすぎるのです。特に、韓国の担当者は非常に主観的な表現を多用しているので、心理的な抵抗が大きく読みにくい。でもまぁそれは些細なことです。
この本の反省を受けてさらに新しい本も出版されているようです。
「新しい東アジアの近現代史」2012年
これも借りてきたので、次に読もうと思っています。
日本と周りの国とのこのこんがらがった状況は、共通の歴史教科書を作ることでしかとき解せないのではないかと思います。皆が歩み寄って(特に日本が歩みよって)共通の認識で子どもたちを育てることができたら、今ある問題がずっと解決しやすくなると思います。

樋口 耕太郎
光文社
一気に読んだ。
良書。
この著者のことは以前から知っていて、ネット上で読める著述に10年くらい前からときおり触れているのだけれど、彼が「愛の経営」と言っていることが、感覚としてよく理解できていなかった。
樋口氏の会社の経営理念が「いま、愛なら何をするか(と問う)」というものなのだが、「会社の経営」と「愛」がぜんぜんつながらなかった。
この本は、沖縄について書かれているようにみえるが、実はそうではない。
そもそも、私は沖縄に(知り合いはいるけれど)行ったことがないし、あまり関心はないが、そんな私でもとても興味深く読むことができた。
読んでみると、これは「わたしたち」の話なのだとわかる。
ここのところずっと考えている問題についてのヒントをもらったと感じた。
そして「愛の経営」についても、以前よりずーっと理解できた。
理解できる私になるのには、10年が必要だったのだろう。
今は資本主義に変わる社会の仕組みについて関心がある。
ベーシックインカムとか、シェア社会など、これから私たちの価値観は変わっていくだろうと感じている。
思いがけないコロナ禍によって、社会が転換しかけていると思うし、人々が既存の価値を疑い始めていると感じる。
この本は、コロナに合わせて書かれたものではないけれど、まさに今読むのにぴったりの内容だった。
1000円しない本で読みやすいのでお勧めです。
この著者は今第2作に取り組んでいるそうです。ぜひまた読みたいと思います。

新しい天皇誕生日の振り替え休日。
コロナウィルスの懸念もあるので、人込みを避けててまた三渓園へ。
(年間パスポートを買ったので2日連続できても良いノダ)
もう3月下旬の暖かさで、風の強かった前日よりも人出が多いようだ。
池のカモを見ながらベンチで読書。
昨日三渓園に来た帰りに寄った図書館で借りてきた、水俣病関連の本(開架してる本としてはこれ1冊だった)。相当固い本かと思ったのだけど、読んでみると意外と読みやすい。

 
あとがきまで読んで納得した。
この本は長きにわたった水俣病裁判が「国との和解」という一定の決着を見たあとに書かれた「まとめ」の本で、「高校生にも読んでほしい」との意図からなるべく平易に書かれたのだそう。
よかった。
手にした本が読みやすくて。
今私はこの本を読み終えて、「水俣病問題」を分かった気になっています。
その状態で今のコロナ問題を振り返ってみると、いろいろ鮮明に分かります。
なぜ、検査を進めないのか?
なぜ、初期の段階で水際対策を徹底しなかったのか。
今、コトここに及んでも「国民の皆さんにおねがい」というゆる~い対策しかないのか。
よく考えてみれば、薬害エイズ、福島原発事故、沖縄米軍基地問題、
すべて同じ構造の問題だとわかります。
それとは別に個人的な感想も。
・昭和40年代に不知火海に海水浴に行ってた。親は危険を感じてなかったんだろうか?その頃の熊本の人たちの感覚は?
小学生低学年くらいのころに水俣病のことを知って、食べてる魚が心配になり「魚をたべて大丈夫?」と親に聞いたような記憶がある…
・昭和50年代、水俣病裁判が行われだしたころ、よくニュースでやっていた。でも私の関心は全然そこになかった。「いつまでもやってるんだな、裁判って長いな」と思ったくらい。
・昭和60年代~平成、熊本を離れたけど、裁判は国を相手どる全国規模のものになっていた。でもわたしは関心がなかった。
昨日本を読んでいて、「ちゃんと関心持って理解していたら自分だって環境庁を囲む人間の鎖や座り込みの支援だってできたのに」と思った。
今頃なにやってんだよ自分は。
これが、もう一つのイタイ感想。

 いままでその存在はよく知っていたものの、一度も手に取って読もうという気にならなかった「苦海浄土 わが水俣病」。
ようやく読んでみようかと思ったのがつい最近のこと。今度水俣の水俣病センター 相思社へ行くことになったので、その前に読んでおかないとまずいのでは?と思ったのがきっかけ。
普段なら図書館で借りるのだけれど、休みの日まで待てないなと思って、ネットで電子版を購入した。これならスマホでもパソコンでも読めるし、実物よりも安い。
購入して早速ちらっと読んでみた。
!!!
なんと素直な素敵な文章だろう。
すぐに石牟礼さんの文章に引き込まれた。
忙しい中だったので、数ページしか読めなかったが、続きが読みたくてもどかしかった。
それほど本好きではないのか、本を読むのはおっくうに感じることが多い。読んでいくと楽しい、面白いと思うことが多いのだけど、エンジンかかるまではしばらくかかる。ましてや水俣病という重たいテーマの本なのだ。
「読むのが楽しみ」になるはずもないと思っていた。
が、この本はちょっと違う。
もう、ほかの人たちは知っていて、いろんなところでさんざ話されつくしているんだろうけれど、こんなに素晴らしい文章だったなんて!
と今更ながら感激している。
たいそう遅い出会いではあるけれど、出会えてよかったと思いながら、今読んでいる。
実はまだ3分の一くらいしか読んでないが。
大事に読むことにする。

