横浜元町の夕暮れを歩くと、過去と現在がすれ違う
夕暮れどきの元町ショッピングストリートが、好き。
アスファルトに落ちるオレンジ色の光、
白い壁にあたる西陽、
そしてほんの少しだけ、街の空気が静かになっていくこの時間。
気づけば私はいつも、
「この道、昔はどんなふうだったんだろう」
なんて考えている。
元町は、もともと山下町と山手という2つの外国人居留地の間で発展してきた商業の町。
異国の香りを受け止めながら、日本の商人たちが自分たちのスタイルで育ててきた、ちょっと誇り高い街だ。
今ではブランドショップや老舗カフェが並ぶ、横浜屈指のショッピングストリート。
でも、ただの“買い物の街”じゃない。
歴史と記憶と、今を生きる人たちの賑わいが、
静かに混ざりあっている――それが元町なのだと思う。
元町ショッピングストリートを歩く
元町のメイン通りを歩くと、
まず感じるのは「静かな誇り」みたいなもの。
老舗のブティックやベーカリーが、
どれも主張しすぎず、でも個性を隠しているわけでもなく、
“うちはうちの道を行く”っていう空気をまとってる。
観光客向けの賑やかさとも違うし、
高級ブランドがずらっと並ぶ表参道とも、ちょっと違う。
なんというか、外から来た文化を、地元のやり方で咀嚼した感があるんですよね。
(↑こういうのに弱いんです、私。)
通りには、創業100年を超える老舗と、
若いセンスの新しいお店が、なんの違和感もなく並んでる。
たとえば
・近沢レース店(明治34年創業)と
・サステナブル系の小さな雑貨店が、
同じ通りに並んでいても不思議じゃない。
それぞれのお店が、
「自分たちはこの通りの一部なんだ」っていう覚悟を持ってるように感じて、
その静かな自信に、私はなんだか毎回しびれるのです。
そんなストリートを、夕方のやわらかい光の中で歩いていると、
「ここに住んでる人たちが、この街を大事に守ってきたんだな」って、
しみじみ思ってしまう。
チャーミングセールは地元のお祭り
春と秋、年に2回だけ開かれる元町チャーミングセール。
この日は、ふだん静かな元町が、ちょっと浮かれた顔になる。
普段はガラス越しに眺めるだけの高級店が、
このときばかりは「さあ、いらっしゃい!」と手を振ってくる。
いつもなら「私なんかが入っていいのか…?」って躊躇する店にも、
チャーミングセールの日だけは、なぜかスッと入れてしまう不思議。
実際、セールの割引率もけっこうすごい。
でもそれ以上に、この日は街全体が、ひとつのお祭りみたいになるのがいい。
道路を行き交うのは、
紙袋を何枚も持った人たち。
“今日だけは財布の紐がゆるむ日”って、
みんな顔に書いてある(笑)
📦 わたしの戦利品メモ(自分ツッコミつき)
- 濱文様の福袋(→あれはコスパ神)
- 荒井板金でリーデルのワイングラス(←明治5年創業なのに最先端)
- カラカラでクッション2個(ふわふわ)
- 近沢レース店でポーチ(旅用にぴったり)
- カフェラミルとキャラバンでコーヒー豆(嗜好品は別腹)
- カムイで藍染の風呂敷(使う予定はないけど、気分で買った)
※濱文様さんとカムイさんは現在は閉店してしまいました。
財布の紐が緩んでるというより、
もはや落ちてる。(←私のことです)
でもね、
チャーミングセールの日だけは、
街もお店も「今日は楽しんでいいんだよ」って言ってくれてる気がして。
だから、毎回つい、また歩きに来てしまうのです。
セールの日は、まるで小さなパレード
チャーミングセールの日の元町は、
紙袋を両手に抱えた人たちが、ゆっくりと波のように流れていく。
ガツガツ買い物、というよりは、
「あ、これもいいね」「あそこ、行ってみようか」
っていう、やわらかいテンポ。
誰かの後ろ姿を見て、
「あ、その店もチェックしてたやつだ…!」とついて行ったり、
呼び込みに吸い寄せられたり(笑)
通り全体が、ちょっとしたパレードみたいで、
歩いてるだけで気持ちが浮き立ってくる。
もちろん、商店街の人たちもいつもより声が大きくて、
笑顔もたくさんあって、
