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日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
網野善彦
筑摩書房

もうひとつ、いま読んでいる本。
こないだ久しぶりに本屋に行って、偶然見かけて買ってきた。
ほんとは「半七捕物帳」を探してたんだけど(全作品キンドルで持ってるのだけど、文庫で解説とか読んでみたかった)見つからず、かわりに手に取ったのがこれ。

文庫なのに1200円!
でも前書きだけ読んだら、めっちゃ面白そうでした。

いま、文字の項を終わり、貨幣の項に入ってる。
ちょっと「サピエンス全史」に似た構成です。

網野先生のご説だと、日本の社会は13~14世紀ごろに大変革があり、その前後で全然あり方が変わった。その後の社会は昭和30年代くらいまで続いていて、その後また大変革が起こっているのでは?というのらしい。

どんな変革なのだろう?
わくわく!
こちらもチビチビ読んでいます。

アマゾンが提供している Audibleという、朗読サービスの無料お試しができるというので、早速アプリを入れて東山彰良の「流」を聴いてみました。この作品は直木賞をとった台湾人の小説ということで、私の周りでも色々話題になっていました。

今週ちょっと風邪をひいて早く寝たりしてたのですが、寝てると暇なので、でも本を読むのはちょっとしんどいので、「朗読とかあったらいいのになー」と思ってたのでした。

世の中、便利なものができていますね。
いろんな本が朗読で聞けるようです。
お試し期間の間に、色々聞いてみようと思います。

で、この「流」ですが、今四分の三まで聞き終わりました。1970年代の台北を舞台に、しかも、外省人家庭の物語というのは今までに触れたことがなく、ものすごく新鮮です。

めっちゃ面白いです。
こういいう本を待っていました。
こういう本、探せばほかにもあるのかもしれませんが、実際に出会うのはなかなか大変。
なぜなら、私は本をあまり読まないからです。あまり読まないのに「面白い!」と思える本に出会えるのはかなり数少ないことで、今回はラッキーでした。

いろいろ私の疑問に答えてくれています。
まだ読んでる最中なので、感想はまた改めて。

あ、一つだけ。
この本、翻訳なんですが、とてもこなれた訳で読みやすい。
内容が面白いので、時々音読して夫に読み聞かせていますが、初見でも全く引っかかることなくスラスラ読めます。
これって、何気にすごいことですよ。
ベストセラーになっているのもうなずけます。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
河出書房新社


うちの夫は読書家です。いつも本屋に行っては何冊もの本を買ってきて、主に通勤時に読んでいるようです。(そのおかげで家にはすごい勢いで本が溜まっていくので、定期的にリサイクルに回しています。)私はといえば、ここ数年本当に読書は停滞中で、昨年は10冊も読んだかどうか。。

さて、そんな読書好きの夫が昨日こんなことを言いだしました。

「今、渥美清の評伝読んでるんだけど、その中にやたらと「ママ」ってカタカナで書いてあるのが出てくるんだけど、なんだろうね?」

カタカナで「ママ」と書いてあれば、それはアレですよ、他人の文章を作中に引用する場合、誤字やちょっと意味の通らない表現が出てきたときに、「これは原文のままですよ、誤字じゃありませんよ」と、お断りする記号のことでしょう。あんなに本読んでるのに見たことないのかな?

「こんなの初めて見たよ。」

との話。

そうか、夫が好んで大量に読んでいるのは主に小説やエッセイ。誰かの文を引用するということが極端に無い分野の本だから、今までそういう表記に出会ったことがなかったのかもしれないなぁ。それに対して私は、小説はほとんど読まず、ノンフィクションや評伝や歴史関係の本を読むので、その「ママ」という記号はかなり以前から親しんでいるというわけなんだろう。

面白い発見でした。

ちなみに去年読んだ本。

台湾とは何か
冤罪
猫と漱石と悪妻
蓮池流韓国語入門
マイ仏教

えっ!まさかの5冊?
他にもあるのかもしれないけど、思いだせません。本読まなすぎ、ヒドイね。
あ、今「サピエンス全史」読み始めました。今年は少し読めるかも。


読み終えた。
とても読みやすく、面白い本だった。
先日NHKスペシャルでロッキード事件のことをやっていたので、興味をもって図書館で借りてきた。

子どもの頃総理大臣だった田中角栄。
お金にまみれた悪い人だと思っていた。
ロッキード事件も、そのころから山ほどあった贈収賄事件の規模の大きなものくらいの認識だった。

大人になって考えてみると、そんな単純なことでないのは容易にわかる。
いろんな人々の思惑が絡み合っている、戦後最大とも言われる疑獄事件。
今までさして大きな関心はなかったけれど、日中国交正常化の意味なども踏まえ、ちゃんと勉強しないといけないと思う現代史です。

さて、NHKのは検察側から描かれたドラマだったけれど、この本は田中角栄の側近だった人物が書いたもの。
かなり田中寄りに書かれているとは思いますが、とても面白かった。
検察寄りとか、三木寄りで書かれているものがあれば、それも読んでみたいと思いますね。

この石井一氏が田中角栄と一緒にゴルフをしていてホールインワンを出したときに、その辺にいる人に一万円札を配って回ったという話、すごいですね。もう感覚がわかりません。
それと、この石井氏、アメリカ留学の頃の人脈をたどって、ウォーターゲート事件の検事だった人に田中角栄の弁護を頼むなど、かなりいい線いってる仕事をしてるんですね。

田中角栄のやっていた北方領土返還の動きなども少し書かれているのですが、そのあたりのこともっとよく知りたいと思いました。1970年代ならともかく、いまさら北方領土返還に現実味があるものか…。気になります。

冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相
石井一
産経新聞出版

2

台湾とは何か (ちくま新書)
野嶋 剛
筑摩書房

実に久しぶりに読んだ台湾関係の本。

もともとあまり本をたくさん読む方ではないけれど、台湾に興味を持ち始めた20年前は、ガイドブックや紀行文も含め、台湾関係の本を読みつくす勢いで読んでた。まだ、総統が李登輝さんだった頃ですね。

当時、車で外回りをする仕事していたので、空き時間にはその土地の図書館に寄って、トイレ借りるついでに台湾関係の本を探して読んでた。今みたいに図書館蔵書のオンライン検索システムなども普及していなくて、現地に行かないとどんな本があるのかわからないから、図書館を見つけるごとに寄っては台湾の本を探した。

「台湾ってどんなとこ?」
「台湾の人たちってどんな人たち?」
「どんな家に住んでるの?」
「何食べてるの?」
「子供たちは学校で何を習うの?」
「休みの日はどんな風に過ごしてるの?」

