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大山寺のお参りを済ませてまたケーブルカーに乗りふもとの駅まで。
大山寺駅ではケーブルをまたぐ陸橋があるのですが、上り方向の運転士さんに「どちらに向かいますか?」と声をかけられ、「下に降ります」というと、乗り込むまで待っていてくれました。
帰りは、行きにも通ってきた「こま参道」でお土産屋さんを覗きながら、宿へ向かいたいと思います。
天気も悪いし、シーズンではないので参道も閑散としていました。
豆腐懐石の店や土産物の店などを過ぎて 呼び込みがありました。
「美味しいお豆腐食べていきませんか?」
さっき カフェで甘いものを食べたけど、お昼がまだです。
軽く食べていこうと思います。
今夜の宿で 豆腐懐石が待っているので、味噌田楽(こんにゃく)とお蕎麦を1つ頼んで2人でシェアします。
寒いので田楽が熱々で美味しい。
大山で取れた きのこの入ったお蕎麦も美味しかった。


塚本土産店さん。
観光地価格でないのが好感持てます。

店を出ると雨が降ってきました。
天気予報 通りですね。
元々は午後4時チェックインの予定ですが、雨なので もう宿に行きたい。
まだ3時前ですが電話をいれて宿へ向かいます。

こま参道から下る道には宿坊が並びます。
参詣の人たちが寄進した玉垣がかぞえきれないほど残っています。たくさんありすぎて写真取るのを忘れました。

良弁滝

今日の宿、
宿坊「東學坊」さんに到着。
ここは、1600年に創業と伝わる歴史ある宿坊だそうです。
現在の先導師さんは19代目になるそうです。

浴衣を選ばせてもらいました。
お部屋係の方がテキパキといろいろ 説明してくれました。
貸切露天風呂もあるらしい。

ウェルカムティー。
お抹茶に杏仁豆腐 だそうです。


部屋は12畳+6畳に 板の間と洗面 トイレがついてました。この宿でも広い方の部屋だと思います。(うちの家より広い!)

窓を開けると川が流れてる。
ご飯を5時半に頼んで、それまで内湯に入りくつろぎます。何もすることがないのが贅沢ですね。泊り客も少ないので 内湯では1人でした。大きめの家庭用お風呂といった感じ なので 他のグループの人と一緒に入ることは想定されていないのかも。
夕食は1階の大広間で。
5時半になっていくと、もう3組ほど食事が始まっていました。
テーブルセッティングを見ると、今日の泊まり客は5組のようです。
お豆腐懐石をいただきます。
お豆腐づくし。

食事の後は一休みして、貸切露天風呂へ。
事前情報を得ていませんでしたが、ここのお風呂は温泉でした。
雨の中の露天風呂も良いものでした。

夜は時にすることもないので、早く休みました。

翌朝。
雨はますます降っています。
気温もぐっと下がりました。
朝食前にも貸し切ろ露天風呂へ行きます。

昨夜は暗くてよく見えていませんでしたが、まだ作られてから新しい感じのお風呂でした。(写真はありません)

朝食もお豆腐づくし。
和食でしたが珈琲のサービスがあるのは嬉しい。やっぱり朝はコーヒーを飲みたいですものね。

部屋からの眺め

写真がないのですが、この宿坊は、朝のお祓い体験ができます。

朝食後、自由参加ですと言われていましたが、この日の宿泊客は全員参加したようです。
先導師さんが祝詞を上げてお祓いしてもらえます。
帰りには御札もいただけました。
本来は、ここで払っていただいた体で大山に登り阿夫利神社に参拝する順序だそうですが、今日は嵐なので、もう帰ります(笑)
↓「るるぶ大山体験」に載っていたものです。

宿をチェックアウトし、近所のお饅頭屋さんへ。
「大山まん志゙う本舗良辨」
朝7時からやってるお菓子屋さん。

できたてのおまんじゅうを買いました。
1個90円。
まだホカホカでした。

あたご滝バス停まで歩きます。
バスの時間まで「あたご滝」を見物。
昔はこの滝で身を清めてからお参りしたそうです。

バスで
伊勢原駅まで戻りました。
大雨です。

昨日は気が付きませんでしたが、伊勢原駅には大山名物「布招き」がたくさんありました。

※Perplexity の Eliot より:

大山詣りで手ぬぐいを宿坊に吊るす風習「布まねき」は、江戸時代に始まったとされています。この風習は、大山詣りが盛んだった夏山期間(旧暦6月27日から7月17日)に、宿坊の門前に講名を染めた手ぬぐいを掲げることで、講の参拝者を歓迎し、また講の目印とするために行われていました。
この「布まねき」は、特に江戸時代中期から後期にかけて大山詣りが最盛期を迎えた宝暦年間(18世紀半ば)頃に広まったと考えられます。当時、大山詣りは関東一円で信仰を集め、年間20万人以上が訪れる一大行事となっていました。

2日目はあられが降るような荒天だったので、早めに帰路につきお昼には自宅に帰ってきました。つまり日帰りでも行けるということです(知ってたけど)

次は日帰りで天気の良いときに行ってこようと思います。

子供の頃から落語で「大山詣り」 というのを聞いていました。そのころは「大山」は山の名前ではなくて大きい山のことだろうと思っていました。
大人になって東京に住み、 三軒茶屋のところに 「大山道」という道標があるのを見た時に、大山は実在するんだと知りました。

それから 大山はいつか行ってみたい 憧れの地になったのですが、なかなか実現の機会はありません。
東京西部や神奈川に住んでいると、「大山」という名前にはいろんなところででくわします。特に大山詣りに使われた街道沿いには、宿場や史跡、道の名前など今でも残ってるところがあるんです。
さて 神奈川県に住むようになって早6年、大山の山容をようやく覚え、あれが大山だなと横浜からでもわかるようになりました。分かってしまうと とっても分かりやすい。
(うちの近所からの富士山と大山の眺め)
大山は江戸時代から続く山岳信仰の山です(山岳信仰自体は 縄文時代からと言われています)山の麓にはたくさんの宿坊があり、 江戸時代以降 たくさんの講が 団体でお参りにやってきた場所です。
現在も講はあるようですけれども 旅のスタイルは変わってきており、宿坊も料理を出す 旅館 として営業しています。
さてその大山についに行くことにしました。
1月に 徳島に行った時に羽田空港で大山の観光案内のパンフレットを偶然見つけ、よし次は大山に行こうと決めたのです。
徳島から帰ってきて すぐに旅行サイトで色々調べ宿の予約を入れました。
宿の予約は早めのほうがいいけど、それだとお天気が心配。旅行の日程が近づくにつれて、天気予報を何度も見てヤキモキしていました。  
結局、旅行日程の土日のうち、土曜は曇り。でも土曜の夜から雨が降り出して日曜はずっと雨という 生憎の天気予報となりました。
土曜、早めに家を出て雨の降らないうちにお参りを済ませ、あとは宿でのんびりしようと思います。
大山フリーパスというのを買います。小田急線(本厚木から渋沢区間)、神奈中バス、それに 大山のケーブルカーが2日間乗り放題になります。
大山詣り だけでなく 大山 丹沢 あたりの山歩きを楽しむ人たちにも便利なパスのようです。

