これは予習にぴったり。約1時間のライブ動画。
コンサート自体は3時間だったらしいです。
2018年 陳昇三十週年巡迴演唱會 高雄站 華人公寓
gooブログ終了にともない引っ越してきました
これは予習にぴったり。約1時間のライブ動画。
コンサート自体は3時間だったらしいです。
2018年 陳昇三十週年巡迴演唱會 高雄站 華人公寓
陳昇の30周年巡回コンサートが始まりました。
私はいけませんでしたが、行った方からいろいろレポートが届きました。
とても良いコンサートだったようです。
陳昇30週年「華人公寓」巡迴演唱會高雄場
(↑ニュースサイトの動画。切り貼りしすぎですが、雰囲気はわかるかな)
ステージ構成も年に一度の年越しコンサートのようによく練られていたみたいです(衣装替えもあったり)。時間は年越しコンサートの半分くらいだったようですが、きっと中身の濃いものだったと思われます。
日本のコンサートもこのツアーの一環なので、予習の参考になるかもしれませんね。
新寶島の部分は阿VONが参加。今回はギターが4人だったそうです。まさか、日本には全員は連れて来れないでしょうね・・・。
日本のコンサートはたぶん時間の制約もあるだろうし(2時間しばり?)、ステージも小さいのでバンドも最低限の人数だけ連れてくると思われます。でも曲はこの中のものを中心にやるんじゃないかな?
予習動画集を作らねば!
以下、セットリストです。(べんちゃんからいただきました)
新譜からの曲が1曲というのは意外な感じがしますが、30周年コンサートだからでしょうか?
1.擁擠的樂園
2.然而
3.牡丹亭外
4.告訴媽媽
5.最後一次溫柔
6.鼓聲若響
7.水尾郵便車
8.福爾摩沙
9.路途
10.穗花
11.恨情歌
12.把悲傷留給自己
13.子夜二時,你做什麼?
14.鴉片玫瑰
15.別讓我哭
16.華人公寓
17.如風的少年
18.紅色氣球
(19.你怎麼捨得我難過)
(20.海闊天空)
21.20歲的眼淚
22.鏡子
23.風箏
24.歸鄉
25.歡聚歌
26.Summer
(アンコール)
27.發條兔子
28.狗臉的歲月
台湾の大御所ミュージシャン・陳昇の来日コンサートがついに実現!
アコースティックで叙情的な世界に浸ったり、ガンガンに攻めるロック感に圧倒されたり。
陳昇の歌は一筋縄ではいかない。
深くて繊細で、優しさにくるまれたかと思うと、刃のように鋭く刺してくる。
台湾の豊かで美しい自然や温かくお茶目な人々が、陳昇の歌からは溢れ出す。
懐かしく故郷の調べに包まれるような感覚が満ちてくる。
愛すべき台湾 魅惑の台湾をひっさげて、陳昇が来る!
(↑このコピーは長年のファンの方に頼んで書いていただきました。よく掴んでる!)
陳昇来日コンサートに関心を寄せていただき、こちらへの訪問、誠にありがとうございます。日本の陳昇ファンのYOKOです。今回の初来日公演にあたり、「陳昇」って誰?という方にもわかりやすくご紹介したいと思って、このページに情報を集約しておきます。
【陳昇ってだれ?】
陳昇(BobbyChen)は台湾では知らない人のいない大御所歌手(シンガーソングライター)で、今年デビュー30周年を迎えます。台湾では「台湾の桑田圭佑」と言われたり、桑田圭佑のことを「日本の陳昇」といっている新聞も見かけたことがあります。
日本公演のチラシに「ロック詩人」とあるように、そのメッセージ性と抒情性が多くのファンをつかんでいます。(私は中国語が全く分からない頃に聞いて、歌詞の意味は全く分かりませんでしたが、歌声だけでも涙が流れるほど感動してファンになりました)
また、台湾原住民の音楽をメインストリームに押し出す流れをつくったり、台湾各言語で歌うユニットも成功させており、台湾のアイデンティティーを体現している面もあります。台湾のポップ音楽界ではプロデューサー業や曲の提供なども長年やってきており、あの金城武も以前歌手だった時代に、陳昇を「師」と仰いでいました。(金城武は歌手よりも俳優として大スターになりますが)歌手・女優としてはもちろん、映画監督としても大成功した劉若英も陳昇のもとで修業したことは有名ですね。
それから、陳昇はライブコンサートに定評があり、24年間連続で大晦日のカウントダウンコンサートを行っているのは、中華圏で彼ただ一人の偉業です。(私も20年間毎年通って聴いています)
今回は、彼の初来日コンサートツアーです。
30周年だからか、突然日本でコンサートをしたいと思ったらしく、しかも東京のほかは、本人の強い希望で北海道と沖縄で開催ということで、とても陳昇らしいと思います。今回は初来日ということで、各会場とも小さいので、身近で聴けるまたとないチャンスです^^
日本ではあまり知名度がありませんが、ぜひ、この機会に日本の皆さんにも陳昇の歌を聴いていただけたら、この20年彼を追いかけてきた一日本人ファンとして、とても幸せです。
【初めて陳昇を聴く方へ】
Youtubeで聴くコンサート予習用動画集です。
先日の高雄のコンサートの曲目を参考にしました。
●来日コンサート予習用 MV集19曲
●来日コンサート予習用 ライブ動画集12曲
【来日コンサート情報】
陳昇BOBBY CHEN 華人公寓 30TH ANNIVERSARY CONCERT
【日程&会場】
2018年9月29日(土)開場18:00 開演18:30
那覇 桜坂セントラル
2018年10月3日(水)開場18:30 開演 19:00
札幌 KRAPS HALL
2018年10月5日(金)開場18:30 開演 19:00
2018年10月6日(土)開場17:30 開演 18:00
東京 代官山晴れたら空に豆まいて
【チケット】
全席指定 ¥7,560 ドリンク代別(全会場共通)
チケット発売日:2018年7月10日(火)10:00~
●チケットぴあ
●ローソンチケット
●イープラス
●楽天チケット
【問い合わせ先】
那覇公演:ピーエムエージェンシー:098-898-1331
札幌公演:WESS:011-614-9999
東京公演:HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999
8/18 追記
「ぴあ」に東京会場のチケット再登場!(キャンセル分かな?)
東京が買えるのは、「ぴあ」だけのようです。
他会場のはすべてのプレイガイドで買えます。
皆さん、買いそびれのないように~~。
【陳昇オフィシャル フェイスブックページ】
https://www.facebook.com/BobbyChenMusic
【陳昇来日公演特設 フェイスブックページ】
https://www.facebook.com/bobbycheninjapan
東京は、特に何もしなくても満席になるでしょうけど、沖縄と北海道は、ちょっと微妙みたい。宣伝のお手伝いしたいね。とファン仲間で話してたのですが、
ネットでの告知もいいけどやっぱりチラシいるよね!って話になりました。
特に、北海道の友人は、当初から「フライヤーが欲しい」って言ってて、その完成を今か今かと待っていました。東京に比べて北海道の集客がきびしいことを感じていたからなのでしょうね。
その友人の熱意もあり、主催者にお願いして、できたてほやほやのフライヤーを送ってもらいました。
北海道はその友人に任せます。
できる限りのつてを辿って、お店や札幌の音楽関係の知り合いなどに宣伝するんだそうです。
先週札幌で開催された台湾関係のイベントでもチラシおいてもらったみたい。
すごい!
頼もしい。
じゃぁ私は沖縄を・・・と思ったけど、知り合いもいないので、とりあえずSNSで呼びかけました。そうしたら、ある人が「私の沖縄の知り合いがチラシ配りしてくれるって言ってますよ」と申し出てくれました。
沖縄で音楽を通じて台湾との交流をしている人なのだそうです。
なんてピッタリな人を紹介してくれたのかしら!
さっそく連絡を取り、チラシをどっさり送りました。
その沖縄の方は陳昇のことをご存知なかったのだけど、「チケット買いましたよ」といってくださって、ありがたいです。きっと沖縄の会場でお会いできますね。
沖縄にも知り合いができそうで、嬉しいことです。
陳昇来日のおかげで知り合う人がたくさん増えてきました。
ここのブログにもコメントたくさん頂けてますし。
台湾に沢山友人ができたのは陳昇のおかげですが、日本でも輪が広がりそうです。
水曜日の午後4時頃、仕事場にいる私の携帯にピロロンとメッセージがはいった。
i just arrived tokyo
何?!
今日?!
いま、東京に着いたって?!
送信者はジョニさん。このブログにも時折登場する、香港のボビーチェンファンの友人だ。
香港に行くと家に招待してくれて、食事もお酒も全部ご馳走してくれて、大変お世話になっているオジサマ。
世界をとび回るビジネスマンでとても忙しい人なのだけど、こういうふうに連絡をくれたというのは、今夜は時間があるから良かったら食事でも?ということだ。
でもそう書いてこないのは、突然だから私にも予定があったら悪いということだろう…
確認したことはないけど、多分。
こちらからお誘いする。
do you have time to drink together?
早速返事アリ。思ったとおりだ。
sure, I am free! where to meet you.?
今夜は図書館から本借りてのんびり読書、と思ってたけど、予定変更だ。
慌てて夫に連絡し、店を予約し、友人連にメッセージを回し、段取りを済ませる(ちなみにもちろん仕事中)
ホントはジョニさんの泊まるホテルの近くとか、都心へ出たほうがいいのだろうけど、それだと遅くなるし、店の算段が難しいしで、自宅の近所まできてもらうことにした。
東京にもなれてる人なので住所を知らせるだけでOK。
ご近所さんが集う居酒屋にはちょうどよく顔見知りが集まった。
2年前に近所の皆で香港へ行ったときジョニさんにも会ってるから。
今回の来日は急に決まった出張だったみたい。
そして意外なことに日本は一年ぶりだったそう。
以前は日本の企業と合弁会社作って仕事してたから毎月のように来日してたけど、今は別のプロジェクトで動いてるみたい。
ずいぶん連絡ないから、嫌われたのかと思ってた(ウソ)けど、そうじゃなかったのね。
当日の会話は英語。
いつもは北京語で話すんだけど、今日は他の人もいるからね。
私も頑張った。
英語苦手だけど、20年の付き合いなので、言葉の壁がずいぶん低くなってきてる。
いろんなことを話した中で一番びっくりしたこと。
前に 私も泊めてもらった 香港の ジョニーさんの別宅(バンド用の小屋と呼ばれてる)そこにはいろんなお客さんが来るよ、日本のミュージシャンも来たことあるよ、という話だった 。
誰?と聞くと写真を見せてくれた。
なんとなんとあの「キョージュ」だった !!
その日はピアノではなく ギターを弾いたんだそうだ。戦メリのあの曲だったって!
ジョニさんの人脈って すごい…。
あまりに急で忙しかったけど、楽しかった。
また来てね。
7/10(火)に、陳昇の来日コンサートのチケットが一斉に発売されました。平日の午前10時。
沖縄、札幌、東京2日間の合計4回分が一斉に発売だったので、一緒に見に行く友人たちと手分けしてチケット予約をしました。つまり、Aさんは沖縄、Bさんは札幌、Cさんは東京初日、Dさんは東京2日目、という風に。
沖縄と札幌はそれほど争奪戦になるとは思っていませんでしたが、どうせなら少しでもいい席がとりたいし、ね。
ふたを開けてみたら、予想通り東京は激戦だったようです。
10時にチャレンジした私のチケットは、すでに100番台でした(通し番号なのかは不明ですが)。会場自体も100席程度のはずなので、ほとんど最後の方ですよ。おそらく、4枚いっぺんに買ったので後ろに回されたのだと思います。1~2枚の少ない枚数ならたぶんもう少し良い席だったのでは?私一人ならどの席でも買えさえすればよかったのですが、友人の分も入ってるので。ちょっと申し訳なかったかな。
発売から3日がたち、今のチケット販売状況をまとめてみると以下の通り。
9月29日(土) 開演18:30 那覇
10月3日(水)開演 19:00 札幌
10月5日(金)開演 19:00 東京
10月6日(土)開演 18:00 東京
最終日は土曜ということもあり、完売のようです(が、楽天チケットでは復活してました)。多分金曜日も残りは少ないのでは?