何でも知りたいお年頃でしたね。

そして、そのあとから台湾に熱心に通うようになって、知り合いも沢山出来て、いろんな議論もするようになったりして。それに比例して、本を読まなくなりました。
「書を捨てよ町へ出よう」ですね。

「ゴーマニズム宣言」が評判になっていたころにはもう読まなくなってた様な気がします。渡辺満理奈の旅の本なんかも読んでない。
そして数年前に久しぶりに人に紹介されて酒井亨という人の台湾本を読んだら、なんだかすごく気分が悪くなったので、以来、台湾本には近づかないようにしてた。

前置きが長くなりましたが、そんなわけで久しぶりに手に取った台湾関連の本です。
なかなか読みごたえあり、とても面白かったです。
「この話もう知ってるよ」とか「え?私の知ってる台湾とずれてる。ほんとなのこの話?」と思うようなこともなく、知らない話も、詳しくなかった話も、とても新鮮で、純粋に知る喜びを味わいました。

台湾に興味を持ってる方々にオススメします。
また、台湾のことをあまり知らない方にもお勧めします。

この20年自分が台湾とかかわる中で肌で感じてきたことを文章化してもらったような感覚でした。著者は「肌感覚」という表現を多く使っているけど、まさしくそれ。
「天然独」という言葉などは、この本で初めて知ったのだけど、言葉こそ知らなかったがその感覚は台湾のと付き合ってきた自分の中に既にあり、本を読むことはこの20年の自分と台湾とのかかわりをトレースすることでもあり。

著者は「日本は台湾に対して(72年の国交断絶以降)思考停止している」と言っています。その自覚はなかったけど、(というかむしろ毎日毎日台湾のことを考える20年だった)言われてみればそうかもしれません。
昔、私の同僚などは台湾と韓国の区別もついてなかったし。
台湾は中国の一部と思ってる人も多かったし。
中台問題に関心すらない人も多かった。

でも311以降、日台は新しい関係に入ったと言えるのじゃないか、というのは私もすごくうなずけるところ。
国際政治問題で難しい位置にいる台湾という存在。
日本の隣の国。
歴史的にも日本と深い関係にある国。
その近さ、縁の濃さの割に、正当な関心が払われていなかったと感じてきたけど、311の際に台湾から寄せられた、ものすごい額の義捐金は日本人の目を覚まさせるのに、十分だったようです。
それ以降、台湾をありのままに理解しようとする日本人が爆発的に増えていると感じます。

少なくとも
「それ、ちがう、それ香港ね」
とか
「あ、それ韓国の話だし」
「え~っとそれは中華人民共和国の話とごっちゃになってるよね?」

みたいな違和感を感じる場面が激減したこの5年です。

おまけの話。

若いころ左翼的な考えの人が周りに多かった私は、自然とそういう思考をしていたのですが、そこに息苦しさも感じていました。台湾と付き合うようになり、右翼的な考えの人とも付き合うようになりました。
一番強烈だったのは、台湾の日本語世代の方と親しくなった時に「日本からお土産何がいいですか?」と訪ねると「SAPIOを買ってきてください」と言われたことでした。「え?こんな雑誌読む人いるんだ。初めて見た」と思いました。

日本を知る日本語世代の方を話をしたりするうち、私の考え方は結構変わってきたと思います。日本国内にある左翼、右翼とも違う外からの目。これはとても新鮮なものでした。
視点を変えるというのも大切なことだと思います。

最近ネットで「文庫川柳」とか言うのがちょっと流行ってるらしい。どういうなのかな?と、のぞいてみると、手持ちの文庫本のタイトルを何冊か並べて、川柳に見立てるというもののようだ。早速本棚の前で、あーでもないこーでもないとやってみた。
で、何とか整ったのが、この2つ。


そんなバカな!
硝子戸の中
11人いる!

 ※「硝子戸」の付いた食器棚を思い浮かべてください(笑)

そんなバカな!でもうひとつ

そんなバカな!
老後のお金
西郷札

 ※「さいごうさつ」って読んでくださいね。西南戦争の時に西郷軍が出した軍票のことですよ。

去年の夏から、どんどん手元の本を処分しているので、なかなかできませんでした。いま文庫本100冊もないかも。今月も処分したんですが、ここに寄贈しました。


熊本大学古本募金

古本を売ったお金を大学に寄付するというもので、全国の国立大学に寄付できます。
ご家庭にある本をまとめて段ボール箱に入れて、連絡するとクロネコさんが集荷に来てくれます。金額的には微々たるものなんですけどね。家の片づけなどされる際にはどうぞご利用ください。

つけてしまって気がついた。
このタイトル仰々しい・・・(笑)
文学論ってほどのことは書いてないなぁ…まぁいいや、書こ。

宮部みゆきの小説が好きだ。
推理小説が多く、謎解きするのが最初は好きだった。
でもだんだん作品に描かれる登場人物のキャラ付の描写に引き込まれているのだと分かった。

一番最初に印象的だったのは、「火車」のたもっちゃんの身重の奥さん。わき役もいいところの登場人物なのだけれど、彼女の人となりがとてもよく描写されていた。あ~こういう人いるんだろうなぁ。と思った。きっと作者の近くにモデルがいるんじゃないか?

そして宮部作品を読み進むうち、「私の周りの事象を宮部さんが小説で表現するとしたらどうなるんだろう?」「私が宮部作品の登場人物(たぶん脇役、チョイ役)だったとしたら、どう描写されるんだろう?
という思いがむくむくと持ち上がってきた。もちろん、宮部さんに自分を売り込むことなどできないので、自分で想像するわけだけど。

想像するうち、私という生身のニンゲンを小説のキャラにするには、そうとう単純化しなければいけないということが分かった。私のある一面だけを描写するわけだ。これは相当難しい。

最近の「小説もどき」を書いていて、モデルになる人物を文章で描写する際にもその作業が必要になるということにも気がついた。「小説もどき」はまだ明確なキャラクタ設定などは行わず、ほとんど描写は会話と心の中のつぶやきと動作だけではあるけれど。それでも一言しゃべらせるだけでもその「1面だけにしぼる」作業が必要なのに驚いた。

世の中の文筆家たちは皆そういう大変なことをやっていたんだな・・・。

まぁ、私の場合はただ、このブログに書き散らしているだけで何のプレッシャーもないからいい。
書きたいことだけ書いてる。
書きたい動機は「現実を小説の中に置いたらどうなるか」と実験することにある。

いまのところ・・・。

つづく。

子どもの頃から、本を読むのは好きだった。自分の知らないお話を読むのはワクワクした。漫画も大好きだった。知らないストーリーと読み進むのがとても楽しかった。推理小説も楽しんだ。これからどうなるのどうなるの?というのが楽しかった。

でも、大学生になって授業で「文学」というのがあって、良くなじめなかった。
文学ってなんだろう?
作家研究?
なぜ作家のことを研究するの?
それがいったい何の役に立つのだろう?