朝9時に家を出て 相鉄横浜駅でフリーパスを買いました。
相鉄線内はただ往復だけですが、海老名駅からの小田急線まで通しで1枚の切符になるので便利です。

海老名で小田急に乗り換え、伊勢原まで。
伊勢原駅は大山ムードが高まります。
液には観光案内所もあり、地図などももらえ、バス乗り場なども親切に教えてもらいました。

伊勢原からかなちゅうバスで大山ケーブルカー乗り場まで行きます。
土日は1時間に3本と本数も多く、便利に使えます。

フリーパスは単純 往復するだけでもお得になっています。

今は PASMO などで 全部乗れるので関係ないんですけど、手間がなくていいですね。また、現地での優待も利用できるようです。
バス停前にあった江戸時代の大山詣りの様子。
ここから徒歩15分 石段をずっと上がって ケーブルカーの駅まで行きます。途中はコマ参道と言っていろんなお土産屋さんや 宿坊 が並んでいます。
帰りに寄りましょう。


ケーブルカーの駅。

ケーブルカーは最新式のきれいな 車両です。

テーブルカーの終点 阿夫利神社駅。
山ですので 行く先々 ずっと 階段があり ひたすら 石段を登ります。

それでも ケーブルカーに乗れば神社まで40分かかるところを6分で連れてってくれます。
まだまだ 石段が続きます

登りきったところに 江戸時代の大山参りの像がありました。
抱えている大きな棒のようなものは木で作った太刀で、これを 江戸から抱えて行って奉納するのが当時の習わし だったようです。
昔の人たちの体力 すごい!

ケーブルカーで来られるのは中腹の社で山頂には本社があります。
そこやがるには 徒歩のみ。トレッキングの装備が必要
です。
昔はここから先は女性は入れなかったとのこと。
今でもお祓いをしてから入るように と書いてありますね。
境内からの眺め。
あいにく曇っていますが、眼下に相模湾、江ノ島、三浦半島 そして 晴れた日なら房総半島まで望めるそうです。
この景色は気持ちいいですね。
江戸時代の人たちは 江戸からここまで歩いてきて、さらに山に登ってこの眺めを見たら、とても心が洗われたに違いありません。
北の筑波山からも関東平野を一望できますが、筑波山からは海は見えないので、この景色はまた格別ですね。
江戸時代 大山に詣でた後、大抵は 江ノ島 まで 回って 弁天様にお参りをするのが習わし だったようです。江の島が良く見えるので、「次はあそこだ!」とみんなで眺めたんでしょうね。
山のお水を飲めるところがありました。きれいなお水です。

これは豆腐の供養塔。
各県に豆腐商工組合(あるいは 豆腐 油揚商工組合)があることが 玉垣からわかります。手前の四角いのは豆腐のモニュメント??

客殿の一部を改装しておしゃれなカフェができていました。
「茶寮石尊」
ここからの眺めも素晴らしい。


このマスに入っているのは 抹茶ティラミスです。


「石尊」の入り口。
「石尊」というのは大山の信仰「石尊大権現」から来ています 山岳信仰と修験道が合わさった 大山 独自のもの のようです。(石尊権現は全国に勧請されているらしい)

同行の夫は重度の花粉症なのですが、 この環境に連れてきたのは間違いだったかも と反省しました。
カフェの窓の外には杉の花が満開でした。

鹿がいました。飼われているのか?

これが 大山フリーパスです。

またケーブルカーに乗ります。ケーブルカーは2台あって それが 上下で ケーブルに繋がっています

途中の 大山寺駅ですれ違います。
ここで降りて 大山寺へ行ってみましょう。


大山寺は奈良時代に 良弁老師によって開かれそうです。元々は阿夫利神社のあった場所にありましたが、明治の廃仏毀釈によってここへ 移されたそうです。


阿夫利神社に比べて「不遇」といった感じです。
補修工事をしているようですが、あちこちガタが来ている感じもあり、お金がなさそうです。あちこちにお金を入れる箱が置いてあり、「お金お金」という感じがしました。

内観させていただきましたが、ものがそこかしこに置かれていて、とても 雑然としていました。予算がないことと 片付けができないのはイコールではなさそうですけどね。
いつも 等々力不動にお参りをしているので、 お不動様の護摩木勤行は知ってるつもりでしたが、お経の読み方が違いました。色々 流派があるのでしょうね。

「大山詣り」はここまで。
あとは 参道に戻っておやつを食べたり 宿に行ったりです。
後半に続きます。

カーシェアに目覚めたことは前回書きました。
 3連休の2日間、車を36時間借りてドライブに出てみました。今回は運転を練習するのが目的。行き先はどこでも構いません。お金を節約したいので高速には乗らずに 下の道だけを使うつもりです。

 まあ 3連休なので 高速なんかに乗ると逆に混んでると思われます。横浜は散々歩き回りましたが、神奈川県の西の方はあまりなじみのない地域。最近、神奈川大学の市民講座で考古学の勉強をしているので授業で出てきた 遺跡を実際見に行くのも楽しいかもしれません。
 今回借りた車はホンダのフィット。 小さくて運転しやすそう。家から徒歩7分ぐらいの場所にENEOS のカーシェアがあります。

 今回も早朝7時スタート。いつも人が多い横浜中華街やみなとみらいを人が少ないうちに通り、そこから第一の目的地として 横浜市青葉区市が尾にある横穴墓遺跡へ向かいます 横浜駅の方から新横浜を通って 国道246号線へ至る道です。途中 ファミレスで朝ごはんを食べます。ファミレスの駐車場を駐車券で精算するのも もう何十年ぶり!新鮮です。

 市が尾の横穴墓群は綺麗に整備してあってなかなか見ごたえありました。 6世紀から7世紀にかけての地元の農民家族の墓と思われているようです。 今ではすっかり住宅に取り囲まれていますがその辺りの一番高い場所にあって富士山まで見渡せるような景色のいいところでした昔の日本人も家族を葬るのに景色のいいところを選んだのですね。


人が並ぶと大きさがわかりますね。

こういう横穴墓が19基あります!

