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ずーっと連休が取れなかった夫でしたが、ついにこの9月連休を取ることになりました!パチパチパチ~。せっかくとれた連休だからどこか行きたいね。ということになり、どこへ行きたいか尋ねると、「熊本へ行こう!黒川温泉に行きたい!」とのリクエストが出ましたので、さっそく企画しました。

2連休しかないのですが、なぜか旅程は2泊3日。
最終日は早朝熊本を発ってそのまま仕事へ行く段取りです。ほんとは仕事帰りに熊本に行く2泊3日の方が楽だったのですけどね。金曜の夜便は高かった!

実家の両親を誘って黒川温泉に一泊し、阿蘇見物をしたいと思ってます。熊本生まれなのにまだ行ったことのない「大観峰」にぜひ行きたいのは私のリクエスト。


こんなコース? 57.5 km、1 時間 22 分 (グーグル先生)

初日は熊本空港に集合です。父の車をあてにしてますの。ほほほ。もちろん運転は交代でやりますとも!。
温泉旅館代は私たちに払わせてくださいね。

くまモンにも会えるかな?


ここのところ、「くまモン」の活躍のおかげなのか、それとも単に自分が気がつくようになったのか、東京にいても熊本紹介の番組を見かける。
それが渋くてなかなかよい番組になっている。

BS朝日でやっていたのは、
「草枕」の舞台 熊本・小天(おあま)~漱石が小説家として目覚めた地~
という紀行もので、なんと高校の同級生が作っていた。

草枕の世界はまだ味わい尽くせていないけれど、明治の地方の郷士住宅の雰囲気とそこに息づく中央に劣らない精神性など興味が尽きない。

面白かった。
草枕の道を歩いてみたいと思った。

昨日見たのは、NHKの夕方の情報番組。
松崎しげるがカメラを片手にあちこち旅するというコーナーで、八代から人吉を旅していた。

ゆうどきネットワーク 旅:松崎しげるの「トリタビ」 熊本の巻

八代、肥薩線、球磨川などなどなつかしい。
その中で巨大なかんきつ類「ばんぺいゆ」が紹介されていました。
夫が見てびっくりしてました。
あ、そうか食べたことないのか。
というより見るのも初めてだったみたい。

私もずいぶん長いこと食べてないかも。
ばんぺいゆのお菓子は何年か前に帰省のお土産で会社に持っていったことあったっけ。

一勝地まんじゅうも球磨焼酎もおいしそうだったなぁ。
SL人吉号にも乗ってみたい。
次の機会にぜひ!

2

熊本に来ましたよ。
くまもとなうですよ!

細川家の菩提寺あとにやってきました。


細川ガラシャの墓です。

立田自然公園のあと、熊本県庁へ。
ここには、くまモンの像があるはず。
でも土曜だからあいてないかも。

やっぱりアイテマセンデシター残念。
でもイチョウガキレイデシタ。

家の近所の商店街で、くまモン関連品などお土産探し。
でも地元仕様なので、くまモン濃度低かった。
やはり観光地や街の中心部へ行かねばね。

健軍商店街!
立派なアーケードなのに寂れてるーー。

熊本市電乗り場もだんだんにおシャレになります。

熊本県立劇場。
コーラスの大会があり、母が出場するので見に行きましたー。

ここにもくまモンが!