今読んでいる本。
横浜中華街で生まれ育った女性が書いた本です。
日華断交で無国籍を選択した家族の歴史。
横浜中華街を日常的に歩くようになって興味を持っているのと、さらには、この本の中国語版を私の台湾の友人が翻訳したという縁もあり、読んでいます。
日中国交回復により、「台湾籍」が認められなくなった結果、「無国籍」という身分を選んだ人たちがいた。そんな家庭に生まれ、横浜中華街で育った著者は、ある日、台湾への入国も日本への帰国もできず、空港から出られない衝撃的な経験をする。国籍とは? 民族とは? アイデンティティの基盤とは何か? 国家と家族の歴史に向き合い、深く掘り下げた体験的ノンフィクション。 
感想はまた。
2020.1.10読了
通勤電車の中で読み進め、昼休みも読んで二日で読み終わった。
いい本でした。
知らないことがたくさんたくさん。
著者が小学1年のころ、学校の図書館にあった中国語で書かれた日中戦争の資料集で見た写真に衝撃を受け、自分が生まれた日本と父母の国の間にこんなひどいことが起こって、それでも日本に住んでいることが受け入れられず、泣きじゃくって「どうして私たちは日本に住んでいるの?」と父親に尋ねる場面がある。そのときの父親の言葉が素晴らしい。
「私たちは歴史を乗り越えるためにここにいるのだよ」と幼い娘に語るのだ。
このお父さんに会いたい。
実は、このお父さんにはすでにお会いしている。
あいさつ程度だが。
この著者の家は横浜中華街の中華料理店だ。
そして私ももうすでに何度となくご飯を食べに行っている。
この本にも出てくるように、週末など夜遅めの時間になると、奥の円卓で家族の食事が始まる。初めのころは「この店は営業しているんだろうか?」と思ったほど。
この夏、横浜中華街のそばに引っ越したと知った私の台湾の友人が
「YOKOさん、華都飯店にはいきましたか?」
と聞いてきた。まだだと答えると
「ぜひ行ってください。お父さんお元気かな?陳先生のおうちなんですよ。陳先生は筑波ですよ。YOKOさん知り合いじゃないですか?」
などと言ってきて、こちらはちんぷんかんぷんだった。
詳しく話を聞くと、彼女の言う「陳先生」はこのレストランの娘さんで、早稲田の先生らしい。そして、「陳先生」の本の翻訳(日本語→中国語)をその友人が担当して出版したという関係があったのだそう。
そんなこともあり、家からも近いし、行ってみたら美味しいし、観光客ずれのしている横浜中華街で「昔ながら」の雰囲気を保ってるような(昔の中華街を知らないけど)この店に通うようになった。
なので、本を読みながら、ご家族の顔も浮かんでいた。
また、著者は筑波大学出身で、その点も私と共通点があり(バックグラウンドは全く違うし、私はあんなにまじめな学生じゃなかったけど)大学時代の話なども親近感を持って読んだ。
国籍のない人たちがこんな身近にいたとは。
台湾にかかわるようになって20数年、いろいろな人の話を見聞きしていたけど、自分の身近なところにいる人たちの話は知らずにきていたなぁ。
また、日華断交の時代からすすんんで、今はまた違う形の無国籍者がいる。
日本にも世界にも。
今度お店に行ったら、本の感想も伝えたい。
それと、お父さんにきちんとご挨拶したい。
著者ご本人にもいつかお会いして、話をしたい。

 
 
お正月休みに、近所の本屋さんで買ってきた。
小さな本屋さんだけど、こんな本があるなんて!
この松本洽盛さんは、以前見た映画「湾生回家」にも出ていた、台湾生まれの方。
この本は、松本さんたちが台湾のお年寄りたちにその人生について聞き取りをしてまとめたもののよう。
 
一気に読んだ。
やっぱり、ご本人たちの声は重みがある。
 

いま読んでいる本に出てきた一節。
「経営の要諦は会社を成長させないこと」
おもしろい。
私がぼんやり考えていることに答えてくれるような本だ。
何しろ、私の勤めている会社は、この25年成長してないのです…
この本です。
  ↓
先日「緒方ゆうか」さんの対談を聞きに行ったお店は、この本の著者平川克美さんがオーナーで、著書がたくさん置いてありました。そのなかで「これが面白いよ」とご本人からおススメいただいたのです。
いかにも難しそうなタイトルを見てビビり、「難しそうですね。私にも読めますか?難しすぎたら返品してもいいですか~?」なんて軽口叩いて買ってきました(失礼!!)
確かに難しいのだけど、頑張って読んでます。


砂の器をよんでいた時に偶然目にした駅のチラシ。
横浜にある神奈川近代文学館の展示を見てきました。

松本清張の生涯を紹介しながら、その文学の世界を幅広く紹介する内容でかなり見応えがありました。

父母が清張ファンだったようで、子供のころ家の本棚にぎっしりと文庫本が並んでいました。
その本棚から手に取って読んだことはなかったのですが、大人になって「点と線」「ゼロの焦点」「Dの複合」「疑惑」などをちらちら読みました。ある時「西郷札」を読んで、このヒトは推理小説家ではなくて、小説家なんだなぁと思ったのを覚えています。


展示室に入る際に、上の写真の「ワークシート」というものが置いてあるのが目に入りました。
親切に、画板と鉛筆も用意されています。
展示を見ながら、このワークシートの質問に答えていくと、更に理解が深まるという趣向のようです。
出口には解答例もおいてありました。