たとえば、「夏目漱石研究」というのがあったとして、もう死んでしまっている人のことを研究する意味ってなんなんだろう?ファンだから、その人のことを知りたい!っていう気持ちならわかる。それは、どっちかと言えば学問ではなくてマニア的趣味では?大学にたいそうに「文学部!」なんていう看板出せるような、そんな立派なものなのかな?

そんな、世の文学者たちを敵に回すような疑問を抱いたまま、年を重ねて行った。
後年文学者となった友人に、酒の席で「文学っていったい何の役にたつの?」なんて、質問を浴びせかけたりしたこともあった。今考えると、非常に浅はかで赤面ものだけど。

その長年の疑問が、そろそろ解けそうな気配を見せ始めた。

今頃かい!

という声が聞こえてきそうだけど・・・。

このところ、急に自分で創作をしたくなっている。少しやってみて、創作ってただお話を書くってことじゃないんだということに気がついてきた。(今更…)
人間のありようを表すことが主眼でまたそこに苦心するのだとわかりはじめた。

さらに、ベルばらの二次創作を読みあさるうちに、人によって各テーマが違うことも気がついた。同じキャラクタを使って物語も同じ下敷きで書いてるのに、テーマが違う。その奥にある作者が書きだしたいものが一人一人違うせいだと気がついた。

文学を研究するのは、作品の奥にある「人間」というものを知りたい!という原動力があるのだろう。
そして、がぜんそのことに興味が出始めた。

つづく。


ここに一枚の写真があります。
昭和8年刊の「東台湾展望」という本に載っていたとされる、台湾大武の「大武支庁」前での集合写真です。
ここに私の曽祖父が写っているらしい。(祖母の生前見せたらそう言ってました)
一人だけ白っぽい服を着ている人がそうです。

私の祖母もいわゆる「湾生」(台湾で生まれ育った日本人)です。
~「湾生」の定義が、「台湾で生まれ育ち、終戦後引き揚げてきた日本人」ということなら、台湾から引き揚げてきたわけではないので正真正銘の湾生ではないかもしれませんが~

10年以上前に台湾東部を回った際に、祖母の卒業した学校を訪ねたり、家のあった集落まで行ってみたりしたのですが、そのときのことをまとめてWEBにあげたら読者の方から、当時の写真の載っているサイトを紹介してもらいました。

もうそのサイトのことはわからなくなってしまったのですが、その際にダウンロードした写真(上の写真)に、もともとは「東臺灣展望」という本に掲載されていたのだというキャプションがあり、先日の岡部さんの講演会に触発されて、その本を探してみようと思い立ちました。

国会図書館のホームページにアクセスして検索したら、地方の図書館にいくつか蔵書しているところがあることがわかりました。
私に便利なのは横浜市図書館です。

というわけで、日曜日、桜木町にある横浜市中央図書館へやってきました。

レファレンスデスクで尋ねるとすぐにぴぴぴーっと検索結果を出してもらえます。
なんて便利なんでしょう!

禁帯出なので館内で閲覧です。
古い本なので書庫で保管されているらしい。
取り出してもらうまで10分ほど待ちます。

でてきました~!


写真に納まりきらないくらい大きな本です。
布張りの立派な装丁で、古いアルバムみたい。


中はこんな感じで、左のページが写真で、右のページにその解説が載っているという構成です。

東台湾の2つの「庁」即ち「花蓮港庁」と「台東庁」について詳しく書かれています。
著者は毛利さんという台湾在住のジャーナリスト(?)だった方のようです。
この本を書くに当たり、台東に移住して1年ほどかけていろいろ調査したあと、カメラマンとともに取材旅行にでかけて5か月かけて台湾東部をくまなく回って、書きあげたようです。昭和7年当時の東台湾は西台湾と違い非常に交通不便で、取材にはいろいろ御苦労があったようです。

この本は、もともと非売品として「東台湾暁声会」という会員の人たちにだけ分けられたもののようです。
もちろん日本ではほとんど残っていない本ですが、台湾で2003年に復刻版が出版されたようです。一番上にあげた写真もその復刻版(中国語版)のコピーです。
そのほんも今や絶版となり、手に入れるのは簡単ではなさそうです。

図書館の方に許可をいただき、気になるページだけ写真に撮りました。
また読みたくなったら図書館に行けばいいのですが、自分のメモとしてここに一部載せます。
(写真をクリックすると大きくなります。)


表紙


上2枚
今でいう「蘭嶼」に住んでいる「ヤミ族(タオ族)」についての記述。
蘭嶼のことは、この本にも詳しく書かれていて、非常に興味深いものでした。

上2枚
台東の旧駅舎。
今はもう列車が走ることはなく廃線になっています。確か最近アートの展示などをする場所になったのではなかったかな?

上2枚
「大武支庁」についての記述

上2枚
パイワン族の頭目「パウカ」について

以下は祖母が住んでいた「大武」についての記述と写真


付録の地図。
(大武付近のみ)
地図を見ると、鉄道もない、自動車の通る道もない山奥までも日本人は統治のために、くまなく調査し、原住民(当時の呼称は「高砂族」)の集落を把握していたことがわかります。
そしてかなりの部分の高砂族部落に対して駐在所、派出所を置き、子どもたちの教育所を作っていたのがわかりました。

上3枚の写真
日本人を襲って逮捕された原住民と日本人と友好的な原住民のコントラスト。
こういう写真を今見るときには、いろいろなことを考えさせられますね。

上2枚の写真
3のタバカス教育所の子供たち「おそろいの服を見てもらいたいような顔!」というキャプションが微笑ましい。
この著者の子どもに向ける目はとても温かです。

巻末には東台湾のいろいろな広告が載っていました。
出版に当たり広告を出してもらって費用にしたんでしょうね。
いろんな広告の中でこの産婆さんの広告が気になりました。
「ただ親切を旨として…」最後の「…」が、なにかもう今っぽい感覚ですよね~。

奥付

「毛利史郎」というのはこの本の所有者の名前でしょうか?
著者毛利さんのご家族かもしれませんね。
どういう経緯でこの本が横浜市立図書館にやってきたのか・・・そこにもきっとドラマがありそうですね。

さて、一番上の写真をみた十数年前、
この写真は身内で撮った記念写真が何らかの要請により集められて本に載ったのではないかと漠然と想像していました。
しかし、この本を読み終わりわかったのは、この本の写真はすべてこの本を出版するために撮影して回ったものだということです。
ものすごいことだと思います。