県立劇場へ行くついでに、母校にもよって見ました。銀杏がキレイ。

天気も良くて黄色がとても綺麗。
熊本はイチョウの街ですね。

散歩の途中で私立図書館にもより、ミステリマガジンのシャーロック特集も見ることができました。

8


そんなわけで、今回の帰省では、家族サービス的なことはあまり出来なかったのですが、初日に父母と熊本城へ行きました。

本丸御殿の大御台所だかで供される「本丸御膳」を食すのが目的。
一日限定50食。
予約必須の食のアトラクションです。

本丸御膳については熊本城のホームページに詳しいです。
http://www.manyou-kumamoto.jp/event/castle.cfm?id=503


丁寧に解説もあり、美味しくいただきました。


近所のスーパーでくまモン食品を購入。
とにかく熊本県産品にはなんにでも「くまモン」がついている印象。
でもこうやってわざわざ買う人間もいるわけだから、経済効果あるのでしょう。


弟から、阿蘇の高校生達が作った農産品をお土産にもらいました。
ジャムと柚子胡椒とカルピスみたいなドリンク。


今回の旅行のお土産たち。
買いすぎ?
くまモン多すぎ?

今回の帰省で面白かった話に
父の小学生の頃の話があります。
2歳の記憶をたどって、西原村に行った帰り、津森というところを通りました。
ここに父は小学校の4~6年の頃住んでいたそうで、通っていた小学校や家のあとなどを巡りながら、昔ばなしをしてくれました。

こういう話を聞くのが、今はとても楽しいですね。

津森から木山の祭りに歩いていった話とか。
川をせき止めて、水をかきだして魚をとった話とか。
秋津から熊本通町の映画館まで歩いて映画を見に行っていた話とか。
小学校の同級生に触発されて勉強をするようになった話とか。

12


写真は同級生にもらったくまモングッズ!
うれしかった~。

今回の帰省では、3泊もしてゆっくりな日程だったのですが、近年、フェイスブックなどで同級生を連絡が取れるようになったことから、同窓会三昧となりました。

まず初日は中学校時代のプチクラス会。
これは実家の近く、かなりローカルな場所での開催。
7人が集まりました。

そして2日目は、高校の同級生との女子会。
(女子会ってはじめてかも!)
これは繁華街の同級生の開いてるお店で。
ほとんど20年以上会ってない人ばかり。

懐かしく、普段全く話さない熊本弁を家族以外に使って新鮮でした。

最後の日は、昼間同級生と母校めぐり。
車を出してもらって、中学校、小学校、それから習字の先生の家や同級生の家などぐるぐる校区を回って、お茶してきました。
なつかしかったし、今皆ががんばってる姿も元気が出ました。

そしてたまたまかもしれないけど、同級生の皆子供が多い。
平均で3人くらいかな?
多い人は6人とか!
少子化問題がここでは解決してそう・・^^

両日とも気がつけば午前様になってて、びっくりしました。
宴会に時間制限がないのと終電とかあんまり関係ないのと。
懐かしかったからかな?


母校


熊本へ行きましょう♪
くまもとサプライズ!

くまモンって、静止画で見たり、お菓子のパッケージで見たりしてたときはそんなにぐっと来るものなかったのだけど、ゆるキャラグランプリや、そのほかのイベントで動いているくまモンを見たら、すっかりファンになってしまいました。

あんなコロンとした体型なのに、切れのあるダンス!
性格もお茶目でちょっとオジサンっぽい。
かわいいくまモンは今関東に来てるみたいです。
会いたいな~。

生くまモンに!

くまモンオフィシャルホームページ


熊本に帰省したある日、とても天気がよいので父にドライブに連れて行ってもらいました。


俵山のトンネルができて、阿蘇が近くなりました。


風力発電。
平均6mの風が吹けば採算が取れるらしいですが。


南郷谷


南郷谷から阿蘇五岳を望む。


手前の赤い植物は、そば畑だそうです。


阿蘇のローソン。山小屋風。


紅葉してました。


夜峰山(?)あたりから南郷谷を望む。


牧草地。
ここで育てられるのは「肥後の赤牛」です。


いよいよ、生まれて始めての阿蘇火口へ!


避難所。


避難所に隠れなければならない事態になりませんように。


火口です。
噴火口にたまった水がエメラルドグリーンできれい!