 次に神奈川県西部へ向かいたいと思います。市ヶ尾から246に乗ったら、大渋滞。藤が丘 辺りで一旦下の道へおります。 藤が丘か〜、この辺りに就職したばかりの頃に住んでいました。昔のアパートのあたりを見に行ってみようかな。もうアパートは取り壊されているはずですが、どうなってるのでしょう?

  景色がかなり変わっていて、迷いましたがたどり着きました。アパートが建っていたところは 区画が変わって 一戸建ての家がいくつも立っていましたが、アパートの隣の幼稚園はそのままでした。

ここの写真に写っている範囲 全体が敷地で木造2階建てのアパートと広い駐車場がありました。何ていう名前だったかな 「小島コーポ」 だったっけ?
このアパートです。(昔のGoogleMapから)
 ここからまた246に乗って、伊勢原の方へ向かいます。大山の麓の三ノ宮神社に カーナビの目的地をセットしました。特にそこに行きたいというわけではないのですが、郷土資料館もあるようだし行ってみましょう。
 246が散々 渋滞していて結構疲れました。 高速の乗り口が長く渋滞しているようで高速を選ばなくて正解。ナビに逆らって裏道へ抜けます。運転にはだんだん慣れてきました。
 途中 スターバックスのドライブスルーがあったので入ってみました。今回は運転の練習、車でしかできないこともいろいろ体験したい。ドライブスルーはその筆頭です。しかも スターバックスのドライブスルー なんて私が車に乗っていた頃にはなかったので、初体験です。おすすめの桃のフラペチーノを買いました。
 三ノ宮にある比々多神社(後で調べると 相模国の三宮でかなり古い神社のようです)というのは田畑の真ん中の狭い道を通って行くと、突如 大きな神社が現れるというものでした。そして 図らずも、その裏手には 縄文時代の遺跡があったのでした(下谷戸縄文遺跡)。手鏡のような形に石が並べられた 石敷住居あとは、ちょうど考古学の授業の縄文時代のところで勉強したものです。先生の話によると、神奈川県の山の近くの縄文遺跡には、石が床に敷き詰められている住居跡がたくさん出てくるとか。(海の近くになると石はあまり 手に入らないので石敷のものは出ない)



 私の興味に走りすぎても、同行の夫がかわいそうなので、夫の行きたいところにも行きますよ。外食業界にいる夫が興味があると言っていた 大繁盛の焼肉店『焼肉きんぐ』 に行ってみます。予約をしないと入れないような 人気店らしい。
 朝から予約をしたんですが 予約できたのは2時半過ぎ、その時間でもたくさんのひとが並んでいました。ここは食べ放題で美味しいことで大繁盛しているのだそう。夫の会社の幹部の人たちが団体で視察に出かけたという話を聞いて 夫も興味を持ったようです。
 食べ放題はついつい食べ過ぎてしまいますね。たらふく食べて大満足。さて ここからどこへ行きましょうか?ここまで来たからには 大磯の横穴墓群(またお墓?!)も見ておきたいところ。

 厚木から相模川沿いに南下して、大磯 へ向かいます。途中、平塚駅前でトイレ休憩。パーキングメーターも使います。

平塚は囲碁の町らしい。

 大磯城山公園についたときは、午後5時を過ぎていて、メインの公園の駐車場は閉っていて入れず。公園の裏側の 第2駐車場ならまだ開いてるかもしれない。強烈に細い道を通って行くと 果たして開いてました。急いで停めて、明るいうちにお墓群を見に行きました。
 いまは海岸線からは1キロぐらい離れていますが、元々は海の崖にお墓があったんじゃないかなというくらい高い位置に墓穴がありました。



 その後 せっかく海まで来たので海岸線を走ってみよう。 茅ヶ崎サザンビーチまでドライブします。もう夕方のせいか渋滞もなく西湘バイパスも走りやすい。
 茅ヶ崎サザンビーチ これは あのサザンオールスターズにちなんでつけられた名前です。近くの駐車場に車を停めて海水浴場を散歩。 ここでもトイレを借りました。

 ドライブしているとトイレの場所はなかなか気を使いますね。 昔はコンビニでトイレを借りられたものですが、 最近は貸してくれないところが増えているし。
 茅ヶ崎からさらに 鎌倉の由比ヶ浜まで 海岸線を走りました。 江ノ島を通過する頃には日が暮れ始めました。若者のグループがたくさんいて、夏の海、これぞ湘南! 由比ヶ浜から鎌倉駅の方に帰る行楽客も大勢いて、古都鎌倉は海遊びの街でもあるのだなぁと思ったり。
 鎌倉からはもう 真っ暗になっていたので、そろそろ家に向かいましょう。途中 スーパーによって重たいものなど買って帰りたい。普段は常に徒歩なので重たいものはあまり買わないんですよね。
 鎌倉鶴岡八幡宮のところからから朝夷奈を通って金沢の方に抜けます。ここを通ればもう 横浜市です。初めて通る道だったのですが、 通ってびっくり、 ものすごい山道でした。急カーブ 急カーブ 急カーブの連続。 山道はまだ自信がないと思って 大山も 麓までにしたのに、 鎌倉 横浜間でこんなに 山道を走ることになるとは!夜道だったので なかなか怖かったです。
 金沢八景のイオンで買い物をして、スーパーの立体駐車場体験 もしました。一旦家によって荷物を置いて、車を元の駐車場に置きに行きます。車はレンタルしたままですが、駐車料金を別に払いたくないのでこのパーキングに停めておきます。明日また朝早く起きて 続きのドライブをしたいと思います。
 1日 運転して右のふくらはぎと腰がちょっと痛くなってきました。 明日は クッションを持ち込んで運転したいと思います。

 次の朝も6時に起きて早めに出発。 昨日も38度の猛暑でしたが 今日も暑くなりそう。昨日 朝夷奈の山道で自信をつけたので、今日は 清川村の道の駅まで行ってみようと思います。
 清川村 というのは 神奈川県にある唯一の村です。道の駅があるので、そこを目的地にします 昨日 大山の麓まで行ったのとほぼ同じルートなんですけど。
 朝イチで友人がよく野鳥観察に来ていた 二俣川の大池公園に行ってみます。 朝の8時台だというのにものすごく暑い。
これはたまらん!