この展示を見て、松本清張の守備範囲の広さにに驚嘆しました。
これから、時間を見つけて少しずつ読んでいこうと思います。

それにしてもこの文学館のある「横浜みなとの見える丘公園」は初夏の花々が咲き乱れて、とてもきれいでした。
皆様にも写真でおすそ分け。

6

昔の蒲田の様子が見たくなり、1974年の映画版を見ました。
とても面白かったので、ずいぶん昔に古本屋で買っておいた小説を読み始めました。
文庫本片手に電車に乗ったら、駅の広告で松本清張展をやっていることを知りました。

映画に出てくる蒲田の風景を楽しみましたが、
おお!
と思ったのは、この部分。

蒲田駅西側の呑川沿いを二人の刑事が歩いている場面。
刑事の後ろが線路で、その向こうの大きな建物が「工学院大学」

電柱の広告に質のオギノというのが見えますが。


なんと今も同じ場所に同じ質屋の広告が!!

近所なので「オギノ」というのは良く見かけていました。
45年前も同じ広告だったとは!
質屋さんスゴイですね。

大乗仏教―ブッダの教えはどこへ向かうのか (NHK出版新書 572)
佐々木 閑
NHK出版

NHKの「100分de名著」という番組がなかなか面白い。
といいつつ、私の生活リズムに合わないようで見逃してしまうことの方が多いが。

いつだったかこの佐々木先生の担当された「般若心経」の回を見て、わかりやすい語り口が印象に残っていた。
この先生は、もともとは京大の工学部出身。
お寺に生まれたからのちのち仏教の道に入ることになったのだろうと想像するが、とても論理的に話をする人なので、門外漢にもわかりやすい。

期待通り、わかりやすく痛快だった。
サクサク読めたし、私の長年の漠然とした疑問をズバリズバリと解決してくれている。

●なぜお経はあんなにたくさんあるの?
●なぜ「なむあみだぶつ」と唱えるだけで救われるというの?
●お題目を唱えるだけでいいってどういうこと?
●お釈迦様は人間なのに、仏様っていったいなに?
●なぜ仏様の種類がたくさんなるの?

こんなことを疑問に思っている人におすすめ!

日本は間違いなく「仏教国」なのに、日本人は仏教について学ぶ機会が少ない。
仏教の歴史をざっと眺めるのにとても良い本。
信仰とはまた違う視点で宗教を見ることも大切だと思う。

私が買ったのは新書版だけど、100分de名著のムック本も出ている。2017年版。
新書は、このムック本を少し進化させたものだと前書きにあったので、そちらを買った。
ムック本の評判がとても良かったので、加筆したのだそう。新書は今年出たばかり。

別冊100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した (教養・文化シリーズ)
クリエーター情報なし
NHK出版

今、台湾と中国大陸の交流はどんどん進み、多くの台湾歌手が中国(彼らは『内地』と呼ぶ)でコンサートを開いたり、TVに出たりしてかせいでいる。
でも、私の好きな陳昇は中国当局ににらまれて、中国ではコンサートができない。ブラックリストに載っているのだという。その理由は「チベット支援コンサート」に出たから。(もちろん憶測なのだけれど皆がそう言っている)

チベット チベット
キム・スンヨン
河出書房新社

で、これは旅行の前後に読んでいた本。
読み終わって、チベットについて全く断片的にしか知らなかったと痛感。

チベット問題はとても個人の手におえるようなものではないと感じるけれど、この本は読みやすい。
この著者は私と多分なにも違わない一般人なのだけれど、ダライ・ラマに会ってインタビューまでしている。
この著者の心の中で生じていることが、違和感なく私の所に届く。
読んでいる間中、その爽快感が、あった。
このヒトに会って話をしてみたい。
一緒にお酒飲んだら楽しいだろうなぁ。

このヒトは20代の頃、親を半分騙してお金をもらい、2年間の世界一周の旅に出る。
私もずいぶん憧れたバックパッカーの旅だ。
そこで、自分のルーツの韓国に船で入るんだけど、その初日の釜山の様子が面白い。私はここでぐっとこのヒトの話に引き込まれ、一緒の旅をしているような気持ちになって、最後まで読み終えた。
私も釜山に船でなんどか行ったことがある。初めて入った釜山港屋港近くの食堂など、懐かしくおもいだした。

チベットの問題の解決は難しいだろうと思うけれど、チベットで起きている人権蹂躙の数々を、知らんふりできるのか?
日本ではあまり知られていないかもしれない。
自ら知ろうとしなければ、なかなか情報が入ってこない。
知ったからといって、すぐに何ができるというわけではないけれど、知るというのが何よりもはじめの一歩だろう。

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)
猪瀬 直樹
中央公論新社

内容紹介
緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至る…。
日米開戦直前の夏、総力戦研究所の若手エリートたちがシミュレーションを重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じだった!
知られざる実話をもとに日本が“無謀な戦争"に突入したプロセスを描き、意思決定のあるべき姿を示す。

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読了。

知らない話のオンパレード。
あまりにも何も知らなかったので、読み始め「窪田総理大臣」というのを見て、え?これ小説?架空の話なの?と思ったほど。
小説ではありません。
日米開戦前夜、「総力戦研究所」に官民から集められた若い当時のエリートたちが、日米開戦になったらどうなるか。、をシミュレートしたことがあったらしく、そのことを1980年代に若き猪瀬直樹氏が徹底取材をしてルポしているのです。