硫黄を売ってました。


次は、もうひとつの観光スポット「熊本城」へ。


二の丸公園。
駐車場は満車で、並んでやっと入りました。
銀杏が立派に色づいてます。
熊本城は別名 「ぎんなん城」。


二の丸から西大手門へ。


「頬当御門」で入場料を払います。500円。
入り口は他にも「須戸口門」「櫨方門」「不開門」があります。
おっきなお城です。


場内には食事をするところはなく、お昼ご飯代わりに売店で売ってた「いきなり団子」を。


これが「本丸御殿」です!!


加藤清正が豊臣秀吉の子秀頼のために作った「昭君の間」。


熊本城天守閣。
私の中のお城のイメージはこれです!
熊本人だからというのもありますが、一番美しい形をしてると思ってます。
白と黒のコントラストもいいし、石垣のラインもすばらしいです。
(この写真では石垣は見えませんが)

おまけ。

熊本県立図書館。
熊本関係の資料が豊富です。
うちの父はここで古文書を読むのが趣味のようです。

父の古文書サイト⇒古文書で読む参勤交代

「熊本近代文学館」というのも併設されていて、熊本ゆかりの文人の資料が展示されています。

石牟礼 道子
木下 順二
小泉 八雲
高群 逸枝
谷川 雁
種田 山頭火
徳富 蘇峰
徳富 蘆花
徳永 直
中村 汀女
夏目 漱石
光岡 明

などなど・・・。


熊本に帰省したある日、とても天気がよいので父にドライブに連れて行ってもらいました。


俵山のトンネルができて、阿蘇が近くなりました。


風力発電。
平均6mの風が吹けば採算が取れるらしいですが。


南郷谷


南郷谷から阿蘇五岳を望む。


手前の赤い植物は、そば畑だそうです。


阿蘇のローソン。山小屋風。


紅葉してました。


夜峰山(?)あたりから南郷谷を望む。


牧草地。
ここで育てられるのは「肥後の赤牛」です。


いよいよ、生まれて始めての阿蘇火口へ!


避難所。


避難所に隠れなければならない事態になりませんように。


火口です。
噴火口にたまった水がエメラルドグリーンできれい!


硫黄を売ってました。


次は、もうひとつの観光スポット「熊本城」へ。


二の丸公園。
駐車場は満車で、並んでやっと入りました。
銀杏が立派に色づいてます。
熊本城は別名 「ぎんなん城」。


二の丸から西大手門へ。


「頬当御門」で入場料を払います。500円。
入り口は他にも「須戸口門」「櫨方門」「不開門」があります。
おっきなお城です。


場内には食事をするところはなく、お昼ご飯代わりに売店で売ってた「いきなり団子」を。


これが「本丸御殿」です!!


加藤清正が豊臣秀吉の子秀頼のために作った「昭君の間」。


熊本城天守閣。
私の中のお城のイメージはこれです!
熊本人だからというのもありますが、一番美しい形をしてると思ってます。
白と黒のコントラストもいいし、石垣のラインもすばらしいです。
(この写真では石垣は見えませんが)

