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TOEIC ~そして英語とのつきあい

8/27の記事に追記


ここのところ、SHERLOCK祭のおかげで、毎日英語を聞いたり見たりしてます。
う~ん、わからない。
イライライライラ。

来年はロンドン行こうと思ってるし、旅行英語ならサバイバルで何とでもなるだろうケドも、どうせなら向こうの人と話してみたいゾ。
それにはやっぱり英語を使えるようにならなくては。
この気持ち、もう30年ぐらいは抱き続けてます。
中高大と10年英語勉強したけど、ご他聞にもれず、いまだに苦手意識が。

1年後の旅行という目標もできたし
当面は「SHERLOCK」を英語音声で聞き取れるようになりたい、というモチベーションもあるし、しばらく英語をやってみようと思います。

でも漠然とやるっていってもね~~。

そうだ!TOEIC受けてみよう!

中国語も、「中検」受けることにして試験勉強始めたら格段に文法が身についた。
もしかして、TOEICにもそういう効果があるのではなかろうか。
「試験目指して勉強してたら、いつの間にか前よりわかるようになってた。」
狙いはそこです。

TOEIC初体験です。
英語の試験は、中学のときの英検3級どまり。
巷でいろいろ話題になるTOEICスコア、自分がどの程度に当てはまるのかも興味あるので、まずは今の実力で受けてみようと思います。

早速申し込みにいったら次の試験は10月でした。
あと2ヶ月弱。
ちょうどいいかも。
初TOEICは10月21日です。
逃げてしまわないように、ここで宣言しときます(笑)


追記<英語のこと>

熊本で育った私が初めて英語に触れたのは、中学1年の英語の授業。あのころの学校はネイティブの補佐なども無く、習っていたのはいったい何語だったのか、ほんとに英語だったのか???英語は特に好きでも得意でもなく、学校で習う教科のひとつにすぎなかった。

そのころ洋楽を聴き始め、外国への憧れも人一倍強くもあったのだけど、他にも楽しいことが多すぎて英語にははまらなかった。ラジオ講座なんかも聞いたけど、続かなかったな~。

高校ではいわゆる受験英語を習い、かなり難しかった。
それでも、田舎のことゆえ、周りに英語が話せる人などもいなかったし、平和な日々だった。当時の英語は「しゃべるもの」ではなく、読み書きし、試験を受けるものだった。高校3年の数ヶ月間、受験準備のため英語塾に通った。ある日そこへ英語のネイティブがゲストでやってきた。ネイティブとのはじめての対面。目の前がチカチカして当然何も話せなかった。

大学入学で地元を離れた。
所属したのは英文学をやる人もいる学際の学科だった。
(私は人類学とかそっち方面のつもりだった)
入学直後、英語のクラス分けのためのテストがあった。
6段階に振り分けられるのだけど、下から2番目のクラスになった。
周りは基本的にみんな私より英語のできる人ばかり。
英語環境的にレベル高いんじゃ?激しくコンプレックスを感じた。

あ~、熊本って遅れてたんだなぁと思ってみたり(いえ、そんなことはありません。高校の同じクラスから同じ大学に行った友人は、国際関係の学部で、英語で講義を受けるのがデフォルトだったらしいし、私がダメだっただけでしょう)

大学では、英語は「読み書き」だけでなく「聞き話す」言葉になっていた。
世界が180度変わったように感じた。
外国人講師の英語での講義などもあったし、留学生との交流もあったり。
同級生には留学経験者や帰国子女でバイリンガルな人もいて、私には見たことも聞いたこともないような不思議な世界だった。その後、逃避の結果、当初第2外国語だったはずの朝鮮語を第1外国語にし、英語を第2外国語に落としてなんとか卒業。英語とは向き合わないまま。(第一外国語の朝鮮語は単位とっただけで身にならず終わった)

それでも、大学時代には英語圏に2度一人旅して、最低限のサバイバル英語(単語の羅列)はなんとか身についた。

と思ったのもつかの間、就職したら英語は完全に縁の無いものになった。

20代後半になり少しお小遣いに余裕が出るようになってから、海外旅行をはじめた。ようやく「英会話」が必要だと感じ始め、NHKのラジオなどで少しずつ言決まり文句など覚えて旅行で使うようになる。