花蓮や台東の街中の写真は日常っぽく撮られているのですが、山に行けばいくほど、各役場や駐在所や学校では、まるで何かの記念日の写真のように正装して整列して写真に納まってます。当時の辺鄙な山奥の人々にとって、この取材がめったにない「ハレ」の出来事だったと言えるのではないかと思いました。

私の曾おじいさんも、きっとワクワクしてカメラの前に集まったんじゃないかな。
その割にみんな顔が緊張しているのも面白いですね。

東京ビッグサイトで開催された、東京国際ブックフェアに行ってきました。
今回は事前に招待状をもらったので、予約制の講演会にも参加です。
作家さんを招いてのトークショー形式のもの2つ聞いてきました。
参加無料。

私は最近は本を読んでないし、もともとあまり現代の小説を読まないので、読んだことのない作家さんたちですが、全員芥川賞・直木賞受賞の先生たちです。新刊を読みまくっている夫はいずれもよく読んでるみたい。
参加した公演は直木賞作家の辻村深月氏の講演と、芥川賞作家の柴崎友香氏、直木賞作家の西加奈子氏の対談。

講演中は撮影禁止なので、始まる前の様子。

そして、禁断のスケッチ。
柴崎友香氏の横顔がきれいでついスケッチし始めてしまいました。

直木賞作家の西加奈子氏。
こちらのかたはテレビでも拝見してて、とても話が面白いし、切れ味鋭い話に感心します。

どちらの講演も気合い入れて受付に並び、最前列で聴きました。
その中で心に残る話がありました。
どの作家の本も読んだことなかった私ですが、この話が聞けただけでも出かけてよかったなと思いました。

私は、時々大きな本屋さんや図書館に行くと、すごく心細くなることがあります。
「こんなに本があるのに、絶対全部読むことができないんだ…どうしよう」
と絶望感にさいなまれるのです。例えて言うなら、大海原のど真ん中に浮き輪もなしにぽつんと取り残されたような心細さ。
こんなことをときどき周りの人に話しては、「そんな風に感じるなんて変~~!」などと、奇異な目で見られたりしていたのですが、このセミナーの中でこの話が出てきました。

まず、辻村深月氏の読書遍歴の話の中で、彼女が小学生になったときに初めて学校の図書館に行き、「わ~こんなに本がある!この本全部読んでもいいんだ!」と感激したというエピソードを紹介していました。
私もそういうことを思ったことが、幼き日々にはあったかもしれませんが、思春期以降はその反対の気持ちです。

そして、柴崎友香氏と西加奈子氏の対談では、柴崎さんが「今読んでる本なんですけど、『本は読めないものだから心配するな』というんです。この世にある本は全部読めるはずもないのだから、全部読めないなどと言って悲観することはないんですよね」みたいなことをちらっと話しました。

思わず、私のために言ってくれてるのかと思って、夫と顔を見合わせて吹き出してしまいました。

本は読めないものだから心配するな〈新装版〉
クリエーター情報なし
左右社

この本自体のテーマはそういう物ではないのかもしれませんが・・・。

わかってるんです。
この世の本を読み切れないことくらい。
そんなことで絶望するのは、あほらしいということも。
でもなんとなくそう思ってしまうことを誰かと共有したいなと思っていました。
この話が出てきて、ちょっとうれしかったのでした。

その日の夜、友人の誕生会で集まりました。
本好きな人が多いので、このセミナーの話をしました。
そうすると、やっぱり「本屋に行って心細くなる」という人はいませんでした。友人の悩みは「本屋に入ってこんなに本があるのに、読みたいと思う本が一冊もない日がある」ということだそうです。
なるほど。
本屋に行っても人それぞれ、思うことが違ってて面白いですね。

そしてこのブックフェアから帰ってきて、久しぶりに一晩で一気に小説を読みました。

辻村深月氏が面白かったと言っていた本「その女アレックス」
夫はちょうどセミナーの朝読み終わったばかりだったらしい。
ちょっとグロテスクなハードな描写も多いのですが、テンポよく読めるミステリーでした。
評判にたがわず、とっても面白かった。(暴力シーンやグロいところは斜め読み)
で、寝不足です。
また本が読めるようになったかもしれません。

その女アレックス (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

必要十分生活~少ないモノで気分爽快に生きるコツ~
たっく
大和書房

これも夫が買ってきました。

男性が書いた「片付け本」。面白かった。

前に、わたしも「スーツケース一個分で生活できるんじゃないかな?」

なんて思って記事書きましたが、まさにそれを実践している人でした。

バスタオルを使わない生活は、我が家でもずいぶん前から導入しています。
これはほんとに楽ちんです。
何と言っても洗濯が楽。

あと、FAXもないです。

でもその他は、まだまだモノモノモノモノ!
まさしくモノに隷属しているような暮らしぶり。

この本に一番共感したのは、散らかってる部屋を見るときのストレスの話。
毎日毎日モノでごちゃごちゃっとした部屋を見るたびに、知らず知らずストレスが募ってくるわけです。そりゃ片づけた時には爽快感がありますけど、その爽快感はすぐになくなり、また散らかってストレスがたまる。毎日どれだけ嫌な思いをしているのか。そんな生活、幸せと言えるのか?????

私がモノの呪縛から解き放たれるのは、スーツケース一個で旅に出た時だけ。
この旅の状態を日常でも味わいたい。

・・・・・・・・・・やっぱり片付けよう。

それに、片付いた部屋を掃除したり片づけるのは簡単だけど、汚部屋になってしまうと掃除をし始めるのにものすごい決心がいるし、実際時間も労力もかかる。
片付いた部屋なら大してストレスなく毎日少しずつ掃除すればキレイが保てる。
経験的にも知ってるんですけどね・・・。

ここまで3冊の片づけ本を読んできましたが、共通してわかったことは、「片付け=収納」ではないということ。今まで、自分は、片づけるというと、整理整頓とか、モノをちゃんと収納して見える場所に置かないとか、そういうことだと思っていましたが、どうもそうではないらしい。

本当に必要なもの、本当に好きなものだけをそばに置く、自分で把握できる量のもので暮らしていくということだったんですね。

そうすれば、探し物もなくなるはず。
~~我が家では毎日何かしらの探し物があり、そのたびにイライラします。

はやく家じゅう片づけたいなぁ!