おまけ。

熊本県立図書館。
熊本関係の資料が豊富です。
うちの父はここで古文書を読むのが趣味のようです。

父の古文書サイト⇒古文書で読む参勤交代

「熊本近代文学館」というのも併設されていて、熊本ゆかりの文人の資料が展示されています。

石牟礼 道子
木下 順二
小泉 八雲
高群 逸枝
谷川 雁
種田 山頭火
徳富 蘇峰
徳富 蘆花
徳永 直
中村 汀女
夏目 漱石
光岡 明

などなど・・・。

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熊本に帰省中にきいた言葉。

  「せどや」

母が「あんたは、背戸やて知っとるね?」と聞いてきました。
知りませんでした。

家のヨコの狭い通路を言うらしいです。

帰ってきてから、ちょっと調べました。

せどやで・・・
http://takasegura.no-blog.jp/data/2006/09/post_3fd3.html

せどや?
http://gazoo.com/G-blog/mura_ogunioo2/7155/Article.aspx

背戸屋のススメ
http://tsuetate-onsen.com/susume_01.html

熊本関係のページばかりがヒットしました。
国語辞典では、「裏にある家」「うらだな」と載っていました。
熊本の言葉とは意味が違うようですね。

熊本県小国町の杖立温泉では「せどや」を使った町おこしをやっているようです。

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熊本に帰省中にきいた言葉。

  「せどや」

母が「あんたは、背戸やて知っとるね?」と聞いてきました。
知りませんでした。

家のヨコの狭い通路を言うらしいです。

帰ってきてから、ちょっと調べました。

せどやで・・・
http://takasegura.no-blog.jp/data/2006/09/post_3fd3.html

せどや?
http://gazoo.com/G-blog/mura_ogunioo2/7155/Article.aspx

背戸屋のススメ
http://tsuetate-onsen.com/susume_01.html

熊本関係のページばかりがヒットしました。
国語辞典では、「裏にある家」「うらだな」と載っていました。
熊本の言葉とは意味が違うようですね。

熊本県小国町の杖立温泉では「せどや」を使った町おこしをやっているようです。

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生憎の雨でしたが、生まれ育った(と言っても10歳まで)球磨川へいってきました。
荒瀬ダムの水門が全開しているらしいのでそれも見たいと思いまして。


八代 萩原橋を渡る。球磨川は雨。


国道219号線を行く。


坂本橋。
小さい頃、いつもここで拾ってきたと言われてたな~ひどい(笑)


荒瀬ダムに到着。公園のあったところから。


慰霊碑への階段


藤本発電所 慰霊碑


昭和30年に建てられたこの慰霊碑には、藤本発電所建設時に亡くなった12人の名前が刻まれています。
さすがにこの周りはキレイに手入れがなされていました。


職員公舎のあったあたり。


公園の周りに10数軒の公舎が建っていました。


近所の人と柿の実を取った覚えあり。


慰霊碑が下に見えます。


庭に植わっていたのかな?菊が咲いていました。


住宅のあったところは、何もなくて遺跡のようでした。
石垣や通路の跡がかろうじて分かるくらい。
生垣にしてあった槙の木は残ってました。


カンナは、30年前よりも増えていたかも。


ダムは水門が全てあけてありました。
川原も見えます。


対岸


40年前の対岸。
ほとんど木が無いように見えます。


国道から下流にダムを望む。


往時のダム。右岸から。


水門が上がり向こう側まで見渡せるダム。
珍しい景色です。


今は廃校の藤本小学校。今でも校歌は歌えます。


操業停止した藤本発電所。


往時の藤本発電所。

12


同じアングルで撮ってみたつもり。

帰省です。
取り壊し予定の荒瀬ダムもやはり最後に見ておきたい!

藤本発電所も操業終了したんですね。
九州ヘリテージ

http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=953245

この機会に行ってくるかな。

子供の頃、学校の宿題でこの荒瀬ダムと藤本発電所の発電の仕組みについて、調べて(いや、ほとんど父に聞いて)まとめたことを思い出します。
そのときまで、大門のあの山の中にトンネル水路があるなんて思いもよらず、とてもびっくりした記憶があります。


2006年の里帰り


2010年11月

前半日程と私の興味を引かれたことと、疑問点をいろいろ書いてみました。
わかる方、教えていただけるとありがたいです。

3/23
人吉→球磨川下りで→一勝地(球磨村)
出立に際しお城では家来の面々に会い、留守中よろしくと話をしています。
また、「青井神社」(現在国宝になってます)に安全祈願に行ってます。

雨のため途中(人吉から10kmほど下流)の一勝地へ上陸。
現代の球磨川下りでもかなりの急流体験ができるところですが、雨が降ればかなり水かさも増して川くだりは相当危険だったと思われます。