唖然としてしまったのは、これに参加した人参加していない人も皆が、日米開戦になれば「敗戦必至」と分かっていたということ。わかっていたのに、開戦に至ってしまった。この事実。
私はなんとなく、当時の日本指導者の中には「日米開戦になったら負けるのは当たり前、何としても避けなければ!」と思っていた人も多かっただろうけれど、それよりも「勝てるかもしれない。やるべきだ、賭けるべきだ!」という声が強くて、開戦にいたったのだろうと思っていました。あの東條英機ですら、勝てると思っておらず開戦するべきでないと思っていたなんて。
冒頭の「窪田総理大臣」というのは、「総力戦研究所」でのシミュレーション(演習)のために作られた模擬内閣の一人だったのでした。

日本的意思決定の方法。
失敗に学ばない姿勢。
ああ、何も変わっていない。
これはきっとまた同じことになったら繰り返す。背筋がぞっとする。なにより問題なのは、だれも責任をとりたくなくて「なんとなく」その場の空気に流されていくそのありかただろう。今周りを見ても、容易にそうなることがわかる。

おススメの本です。
ちょっとくせがあって読みにくいけど、事実の重みがそれをしのぐ面白さです。

先日の「政治学入門」の先生の本。
勉強会のあと打ち上げに行ったら「先生と本つくりました」と言う出版社の方もいらしてて、どんな本なんですか?と聞いたら、これでした。

タイトルも面白いけど、中味も面白い。

「政治ってドロドロしてるし、口を開くと友達とケンカしそうだし、なるべく遠巻きにしてたいわ」と思ってきた私なんかにうってつけの本。ほんとの入門書なんだけど、この社会でそれなりに生きてきた年数分、経験として刻み込まれているあれやこれやが全部「政治と関係していたんだ!」と気づかせてくれる。
いちいち納得できる。
良書。

著者の岡田先生は、見ず知らずのぽっと出の私みたいな聴講者を打ち上げに誘うことからしてもわかるように、とっても気さくで親切な人。この本にも、その[親切さ]がバシバシ表れていて、私たちの生活のどんな場面が「政治」なのかなどの例示が行き届いてる。くどいくらいに行き届いている。このヒトの親切な性格の表れなんだなぁ・・・と読んでいてクスっとしちゃうトコロもあり。

私は、大学で文系だったけど、政治については全く学ばなかった。
講義にも出なかったし、本も読んでいない。
法律についても同様。
思想史の勉強もしたことがない。
興味がなかった。

この本では、ソクラテス、プラトン、マキャベッリ、ホッブス、ロック、ルソー、マルクス、シュミットなど、一応名前は知ってるひとたちの思想が現代の私の生活にどうかかわっているのかまでわかりやすく書いてある。ひゃー親切。

ソクラテスって、お風呂で何か発見した人じゃなかったのね(それはアリストテレス!(いやいやそれも違うから!))
そうか~、ロックってそういう思想的ターニングポイントにいたヒトだったのか~。
ルソーって「ベルばら」に出て来たことしか知らなかったわ~。
こんな私にも、親切に語りかけてくれてる。

そして全編に「あきらめない。明確な答えはでないけど、でも答を求めることをあきらめない」という著者の決意が流れていて、そのことだけでも勇気がもらえる。(政治学を30年やってきた人でも答えが出ないということなんだから、私なんかが悶々とするのはあたりまえよね)

今年の年末に、なかなかいい出会いがありました。
この先生の講座は、来年も3回ほどあるので、行ってこようかな。

ええ、政治ですが、それが何か?――自分のアタマで考える政治学入門
岡田憲治
明石書店

日本を見つめる
小澤俊夫
小澤昔ばなし研究所

読了。
ほのぼのした表紙からは想像できないほど、
ガツンとパンチのきいた一冊。
迷いのない語り口。
現代日本を心から憂える誠実な本です。
ほのぼのした表紙は、著者のお孫さんたちが描いたものらしい。
今の子どもたちのために、どんな日本社会を贈ることができるのか、大人の責任として発言してきたことをまとめたもの。

善良な庶民がどうやって騙されていくのか、何度も何度も繰り返し説明してあるので、だんだんわかってきました。
かなり騙されていました。ほんとに、巧妙に騙されていたと思います。
それと、この本を読んでいくうちに、長年悩んでいたことに答えが見つかりました。

BOOKウォッチ書評
弟・小沢征爾さんとの違いは?

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
網野 善彦
筑摩書房

中国語をやると「百姓」に農業の意味がないことに気がつく人は多いだろう。元の意味は漢字を見ればわかることだが、「色々な人、一般人、普通の人々」といったところ。日本ではなぜお百姓さんというと農家を意味するのだろうと以前から疑問に思っていた。網野氏がそのテーマを取り上げていてスッキリ解決で面白い。

われわれが「日本人は農耕民だから」とか「稲作民だから」と考えがちなのを真っ向から否定する。
「お百姓さん」=「農民」 ではないのだ。
「百姓」が「農民」でないという前提で、歴史資料を読み解いていくと、全く別の輪郭が現れる。

後世に残る資料と残らない資料。
権力側の公的文書は、後世まで伝わりやすいのに対し、その場の用が済めば破棄されてしまう一過性の私的文書。歴史家が頼りにする文書には大きな偏りがあり、それを資料として全体を知ろうとすることで歴史家が陥ってきた罠。土地にまつわる記録は代々残すが、商売の記録は残らないから、日本が土地(農地)に基づく社会を形成していたとみんな信じ込んでいた。