沖縄と札幌はまだまだ余裕があるそうです。
自分の分のチケット確保ができたので、落ち着いた気持で次の作戦に取り掛かれます。
今考えているのは、ネット上での宣伝です。
陳昇の日本語ファンサイトも完全に休止状態。
何か動いて、陳昇の魅力を広めよう。せっかく日本に来て歌ってくれるのだから、聴かなきゃ損損♪
今まで私の熱列な推薦によって半信半疑で陳昇のコンサートに行った人々の感想はほとんどが
「CDより断然いい!CDじゃ、あの歌の魅力全然伝わらない!」
というものです。ほんとそうなんですよ。
生陳昇いいですよ。
ずいぶん昔の記事ですが、初めて陳昇のコンサートに行く!という人から集めた感想文集です。
(ページの後半をご覧ください)
「初めて陳昇のLIVEを見た方にお聞きしました」
(ロックレコードCD紹介から転載)
陳昇 / 流浪日記四部曲《華人公寓》
Crack Apartment
生命的節奏,因行走而發出聲響
時光的縫隙,
存放著自由流動聚散的我的夢想,與我的歌
流浪,是極具孤獨卻也開放的
目光所及之處是既陌生卻也親密的
在時間裡流浪,記憶是我唯一沈重的行囊
不管那些真實存在的,與那些不存在的地方
我只管去我想去的地方
陳昇 流浪日記四部曲
《華人公寓》
2018.7.20 專輯正式發行
CD曲目
1. 華人公寓
2. 遙
3. 紫月亮
4. 粉紅色假期
5. 薯條兒
6. 切諾比星空
7. 短歌三葉草
8. 愚人之詩
9. 逃離柬埔寨
10. 心情好的每一天
陳昇的流浪日記第四部曲,是一趟在時間裡的流浪,一場旅人與自己的對話。
經過首部曲《麗江的春天》、二部曲《家在北極村》、三部曲《延安的秋天》,流浪日記走過了11年,來到第四部曲《華人公寓》,昇哥笑著說,原來想寫島與海的故事,海很遠很遠,就像遠去的夢想、愛情、親情一樣,但不知不覺寫著寫著,歌曲更像是串成了一段時間的旅行,有著由北海道到福島、青島、台灣、柬埔寨的故事輪廓,從遙想的過去直到現在,所有的情感,都承載在這片時間的大海裡;流浪,本來就沒有一定要去的地方,流浪,就是去你想去的地方。
「旅行,是一種生命出走的方式,若它是一種需要反覆練習的運動,我去了好多地方,那些我真實到過的國度,以及那些不存在的地方,我都去過。」
__時間旅人 陳昇
走遍了全世界,內心回歸原始
專輯封面映照心境的純粹狀態
自問最難解的人生最初習題
當初那些夢想,都成真了嗎?
而那些夢想,有沒有欺騙你
《華人公寓》這張作品,像是回歸到內心最原始的狀態,人生最難也最純粹的就是,從豐厚閱歷中的複雜思緒,重新檢視自己的初衷,創作,就是對人生最赤裸的告解。在歲月的縫隙間,隨時都被我們存留一些東西,這些作品、記憶與感觸的意義,這些對過去的想望,是不是已然實現?伴隨著對未來的期待,是不是仍能以此為基根,值得繼續建構下去?
這樣純粹的心境同時也呼應在封面的意象,裸身的女人在二個波浪中間得到了一個縫隙,於是把不需要添在身上的顏色和衣物都拋棄了,我的身體承載著我的夢,我的夢沒有了翅膀,然而我的夢,真的是這樣嗎?於是把自己捲縮成一個在母親懷裡的孩子,決心在離開這個細縫的時候,來詢問我的夢想究竟有沒有說謊,是否曾被盲目的追逐騙了?或是我的夢是不是長了翅膀,飛翔去了遠方。極富詩意的影像浮現抽象自省的藝術言語,人生的潮汐,因我們源源不絕的生命引力而綿延衍生絕美之地。
《華人公寓》30周年巡迴演唱會 八月開跑
時間旅人陳昇,唱起一個又一個過客留下的故事
最無法定義的迷人角色,用自由書寫生命的流浪遊記
陳昇在出道30周年之際,即將舉辦《華人公寓》巡迴演唱會,這是一座收留著所有時光裡的流浪者的奇特之所,停歇的旅人身上總夾帶複雜的氣味,所有疑難雜症、所有好事壞事、所有無法複製的人生,這30年看盡了的悲歡離合,有一些無奈,而自己也身在其中。
在時間流浪的人生旅程中,人們喜歡著自己,卻也同時厭惡自己,想丟開一切習慣的姿態,卻在放逐間依戀熟悉風景帶來的安心,人,就是如此矛盾的存在啊,也因此可惡又可愛。生命過程積累著矛盾同時豢養的強壯與柔軟,這些促使著我們前進的每一個步伐,拼湊著流浪的真義,那些過去未曾了解的尋找,在此刻有了新的意義。
用知識所認識的世界,是有限的;而當我們願意無懼探索人生前方的未知,巨大的時間海浪才能帶領我們體認,想像的世界,無限美妙,不論即將襲來的是,痛楚或者愉悅。當我們沒有了感覺,能到達的地方就是有限的;當我們給予心與身體自由,這個世界,沒有邊界。
歌曲介紹
1.《華人公寓》
華人公寓是時間旅人的居所,藏的都是心事,藏不住秘密。
陳昇獨特氣味的民謠搖滾,這個在時間裡流浪的旅人說,時間沒能把我們沖散,倒是蓋起了一座看盡相遇與別離的華人公寓。人生沒有真正的秘密,只有一個又一個被過客留下的故事,時間還在遠方,那些折騰人的愛恨情仇就還在繼續。旅人,從來沒停下過腳步,而我們也還不想知道故事的結尾是什麼。
60歲的人生還是充滿矛盾,因為這個世界仍不那麼好混,用情至深的人,生命總是輕描淡寫地說;面無表情的人,不讓人發現他也會在夜裡哭泣。
2.《遙》
我的夢沒有翅膀,我的夢不會說謊,畫一個小小的圈,你已不在裡面。
另外一首能代表整張專輯心境的歌曲《遙》,這是三年前由PiA吳蓓雅獻聲,與昇哥合唱的動人小品,前奏收錄海浪拍打岸邊的環境音,接著響起溫柔卻帶著悲傷音色的小提琴琴聲,甜美女孩和老男人分別與夢想的喃喃對話,年輕時的夢想長著翅膀,能帶我去任何地方,深怕夢想丟失了,我們畫了個圈把它放在自己的身邊,一轉眼,身軀老去了,而夢想你可還在?是否一切如當初那樣純粹美好?
3.《紫月亮》
斜陽下迤邐紫色的月亮,誰都無法從彼此的身影中走開
這個世界上許多人的心中,都有著一個思念卻不會再見的人。無法說出的想念,就寫成曲唱成歌吧,把「我愛你」寫成只有你能讀懂的詩。「紫月亮」是僅能在夢境出現的月亮,朦朧微光的淡紫色,寄託某人的懷念與悲傷,若你在哪個城市安靜地望見了紫月亮,願你也能想起我。
4.《粉紅色假期》
夢幻可口的粉紅色假期,一曲快樂!解救你黏膩又苦悶的夏天!
這是一首給苦悶上班族的夏日歡樂主題曲!看見「夏天、海、度假、戀愛」關鍵字,咬緊的牙關也忍不住笑了,心頭放鬆鬆,有苦也要有樂,才是人生的滋味啊~
粉紅色的假期,粉紅色的飛機,粉紅色的戀愛泡泡,獻上陳昇今年的夏季伴手禮。給無色又熱得讓人快失去生氣的都市,添上夢幻可口的色彩。
5.《薯條兒》
我不要變成長得一模一樣的薯條,我土雖土但可是有個性的土豆!
隨性敘事的口吻,帶著趣味想像的戲謔,土豆也要驗明正身,拒絕成為企業加工廠的產品;另一方面投射現代社會普世價值觀的審美,當下流行的盲目追隨、教育制度的刻板僵化,失去了生命本來應該要有的多面色彩與幽默想像力。
6.《切諾比星空》
一張來自東京的明信片,照片上面是切諾比核爆前一秒的星空
空靈優美的電子合成樂響起,淒美沉緩帶著些許冷風裡的暖意,哀傷的歌唱著,人類世界最沉重的那一天,至今多數人們可能都還無法學得教訓。悼念因人類的自私而離去的靈魂,切諾比的星空已在核爆的那一瞬間,消失西沈,在那裡僅存的生物,只能與死亡溫存。而離台灣最近的日本福島,也正在同樣的命運裡與生命搏鬥,再看向台灣自己,這首《切諾比星空》傳達著人類社會反核議題最沉痛的堅決,人們不要成為製造怪物的怪物。
7.《短歌三葉草》
幸運草與浦公英的相遇故事,真正的幸福是什麼,很難說。
歌曲裡的浦公英象徵著,每個人都想追求幸福,我們懷抱著很大的夢想,嚮往著遠方的希望,卻忘了身邊值得珍惜的重要人事物,與那個找尋過程中已然是身處幸運的自己。生命的所有發生,都是最好的安排;所有平凡,都不凡。而那棵不覺得自己有什麼了不起的三葉草,知足快樂的日常,已經非常幸運。清澈悠揚憂傷的歌聲,餘韻不絕。
8.《愚人之詩》
別的沒有,最會幽默自己。
世界上聰明的人太多,我只想當隻快樂展翅的小鳥,就好;勵志的歌太多,激情走了音你可別笑我,就好;資訊時代消息流動得太快,不要羨慕異地生活卻忘了手中自己已幫自己努力爭得的幸福,就好。
懷舊的敘事鋼琴旋律,加入演唱者的激情演出,讓人不禁噗哧大笑,笑出來比較健康,但小心閃到腰!認真的生活,不管你活得聰明,還是活得傻,冷暖自知,都有各自的辛苦與快樂。
9.《逃離柬埔寨》
美麗的公主妳就饒了我吧,湄公河風景太美我會迷失在Cambodia
昇哥這幾年心心念念柬埔寨這個擁有神秘風情的國家,在寫歌之際也先瞭解了一番柬埔寨的民俗、自然、社會、國家背景,更去了一趟當地單車旅行。每個美麗國家的背後總有她的身不由己,人文景觀保持原始風貌的背後,也存在著不可違抗的社會問題;反觀看看自己家園後院,每個國家都有自己難解的習題。歌詞以詼諧奇想的散文形式,誇張口吻敘述著所見所聞,情節緊湊、趣味橫生。
10.《心情好的每一天》
心情好的每一天,當我不會再想到你
作為專輯曲目的最後一首歌,裡面巧妙安排PiA吳蓓雅不同於三年前錄製《遙》的歌聲,從稚嫩到成熟,從懷抱夢想的懵懂到略知夢想的距離,在人生不停的時間軌跡,不同的心境在聲線上有著不同表現力。昇哥在作品裡向來不求完美精準,但關於人心變化、感觸溫度、天候濕度卻總拿捏得分毫不差,揉捏成性格迷人的故事。《心情好的每一天》不諱言提及死亡,死去的人對活著的人說,若你來看我,帶酒來就好不要帶花,即使進了墳墓仍痛快灑脫的過;越是了解時間洪流下的日常即是無常,骨子裡的浪漫就永遠不死。
2018.7.4 (追記)
沖縄も出ました。
やはりこちらも7/10 午前10時発売
http://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1833282&rlsCd=001"
札幌公演のチケットも7/10(火)朝10時~発売だそうです。
ぴあにしか案内は出ていません。
ぴあだけでの扱いなのかどうかは、現時点では不明です。
http://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1830017&rlsCd=001&lotRlsCd=
会場:KRAPS HALL
2018年10月3日(水)
OPEN 18:30 START 19:00
料金(税込)全席指定 ¥7,560 ※ドリンク代別途必要
6歳以上はチケット必要。5歳以下でも席が必要な場合はチケット必要。
問い合わせ先:WESS:011-614-9999
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2018.6.26 (元記事)
朱さんのコメントでしりました(感謝!)