3/24
一勝地(雨のため滞在)
一勝地に停留することになったので、お城の家来やご隠居様からの 見舞いの重詰などが運ばれてきます。

3/25
一勝地
ご隠居様や親戚の子供から手紙が来ます。
近隣の村から役人がお見舞いにやってくる。

3/26
一勝地
お見舞いの手紙や品物がどんどん届く。
重詰、塩鮎、あわび、筍など。

3/27
一勝地
雨も上がったもののまだ、水がひかずに滞在が続いている。
退屈を紛らわすためか、家来を敵味方に分けて鉄砲打ちの紅白戦(?)を開催。
どんなものだったのか?

3/28
一勝地→萩原(現八代市)(球磨川下り)
イヨイヨ出発。球磨川を船で下る。途中の村の役人から「串猪壱籠」(いのししの串焼き??)到来。
ご隠居様や親戚の子供からまたまた手紙。

3/29
萩原→(響野原参詣)→川尻 (熊本市)
昼は小川町で休憩。響野原(古戦場)に参詣するので、精進料理にしたらしい。
参詣のときは麻の上下を着用し、花瓶や茶壷など八代で用意したものを献納。
響野原は相良氏にゆかりがあるのかな?

※調べました。
 響野原は、現在の熊本県宇城市豊野にある古戦場ですが、戦国時代に、
 相良氏当主が甲斐氏と戦い戦死した場所のようです。
 相良神社と言うのが残っているようです。
 
 
3/30
川尻→山鹿 (熊本県山鹿市)
途中、熊本(熊本で朝鮮飴をもらう)、植木など休憩しながら通過。

4/1
山鹿→羽犬塚(福岡県筑後市)
途中南関、瀬高経由、羽犬塚で 海老・到来 この間歩行。

4/2
羽犬塚→内野(福岡県飯塚市)
この間歩行。冷水峠の山越えがあったので、お供に「大儀であった」とねぎらい。
「供中より大義の詞之礼申出候事」
供からもお礼があったのですね。
言葉だけなのかな? それとも何か振舞われたとか?でも記載がないからやっぱり言葉だけか・・。

4/3
内野→木屋瀬(北九州市八幡西区 こやのせ宿)
途中、飯塚、直方通過。宿で大阪帰りの家来と一緒になる。

4/4
木屋瀬→小倉
途中黒崎通過。小倉の殿様に挨拶の使者を送る。鯛、水飴到来。
当地の船頭にお金と反物をやる (去年の夏に難破船を助けたお礼?)

4/5
小倉→吉田(山口県下関市)
小倉城主の船を借りて関門海峡を渡る。下関、長府通過。
宿から竹の子2本牡丹三枝到来。
吉田には高杉晋作の墓がありますが、このころは7歳の子供です。

4/6
吉田→小郡(山口市)
途中厚狭(あさ)で、太閤秀吉が九州征伐を行った際に拝領したと言う名刀のある酒屋で休憩。

※ところで、小郡(おごおり)は私もよく利用したJRの主要駅だったのですが、今回地図で見たら見つかりません。調べたら、2003年に新山口駅に改名したらしい。こんな個性のない名前に変えなくていいのに。

4/7
小郡→福川(周南市)
小郡に薩州公のお手植えの松があるとのことで見物。宮市(防府市)、戸田(周南市)通過。福川本陣

4/8
福川→高森(岩国市)
徳山、花岡、久保市通過。

4/9
高森→久波(広島県大竹市玖波)
岩国の錦帯橋見物のため回り道。岩国藩吉川家から案内が来る。
錦帯橋を歩いて渡る。松ケ根香一箱干菓子壱台到来。
関戸、小瀬、小瀬川吉川家の船で渡る。
家来四名が厳島参詣したいと申し出たので、許す。

4/10
久波→海田(広島県海田町)
大野通過。雨のため、厳島参詣は中止にしたいと申し出あり。
宮ノ内、廿日市、広島城下、岩鼻通過。
広島の初橋(どこかな~?)から広島城のやぐらの数を数えたらしい。