歴史というのは後世の人間のみかたでどうにでも解釈が変わっていくものだということが、ここでも立証される。同時に網野氏自身のみかたも色濃く反映しているのが面白いところ。

「サピエンス全史」を読んだ後、日本のものでこういう読書体験のできるものはないかなと思って手に取った本だった。内容は全然違うが、面白かった。この本は論文でもなく、人に話したのをまとめたらしいのでとても読みやすかった。

ただ、この本が書かれたのはもう20年位前のこと。
この20年で歴史研究も進んできて、この本で網野氏が「今後の研究がまたれる」と提起したことや「これまではこうと思われていたが、本当はこうなのではないか?」といったことも、かなり「当たり前のこと」として、知られるようになってきていると感じた。それでもいままで「常識」と思われてきたことを、いろいろな資料・研究をもとに覆し、問い直していく過程がワクワク。

個人的な読書メモ

●人の心の「恐れ、畏れ」の変化が、被差別民を生み出して行った。
 古代「穢れ」は恐れの対象だったが、しだいに怖れなくなり「嫌悪」するようになってきた。

●女、僧侶などは農本体制の枠外にあり、商業、金融に携わった

●十三湊の経済圏
 東北の製鉄は西日本の製鉄を源流が違う可能性。砂鉄でなく鉄鉱石だった?

●時宗、真宗は都市的な宗教で、農村を基本にしたい為政者との対立があり弾圧される。

●ルイスフロイスの書いた日本女性、離婚の自由。経済の自由。

●縄文時代からの大陸との経済ネットワーク

●「水呑」は土地を持たないだけで、裕福だったものも多かった。

●年貢はコメだけではなかった

今の朝ドラには耐えられずに見るのをやめました。
今楽しみなドラマは再放送してる「カーネーション」のみ。
でも国会だ相撲だ高校野球だとすぐに中断されちゃう。

そこで、モデルになった小篠綾子さんの本を読んで、気を紛らわせてる。
この本も、面白かった。
ドラマにあるエピソードって結構史実なのだと驚きながら読みました。
300坪のテントを縫うとか、「めうちの小原」とか、直ちゃんを預けに行ってたまらず夫婦して顔を見に出かけてしまうとか。

糸とはさみと大阪と
小篠 綾子
文園社

はやくカーネーション再開しないかな。

教養としての仏教入門 身近な17キーワードから学ぶ (幻冬舎新書)
中村 圭志
幻冬舎

図書館に本を返しに行った。
そうだ、仏教関係の本を借りてみようかな?
書棚の宗教関係の所をうろうろして、よさそうなのを見つけた。

宗教学入門講座に行ってみたけれども、信仰に興味があるわけではない。
人間にとって宗教とはなんなのか?
日本にやって来た仏教ってなんなのか?
なんで仏像とかお経とかがあるんだろう?
なんでお経は意味不明なんだろう?
一体お経には何が書いてあるの?まさか呪文じゃないよね?

この辺りに興味がある。

その辺の疑問に答えてくれそうな本だ。
調べてみると、著者の中村圭志というひとは他にもいろいろとこの系統の本を出しているみたい。

読み終わりました。
面白かった。
読み始めたら、あっというまに終わりまで読めました。

日本人にしか書けないホームズ物語ですね。
同時代の有名人をホームズとからませたい。
日本にも来てほしい。
日本の出来事と組み合わせたらどうなるかな?

こんな願望をかなえてくれた作品です。

パスティシュにはあまり興味の無い私ですが、島田荘司氏の「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」は大好きです。英国留学中の夏目漱石が(ベーカー街のすぐ近くの学者の所に通っていたというのは有名な話)ホームズと出会うお話です。

この本は、その島田荘司氏の推薦の帯がついていました。
読むしかないでしょ。

松岡氏のは、もっとしつこい話で、長州藩時代の密航留学で英国へ来た伊藤博文(伊藤春輔時代)がまだ少年だったホームズに会う所から始まってます。そして政治家となった伊藤が帝国憲法の調査のための英国訪問中、「まだらの紐」事件を解決したばかりのホームズをベーカー街221Bをたずねてくるというエピソードがつづきます。そしてメインは、モリアティ教授との対決のあと実はホームズは日本に来ていた!
と言う展開です。

サービス精神が旺盛すぎて、胸やけを起こすくらいです(笑)

しかも、このホームズは何やら兄マイクロフトの間にわだかまりがあって、まるでBBC版のシャーロックみたいなんです。
いるのか?この設定?
そしてお約束の、日本に来て文化の違いに色々とまどうシーンの数々。文化摩擦を経てからのホームズの日本礼賛には多少居心地が悪くなりますよ。それから明治時代の日本人は英語が堪能な人多いみたいです。色々と興味深いです。

でもそれだけじゃない、ちゃんと事件が起こって、ホームズが解決に奔走します。
もちろん伊藤博文も!
アクションだってこなしちゃいます!