東京公演のチケット情報が発表になりました。
晴れたら空に豆まいて
http://mameromantic.com/?p=59072
HOT STUFF PROMOTION
https://www.red-hot.ne.jp/play/detail.php?pid=py17012
以下、HOT STUFF PROMOTIONのサイトより転載(一部編集)
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陳昇BOBBY CHEN 華人公寓 30TH ANNIVERSARY CONCERT in TOKYO
会場:晴れたら空に豆まいて
2018年10月5日(金)
OPEN 18:30 START 19:00
2018年10月6日(土)
OPEN 17:30 START 18:00
一般発売7/10(火)〜
チケットぴあ 0570-02-9999
ローソンチケット 0570-084-003
イープラス
楽天チケット
券種・料金(税込)全席指定 ¥7,560 ドリンク代別
問い合わせ先:HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999
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土曜と日曜で開演時間が違うのでご注意を!
全席指定と書いてありますが、会場のWEBページには「整理券番号順に入場」と書いてありましたので、場内自由席状態と思われます。まさか立ち見席混じりではないでしょうね。
楽天チケットのみの取扱いかと思っていましたが、ぴあ、ローチケ、イープラスの取扱いもあってよかった。どこで買うのが整理券番号若いのかしら???
こごめさんのリクエストもいただきましたし、数か月前「来日決まるかも!」という頃に作った「予習曲集」をここにリンクします。
あまり考えずにその時の気分で作ったので、かなりなんじゃこれ?
という選曲ですが。
絶対にライブでやらない曲もたくさん入ってる‥‥
単に聞きたいというだけ(笑)
Youtubeとアップルミュージックにあります。
曲目微妙に違ってます。
YOKO選集
Youtube 18曲
アップルミュージック 17曲
劉若英ファンのYUTAKAさんが作った選集
(こちらも劉若英とのデュエット曲とか無駄に入ってる^^橋幸夫コンサートも入ってる!)
Youtube 23曲
アップルミュージック15曲
もう少しちゃんとしたのまとめようかな~。
日本のファンによる「ライブで聴きたい曲投票」なんていう企画も出来たら楽しいかも。
皆さん何を聞きたいですか?
陳昇の記事にコメントもいただき、嬉しくなっちゃって記事を書きますよ。
「陳昇」で検索していらっしゃる方もいるだろうと思いますし。
去年は「帰郷」「南機場人」と2枚もアルバムを出して、ライブも沢山こなして大活躍ののぼるさんですが、昨年末に「南機場人」を出して、まだそんなに間がないのに、また7月に新譜が出るそうですよ。
今創作意欲凄いですね。
で、その新譜から1曲、先行で聞くことができます(しかも無料で)
アップルミュージックにももう上がっています。聴き放題にしてるひと、ぜひどうぞ~。
アルバム『華人公寓』から、タイトル曲「華人公寓」
https://www.kkbox.com/hk/tc/album/kzzrFQJ9HNZwf0F27-gA009H-index.html
今回の新譜『華人公寓』という名前は、陳昇デビュー30周年記念コンサートツアーのタイトルでもあります。(来日公演もその一環となってますが「華人」だけじゃなくてもいいのでは?なんて日本人ファンとしては思ってますけどね^^;)
「華人公寓」、意味は「華人のアパート」といったところでしょうか?
あるいは「下宿屋」?
何かのインタビューで、これまでの30年間の歌手活動を振り返って、「自分の仕事は華人の感情のアパートの管理人みたいなもので、皆それぞれ色々な思いを抱えているけど、その鍵を持って部屋を管理してるような役割・・・」というようなことを言っていました。
「帰郷」で、故郷台湾(のしかも農村)を歌い、「南機場人」では外省人の悲哀を歌い、今度のアルバムでは、世界中にちらばる「華人」を歌うのかなぁ?
近年一段と、歌で物語を語る~吟遊詩人要素が強くなってる昇さん、今度の新譜も楽しみに待ちたいと思います。
『華人公寓』は2018年7月20日発行予定です。
この秋、陳昇~ボビーチェンが来日公演をします。
9月29日(土)那覇
10月3日(水)札幌
10月5日(金)6日(土)東京
で、合計4回公演です。
どこも小さな会場ですが、1週間に4公演とは頑張りますね。
そして追いかけるこちらも大変です。
この1週間、東京はいいとして、沖縄に北海道・・・。。
まだ確定してない部分もありますが、だいたいこんな感じで日本を飛び回る予定です。
9/29(土)東京⇒那覇 夜公演 那覇泊
9/30(日)那覇⇒東京
10/1(月)おとなしく東京で仕事
10/2(火)夜 東京⇒札幌 札幌泊
10/3(水)夜公演 札幌泊
10/4(木)札幌⇒東京
10/5(金)夜 東京公演
10/6(金)夜 東京公演
那覇も札幌もまだ行ったことありません。どちらも行くならゆっくり時間をとって、と思っていたのです。札幌は何とか2泊しますが、那覇なんて後から公演を知ったので、全く時間をとれませんでした。1泊なんてほんともったいないなぁ。
さらに、1週間で3日間仕事を休む必要があります。
いやはや、大変な祭りです。
おとなしく「東京、大阪、福岡」とかにしておいてくれたら、もっと楽だったのに。沖縄と北海道というのがボビーさんらしいというかなんというか。
現時点でコンサートのチケット発売詳細がまだ発表になりません。
いつ発売されるんでしょう。
ヤキモキ。
飛行機や宿ぜんぶ手配して、チケット買えなかった…なんて事にはならないでしょうね。
(あとで読んでみようと思ってる)
陳昇「華人公寓」30週年巡迴演唱會開跑 陳昇笑:錯過再等30年 打開天窗回味 30年前高腰褲騎機車趕通告 校園演唱5000元唱酬
青春頑童陳昇入行30週年,打開天窗樂回味!陳昇1988年出道至今30週年,日前開心舉行:陳昇「華人公寓」30週年巡迴演唱會記者會!陳昇感性演唱出道曲「擁擠的樂園」與「然而」組曲,還打開象徵星路歷程的三扇窗,逐一回味3個10年階段點滴,而同為入行30年的主持人黃子佼也跟著一起回顧!陳昇說「一轉眼30年就溜過去,從未想過當主流歌手,我是另成一流的歌手啦,歌唱生涯30才開始」!而睽違6年的巡迴演唱會即將在高雄、台東、台中、沖繩、札幌與東京等地展開,陳昇向粉絲喊話「這次別再說我都只在台北開唱,我有聽到了,準備要趴趴走,跟大家來逗陣相歡」!
青春不老的陳昇好心情出席:「華人公寓」30週年巡迴演唱會記者會,自1988年入行至今30年,出版23張個專輯,經典創作曲無數,連著24個連續跨年紀錄,創亞洲歌手首例!記者會上陳昇感性的演唱出道曲「擁擠的樂園」與「然而」組曲,陳昇開心的即興吹口琴,提到30年,陳昇說「時間過得好快,一轉眼就30年,還好青春都沒背叛我啦」,陳昇並說「我從沒想過當主流歌手,一哥二哥三哥都輪不到我,我是自成一流的歌手啦」,記者會上同為入行30年的主持人黃子佼則跟著陳昇一起打開星路歷程的三扇窗戶,陳昇妙喻「打開天窗窮回味」!
第一扇窗則為1988~1998第一個10年,陳昇回憶當年由幕後走到幕前,很屌的高腰褲造型,騎機車趕通告,還有一場校園演唱的酬勞5000元等,菜鳥歌手的趣事,此外也在1994年舉行第一場跨年演唱會,至今每年仍持續進行,歷年來嘉賓雲集:五月天、陳綺貞、伍佰、劉若英等等,締造連續24個跨年演唱會紀錄,也創下亞洲歌手的先例!
而第二扇窗則為1998~2008年,陳昇坦言「我並沒有四十而不惑耶,這段期間都在自我放逐,流浪到歐洲,但也感謝老天能讓創作靈感仍能不斷電」,陳昇開心回憶:四十歲生日,在米蘭大教堂前與街友對飲,睡倒路邊被警察叫醒的瘋狂往事,最後打開第三扇窗,由2008~2018年,單車之旅歲月,陳昇說「這十年來騎單車南征北討超爽,由台灣騎到海外,體會人生另個階段樂趣」,享受單車遊趣與音樂創作,陳昇說「創作音樂就像農夫耕田,如果不耕作,就會荒廢」,而被問到騎遍世界各地的心情,陳昇說還是最愛在台灣的花東騎單車啦!
陳昇並說匆匆走過三十年,聚集著許多的人生故事,有開心也有心境轉折,一路走來點滴在心頭,但創作就是解藥啦,有靈感每天都開心,30年會很久嗎,其實還好耶,入行30才開始,青春才萌芽,還有很多搞頭啦!提到計畫,陳昇信心期待的說「70歲前想完成演唱會與拍電影等勞力的工作,70歲以後則想以寫作為主的靜態日子」!
而提到30週年演唱會名為「華人公寓」,陳昇說「這棟公寓住著許多的音樂故事與星路歷程,匯集出火花,讓這30年來處處充滿著驚喜」,而睽違6年再次起動巡迴開唱,陳昇開心宣布「8/18高雄、8/25台東、9/22台中、9/29沖繩、10/3札幌與10/5東京等地,海內外熱鬧開唱」,陳昇並向粉絲喊話「這次別再說我都只在台北開唱,大家的客訴,我都有聽到了,準備要趴趴走,跟大家來逗陣相見歡」,陳昇更打趣笑說:不是每年都出巡,錯過就只能再等30年!
此外,為了慶祝入行30週年,主辦單位宜辰整合行銷則無三不成禮的特別送上「老菜脯」象徵藝界人生越陳越香,更為愛品酒的陳昇送上1998年份的威士忌與紅酒,慶賀入行30年,歌聲歷久回甘!讓陳昇直說「安啦,隨時都有好體力,唱到爽為止」!
2018-04-26 楊珊雯
http://www.fingermedia.tw/?p=598169
陳昇(ボビー・チェン)がついに日本でコンサートを開きます。
この日を何年待ちわびていたか…ほとんど諦めかけていたのですが!
本日【デビュー30周年コンサートツアー】の記者会見があり、日本のコンサートも日程が発表になったようです。30周年コンサートは、この夏から高雄、台東、台中で行われます。
なんと日本は、沖縄、北海道、東京の3か所でのライブ!