 朝ご飯は マクドナルドのドライブスルー。と言ってもドライブスルーで買ってそのマックの駐車場で食べました。

 それから、座間の米軍基地の近くにある勝坂遺跡の縄文生活林へ。勝坂遺跡は土器の名前になっている有名な遺跡だそうです (知らなかった)
ここにも 石敷の住居跡や竪穴式住居の復元、縄文時代の生活連林〜どんぐりや 栗の木など〜が復元されていてちょっとした資料の展示室もあり充実した遺跡でした(全然知らずに行きました 次はもうちょっとちゃんと本などを読んでいきたいと思います)。


勝坂式土器




 そして道の駅清川へ。山道ですが 綺麗に整備されているし 昼間だしで、走りやすかったです。 道の駅は十分な駐車スペースがあり、 それなりに 観光客で賑わっていました。食堂に行ってお昼ご飯を食べました ここは 豚肉が有名 みたいです。それから 道の駅のお楽しみ 地元の野菜をちょっと買いました。(とうもろこしを帰って茹でて食べたら 感動的な美味しさでした新鮮だと違いますね)




 帰り道、厚木で夫の仕事で付き合いのある工場をチラッと見て、のんびり 横浜へ向かいました。給油して駐車場に入れて車の掃除をして返却です。


 2日間で290kmぐらい走っていました。全部一人で運転!コンパクトカー だったので、狭い道もらくらく、昔の感覚が取り戻せたようです。運転に自信がつきました。これからはちょっと買い物とかそんな時でも30分だけとか借りて使っていこうと思います。



 それでも2日間ずっと運転しっぱなしだったので、神経は使ったようで 晩御飯もそこそこに ぐったり寝てしまいました。
いやー楽しかった。

もう1ヶ月も前の話になりますが、逗子にある友人のご実家で開催される資料展に行ってきました。

 
古いものがたくさん保存してあるお宅で、せっかくだから家族以外の皆さんにも見てもらいたい。ということのようです。

先祖伝来の甲冑や、御下賜の着物などの珍しいものや戦前戦中戦後の懐かしい物なが登場するそうです。
行ってみるとごくごく普通の現代的なお宅で、蔵があるとかそういうことではないのですが、物置に古いものがたくさん保管されているのだそう。
ご自宅で開くということでかなり準備が大変だったようですが、熱意に脱帽。(友人は今は九州に住んでいるのですが、この準備のため、毎月のように帰省してました)
これは昭和40年代のものですね。

戦前のボートゲームのようです。
その名も「大東亜ゲーム」


印度双六。

どうやって遊ぶのでしょうか??

四書五経。
個人宅にもあるものなんですね。
びっくり。

文久元年と書かれた箱に入った漆器。
年代物の重箱もありました。

徳川将軍家からの拝領品。
綿の入った着物や子供用の着物。
明治になる頃に色々家臣に分け与えたのでは?という話でした。
それでも今日まできれいに保管してあるのがすごい。
甲冑。
これは鎧櫃に入って放置されてたそうで、友人はネットで鎧たてを探して買ってました。ご先祖は佐々木盛綱の子孫らしい。


これは戦前の主婦の友だったか、婦人クラブだったか、そういう雑誌の広告欄。

新宿育ちという80代のお母様があれこれ説明してくださるのが興味深い内容。子供時代の思い出話もおもしろく、またゆっくりお話を伺ってみたいと思いました。テレビの中でしか知らなかった東京山の手の話し方で、こういう方本当にいらっしゃるんだなあ。
写真はあんまり撮らなかったんですが、
博物館で見るような東京の区分地図観光地図鉄道案内地図など色々ありました。
その他昔の雑誌、レコード多数。
戦時中の衣料切符とか、
大正時代の築地小劇場のパンフレットなんていうのもありました。
お宝の山!

聞くところによるとまだまだ紹介しきれないものがたくさん物置にあるそうです。

お母様の話だと「次は海外関係のものをの資料展をやりたいわ」とのこと。
楽しみです。

この夏オンラインで「夏期講習」を受講して、現場でもお話聞いてみたいなぁ、と思っていたら、登録したメアドに案内が届きました。
横田南嶺管長の日曜説教です。
無料ですが会場で聞くのは抽選らしい(コロナで人数制限してるのですね)。
抽選もクリアできたので、日曜日に早起きして行って来ました。
お寺に法話を聞きに行くなんて、考えてみたら初めてです。
高校の修学旅行で奈良の薬師寺で聞いたことはありました。
薬師寺のお坊さんのお話は名物になってましたね(今もそうかな?)
おぼえてないケド。
毎年お正月に行くお不動様の新春大護摩勤行でも法話があるにはあるのですがとっても短い。
この日曜説教はたっぷり1時間あります。
横田南嶺老師のお話はとても新しく、また聞きやすく、そして最後は相当崇高になるという感じです。今回は落語の「寿限無」まで披露されてびっくりしました。youtubeにもアップされていますので、ご興味ある方はこちらからご覧ください。
【日曜説教:令和4年7月】いのちは奇跡 | 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
コロナ禍のため始まったネット配信ですが、会場で見ていたら、カメラや機材もしっかりされていて、専門のエンジニアの方(だと思います)が機材席にいました。会場で配られた資料などを配信の画面にも映し出すのです。すごい技ですね。
進んだお寺だなぁと思います。
法話が終わった後、希望者はそのまま「坐禅会」に参加できるとあったので楽しみにしていました。
坐禅は初めてです。
長年恒例になっているのでしょう、参加者の大半は慣れた様子で、椅子を片付け、座布団をもって整然と座り始めます。
初めてだけど大丈夫かな?と思っていたら
「初めての人や説明を聞きたい人はこちらへ」と案内があって、初心者チーム(10人くらいか?)は、係のお坊さんの説明を受けながら挑戦することができました。
説明⇒坐禅10分⇒休憩5分⇒坐禅10分⇒休憩5分⇒坐禅10分⇒休憩5分⇒坐禅10分 で1時間程度の坐禅体験となりました。
初心者なので「呼吸を数えることに集中しましょう」と教わったんですが、
いつの間にか夢の世界に入ったりして(寝不足だったんで)
難しいものですね。
円覚寺では警策を使うのをやめたと聞いていましたが、そのとおりでした。座っている人の間をお坊さんがゆっくり歩いて時々、パチンパチンと拍子木のような音を立てていましたが、あれが警策の代わりでしょうか?よくわかりません。
でも、脚のむくみが取れて、脚が軽くなった実感がありました。
また機会があったら参加してみたいです。
頭や心がすっきりする実感も得てみたいものです。
鎌倉円覚寺といえば、夏目漱石が当時の管長釈宗演老師のもと、参禅したお寺です。その体験が「門」とか夢十夜の「第二夜」などに書かれていますよね。
夏目漱石もくぐった門だなと思うとなんだかうれしい。