「人生がときめく片づけの魔法」の本に従い持ち物を整理しています。
2週にわたって本の整理をしました。

本というのは、放っておくとどんどん増えてしまうもので、これまでにも引越しの度に何度も何度も整理を繰り返してきましたが、ここ数年は全く放置でした。なので、部屋のあっちにもこっちにも本があふれかえりストレスの塊になってました。(そして今は私自身は本から離れている)

ところが、いざ整理しようと手に取ると、惜しい気持ちになり、特に昔買った本などは「もうどこにも売っていない」と思うと、たとえもう二度と読むことがなくても「もったいないよね~」と考えてしまって、なかなかな手放せません。

でも整理しないと、結局は本棚にも入れてもらえず、あちこちで忘れられて埃がかぶるだけになる本を量産してしまうのはわかっています。愛情のあなりない本が混ざることで、本全体への愛情が薄れてしまうようです。

やはりここは自分の本当に好きな本だけに絞って、愛情を持って大事にしてあげたい。

そこで考えました。
手放しがたい本は写真にとってネットにあげて、友人などに見せてほしい人がいたら後日手渡すということにしました。
で、そんなことをしていたら友人から、大学の図書館で古本の寄付を募ってるという情報をもらい、友人の中に引き取り手の無かった本は、そちらに寄付することにしました。さすがに、表紙が取れてたり、ぼろぼろになったり、カビが生えてしまったりしてる本は資源ごみ行きですが。

寄付で誰かの役に立つなら、本を手放す心苦しさがなくなり、部屋もスッキリになりいいことづくめ。とりあえず、ダンボールで5箱ほど送りました。

皆様も本の整理をされるなら、こちらへの寄付をご検討ください。

藝大古本募金
「本のチカラ」プロジェクト
(東京芸大)

アジアの映画や音楽などの本も相当処分してきたけど、まだ残ってました。
(ほんとはまだ残してあるものも多い)
20年位まえから没頭してきた分野ですが、そろそろ・・・ね。

「新潮文庫の100冊」の常連だった外国文学など。
これは今手放してもまた読みたいときには手に入るはずだし。
塩野七生は友人が引き取ってくれました。

ホームズものもパスティシュは手放すことにしました。
何十年も持っているのに結局読んでいないからです。
正典にしか興味がないのだと、潔く認めることにします。

新書はほとんど学生時代にレポートのために買った物たちですね。
いつか読み返そうとか思いつつ、一回も読み返してない‥はは。

漫画もかなり厳選していたのですが、やはり処分することにしました。


エロイカは友人のもとに引き取られていきました。

マンションの玄関に張り紙をして、ガレージセール的なこともやってみました。
そして家の玄関前に並べたところ。少し持って行ってもらえました。

とりあえず今持っている本棚に収まる程度までには本を減らしました。
落ち着いたらもう一回本と向き合い、本当に本当に大事にしたい本だけに絞ろうと思います。

そうしたらきっと本棚でCDやDVDまで全部収納できる。
でもCDの数がこれまた大変なんだなぁ・・・。
来週はCDにするか台所にするか。

人生がときめく片づけの魔法
近藤麻理恵
サンマーク出版

これも「フランス人は~」と同じ日に夫が買ってきた本。
夫は先にこの本を読み、読んだ後交換して読みました。
これも一気に1日で読み終わりました。

「フランス人は~」と同じようなことが書いてある。「フランス人は~」の方は著者はアメリカ人だけど、結局真理は一つってことなのでしょうね。今の私たちの暮らしはものが多いけど、そのものをちっとも慈しんでいないし、愛してもいない。そしていつも足りない足りないと思っている。その結果、部屋は散らかり心は乱れ、幸せが逃げる。

本を読む前に私が漠然と言ってた「旅するように暮らしたい」というのも少し近いものがあります。

この本2011年に出版されて、もう65刷だそうです。売れてますね。確かにこの本には説得力があって、読みながら「はやく実践してみたい!」と思いました。それにこの本は夫が先に読んで感動していたので、もしかしてスッキリした部屋に住めるようになるかもしれません。

たのしみ!

この本で学んだこと

●持ち物を捨てる(片付ける)祭りは一気に終わらせる
●まずは服から。本→書類→雑貨→思い出の品
●片付け終わったら全てのものの置き場所を決める

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質
ジェニファー・L・スコット
大和書房

夫が買ってきた。
何でも最近話題の本らしい。
ちらかってる部屋が嫌で、でもだからと言って片づけるのはとっても苦手で、もう何年も不満足なまま暮らしている私が、最近そうかと思ったことがある。

「旅行に行ってる時に気持ちがいいのは持ち物が少ないからだ。」
「だったら持ち物をスーツケースに入るくらいに絞っちゃう?」

かなりの名案だと思ったものの、家族がいるし、自分の思うとおりの家にはできない・・・。
と悶々としているときに、この本です。

この本から勉強したこと。

●いつでも自分の好きな服を着る。
 数少なくてもいいから、ほんとに似合って、自分でも気に入ってる質のいい服を毎日着る。
●いいものを食べる。
 「これ食べたらまたダイエットしなきゃ!」とかそんなマイナスなことは考えずに食べる。
●食器もいつもいいものを使う。

タイを知るための72章【第2版】 (エリア・スタディーズ30)
綾部真雄
明石書店

タイについてのいろいろなことが網羅されているらしい。
来年一月のバンコク行きまでに読むぞ!


日曜日のお昼にアマゾンさんから届いたので、そのまま読み始め、夕方には読み終わりました。快読という名の通り、とても楽しくどんどん読める本でした。

でも、内容は多岐にわたっていて、「赤毛のアン」を読むにあたってのヒントがいろいろに散りばめられていました。すなわち、当時のカナダの政治状況、住民の宗教意識、クラス意識、民族問題、教育制度、ジェンダーなどなど。
よくまぁこれだけ調べたなぁと思いました。(多少目が回りました)

花子とアンのドラマで、修和女学校の校長室にあるのがなぜカナダのメープルの国旗でないのか疑問だったのですが、そういう事の背景もわかります。

また、当時のカナダの方言と標準英語の話も出て来ます。訳文ではそのニュアンスを出すのは大変ですよね。この本では原文も挙げて解説してあるので、とても興味深く読めます。(上の写真は原文を読むため本を横にして読んでいるところです)

日本で大変人気のある「赤毛のアン」ですが、この現象は海外の研究者にも注目されているかなり特殊な状況なのだそうで、それを知りびっくりしました。
海外でも(英語圏はもちろん)それなりに人気があり、児童文学として認められている本だそうですが、日本ほどの盛り上がりはないそうです。これには花子さんの功績が大なのですね。

海外の研究も少し紹介されていますが、それに対する著者の突っ込みが可笑しい。そうです。日本で提灯を使うのはお盆シーズンばかりではありませんよね。

その花子さんの訳文とその他の翻訳家のものと比較している章もあり、これもとても面白かった。これだけで本一冊になるのでは?と思うほど。
翻訳をするということがどんなに難しいか、よくわかりました。