沖縄、北海道っていうところが、陳昇らしいですね。
自分が行きたいところに行くんだな、きっと。
東京は大人の事情で仕方なく入れたって感じがする…台湾のも台北場がないし(笑)
2018年9月29日(土)那覇 桜坂セントラル
2018年10月3日(水)札幌 KRAPS HALL
2018年10月5日(金)東京 代官山晴れたら空に豆まいて
※東京は10/6に追加公演も検討中とか(あったらいいなぁ)
まだ、チケットの発売については公表されていません。
が、いち早く情報をつかむつもりなので、行きたい方、コメントとかメッセージください!
宴会のあとはライブです。自由席ですが、宴会参加者は席取りの優先権が与えられます。
私は、あんまり前だと見辛いと思って5列目の真ん中あたりに座りました。
このくらいの距離。
会場はときどきライブを開催してるようですね。
いつもセットリストを作ってくれる香港の友だちは来ていなかったので、自分で挑戦します。
1.黒夢
2.浮雲車站
3.湯米先生--
4.然而
5.狗臉的歲月
6.二十歲的眼淚
7.五十米深藍
8.SUMMER
9.如風的少年
10.台灣好
11.海闊天空 By家杰
12.阿勇 on stage
13.阿勇 on stage
14.星星知我心 文夏
15.媽媽請你也要保重 文夏
16.黃昏的故鄉 文夏
17.擁擠的樂園
18.不再讓你孤單
19.別讓我哭
20.關於男人
21.壞子
22.把悲傷留給自己
23.風箏
24.鼓聲若響
25.福爾摩沙
26.鏡子
27.麗江的春天
今年は黄さんも阿VONも来てなかったので、新宝島の曲は少な目かな。
文夏先生は大変お元気で3曲も歌いました。
90歳!すごすぎる~。
ギターの程家杰によるビヨンドの「海闊天空」はもう完全に定番化していますね。
ベースの阿勇によるお笑いタイムと言うかサービスタイムはとても楽しかった。昔なら康康が担当していたパートですね。
曲目は跨年でやった曲から選んだような感じかな。でも「壞子」は年末にはやらなかった。
新譜からの「台湾好」や「黒夢」はも今回初めて生で聞いた。
陳昇はちょっとのどの調子が今一つだったように見受けられた。
めずらしいけど。
風邪ひいてたのかも。
でもさすが、歌手、歌いこなしていくんだよね。
今回ワタシ的に特筆すべきは・・・やっぱり、18曲目の「不再讓你孤單」ですね。
1年ちょっと前の跨年コンサートでこの曲を歌った時「我愛你~」っていう歌詞を「アイシテル~」って変えて、日本人ファンが座る席まで駆け寄ってくれた事を書きましたが、今回は、客席に降りてきて「YOKO!アイシテル~」と言う歌詞になってました。
びっくり!
うれし~。
たぶん、客席が暗くてどこに私が座ってる場所が見えなかったから、固有名詞を入れてのアイシテルになったのじゃないかと推測。
何か反応せねば!
と思って、手を伸ばしたら、ハグしてくれたよ。
きゃー。
この事件があったので、後の方で立ち見していた友人があとで声かけてくれて、20年ぶりの再会になりました。
「さっき、ボビーがYOKOって名前をよんだから、あなたが来ててここに座ってるのがわかったの!」って。
ボビーのおかげです。
終演後、ファン仲間の人たちと写真撮ったりしてたら、お店の人に追い出されちゃった。
20年ぶりに再会した友人と歩いてホテルまでの帰り道おしゃべりして、たのしかった。
ドラムの阿文も同じ方向で、話しながら。
毎年恒例の陳昇の春酒(新年会)ライブに行ってきました。今回はまさかの水曜開催だったで、1泊2日の強行軍です。
例年は西門町にある紅楼河岸留言で金曜に開催されるのですが、どうも紅楼が改修かなんかする影響で会場が変更になったようです。
宴会付きのチケットは限定50枚の発売で、台湾の友人に頼みました。取れたら行こう、取れなかったら諦めようと思ってました。毎回争奪がすごいらしいです。幸い取れたので行けることになりました。いつもありがとうです。
宴会付きチケットは1800元
ライブだけなら800元
会場は台湾大学体育館にある「後台」というカフェ。
宴会はまさかの露天です。
雨降ったらどうなるの?!
人に聞くと「今日は降らない予報だから大丈夫」ほんとかな?
私のテーブル。
開場前に並んでるときになんとなく10人ずつのグループが作られます。
顔見知りが数人いるテーブルでした。ヨカッタ。
台湾の宴会方式に従い、開会宣言などなく適当に始まります。
各自テーブルの上の好きな飲み物を自分のグラスについで飲み始めます。
珍しく陳昇が大声でなにか言ってます。
聞き取れなかったけど「これから文夏先生くるから拍手で迎えるように」と言ってたみたい。
ほどなくして文夏文香ご夫妻がやってきました。
料理の写真は一つ前の記事にあげたので省略するとして、内容的にはとてもお得なものだと台湾の人も言ってました。これは多分、陳昇からファンへの感謝デーみたいなものだと思います。それと、参加者は100人超えてました。数えてみたら10人がけのテーブルが12卓ありました。ファン用は50席ですが、それ以外にも仕事の関係者、陳昇の家族親戚、友人たちも招待されているようですね。あ、今年は張宇さんは来てなかったな。
暗くなって半分くらい料理が進んだところで雨がポツポツ!
ヤバイっ!!
みんなが丸テーブルを抱えて屋根のあるところに移動してます。面白い。
この宴会に参加するのも5回目くらいかな、最初の年は陳昇が近くでご飯食べてるので落ち着かなかったものですが、だんだん慣れてきました。(でもやっぱりドキドキするけど)陳昇に声かけに行くのは勇気がなくて無理ですが(ホントは日本公演のアピールしたかったんだけど)その他の顔見知りには声をかけに行きます。
まず、昔のバックバンドメンバーの家駒。彼は今自分の音楽スタジオを経営する傍ら、大学院で音楽ビジネスの勉強してるらしい。
同じテーブルに文夏さんたちもいたのでご挨拶。来日のときに楽屋に大きな花を贈って以来、すごく丁重な扱いを受けてます。
それと安和65のオーナーご夫妻もいらっしゃいました。あ、まだお店行ってないや。
そのあと、忙しそうに立ち働くボビーのマネージャーを捕まえて、日本公演情報を聞き出そうと試みました。まだ具体的な話になってないみたい。会場を探してるところだとか。「なにか手伝えることない?なんでもするよ!」と言ったけど苦笑いされたよ。ははは。
毎回熱い中国のファンが一つのテーブルに集まって異様な盛り上がりを見せてました。彼らは若いし、アツイ!雨が降ってきても彼らだけは濡れながら食べてたので、「雨平気なの〜?」って話しかけに行きました。日中友好(笑)彼らも中国のあちこちから集まってるみたいです。どっから来たの?と聞くと、上海、北京!深セン!杭州!ニンポー!など口々に教えてくれました。
宴もたけなわ。
陳昇が各テーブルを回ってきます。
ここでみんな彼と乾杯するのです。
雨が降ってきて地面が濡れたので、リュックを背負ったままご飯食べてました。
そしたら、背後から「YOKO!台湾は治安いいところなのになんでリュック背負ってるんだ?」と声がしました。陳昇デシタ。珍しく、彼の言ったことが聞き取れたんですが、通じないと思ったらしく隣にいた人に「訳せ!」って言ってました。何語に訳すんだよ?「だって地面濡れてるから…」と中国語で答えたら、その彼が「雨で地面濡れてるからだって」って中国語に訳してた(笑)
今回の陳昇はすごく穏やかで優しい感じだった。同席の人は、雨が降ったからみんなに申し訳ないつて思ってるんじゃないかな?と言ってたけど、そうだったのかも。
次に彼が言った言葉も聞き取れた。私にしては奇跡的なことです!!
「YOKOの話に感動した。いつかそのことを歌にしたい」
ま、ま、ま、マジですか?!
実現するかはわかりませんが、そんな話題が出たことだけでめちゃ嬉しい!!
私の話というのはあれです。
去年の10月に緑島でコンサートあるというので出かけていったけど、荒天のため船が出ず、台東で足止めをくったときに行った台東の図書館で祖父の足跡が分かった!!って話です。
折角台湾行ったのに緑島に渡れず、陳昇にも会えなかったので、悔しくて、10月末の彼の誕生日に送るカードにその恨み言を書いたのでした。でも恨み言だけじゃ誕生祝なのにアレなので、図書館で祖父の足跡を見つけたって話もちらっと書いたんです。そうしたら、後日、バックバンドの人から連絡あって「ボビーが知りたがってるから、その話も少し詳しく聞かせて」と言ってきました。たどたどしい中国語ですが一生懸命作文して説明しました。「ボビーの感想聞かせてね」とお願いしておいたのに、その後なんの連絡もなく、それっきりになっていました。まさかココでその話がでるとは。ちゃんと通じてたんだなー。ほんとに彼の創作にインスピレーション与えられてたら嬉しいけど。
宴会後はコンサートです。長くなったので稿を改めます。
はじめて台北の街でばったり陳昇に会ってしまった時のはなしです。
友人と台湾旅行中だった私は、知り合ったばかりの台湾の陳昇ファンの人たちと一緒に夕食をとることにしていました。その店に陳昇がやってきたのでした。
1998年10月17日
今夜の夕食会は、やはり蛋蛋に頼んでアレンジしてもらったもので、場所は、東区の火鍋屋肥牛。
この日のために毎晩、インターネット昇網で宣伝活動をしたのだけどさて誰が来るのかな?しごとで遅くなる人たちは、このあとのKTV大会に来るらしい。
店は小さくて庶民的な感じ。8人がけくらいの丸いテーブルが5~6台あったか?私たちはテーブル2つつなげて、一つは辛い鍋、もう一つは辛いのと辛くないのと2色鍋にした。今井さんは、辛いのはあまり得意じゃないらしい。
蛋によると陳昇や、伍佰も来る店らしく壁に伍佰のポスターが貼ってあった。
麻辣火鍋は初めて食べる。お肉や野菜やはんぺんみたいなのをいろいろ入れる。調味料と薬味はテーブルにはなくて店の中央においてある。辛いのを食べるなら、緩和させるのに酢をいっぱい取ると良いよとKAWAのアドバイス。なるほど、酢と辛いのはなかなか良く合う。でも結構辛い。
いちばん辛かったのは、お店の人がサービスで出してくれたとか言う皿。私は、タイ料理とか韓国料理とか辛いの大好きだけど、食べられないくらい辛いのもあった。とくに最後にまわってきた緑の唐辛子を炒めたのは、ほんとに泣くほど辛かった。お行儀悪いのは分ってたけど、ティッシュで口の中ぬぐってしまったよ。
さて、宴もたけなわになった頃、遅れてきた人の車を駐車しに行って戻った蛋蛋が、
「YOKO、これからBOBBY(陳昇)がここに来ます。僕が10万円彼にあげましたから」と、冗談のようなことを言う。
「え?!どういうこと?」
「BOBBYがここにきますよ。」
「え?!ほんとに来るの?」
「はい」
「え?!え?うそ~~~~~~!!だめだめ心の準備できてないから。わたし、もう帰る!」
などと騒いでいたら、恨情歌(陳昇のバンド)の、ギターの人(陳傑漢)とベースの人(趙家駒)が入ってきた。
あれれれれー、これは現実なんだ、彼らが、私たちのテーブルによったので
「HELLO、YOKOです。」
と挨拶する。趙家駒は愛想良しだったが、小傑は反応なし。まあいいや。
で、その後時間差で、陳昇が入ってきた。水色のTシャツに短パン。
あ、本物だ。陳昇は、私たちのテーブル(入り口近くにあった)を一瞥して、ファンだと分った様子で、嬉しいような、いやな様な複雑な顔をした。
ドラムの小李、林秋伊、楊老師もやってきた。
予期せぬ展開。