そして、その事件と言うのが「史実」にある、大津事件なんです。
ロシアの皇太子ニコライ襲撃事件です。
伊藤博文という日本政治の大物を持ってきたから、事件もやたら大げさになり、日英露の三国が絡む大国際問題になってしまいました。

でも、基本はエンターテインメント作品です。
映像化作品が見たいなと思いました。
「坂の上の雲」くらいの豪華さで(ムリか・・)
脳内でキャスティングが楽しめますよ。
美味しい役どころはやはり「井上馨」ですね。
思いっきり魅力的な役者さんをお願いします。

あと、忘れちゃいけないのが、この本で、これまでシャーロキアンにいろいろ言われてきたであろう、ドイルの詰めの甘さについてフォローがなされていることです。話の筋に何の関係もないんですが、松岡さんは気になってたんでしょうね。

ホームズは、ライヘンバッハの滝の一件で殺人罪に問われないのか?
とか
まだらの紐の蛇、蛇は音が聞こえないのに、口笛で操るのは無理!
とか
そういうことをフォローしてあります。
シャーロキアンですね。

シャーロック・ホームズ対伊藤博文 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


もともと六代目圓生が好きですが、先日の韓国旅行の飛行機の中で別の噺家さんの「百川」を聴いて、圓生のうまさを再確認して以来、毎晩のように圓生を聞いています。とはいっても、聞き始めると条件反射のように、すやすやと寝てしまうので、まくらのとこしかきかないことが多いのですが。

Youtubeにその圓生の「寄席育ち」と言う演目があります。
これは、落語ではなくて、自伝のようなものをラジオか何かのインタビューで話していると言うような企画です。子どもの頃からの記憶を丹念に話しています。面白いです。
そして圓生師には同じタイトルの著作があります。そしてこちらの内容の方が何倍もボリュームがあり、面白いのです。図書館で昭和54年の第8刷、と言うのを借りてきて読んでいます。

明治33年生まれの6代目は、子供のころから寄席に出ています。学校にはほとんど通わないで、ずっと寄席とおけいこづくしの暮らし。
そしてそんな暮らしだったからなのか、物覚えが恐ろしくいい人なのか、明治の東京のことをとてもよく覚えているのです。街の様子も詳しくて「今の●●があるところを左に入って50メートルくらいいったところに」なんていう具体的な説明も多いので、訪ねてみたくなります。とはいっても「今の」というのが昭和40年くらいの話だから、いま探すとなると苦労しそうですね。また、何処から何処までは電車が走ってたとか、ここは人力車で。とか、時代考証の一級資料ではないでしょうか?

新宿に住んでいたことで有名な6代目ですが、明治のころの新宿は田舎で、田んぼがいっぱいあったとか、博労宿がずらりとあって牛馬がたくさんつながれていたとか、貧民窟があったとか、山があってその山の上から「交番焼き討ち」を眺めたとか、そんな話がどんどん出てきます。交番焼き討ちってなんでしょうね?6代目自身の経験の話も面白いですが、ほかの噺家さんの話も面白い。5代目圓生(6代目の義理の父親)の若い頃の心中話などはまるで、落語や講談で聴いているようなドラマチックな話です。

噺家さんの名前も沢山出てきますが、あまり知識がないので、そちらの方よりはもっぱら昔の生活風俗の描写を楽しんでいます。
そうそう、明治の頃は寄席は夜だけだったようなことが書いてありました。
今の朝ドラでは昼間の寄席ですね。
大阪と東京の違いでしょうか?

図書館で借りましたが、買おうかな?
買うとしたら90年代に再版された「新版 寄席育ち」ですね。

新版 寄席育ち
三遊亭 円生
青蛙房

三遊亭圓生 寄席育ち

母 -オモニ- (集英社文庫)
姜 尚中
集英社

本屋でパラパラと立ち読みしてたら、やめられなくなってそのまま買ってきた本。

姜尚中氏が自分の両親のことを事実に基づいて物語にしたものだと思います。
父親は戦前東京に働きに。母親は父親とお見合いして単身日本にやってきます。そして戦時下の東京から愛知へ疎開、そこで空襲にあって生まれたばかりの子供を亡くし、敗戦濃厚の日本にいても仕方がない、故郷に帰ろうと考えて、その途中、熊本にいた(父親の)弟にひと目会っていこうと訪ねます。
その弟がいたのが健軍。
姜尚中の両親は終戦間際の昭和20年夏、焼け野原になった熊本で、ボロボロになって健軍神社にたどり着きます。

ここのくだりを立ち読みして、どうしても続きが読みたくなりました。
会話の殆どは熊本弁で進んでいくので、もしかすると他の地方の人には読みにくいかもしれませんが、面白いです。
両親のことを書くのだから、相当感情的なものがあると思いますが、作者は客観的に書こうと努めていると感じました。たしかにこういう家族がいて、こういう暮らしがあったんだ。と実感させてくれます。

私は韓国語を勉強したり、韓国旅行をしたりして韓国にはそれなりの関心を持っていますが、在日の人たちとは親しく知り合う機会もなく、これまでその暮らしに関心を持つことはありませんでした。
そのため、この本に書いてあることは知らないことばかり、色々驚くことがありました。

まず、両親が訪ねていく熊本の弟は日本軍の「憲兵」です。そして、戦時中は憲兵特権で物資を横流ししたり、貯めています。それでも玉音放送を自宅のラジオで聴き、自決する覚悟です。

また、戦後の闇市で生きていく朝鮮の人々同士が日本語(熊本弁)で会話しています。家庭内でも日本語です。これは、ホントなのかな……?日本人がいないところでも日本語を話し、日本名で呼び合うのは意外でした。

姜尚中氏は生まれたときに、日本名と民族名の2つ命名されます。大人になって、民族名を名乗ろうと決めて、母親に相談します。母親はもちろん賛成してくれるのですが、自分にとっては「テツオ」という日本名がお前の名前だと言う話が出てきます。これも意外な感じがしました。

学生の頃、韓国語購読の課題の本は抗日運動の歴史でした。そこで学んだ創氏改名などの歴史は、民族の名前がいかに大切か、アイデンティティの問題として理解していたので、逆に戦後、帰国の自由もある中で家庭の中でも日本名を使っていたというのが意外でした。(両親は朝鮮戦争が起きなければ帰国するつもりでいたらしいので)いろいろな家庭があるのでしょうね。