村岡花子さんは、戦時中にひとりで情報もない中、翻訳していたという話ですが、すごいですね。でも彼女は、アンと同じ時代のカナダの教育をカナダ人の先生から受け、図書館にあった英文学の古典などもアンと同じように(同時代の教育を受けた人と同じように)原書で親しみ、まるでカナダで育ったような文化を身につけた稀有な日本人だったそうなのです。
それで、この翻訳が可能になったのですね。

私は子供の頃に読んだ際、アンの性格に全く共感できずにシリーズを読み進めることができなかった口で、ストーリーもろくに覚えてないのですが(アニメも見なかった)、よく読みこんだ方には、この本で展開されるアンとマリラの関係の話も面白いのではないかと思います。

文学作品の深読みと言うものがとても苦手で、何を屁理屈こねてるんだろ?暇人か?!と、抵抗もある私ですが(世の文学者の皆様暴言をおゆるしください^^;)、こういうふうに解説してもらえると、なるほどーーー!と思わずにはいられません。

ネタバレになるので詳しく書きませんが、モンゴメリが、この物語で伝えたかったこと、批判したかったことがよくわかり、モノを書く人々というのは、こんな風に作品を作り出すのだな、ど感心しました。

売れなきゃならない。
出版社の意向もある、読者のこのみもある。そんな中で自分の思いを効果的に伝えることができる作者というのは只者ではなく、だからこそ時代を超えて長く読みつがれるのだということがわかりました。

私がアンに感情移入できなかったと書きましたが、実はモンゴメリ自身がアンの性格に共感できていないのでは?という著者の指摘も興味深く感じました。
この辺りは、私の育った昭和40~50年代日本の女の子教育(ジェンダー問題)とも関係があると感じている部分でいつか掘り下げてみたいです。

「赤毛のアン」のファンの方、「花子とアン」にはまっている方、更に広く英語に興味がある方におすすめします!

快読『赤毛のアン』: こんな「アン」、見たことない! (フィギュール彩)
菱田 信彦
彩流社

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毎日朝ドラの「花子とアン」を見ています。
すっかりわたしもいわゆる「朝ドラ視聴層」に組み込まれています。
今シーズンも「こぴっと」「てっ」など、すでに甲府弁が口癖になるいきおいです。

「赤毛のアン」は子供のころに一度読んだきりでよく覚えてないのです。小学生のころ読後感想画で、アンが自分の赤毛を嫌って染めたら失敗して緑になったというシーンを描いたのは覚えてますが…。
中学の時の同級生がはまっていて、全巻読みすすめながらよく話をしてくれましたが、私はそのころシャーロックホームズにはまってしまってて、「アン」のほうにはいかなかったんですよね。

そんなわけで、ドラマには「赤毛のアン」ネタがちりばめられてるらしいのですが、全然気が付くことができません。石橋蓮司演じるおじいやんの口癖「そうさな・・・」もマシューの口癖なんですって?夫に指摘され「へ~」ですよ。あ、夫は全巻読んだそうです。
近所には村岡花子記念館もあるのですが、わざわざ行ってみようと思ったこともなかったのです。多分今頃賑わってるでしょうね。

で、そんな人にもはまった人にもお勧めっぽい本が出ました。
これです!

快読『赤毛のアン』: こんな「アン」、見たことない!
菱田 信彦
彩流社

きっと今頃本屋に行けば、アン関係の本がずら~っと山積みなんでしょうね。
この本もそんな企画ものの一環なのかもしれませんが、著者は児童文学の先生です。この先生のコラムを以前このブログでも紹介したことありますが、切り口が面白くて、文学の門外漢でも楽しく読めるんです。
きっと本も期待できますね。

これ買って、ドラマを二倍楽しもうと思います。
読んだらまた感想を書きます。

ファーストネームで呼び合う意味
極度乾燥(しなさい)~Superdry
このブログが紹介されました

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「面白そうな本買って来たよ。あなた用」
といって、夫がくれたのがこの本。

方向音痴についての学問的アプローチの本です。
でも一般向けに書いてあります。
以前、NHKの爆笑問題の番組に、方向音痴がテーマの回があったのですが、その番組に出演していた静岡大学の心理学の先生の本でした。

なぜ人は地図を回すのか 方向オンチの博物誌 (角川ソフィア文庫)
村越真著
角川学芸出版

学生のころ、卒論のテーマを探しているときに、この問題に出会いました。
私の学校はいわゆる「学際」で、テーマ決めもめちゃくちゃ自由でゆるかったので、人文地理で書くか、アメリカ研究で書くか、南米研究で書くか、はたまた民俗学で書くかいろいろ悩んでいました。あまりにも散漫な感じがすると思いますが、とにかく全てのこと浅~くしか勉強してなかったんですよね。でも卒論書かなきゃ卒業できない。ウーン困っタ!

で、図書館でなにかネタは無いかと探していたときに、見つけたのがこのテーマ。
つまり「頭の中にある地図」について。
メンタルマップとか認知地図とか、空間認知とかいろいろなアプローチがあり、とても興味をそそられたのですが、心理学は全く素養無く、またどういう風に論文にもって行けばいいか皆目見当もつかなかったので、あきらめました。

で、その私の幻の卒論テーマ(こらこら^^;)を研究していらっしゃったのが、この先生だったんですね。
楽しそう。この先生の弟子になって、研究してみたい。

わたしはどちらかといえば方向音痴ではないほうだと思いますが、空間認識とかは、それほど優れてないと思います。
図形を反対側から見せられると、頭が混乱するタイプです。

↑こんなの。

でも、地図が大好きです。
しょっちゅう地図を見ているので、実生活では自分の現在地をGPS表示のように地図上にうつし込むことが出来るようになりました。で、頭の中の地図上で自分がコマみたいに動いていくので、あまり迷いません。

夫は別に方向音痴ではないのですが、その感覚があまりピンとこないらしく、初めての場所でも一緒に歩いてる私がサッサカ行ってしまうのでなんか気に入らないようです。何でそっちだってわかるの?とよく言われます。そして出先で落ち合う時など、電話で現在地を知らせる時など、なかなか出会えなくて、「そんな道案内じゃたどり着けない」と怒られます。

家庭の平和のためにも、方向オンチ、地図が読めない人の頭の中のことも知っておかないと(笑)

あ、せっかく本を買ってきてくれたのに、こんなこと書いていいのかな??