コロナで旅行も行けないし、暑いし、ということで今年はン十年ぶりに海水浴へ行ってみたわけなのですが、話をしてみたら海嫌いだった夫までもが乗り気になり、翌々日にも海へでかけました。
一昨日のは下見ということになりますね。下見の成果あり、「みうら夏色きっぷ」というオトクなチケットがあることがわかりました。
京急の往復乗車券に、三浦海岸の海の家や温泉、レストランや土産物店で使えるチケットがセットになってます。(500円くらいお得になってる感じかな)
一昨日はシャワーもせずに帰りましたが、今度はこの切符の特典で近くのリゾートホテルの温泉に入りましょう。
気合を入れて一昨日より一時間以上早く家を出ました。
9時前に到着。
空いてるー。

二人で来たので、一人のときよりは積極的に泳げます。(一人のときは背の立つところで水遊び程度にしておきました)

天気も良くてもう暑い。
水の中は涼しくて、暑さを忘れることができました。
が、一時間も遊ぶと「もう満足した」という声が上がり、撤収することに。
もうですか?!
体を乾かし、砂を落として身繕い。
ホテルの温泉へ。

人数制限はしてるようでしたが、清掃間際の時間でほぼ貸切。(この写真は風呂上りの清掃時間に撮影したので、人数が書き込まれていません)温泉でさっぱりして、お昼ご飯を食べて、おとといと同じところで三浦野菜を買って帰りました。

ところで海水浴場の事を調べていて分かったのですが、日本の海水浴客数は年々減少の一途をたどっていて今は本当に人気がないそうですね。
おととい海に行った時のブログにウン十年ぶりに日本で海水浴に行ったということを書きましたけど、日本の海水浴客数のピークは1985年頃だそうです。その頃は夏は海、冬はスキーと若者のレジャーはあまり選択肢もなかったようですよね。
海が敬遠されるようになったのは、
・日焼け
・海・浜の汚れ
・べたつき
・疲れ
・海水浴場のガラの悪さ
などなどがが原因として挙げられていました。
確かに日焼けの害については80年代後半からさかんに叫ばれるようになったんですよね~。
「ガラの悪さ」これは実感としてはないのです。
私は学生時代を茨城で過ごしたので、海水浴はもっぱら水戸の先の阿字ヶ浦とか日立へ。田舎なのにでわりと平和な海水浴場でした。
社会人になってからは泊りがけでもっと田舎の海へ行っていたので、あまりガラの悪いところに遭遇することはなかったのですが、実際湘南など結構ひどかったらしいですね。
今は、海水浴場もお客を取り戻そうと、いろいろ対策を立てているようです。
三浦海岸がファミリー客ばかりだったのは、そういう戦略なのかな。
周りにお店も少なく、若者だったら楽しくないかも。
こちらにとっては好都合でしたが。
泳ぐならもう少しきれいな海がいいとは思いますが、遠出は自粛なのでしばらくは神奈川の海で泳ぎたいと思います。

今日は「海の日」。

海に行ってきました。
海水浴、最後に行ったのいつだろう?おそらく20代。あの頃は夏休みには毎年友達と大勢で伊豆や房総の海に行ってました。海外旅行を始める前。
30代になると、この海旅行グループも家庭ができたりして自然消滅。日帰りの付き合いに。それで私も海に行かなくなったのでした。


神奈川県民になったので海へ行かなきゃ!3度目の夏、ようやく実現しました。

家から近いのは逗子とか鎌倉とかですが、江ノ島はオリンピック会場だし、混んでいないところがいいなと思って、三浦海岸まで行きました。
ここは駅からビーチまでがすぐなのもいい!そうです、電車で行きました。

駅前のお店。
海の雰囲気ですね!

広々とした海岸。

三浦半島と、房総半島が見えて大きな湖みたい。

小さな子どもを連れたファミリーも多くてくつろげる雰囲気でした。

一人で来たので荷物が問題。

財布などもたずに、カードと小銭とスマホをジップロックに入れて身につけることにしました。

一時間くらい遊んで満足したので、お昼前に撤収。シャワーも浴びず、濡れタオルで簡単に体を拭いて帰途に。

こんなふうに簡単に海水浴できるならまた来よう。
駅までの道で三浦野菜を売ってたのでナスを買いました。長ナスと大きな白ナス。2つで150円でした。

平日休みをとって鎌倉へ行きました。
あじさいの季節だから明月院にでも行ってみようかと。春はあんなにハイキングコースを歩きたいと思っていたのに、こう気温が上がってくると、全くそんな気にならないのも不思議です。
明月院には20年ぐらい前にも紫陽花の時に行ったことがありました。その頃は世田谷にいたので、鎌倉まではちょっとした小旅行。
今は気軽にふらっと出かけられます。
朝ごはんを食べてから9時頃家を出ました。
北鎌倉までの電車はガラガラでしたが、北鎌倉で降りた人はほとんどが明月院に向かっています。
谷戸に沿った道を歩いて行くと、もう明月院の方から降りてくる人たちが大勢いました。朝9時の開門に合わせて出かけた人達でしょうね。人のいない写真を撮りたい人たちが、開門前から並んでいるそうです。
入り口。
拝観料は500円です。

紫陽花の時期の明月院といえば、ここ!

という山門に続く石段です。
朝10時すぎになるともうこんなに人が。(この写真は少ない方)

境内には紫陽花がこれでもかこれでもかと植えられていて通路が狭いため、人がとっても多いように感じますが、みんなマナーを守っていますね。

紫陽花がきれいでした。

花菖蒲の見頃というので、後庭の特別公開をしていました。せっかくなので入ります。お!さらに500円!