最大のエポックメイキングは台湾にはまったこと。

ネットをはじめていたこともあり、台湾ではネットを通じてたくさん友人ができた。中国語は全くわからないから、必然的に英語でのコミュニケーションとなる。とにかく気持ちを通じさせたくて、めちゃくちゃな英語でも話しまくり、チャットでも書きまくった。スピード瞬発力が要求された。

私と付きあってくれる台湾人は、ほとんどの人が英語ができた(少なくとも私よりは)。台湾の英語教育はすばらしいのではないかと思うよ。
そんなことを何年か続けるうち、英語に慣れてきた。

そんなある日、外資系の化粧品会社に転職の話があり、電話で英語のレベルチェックを受けることになった。会社の昼休みに、路上で携帯電話で話すという劣悪な環境だったが、とりあえず相手の言うことはすべてわかり、何かしらの返答をすることができた。成績のほどはわからないけど。
面白いことに「あなたの英語は中国人みたいですね」といわれた。(そりゃ~台湾人としか話してないから・・w)レベルは高いはずはないけど、話を終えられただけで満足だった。(その転職の話はまとまらなかったけど)

その後、2009年から中国語を本格的に習い始め、台湾の友人とも英語を使う機会がめっきり減り、そして現在に至る・・・・今はほんとに簡単なことでも、なかなか英語で言うことができない。
もう何年も英語使ってないから。

「じゃあ、●●駅の改札で待ち合わせしよう」
中国語なら言えるのに、英語ではなんていうのか?
改札口って??

せめて、台湾で英語話していたころのレベルくらいまでには、なりたいものです。
プラス、ネイティブの話が(かんたんなものは)聞き取れる程度に・・・(今の中国語程度か)

がんばろー!

6 thoughts on “TOEIC ~そして英語とのつきあい

  1. YOKO

    あっ!
    中国語でも改札口って言えてない。出口っていってましたよ。いわんや英語をや!

    返信
  2. しましま

    Unknown
    改札口?  ticket gate ですね。

    英語ひとつだけでも自己紹介ができるんだーーと
    感動いたしました!
    YOKOさん、大学時代には刺激的ないい体験ができたのですね!

    返信
  3. YOKO

    改札口
    しましまさん。
    改札口ってticketgateですね。
    覚えました!

    英語との付き合いを振り返って、あまりの長さにクラクラしてきました。
    大学生活は確かに刺激的でした。
    もっともっと刺激を生かせれば良かったけど。
    でも、まだまだ遅くはないですよねー。
    中国語のことを考えたら、英語だってモチベーションさえ維持できればなんとかなるかなーとおもってます。

    でもこう書いてみると、自己紹介ちっくになってますね。
    はずかしー。
    とにかく、英語はこれからコツコツ行きますので、どうかご指導くださいーーー!

    返信
  4. しましま

    Unknown
    おかえりなさい!!

    ええ、遅くないと信じて私も勉強中なのですが、
    と言うのはね、
    義理の母(母語は英語)が、60歳でイタリア語を勉強し始めて、イタリアで立派に暮らしているのです。イタリア人の友達も大勢いて。
    義父は控えめな芸術家肌なので母ほどではないのですがそれでも生活してます。
    いいお手本だと思ってます。
    私で役に立てることはなんなりと。。。

    返信
  5. YOKO

    しましまさん
    わ~!60歳から外国語はすごいですね!
    私もリタイアしたら短期間でもいいので、念願の外国暮らしを経験したいと思ってます。イタリアはヨーロッパでは一番好きな国です。いいなぁ~。

    中国語でも、「活到老、學到老=死ぬまで勉強」という言葉があります。わたしもそのように生きていきたいなと思ってます。
    しましまさんのお義母さまを見習います!

    しましまさん、正典を英語で読んでらっしゃるのですね!すごい~。
    わたしも「バスカビル家の犬」の中国語版を手に入れたときに、日英中の三ヶ国語で読み比べをしてみようと思ったことがあるのですが、1ページで挫折しました。

    でもこれも面白い企画だと思うので、また時間を見て挑戦してみたいです。
    ホームズファン多しといえども、こういうことする物好きは多くなさそうだし・・・。

    これから、TOEIC受験まで、ブログでも英語の記事が増える予定です。
    (そうしないと勉強しないから・・・)
    ぜひご意見など拝聴したく存じます!!

    返信

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