元町の坂道と、中島敦のこと
外出自粛中の日曜日。
何となく体が重くて、近所をちょっと歩こうと外に出た。
私の住んでいるあたりは、横浜らしい台地の起伏があって、
高低差がなかなかエグい。
わが家は低地にあるので、普段はあまり坂を登ることがないのだけれど、
「今日はあえて登ってみよう」と、運動不足解消モードでスタート。
向かったのは、元町商店街から汐汲坂(しおくみざか)。
車道だけで階段なし、という潔さ。
そのぶん、めちゃくちゃ急坂。
引っ越してきたばかりの頃に一度通って「これはムリ…」と封印していた坂道である。
けれど今日は気分が違う。
「よし、登るぞ!」と意気込んで、息を切らしながら一歩一歩進む。
そして突然、文学碑に出会う
途中、小さな幼稚園の敷地に目がとまる。
……ん? なにか石碑がある。
柵の向こう側、園庭の片隅。
よく見ると、そこには**「中島敦 文学碑」**の文字。
えっ!?中島敦? あの『山月記』の!?
まさか、こんな場所で会えるなんて思っていなかったので、
一瞬、頭の中に「李徴…!」と声がよぎった(笑)
残念ながら、碑の場所は幼稚園の中。
勝手に入るわけにもいかないので、
望遠レンズでそっとズームして撮影。
石に刻まれていたのは、中島敦の文字と、
おそらく『山月記』の一節だと思われる漢文の断片。
ぼんやりとしか読めなかったけれど、
あの独特の美しいリズムが、文字から滲み出ていた。
なぜ中島敦の文学碑がこの場所に?
「なんでこんなところに?」と思ったあなた、鋭いです。
実は、この場所にはかつて横浜高等女学校(のちの横浜学園)があり、
中島敦はそこで国語の教師として勤務していたんです。
そう、この幼稚園のあるこの坂の上こそが、
中島が“先生”として過ごした場所なんですね。
ちなみに当時の中島敦、元町商店街にあった喜久屋さんの2階のカフェで、
よくお茶をしていたそうです。
きっと授業が終わった帰り道、
この坂をゆっくり下って、商店街を抜けて行ったんだろうなぁ…。
中島の小説『かめれおん日記』には、
この時代の教師としての生活がしっかり描かれています。
横浜での教員生活、そして葛藤や静かなユーモア。
この地で働いていた頃の空気感が、その作品からも伝わってくる気がします。
🌸
この背景を知ってからもう一度文学碑を見に行くと、
「ここにいたんだなあ」という実感が、ぐっと深まりますよ。


元町の坂道で出会った文学の記憶|中島敦と「かめれおん日記」
ふと運動不足を感じた休日、意を決して急坂・汐汲坂を登ってみた。引っ越して以来、避けてきたあの激坂だ。目的は特になくても、歩けばなにかに出会える気がするのが、元町という街。
坂の途中、元町幼稚園の園庭をちらりと覗くと、奥に見慣れない碑が見えた。カメラのズームを思いっきり使って覗き込むと、それは作家・中島敦の文学碑。
「……え、中島敦?なんでここに?」と、ひとりつぶやく。
ここに女学校があった
実はこの場所、戦前には**横浜高等女学校(のちの横浜学園)**があり、中島敦はそこで国語教師として働いていた。『山月記』の印象が強い彼だけれど、実は、教師としての生活が色濃く描かれた作品も残している。そのひとつが、短編エッセイ風の『かめれおん日記』だ。
「山手の坂の途中でミカンを追いかける教師」「元町のM・ベエカリー(カフェ)で同僚とお茶しながら話す」「教え子から博物室に珍しいカメレオンを持ち込まれる」など、地元民が読むとニヤリとする描写がいくつも登場する。
何か話し度くてたまらぬことがあるらしい。M・ベエカリイに寄って茶を飲みながら一時間ほど話す。
—『かめれおん日記』より
この“ベエカリイ”、現在も元町通りにある老舗「喜久家」の2階にあった喫茶室では?と推察されている。中島はここで同僚と「学校のゴシップ」を語り合ったり、身の回りの観察を書き留めたりしていたのだろう。