後庭はこんなところです。

明月院の境内にはお地蔵さん多し。

岩にしがみつくようにきれいな紫色の花が咲いてました。熱心に見ている女性がいたので話しかけて名前を教えてもらいました。

「岩煙草」と言うそうです。言われてみれば、葉っぱが煙草の葉に似てる。

疫病退散祈願の虎

明月院の櫓には壁面彫刻があるそうです。遠くてよく見えませんでした。

うさぎモチーフがたくさんあるお寺なので「明月」院だからかなーなどど思ってましたが、ほんとにうさぎがいました。

ウサギ小屋。
自ら火に入って食べられたお釈迦様の過去生のウサギにちなむそうです。


コロナの影響なのでしょう、せっかくの紫陽花の時期ですが、土日は閉めるのだそうです。通路が狭いから仕方ないのでしょうね。

このあと東慶寺へ回り、門前の喫茶店でコーヒー飲んで、さらに駅前の蕎麦屋さんでお昼を食べて、昼過ぎには家に帰りました。

鎌倉は横浜と違って山の空気があります。
萌える木々の緑、鳥の声、花の香り、静かな時間。
また行こう。

梅の季節に鎌倉円覚寺へ行きましたが、家からの近さを実感したので、またまたやってきました。
今回は建長寺から繋がっているハイキングコースを少し歩いてみようと思います。
建長寺なら北鎌倉が最寄りなんですけど、観光案内所でハイキングコースの地図などを手に入れようと思って鎌倉駅まで行きました。

春休み中のため平日なのに小町通りもすごい人です。若者が多い。この人混みの中は歩きたくないな、と若宮大路へ出ることにします。

若宮大路の桜並木初めて来ました。

桜の木はまだまだ小さいですが、とっても綺麗。

鶴ヶ岡八幡宮は遠くから拝むだけにしてハイキングコースへ向かいます。

メインのエリアをちょっと外れるとすぐに静かな通りに出ます。どこもかしこも桜が満開でとっても綺麗です。

今日は覚園寺のところからハイキング開始。ここから建長寺まで1時間足らずで歩ける(はずの)短いコースです。
このコースは「鎌倉アルプス」とも言われているらしく、どの辺りが「アルプス」なのか気になるところ。今日は軽く下見です。

まずいきなり長く続く階段で後ろから来た人に追い抜かれてしまいました。町からすぐなのに、あっという間に山です。横浜側よりも「古道」感もあり、道に変化があってなかなか楽しいです。

鎌倉らしい「やぐら」も点在しています。

数年前の台風による倒木などでコースが危険になっているところも多く、通行止めのエリアも複数。
でも横浜に抜けるコースはつながっているみたい。今度は縦走してみたいな。

ロープを伝って登る岩もあったり。


切通しみたいになっているところもあったり。


若宮大路から由比ヶ浜を一望できるところもありました。
十王岩。
疲れが吹き飛びます!

ここから建長寺の境内へおります。

拝観料がいるらしい。500円。

遥か下に見える建長寺境内。

ここまで休憩しながら40分でした。

下り階段を見ただけでくらくら。
でも登って来る人多し。

おりたところは半僧坊大権現。

般若心経の読経が聞こえてきました。
なぜか天狗がいっぱいいました。

半僧坊に向かう道には鳥居。

神仏習合です。
建長寺まで下りると落ち着いた禅寺でした。

北鎌倉駅から帰途につきます。

ここまで13000歩くらい。
次は鎌倉から横浜
まで歩いてみたいな。
お弁当持って。(トイレも場所も調べておいて)

 最近ずっと仏教の YouTube を見ているのですが、その中で鎌倉円覚寺の管長さんが佐々木閑先生と対談しているものを見ました。(この管長さんは、座禅時の警策を取りやめたのだそうです。改革者ですね)
対談の中で「自死」が話題にのぼり、老師が「実は私の大学時代、とても自死が多い学校で…」と話をなさっていました。「そういえば、私の学校も自殺する人が多いといわれていたな」と思っていたら、同じ学校でした(しかも在籍年も重なってる…)ちょっとした縁を感じて、土曜日の朝、円覚寺に行ってきました。


 円覚寺はJR北鎌倉の駅からすぐのところにあり、話によるとそもそも北鎌倉の駅は円覚寺の境内に作られたのだそうです。

 中に入ると縁も鎌倉時代の禅寺という佇まいで質実剛健、そして今も雲水さん達が修行をされているのだろうなという雰囲気がありました。

 このお寺は夏目漱石も参禅していたという話です。漱石が通っていた建物や何か手紙が残されているそうですが、それは見ませんでした。
 季節柄と言うかコロナなので、観光客も少なく、静かに散策することができました。ちょうど梅も綺麗に咲いていましたし。

梅の枝にかけられた洗濯物。
なんだか微笑ましい。
ここは、昭和初年に新陰流の柳生道場から剣道場だった建物を寄贈された「居士林」というところです。今でも座禅の修業の場だそう。(中には入れませんが庭を見ることができました)

 鎌倉は家からも近いので、またふらっと出かけたいと思います。できれば写経や座禅体験してみたいと思いますが、コロナで一部中止しているようですね。

北鎌倉駅前にある喫茶店、その名も「門」!

GOTOくまもとは一休みして、秋の横浜の様子をお届けします。
こちらは今朝出勤前に撮影したものです。
山下公園前の銀杏並木。
山下公園から見えるマリンタワーとホテルニューグランド
秋バラの花盛りです。
逆光で撮ってみた銀杏並木
こちらは昨日の午後。
イタリア山庭園で撮ったもの。
「外交官の家」
ブラフ18番館前の銀杏。
この銀杏の下のベンチは絶好の撮影スポット
イタリア山庭園の噴水も秋景色
そしてこちらは先週の日曜日の三渓園。
さざんかのじゅうたん
聴秋閣の特別公開
これは同じ日の本牧山頂公園で。
皇帝ダリアが咲いていました。

天気が回復したので少し遠出と思って電車に。横須賀に行くつもりで京急電車に乗ったら逗子葉山行きだった。

仕方がないので行き先を変更して逗子海岸まで散歩してみた。

居酒屋で昼ごはん定食。生しらす!

逗子銀座通り
いい感じの商店街。

駅近くで販売していた地元野菜。

間引きされた大根、1把150円でした。

(小田原散策続き)
お城見物を終え、宿場町散策へ。
旧東海道ってここかしら?
ずいぶん道幅あるなぁ。

バス停の屋根が瓦だったりしてやはりここで間違いない。
パッと見、お城みたいな「外郎博物館 」などもあるけど、もう寄ってる時間ない。古い建物の老舗が残っているところが「街かど博物館」として公開されているとパンフレットにあったので、それをたどる散策にしようかな。


ういろう博物館

歩いていくと、いかにも古そうな薬局さんが出現。
「済生堂薬局小西本店(薬博物館) 」。
パンフレットには、関東大震災後に再建された店舗とある。
表のケロヨンかわいい。
入ってみます。
「おじゃましまーす」
と声をかけたが、返事がない。
奥の調剤室に突っ伏している(ように見える)人影。
お昼寝中?
じゃましないようにそっと店内の展示を見ていたら、お店の人が気が付いて出てきてくれました。作務衣を着たおじいさんです。