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注意!ネタバレバレです。

アンチ村上春樹である私ですが、性懲りもなく読んでしまいました。

  アンチの理由?→ 「村上春樹との不幸な出会い」

今回は、たまたまた台湾に行く日がこの本の発売日で、朝から散々ニュースでやってたので、台湾の友達にお土産に買っていっちゃろ!というのが購入動機。
でもせっかく買ったからちょっと読んでみようか・・・と飛行機の中でぱらぱらめくりだしたのが読んだきっかけ。
読み始めると、かなり読みやすかったしで、旅行前半に読み終わり、3日目の朝、無事に友人にプレゼントすることが出来ました。

友人「YOKOさん、この本読んだの?」

私「読んだよ。一応ね」

友人「感想は?ムラカミの小説には2種類あって、現実に起りそうな話と、ヘンなものが出てくる現実に起らない話。コレはどっちですか?」

私「だいたい起りそうな話の部類だけど、ちょっと変な話も出てくるよ」

とこんな会話をしてて、そのとき思った「変な話」というのは、当然「緑川」のことだったのだけど。
後からじわじわと、一番ありえへんのんは「沙羅」ちゃうんか?という気持ちになってきています。

沙羅が人間でなくても驚かない

はじめは、わりと現実にありそうな話かなと思って読んでて、主人公がハブられたことの謎解きとか、沙羅との恋愛の進行とか、面白く読めるのかな~と思っていたのだけど。
主人公が北欧に行く辺りからどんどん違和感が募りだして、最終的には沙羅は異次元からの使者なのでは?北欧にいた友人(白か黒か忘れた)は人間に見えるけど実は宇宙人なのでは?という思いに支配されるにいたりました。

村上さんは何でこういう小説を書いたんだろう?

この本の感想をいくつかネット上で読んでみたのだけど、色彩の色合い(赤、青、白、黒)と「沙羅」という名前から、この話は仏教の話だと論じている人がいた。なるほど。もともと登場人物はある役割を与えられていて、沙羅にいたっては、色でもなく特別な「沙羅双樹」だとか。

人間じゃないのですね。
木という意味じゃなくて、記号という意味で。

ほかに、沙羅という人物に「かっこいい!」「ステキ!」とかっていう感想を書いてるブログもあったけど、そういう単純な感じではないのでは?

まず、沙羅みたいな人はいないでしょう?
リアルな人間として描きたかったのなら失敗だし、まさか村上さんともあろう方が、そんな失敗はしないんだろうし、やはりここは、沙羅という人物は何かの象徴、人間でない何かの役割を持った登場人物だと思ったほうがしっくり来る。

北欧の友人。
彼女もどんな人なんだか、全くリアルな姿がイメージとして結べなかった。
殺された友人 (こっちが白だっけ?) が一番分かりやすかったかも。

赤と青は私が女だからなのか、まぁこんな人ならいるかもしれないと思った。
主人公は、好みじゃないけど、こんな人もいるのかね?
これも私が女だからなのか、現実味があるかどうかという点での点が甘くなる。
こんな人もいるのかも。

登場人物はみんな記号なのかな

緑川という人物も灰田という人物は、よくわからなかった。
あの二人の役割はなんだろう?
夢?

わたしが「ぎゃーー!!」と、めでたくアンチムラカミとなったノルウェイの森よりかは、主人公が大人なので嫌悪感は少なかったものの、まぁ似てるっちゃ似てる。
ほんと、好みじゃない男ばかりが主人公になるね。
--とはいいつつ、ノルウェイの森とスプートニクの恋人と、あと、世界の終わりと~~~、羊三部作くらいしか読んでないんだけど。
今回も、アンチ&アレルギーは治らないままとなりました。

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ちょっと最近話題になったので、本棚をごそごそして見つけてきました。
「十二夜」シェイクスピアの有名な喜劇です。

シェイクスピアの劇の中で唯一知ってる作品。他の有名どころは、ラム姉弟の子供向け翻案の「シェイクスピア物語」を読んだ程度です。あと「リア王」は一部分が国語の教科書に載っていたっけ?
「シェイクスピア物語」を読んだときに、この十二夜を気に入って(男と女が入れ替わるっていうのが、なんというか「ベルばら」みたいで楽しそうだったんです。)それで、自分で漫画を描こうと思って構想を練っていたら、ある日街の本屋で森川久美の漫画化作品を見つけてしまって・・・それで読んだら、さらに楽しくなって。お気に入りの話になりました。

ちょうどそのころ、NHKでイギリスBBC製作の原作に忠実なドラマ化作品を放映してて、「十二夜」も見ました。十二夜は1980年の製作だそうです。
音楽が面白いな~と思いました。
もしかして、今でもシェイクスピアの舞台を見に行けば同じ音楽を奏でるんでしょうか?1回くらいしか見てないはずなのに、終幕の道化の歌は覚えてるんです。何でだろう・・・

探してきました。こんな歌。

When that I was and a little tiny boy,
With hey,ho,the wind and the rain,
A foolish thing was but a toy,
For the rain it raineth every day.

おいらが子供だったころ、
ヘイホー!風と雨♪

写真は左から、
BBCがシェイクスピアの全作品ドラマ化したときのシナリオ本。
NHK出版。(もちろん英語部分は読んでませんが)

森川久美の漫画(読みすぎてボロボロに・・・・)

岩波文庫の日本語翻訳(読んでないかもしれません)。


BBCのシェイクスピア全集はDVDが発売されていました!日本語版も出ています!

「英国BBC放送が7年の歳月をかけて制作した
最初で最後の「映像全集」---この「知」の世界遺産を本邦初DVD化!!」

http://www.bbcjapan.co.jp/dvd_video/drama/38_shakespeare.html
すごい、全部そろえたら44万円だって!
http://pub.maruzen.co.jp/videosoft/shakespeare/
こっちはもっとすごかった84万円だそうですよ。



BBCの公式ショップ
では 65ポンド。アマゾンUKでは70ポンドでした。1万円しないってことですよ~ん。この値段の違いは恐ろしい・・・
買うならリージョンが違うといえども、UK版ですね。日本版は図書館とかもってるとこないかしら?十二夜だけでも見直したい。


久しぶりに図書館で本を借りました。
以前は使いやすい図書館の近所に住んでいたので、しょっちゅう借りていましたが、引っ越してから最寄の図書館がちょっと使いにくくて足が遠のいてました。

結局、以前住んでいたところの図書館に行ってしまってます。

最近興味あるのは、今時分が住んでいる土地の歴史。
NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」の影響です。
今時分が毎日生活しているこの土地の時間をぐーっと何十年か戻してみたら、どんな景色が広がっていたのか、そういうことに妙に関心があるのです。

蒲田区の戦災



以前住んでいたところに近い土地の民俗調査。
世田谷区深沢と奥沢。どちらも明治までは農村です。
奥沢はえ田園調布にも近く、大正から鉄道も通ったので、住宅地として開けてきました。
深沢は、電車の便が悪いため、平成の世でもまだ畑が残るこの辺では最後に開発された印象のあるところです。でも深沢不動などもあり、古くから人が住んでいた土地でもあります。

昭和59年、平成6年の調査ですが、まだ明治生まれの古老の方々のお話が聞けています。今では本当に貴重なお話だと思います。

それから、蒲田の戦災地図ももっと鮮明なのがありました。

さらに興味深い地図もありました。
大正関東大震災の火事の記録です。
火元、火の手の方向、火事の時刻、犠牲者数などが、詳細に書き込まれた地図で、よくもあの混乱のなかこのような調査が出来たものだと感心します。

今、東京は燃えにくい都市になっているのでしょうか?
やはり地震で一番恐いのは火事じゃないのでしょうか?
どうなんだろう?