「陳昇には会いたいけど、会っても何話たらいいかわかんないし、きっと緊張して何も話せないだろうなあ・・。まあそんな心配しなくても会う事なんてないんだよね。」
なんて、台湾に発つ前、友達と話してたばかりだったのに。こんないきなり偶然会ってしまうなんて。(当然蛋蛋が10万円払ったわけではありません。まったくの偶然)
みんなは、陳昇がいても別にこれと言って騒ぐ事なく普通に食事を続けていたが、わたしは一人で呆然としていた。(と思う)半ばパニックになってるわたしに、KAWAが、
「YOKO、折角日本からきたんだから、陳昇に挨拶してこよう」という。
MASAO君が通訳してくれるといって、3人でビールの瓶を持ち(この辺は日本の宴会の作法と一緒だ)陳昇達のテーブルに行く。
会話は全部中国語だったから、ここからは想像
KAWA「お食事中、すみません。日本から昇迷の女性が来てます。ちょっと挨拶させてください。」
MASAO「彼女は日本人で、あなたの大ファンでお正月のコンサートにも来てたんですよ」とか何とか。
わたし「ニーハオ、ウォーヘンガオシン・・・・・・・・・・・・(絶句)」
で、陳昇はこのテンションの高い闖入者にちょっとタジッてたみたいだったけど、ちゃんと耳を傾けてくれて、KAWAがビールの瓶を持ち上げると、きちんと立って乾杯してくれた。よく映画とかで見る中国式の乾杯、飲んだ後、ちゃんと飲み干しましたよ、とグラスの底を見せるしぐさをするあれです。これも初めての体験だった。
その後、MASAOが「何か話したい事はないですか?」と聞いてくれたが、乾杯してもらっただけでもう胸がいっぱい。
「いえ、もう充分です。有難う」と、逃げるように自分の席に戻った。それからは、心臓がバクバクしてるのを収めようと、ビールをがんがん飲んでしまった。しかしこれだけではすまなかった。
テーブルに戻り、食事を続けていると、誰かが陳昇の夏のコンサートの写真をくれた。
その写真を見たKAWAが、
「YOKO、この写真にサインが欲しい?」と聞く。
「勿論欲しいけど・・・」とわたし。
「じゃあ、もらっておいでよ。」
「えええ。もうそんな勇気ないよー。」
「じゃあ、この写真にはKAWAのサインを書いちゃうよーー」
「わー!だめだめ。わかったよ。行ってくるよ。」
「サインくださいって言うのは、中国語では○○○○○というんだよ。(中国語忘れました。)」とMASAO君。
テーブル中から「YOKOがんばれ!」コールも起きるし、また行きました。陳昇達のテーブルに、今度は一人で。
陳昇の顔見たら、教わったばかりの「サインください」の中国語はすっかり飛んでしまい、"Excuse me..May I have your sign please?"と言ってしまってました。(ちなみにこれも正しくない英語らしい。)
陳昇は、またまたニコリともせず、サインを書いてくれた。
でもなぜか「Be Cool」って書いてあった。これは、私に、落ち着けと言ってるのか?わ、恥ずかしい。(後から得た情報によると、陳昇はいろんな人にサインするときこう書くらしい)サインしてもらってると、誰かが(みーさんかな?)「写真いいですか?」といって、2ショットの写真をとってくれた。
ああ、いい友達だ。ありがとう。私は舞い上がっててそんな事思いもつかなかったです。
うれしいのと、酔っ払ったのと、料理が辛いのとで、その後は半べそ状態でした。
陳昇達、迷惑に思ってないといいなあ。
お騒がせしました。
そして皆ありがとう。
お店を出る時、もう一回陳昇達のテーブルに手を振った。
陳昇もちゃんと手をふりかえしてくれた!
私の行動は、狭い店の中、やっぱり目立ってたんだろう、お店のオーナーに、「美味しくて、そして辛い料理をありがとう」と言ったら、
「今度Mr.Chenがうちに来る時には、またあなたに連絡しますよ。」
とかっていわれた。はずかしい・・・。
19年前の私、ういういしいなぁ。ふふふ。
ここに登場する「肥牛」という火鍋屋さんは、いつの間にか閉店してしまい、結局再訪することはありませんでした。
ここに登場する蛋蛋、KAWA、MASAOくんたちとは今も仲よくしています。
陳昇の当時のバックバンドの人たちとも、この後友だちになりました。彼等は皆もうすでに陳昇のもとを離れ、各自すごい活躍をしています。
もう一つ「帰郷」から。
「七叔」と連作になっている「賣田」。
CDへの収録順はこの曲の方が先になっています。
「賣田」 作詞 作曲: 陳昇
自從七叔走了以後 七叔(7番目のおじさん)が出て行ってしまった後
就沒有人再提起 誰も言わなくなった
那塊毫不起眼的田地 このみすぼらしい田畑のことを
那田本來就是要種莊稼的 この田畑は作物を植えるべき場所だった
你們儘圖個什麼勁 力いっぱいやらなきゃダメだったのに
爺爺説你先把門給掩上了 じいちゃんが「さっさと門を閉めてこい」という
我來說個故事給你聽 お話を聞かせてやろう
濁水溪的水源頭 濁水溪の水源は
埋藏在鬼魅般的雲霧裡 魔物みたいな濃い霧の中に埋まっているんだぞ
我問你那裡來的呀 お前はどこからきたんだと訊ねよう
你取了名字你沒有改了姓 お前は名づけられたが、姓は変えていない
你吃了莿仔埤養的稻米 莿仔埤ではぐくまれたコメを食べ
你喝了黑泥漿洗的水 黒い泥水で洗った水を飲み
你別信了掌權的人說 権力者の言うことなんか聞いちゃだめだ
英明的人出了好價錢 頭のいいやつは高い金を出して
土地上長出了煙囱 地面に高い煙突を立てる
爺們窮到只剩下了錢 爺たちは、貧しくほんのわずかな金を残せるだけ
真想喝杯酒啊 酒が飲みたいなぁ
在從不下雨的南溪州 雨が降らない南溪州では
蛙鳴埋葬在高牆之下 蛙の声は高い壁の下に葬られる
掩在霧霾裡的文明 煤煙の文明の下に
七叔你不要回頭啊 七叔、もう元に戻らないで
在從不懺悔的南溪州 懺悔することもない南溪州では
良心埋葬在情欲之下 良心なんか欲望の下に埋められてしまった
真不知道 全く分からない
該如何去對以後的人説 未来の人々にどう話したらいいのか
自從七叔走了以後 七叔が出て行ってしまった後
再也沒有見過 二度とまみえる事はない
那老欺負孩子的陳老師 あの子供たちをいじめてばかりの陳先生には
聽說他去了村子的那一頭 聞いた話では、彼は村のある場所に
種了一園子火紅的鳳凰花 真っ赤な鳳凰花を庭じゅう植えたんだそうな
花間裡隱藏了許多的秘密 花の間には秘密がたくさん埋まっている
陳老師的故事最神奇 陳先生の話はいちばん不思議だ
而我們最愛的校花 そしてわれらの大好きだった
她嫁去了美利堅 学園の花はアメリカに嫁いでいった
別問我哪裡來的呀 どこから来たんだと聞かないでくれ
換了個名字我沒有改了姓 名前は変えたが、姓は変えていない
你愛上了城的鳳凰 城の鳳凰を愛し、
你喝了西方來的黑牌 西から来た「ブラックラベル」を飲む
你別信了城裏的人說 街から来たやつのことを信じるな
掌權的人比你聰明 権力のある奴らはお前より頭がいい
土地上長出了煙囱 土地に長い煙突を立てて
爺們苦澀的回憶著從前 爺たちは苦い思い出をまとう
老天爺啊它不哭泣 お天道様は泣きはしない
在從不下雨的南溪州 雨も降らない南溪州では
白雲躱藏在紫霧之外 白い雲は紫の霧の外に隠れている
掩在謊言裏的文明 ウソで固められた文明に埋もれて
老師你不要回頭啊 先生、もう元に戻らないで
在從不下雨的南溪州 雨も降らない南溪州では
秘密埋藏在溫柔的心裡 秘密は優しい心の中にうずもれてしまって
永遠不會說出去 永遠に口をついてくることはない
自從爺爺走了以後 おじいさんが行ってしまったあと
就沒有人再覬覦 誰も欲しがらなくなった
那塊毫不起眼的田地 あのみすぼらしい田地のことを
那田本來就要種莊稼的 作物を植え、
你們盡圖個什麼勁 励まねばならないはずだったのに
孩子先把門給掩上了 子どもらよ、門を閉めておいで
我來說些故事給你聽 お話を聞かせてやろう
濁水溪的水源頭 濁水溪の水源には
住著會唱歌的祖靈 歌を歌える先祖の霊が住んでいる
都問你那裡來的啊 皆があなたはどこから来たのですかと尋ねる
你換了個名字 あなたは名前を換えた上に
你甚至也改了姓 姓まで変えてしまった
你吃了爺爺親手種的稻米 お祖父さんの植えたコメを食べ
你喝了母親河流淌的奶水 母なる川からポタポタ滴る乳を飲み
你別信了掌權的人說 権力者の言うことを信じるな
英明的人會給你好價錢 頭のいい人は金儲けをさせてくれる
土地上長出了煙囱 地面に高い煙突を立て
爺爺死也不賣的田 お祖父さんが死んでも売らなかった田
真想喝杯酒啊 ああ酒が飲みたいなぁ
在晴朗如洗的南溪州 洗ったように晴れやかな 南溪州では
祖墳已埋葬在高牆之下 先祖の墓は高い壁の下に埋められて
走在紫色沙塵裡的人民 紫の砂塵
爺爺你不要回頭啊
在從不懺悔的南溪州
良田埋葬在貪欲之下
真不知道
該如何去對以後的人說
七叔你不要回頭
不起眼=ぱっとしない
莊稼=農作物
莿仔埤=彰化縣にある灌溉系統
鳳凰花=真っ赤な花を咲かせる合歓の木
黑牌=ジョニ黒
覬覦=ji yu 希望得到不屬於自己的東西。造句:他處心積慮,覬覦這個職位已經很久了。日本語と同じ意味みたいですね。この日本語知らなかったけど。きゆ。高望みする、不相応なものを望む。
去年の7月に発売された「帰郷」と言うアルバムから。
農村にすむ青年の話。
都会と田舎の対立、都会に出て行きたい若者がテーマの歌のようです。
このテーマでは陳昇はたくさん歌を作っています。
台湾映画にも以前このテーマがたくさんあったような。
日本でも多かったのでしょう。
「七叔」というのは、7番目のおじさんと言う意味だと思います。
語り手の少年は、多分長男の息子で、お祖父さんと一緒に住んでいる。父親にはたくさん兄弟が居て、7番目の弟はまだ家にいる若者だと思われます。
ピカピカのオートバイに乗っていたり、外国たばこを吸ったり、都会の女の人と付き合ったり、多分牛を飼って、田んぼを作っている田舎の暮らしのなかでは浮いた存在。おじさんは父親とけんかして家を飛び出すんでしょうね。そして、成長した語り手の少年は、おじさんにあこがれを抱いて自分も出て行きたいという気持ちがあることに気がつく。
こんなストーリーでしょうか。
田舎の象徴としての「牛」、食卓の「干し魚」
いろんな言葉で、情景がぱっとうかびます。
陳昇歌を聴きながら聞くと、さらに臨場感があります。
美輪さんのヨイトマケの唄みたいな物語力だと思いますが…母語じゃないのが辛いですね。
七叔 作詞作曲:陳昇
天空的雲朵結在一起 空の雲がつながって
像卡通裡的大力水手 マンガのポパイみたい
孩子們扔了書包 子どもらは学校のカバンをほおりだし
追著埤仔的老牛在奔跑 水路沿いに放してある牛を追いかける
晚風裡帶點甜甜的鹹魚味 夜風に干し魚の甘い臭いが少し運ばれる
七叔他站在橋頭 7番目のおじさんは橋のたもとに立っている
身邊是他閃亮的Motorcycle 傍らにはピカピカのMotorcycle
孩子我跟你說 おまえたちよくきけよ
叔叔要去一個遙遠的地方 おじさんは遠いところへ行くんだ
那裡是男人的方向 そこは男が向かうところさ
情欲的理想國 なんでもできるユートピアなんだ
餐桌上涼了的鹹魚 食卓の上の冷めた干し魚
早就已經沒有滋味 とっくに味などなくなってる
七叔張著鐵青的臉 おじさんは青ざめた顔をして
爺爺拽了門之後的咆哮 じいちゃんは門をぴしゃりと閉めて何か怒鳴った
城裏來的女人 街から来た女の人が
讓七叔變得好有精神 おじさんを生き生きと変えた
鄰居們都說她是外省來的狐狸精 近所の人はみんな口をそろえて「あの女はよそから来た女狐」だという
我那裡想得這麼多 ※1 ???