「こちらはずいぶん古いんですね~。ずっと薬屋さんなのですか?」
なんて質問したりしてみる。お店の人は話し慣れているらしく、いろんな展示品を見せながら、歴史を話してくれる。
なんでも寛永10年(1633年)創業なのだそう。
ひゃー!
このご主人で15代目。ずっと薬屋さんだったらしい。
そして、戦国武将小西行長につながる家系なのだそう。
「1600年の、ほら、あれ・・・」
「関ケ原ですか?」
「そうそう、その関ケ原でね・・」という風に会話が進む。
小西行長といえば、私の地元熊本にはなじみ深いヒトなので、
私もノリノリになって話を聞きました。
ご主人も行長を知ってるなら話が早い、とばかりにますます話が弾みました。
明治期に西洋薬学を学ぶようになったお話。
関東大震災で家は倒れたけど、蔵は無事だったこと。
火災はなかったこと。
関東大震災後に東海道の道幅が広げられたこと。
(それで、こんなに広い道なんだ!)
戦時中の空襲も免れたこと。
などなど。

関東大震災前の店の様子。消防出初式だそうです。
消防車の様子も興味深い写真ですね。
震災後、再建されたお店(今の建物)やはり消防出初式。


展示品にも説明が加えられていて、まさに博物館です。

印象的な「薬」という字は、能書家だった12代のご主人の手によるもの。
屋根の付いた看板は珍しい。
この書は、また違う方のよう。
「石埭居士書」と読めます。
調べてみたら、永坂石埭(せきたい)という明治期の書家の方のようです。
お医者さんでもあったらしいので、そのあたりのつながりもあるのかな?
関東大震災でも火災がなかったそうなので、こういうものが残ったそうです。
たくさんお話を聞いているうちに、お店に人が増えてきました。
買い物したい人もいるようですが、ご主人意に介さず、お話が続きます。
「せっかくだから珍しいものをお見せしましょう」
と、調剤室の棚から出して見せてくださったのが、この薬品瓶。
もう職人がいなくて作れなくなったそう。
今でも現役で、はかり売りに活躍しているんだそうです。

とても親切な方でした。
小田原は見るものがたくさんあるのでぜひ再訪したいと思っています。
次回また訪ねてもっとお話聞きたいと思います。

きんじろうカフェで「呉汁」ご飯を食べたあと、歩いてすぐの清閑亭へ向かいます。
これも、小田原に来て知ったのですが、小田原には名士の別荘がたくさん残ってるようです。観光案内所にあったパンフのなかに「邸宅散策コース」というのがありました。一つくらいはみておきたい。
お城のそばにあり、庭から海が見渡せます。
築100年を超える木造二階建て。
よく手入れされていますが入場は無料です。
昔はこういう家は珍しくありませんでしたが、今ではこういう純日本風の家に住む人も少なくなりました。新築で家を建てようという人はこういう家は建てないでしょうし、大事に長く保存されるといいなと思います。
毎回こういう建物に入るたびに心が落ち着くのを感じます。
日本人だからでしょうか?
こういう季節に来ると、特にいいなーと思いますが、冬はやっぱり寒いですね。冬の寒さ思うと住めないと思ってしまいます。


この縁が建物をぐるりと回っています。


2階に上がると二間つづき。
窓が開放感たっぷり。
いい風が入ります。


二階の窓から海が見えます。


もっとズーム!


庭から母屋を見た感じ。

人がいるところは、カフェになってます。


私もコーヒーを頼んでみました。

400円で、1杯ずつハンドドリップしてくれるコーヒーです。
いい時間を過ごしました。
ここおすすめです。

小田原に行くまで知らなかったのですが、ここは二宮金次郎さんの生まれた所だったようです。報徳二宮神社という神社がお城のそばにありました。

ちょうどお腹がすいてきたし、どっかお店に入ってご飯を食べたい。
当初は宿場町に行って小田原名物でも食べたいと思っていましたが、まだこのあたりで見ておきたいところがあります。そこでグーグルマップで検索したところ、この神社の境内にカフェを発見。
「きんじろうカフェ」という名前です。

報徳社の運営。
オープンエアーになっていて素敵です。

この老年のきんじろう像の奥にカフェがあります。


ゆったりしてるのですが、満席。
お腹も空いていたし、この際、立ち食いでもいいと思ってたのですが、ちょうど席が空きました。

金次郎さんが日常食としていたという「呉汁」を食べてみました。すりつぶした大豆が入っているお味噌汁みたい。
初体験。

美味しかった。

報徳社の運営だからか、お店の人もとても気持ちのいい接客で、流行るのもわかります。
木漏れ日が気持ちよくのんびりしたかったけど、混んでるから席を譲らないとね。


神社の境内。

報徳神社は二宮尊徳のゆかりの地数カ所にあるようです。
静岡県掛川市の報徳社が生家かと勘違いしてました。掛川は報徳運動を世に広めた方の出身地だったのですね。

小田原城内には、天守閣のほかいろいろな施設があるのですが、「郷土文化館」へ入ってみました。
終戦すぐに「婦人専修職業訓練校」として城内に建てられた木造2階建ての建物を利用した博物館。建物は老朽化してるし、狭いのでいろいろ無理はあると思いますが、手作り感いっぱいの資料館。考古資料、歴史資料、文化資料、民俗資料に自然科学資料まであります。

わたしはこういうところに行くともっぱら、縄文土器や弥生土器を見て喜んでいますが、ここにもありました!

壺形土器(久野一本松遺跡)
取っ手付き土器や土偶なども出土しているようでした。
また、弥生時代~古墳時代も遺跡が続いていて、小田原が古代から人が住んでいたということがわかります。

こちらは民俗資料。
こういうものも一つ一つ使い方などの説明をうければ面白いでしょうね。
写真には撮りませんでしたが、昭和50年代くらいまで現役だったようなものも展示されていました。平成生まれの子供たちには不思議なものになるのでしょう。



図表も学問っぽかった。
テーマを持って丁寧に見たら勉強になりそう。

人力車の現物展示
最近街で見かける観光用のは2人乗りが多いので、このタイプを珍しいと感じてしまいましたが、この1人乗りが標準ですよね。

天守閣のようなお金のかかった今風の展示ではありませんが、手作り感もいっぱいで、好感の持てる博物館でした。
無料だし。
家族連れが1組、カップルが1組見ていました。
家族連れチームは親が子にいろんな説明をしていて、いいなぁと思いました。