ふと蘇る「教科書作家」の人間味
教科書で『山月記』を読んだときは、もっとカタい人かと思ってた。けれど『かめれおん日記』を読むと、かなりの観察魔で、ちょっと屈折した自意識を持て余すタイプ。どこか親近感すら覚えてしまう。
喘息持ちで思索型、現実と距離を置きがち、でも感性は鋭くて…あれ、ちょっと自分に似てる?なんて思ったりして(笑)
今はもうない女学校、でも記憶はここに
文学碑がある元町幼稚園の場所に、かつて横浜女学校があった。碑は園内にあるため自由に立ち入ることはできないけれど、ズームレンズ越しに眺めながら、「ああ、ここに中島敦が毎日通ってたんだな」と、静かに思いを馳せた。
何気ない散歩の中に、ちょっとした文学の時間旅行。
そんな日曜の午後だった。
中島敦が見た“あの坂”
中島敦は、横浜女学校で教鞭をとっていた頃の体験をもとに、小説『かめれおん日記』の中で、山手の風景や坂道の描写をさらりと書き残しています。
たとえば、元町から山手へ続く坂道について、こんな場面があります。
「學校の前は山手から降りて來る坂になってゐるのだが…」(『かめれおん日記』より)
この“坂”が、まさに汐汲坂だったのでは?と思われるんです。
さらに、散歩の帰り道には、今も人気の「外人墓地」近くを歩く様子も。
「海は靄ではつきりしないが、巨きな汽船たちの影だけは直ぐに判る。時々ボー/\と汽笛が響いて來る。」(『かめれおん日記』より)
この一節、わたしも港の見える丘でボーっとしている時に、まったく同じ風景を感じたことがあります。中島先生、あなたも同じものを見てたんですね…って、思わず呟きたくなる。
そしてもうひとつ。元町商店街のカフェ(当時のM・ベエカリー)で、同僚教師とお茶をするシーン。
「M・ベエカリイに寄って茶を飲みながら一時間ほど話す。」(『かめれおん日記』より)
これ、もしかして今も元町通りにある「喜久屋」さんの2階喫茶室かも?と思うと、ちょっと嬉しくなります。
坂の途中に、うれしいごほうび
汐汲坂の登り口のところには魅力的なお店が並んでいます。
そのなかでおすすめのお店を2軒ご紹介します。
🍴JHカフェ(ジェイエイチカフェ)
アメリカンな居心地の良い空間で、がっつりおいしい洋食が楽しめるお店。ハンバーグもステーキも、あれもこれもおいしくて、ついお腹が空いてなくても入りたくなる…という、罪なカフェ(笑)というか、レストランですね。
映画関係の装飾もファンなら見いっててしまうこと間違いなし。
🥗カフェKAORIS(カオリズ)
こちらは女子に大人気の、野菜たっぷりのカフェ飯が魅力。
サラダが主役級においしいって、なかなかないですよ。
パンも美味しくて、ついテイクアウトしてしまうことも。
中島敦という作家のことを、あらためて思う
中島敦。
教科書に載っている『山月記』で知った人も多いはず。
私も、たしか新潮文庫を買って読んだ。
「人間の尊厳」だとか、「詩人になりたかった男」だとか、
難しそうに見えて、でもどこか“切実なリアル”があって印象に残った。
そして彼は、ほんの数年だけこの世にいて、
まるで彗星みたいに現れて、消えていった作家。
享年33歳。
文学碑の前で立ち止まりながら、
「この人が生きてたら、どんな作品を書き続けてたんだろうな」なんて、
ぼんやり考えた。
急坂と文学と、ちょっとした発見
その後、ゼイゼイ言いながら坂を登りきったとき、
なんだかとても良いことをしたような気持ちになった。
坂道を登っただけなのに、
ひとつ文学碑を見つけただけなのに、
ちょっとした旅をしたような気分。
今度また、この坂を歩くときには、
中島敦の詩のリズムを、頭の中でそっと唱えてみようと思う。
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