七叔的眼裡映著烈火 おじさんの瞳にメラメラとした炎が映っている
村子裡的人說他著了魔 村の人は「ヤツは憑りつかれたんだ」という
他搭上了城裡的壞種 都会の悪いものにのっかってしまったんだと。
好冷好冷的一個冬天 とてもとても寒い冬のある日
七叔他輕輕敲著我的窗 おじさんがコツコツと僕の窓をたたいた
看起來臉上都結滿了風霜 おじさんの顔にはすっかり世間の厳しさが刻まれているみたい
他點了一根時髦的西洋煙 おじさんは流行の外国たばこに火をつけて
問起了家裡的種種 家のことをいろいろ僕に聞いた
爺爺是否還念著他 じいちゃんはまだおじさんを思ってるだろうか
不孝的他 親不孝なおじさんを
我那裡想得那麼多 ※2 ?
我心中也有烈火 僕の心にも炎が燃え盛ってる
發動起來吧摩托車 オートバイのエンジンをかけて
要去夢想的那一方 夢見た方へ出かけるんだ
我沒有問他 僕は訊ねなかった
七叔是不是已經到了他的理想國 おじさんがユートピアに辿りついたのかどうか
七叔的眼裡有種迷人的空洞 おじさんの瞳には魅惑の空洞がある
迷人的空洞 魅惑の空洞が
他身上有好聞的洋煙味 おじさんの身体からは外国たばこの匂いがする
和抹了香精的浪子頭 それと浪子頭に着けた整髪料の匂い
浪子在那個冷冷的夜裡 浪子(遊び人)はあの寒い夜に
掩沒在黑裡再也沒有了消息 黒い中にうずもれて二度とその消息は分からない
村子裡的人說他著了魔 村の人は「ヤツは憑りつかれたんだ」と言う
任誰勸也不回頭 「誰が説得したって、もう元には戻らない」
溪畔的稻子已經垂了頭 川沿いの稲穂はすっかり頭を垂れている
七叔沒有遲疑的大步走 おじさんはためらいもせず大股で歩いて行く
<単語メモ>
大力水手=ポパイ
埤仔=地名、水路?
浪子頭 ヘアスタイルの一種。横浜銀蠅みたいな、前髪がV字になって後ろの真ん中だけ伸ばすような不良やチンピラで流行ったあの形らしい。
外省來的狐狸精=よそから来たとしたけど、おそらく台湾特有の「外省人」との対立問題も含んでいるのでしょう。「狐狸精」は美しい姿で男を惑わす妖怪のことですね。
鹹魚=干し魚としましたが、発酵させてから干す、日本でいうと「クサヤ」みたいなものらしいです。台湾の田舎の象徴かも。
著了魔=「取り憑かれた」と訳したけど、恋に狂ってしまうようなニュアンスのようですね。
歌の中の「我那裡想得那麼多」の意味がうまくとれません。
どういう意味合いかな???
おしえてくださ~い。
反語の意味だから、「どこにあんなに考えることがあろうか?」
「考えなくたっていい」かな?「考えるまでもない」とか?
(わかり次第、コツコツ訂正していきます)
もう一個疑問点
※1 と ※2の部分、初め、1の主語は七叔で、2の主語は語り手がと思ってたんですが・・・陳昇の歌を聴くと、どっちも七叔かも?と思えたりもします。そうなると解釈ががらりと変わって、語り手は、それほどおじさんにあこがれてなくて、都会に出て根無し草になってしまったおじさんを憐れんでいるのかもしれない・・・とも思えます。
2018.1.18
友人に質問を投げかけてみました。(以下はメモ)
假設這個故事 那個「我」是個青少年的孩子
第一段是指一個孩子看到大人為了愛情 不顧一切 ,不能理解大人為何會這樣,想了很多
第二段還是指那個孩子,心中也有自己像七叔一樣的夢想
烈火是指愛情
兩個「我」都是同一個孩子
我那裡想了那麼多=我當時想了那麼多=我想了那麼多
歌詞中「那裡」是在那裡的意思 簡單講就是「當時」
這首歌是描寫孩子回憶青少年時期看到七叔為了愛情不顧一切的故事
以前台灣鄉下都是種田,種田需要人力,所以會生很多孩子,中國人講「多子多孫多福氣」當時孩子通常生很多
現在都沒人要生孩子了😂
昇哥寫的就是你媽媽那個年代發生的故事喔 看昇哥的歌詞很有畫面,像在看電影一樣
私、今、モーレツに反省していることがあります。それは、あれほど「陳昇が好き」とかいいながら、ここ数年の彼の作品をちゃんと聞いていなかったことです。もちろん、新譜が出れば買って聴くんですが、「ふーんこんな感じかー」と思って、それで終わりにしていました。
コンサートにいっても新譜からの曲は多くて2〜3曲。消化しないまま、また次が出るという繰り返し。
このたび、陳昇のCDたちをスマホに落としてイヤホンで聞くようにしました。同時に歌詞もネットから探して移動の時間でも見てみたら!びっくり。
全然別の世界が広がっていました。
もちろんCD買ったときに歌詞も一度は見てるんですが、歌詞を歌詞だけで見てるときは(私の中国語力の問題で)さっぱり味わえない。でも、歌を聴きながら歌詞を見ると、わかるところもある!!
これから少し時間を作って陳昇の歌の世界を味わう記事を書いてみようかと思います。
陳昇がなぜ最近あんなうたいかたなのか?なんでファンのみんなが熱狂するのか?色々分かりそうです。
10年以上前には、日本のファン有志で訳詞に挑戦したりたこともありました。その頃、私は中国語はさっぱりでしたが、情熱でカバーしてました。。その頃に比べたら中国語はできるようになっています。がんばってみよう。
二日間見たコンサートのセットリストを香港の友達が書き起こしてくれたので、備忘として転載。(Thank you. Lok!)
2日とも開演は20:30
各日、54〜55曲とは恐れ入る。
今回の衣裳は今ひとつだったな。も少しかっこいいの着てください。(この写真以外の衣裳がヘンだった。)
12月30日(座席 4列4号)
1. 捕夢網(新曲)
2. 塔裡的男孩
3. 二十歲的眼淚
*************************
4. 跑路英雄(新寶島)
5. 淒美燈塔(新寶島)
6. 原住民的演唱會(新寶島)
7. 自助餐(新寶島)
8. 大地(新寶島)
9. 福爾摩莎(新寶島)
*************************
10. 穗花
11. 打死不再戀愛
12. 六月
13. 紅色汽球(小提琴伴奏版)
14. 然而
15. 牡丹亭外(with Pia)
16. 告訴媽媽(with Pia)
17. 禮物(Pia國語歌)
18. 歹勢(Pia台語歌)
19. 恨情歌
20. 把悲傷留給自己
21. 最後一次溫柔
*************************
22. 路途(新寶島)
23. 一佰萬(新寶島)
24. 水尾郵便車(新寶島)
25. 山歌一條路(黃連煜)
26. 懷念(高士古謠隊)
27. 追求之歌(高士古謠隊)
28. 車輪埔(新寶島)
(講廢話時段)
29. Can't Help Falling in Love(滾石董事長)
30. 愛的代價(滾石董事長)
31. 送别(滾石董事長)
*************************
32. 陳明美同學
33. 擁擠的樂園
(左小詛咒錄像)
34. 鴉片玫瑰(with Pia)
35. 湯米先生的誠實告白(with Pia)
36. 不再讓你孤單(讚,with Pia)
37. 家在北極村(with Pia及高士古謠隊)
38. 北京一夜(with pia)
39. 歸鄉(with高士古謠隊)
40. 風箏(with高士古謠隊)
41. 子夜二時,你做什麼?(with高士古謠隊)
42. 路口(with高士古謠隊)
43. 狗臉的歲月
44. 發條兔子
*************************
45. 歡聚歌(新寶島)
46. 鼓聲若響(新寶島)
47. Summer(新寶島)
48. 美麗新樂園(新寶島)
49.星星知我的心(文夏台語歌曲)
(教授用臀部運氣唱假音……)
50. 媽媽也請你保重(文香)
51. 黃昏的故鄉(文夏)
(01:40倒數)
52. 台北附近
(Encore,團員介紹)
53. 六份地圖
54. 我曾愛過一個男孩(with高士古謠隊)
(02:15完結)
12月31日(座席数 5列9号)
1. 捕夢網(新曲)
2. 塔裡的男孩
3. 二十歲的眼淚
*************************
4. 跑路英雄(新寶島)
5. 淒美燈塔(新寶島)
6. 原住民的演唱會(新寶島)
7. 自助餐(新寶島)
8. 大地(新寶島)
9. 福爾摩莎(新寶島)
*************************
10. 穗花
11. 打死不再戀愛
12. 六月
13. 紅色汽球(讚,小提琴伴奏版)
14. 然而
15. 牡丹亭外(with Pia)
16. 告訴媽媽(with Pia)
17. 禮物(Pia國語歌)
18. 歹勢(Pia台語歌)
19. 恨情歌
20. 把悲傷留給自己
21. 最後一次溫柔
*************************
22. 路途(新寶島)
23. 一佰萬(新寶島)
24. 水尾郵便車(新寶島)
25. 山歌一條路(黃連煜)
26. 懷念(高士古謠隊)
27. 追求之歌(高士古謠隊)
28. 車輪埔(新寶島)
(講廢話時段)
29. 海闊天空(程家杰)
30. 半點心(李禮勇)
31. 真的愛你(李禮勇)
(楝篤笑時段)
32. Can't Help Falling in Love(滾石董事長)
33. 愛的代價(滾石董事長)
34. 送别(滾石董事長)
*************************
35. 陳明美同學
36. 擁擠的樂園
(左小詛咒錄像)
37. 鴉片玫瑰(with Pia)
38. 湯米先生的誠實告白(with Pia)
39. 不再讓你孤單(with Pia)
40. 家在北極村(with Pia及高士古謠隊)
41. 北京一夜(Pia)
42. 歸鄉(with高士古謠隊)
43. 風箏(with高士古謠隊)
44. 子夜二時,你做什麼?(with高士古謠隊)
45. 路口(with高士古謠隊)
46. 狗臉的歲月
47. 發條兔子
*************************
48. 歡聚歌(新寶島)
49. 愛你一萬年(with 辛龍)
(調戲八位弦樂美女樂手時段)
50. 鼓聲若響(新寶島)
51. Summer(新寶島)
52. 美麗新樂園(新寶島)
(段崖失控時段,02:13倒數)
53. 台北附近
(Encore,團員介紹)
54. 六份地圖
55. 我曾愛過一個男孩(with高士古謠隊)
(02:50完結)
明年北海道見!新年快樂!