一番上の写真は先日の晩御飯のおかず。
最近料理が楽しいです。

4


いまNHKの朝ドラで「梅ちゃん先生」というの、やってますね。
終戦直後の焼け跡の蒲田が舞台です。
茨城県高萩市に広大な焼け跡のセットを作って撮影しているのだそうで、その出来に毎回感心しています。

さて、そんな中で興味が湧いてきたのが、

「蒲田ってどのくらい空襲の被害があったんだろう?」

ということでした。

いろいろ調べていたら、昭和21年9月に発行された「コンサイス東京都35区分地図」に戦災消失地区が詳細に書かれていると知り、図書館で借りてきました。

蒲田区(現在の大田区南半分)の地図はこの通り。

クリックで拡大します。

ピンクに塗られているのが焼失地域
緑が建物疎開地域

蒲田区では約8割の家屋が焼失したそうで、確かに地図上でもピンクの地区だらけです。(今私が住んでいる土地もピンク色でした。)池上駅の南側が白く見えるのは、焼けていないからではなく、蒲田区ではないからです。(そのわりに道路は詳細に書かれていますね)

蒲田区で焼失していない地区のひとつが「下丸子」の工場群です。
三菱重工の戦車工場などがあったそうですが、ここは燃えていません。
軍需工場って真っ先に狙われそうですが、ここは研究の余地がありそうです。
爆弾落ちたけど燃えなかったのかな?

戦災の記録とともに、古い地名、学校、工場名などもあり、興味は尽きません。
それにしても昭和21年の9月にこういった地図が出版されていたとは、ちょっと驚きました。販売価格は25円だったそうです。

12

台湾人には、ご用心!
クリエーター情報なし
三五館

中国語の先生に借りた本。

一気に読んだ。

著者は、私と同年代。

台湾に10年以上住んでるらしい。。

何というか、妙な自信が全編を彩る。

著者自身の体験が語られる部分は、確かにそうなんだろうと思うけど、

少ないソースで全体を語る姿勢には疑問。

そして、この表紙の絵も甚だ疑問。

何の関連が?

先生は、「この作者の周りにいる台湾人と、あなたの友達の台湾人は、多分違うと思う」

といってかしてくれた。

おそらく先生も、違和感を感じたんだろう。

先生が感じた違和感は、この本で語られる台湾人についてかもしれないが、

私が感じたのは、むしろ著者のものの見方のほうだ。

あんな風に断定口調で書かないとダメなもんかな?

11

地図で訪ねる歴史の舞台 日本
帝国書院編集部
帝国書院

こんな本をいただきまして、狂喜乱舞で読みふけっています。

九州のところは西南戦争の戦歴が地図上に記載されていて、地元民だったのに余り詳しくない西南戦争(西南の役って言う方が馴染み深いですが)についての知的好奇心を呼び覚まされます。

さて、西南戦争といえば「田原坂」ですね~といったら、夫が「田原坂」を歌い始めました

「めてにち~がたな~ゆんでにたづ~な~♪」

あれれ?
私の知ってる田原坂と、歌詞は同じようだけど、節回しがちょっと違う・・・
なんだ??

というわけで調べてみましたが、いまいちよく分かりません。
私の知っているのはどうやら「正調田原坂」と呼ばれるもののようです。
子供の頃から知ってる歌で学校でも習った気がします。

正調 田原坂

では、夫の歌ってたのは、何なのでしょうか?
youtubeで探してみると、おんなじメロディーで歌ってる動画がありました。
しかも、カッコイイ!

田原坂(落合均)

夫の話では、義父さんが歌ってたの聞いて覚えたそうですが、このバージョンは落合均さんのオリジナルなんでしょうか?

それから、田原坂の歌詞で
「あめはふ~るふる~じんばはぬれ~る~」
の「じんば」ってなんでしょうね?

私はずっと「陣羽織」のことだと思ってたのですけど。
「陣場」とか「人馬」とかいう説もあるようですね。

6


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

台湾の方がこの詩の一部をネットに載せていました。
全文を読みたくなりさがしました。
高村光太郎の有名な詩です。

8

3連休の中日。
久し振りに読書した。
宮部みゆきのあかんべえ。
読み終わった。

やっぱり宮部みゆきは面白い。

で、自分でもおもしろかったのは。自分がどこで泣くかという点。
このハナシで、泣いたポイントは2箇所。
どちらも「アンコウ顔」の隣の貧乏旗本長坂様のくだり。

長坂様が叔父上のことを話すシーンと名長坂様と叔父上の別れのシーン。
一番泣けました。

ここで泣けた人とは友達になれそうだけど、少数派かな?

あかんべえ〈上〉 (新潮文庫)
宮部 みゆき
新潮社
あかんべえ〈下〉 (新潮文庫)
宮部 みゆき
新潮社

20


新聞記事で綴る明治史 (上,下)  1975年刊
監修:株式会社博報堂
序文:山本七平
挿絵:宮尾しげを
題字:藤田霞畦
編者:荒木昌保

博報堂創業80周年記念

本書は,上は天皇の即位 から下は一浮浪者の骨折にまで及ぶ,明治時代におけるさまざまな出来事を,当時の新聞記事で綴ったものである。この書を読まれる方は,われらの父祖が,愛と血と,笑いと涙であざなった民族半世紀の壮大なドラマを眼前にされるに違いない。そしてまた,そこに見るものが自らの裸像であり,そこにあるものが自らの存在の原型であることにも気付かれるであろう。

慶応4年(明治元年)からの記事が載っています。
ぱらぱら見ても面白いです!

でも私の教養のなさから、読めない字、意味のわからない文章多数です。
チビチビ読んで、教養を深めようと思います。

ちら~っと一部をご紹介。
画像をクリックで拡大します。


木戸孝允の死亡記事


清水の次郎長生業に就く


汽車にトイレがつきましたの記事