NHKラジオ第2
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カテゴリー: └─宮本常一
「宮本常一を旅する」木村哲也著
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宮本常一を旅する |
木村哲也著 | |
河出書房新社 |
同じ著者の「忘れられた日本人」の舞台を旅する----宮本常一の軌跡 も読んでいた。
宮本常一にどっぷりとはまっていて(言葉が適切かはわからないが)、一時は周防大島の「周防大島文化交流センター(宮本常一記念館)の学芸員も務めたことのあるこの著者の旅のスタイルは正直羨ましい。私もこういう風に旅をしたいが、結局若い頃にちゃんと勉強していないので、見るべきものも聴くべきものもわからないで終ってしまうのだ。
この本は、小澤先生が新聞に書評を書いていらしたので、出版を知った。
小澤先生から宮本氏の名前を聞いたことは一度もなかったので、意外な感じがしたが、嬉しかった。
さっそく図書館で借りてきて読み始めた。
膨大な宮本氏の著作、日記、研究ノート、書簡などから宮本の行った場所、会った人(の家族)をたずねていく。そこでまた新しい気付きがある。
とても面白いと思った。
私もそんな旅がしたい。
でももっと勉強しないと、誰にあったらいいのか、何の話をしたらいいのかわからない。
でもこれからの人生は、これまでの蓄積の上に少しずつそんな出会いや経験を積み重ねて行けたらと思っている。
民俗学でなくてもいい。
この夏、ドレスデンで買った絵葉書から、フラウエン教会の周りの土地の歴史を少し垣間見たように。ライプツィヒの居酒屋の壁に森鴎外の絵があったから、鴎外の留学記をたどったように。心惹かれたモノからなにかを手繰って行って、自分の中にストンと納得するような経験を少しずつ増やしたい。後世に残すこともできずにただの自己満足で終るんだろうけど、でもまぁ、せっかく生まれてきたんだし。「大人の自由研究」でいいじゃないかとも思っている。
宮本常一の父親の10の教え
民俗学の旅 (講談社学術文庫) amazonへ | |
宮本常一 | |
講談社 |
以下の10か条は、宮本常一の著作(上記の「民俗学への旅」など)にあるのですが、まだ10代の宮本少年が初めて家を出て大阪へ勉強しに行くという時(まだその時点では、どの学校で勉強するなど具体的なことは決まっていませんでした)に、父親から渡された言葉だそうです。父親は、農家の生まれで学校にはろくに行かず、農家だけでは食べていけないので出稼ぎをして方々に出て行っていた人で(フィジーへも行ったらしい)、その経験からこのような言葉が生まれてきたらしい。まるでフィールドワーカーのようなその視点、また合理的で時代の先を見るかのような言葉に圧倒されます。
宮本常一は生涯この言葉を大事に旅をしていたのだそう。
私たちにも生かせる言葉がたくさんありますね。
一、汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺か、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
二、村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
三、金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
四、時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
五、金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
六、私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない、すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。
七、ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。
八、これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならない。
九、自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
十、人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大切なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
宮本常一 歴史講座
日曜の朝、ツイッターを見たら宮本常一のことをつぶやいている人がいた。一昨年トークイベントに行った、畑中さんだった。
何気なく、宮本常一というキーワードで検索してみたら、その日の午後に行われるイベントの情報が目に入った。場所を見たら東京だ。あ、これ行けるかも。会場は東高円寺にあるカフェらしい。お散歩カフェとのこと、どんなお店なのかな?あちらの方面は文化の香りが漂いますね。
講師の先生は、軽野造船所という屋号で活動されている岩崎(字はたつさき)さん。静岡の方で、歴史講座の他にも歴史をテーマにしたTシャツなんかも作ってるらしい。遺跡の発掘もしているらしい。今日は、宮本常一の生まれてから死ぬまでを語ってくださるとか。
会場は東高円寺駅からほど近い喫茶店で、奥に小上がり席があり、散歩関連の書籍がぎっしり!散歩イベントなどもやっているのだそう。店主さんも素敵な女性でした。きっと散歩好きな方なんでしょうね。話があいそうだ~。
散歩かふぇちゃらぽこ
参加者はなんと私を入れて二人。
もったいない。
もっと宣伝しないと!!