そのほかにも、終戦直後の朝鮮の人々の間に広がる開放感、帰還熱、そして朝鮮戦争勃発に至る不安な日々。日本にいる間に祖国が分断されて、国籍選択をせまられるとか、在日の人々の中でも北と南で争うとか、日本生まれの二世は日本語しか話せないからもう国には帰らないとか。
家族史を通してリアルに語られます。
そして、終戦直後の熊本の様子も。

大人になってフェイスブックをはじめてから、中学のクラスメートにも在日の人がいたんだなと気が付きました。その人も大人になってからか、民族名を名乗るようになったようです。とても身近なことだったの、全然意識してこなかった。この本は熊本が舞台ということもあり、ぐんぐん引き込まれてあっという間に読み終えました。

おすすめです。

16

連休中に「三四郎」も読了。
多少ななめ読みの部分もありましたが‥

これは、高校時代の読んでたらよかった。
熊本の高校(つまり五高、今の熊本大学ですね)を卒業して大学進学のために上京して、大学での新生活を始める三四郎に、自分も重なる。時代も場所も年齢も性別も学力も向学心も全て三四郎とは違っているけど、それでも自分の18歳の頃を思い出さずにはいられない。三四郎は23歳だけど。

好きなキャラは断然に「与次郎」。
もっと若い頃に読んでいたら、その感想だったかどうか。
三四郎とか野々宮さんがいいとか思ったかもしれない。
でも結婚するなら「与次郎」がいい。
与次郎がいなかったら、最後まで読み終われなかったかも。

与次郎ファンクラブを作ってもいいくらいだ。
漱石先生も与次郎に羨望を持ってるはず。ああいう風にはなれないけどなりたいと思っていたのではないか?

気になったことメモ

週に40コマの講義をとるとかすごすぎる。
三四郎の下宿のあった「追分」というのは、今の東大の北西側、地下鉄東大前駅のあたりか。
図書館に行ってでたらめに本を借りても、必ず誰かがその本を以前に読んでいる。こんなに本があるのに!
当時の展覧会は、靴を脱いで上がるところに展示されてたんだ。
「団子坂」の菊人形祭り。半七捕物帳にも登場していた。半七捕物帳と重なる舞台と言えば、「化け銀杏」か。舞台になった森川宿というのは、東大のあたりのはず。

年長者と屈託なく話のできる与次郎を三四郎は羨ましく思う。
彼はどうしても緊張してしまうからだ。それを三四郎は九州育ちだからと原因付けていたが、果たしてそうだろうか?実は自分も学生の頃ずっと三四郎と同じコンプレックスがあった。でも同じ熊本人でも、屈託のないのはいたからなぁ。当てにならない。

門を読了。
それからの続編のような話。

でも、でも、およねさん、安井の奥さんだか、恋人だかだったの?
妹かと。。。。
妹なのだから、罪悪感は別の何かだと思っていた。あらあら(笑)

友人の奥さんとか恋人を略奪するとか、このテーマを書かずにはいられない人だったのかな?
夏目漱石先生。

禅寺で悟れないのは、漱石自身の体験が投影か。
お世話してくれるお坊さんが若いのも、確か漱石の体験と同じ。
夢十夜にもそういう話があった。

それにしても大したことが何も起こらない小説。
これが売れる明治ってすごい。

本日読了。

漱石先生ファンを自認する私ですが、漱石先生の小説はあまり読んだことがありませんでした。
ようやく読む気になった代表作。
でも、途中までは辛かった。
村上春樹の辛さに通じる。
主人公に魅力ない。
否、負の魅力しかない。
イライライライラ。

でも最後まで来て急展開して、今までグダグダしてたのはなんだったのと思うほど、あっけなく終わるんだけど、でもラストがよかったなー。
あのラストを明治時代に書いてるんだ。
夏目漱石が文豪って言われて、お札にもなってて、今も読まれている理由がわかる。

ラストの赤の洪水にハートを射抜かれました。

代助たいがいにしろよ。って思ってたけど。
まだ、30前なんだもんね。
青春物語だったんだなぁ。
応援しようという気になりました。ちょびっとだけ。

この世にはたくさんの言葉があるが、自分が使う言葉というのは意外と限られているものだ。それはいわゆる「語彙不足」からくるわけなのだろうけど、今日は「メタファー」について語る。

先日読んだ「騎士団長殺し」には、副題に「メタファー」というものが出てくるし、作中にもまぁ当然出てくる。それでも、わたしはこの「メタファー」という字(夏目漱石風w)を使ったことがこれまでなかったし、口から出したこともない。きっとこれからも・・・。

メタファーという言葉が「暗喩」だということは知識としては知っているのだけど、なぜ「暗喩」と言ってはいけないのかしら?暗喩とメタファーでは語義に微妙な違いでもあるのかな?
・・・わからない。

村上春樹の小説は比喩の表現が独特で、それにファンも付き、アンチも生じてると思われる。そして、きっと彼の小説には「暗喩」がいろいろにちりばめられてるんだろう。作者自らが副題につけるほどだ。今作は意識的に「暗喩増し増しで」となってることだろう。

「騎士団長殺し」読書会のあと、村上研究家の友人に「読書会したんだよ~」とメールを送った。そうしたら、彼の読後感想文が送られてきて、何度かやり取りした。私の書くものは、小学生レベル。それに対して彼からくるものは学者の論文レベル。きっとはたから見てたら滑稽なやり取りだろうけれども、まぁそれはいい。繕っても仕方ないし。