台北にコンサートを見に行った帰りの飛行機で、隣の席の人に、ペンを貸した。
若い男の子。
緑のパスポート、台湾の人だね。
ペンを返してもらう時に、その彼が私に何か言いたげ。
何かな?
「そのTシャツ・・・BobbyChenのですね?」
おや?
そうです。私の着ていたのは、今年のお正月のコンサートで買った記念Tシャツでした。
知ってるの?
へー!
「そうです。今年のコンサートで買ったんですけど、知ってるんですか?」
「はい、僕もそのコンサート行きました」
なんと!
ここにもファンが!
「新譜がでたでしょ?もう聞きましたか?」
「聴きましたよ。今回台湾に行ったのは台北のコンサート見るためだったんですよ」
「え~~。日本の人が陳昇のコンサートを?」
とそういうわけで、話が弾みました。
かれが英語で話しかけてくるので、こちらも英語で。
中国語の方が話しやすいけど、まぁ仕方ない。
彼は、日本にプロレスを見に2泊3日で一人旅するらしい。
「今回僕の初めての海外旅行です」
というので、「何か困ったことがあたら連絡してね。」
とFBの交換をして、別れてきました。
コンサートの記念Tシャツは良く着て旅行してるけど、話しかけられたのは初めて!
短い旅でしたが、最後の最後まで濃密な感じ。嬉しかったなぁ。
何枚目なのかわからないくらいたくさん出てる陳昇のソロアルバム発売記念ライブに行ってきました。
(22枚目だそうです)
台北のライブハウス、legacy台北です。
アルバムタイトルは「帰郷」。
今まで中国大陸を旅して作った作品が続いていたので、回帰したということでしょうか??
ここのところ新譜の発売に合わせてこのライブハウスでコンサートというのが恒例のようです。
発売日にネットで買ったチケットは前から六列目の真ん中の席。
まぁまぁ見やすい席のはず。
今回の台北1泊3日旅行の目的はこれでした。
3月に続いて7月もライブ。
サイン入りの新譜を販売していました。
開演まで華山のおしゃれな店でビールでも飲もう。
これイタリアのビール。
イタリアのビールしか置いてない店だった(そして高い!)
Piccola Botega
じゃーん!開演。
休憩時間あり。
今回のライブには、20年来のファン仲間が奇跡的に集っていて、懐かしさいっぱい。
休憩後第二部開始。
昔のバックバンドのギター、楊老師やベースの家駒が飛び入り参加。
きゃー、嬉しいわ。
例によって客席に降りてきて歌う陳昇。
この写真では見づらいけど最後方にいます。
あ、今ごろ気がついた。
このライブハウス、昔の工場の建物をそのまま使ってるのだけど、木の根っこが壁から生えてる。
それもそのままに使ってるんだなぁ。
終演後、久しぶりに再会した仲間たちと記念撮影大会。
ファン同士で結婚したカップルの娘も15歳になり、親と一緒に見に来てた!
私は両親のプロポーズの時も、あなたがお腹にいた時も、赤ん坊の時も一緒にコンサートみてるんだよ~
そしてなし崩し的に打ち上げに乱入。
ボビーさんはコンサートの途中からかなりお酒が行きわたってしまったようで、打ち上げ時には完全に出来上がってらっしゃいました。(とはいえ、酔いつぶれているわけではなく、翌日は南部のコンサートに出演・・・元気!)
20年来のファン仲間やバンド関係者と再会を喜び、おしゃべりして楽しく飲みました。
写真がなかった。
この遠くから撮ったのだけ。
Marula時尚藝廊
2時過ぎまで飲んで、途中で引き揚げました。
日本から見に行ったべんちゃんとタクシー相乗りで宿に帰りました。
コンサートの感想何も書いてないけど、結構よかったんですよ。
お酒は飲んでたけど、かなり真面目にサクサク演奏して歌って。なかなかご機嫌な昇さんでした。
(二階からの眺め)
(一階席の様子)
春酒第二部はライブです。
宴会に参加した人には優先席取りの権利もあり、前の方で見ることができました。(たまたまラッキーなことに誰かが気を利かせて私の分までとっててくれました。ありがとう)
春酒でなくても、いつもライブはお酒をガンガン飲みながらやる陳昇さんですが、今回はあまりだらけたおしゃべりはなくて音楽中心でした。お酒はよく飲んでたけど。私もバーで台湾ビールを買ってきて飲みました。他の人たち、割と飲み物持ち込んでた。。ゆるすぎる・・・・。
今回はゲストが多かった印象。
最初はフィルチャン(張宇)。
この人は春酒の出席率高い。もしかして毎年来てるのかな??
相変わらず歌がうまく、オーラは少なめ。
次に趙詠華。
なぜコートを着てるんだろ??
それからギタリストにビヨンドの歌を歌わせた。
懐かしい「関心永遠在」もやった。
ボビーが「自分には大物になった弟子が金城武と劉若英の二人いるけど、これから出てくるのは三人目の弟子」と紹介したのが、なんとボビーの所属するロックレコードの段社長。この人若い頃歌手志望だったと聞いたことあるけど(で、才能足りず裏方に回ったとか)年取ってやはり昔の夢を追いかけたくなったのかしら?三曲歌いました。プレスリーの「愛さずにいられない」と台湾語の「思慕的人」そして長渕の「乾杯」の北京語カバー。
さすが歌手を目指していただけあって歌うまい。でも歌詞がボロボロで「普段所属歌手たちにお客さんはお金払ってるんだぞ!」と小言言ってるのに…と笑いを取ってました。
そして後半に阿VONが真面目に「この方をお呼びできるのは大変に光栄なことです」と紹介した文夏先生が登場しました。一日前にインドネシアから帰ってきたばかりと伺ってたけれど、全く疲れも見せない歌いっぷり。ほんとに90歳なのかしら??
この文夏先生がステージに上がって歌っているときに、陳昇がまた変なことを初めました。ギタリストの前に置いてる譜面、譜面台、歌本のファイルをボンボン舞台袖に投げ始めたんです。「こんなもの使うな!暗譜してないのか?!」と言わんばかり。しまいにはiPad(最近バンドマンたちはiPadに楽譜入れてるらしい)までほおり投げようとするのでハラハラしてしょうがなかった(流石にこれは投げなかったけど)
あとで聞いた話によるとやはり「文夏先生のこの曲(媽媽請你也保重)は国歌みたいなものなのに楽譜がいるのか?!」と投げていたらしい。
ギタリストたちが苦り切ってたのが気の毒だった。その後ステージスタッフが素早く散らばった楽譜を拾い集めて復旧してたけど。こういうところがあるからボビーは怖いと言うか、一筋縄で行かないというか。
ライブは三部構成で終わったのがちょうど12時でした。おつかれさま〜。
帰り道は、やはり近くに宿をとったという香港の楽と一緒にてくてく歩いて帰りました。
これ、その夜のベストショットだと思う。
いい顔してるね。ベースのイーウェンちゃんも。
馬英九政権下、台湾と中国(大陸)との交流は経済面でも、文化面でもかなり進んで、今や直行便がばんばん行き交い、個人旅行者も大量に押し寄せる時代になりました。(蔡政権になって減ったらしいけど)
陳昇のコンサートにも大陸のファンが大挙してやってくるようになり、台湾的だった会場の空気も変化しています。毎年毎年それは感じています。
私の見るところ、事実上大陸でコンサートを開けない陳昇なので、大陸のファンは思いを募らせて台湾まで見に来るためどうしても熱くなってしまう。それと、もともと、大陸のコンサート鑑賞スタイルが台湾と違うというのもあるのかな。台湾の人たちはのんびりと鑑賞する感じなのだけど、大陸のファンは熱い!コンサートも盛り上がります。でも、時に行き過ぎを感じることも。
今回みかけたのは、自分の席を立ってステージ前までやってきてしまう大勢の人たち。そして、歌手が歌いながら客席に降りてくると、突進して抱きつく、握手を求める、ずっとついて回る「熱すぎる」ファン。
(ステージ前に詰めかけてしまったファンたち)
どちらも、以前はなかった行為。
全員が全員大陸のファンかどうかはわからないけど。
ステージ前に出てきてずっと立ってるのは、以前ツイジェンやリッチーレン来日の時にも体験した。
歌手に突進するのは危ないから、ホントやめてほしい。
さて、そんな中、私にも大陸のファン友達ができた。
彼女と話していたら、彼女がこんなことを言い出した。
「我都不敢跟他要合影握手這些,怕被無情拒絕、所以直到春酒才有了第一張合影。還是因為我喝多了所以才有勇氣開口問。」
拒絶されるのが怖くて握手を求めたり、写真撮らせてくださいと言えないというのだ。
それすごくわかる!!(彼女はファン歴10年で、やっとツーショットで写真をとることができたらしい。しかも酔った勢いで。「春酒」というのは一年に一回ファンとの交流の新年会のこと。限定50枚のチケットが販売され、陳昇と一緒に宴会する)大陸の人でもそういう人もいるんだなー。当たり前のことだけど。この感覚を持ってる人とは友達になれると思った。もう友達だけど。
彼女に比べらたら、私はもっとかなり勇気あるかも。何しろ、初めて見に行ったコンサートの時、握手を求めましたものね。あれは一世一代の勇気を振り絞ったんだけど。それと、その10ヶ月後、台湾旅行中に行ったレストランで偶然陳昇御一行に出会ったときに、サインとツーショット写真もお願いした。
怖いもの知らずだったからできた。
その後ずーっと十何年間彼を怖いと思っていたわけだから。
この辺の感覚が共有できると、なんだかうれしくなるのですね。
今回のコンサートの感想色々あるんだけど、まず忘れないうちに書いておかねばならないことが!
私の席は初日は舞台に向かってど真ん中、二日目は通路側から二番目。
「不再讓你孤單」という歌のとき、最近彼は「我愛你」という歌詞をよく「アイシテル〜」と日本語にして歌う。母語でない分照れが軽減するんじゃなかろうか?
今回のコンサートの構成ではこの歌のときはステージから降りてきて観客の中で歌う演出だった。初日は「アイシテル」は、台湾の観客の隣で歌ったけど、2日目は、明らかに私達日本人が座ってる列まで駆け上がってきて歌ってくれた。
わ〜い!
何人もの人たちがこの部分の動画を取ネットに上げてて、帰国してから見たのだけど、「あれ誰?YOKOだよ!」みたいな会話が入ってたりして面白かった。私も有名になってるようです。
20161231 陳昇2017年跨年演唱會 我和你沒完沒了 陳昇 我不再讓你孤單
去年も何かの歌のときにハグしてて、写真も残ってるんだけど、どんな経緯だったか?
初日感想メモ。
お酒飲んでない!
トークがない!
テンポと曲順などの構成が素晴らしい。
少女たちのコーラスが良い新味(「告訴媽媽」はちょっとどうなの?奇妙な味わいあり)
ボビーの少女たちへの眼差しが温かすぎ、それが他にも伝播して、全体がとても温かい空気が漂うコンサートになってた。(こんなに怖くないボビー初めてかも)
左小のアコースティックめっちゃよい!(トイレに行ってる場合ではない。二日目はちゃんと聞こう)
新宝島の3人の雰囲気が二周半くらいした感じに熟成。
歌詞を見ながら歌うのは仕方ない。そのときは目をつぶって聴くことにしよ。
ラッパ部隊の投入はとても良かった。特に一人でいろんな楽器をこなしていた彼。
キーボードにめっちゃ可愛い男の子が!!