こないだの六次元のとか寿司詰めだったのに。
内容メモ(私が気になったところ)
●周防大島の宮本の生家は、今は常一の三男さんが住んでいらっしゃるのだそう。
●宮本の父の教え10箇条の含蓄。
●河原の流木に石を載せてあるのは所有権の主張
●自分の母の骨上げの様子も写真に記録する常一。火葬場ではなかった。
●安保デモな様子を眺める人々を記録する。この視点は六次元のトークイベントでも話が出ていた。人が撮らない写真を撮る常一。
●宮本が学者の道へいかなかったわけ。
●内蒙古の西北研究所、満州の建国大学、人類学と軍事学の繋がり。これからのエスノロジーの進むべき先は?
●戦中から終戦直後の、北海道への棄民。この政策に関わった宮本の心の傷、では、他にどんな道があったか?
●対馬は要塞法というものがあり、他の地域より人の出入りが制限されていたから八学会のフィールドに選ばれた。
2時間くらいで生涯を語るというわけでかなり駆け足だったけど、知らない話もあったし、やはり他の人が語る宮本像は新鮮で面白かった。今回は入門編のように感じたので、できればまた、テーマを深く掘り下げた話を聞いてみたいです。
私が宮本常一にひかれるところは、文明や文化を普遍化してみる眼にあると思います。彼は生まれて初めて海外に行ったのはアフリカだったわけですけど、そこでも日本でやったのと同じように農地を見て、人々の暮らしを見ている。そんな視点が自分にもほしいし、それがあればこの複雑な世界を生きていく上で魔法の杖のようなものになるのではないかと感じている。
今は、まだ憧れているだけだけれど。
宮本常一の写真にまつわるトークイベント
『戦前からバブル前夜まで、歩く・見る・聞く・撮るを実践した宮本常一。その行程はおよそ4000日を越え、撮影された写真には、激動期における日本の庶民のいとなみや風土が刻み込まれています。
今回のトーク「忘れられたことを知ること」では、平凡社から発売された『宮本常一と写真』の著者である、写真家の石川直樹さんと作家・編集者の畑中章宏さんに、宮本常一の写真をとおして、民俗学や人類学への興味や重要性、そしてご自身の活動について、お話して頂きます。』
僕らの未開というイベントシリーズの「忘れられたことを知ること~宮本常一と写真」トークイベントへ行ってきました。
会場は荻窪にある6次元という本がいっぱいおいてあるカフェ?みたいなところ。
満員御礼立ち見も出る盛況ぶりでした。
狭い空間に寿司詰めになって話を聞きました。
キャパをこえた人数を入れてるものだから、椅子が簡易の折り畳み丸椅子だし、身動きできないしでしんどかった。
写真が中心のイベントで、スライド上映もあるのだけど、人の頭で下半分はほとんど見えず。
そりゃないぜ…
それでも、面白いイベントではありました。
やはり中央線沿線は空気が違う。集う人も違う。
新鮮でした。
写真家さんの視点で語られる写真の話は初めて聞いたかも。
いや、これまでもちらほら聞く機会あったことはあった。こないだのアートブックフェアで写真集販売してた人とか、若木さんとか(若木さんとは映画トーテムの話しかしてないから違うけど)、夫の恩師の深瀬センセとか。でも今までは写真ってゲージツすぎてわからん!と理解できないことばかり、石川さんの話はすごくうなずける話ばかりでした。
写真=資料 って理解しやすい。
■宮本常一の写真の魅力についての話<備忘>
●一枚の写真から情報を読み取る力にあふれているから、自分の写真にもいろんな情報が盛り込まれる。
●ただの記録でいいはずの写真に、時々写真としての味を盛り込みたいという欲が出てくる。それがおもしろい。
●知らない土地に行ってあんなふうにふわふわと浮遊するように写真を撮れる人はそういない。
●取材の対象だけでなく、すべてを記録しようとする。例えば、祭りであれば、それを見て写真を撮っている人を写真に撮るとか。
●「史料価値のない写真は価値がない」(石川直樹さんの主張)
●100m歩く中でフィルム10本使ってしまう伝説の写真家がいるが(宮本ではない)、普通はそんなに写真は撮れないもの。風景の中に感じるものがあれば写真を撮れるが、感じること自体がそうそうできるものではない。
自分が写真を撮るときも、これからどれだけの情報がそこに盛り込めるか。考えながら撮りたいと思いました。
宮本氏の晩年の活動で、一枚の航空写真のスライドからいろいろな話をする講義があり、それが本になっていてすごく面白かったのですが、航空写真だけでなく、何気ない写真一枚にもそこから何を読み取るか、そういう訓練をしたいと思いました。