4連休の3日目、夫は仕事に出かけたのでひとり。
近所の横浜は多分人がいっぱい。

少し郊外へいこうかと地図を眺め、ほどほど近場で歴史のある街、ということで小田原へ。

一人だと気の向くまま思う存分歩き回れるので、自分の趣味に走ります。
行きの電車はガラガラ。
でも、こんなのはここだけでした。
さすがは4連休。神奈川の端っこまで来てもそれなりに人がいます。

 
小田原到着。
箱根へ向かう電車も出てるのでなかなか混雑しています。

大きな小田原提灯でお出迎え。

駅のバスターミナルから小田原城が見えます。

駅前商店街はお土産物屋さんもいくつかあり観光地の雰囲気です。

今回は朝の思いつきでやってきたので何にも下調べしていません。
小田原城はいいとして、ほかに何があるのか全然わからないので、駅の観光案内所で街歩き用の地図やガイドのパンフレットをいくつかもらいました。

まずは定番、小田原城へ。
北条氏がいた頃の小田原城からはずいぶん違う形になっているようです。
白壁の感じはいかにも江戸時代って感じですし、江戸城に雰囲気似てます。

このお城は車椅子でも天守閣に上がれるようです。今時は他のお城でもそうなのでしょうかね?

江戸時代末期の様子。

小田原城には江戸期は長く大久保氏が入っていましたが、本丸は将軍を迎えるところということでお殿様は普段二の丸に住んでいたそうです。

土日だけ公開されている銅門。

再建されたものです。(小田原城は明治維新の時に解体されたので、建物は全て再建されたものです)

石落としの窓。

ちょうなで削った梁。

小田原評定!

ここは自分も一緒に参加して写真を撮ったりできます。

お堀。

この橋を渡って本丸へ。

ここから人がいっぱい。

本丸に猿山がありました。

今の城主は猿ですね。
昔はここに象がいました。
学生の頃、何も知らずに行ってびっくりしたことがあります。

天守閣には登らなくてもいいかなと思ったのですが、上から海まで見えるという話を聞き、行ってみました。

するとこの行列!!
うっかり並んでしまったのでもう後戻りできない気持ちになってしまいました(笑)

天守閣は明治3年に廃城解体されたそうですが、昭和35年に再建されました。鉄筋コンクリート造りで中は資料館になっています。数年前に大改修が行われ、展示内容も非常に充実して綺麗で見やすいものでした。人が多かったこともあり、一列縦隊でゆっくり登って行かなければならなかったので、

ひとつひとつ丁寧に見ることができました。
怪我の功名?
残念ながら展示はほとんどが撮影禁止でした。
展望台まで上がりました。
海が見えます。
学生の頃来た時は冬だったような記憶があります。
きっともっと見晴らしもよかったでしょう。

箱根方面、湯煙が見えます。

秀吉が築いた石垣一夜城は、中央右寄りの山の一番高いところあたりです。
右から3番目の高圧線鉄塔の上あたり。
小田原城が丸見えですね。

江ノ島方面を望む。

AR を使ったアプリもありました。

自分のスマホにダウンロードするのですがスマホを通してみるとこんなふうに小田原攻めの時の陣地が現れます。
こんなに囲まれたら怖かったでしょうね。
水軍も来たので360度ぐるりと囲まれたんです。
なんだか空に浮かんでるように見えるのは石垣一夜城です。
位置的にはもうちょっと内陸側のはずだと思います。
アプリにの限界かーーー。

たっぷり堪能しました。

秋風がとても気持ちよく、いつまでも見ていたいと思ったのですが、混んでいるので長居はできません。
箱根口門あと。

門の向こうに見えるのは小学校です。

これは街中にある大手門。
城下町で大手門のある辺りは官庁街になるというのが通例だと思いますが、小田原もその例に漏れず、市民会館や裁判所など各種お役所、銀行などのある一角です。

大手門を支えた石積の片方だけが残っていますが、大正年間にここに鐘が付けられたそうです。

今回見た小田原城は天守の周りだけだったのですが、本当の魅力はやはり難攻不落の総構えと言われた城郭全体にあると思います。中世の城が戦国時代最大の発展を遂げた最終型のような城だったと聞いていますので、次回はその北条氏が作った城の様子がわかる別の場所にも行ってみたいと思います。
ガイドマップも手に入れてきました。

4連休の初日、家から一歩も出ることなく過ごしました。
というのも、住んでいるマンションをWiFi化するという大家さんの方針により、業者さんが説明に来ることになったので家にいなければならないのです。
さらに、この一年ほとんどお客がきたことがなく、部屋が散らかり放題なのでこれを機にかたづけたい。
更には宅配便が3つ届くのを受けたり。
なかなか大忙しでした。


届いた中で嬉しかったのがこれ、昭文社の株主優待品。
地図好きで昭文社ファンなので株を少しもってるんですが、優待品は地図や本から選べる仕組みでした。
関東の道路地図をもらいました。
地図ってパラパラ眺めるだけでもほんとに楽しい。


さて、待っていた業者さんですが、なかなか素敵な話でした。
ケーブルテレビのネットワークを使ってインターネットをするという内容です。

ここに引っ越してきたとき、インターネットが部屋まで来てなかったので、色々検討したけど、このケーブルテレビは値段が高かったので候補から外していました。そして、工事費の安いNTTフレッツをひきました(それでも1万円くらいの工事費がかかりましたが)
今回はケーブルテレビで引くネットの基本的な料金を大家さんが持ってくれるという形になり、今より安い値段で今よりいい内容になるようです。
ありがとう大家さん。
1年前にやっていてくれたら工事費も不要だったのに…とか言うのはやめましょうね。
新規契約のキャンペーンで特典もあったりします。
何よりいいなと思ったのは、BSが入ることです。
このアパート、BSアンテナが立ってなくてこの一年見られなかったのです。
さらに、録画用のHDDが引っ越してすぐに壊れたので、最近はほとんどテレビを見ずにネットの配信ばかりを見ていました。こんどは、トリプルチューナー付2テラのHDDもつくそうです。
ジャンジャン録画できる!
そしてCSが88チャンネルも見られるらしい。
おそらく、こんなに色々チャンネルがあっても見ないだろうけど。
ものは試し、しばらくは楽しんでみたいと思います。
そしてこれを機に、固定電話を廃止することにしました。引っ越してから新しい番号を誰にも伝えてないし、なくなっても困らなそう。緊急時のために…と思っていましたが、そもそもひかり電話だったからネットがだめになったら使えないだのですよね。
ついにNTTと縁が切れるます。
こんな時代になろうとは!