「路途」で泣き(ボビーも泣いてたね)、「不安的年代」から「汀州路的春天」への展開に心揺さぶられ、「恨情歌」「別譲我哭」「把悲傷〜」の畳み掛ける王道歌。今回は結構涙拭き拭き鑑賞。
さて2日目はどんな感じかな?
お酒も入って雰囲気ガラリと変わるのかもね。期待!
1999年1月のコンサートチケットが出てきました。
席番が手書きです。時代を感じます。
手にとって、あれれ?と気がつきました。
半券が残ったままになっています。なぜだろう?間違いなく見に行ったコンサートなのに。
記憶を手繰るうち、色々当時のことを思い出しました。
このチケットは私のではなく、友達のものでした。彼はその日用事のため、コンサート会場に来たのが随分遅い時間でした。入場口には、もう係の人もいなくて、チケットを見せずに入ってこられたのだそうです。彼は私の真後ろの席でした。
コンサートが終わってから、
「このチケットきれいなままだからYOKOにあげるよ。記念になるでしょ」
と言ってくれたのでした。
・・・うっかり忘れていました。
この台湾人の男性とは、ネットで知り合いました。台南在住のデザイナーで、ニックネームは「缶頭」(中国語で缶詰の缶の意味ですね)気が合って、何度か会ったし、よくネット上でチャットなんかもしてました。
私が台湾の人たちと交流し始めて1年くらいたったころだったでしょうか、台湾中部に「集集線」という山を走る鉄道路線があるのですが、その終点近くの水里という山奥でコンサートがありました。私は台湾の友人たちと台北から車でコンサート会場へ行きました。日本の友人が1人あとから自力で駆けつけ、水里で合流しました。
コンサートが終わり、みんなでどこかの食堂に入り夜食を食べていた時に、ある人が私たちに尋ねました
「YOKOたちは明日どこに行くの?」
その日は適当なホテルに泊まって、次の日高雄に向かおうと計画していたので、そのように話すと
「じゃ、私これから台南に帰るから乗せて行ってあげるよ。台南で泊まった方が近いでしょ。」
それはありがたいと、日本の友人と二人乗せてもらうことにしました。
更に彼女は
「そうだ、'缶頭'知ってる?彼の電場番号ある?」
と、私から彼の電話番号を受け取ると、さっさと電話をかけ始めました。
電話を切って、言うことには・・・
「今夜は彼の家に泊めてもらえることになったから」
えええ~~!!
こんな夜中に?
しかも二人で?
めっちゃ迷惑だよ。と遠慮しまくってたのだけど、
「へいきへいき。彼の家、部屋あるらしいから。」と涼しい顔。
って深夜のドライブが始まりました。
キョリにして150キロくらいでしょうか。
でも途中であちこち寄ったりして、台南についたのはほとんど朝方でした。
送ってくれた友人にお礼を言って、家の人を起こさないように静かに家にあがりました。
彼が客間に用意してくれた布団で、お礼もそこそこ就寝。
翌朝は朝食までご馳走になり、さらに観光にも付き合ってもらったということがありました。
多分とても迷惑だったはずなんだけど、嫌な顔ひとつせず、紳士だったな~。
あの頃は、中国語が全然できなくて、英語と片言の中国語で話していたので、あまり込み入ったことは話せなかった。そのうち、彼は実家を出てしまったので、手紙も送れなくなり、そのまま音信が途絶えてしまった。
昔のファン仲間とも連絡取っていないみたいだし。
懐かしい友達です。
今どこでどうしているのかな?
珍道中について昔書いた文章。
「GOGO!台湾~99年夏」
To be a fan from overseas.
今年も陳昇の誕生日に合わせ、カードを送った。
もう20年近くになるか。
去年はカードに絵を描いて送ったら、それがコンサートの公式Tシャツの図案に採用されるという嬉しいサプライズもあった。毎年せっせとカードを送り続けた労をねぎらってくれたのかと思ったりする。
海外のファンは、かなりのハンデがあるけど、その分アドバンテージもあるとよく思う。
ハンデは、何と言っても情報が入りにくいこと。
今はインターネット(さらにはSNS)があって相当改善したけど、それでもテレビやラジオでの露出にはなかなかお目にかかれないし、イベントやコンサートにも気軽には行けない。行こうと思ったら時間もお金もかかる。(そして私には言葉の壁もある!)
一方、アドバンテージと感じるのはやはり外国人であるという物珍しさ。良くも悪くも目立つ。ファンの中でも、ナニナニ?って取り囲まれるような雰囲気にもなるし。ファンレターを出しても印象的だったんだろうというのは想像にかたくない。
これが世界的なスターの場合は、海外ファンであることのハンデも少なくなり、同時にアドバンテージも少なくなるんだろううけど、陳昇の場合は、台湾ローカルのアーチストだからね。海外ファン(しかも中国語圏でない外国からは相当珍しいと思う)として、面白い体験を色々させてもらった。
その分相当のお金と労力を費やしたのも間違いない。
旅費、更に中国語の勉強、レッスン費、時間!!!
自分でも涙ぐましいほどの努力だと思う。
イスンファンについては、陳昇にかけたほどの労力をこれからかけるなんて、考えただけでも気が遠くなるけど、せめて行きたいコンサートに行ける程度の自由さは手に入れたい。
でも、それがとても大変(泣)
やっぱり尻込みしないで、言葉の勉強と人脈作りをコツコツやるしかないか。
どちらも一朝一夕にはできない、大変な仕事だけど。
ああ、悩ましい。
海外のファンでいることは悩ましい。
It's very hard to be a fan from overseas.
きのうの続き。
阿信に「実は・・・五月天のCD持ってない」って言うと、「友達に焼いてもらったらいいよ。」とか言ってたのは覚えています。焼くとか言っていいのか?!社長も近くにいるぞ!みたいなことを思った覚えが^^;
こんなに、ビッグなバンドになるとはその頃全く思っていなくて、かわいい男の子たちだなと思っていただけでした。今や、中華圏は言うに及ばず、日本武道館でコンサートをやるほどのバンドですよ。
この顛末をRENEファンサイトのYUTAKAさんが以前サイトに載せていましたので、(ちょっと編集して)転載します。
台湾音楽業界って昔は小さかったし、スターぶる人がいなくてファンとの距離が近い印象が強いです。陳昇の周りの人たちは特に。
元記事はこちら
陳昇跨年演唱会&初めてのRENE 2000/12/30~2001/1/6
ライブが終わって、ホールの外でタムロッていると、出演者が屋上から手を振ってくれている。RENEもいるよ!!お~い!RENEぇ~!大きく手を振って叫んだよぉ。そうしたら、それを一緒に見上げている人がいる。おでこにラメの2001をつけたヘンなおじさんだ。いや、ロックの社長だ。
「よかったらこない?パーティがあるよ。」だって。ほんとにいいのかな?って感じやったけど、ドキドキしながら連れて行かれる。周りはスタッフばかりで、遠慮せずになんでも食べてね、とかいわれたけど、とっても浮いてる感じ。同じテーブルには文夏さんと奥さん。後ろのテーブルには五月天。ぼくがとっても大好きなMTVを撮られる馬宜中さんもいる。もちろんBobbyやバックバンドのみんなも。それから萬芳もいる。
(中略)
それからとってもいい感じだったのが、五月天の阿信。彼とはYOKOさんを交えて、15分くらいお話したかな?CDはもってるんだけど、そんなに大ファンって感じじゃないので、気楽にお話できる。25歳?なのにまだ学生だっていうからなんで?って聞いたら、「勉強が好きじゃないから」だって。当兵(兵役)の時期を、みんなメンバーであわせるため、だとか後できいたけど。富士山の傍で録音をしたことや、春に大学のフィールドワーク(建築)かなにかで、日本にも来るらしいことなどいろいろお話した。最後にYOKOさんがCD一枚も持っていないことを告白すると、
「彼(YUTAKA)にかりたらいいよ。いや、彼にMDかなにかに落としてもらえばいいよ。」 そんなこと言って良いのか?阿信!YOKOさんが
「たくさん売れてるから気にならないよね?」と言うと、 「ううん。CD出せること自体でもう十分うれしいから、そんなことはDon't care」
おぉ!いい奴じゃん。彼ともこの後もう一度会うことに。
(後略)
この話に出てくる「ロックの社長さん」というのは、台湾のロックレコード(滾石)社長の段鍾沂のことですね。その年、陳昇の跨年コンサートを見ていた我ら日本人ファンの一団は、終演後にこの社長さんに、打ち上げにお招きいただいて、乱入したのでした。
19日に台北アリーナで周華健の30周年コンサートがありました。
それがなんとyoutubeで中継されていて、自宅のパソコンで鑑賞しました。中華圏で30年間人気を誇る歌手ですが、驚くほどアクセスが少なくて、全く途切れたりすることもなく、まるでテレビを見てるような感覚で鑑賞できました。(聞いたところによると中国では別の会社で配信されたため、youtubeではサクサク見られたらしい)
いや〜すごい時代になったものです。
先日のイスンファンのコンサートもこういうふうに配信されたんですよね。
スゴイ!
周華健という人は日本でも知ってる人多いかもしれません。喜納昌吉の「花」をカバーして中華圏で大大ヒットさせた人です。実は、ファンクラブ入ってました。コンサートが見たくて、情報を得るために(インターネット普及以前の話)、ファンクラブのおかげで、台湾でコンサートを見ることもできました。1997年のことです。台北市運動場という今台北アリーナが建ってるところで開催された野外コンサートでした。
懐かしいなぁ。
周華健 Wakin Chau【花心 The flowery heart】Official Music Video
で、その台北アリーナの周華健のコンサートを見てたわけですが、後半ゲストがたくさんやってきました。リッチー・レン、ジョナサン・リー、ターシー・スー、そして五月天。五月天は自身の最初期のヒット曲「志明與春嬌」を歌いました。台湾語の歌で、周華健が台湾語を歌うの珍しい。
一緒に見てた夫が「そういえば阿信本人この歌のこと聞いたことあったよね?」と言い出しました。あ、そういえばそんなことがあったような…すっかり忘れてた。「志明と春嬌」は、五月天がヒットさせる随分前に、陳昇の歌にも同じ名前が出てくる別の歌があって、「志明」は男性の名、「春嬌」は女性の名で、この人名には何かあるのかな?と思っていたんです。で、ある時(陳昇のコンサートに五月天がゲストで出てきた後)、阿信と話ができる機会があり、気になっていたこと「この志明と春嬌って誰なの?何か曰くのある人?」みたいな質問をしたんです。文化が違うと分からないこと、いろいろありますから。その答えは何だったか??古い物語の登場人物だったか、台湾にはありふれた名前ってだけだったか、そんな話で(完全にうろ覚え)恋人同士という比喩に使われてたようです。
この会話、当時は全部英語でやったんですよね。
そんなことを突然思い出しました。
このとき、阿信はまだ彼は学生だったので、勉強の話とか、日本に実習で来るとかレコーディングで来たとか、そんなことも話をしました。ファンの人から見たら羨ましいような話かもしれないですね。
五月天 Mayday【志明與春嬌 Peter&Mary】Official Music Video
ついでに陳昇の 春嬌和志明 も。
潘越雲 陳昇-春嬌和志明 (官方完整版Comix)(HD)