4/11
海田→本郷(三原市)
上瀬、大山峠で野立、飯田、溜り村、大原、本郷川の橋歩いて渡る。
本郷本陣着。
今日は七十二丁の里数二里。
※この後里数の記載が増えてくるのですが、単位が場所によって違ったのかもしれませんね。

4/12
本郷→今津(福山市)
小葉、大野、三原城下、糸崎八幡、吉和 。
駕籠つきの家来に懐中金二百疋を渡す。中国なので二百疋と記述有り。
意味は??路銀を小分けにして渡していたのだろうか?
尾ノ道本陣で、豊臣秀吉が泊まった座敷を見物する。(どうも秀吉好き?)
七十二丁の一里
※里数についての考察。現在のJRの距離によると、海田市-本郷は55.5キロ。
本郷―松永(今津の最寄)は30.4キロ。
海田→本郷が二里で、本郷→今津が一里というのは妥当ですね。

4/13
今津→七日市(岡山県井原市)
福山城を海側に見ながら通る。大渡り渡船、中津原、神季辺本陣で昼食。 「備後領先拂不出候事」お金のことかな?七日市本陣着。

4/14
七日市→板倉(岡山市吉備津)
掛矢本陣、「先拂出候事」ここでは先払いできたらしい。ここの本陣で「床」が目立っていたので尋ねたら「唐木」とのこたえ。
板倉領五十丁壱里。小瀬村野立、岡山領五十丁壱里七十二丁壱里。川止本陣、伊東領五十丁壱里。川辺川舟渡。備中山手三軒茶屋本陣。備前領先拂相出。板倉本陣
どうも領地によって、里数の基準が違うようですが、岡山領は二種類が混在していたのでしょうか?

4/15
板倉→片上(備前市)
市之宮、三角村、二本松、藤井宿、一市本陣、吉井川、小刀長船祐直到来、加賀戸村、片上駅本陣
備前長船では刀が献上されているようです。名産品だったのですね。

4/16
片上→片嶋 (兵庫県たつの市揖保川町原地区)
三石、赤穂領、有年川渡舟、鶴亀村(相生市)で鶴亀石を見物。片嶋本陣

4/17
片嶋→加古川
猩條川(揖保川)脇坂馳走人渡舟、山田、笹輪峠から姫路城が見えた。
姫路本陣、藤井宿本陣、先拂出、市川馳走舟、加古川馳走舟、加古川本陣
川を渡るときには、地元の領主の出した「馳走舟」で渡ったようですね。
お金を払うのでしょうか?

4/18
加古川→大蔵谷(明石市)
家来に風邪が流行ったため、予定通りの日程では無理だと家来から相談あり。今日はもともと兵庫まで行くはずだったが、大蔵谷までにして、明日兵庫へ行き、あさってから予定通りの日程で動くことになる。風邪のため、長髪の段申出、明石城よりは先拂出
※風邪のために長髪ってどういう意味なのでしょうか??

4/19
大蔵谷→兵庫
垂水、羽箒、今日里数少ニ付昼休無、兵庫本陣。家来次々病気で寝込む。江戸の亀井隠居が亡くなったと知らせが来る。明日は郡山まで行くはずだったが、西宮までにする。あさってから予定通りにする。

----------------------------------
7.21追記
父から、私のギモンについての解説がメールできました。

一勝地の慰鉄砲について
ご推察のとおり家臣たちの狩りの紅白戦です。
この時代一勝地は火薬の原料となる硝石が採れていました。
ここに鉄砲撃場の仮屋があったのです。
もともと鉄砲に縁のある地だったのです。
ちなみに、今は一勝地駅へ各地の運動部から、まず一勝ということでキップの注文があるそうです。
これもご時世・・