なんというか、**「今日は街全体がひとつの劇場です」**みたいな感じになるんです。
かつてこの通りを、外国人たちが歩き、
新しいものを求めていた時代があったと聞きます。
そして今は、地元の人も観光客も入り混じって、
あの頃とはちがう形で、でも確かに「何かを探しながら歩いている」。
そんな今の元町が、私はやっぱり好きだな、って思うのです。
元町で見つけた、ちいさな寄り道
元町を歩いていると、ふと気になる小道や看板が目に入ることがある。
私はそういうのにめっぽう弱くて、予定のない寄り道をついしてしまう。
カフェで出会った偶然のロケ現場
その日も、ちょっと疲れて「どこかでコーヒーでも…」と入ったカフェで、
なんだかざわついてると思ったら、
映画のロケに遭遇してしまった。
成田凌くんと清原果耶さん。
えっ!?えっ!?って、思わず動揺しながら、
アイスコーヒーの氷をガリガリ噛んでた記憶しかない(笑)
よくよく考えると、元町って、
街の景色そのものが“映画的”なのかもしれない。
どこを切り取っても、ちょっと絵になる。
観光地っぽさと、日常っぽさが絶妙に混ざってて、
どこかの商店街みたいで、でも他にない空気が流れてる。
たまたま通りがかった場所で、
ちょっとしたドラマに遭遇してしまう。
そんな偶然に出会えるのも、
元町の底力なのかもしれない。
元町の記憶をたどる|震災と百段の話
元町って、今はすごく整っててオシャレな街だけど、
ふと立ち止まると、その足元に「失われた時間」が積み重なっている気がする。
関東大震災と、元町の復興
散歩の途中、ふと思い出すのが昔見た震災前の横浜の古地図。
関東大震災。
1923年、すべてが崩れ、燃え、消えてしまったあの日。
いま私たちが歩いているこの道も、瓦礫に埋もれていたはずだ。
山手の高台から撮られた当時の写真には、
今の石川町駅あたりが、まるで別世界みたいに広がっていた。
中村川沿いの道筋がうっすらと見えるだけで、
そこに“元町”があったとはとても思えない。
それでも、この街は立ち上がって、
今みたいにお洒落で、穏やかな通りに戻ってきた。
なんでもない通りに、**とてつもない「再生の記憶」**が潜んでいる。
そう思うと、ただ歩くだけでも気持ちが引き締まる。
失われた百段通りの面影を探して
そしてもう一つ、“かつての元町”を今も感じる場所がある。
それが、浅間神社へと続いていた「元町百段」。
いまはもう石段は跡形もないけれど、
前田橋のあたりから百段跡を見上げると、
道幅がじわじわと細くなっていくのがわかる。
たぶん、これ、昔の設計者の“演出”だったんじゃないかと思う。
視覚的に道幅を狭くすると、
その先にある石段が高く、そして神聖に見えるように仕掛けたんじゃないかな。
もうその石段自体は無くなってしまったけれど、
「ここには、なにかあった」っていう感覚が、今もちゃんと残ってる。
現存してないのに、記憶に触れられる。
そういう場所って、なかなか貴重だと思うんです。
まとめ|元町で感じる、過去と現在の重なり
元町を歩くとき、私はいつも「いま」と「かつて」の間を行ったり来たりしている。
ふつうに歩けばただのショッピングストリートかもしれないけど、
ふとした瞬間に、そこにある“記憶の層”がひらりとめくれる。
夕暮れの光が白い壁にあたって、道が静かになるころ、
なんとなく、過去と今がすれ違っている気がするのだ。
関東大震災の瓦礫の上に再び築かれた街並み。
百段通りに残る、設計者の美意識。
映画のロケに出会った偶然。
チャーミングセールの日に広がる、人のにぎわい。
そのどれもが、この街がずっと「誰かの時間」を受けとめてきた証拠なんだと思う。
私は地元民だけど、
元町を歩くたびに、新しい発見がある。
きっとまた気まぐれに、ふらりとこの坂道を歩いて、
「前に来たときとは、ちょっと違うな」って思うんだろうな。
そんな小さな時間旅行を、これからも続けていけたらいいな、と思っている。
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