そのやり取りの中で、友人はこの小説から読み取れれるさまざまなものごとついて、たくさん教えてくれた。
源氏物語、二代の縁、父性、男の欲望、草枕、王、円地文子、父性の暴力、理想の父・・・・

そんなに読み取るのか???!!!
すごい。さすがプロは違う。ただただ感心した。
さらにすごいのは、私の舌足らずな小学生並みの読書感想文を「つまりこういうことだね」と高校生の書く小論文くらいのレベルに解釈してくれたこと(笑)。

小説を読むということは、そこから作者の伝えたいことを受け取ることだと思う。
でも暗喩だらけなのは面倒くさい。
村上春樹にイラっとする理由にはその辺もあるのかもしれない・・・。

とはいっても「シンゴジラ」には熱狂したのだ。
ゴジラが放射能を伴う災害だと思って。
いや、待て。あれは暗喩ではなく明瞭な比喩だったか?

やっぱり私には「メタファー」はムリか。

話はちょっと変わるけど、「メタ認知」とか「メタ記憶」なる言葉もあるらしい。
ふ~ん。
日本語に置き換えてくれんもんかね、と思う。
小池さんのカタカナ語攻撃とかも苦手。
騙されてる気しかしない。

私の知ってる「メタ」はWEBページを書くときの「META」タグくらいか。
たぶん、語源は一緒なのだろう。
「隠されている」とか「外側からの」とかいう意味かなぁ?

友人と読書会を開いた。
テーマは村上春樹の新作「騎士団長殺し」。

何度か書いてるけど、私はアンチ村上春樹
どうも読んでるとイライラしてしまう。
本筋と関係ないことが気になって、ストーリーに没頭できないし、感情移入できる登場人物がだいたい一人も出て来ない。

でも「そんな人もいた方が面白いから!」と誘われました。

メンバーは以下の通り。
Aさん、村上作品は小説以外も全て読んでるという高レベルのファン、ノルウェイの森がとても共感できたんだそう。
Bさん、小説は全部読んでるという人、読書量が多くて村上春樹もとりあえずは読むという。読んだら忘れるらしい。
Cさん、小学生の時にノルウェイの森を読んで以来、自分ルールを決めて文庫になったら読むという人。村上作品に登場する固有名詞にあこがれたんだとか。
そして5-6作品くらいしか読んでないアンチな私の4人で語りました。

会場は自由が丘の中華料理店。

感想。
一つのテーマについて、他人の感想を聞くのはとても面白い。
自分が気がつかなかったことを気づかせてもらったり、自分の見方とまるっきり逆の解釈を教えてもらったり。話しているうち、未消化だったことに「あっ」と、答えがひらめいたり。

ところで、この作品のタイトル「騎士団長殺し」は、作中に登場する日本画なのですが、どんな絵だろう?という話になりました。そこで私のイメージを絵にしてみました。子供の絵みたいですが👶


村上春樹を読む時間は、私の人生で大した意味を持たないから、どんなに世間で騒がれていても、もう読むのはやめておこうと思ったはずだった。
今回の新刊も、もちろん読む本の候補の候補にも挙がっていなかったが、ちょうど台湾に行く週に発売されたために、空港の本屋で平積みになっていた。
そうだ、お土産に買っていこう。
台湾の友人は村上春樹ファンである。
重いハードカバーの新刊を上下2巻購入し、台湾へ向かった。
買ってしまったからには少し読んでみようか。
どうせ飛行機の中はヒマだし。

読み始めた。
あまり面白くはない。
でもさすがベストセラー作家だ。
最初を我慢して読み進めると、少しずつ作品の中に引き込まれて行った。

台湾で古いホテルに泊まった。
割と広い部屋に一人だ。
小説はちょうど、夜中に不気味な鈴の音が鳴り響くというシーンだった。

怖い。
トイレに行けなくなる!
本を閉じて、半七捕物帳の朗読に切り替えて寝た。(こちらも十分コワイが、既に一回読んで筋を知ってるから平気)

そうして、上巻の半分程度読んだところで、時間切れとなり、お土産に渡してしまった。
あの鈴の音の正体がなんなのかは、一生わからないことになるだろうが、まぁそんなことは構わない。
私には半七親分もいるし、サピエンス全史や網野善彦先生もいらっしゃる。
村上春樹に時間を使ってる場合じゃないのだ。

でも、何の因果か、また昨日から続きを読み始めている。

友人が貸してくれたのだ。
なんでもこの新作で「読書会」をするらしい。
私もメンバーに数えられているようだ。
「村上春樹嫌いなんだけど」
と言ったが
「そういう人が入った方が面白いから」
そういわれて、話はなんとなく決まってしまった。

半七親分の長編も残ってるし。
図書館に江戸切絵図の本を3冊予約してあるし。
正直言って村上春樹より、そっちを読みたいのだ。

でも読書会にはちょっと興味ある。
友人と本をテーマに酒を飲む。
楽しそうだ。
がんばって読むことにするか。

私が村上春樹を買って行った台湾の友人は、村上春樹が好きすぎて新作を読むのがもったいないと思っているらしい。「読んだら読む本がなくなってしまう」からだという。
「もし、村上春樹が今死んでしまったら、もう新作が読めなくなる。だから1Q84以降は読んでいません」とのこと。
え?私が前に買って行った「多崎つくる~~」は?
もちろん読んでいません。
じゃ、きっとこの騎士団長も村上春樹が死ぬまで読んでもらえないことだろう。。。