響野原
よく調べましたね。
18代義陽が甲斐早運の奇襲により討ち死にしたところなのです。
旧暦12月1日が命日で、この日には今でも相良家の参詣があるそうです。
そのとき球磨川の水を持参されるのか、一度立ち会ってみたいとおもっています。

冷水峠越え
大儀の詞だけでなく、なにがしかのご祝儀があったあったと思います。
これを文献で証明しようとすれば、なかなか大変な作業になります。

里数
度量衝で1里の長さは統一されていたはずで、36丁で1里というのはきまっていたのですが、地方によって以前の慣習が残っていたのかもしれません。
そういうところへ長福公の注意があったというのがおもしろい・・

馳走船
海・川を渡るとき所の領主の助けをかりていますが、これには相応の謝礼があったと思います。
毎年上り下りを繰り返していれば自然と、きまりみたいなものができあがり、それが当たり前となって、ことさら記録しないのだとおもいます。
これも文献的には面倒なことです。

風邪による長髪
月代を剃らないために、髪が伸びて見苦しい様になっていますが、おゆるし下さい、という程の意味とおもいます。
4月15・16・17日に季節外れの寒気があったとあり、18日に風邪の者おびただしとあります。寒気が風邪の伏線になっているところ、おもしろい。

な~る~ほ~ど~。

























































































































































日にち

行程

日にち

行程

3/23

人吉→一勝地(球磨川下り)

4/17

片嶋→加古川

3/24

一勝地(雨のため滞在)

4/18

加古川→大蔵谷(家来に風邪が流行ったため、西宮までゆっくりのペースに変更)

3/25

一勝地

4/19

大蔵谷→兵庫

3/26

一勝地

4/20

兵庫→西宮

3/27

一勝地

4/21

西宮→郡山

3/28

一勝地→萩原(球磨川下り)

4/22

郡山→伏見(京で通行手形の交付)

3/29

萩原→(響野原参詣)→川尻

4/23

伏見→石部

3/30

川尻→山鹿(熊本で朝鮮飴をもらう)

4/24

石部→関

4/1

山鹿→羽犬塚

4/25

関→桑名(饅頭、蛤、酒の差し入れ)

4/2

羽犬塚→内野

4/26

桑名→→宮(名古屋)

4/3

内野→木屋瀬

4/27

宮→岡崎

4/4

木屋瀬→小倉

4/28

岡崎→吉田

4/5

小倉→吉田(関門海峡を渡る)

4/29

吉田(うなぎの差し入れ)舞阪(関所)→浜松

4/6

吉田→小郡

5/1

浜松→袋井 大井川川止めの情報

4/7

小郡→福川

5/2

袋井→金屋(金谷)

4/8

福川→高森

5/3

金屋(大井川の川止めのため滞在)(鯛の差し入れ)

4/9

高森→久波(錦帯橋見物)家来数名が厳島参詣したいと申し出る

5/4

金谷→府中(静岡)(野菜の差し入れ)

4/10

久波→広島(海田)雨のため、厳島参詣は中止。

5/5

府中→吉原

4/11

海田→本郷

5/6

吉原→箱根 飛脚で江戸に手紙

4/12

本郷→今津

5/7

箱根(タバコ盆を購入)→大磯

4/13

今津→七日市

5/8

大磯→程ヶ屋(保土谷)

4/14

七日市→板倉

5/9

保土谷→江戸屋敷

4/15

板倉→片上


4/16

片上→片嶋

急遽、帰省する事になりました。


明日の夕方はどうしてもはずせない仕事がありますが、
そのあと最終の飛行機で九州へ帰ります。
間に合うかな?

とりあえず、WEBチェックインもすませたし。
明日は15分前までに荷物検査ゲートへ
そして、タッチアンドゴー!

お天気がいいといいけど・・・。
なにはともあれ、親戚大集合だ。
おいっこめいっこたちに会えるのは、楽しみです。